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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第28回その1)

2012年04月29日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 大森町下り高架ホーム工事 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14  

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大森町駅高架下り線ホーム工事
大森町駅高架下り線ホーム工事は、前回記述時点でエレベータの工事据え付け工事のスタートが整いました。4月13日に見ると、エレベータ工事用資材を積んだ複数台の大型トラックが、第1京浜国道から大森町商店街通りをバックで入り、駅東のヤード内に搬入していました。

 エレベータ工事資材の搬入(0413写真拡大)

大森町駅高架下り線ホーム下では、エレベータ用の工事資材が搬入され、エレベータ据え付けの準備が始まりました。

 エレベータ据え付け準備工事1(0413写真拡大)

エレベータ用工事資材が搬入されて、同23、26日に見ると、高架下り線ホーム下で連日エレベータ据え付け準備工事が行われています。

 エレベータ据え付け準備工事2(:0423、:0426) 

下り線仮高架橋築造(内川)工事
・内川北岸の高架橋築造工事
内川北岸の高架橋築造工事は前回記述時点では、橋脚柱新P17からP16間の築造高架橋には底板が付いており工事が行われていました。

 内川北岸仮下り線高架橋工事構造説明図(再掲)

内川北岸の高架橋築造状況を、4月28日に平和島第2架道橋北側の仮上り線高架橋柱のKP13・P13から内川新橋梁間にわたり見てきました。仮上り線高架橋(上り線列車運行)は手前の区道側にあり、中側に並んで本高架橋(下り線列車移行運転用)が築造中であり、その奥に在来下り線の傾斜高架橋が架設されています。橋脚柱の記号は、説明図を参照してください。
なお、仮下り線高架橋に列車の移行運用後に、在来下り線線路跡に平行した高架橋を築造して完成すると、複線高架橋には上下線の列車が移行運行され、仮上り線高架橋は空いて撤去されます。工事予定は、工事説明板では平成26年12月31日と記載されています。

 平和島第2架道橋北側の仮上り・下り線高架橋(:仮上り(前)と仮下り(中)高架橋脚柱KP13・P13、:仮上り(前)と仮下り(中)高架橋脚柱KP14・P14、:仮上り橋脚柱KP14(手前)とKP15(南先)0428)

仮上り線高架橋は橋脚柱KP15から、仮下り線高架橋は橋脚柱新P15から、それぞれ平和島第2架道を跨ぎます。

 仮上り・下り高架橋は平和島第2架道を跨ぐ(:仮上り(前)と仮下り(中)高架橋脚柱KP15・新P15、:仮下り高架橋は新P15から平和島第2架道を跨ぐ、:平和島第2架道0428)

平和島第2架道橋南方の仮上り線高架橋は橋脚柱KP16-1、KP16-2、KP17を経て、また仮下り線高架橋は橋脚柱新P16と新P17上に架設されて、内川橋梁へと延びています。

 平和島第2架道南方の高架橋築造(:仮上りと下り線高架橋は橋脚柱KP16-1と新P16に架設、:新上り線高架橋は橋脚柱KP16-2を経て架設、:仮上りと下り線高架橋は橋脚柱KP17と新P17に架設0428)

内川北岸の内川高架橋梁架設の橋脚柱は、仮上り線高架橋がKP18で、仮下り線高架橋が新P18です。

 仮上りと下り線高架橋は橋脚柱KP18と新P18から内川を渡る(0428写真拡大)

・内川橋梁
内川橋梁は、仮上り線高架橋が橋脚柱KP18とKP19間に、仮下り線高架橋が橋脚柱新P18と新P19間に、在来線傾斜高架橋が橋脚柱P18とP19間に架設されています。

 高架橋と在来線内川橋梁(:北岸下部から見た在来下り・仮下り・仮上り内川橋梁、:南岸下部から見た仮上り・仮下り・在来下り内川橋梁、:在来下り線(手前)と仮下り線(左奥)内川橋梁0428)

