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kan-haruの日記

イベント 鴻巣びっくりひな祭り 31段7メートルの日本一高いピラミッドひな壇

2016年03月31日 | イベント

kan-haru blog 2016  鴻巣びっくりひなまつりのパンフレット 誤記訂正160612

鴻巣ひな人形
鴻巣ひな人形協会パンフレットによると、鴻巣では江戸の中頃に「鴻巣びな」は、「関東三大雛市」のひとつとして、特にきものの着付けでは関東一という評判で、江戸の職人たちは競って鴻巣に修行にやってきました。
明治になっても「鴻巣びな」の製作は盛んで、「県内の、越谷6軒、大沢3軒、岩槻3軒に対して、鴻巣の人形業者は30軒で、職人が300人」という記録が活況ぶりを伝えています 。
現在の人形の町鴻巣には、江戸時代から続く老舗の雛屋から、頭、胴、小道具、赤もの人形などを作る店、近代的メーカーや新進気鋭の人形専門店、箱屋などの関連業者が揃っており、江戸期からの「鴻巣びな」の歴史を今に伝えるお店です。

 鴻巣駅名票:上り線駅名表、:下り線駅名表)

「鴻巣びっくりひなまつり」は、歴史的にも古く技術的にも優れているひな人形生産地の鴻巣を、一般の方達に伝え、市民全体でひな祭りができるように、鴻巣市観光協会を主催団体とし、関係団体により実行委員会を組織して開催しています。

 鴻巣びっくりひな祭り広告(左:鴻巣駅ホームのひな祭り広告
、右:駅前広場のひな祭り広告 

「鴻巣びな」は、鴻巣の市街地活性化、町おこしを目的として、2005年より2015年まで市役所のロビーに、日本一のピラミッド型ひな壇を作成しひな飾りを行ってきました。なお、2005年のピラミッド人形数1333体であり、2006年から2008年までのひな壇数は26段、高さ5.74m、人形数は1345体であり、2009年からひな壇の規模が年々大きくなり、2012年に至りピラミッドひな壇数は31段、高さ7.0m、人形数は1807体であり、「ひな人形で飾る日本一高いピラミッドひな壇」として、日本一である認定を受けたとのことです。

 2015年までは市役所がひな飾りのメイン会場 
(左:市役所玄関前に飾られたひな人形、右:市役所内のピラミッドひな壇)鴻巣市ホームページより

鴻巣びっくりひなまつり
2016年の鴻巣びっくりひなまつり2016は、メイン会場をエルミこうのすショッピングモールに会場を移動して開催となりました。ピラミッドひな壇の段数は31段、高さは7.0mで、人形の数は
約1,830体と増加して日本一です。3月5日に、品川駅から直通の高崎線で鴻巣駅でおり、駅直結のメイン会場で日本一のひな壇を見てきました。

 鴻巣びっくりひなまつり2016案内(左:鴻巣びっくりひなまつり2016パンフレット、右:鴻巣びっくりひなまつり2016吊り案内

なお、鴻巣のひな祭りは、ひなの里特別展として、管内に約1500体、川幅飾りに約1400体のひな人形が飾られているほかに、花久の里ひなまつりで17段の六角すいひな壇に約600体の
人形が飾られ、またパンジーハウスひな祭りでは17段の三面ピラミッド型ひな壇に約400体の人形が飾られ、さらにコスモスアリーナふきあげの13段の八角すい型ひな壇には約300の人形が飾られおりましたが、残念ですが鑑賞時間が取れずに見ずに帰宅しました。

 鴻巣びっくりひなまつり2016開催の各会場 
(←クリックで拡大

飾り付ける人形は、市の広報やホームページ等で募集し、市民のみなさんのみならず全国からご家庭で眠っているお人形を、毎年1月初旬から31日の間にご提供ご提供いただき、飾り付けは、上の壇は大工さんなどの職人さんにより衣装の部分をビスで固定してあり、それ以外は実行委員会とボランティアのみなさんで一体一体手作業で飾っています。年々、お人形の数は増えています。
そのピラミッドひな壇を鴻巣駅から、2階の通路を通りエルミこうのすショッピングモール会場に入り、ホール中央には見事な日本一の17段ピラミッドが目の前に展開されていました。
 
 鴻巣びっくりひなまつり2016の17段ピラミッド 
(左:2階側面から見たピラミッド、右:2階正面から見たピラミッド)

2階から階下に降りて、目のあたりで見たピラミッドは圧巻でした。

 1階に降りて見た17段ピラミッド (左:1階正面から見たピラミッド、右:1階側面から見たピラミッド) 

