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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の師走のイベントと出来事(2010.12.31号)

2010年12月31日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2010 内川の野鳥  

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大森町界隈も、大晦日を迎え年越しの準備が行われています。大森町周辺の師走の様子を見てきました。

○ 諏訪神社大祓い式典
氏子諏訪神社では、12月28日に年末行事の大祓い式典が、午後2時から神社役員が集まり執行されましたので見てきました。諏訪神社では、大祓い式典と共にお札などのお焚上げも同時に行われました。

・年越しの大祓い
大祓いの神事は、氏子の希望者に授与された所定の袋に入った神(紙)の人形(ひとがた)に氏名、生年月日を書き、身体を撫でて息を吹きかけて、心身の穢れを人形に移し、初穂料を封筒に入れて28日の午前中までに届けておきます。


大祓い式典では、神官が神社本殿の御神前に人形をお供えして、ご神官と神社役員が本殿で大祓いの祝詞を唱えた後、全員が御神前の前に進み参拝しご神官よりお祓いを受けて本殿での式典を終了します。儀式後、お祓いを終えた人形は、川に流して家庭の円満、稼業の繁栄を祈ります。

 大祓いの儀式(1228写真拡大)

・お焚上げ
諏訪神社では、1年間神棚に飾られた注連縄(しめなわ)や、祀られたお札などを28日正午までに持参すると、1年間を無事に過ごせた感謝を込めて、ご神官がお祓いをした後お焚上げ炉を点火して、神社役員がお札をお焚上げします。

 お焚上げ(1228写真拡大)

注連縄には種類が幾つかあり、一般的な家庭用神棚の注連縄は牛蒡〆と大根〆や輪飾りなど色々な種類と形式があります。

 注連縄(:店頭に並ぶ注連縄、:店頭に並ぶ輪飾り、:シンプルな輪飾り1228)

関東では一方が太い牛蒡〆が一般的ですが、両端が細い大根〆もあります。しかし、注連縄業者によっては、一方が太い注連縄を大根〆と呼んでいるところもあります。

 神棚の注連縄(:神棚の牛蒡〆、中:牛蒡〆、右:大根〆)

・初参り参拝
諏訪神社では、除夜の太鼓を合図に、初参り参拝者に、家内安全・商売繁盛を祈願したお神酒と甘酒が振る舞われます。そのため、神社では大晦日には神社役員が甘酒造りの準備をして、初参りの参拝者を待つばかりとなっています。

 初参りの参拝者を待つばかりの大晦日の諏訪神社(1231写真拡大)

○ 餅つき
暮れの28日に大森町を歩いていると、何処からかお餅のつくような音が聞こえてくるので空耳かと思い通り過ごしました。帰りにその道を通るとお餅のつく音が聞こえましたので、探してみると工場の入り口で餅つきをしているのが見えました。最近巷での餅つき風景は、久方振りで珍しいので写真を撮らせて貰いました。

 巷の餅つき風景(1228写真拡大)

○ 年越し蕎麦
大晦日に縁起を担いで食べる年越し蕎麦は、歳末の日本の風物詩であります。年越し蕎麦の由来は「細く長く達者に暮らせることを願う」というのが一般的であり、大森町商店街通りの2軒のお蕎麦屋さんも、朝から店先に持ち帰りの年越し蕎麦を並べて客呼びをしていました。

 年越し蕎麦のお蕎麦屋さん風景(1231写真拡大)

○ 内川の鴨
今年は、前回の師走のイベントと出来事(2010.12.21号)に記載しましたが、内川には鴨の他にカモメが仲間に加わりました。師走の付近住民の心を和ましてくれます。内川の野鳥を観察しました。

 内川の野鳥にはかもめも加わる(1228・1231写真拡大)

○ 大森第8中学校前内川第2期護岸工事
12月28日に見ると、大森第8中学校前の内川では、今年最後の御用納の護岸工事を行っていました。

 内川第2期護岸工事(1228写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第11回その4)

2010年12月29日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010

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第6工区工事
・上り線雑色駅エスカレータ設置工事
12月23日に見ると、エスカレータの設置は終了して開通されていました。下り側エスカレータは、上り線高架ホームの北側から下ります。高架ホームから地上の改札口まで通じたエスカレータは、全高架5駅では最初の運用となりました。

 下りエスカレータの開通(写真拡大)

上りエスカレータへは、雑色駅西口改札口から仮通路を通り、エレベータの横を曲がるとエスカレータです。エスカレータが開通し、殆どの乗客が利用するので、エレベータの使用は大型トランクを持った人のみの利用となり、エレベータの奥にある階段利用者は見かけません。

 上りエスカレータの開通(写真拡大)

・六郷下り線高架橋築造工事
12月27日に見ると、雑色第5鉄橋の北の高架橋桁梁は仮上り線高架橋との分岐部で、旧上り線高架橋桁梁がジャッキアップされ、そこに仮上り線分岐の高架橋桁梁を張り付けてあります。

 ジャッキアップ前後の旧上り線傾斜高架橋(:仮上り線高架橋が張り付きジャッキアップされた旧上り線高架橋1227、:ジャッキアップ前の旧上り線高架橋20090716)

旧上り線の傾斜高架橋の盛り土部は、側面をコンクリート壁で固められておりましたが、仮上り線高架橋橋脚柱建立のためコンクリート壁を壊して、鉄鋼壁で盛り土を押さえられました。旧上り線が空き、その盛り土部が撤去され、鉄鋼壁で現用下り線の盛り土を押さえる工事が行われていますが、工事囲いのため見えません。

 取壊し工事中の旧上り線盛り土部(:工事覆いで囲われたて見えない旧上り線盛り土部1227、:コンクリート壁で囲われた旧上り線盛り土部20080730、:仮上り線高架橋築造で壊されたコンクリート壁20081129)

雑色第4踏切南方の旧上り線低地盛土部では盛り土を除去して、鋼板が敷かれています。寶珠院の南側のヤードでは、下り線高架橋築造の建造物資材の準備がすすめられています。

 旧上り線低地盛り土部付近の高架橋築造工事現場(:旧上り線低地盛り土部工事現場、:下り線東側の高架橋築造の準備を進めるヤード)

第8工区高架工事
・旧上り線ホーム跡工事
12月18日に見ると、高架下の旧上り線ホーム跡に工事車・工事機や工事資材が集結しているのが見られました。

 旧上り線ホーム跡に工事機や資材が集結(1218写真拡大)

ホーム跡の北方では、各種の工事機を稼働して高架駅設備の築造工事が始められるようです。

 旧上り線ホーム跡で高架駅設備築造工事の準備か(1218写真拡大)

同27日にも、高架下の旧上り線ホーム跡での駅設備の築造工事が、継続して行われていました。

 旧上り線ホーム跡で高架駅設備築造工事(左上中上右上左下中下右下1227写真拡大)

・下り線高架橋築造工事
12月27日に見ると、糀谷第1踏切北の下り線構内高架橋の高架橋脚柱の建立穴部に白色シートで蓋され、橋脚柱建立の準備が開始されるようです。

 糀谷第1踏切北構内高架橋脚柱建立の準備工事(写真拡大)

同日には糀谷第1踏切南の上り線高架橋下では、整理工事が行われていました。

 糀谷第1踏切南の上り線高架橋下の整備工事(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第11回その3)

2010年12月27日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 第1京浜国道横断歩道橋脚柱

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第4、5工区工事
・高架下旧上り線ホーム跡工事
京急蒲田駅の高架化工事中途の駅設備は、東口と西口改札口間の連絡通路が在来の地下道通路から階段を経て通じるのみで、この地下道通路には1、2番線地上ホームからは在来より使用の階段と小さなエレベータで連絡し、4、6番線高架ホームからは階段の使用ではまず1階まで通路降りて、その通路に繋がる地下階段を利用するか、高架ホームまで延長した在来エレベータにより連絡します。なお、エスカレータは、高架ホームから1階との中間の踊り場までの1基があるのみで、高架化工事の中間とはいえ乗客サービスには不足です。特に、羽田空港国際化で、大型旅客トランクを運ぶ乗客が増えています。
12月27日に下り線の列車内から、高架下旧上り線ホーム跡の工事状況を見てみました。