・内川南岸の高架橋築造工事
4月28日に内川南岸の高架橋築造状況を見ると、工事の覆いが外されており仮下り線高架橋の築造は完了している様です。

 内川南岸の高架橋(:平和島第5踏切から見た内川南岸高架橋、:マルエツ北側からみた仮下り線高架橋0428)

内川周辺仮下り線高架橋築造の状況を、仮上り線高架橋および在来下り線の走行車両先頭と座席車窓から、4月25日に撮影しました。仮下り線築造高架橋には、線路床に敷石が敷かれ、プレストレストコンクリートの枕木が置かれてあり、線路敷設の進行状況が見られます。

平和島から平和島第5踏切間.wmv

[クリックすると、仮下り線高架橋築造現場を、仮上り線および下り線の先頭と座席の各車窓から撮影した、仮下り線の線路敷設の準備工事の模様が見られます]

動画をご覧頂けない方は、「平和島から平和島第5踏切間.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.14

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(4月分掲Indexへ)
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平和島から平和島第5踏切間.wmv

2012年04月29日 | ようこそ kan-haru日記へ

平和島から平和島第5踏切間.wmv

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イベント 油彩・水彩・版画展 国立新美術館示現会展で入選の異業種交流会員の出展油彩画を観賞

2012年04月26日 | イベント
kan-haru blog 2012 出展入賞作品「秋娘の風」 

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示現会
示現会(東京都北区中里1-17-4)とは、1948年(昭和22年)に洋画団体示現会として会員31名で設立の美術家団体です。示現会は、日本を代表する著名画家の先生方を幹部に戴き、会員、準会員、会友あわせて800人に及ぶ大所帯の会で、毎年全国公募展を開催します。設立後の1948年(昭和23年)に第1回示現会展を東京都美術館にて開催し、2007年(平成19年)より、示現会展の会場が国立新美術館に移されました。今年は、65周年示現会展が4月4~16日まで開催され、4月15日に見てきました。

 示現会展冊子

国立新美術館
国立新美術館(東京都港区六本木七丁目22番2号)は、日本で5館目の国立美術館として、東京大学生産技術研究所跡地に建設され、2007年(平成19年)1月に日本で5番目の美術館として開館しました。美術館の施設は、国内最大級展示スペースを誇り、規模は14,000平方メートルの展示スペースで、1,000平方メートルの展示室10室と、2,000平方メートルの企画展示室2室で多彩な展覧会を開催しています。

 国立新美術館地図

美術館の建物は、地上4階地下1階で構成され、大波のようにうねる美しい曲線を描く『ガラスカーテンウォール』が前面を覆った特徴的な建物デザインで、エントランスロビーのアトリウムは天井高21.6mの開放感のある建築で、設計が建築家の巨匠 黒川紀章氏によるものです。
館内の施設には、3階にある『ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ』は、フランスの三ツ星シェフ『ポール・ボキューズ』氏が、フランス以外で初めて出店した注目レストランと、3つのカフェ、ミュージアムショップなどがあり、アートライブラリー、講堂・研修室等を有しています。

 国立新美術館(:国立新美術館入口、:展示会開催案内板、:示現会展案内)

65周年記念示現会展
65周年示現会展会場は、2階の2A~Dで行われているので、エントランスからエスカレータで上りロビー付近に出展者の渡辺氏の姿が見当たらないので、そのまま展示会場へと入り受付で会場内写真撮影可の確認をとり、展示室に進みました。

 65周年記念示現会展(:示現会展会場入り口、:示現会展受付、:出展者名簿)

2階の示現会展示会場は広く、2A~D展示室に1,068点の作品が展示されており、出展者の出展画面がどこに展示してあるのか名簿案内板を見ると、入り口近くの2A2展示場であることが分かり、2A1の展示作品を観賞しながら、次の出展作品展示室に進みました。

 示現会展示会場(左:示現会展示会場案内図、右上右下:2A1展示室)

2A2展示場に入り展示作品を観賞しながら進むと、渡辺氏の出展作品は左側壁面の奥から4つめの上段に展示(右写真参照)されていました。

 会場2A2展示室(写真拡大)