 高架下旧上り線ホーム中央部付近跡の工事状況を見る(1227写真拡大)

下り線の高架化に関係して、京急蒲田高架駅の駅設備の準備工事を進めていました。

 高架下旧上り線ホーム南方部付近跡の工事状況を見る(1227写真拡大)

・京急蒲田第2~9踏切間下り線線路跡工事
12月22日に見ると京急蒲田第2-4踏切間の旧下り線線路を撤去した高架橋下では、高架下の整備工事を行っていました。

 第2-4踏切間の高架下の整備工事(1222写真拡大)

同日第6踏切跡南側では、下り線用高架橋の橋脚柱建立の基礎工事が行われており、橋脚建立用ライナーの埋め込み機械や、ライナーの埋め込みの穴掘りカッターなどが見られました。

 第6踏切跡南側の高架橋脚建立の基礎工事(:第6踏切跡南側の高架橋脚建立工事現場、:高架橋脚建立ライナー埋め込み工事、:橋脚ライナー埋め込み用穴掘りカッター1222)

第6踏切跡南側から2本目の橋脚柱建立の場所で大型クレーンを稼働させ、脚柱建立の基礎工事が行われておりました。

 第6踏切跡南側から2本目の橋脚建立の基礎工事(1222写真拡大)

第6踏切跡の南方にある第8踏切跡から、南北の下り線用高架橋築造工事現場を見てみました。北方の同6踏切跡南側の脚柱建立の基礎工事の南側を見ると、工事機材や工事機などがいろいろと置かれていました。また、南方側の踏切跡近くでは、工事鋼板が敷かれて工事車の移動が容易にできるようにしてあり、遠望すると同9踏切付近で大勢の作業員により工事を行っており、その手前でも何人かが作業しているのが見えました。

 第8踏切跡から北と南側の工事現場を見る(:第8踏切跡から第6踏切跡南側の工事現場を遠望する、:第8踏切跡から南側を見る、:第8踏切跡から南側を遠望する1222)

第6踏切から北方を見ると、踏切から数えて5本目ほどの橋脚柱の付近で、クレーンを使用して橋脚柱建立の基礎工事を行っておりました。

 第9踏切北方の橋脚柱建立基礎工事(1222写真拡大)

・京急蒲田駅周辺高架工事関連状況
12月22日に京急蒲田駅南の第1京浜国道際の大田区産業プラザPiOの前を通ると、京急蒲田駅前交差点付近に、「歩道橋を造っています」の看板があり、橋脚柱が桁枠と共に建立されておりました。

 京急蒲田駅南の第1京浜国道に横断歩道が築造開始される(1222写真拡大)

京急高架橋脇の旧ヤード跡には、長尺の橋桁梁が置かれてありました。

 京急高架橋脇には長尺の歩道橋桁梁を保管中(1222写真拡大)

また、対面の第1京浜国道の東側にも筒型の橋脚柱が建立されていました。

 対面の第1京浜国道東側にも橋脚柱が建つ(1222写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第11回その2)

2010年12月25日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 工事点検作業車

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第1工区工事(続)
・旧上り線内川橋梁部の切断取壊し撤去工事
内川橋梁は、内川と内川南岸および北岸に沿った2本の道路を跨いて架設されている傾斜した鉄橋です。前回には旧上り線の内川橋梁の切断取壊しが、橋梁を一定の間隔で区切ってジャッキで支え、南岸側と北岸側の二手方向から作業が始まりました。
12月9日に見ると、内川北岸の橋脚に架かる橋梁部の切断取壊しを行っていました。

 解体工事中の旧上り線の内川橋梁北部(写真拡大)

同11日には、旧上り線内川橋梁の北岸の橋脚に架かる橋梁部が、約2mほど側梁を残して、底板部と中間梁が切断して撤去されていました。

 解体工事中の内川橋梁北側(写真拡大)

同16日に見ると、旧上り線の内川橋梁のおよそ半分近くが、切断され取壊されていました。

 半分近く切断解体された内川橋梁北側(:解体された内川橋梁を北岸から見る、:解体残部の内川橋梁を西側から見る、:解体残部の内川橋梁を南岸から見る)

同19日には内川橋梁の切断取壊しが進み、残りが約6mほどになりました。

 解体の残りが6mほどとなった内川橋梁(写真拡大)

12月22日に見ると、内川橋梁の切断取壊しが完了して、現用下り線運用の内川橋梁のみとなりました。

 旧上り線内川橋梁の解体撤去終了(写真拡大)

・大森町駅仮駅舎設置工事
大森町駅仮駅舎設置工事は、12月24日には多機能トイレと男女別のトイレが使用できるようになっていました。

 大森町上り線側の仮駅舎(写真拡大)

・大森町駅周辺高架工事関連状況
大森町駅周辺高架工事関連状況は、大森町第1踏切から第1京浜国道までの大森町商店街通り(大田区画街路第3号線延長63m)の幅員が13mに拡幅されます。そのため、大森町駅東口前の商店4店が閉店して取り壊され(「大森町界隈あれこれ ニュース 変貌する大森町駅周辺の商店街(2010.1.26号)」参照)、その跡にマンションが建設され完成しました。その閉店した商店のクリーニング店CLEAN BLUEは、通り向かい側に移転して仮営業しておりましたが、完成したマンションの元の営業場所に戻り、12月23日に開店しました。

 高架化関連大森町駅周辺状況(:仮営業していた仮店舗、:古巣に戻った本店舗1223)

第2工区工事
・旧上り線梅屋敷駅ホーム跡工事
梅屋敷駅の上り高架線ホームは、下り高架ホームを板張りで拡幅して使用しています。また、高架ホームから地上改札口への通路は、上下線の高架ホームからはそれぞれのエスカレータと階段で中間の踊り場に降りて、地上には踊り場間の中央部で共通の階段とエスカレータで昇り降りする構造が採られています。現在の上り線高架ホームとして運用のエスカレータは、中途までの運転ですが高架化ホームとして全線で一番早く使用されています。
12月23日に見ると、旧上り線梅屋敷駅ホーム跡では、高架駅設備築造の準備工事が行われていました。

 旧上り線ホーム跡の高架化駅舎設備建設準備工事(写真拡大)

・梅屋敷駅周辺高架工事関連状況
12月23日に梅屋敷駅西側広場となる、商店街通りの広場外縁の道路を入り、解体ビルの先へは通行止めの表示があり、梅屋敷第1踏切道路への通利抜けが出来なくなっていました。これは、梅屋敷駅周辺高架関連工事のため通行禁止としたものと思われます。

 梅屋敷西側広場道路通行止め(:梅屋敷西側広場外周道路入り口、:梅屋敷西側広場道路通行止め、:梅屋敷第1踏切西側道路通行止め)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第11回その1)

2010年12月23日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 解体工事中の在来傾斜高架橋

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京急の下り線高架化工事は、その完成を目指してどの工区も日夜の工事が行われています。今年も残り少なくなり、年内の工事は12月28日を持って正月の休工になります。皆様にご閲覧頂いております「京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編」も、この第11回が年内最後の記事となります。ご閲覧頂いて、誠に有難うございました。
第1工区工事
・上り線大森町駅ホーム跡工事
上り線大森町駅高架橋下の旧ホーム跡では、連日にわたり高架橋脚間の地中設置梁工事が行われており、12月18日に地中堀削の後に埋戻しの作業が行われていました。

 旧ホーム跡高架橋脚間の地中梁設置工事1(1218写真拡大)

同22日に見ても、高架橋脚間の地中設置梁工事が継続して行われています。

 旧ホーム跡高架橋脚間の地中梁設置工事2(1222写真拡大)

同23日も、旧上り線ホーム跡では終日にわたり、地中堀削埋戻しの作業、コンクリート取壊し作業や鉄鋼の設断作業が行われていました。

 旧ホーム跡高架橋脚間の地中梁設置工事3(:工事跡埋戻し作業、:コンクリ取壊し作業、:鋼材切断作業1223)

・大森町駅仮駅舎設置工事
前回は、旧ナンカ堂の跡のゑびす通りに接する仮空き地に、仮駅舎設置のため箱型バラックの建屋が5棟並びました。
12月18日に見ると仮駅舎のバラック建屋には、換気装置が付けられ、多機能トイレと男女別のトイレの設備工事が進められていました。

 駅舎仮建屋の設備工事(:駅舎仮建屋に換気装置が付けられる、:駅舎仮建屋の多機能トイレ工事、:1218)

仮駅舎の設備工事は同22日には、多機能トイレと男女別のトイレに付帯設備の取付が行われていました。

 駅舎仮建屋のトイレの付帯設備工事(写真拡大)

・内川北岸周辺の仮高架橋工事
前回には、内川北方の旧上り線傾斜高架橋の撤去工事は、旧傾斜高架橋脚P-17まで解体が進んでおり、平和島第2架橋から北方の傾斜高架橋は、コンクリート道床が撤去されていました。
12月9日に見ると、旧傾斜高架橋脚P-17北の傾斜高架橋のコンクリート道床の出張り部の解体準備が進み、同11日には道床の出張り部は取り壊されていました。新高架橋の高架橋脚の新P-17基礎部は、在来高架橋脚P-17の南方部に設定されていました。

 P-17橋脚部付近の取壊し準備中傾斜高架橋(:傾斜高架橋はP-17橋脚まで撤去が終わる1209、:傾斜高架橋のコンクリート道床の突出し部の取壊し、:新橋脚P-17の基礎部1211)

同11日には、平和島第2架橋北方から仮上り線高架橋合流点の高架橋脚新P-15までの旧上り線傾斜高架橋は、ジャッキで支えられて高架橋桁の取壊し準備が整っています。

 平和島第2架橋から北方の撤去準備が進む上り線傾斜高架橋(1211写真拡大)

同16日に見ると、平和島第2架橋北方の旧上り線傾斜高架橋の解体撤去は済んでおり、解体物の除去を行っていました。なお、旧上り線の平和島第2架橋は撤去前でした。

 平和島第2架橋から北方の傾斜高架橋(:撤去された平和島第2架橋から北方の傾斜高架橋、:撤去前の旧上り線平和島第2架橋1216)

同18日には在来高架橋脚P-17上の旧上り線傾斜高架橋の解体作業を行っていました。

 解体工事中のP-17橋脚上の傾斜高架橋(1218写真拡大)

同22日に見に行くと、上り線在来傾斜高架橋と平和島第2架橋梁の解体撤去が終了し、撤去物の除去作業を行っていました。

 内川北岸の傾斜高架橋の解体撤去終了(左上:傾斜高架橋解体物撤去終了、中上:解体撤去終了後の橋脚P15、右上:平和島第2架橋撤去後の橋脚P15・P16、左下中下:解体撤去終了の橋脚P16、右下:傾斜高架橋解体撤去終了跡を内川北岸から見る)

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大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の師走のイベントと出来事(2010.12.21号)

2010年12月21日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2010 内川にカモメがやってきた  

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不況の影響は、学生が来年卒業するのに就職が決まらないという、深刻な社会問題が起きています。こうした中、恒例の大森町商店街ウィンターフェスティバル2010も行われました。暮れゆく大森町周辺のニュースを拾ってみました。

○ 今年も開桜小前の内川に帰ってきた冬の渡り鳥「かも」
12月11日に内川の畔を歩いてみると、30羽程度の鴨が遊泳しており、今年も鴨が帰ってきました。このところ、内川は大森第8中学校前の護岸工事と、京急内川鉄橋の高架化工事に挟まれて、鴨にとっては住みにくい環境ですが開桜小学校前の内川に住みつく準備をしています。近所の住民の方には、渡り鳥に癒されて餌を与える人がいるので、内川の自然の餌をついばむと共に、狭くても何とか住環境は保たれています。

 内川に帰ってきたカモ(写真拡大)

同16日に見ると、開桜小学校前の内川には、20羽程度のかもめが舞っていました。昨年には、かもめは時たま1、2羽舞う程度でしたが、今年は近隣の方の餌付けにより、かもめも訪れる様になりました。かもめは、毎年冬期には内川の河口に群遊しています。
鴨は川面を泳いで回遊していますが、かもめは色が白く、空を舞ったり川で泳いだりとはなやかで、新たな内川の風物詩となります。

 内川には鴨とともにカモメも仲間入り(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

○ 大森第8中学校前内川第2期護岸工事
昨年は、大森第8中学校前の内川北岸の東邦医大通り前の富士見橋から延長60mの区間の遊歩道護岸第1期工事が行われました。今年の第2期工事は、1期工事の続きの60mの遊歩道護岸工事が行われ、2012年3月末に完成の予定です。12月11日に見ると、護岸外部を鋼矢板を打ち込み仕切りの基礎工事を行っていました。

 大森第8中学校前内川第2期護岸工事(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

○ 大森町商店街ウィンターフェスティバル2010
例年12月師走の日曜日には大森町商店街の大森町共栄会では、ウィンターフェスティバルを開催して、今年は12日の14時から開催されました。

 大森町ウィンターフェスティバル広告

フェスティバルの縁日には、例年同様に大東京信金前とさわやか信金前などで、おでん、焼きそば、フランクフルトや磯辺焼きの屋台が出て商品は完売です。

 フェスティバルの縁日(写真拡大)

また、さわやか信金前の空き地では、輪投げ、宝つりゲームや三角くじゲームが行われ、景品が出ます。

 子供にはゲームが人気(写真拡大)

今年は、14時から初めてオープニングとして、大東京信金前でフェスティバルを盛り上げる大森学園高等学校のブラスバンド演奏が行われました。
また、14時15分からはさわやか信金先の空き地で、恒例のふれあいこどもクラブの和太鼓演奏が行われました。演奏後、秋田からやってきた秋田大森町かりんとうが販売されました。

 フェスティバルを盛り上げるブラスバンドと和太鼓演奏(:オープニングの大森学園ブラスバンド、:ふれあいこどもクラブ和太鼓演奏)

15時には、子供に人気のサンタクロースがサンタブーツのプレゼントを行いますので、引換券を貰う大東京信金前、さわやか信金などの5か所には親子連れが沢山行列します。

 サンタブーツのプレゼント引換券を貰う行列(:大森記念病院前の行列、:さわやか信用金庫前の行列、:共栄会館前の行列)

15時30分からは、近隣住民に人気の高い明治大学学生のニューウェーブ・ジャズ・オーケストラによるジャズ演奏が行われ、今年はゲスト歌手小川真智子が来て2曲披露し、沢山の聴衆を集めていました。

 明治大学ニューウェーブ・ジャズ・オーケストラのジャズ演奏(写真拡大)

明治大学ニューウェーブ・ジャズ・オーケストラ.wmv

[クリックすると、明治大学ニューウェーブ・ジャズ・オーケストラのジャズ演奏の2曲目のゲスト歌手小川真智子の歌が見られます。]

16時には、共栄会館前で、おしるこプレゼントがあり、初冬の日暮れは早くウィンターフェスティバルの終了です。

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旅ものがたり 徳島鳴門旅行 四国霊場(一・二番札所)、大塚国際美術館、鳴門のうず潮を巡る (その3)

2010年12月19日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2010

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大正時代の第一次世界大戦の板東俘虜収容所では、捕虜を人道的、友好的な扱いをしたので、彼らは生きる歓喜を知ったとよろこばれ、収容所で「第九」交響曲全曲を日本で初演したという史実を知り、大正時代の先人の行為には感激しました。
大正の浪漫から次の目的へは県道225号を戻り、県道12号を暫く西へ進むと右側に朱塗の山門が見えてきて、参道の極楽橋を渡れば第二番札所の極楽寺で15時20分頃の到着です。