・出展作品 秋娘の風
2A2展示室で渡辺氏の出展作品を見ると、作品名は「秋娘の風」という油彩画で、見事に佳作賞の銀彩賞の受賞に輝いていました。
65周年記念示現会展示会の受賞者は、文部科学大臣賞受賞1名、示現会賞受賞1名、示現会奨励賞受賞2名、佳作賞受賞24名の方々です。

 入賞展示作品「秋娘の風」(写真拡大)

渡辺氏は、示現会非会員の一般の部290名の中での入選で栄冠を得ました。60歳を過ぎてからの本格的に絵に取り組みという、短い期間での入賞は見事なものです。

 渡邊正博氏出展銀彩賞入選作品「秋娘の風」

・他の展示作品鑑賞
入賞作品を観ましたので、各展示室の作品を一通り観賞しながら出口に辿り着きましたが、千点を超す作品はかなりの量なので、かなりの疲れを憶えました。
まだ、受賞作品の作者とはお会いしていないので、出口から入口ロビーの前に行くと、運よくお見かけできましたので、入賞作品の前で記念写真を撮ってお別れしました。

 示現会展示作品(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

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次回 イベント たからばこ展2 2年ぶりのメルヘンチックな作品展鑑賞の後日に出展者と共に川崎大師の参詣
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神輿 旧東海道仲睦・南睦・北睦.wmv

2012年04月24日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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神輿 旧東海道仲睦・南睦・北睦.wmv
 

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大森町界隈あれこれ 大森汐風まつり 旧東海道ミハラ通り・旧羽田街道するがや通り景観事業完成記念その2

2012年04月24日 | 大森町界隈あれこれ イベント

kan-haru blog 2012 獅子頭神輿 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14      
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大森汐風まつり(続)
・大森甚句保存会
東京消防庁音楽隊に続くパレードは、大森甚句研究保存会の大森甚句を唄と踊りのパレードです。大森甚句とは地元大田区に伝わる民謡ですが、大森海岸一帯の漁師の間で海苔取りの唄として唄われてきたものを大森東の茨田芳三氏が七・七・五調の小気味良い調律でまとめ上げたもので、徐々に有名となり広がりつつあります。

 大森甚句保存会パレード(写真拡大)

大森甚句研究保存会.wmv

[クリックすると大森甚句研究保存会パレードが見られます]

動画をご覧頂けない方は、「大森甚句研究保存会.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.714

・交通安全音頭
続く大森交通安全音頭は、大森警察署と大森交通安全協会女性部による交通安全のPRのパレードです。

 交通安全音頭パレード(写真拡大)

交通安全音頭大森警察署.wmv

[クリックすると大森警察署と大森交通安全協会女性部の交通安全音頭パレードが見られます]

動画をご覧頂けない方は、「交通安全音頭大森警察署.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.714

・竜踊り
竜踊りは、ミハラ通りの南の内川橋を渡り南東に入ると、昔歌舞伎「浮世塚比翼稲妻」(鶴屋南北作)で有名な旅籠『駿河屋』のあったと云われるするがや通り(旧羽田道)で、その商店会のパレードです。龍踊りの起源は、中国で五穀豊穣を祈る雨乞いの神事に始まったと言われており、龍囃子のラッパは龍の鳴き声、銅鑼(どら)は波濤の音、太鼓、パラパラ、キャンキャン、大鉦・中鉦・小鉦はそれぞれ雨や雷等の音を表現しています。

 竜踊りするがや通り商店会パレード(写真拡大)

竜おどり するがや通り商店会.wmv

[クリックすると竜おどり するがや通り商店会のパレードが見られます]

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・阿波踊り

くすのき連は、大田区役所の職員有志でつくる連で、年間50回近くの出演を行っおり、大田区のイベントには殆ど登場しており、本ブログにも多数のイベント記事に掲載している阿波踊り連のパレードです。

 阿波踊り くすのき連パレード(写真拡大)