第二番札所極楽寺
極楽寺(鳴門市大麻町桧字ダンノ上12番地)は、日照山無量寿院(むりょうじゅいん)と号し、高野山真言宗の寺院で、寺伝によれば、奈良時代(710~784年)、行基の開基という。弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地での三七日(21日間)の修法で阿弥陀経を読誦したところ満願日に阿弥陀如来の姿を感得したため、その姿を刻んで本尊としたと云われています。本尊の阿弥陀如来は、鎌倉時代の作で重要文化財の1.4mの坐像です。本堂は、1573年- 1592年(天正年間)に長宗我家部元親の兵火で焼失し、1659年(万治2年)に再建されました。
本堂の東に、西に面して大師堂がり、宝形造りの銅板葺きの三間四方で、頭抜きの上に台輪をのせています。柱は当初のものであるが、相当の大修理が行われているが、老朽化している。大師堂には、お大師(弘法大師空海)様が祀られています。

 本堂周辺(:本堂へ49段の石段、中:本堂、右:大師堂)

仁王門は、1973年(昭和48年)9月に鉄筋コンクリートで建替えられたもので、古い形式の建物にしてあります。仁王門の左右安置される仁王像は木彫りで像高が110.5cmあり、作者が勇渾で江戸時代の作です。寄木造で両眼に玉眼を嵌入してあり、剥落した体面は当時は朱彩されていたものと思われます。
右の仁王像の阿形像は、口を閉じ頭部を斜め右に向け、右手は五指を伸ばし垂れ下げ、左手は拳を作り屈臂し肩の位置まで上げて、右足を大きく踏み出しての立姿である。左の吽形像は、頭部を斜め左に向け、強く口を閉じ、両手はともに屈臂しており、右手は五指を伸ばし掌を表にして拳を作って、左足を大きく踏み出しています。

 仁王門(:仁王門、:阿形像、:吽形像)

山門をくぐり、広い境内を左に行くと願かけ地蔵の前を通り、その先に納経所、庫裏がありますので、ご朱印を頂きました。願かけ地蔵様の地蔵菩薩半跏像は、1758年(宝暦8年)の造像です。

 境内参道(:境内参道納経所へ、:願かけ地蔵前を左に行くと納経所、:納経所でご朱印を頂く)

納経所から戻り、境内参道を本堂に向けて進むと美しい庭園には、招福弁財天が祀られています。子授け招福大師は、子授け招福をかなえて下さる修行大師様で子供を抱いておられるのが特徴です。この他、極楽寺の境内には、安産大師、一願不動、抱き地蔵、水子地蔵などの像が鎮座しています。鐘楼堂と鐘は、極楽寺檀家・全国の信徒による寄進により1973年(昭和48年)に建立されました。

 境内には沢山の祠・仏像・鐘楼などが見られる(:招福弁財天、:子授招福大師像、:鐘楼)

参道を奥に進むと、本堂への石段の手前に仏足石があります。階段の左手の薬師堂は、本尊に薬師如来が祀られており、お堂は三間四方の宝形造りで本瓦葺き、繁垂木、柱は面取りの角柱で舟肘木で桁を受けており、建立は本堂より後で江戸時代も末期とみられています。石段の右手の観音堂は、本尊に千手観音が祀られており、お堂は宝形造、本瓦葺きの三間四方の美しいお堂であり、建立は江戸時代中期のものとみられています。

 薬師堂と観音堂(:仏足石の先は本堂・大師堂への石段、:薬師堂、:観音堂)

境内にそびえる長命杉(鳴門市天然記念物)は、伝承によると、弘法大師が当山にて二十一日間の修法を終えられたのち、この木を自ら植えられて、行く末永くこの寺を守護するように祈願をこめられたという。この木の肌に触れると、その逞しい生命力の感応によって長命を保ち、天寿を全うすることができるという信仰が永く伝えられ、長命杉の名が生まれたのである。

 長命杉(写真拡大)

ルネッサンス リゾート ナルト
第二番札所のお参りが済んだので、神戸淡路自動車道を鳴門ICから鳴門北ICを経て、今日から連泊するルネッサンス リゾート ナルトに向かい、16時にチェックインをしました。

 ルネッサンス リゾート ナルト

ルネッサンス リゾート ナルト(鳴門市鳴門町土佐泊浦字大毛16-45)は、渦潮の町鳴門、瀬戸内海国立公園内に位置する南欧風リゾートホテルで、8階建ての本館、9階建ての南館はすべてオーシャンビューの客室が208室。イタリア料理、日本料理、バー等の個性の違った7つのレストラン、ラウンジが利用できます。
まず、部屋に案内されてサウスタワーの8階の部屋に通され、天気が良いので眼下に見渡す瀬戸内海は抜群で、対岸に淡路島や淡路島大橋の風光は見事でした。

 ホテルの窓から鳴門の海の展望(写真拡大)

夕食前に孫たちは、いけすで魚釣りや卓球などを楽しみ、年長組は今日の疲れを癒すため8階の展望風呂「瑠璃」に浸かりました。第1日目の夕食は、17時40分から夕食「彩」で郷土料理バイキング「阿波三昧」と、魚釣りの収穫のアジをから揚げにして貰い、和食の夕食で舌つつみを打ちました。

 第1日目のホテルでのくつろぎ(:ホテルのいけすでの魚釣り、:8階の展望風呂「瑠璃」、:釣りの成果のから揚げのあじ)

阿波踊りは、本場徳島では、時代とともに、カタチを変えながら、400年も受け継がれてきた郷土の踊りです。七七七五調の囃子ことばをリズムにのせて歌い、踊り興じる阿波踊りです。19時20分から1階ホールで地元の連が、熱狂ぶりの踊りを披露し、最後に泊り客と一緒に阿波踊りの体験です。

 本場の阿波踊りイベント(写真拡大)

阿波踊り 鳴門市かげつ連.wmv

[クリックすると、本場の地元かげつ連の阿波踊りが見られます。]

秋の夜長はなかなか夜が更けません、弓矢、射的、スマートボール、卓球やビリヤードに熱中しています。そのうち金欠となり、第1日目の旅行は終わりました。

 阿波の国での娯楽ゲーム(写真拡大)

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旅ものがたり 徳島鳴門旅行 四国霊場(一・二番札所)、大塚国際美術館、鳴門のうず潮を巡る (その2)

2010年12月17日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2010 印刷所

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大正の板東俘虜収容所を探る
板東俘虜収容所は、1917年(大正6年)徳島県板東町(現・鳴門市のドイツ村公園)に建てられ、青島(ドイツの租借地)で、日本軍隊の捕虜となったドイツ兵のうち約1000名を1917年から1920年まで収容した俘虜収容所です。収容所長の松江豊寿は捕虜の自主活動を奨励し、捕虜に対する公正で人道的、友好的な処置を行ったことで知られています。

 板東俘虜収容所を探る

その1記載の昼食をとった「道の駅第九の里」の物産館の建物は、安藝家(徳島県鳴門市大麻町桧字椎尾谷37) バラッケ(旧板東俘虜収容所)を1968年に改築移築した、桁行15間梁間4間、木造平屋建、切妻造、桟瓦葺(建築面積199㎡)の建物です。1917年当初のバラッケは、桁行40間の規模を有し、内部は中央の土間通路を挟み、左右に低い板床を張って2間毎に間仕切られていたもので、軍関係営舎の一般的形態の簡素な建物です。

 鳴門市ドイツ館と道の駅第九の里物産館

鳴門市ドイツ館
鳴門市ドイツ館(鳴門市大麻町桧字東山田55-2)は、道の駅第九の里物産館の北方の段を上がったところにあります。

 ドイツ館(写真拡大)

俘虜収容所の俘虜たちは、俘虜製作展覧会や各地での演劇、演奏会活動など、ドイツ文化を広く板東の町やその周辺の地元の人々に紹介し、その他、 牧畜、製パン、洋菓子、西洋野菜栽培、建築、スポーツなど様々な技術指導をもたらし、日常的に交歓する風景が当たり前でした。
ドイツ館は、1972年(昭和47年)ドイツ兵俘虜と地域の人々との交流を顕彰するため、元俘虜たちから寄贈された資料を中心に建設されました。その後、1993年(平成5年)に、施設の老朽化や収集資料の増加により手狭になってきたので、鳴門市東四国国体記念に、現在地に新ドイツ館が建設され移転しました。観覧料は、大人が400円で、小・中学生が100円で。休館日は、年末と第4月曜日です。

 ドイツ館

ドイツ館には、ドイツ兵俘虜達が作成した図書や写真、日用品等を初めとした当時の貴重な資料が数多く保存されており、大正時代の俘虜収容所の概要をジオラマなどで展示してあります。収容所で俘虜が寝泊まりしていたバラッケ(兵舎)は全部で8棟であり、一棟にはおよそ130人が入っていました。

 板東俘虜収容所って?(写真拡大)

展示場には俘虜たちの活動や交流の模様を史実に忠実に、本物そっくりに模型で再現してあり、今にも動き出しそうです。

 俘虜生活再現模型(写真拡大)

俘虜収容所の模様は、写真や資料、当時の貴重な展示物が、数多く出展してあります。

 ドイツ館の展示物(写真拡大)

収容所では、1918年(大正7年)6月1日にドイツ兵捕虜によりベートーヴェンの交響曲「第九」の全曲が演奏され、これが日本での初めての「第九」の演奏です。収容所での演奏では、女性はいないので独唱と合唱は全て男声用に編曲されて、また、ファゴットとコントラファゴットが無かったので、オルガンで代用したようです。ドイツ館の第九シアターでは、当時のドイツ兵たちの音楽活動を紹介し、実物大の人形ロボットが演奏を聴かせてくれます。
この日本初演の「第九」を聞けた日本人は、収容所関係者のみでした。映画『バルトの楽園』(2006年)の物語では、近隣住民を招待してこの第九演奏会を見せたことになっています。

 等身大ロボットが模擬で演奏の日本初演の「第九」(写真拡大)

バルトの庭
ドイツ館を14時少し過ぎに出て、コース4番目のバルトの庭には県道41号を南に戻り、県道12号との交差点を渡り県道225号に入ると右手がバルトの庭です。
2006年に公開された映画「バルトの楽園」のロケで建設されたセットが、撮影終了後の2009年2月に建物の安全性の理由で閉鎖されました。鳴門市では、ロケセットをNPO法人「ドイツ村(BANDOロケ村)保存会」に移築保存を提案し、それをNPOが受けて3千平方メートルの土地を確保して、ロケセットの建物の営門・管理棟・売店(民家)・衛兵詰所・印刷所・製パン所・洗面所・酒保・兵舎(バラッケ)の8棟を移築し、さらに、保存されていた、実際の収容所で使用された兵舎(バラッケ)1棟も敷地内に移築して、2010年4月25日にオープンしたのが、バルトの庭(鳴門市大麻町桧字宇野神ノ北22-1)です。
観覧料は、大人が400円で、小・中学生が200円で、無料の案内人が付き、見学後酒舗で飲み物がサービスされます。悪天候の時は休館日となります。

 バルトの庭

バルトの庭の門前に立つと、奥から軍服姿の兵隊さんが歩調をとって進んできて、皆と並んで敬礼して歓迎してくれます。

 バルトの庭の正門(写真拡大)

バルトの庭のロケセットには案内が付き、園内を一周します。バルトの庭は、バルトの楽園の旧ロケ村の広さの約1/3の規模です。

 バルトの楽園のロケ村を比較して見る(写真拡大)

管理棟には、松平健さんが演じた松江所長室や所員の事務室があり、小道具や資料が多数陳列してあります。

 管理棟(写真拡大)

管理棟内には、ロケセットの小道具や写真などの資料が沢山展示してあり、バルトの楽園のロケ記念の際に訪れたサインボードには松平健さんもサインしてあります。

 管理棟内の展示物(:展示小道具、:資料展示品、:バルトの楽園のロケ記念に訪れたサイン)

俘虜たちのプライベート空間の兵舎(バラッケ)は、自由な開放的な生活がかいま見られます。

 兵舎第1棟(:兵舎第1棟入口、:兵舎第1棟ベット、:兵舎第1棟捕虜の娯楽施設の手造りボーリング)

将校棟は個室で、窓にはカーテンが付いており、将校には給料が支払わられていたそうです。

 将校棟(:将校棟入り口、:将校棟個室)

俘虜たちは、酒保で楽しくお酒も飲んでいました。

 酒保(・中・右写真拡大)

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旅ものがたり 徳島鳴門旅行 四国霊場(一・二番札所)、大塚国際美術館、鳴門のうず潮を巡る (その1)

2010年12月15日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2010 大師像

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四国徳島旅行
6年生となった小学校の孫とはここ数年1泊旅行を続けており、今年も学校が11月21~23日と3連休の振替休日となったので、初めての2泊旅行で徳島の鳴門旅行に行ってきました。四国には、香川県、愛媛県と高知県の3県には何回か出かけていますが、徳島県には初めてなので楽しみでした。今回もレンタカーを利用して、あまり遠出せずに鳴門市付近を中心に廻り、2泊でしたのでゆったりとコースをとりました。

 徳島鳴門旅行コース

第1日目
第1日目のコースは、羽田空港に集合して7時40分発のANA531便の高松空港行きで出発です。9時に高松空港に着き、名物の讃岐うどんの朝食済ませ、10時に高松空港からトヨタレンタカーで出発です。

 高松空港へ到着(左・・右写真拡大)

高松空港からバイパスを北に進み高松東道路に入り1時間ほど東に進み、長さが980mの津田トンネルを抜けると、高松東道路では最後の瀬戸内海が見渡せる津田の松原サービスエリアで小休止です。

 津田の松原SA(・中・右写真拡大)

サービスエリアを11時30分に出発するとすぐ津田東ICで、ここから先が高速道路の高松自動車道路(高松道)です。高松道を進むと12時前に鳴門西パーキングエリアで、ここで高速道を降りて、第1日目最初の目的場所である、四国八十八札所第一番札所の霊山寺に向かいます。

 第1日遊覧地図

第一番札所霊山寺
高松道を降りて、県道12号線を鳴門方面に走ると左手に霊山寺の山門が見えてきます。山門の先に駐車場があります。坂東、秩父と鎌倉の百寺は巡礼しましたが、四国巡礼は遠いため無理でしたが、今回の旅行では図らずも霊場の1、2番札所がお参りすることができました。

 霊山寺仁王門(:霊山寺駐車場入り口、・右:仁王門)

霊山寺(りょうぜんじ 鳴門市大麻町板東塚鼻126番地)は、「一番さん」と親しまれる四国八十八か所霊場の第1番札所です。竺和山(じくわさん)一乗院と号する、高野山真言宗の寺院で、寺伝によれば奈良時代の729年 - 749年(天平年間)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創されたと伝えられています。言い伝えでは空海(弘法大師)が815年(弘仁6年)に、空海(弘法大師)がここを訪れ21日間(三七日)留まって修行して、霊感を得て本尊の釈迦如来を刻まれたと云われています。
1573年- 1592年(天正年間)に長宗我家部元親の兵火で堂塔は全焼し、再建されるが、1891年 (明治24年)に、本堂と多宝塔以外を残し再び焼失しました。
風格ある仁王門を潜ると境内の右手に鯉が泳ぐ放生池があり、左手には縁結び観音に並んで手水場があり、その先には鐘楼と五智如来が祀られている多宝塔が建っています。

 霊山寺境内(:霊山寺境内の放生池、:お水舎と並んで建つ縁結び観音:多宝塔)

参道正面には古い構えの本堂があり、本尊の釈迦如来、脇士の不動明王と毘沙門天が安置され祀られており、広い本堂の天井に吊るされた無数の灯籠には、灯りがともっています。

 霊山寺本堂(写真拡大)

周囲に灯籠が吊るされた本堂中央の天井を見上げると、大迫力の龍の天井画が描かれており、見る角度により感じが異ります。本堂内の脇の売店では、遍路の装束をはじめ、納札や納経帳、金剛杖などの遍路用品一式が揃います。その売店で記念のお土産に、香りの良いお線香を買ってきました。