阿波踊り くすのき連.wmv

[クリックすると阿波踊り くすのき連のパレードが見られます]

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・神輿
汐風まつりパレードのフィナレーは、仲睦会・南睦会・北睦会神輿の揃い踏みで、祭りを盛大にしめました。

 フィナレー仲睦会・南睦会・北睦会神輿パレード(:神輿仲睦会、:神輿南睦会、:神輿北睦会)

神輿 旧東海道仲睦・南睦・北睦.wmv

[クリックすると神輿 旧東海道仲睦・南睦・北睦のパレードが見られます]

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次回 大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその1

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阿波踊り くすのき連.wmv

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交通安全音頭大森警察署.wmv

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交通安全音頭大森警察署.wmv

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大森甚句研究保存会.wmv

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竜おどり するがや通り商店会.wmv

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大森町界隈あれこれ 大森汐風まつり 旧東海道ミハラ通り・旧羽田街道するがや通り景観事業完成記念その1

2012年04月22日 | 大森町界隈あれこれ イベント

kan-haru blog 2012 江戸時代旧東海道和中散売店の説明板  更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14   

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旧東海道ミハラ通り・旧羽田街道するがや通り景観整備事業完成記念の第1回大森汐風まつりが、旧東海道大森まちづくり協議会の主催で4月15日に、式典とミハラ通り(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)からするがや通りにかけてのパレードが行われましたので見てきました。

 大森汐風まつりパンフレット1

旧東海道大森まちづくり協議会は、ミハラ通りにある大森本町ミハラ通り北商店会、大森ミハラ通り仲町商店会、ミハラ南商店街振興組合とするがや通り商店会の、約1.5キロメートルに及ぶ4商店街が、大手スーパーの進出で商店街を訪れる人は少なくなり、かっては旧東海道の品川宿と川崎宿の間に位置し、旅人の休み場として賑わいをみせていた景観を呼び戻したいと、4商店街が2年前に協議会を立ち上げました。
そして、4商店街が連携して旧東海道をテーマとした景観づくりに乗り出し、江戸情緒あふれる商店街の再現のため、約50店舗がひさしや格子、のれんなどを設置、江戸をイメージした字体で店名が書かれた木製の看板を置くなどの、店舗改装の景観整備事業を、本年3月までに完成させ、その記念の旗揚げが第1回大森汐風まつりです。
景観整備事業1億5000万円の投資額は、東京都と大田区が約9割を助成し、残りを4商店街が負担して店舗を改装しました。この景観事業の完成で、大森本町ミハラ通り北商店会の北山輝夫会長は「旧東海道の街並みの再現を起爆剤に地元客だけでなく、外国人観光客も訪れてくれる商店街にしたい」と話しています。

 大森汐風まつりパンフレット2 

大森汐風まつり
大森汐風まつりの行事は、大森スポーツセンターで午後1時から旧東海道ミハラ通り景観事業完成記念式典が行われ、続いて警視庁騎馬隊を先頭としたパレードが、ミハラ通り北端から出発し、内川南岸のするがや通りを大森東2丁目の三叉路まで行進して祭りを盛り上げました。
当日は出先から平和島で下車し、ミハラ通り中間の仲町連絡所の前に午後1時過ぎに着いて、パレードを見物しました。

 汐風まつりパレードを待つミハラ通り仲町商店会(:汐風まつり仲町連絡所、:汐風まつりで大賑わいのミハラ通り、:仲町商店会景気付けの祭囃子)

・警視庁騎馬隊
パレード先頭は警視庁騎馬隊で、やっと2時を過ぎてから仲町商店会に姿を現し、2頭の白馬に跨る赤と青の交通信号の色を象徴した制服の姿は、観衆の注目をあびて人気を博していました。なお、騎馬隊の歴史は古く、1874年(明治7年)2月に当時警視庁と内務省との間の文書往復や伝令勤務を行っていたのが始まりで、その後、1903年(明治36年)9月に欧州の警察騎馬隊を参考として、警察官15名・馬15頭で正式に騎馬隊が発足しました。1976年(昭和51年)7月には我が国初の女性による騎馬警察官が誕生しました。

 パレード先頭を進む警視庁騎馬隊(:女性騎手の警視庁騎馬隊、:男性騎手の警視庁騎馬隊、:白馬に跨る警視庁騎馬隊)

・大森交通少年団
続くパレードは、交通安全プラカードを掲げた、大森警察署の大森交通少年団の行進です。交通少年団は、東京交通安全協会が中心となって、子どもたち自身が主体となって交通ルールや交通マナーを学び、交通事故防止活動を行う交通少年団が結成されました。

 大森警察署大森交通少年団のパレード(写真拡大)

・大森鳶組合の木遣り
続いての大森鳶組合の木遣りパレードは、毎年成人の日にはしご乗り(「大森町界隈あれこれ 初春の伝統行事 大森土木鳶建設組合恒例のはしご乗り」参照)を池上本門寺などで奉納しており、区民にはお馴染みの建設組合のメンバーによる、木遣を唄いながらの行進です。「木遣り唄」と言えば、消防の出初式などで火消し鳶職達が梯子乗りで合唱することで有名ですが、大森鳶組合と大森消防署は、「震災等大規模災害発生時における消防活動業務の協力に関する協定」を今年1月22日に締結しました。

 大森鳶組合の木遣りパレード(写真拡大)

汐風まつり大森鳶組合木遣り.wmv

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・東京消防庁音楽隊

続いての東京消防庁音楽隊パレードは、隊の先頭に防火・防災に関する科学的知識・技術を身につけ、団体生活や奉仕活動などを通して心身をきたえることを目的に大森消防署が組織した大森消防少年団を先頭に、「東京都民と消防のかけ橋」として日本初の消防音楽隊として1949年7月16日に発足した、63年の歴史ある音楽隊34名の演奏行進パレードです。


汐風まつり東京消防庁音楽隊.wmv

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汐風まつり大森鳶組合木遣り.wmv

2012年04月22日 | ようこそ kan-haru日記へ

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汐風まつり東京消防庁音楽隊.wmv

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風景・風物詩 さくらとツリーの新名所 満開の桜の間隙から隅田川対岸のツリーを展望する花見

2012年04月19日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2012 桜もスカイツリーも楽しめる台東区墨田公園        

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今年の春は低温が続きましたが、都心の桜も3月31日に開花し、4月6日に満開となりましたので、混雑する休日は避けて9日月曜日のウイークディに、東京スカイツリーと桜が一緒に観賞できる台東区墨田公園に行ってみました。

墨田公園
墨田公園は日本さくら名所100選に選定されており、約1キロに渡る隅田川両岸の桜並木は、八代将軍徳川吉宗のはからいにより植えられました。公園内には約700本の桜があり、毎年さくらまつりが開催されています。墨田公園は隅田川の両岸にあり、台東区側の墨田公園は、浅草吾妻橋から桜橋まで続き、区では花の名所づくり事業をすすめており、春の桜、初夏のアジサイ、秋のヒガンバナ、冬の梅など…、四季折々の花が楽しめる公園造りをしており、園内にはスポーツ施設がありスポーツも楽しめます。
墨田区側の墨田公園は、1931年に開園した隅田川東岸に沿った旧水戸藩邸の庭園を生かした公園です。公園から北に墨堤が続き、江戸時代から「墨堤の桜」として親しまれてきた歴史のある桜の名所です。公園北方の桜橋付近の墨堤には初めて桜を植えた来歴などを刻んだ墨堤植桜之碑、川舟のための灯台とともに墨堤の燈明も兼ねた牛嶋神社氏子奉納の墨堤常夜燈や、都鳥の詩が刻まれた野口雨情の文学碑などの歴史的遺産が見られる他、三代将軍徳川家光が薬を服用したと云われる井戸のある長命寺の名物の、1717年(享保2年)初代山本新六が隅田川土手の桜の葉を集め、塩漬けにして桜餅を考案して売り始めてから二百八十年余も続いて、桜の葉を3枚使用している長命寺の桜餅の店があります(「小さな旅 勝海舟 牛島で修行し赤坂・洗足池と移り、西郷と会見で江戸無血開城戦禍から救う その1」参照)。
また、2008年7月に着工し、今年2012年2月29日に竣工して、5月22日に開業する東京スカイツリーは、墨田公園東方の東武鉄道とうきょうスカイツリー駅(元業平橋駅)際にあり、対岸の台東区墨田公園から桜と共に望むツリーは、新たな東京の新名所です。