 龍の天井画が書かれた霊山寺本堂の天井(写真拡大)

四国の霊場には、本堂と大師堂があります。霊山寺の大師堂は、放生池の右側に赤い立派な橋が架かり、その先のお堂が大師堂です。
霊場巡拝の順序は、寺の山門前で合掌・一礼をして、山門をくぐったら手を洗い、口をすすぎ、身を清めます。本堂にて納め札または写経を所定の場所に納めて礼拝してから、大師堂に参拝します。参拝は、ローソク、線香3本とお賽銭をあげます。お参りが終わったら納経所にてお納経を受けて、寺を出る時は、山門にて合掌・一礼をします。

 霊山寺大師堂(写真拡大)

また、多宝塔の並びには初七日から三十三回忌までを追善供養する十三仏(不動明王、釈迦如来、文珠菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩、弥勒菩薩、薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩、阿弥陀如来、阿閃如来、大日如来、虚空蔵菩薩)が等身大で並んでいます。

 十三仏堂(写真拡大)

納経所は本堂の横と大師堂の裏手にあり、巡礼用品は全てここで揃えることが出来ます。納経所で、ご朱印を頂きました。

 納経所(写真拡大)

道の駅第九の里
次の目標の道の駅第九の里へは、県道12号を戻り、県道41号交差点で北に進み、道の駅には13時少し前に付きました。

 道の駅第九の里(左・中・右写真拡大)

道の駅第九の里(鳴門市大麻町桧字東山田53)は、2006年7月8日に鳴門市西部の四国の72番目の道の駅として誕生しました。鳴門市が整備を進めている「ドイツ村公園」の中核施設である「ドイツ館」と「賀川豊彦記念館」の敷地内に設けられるため、道路利用者だけでなく「ドイツ村公園」見学者にも利用しやすい施設です。名称の由来は、日本で初めてベートーベンの交響曲「第九」が演奏された場所と言われ、敷地内には、ベートーベンの像、鳴門市ドイツ館、鳴門市賀川豊彦記念館があります。
また、周辺には大正時代にドイツ兵俘虜と深く交流をもったことで当時の面影を数多く残し、観光スポットとなっています。(道の駅第九の里ホームページから)

 道の駅第九の里全景(道の駅第九の里ホームページから) 

物産館の建物は、国登録有形文化財の旧板東俘虜収容所を移築したものです。物産館では、地場物産の販売や、軽食コーナーではドイツにちなんだ食事が味わえます。ドイツを思いだして、ソーセージとパンで昼食をとりました。

 道の駅第九の里でドイツメニューの食事(写真拡大)

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風景・風物詩 白金台の紅葉 自然教育園と東京都庭園美術館の日本庭園で紅葉を楽しむ その2

2010年12月13日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2010 日本庭園の紅葉
 
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東京都庭園美術館
12月4日の午前には自然教育園の紅葉を楽しんだ後、昼食後に隣接してある東京都庭園美術館日本庭園の紅葉をハシゴで観賞しました。
東京都庭園美術館(白金台5-21-9)は、1981年(昭和56年)に東京都が購入し、1983年(昭和58年)に都立庭園美術館として公開されました。美術館の展示は、館蔵品による常設展示は行ってなく、特定のテーマに沿った企画展示が年数回行われており、展示の無い時には日本庭園のみ公開しています。12月の企画展示は、11日から1月16日までが朝香宮のグランドツアーで建物公開となっていました。
入園料は、展覧会によって異なりますが、庭園のみの入園料は一般が200円で、大学生が160円で、中・高校生と65歳以上が100円で、小学生以下は無料であり、休館日は年末・年始と第2・4水曜日です。

 東京都庭園美術館入場券

・庭園美術館の歴史
1947年(昭和22年)に朝香宮鳩彦王が皇籍離脱まで暮らしていた邸宅跡で、現在美術館として使用している邸宅は当時流行のアール・デコ様式を採用した1933年(昭和8年)に竣工した建物で、東京都の有形文化財に指定されています。
建物は第二次世界大戦後吉田茂によって外務大臣公邸などに使用された後、1950年(昭和50年)に西武鉄道に売却され、国賓・公賓などの迎賓館として使用されていました。

 旧朝香宮邸(:旧朝香宮邸説明板、:旧朝香宮邸正面、:旧朝香宮邸側面)

・庭園美術館日本庭園
庭園の公開は、芝生広場、日本庭園、西洋庭園のエリアに分かれており、野外設置の彫刻作品があります。

 庭園美術館庭園Map

美術館に入り弓なりに北に進むと、旧朝香宮邸(美術館)の正面に出ます。美術館の玄関口の左手に庭園の入り口があり、入り口の先は芝生広場です。その奥が日本庭園で、芝生広場から見た庭園風景は、自然教育園の自然の樹木で生い茂った景色とは異なり、対比してみると造作された庭園の紅葉はまた見事なものです。

 芝生広場から見た日本庭園内の紅葉(写真拡大)

芝生広場から日本庭園に入ってすぐの回遊式の池の畔の古木のモミジの紅葉には、多くの観賞者が見とれて盛んに写真を撮っていました。

 回遊池端の紅葉(写真拡大)

回遊池の周囲を一周して見て、庭園の美を醸し出す池の風情にマッチしたモミジの配置には感嘆しました。

 回遊池と紅葉(写真拡大)

日本庭園はこじんまりした庭園ですが、紅葉の季節には見ごたえのある造作で、真っ赤に燃えたモミジをじっくりと観賞してきました。

 紅葉に燃える日本庭園のモミジ(写真拡大)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 風景・風物詩 カテゴリー別総目次 2008~2010年版2007・2008年版2006・2007年版
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風景・風物詩 白金台の紅葉 自然教育園と東京都庭園美術館の日本庭園で紅葉を楽しむ その1

2010年12月11日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2010 モミジのビュウーポイント 

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今年の都内の紅葉狩は、港区白金台に隣り合って並んでいる自然教育園と東京都庭園美術館の紅葉を快晴で暖かい日差しに恵まれた12月4日に見てきました。
先ずは、家を11時頃出て品川より都営地下鉄浅草線で三田駅乗り換え、同三田線で白金高輪駅から地下鉄南北線に乗り付いて白金台駅で下車して、目黒通りを徒歩5分で自然教育園の入り口です。

 自然教育園・庭園美術館地図

自然教育園
自然教育園(港区白金台5-21-5)は、1949年(昭和24年)に「天然記念物及び史跡」に指定され、文部省の所管となり国立自然教育園として広く一般に公開され、1962年(昭和37年)に国立科学博物館附属自然教育園となり面積が20ha(6万坪)あります。入園料は、一般と大学生が300円(特別指定日は無料)で、65歳以上および18歳未満の方は無料であり、年末・年始と月曜日は休日ですが、紅葉時期とかには休園日でも開園をしています。自然教育園では、園内の環境を静寂に維持するため、入園に300人の定員を設けて制限をしており、入場の際は入り口で渡されたリボンを胸に付けて回ります。

 自然教育園園内マップ

自然教育園の正門を入ると右側に教育管理棟があり、教育園の資料や売店があります。以前勤めていた会社が目黒の近くにあった関係で教育園には何度か来ており、全体は既に回って歩いています。

 自然教育園(写真拡大)

・自然教育園の歴史
自然教育園のある白金台地の昔は、園内から縄文中期の土器や貝塚が発見されており、室町時代に入るとこの地方にいた豪族がこの地に館を構え、土塁は当時の遺跡の一部と云われています。
江戸時代には増上寺の管理下に入り、1664年(寛文4年)には高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内の物語の松やおろちの松などの老木は、庭園の名残と思われます。明治時代には海軍省・陸軍省の管理となり、1917年(大正6年)には宮内省帝室林野局の所管となり白金御料地と呼ばれていました。

 自然教育園風景(:シイの巨木、:路傍植物園三叉路の道案内標、:物語りの松案内板)