 台東区・墨田区墨田公園とスカイツリー地図

台東区墨田公園からツリーと桜の観賞
台東区墨田公園には都営浅草線を乗りついで浅草駅を出て、江戸通りの交差点を渡り、吾妻橋際から公園に入ります。丁度、花祭りも終わったウイークディですが、かなりの人出で、花見遊覧船に乗る人の切符売り場は長だの列で、1時間待ちの行列です。

 台東区立墨田公園の入り口(写真拡大)

墨田公園を進むと隅田川の対岸には、アサヒビールのきんとん雲が見え、その先には墨田区役所と東京スカイツリーが並んで見えるスポットです。花見客は、先ずは桜には背を向けて桜観賞よりも、隅田川の対岸を見てスカイツリーの撮影に熱中です。

 対岸のアサヒビールきんとん雲と区役所、スカイツリーに桜(:アサヒビールのきんとん雲、:墨田区役所とスカイツリーが並ぶ、:満開の桜とスカイツリー)

今年は平均気温に達しない日が多く雨も多い中、当日は暖かく快晴で公園の桜は満開に開き、花びらも散ることなく、日本の春の良い季節が訪れました。

 桜満開の墨田公園(写真拡大)

花見は、桜の下に敷物を敷いて座り込み、花を見上げてゆったりと鑑賞するのが一般的な風景です。当日は、公園の花見祭りも前日に終了でしたが、満開の桜にはウイークディにもかかわらずに、沢山の人が集まり敷物に座り花見を楽しんでいました。なお、この公園での花見は、木々や枝の隙間からスカイツリーが眺められるという楽しみが加わりました。

 日本の花見風景(写真拡大)

浅草には水上バスの乗場がありますが、隅田川近辺には多くの遊覧船や屋形船の乗場があります。隅田川での船に乗る見物は花火見物が有名ですが、花見の遊覧も歴史があり大名や豪商などが舟遊びをしたのは江戸時代です。明治維新の後も風流な遊びとして親しまれました。最近も、桜の花見遊覧船も人気があり、特に隅田川ではスカイツリー見物も加わりました。墨田公園から花見遊覧船を眺めると、上り・下りの船が引きも切らずに続いています。

 遊覧船からの花見(写真拡大) 

満開の桜もゆったりと花見を堪能しましたので、帰りは雷門傍の老舗のお店でお土産を買って帰りました。

 浅草雷門の老舗の店(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 大森町大空襲から67年 ガス会社、特殊鋼、森ヶ崎一帯を除いて一面の焼け野原その1

2012年04月16日 | 大森町界隈あれこれ 65年
kan-haru blog 2012 戦時中の大森6丁目隣組の防火訓練      

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67年前の1945年(昭和20年)4月15日は、世界大戦終戦の同年8月15日の僅か4ヶ月前で、城南地帯が大空襲の洗礼を受けて、焼夷弾・爆弾の波状爆撃により、大森町はガス会社、特殊鋼、森ヶ崎以東と、入新井の一部を除いて壊滅的な被害を蒙り、何も残さずの焼野原となり、それは蒲田地区の六郷川まで及びました。
私は、丁度国民学校(現小学校)の6年生の時であり、終戦後の秋に学童疎開先の栃木から東京に引き揚げて、学校裏(現平和島)駅に降りて見た光景は、津波災害との違いがありますが、1年前の東日本大震災で建物が何も無くなった被災地と全く同じで、暫くは茫然としていました。何も無い焼野原は瞼に焼き付き、一生忘れることが出来ないものです。NHK朝ドラの「梅ちゃん先生」の蒲田の焼け跡画面を見て、再び思い起させられました。
67年を経た4月15日を迎えて、この時期に重要な戦災記録は後々まで多くの人に伝えて置かなければとの思いで、以前に寄せて頂いた父の職場の同僚であった若山武義氏の、大森町大空襲の実体験被爆の手記(「大森町界隈あれこれ 鎮魂!大森町大空襲(第6~9回)」参照)に新たな資料を加え再録して、想い起し広く伝えるために再録編集しました。

 若山武義氏の大森大空襲被爆体験手記現本

東京大空襲
1941年(昭和16年)12月8日に開戦し、東京大空襲は、1942年(昭和17年)4月18日のB25爆撃機による奇襲攻撃の初空襲により、39名の犠牲者がでました。
本格的な空襲は、1944年(昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日(終戦日)に至るまでの、延べ106回に及ぶ焼夷弾を中心とした市街地爆撃により、同年3月10日未明のB29爆撃機約300機による低空絨緞爆撃による焼夷弾1,700トン、爆弾6個による2時間半にわたる爆撃で、本所、深川、浅草を中心とした住宅蜜集地の27万個の家屋が焼失し、亡くなった人は10万人を超えた世界史に残る大空襲と記録されております。
それに続き、同年4月の城南、城北爆撃、同5月の山の手爆撃と、同8月の八王子と大規模爆撃が進められ市街地は焼け野原となりました。

 東京大空襲で焼け野原となった亀戸天神付近(東京大空襲・戦災資料センター出展2006.4.22承認)

・大森町大空襲
同年4月15日の城南地帯の大空襲は、B29編隊202機が房総半島から東京湾を西北に進み、川崎、大森・蒲田方面の爆撃で、焼失6万8400戸の被害を受けました。同5月29日には大森駅付近が多量の爆弾と焼夷弾爆撃により殆どが焼き尽くされ、大森町の北は磐井神社の南方から、南は六郷土手まで見通せるといった荒涼とした焼け野原となりました。
大森町の空襲では、父と一緒の同僚の若山武義氏が産業通り際の勤務地を守り、爆撃に遭遇して被災に会い命からがら逃げた生々しい手記を再録します。

 大森町上空の戦災後の航空写真(昭和22年)

[大森町大空襲の手記]
4月13日夜、池袋、大塚、巣鴨、滝野川、田端に亘って相当広範囲に爆撃され、終夜猛炎天を焦がすばかりである。京浜地帯では、今日まで大森、蒲田は被害らしき被害はないから、今度こそこっちの番だぞと不安になって来た。
敵の爆撃は今日迄の経過を見ると、丁度一週間目毎に帝都にやって来る。其の翌日から毎日毎夜、一機、二機、三機戦果偵察に来る。我が頭上四週を偵察し始めたから、こんどは大森はあぶないぞと予感もした。然し13日に大挙来たのだから、今度は20日前後だなと想定をして居った。
4月15日晩、関井さん来訪、疎開後の始末やら爆撃被害の情報を語り合って、9時の時計の音で、それではお明日と辞去された。さて寝ようかなと床をのべると、それ迄我が膝の上に、何時ものように安眠して居た「たま」は手足をのばし、大きなあくびをして、待ってましたとばかり床の中にもぐりこんでしまった。私も帯びをときかけるととたんにブザーが鳴り出した。
おやっと思ふと警報発令だ。軍情報は「敵機は八丈島東南方を西北進しつつあり、本土到達迄約30分の距離なり」と。さては来たなと、例の通り仕度を仕直して次の情報を待った。
「敵機は房総半島南端に集結しつつあり」と。ははあ、それではいつものコースの通り土浦か太田かと判断した。とたんに空襲警報となった。「各家庭の防火群の皆様、切に激闘を望む」 毎度の事、すっかり準備はよいかと組内を一巡してロータリーの前に立つ。