・紅葉観賞
今回は時間の関係もあるのと紅葉観賞の目的なので、園内のひょうたん池までの往復を紅葉散策コースと決め歩きました。園内を入り口から進むと、通路は路傍植物園で沢山の植物が見られます。最初の紅葉の見どころは路傍植物園を歩き始めて右側にシイの巨木があり、そこを過ぎると左手に紅葉が見えてきます。紅葉の状態は、12月の第1週でしたのでやや早めのようでした。

 路傍植物園三叉路手前の紅葉(写真拡大)

路傍植物園の道をさらに進むと三叉路の道案内があり、左に行くと中世の豪族の館跡を経て水鳥の沼の方へ進みます。ひょうたん池に行く右の道を進むと、すぐ右手にも紅葉が見られます。

 路傍植物園三叉路の先の紅葉(写真拡大)

紅葉観賞しながら、路傍植物園の道を行くと左側に古木の「物語の松」があり、歴史を感じながら進むとひょうたん池に到着です。ひょうたん池の周辺の紅葉を、ベンチに腰かけてたっぷりと観賞しました。

 ひょうたん池の紅葉(写真拡大)

時計を見ると、12時40分を回っていましたので昼食を採るため路傍植物園を切り上げて、今来た道を戻り出口へ向かいました。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第10回その3)

2010年12月09日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 京急蒲田第8踏切跡付近工事現場

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第2工区工事
・梅屋敷高架駅周辺
上り線梅屋敷駅ホーム跡の工事は、第8回その2記載の時点から進展はしていません。
しかし、梅屋敷駅前西側広場、関連側道計画(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その3)」参照)および第1京浜国道拡幅となる地域にある建物の取壊しが、徐々に進んできています。

 梅屋敷高架駅前西口広場および第1京浜国道拡幅関連の建屋立退き状況

梅屋敷駅前西側広場計画地予定地周辺の現状の姿を見ておきたいと思います。

 梅屋敷駅前西側広場計画地周辺
(:梅屋敷シャングリラ取壊し跡、:梅屋敷第1踏切角地取壊し跡1207)

第5工区工事
・京急蒲田第2~9踏切間下り線線路跡工事
京急蒲田第2-4踏切間の旧下り線線路を撤去した高架橋下では、前回には同第4踏切跡近くで高架橋脚間の補強工事を行っていましたが、12月6日に見ると同第2踏切近くで工事が行われていました。

 京急蒲田第2踏切付近の高架橋脚間の補強工事(1206写真拡大)

前回記述時には工事が行われていた、同第4踏切跡南北と同第6踏切跡北側では何れも工事が済み、工事車通行の鋼板が敷かれていました。

 急蒲田第4-6踏切跡の高架橋下部(:第4踏切跡北方の高架橋下部、:第4踏切跡南方の高架橋下部、:第6踏切跡北方の高架橋下部1206)

同第6踏切跡南方では、下り線高架橋築造の橋脚建立の基礎工事が行われていました。前回記述時には、蒲田ヤードには橋脚建立のライナーが沢山保管されていましたが、同6日に見ると1本も保管されていませんでした。

 第6-8踏切跡間の高架橋脚建立工事(:第6踏切跡南方では下り線高架橋脚建立基礎工事が進む、:第6踏切跡南方橋脚建立基礎工事を第8踏切跡から見る、:前回保管中の橋脚建立のライナーが見えない蒲田ヤード1206)

12月6日に見ると、京急蒲田第8-9踏切間の下り線高架橋築造現場の要所には、高架橋脚建立のライナーが配布されていました。

 第8-9踏切跡間高架橋築造現場には橋脚柱建立のライナーが配付(1206写真拡大)

同第9踏切際では、大型の圧入機とクレーンにより、高架橋築造の基礎工事を行っていました。

 第9踏切際で大型機により高架橋築造の基礎工事(1206写真拡大)

第6工区工事
・上り線雑色駅エスカレータ設置工事
雑色駅の上り線高架駅橋には、12月6日には設置されたエスカレータに壁枠梁が付けられていました。

 上り線高架駅橋エスカレータに壁枠梁が付く(1206写真拡大)

第8工区工事
・下り線高架橋築造工事
11月30日に見ると、糀谷駅構内に糀谷第1踏切北方の下り線高架橋築造用の高架橋柱建立のライナーが保管されていました。第8工区では、ライナーが届くとすぐ保管がなくなりますので、順調に橋脚柱建立の場所に埋め込み工事を行なっているようです。

 保管中の糀谷駅構内高架橋築造ライナー(1130写真拡大)

12月26日には、糀谷第1踏切南の下り線高架橋築造現場では、基礎工事が行われていました。

 基礎工事が進む糀谷第1踏切南方現場(1206写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第10回その2)

2010年12月07日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 切削分解作業中の上り線側内川橋梁

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第1工区工事(続)
・上り線大森町駅ホーム工事
12月6、7日には、連日にわたり上り線大森町駅高架橋間の補強工事の次工程作業の準備を行っていました。

 上り線大森町駅ホーム跡の基礎工事(1206・1207写真拡大)

同6日に見ると、上り線大森町駅高架橋への仮通路の脇に、仮建屋が建てられていました。この仮建屋は、大森町駅仮駅務舎と仮トイレを設けるための箱型バラックの建屋です。現在、大森町駅の駅務舎は東口に設けられていますが、下り線の大森町駅高架ホームの整備で、階段、エレベータおよびエスカレータの設置工事を行うために、駅務舎を撤去して工事作業場所を確保するためのものと思われます。

 上り線高架ホーム仮通路脇に仮建屋が建つ(左上1201・中上右上左下中下右下1207写真拡大)

・内川北岸周辺の仮高架橋工事(続)
12月1日に見ると、平和島第2架橋の北から仮上り線高架橋と在来線高架橋との合流点間までの傾斜高架橋の撤去のため、足場を組んで撤去作業の準備が進められていました。

 傾斜高架橋桁の撤去工事1(1201写真拡大)

同7日には、平和島第2架橋北側部の傾斜高架橋の撤去工事の準備が、大分進んできたようです。

 傾斜高架橋桁の撤去準備が進む(1207写真拡大)

また、同日には、平和島第2架橋の南から、仮上り線高架橋脚KP16-2までの、傾斜高架橋の切り取り解体の撤去工事もかなり進んでおります。

 傾斜高架橋桁の撤去工事2(1203・1207写真拡大)

・旧上り線内川橋梁部の切削取壊し撤去工事
12月7日に、内川南岸側の河川上に造られた作業鋼板の南端部と川端道路の境界点付近で、上り線の内川橋梁底部の切削分解の作業が、道路に通行人があると停止しながら行なわれていました。

 上り線内川橋梁の切取り解体作業1(1207写真拡大)

また同内川北岸部でも、道路北端側の橋梁橋桁底部の切削分解の作業が行なわれていました。

 上り線内川橋梁の切り取り解体作業2(写真拡大)

12月7日に、下り線走行列車の側面車窓からと、高架橋上の上り線列車の走行車窓から下部を眺めた、旧上り線傾斜高架橋跡の撤去工事の状況を動画で撮影しました。解体撤去の進行状況が見られます。

旧上り線傾斜高架橋跡撤去工事(平和島ー大森町).wmv

[クリックすると旧上り線傾斜高架橋跡の解体撤去の状況が見られます]

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第10回その1)

2010年12月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 旧上り線内川橋梁解体工事

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第1工区工事
・上り線大森町駅ホーム跡工事
上り線大森町駅高架橋の橋脚間地下部の補強工事は、11月20日に見ると工事穴の掘削が完了し、橋脚間補強梁鋼材の取付溶接のため、上部および側面に白色シートを張り工事が進められています。

 上り線大森町駅ホーム跡の基礎工事1(1120写真拡大)

同27日に見ると、工事穴に張られていた白色シートが取り除かれ、補強梁鋼材の取付溶接の工事が終了したようです。

 上り線大森町駅ホーム跡の基礎工事2(1127写真拡大)