 大森町戦災地図1

「敵機は東京湾を西北進しつつあり」。「東京湾を西北進」、さては横浜か川崎が目標だなと判断した。とたんに森ヶ崎から多摩川沿岸の探勝照灯が一勢に閃き出すと共に森ヶ崎の高射砲が轟然とうなり出した。あっと思う間もなく、京浜国道夫婦橋先に猛烈なる大炸裂音と共に一面火の海の火柱がたった。
「アッ、しまった」と思う間に背後に百雷一時に落下する凄猛なる轟音!。アッ、爆弾と直覚して地面にツッ伏した。形容の出来ぬおそろしき轟然炸裂とともに一面火の海。立ち上がって見ると、京浜国道帝銀の前、田川食堂、赤羽根町会長宅、警備隊と一連に猛炎を吹き上げて来たと同時に、瓦斯会社方面、南は第一国民学校から十全病院に亘り次ぎ次ぎに爆撃され、三方火の海となって迫り来る。
予想に反し、あまりにも予期せぬ恐ろしさにただ動転、我が周囲は一瞬に阿鼻叫喚の巷と化し、恐怖に呆然と立ち竦み、名状し難い混乱となった。
「逃げろ」と云うた、「逃げてくれ」と云うたか、消す処の沙汰ではない。全く四方猛炎に包まれて、平素の覚悟や訓練なんかすっとんでしまって全く周章狼狽、混乱のまま我れ勝ちに安全の処、安全の処と非難するより外なかったのである。
私も一たん我が家に飛び込んで、非常袋に重要書類のみ詰め込んで飛び出した。落ち付こうと思うても落ち付けない。とにかく風の流れはと見ると、東の方からの烈風が吹きつけて、火の粉と煙が身近かに迫り、刻々猛火をあをっている。北、東、南と三方の火の海、僅に西には火がないが、第二、第三次ぎ次ぎの爆撃必至だ。とにかく森ヶ崎から東海岸に出ようとして、羽田街道を国民学校の猛火の下をくぐって一散に、一団の人々とかだまりあって駆け出した。

 大森町戦災地図2

呑川の川端迄辿り付き、一息ついて蒲田方面を見ると、之れ亦一面火の海、大森をふりかえって見ると、火の手は五ヶ処も六ヶ処も燃え盛る。敵機は波状爆撃に次ぎ次ぎ繰り返し繰り返し爆弾、焼夷弾を投下しているのが明瞭に見られる。とにかく森ヶ崎から中の島の方へ行こうと避難の人混みに押しつ押されつ行くと、背後から突然カン高い女の声で呼ぶ声がする。ふりかえって見ると佐久間君夫妻だ。赤ちゃん背に、着のみ着のまま。疎開でやっと梅屋敷のアパートに落ち着くまもなく今夜の直撃で命からがら逃げて来たとの事。先ずお互いに無事で何よりだと喜んで、励まし励まされつつ森ヶ崎の入り口の処まで来て立ち竦んだ。
殆ど何万とゆう人と荷物の波だ。この森ヶ崎には高射砲陣地がある筈、若しもここが爆撃されたら、それこそ被服廠の二の舞となる虞れがある。これならうっかり森ヶ崎には行かれないぞ、ここで暫く形勢を見ようと、河の土手に陣どって観望して居た。
此の間、敵機の爆撃は益々熾烈を極め、烈風にあおられる猛炎の火の海。大型焼夷弾は炸裂と共に花火の如き熱焔を吹き上げる。爆弾は轟然炸裂と共に黒煙を天に沖し凄惨とも悲惨とも書くすべを知らぬ。ただ「やりやがったな」と切歯するのみである。午前四時頃、やっと警報解除のサイレンで、やれやれ助かったと安心した。前後約六時間、何ものも残さず燃え盛る。火の手は中々おさまりそうもない。東の空はほのぼのとあけて昇る太陽は真紅であった。

 六郷橋から川崎方第一京浜国道を見る 

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