12月3日に見ると、大勢の作業員により橋脚間補強梁鋼材の周囲をコンクリート打ちをして、地下補強梁を築造していました。

 上り線大森町駅ホーム跡の基礎工事3(1203写真拡大)

・内川北岸周辺の仮高架橋工事
内川周辺の旧上り線傾斜高架橋の解体撤去工事が進み、前回の記述時には内川橋梁北側から仮上り線高架橋脚のKP17とKP16-2の中間までの傾斜高架橋の橋桁の撤去作業を行っていました。11月20日に見ると橋桁の撤去は、仮上り線高架橋脚のKP16-2の北側の旧高架橋脚台まで進んでおります。写真を見ると、作業塀に新P-16と新築造高架橋用の基礎橋脚台の記号が示されています。内川橋梁北側から旧高架橋脚台までの、旧高架橋の橋桁の撤去された跡には、旧高架橋用の基礎橋脚台の他は何もなく綺麗に整地されています。

 傾斜高架橋桁の撤去工事1(1120写真拡大)

同30日に見ると、仮上り線高架橋脚KP16-2北側の傾斜高架橋の撤去工事のため、高架橋桁の下にジャッキを取り付けて橋桁切り取り工事の準備を行っていました。

 傾斜高架橋桁の撤去工事2(1130写真拡大)

・旧上り線内川橋梁部の取壊し撤去工事
いよいよ同27日に見ると、内川橋梁の旧上り線側の解体撤去工事のため、上り線側の橋梁の下に解体作業台用の桁の取付工事が行われていました。

 内川橋梁旧上り線の下に工事作業用桁の取付工事(1127写真拡大)

同30日に見ると、仮上り線高架橋の下から通して旧上り線内川橋梁の下部には、内川橋梁の分解取壊しのため鋼板台が敷かれました。

 旧上り線内川橋梁の下には撤去作業用の鋼板台が敷かれる(1130写真拡大)

12月1日には、内川北岸の道路北端の旧上り線内川橋梁下に橋梁解体撤去のため、多数のジャッキが付けられました。

 内川北岸道路端に内川橋梁解体のジャッキ取付(1201写真拡大)

また、内川橋梁下部の鋼板台にも解体撤去のためのジャッキを設置して、内川橋梁を支えました。

 作業鋼板台の上に多数のジャッキで解体の内川橋梁を支える(写真拡大)

同3日に見ると、旧上り線内川橋梁の解体作業が、かなり大勢の作業員を動員して始まりました。なお、内川橋梁は上下線が一体構造の橋梁であり、下り線は運行形態のままで、上下線を切り離す解体の工事となります。

 旧上り線内川橋梁解体工事が始まる(左上中上右上左下中下右下1203写真拡大)

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風景・風物詩 秋の深大寺 神代植物公園の秋のばら・菊の観賞と深大寺の歴史に浸るその2

2010年12月03日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2010 賓頭蘆尊者(びんずるそんじゃ)  

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深大寺と深大寺そば
神代植物公園の深大寺門の南側の低地は、水と緑とおそば屋さんに囲まれた名刹深大寺の境内です。

 深大寺周辺マップ

深大寺山門周辺には、20店を超す深大寺そば店があります。神代植物公園の深大寺門を出ると、深大寺に進む道の前には2店の蕎麦屋さんがあり、客の呼び込みをしていました。
昼は深大寺門前の周辺に行ってからおそばを食べようと思っていましたが、時計を見ると13時半を回っていたので、呼び込まれるままに玉之屋の屋号のある蕎麦屋さんの庭の赤い緋毛氈の椅子のテーブルに座り、二八の天ざるを頼みました。

 深大寺周辺そば処

・深大寺そばの始まり
江戸時代、深大寺周辺の土地が、米の生産に向かないため、小作人はそばをつくり、米の代わりにそば粉を寺に納め、寺ではそばを打って来客をもてなしたのが、深大寺そばの始まりと伝えられています。
深大寺そばが有名になったのは、深大寺の総本山である上野寛永寺の門主第五世公弁法親王が、深大寺そばを大変気に入り、まわりの人々をはじめ全国の諸大名にも深大寺そばのおいしさを言い広めたからのようです。そのため、深大寺そばの名が高まり、多くの家から深大寺へそばの使者が立つほどになりましたので、深大寺そばは「献上そばとも」言われています。
また、別の説では、徳川第三代将軍家光が、鷹狩りの際に深大寺に立ち寄って、そばを食べほめたからだとも言われています(調布市郷土博物館 「深大寺そば」より)。

そばに舌つつみを打ち、深大寺への坂道を下ると左に深大寺の乾門を、右側には万霊塔を見て直進すると弁財天池に突き当り、山門前のお蕎麦屋やお土産店が立ち並ぶ賑やかな通りを深大寺に向かいます。

 深大寺に向かう(:深大寺乾門、:深大寺万霊塔、:深大寺山門前通り)

通りを左に曲がると水路があり、左手の石段を登ると山門です。山門は、1965年(元禄8年)に寄進により普請された、切妻屋根を乗せた境内最古の建築物です。
山門を潜り左のお水舎ですすぎ、参道の正面を進むと常香楼があります。常香楼は1833年(天保4年)に建立されましたが、幕末の大火で焼かれた焼け跡が残っています。常香楼は、屋根上には宝珠を乗せ、四隅の降棟の先には鳳凰の頭を付けています。

 深大寺山門から境内に入る(:水路を渡り石段を登ると深大寺山門、:境内中から見た深大寺山門、:山門を潜ると本堂前には常香楼が見える)

参道の正面には1919年(大正8年)に再建され、平成15年に改修された本堂があり、本堂には鎌倉時代前期の作と云われる阿弥陀如来が本尊として祀られています。

 深大寺本堂(:阿弥陀如来が祀られた本堂、:五大尊池越しに見た本堂)

本堂の左側には元三大師堂があり幕末大火で類焼し、1867年(慶應3年)に再建され鎌倉末期の作と云われる慈恵大師像が安置され、この慈恵大師(元三慈恵大師良源)が深大寺の信仰の中心となっています。

 元三慈恵大師良源が祀られた元三大師堂(・右写真拡大)

元三大師堂の左手前には、1976年(昭和51年)に新築された釈迦堂があり、金銅釈迦如来倚像といわれる国重要文化財に指定された白鳳仏が安置されています。この仏像の伝来や何故深大寺にあるのかは不明です。
鐘楼は1870年(明治3年)に再建されたもので、現在の梵鐘は平成13年に鋳造したものと架け替えてあります。旧の梵鐘は国重要文化財に指定されており、1376年鋳造で山城守宗光の銘があり鎌倉末期の特長を示しており、都内では三番目に古くそのため戦時中にも徴発を免れたといわれています。

 釈迦堂と鐘楼・梵鐘(:白鳳仏が安置されている釈迦堂、:旧梵鐘は対戦の徴発を免れ国重要文化財指定)

山門前の参道の土産店・そば店
深大寺の参詣が済み、前回来た時に入った深大寺蕎麦店を探しながら、山門前周辺の土産店・そば店を探索しました。

 深大寺山門周辺の蕎麦・土産物店(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

今年は、NHKの連続テレビ小説の朝ドラで人気の出た『ゲゲゲの女房』により、水木しげる夫妻が生活している東京都調布市であることより、参道の中間付近にある鬼太郎茶屋が人気で人が集まっていました。参道から鬼太郎茶屋を覗いてみました。鬼太郎茶屋は2階建てで、1階の物販コーナーには鬼太郎グッズや水木しげる著作本と関連書籍などに、お菓子類の食品を販売し、同飲食コーナーではぜんざいやみそおでんに飲料を出しています。2階には。混んで上がりませんでしたが、妖怪ギャラリーがあり、•水木氏の紹介や著作等の展示や水木しげるロードの観光案内が出ています。

 鬼太郎茶屋(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

帰路は参道の観光案内所を右に曲がり、200m程進むと吉祥寺行きのバス停がありますので、そこから込み合ったバスで吉祥寺駅に行き、京王井の頭線で渋谷、品川経由で帰りました。

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