桃の節句
桃の節句の起源は、平安時代までさかのぼります。昔の日本では、江戸幕府が五節句を式日として定め、一月「七草がゆ」、三月「桃の節句」、五月「端午の節句」、七月「七夕祭り」、九月「菊の節句」と五つの節句がありました。明治6年には廃止されましたが、現在では民間の行事として定着しています。
男雛と女雛の並べ方は、古来、左に男雛、右に女雛という配置が一般的でしたが、昭和天皇の即位の大礼が催された時に、西洋式に天皇が向かって左、皇后が右に立たれました。また、掲げられていた御真影も、西洋式に昭和天皇が向かって左側だったことから、東京の雛人形業界では並べ方をそれまでとは反対としました。京都の人々は伝統を重んじて、在来通りとしています。

 鴻巣びっくりひなまつり2016で飾り付けのひな人形 
(左:ひな人形、右:男雛と女雛) 

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イベント 日書展 東京都美術館で開催の第70回日本書道美術院教育部展を見る

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イベント 日書展 東京都美術館で開催の第70回日本書道美術院教育部展を見る

2016年01月30日 | イベント

kan-haru blog 2015 第70回教育部展優秀作品展示場受付(2016.01.05)

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第70回日書展教育部展鑑賞
正月恒例開催の日書展は、日本書道美術院主催、後援が毎日新聞社、全日本書道連盟により、東京都美術館にて1月4日~10日まで開催されます。日書展は、1946年(昭和21年)の戦後に第一回展を東京都美術館にて開催以来、今年は「第70回日書展」を迎え、書作家の作品と一般公募作品併せて約1600点の作品が展示され、7日間で約2万3000人もの観客が訪れる書道展です。
また、日書展では、「第70回教育部展」ならびに「第60回全国競書大会」が併催されます。「教育部展」は、書写・書道教室の振興を図ることを目的に開催され、小学生(幼年含む)から高校生までの軸装作品を対象とした展覧会で、「全国競書大会」は、全国の学生生徒と大人を対象に、日頃の稽古鍛錬の成果を競うことを目的に「半紙作品」にて開催され、それぞれの展示会場には、出品者の両親や祖父母連れなど家族や関係者が訪れ賑わいます。
今年も「教育部展」と「全国競書大会」の展示作品を見に、1月5日に東京都美術館に行ってきました。

  第69回日書展ポスター

・教育部展
第70回教育部展の展示会場は、美術館2階の奥の4棟室で、受付の先が入口です。教育部展の作品は、陳列時に縦135cm×横36cmに軸装されます。
教育部展の出展作品には、小・中・高の学部別に特待賞/日本書道美術院賞/理事長賞/毎日新聞社賞/毎日小学生新聞賞/全日本書道連盟賞/高野山金剛峯寺賞/第70回展記念賞/みんなの書賞/特選/秀作・優作・佳作の各賞(←ここをクリックすると小学・中学・高校別の入賞者名が見られます)が与えられます。
展示会場に入ると教育部展優秀作品の展示コーナでは、展示壁面に特待賞から佳作までの作品が展示されています。
 
  教育部展作品展示コーナー (左:優秀作品展示コーナー、右:作品展示コーナー)

教育部展の特選の展示コーナーを鑑賞しました
  特選掲示コーナー(・右)

・全国競書大会
第60回全国競書大会は、美術館2階の教育部展の手前の3棟室の展示会場で開催されております。
全国競書大会の出展作品は、学部別のほかに一般の部が加わり、「半紙作品」で展示されます。全国競書大会の入賞作品は、特待賞/日本書道美術院賞/理事長賞/全日本書道連盟賞/高野山金剛峯寺賞/第60回展記念賞/書道美術特別賞/みんなの書賞/書芸文化院賞の各賞(←ここをクリックすると小学・中学・高校・一般別の入賞者名が見られます)が与えられます。

 全国競書大会作品展示コーナー(左:優秀作品展示コーナー、右:作品展示コーナー)

全国競書大会のみんなの書賞の展示コーナーを鑑賞しました

  
みんなの書特別賞高校の部展示コーナー(、右)

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 イベント 原鉄道模型博物館3部 一番ゲージの鉄道模型が走行する世界最大級ジオラマその2

 

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イベント 原鉄道模型博物館3部 一番ゲージの鉄道模型が走行する世界最大級ジオラマその2

2015年10月29日 | イベント

kan-haru blog 2015 テツモパークジオラマ模型のルートは右端側の山を一巡して周回しています

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ジオラマ風景を眺める
テツモパークジオラマは、朝、昼、夜間など時間帯ごとの演出を施し、一日の様子を見られます。駅を発車した列車は川を鉄橋で渡り田舎へと向かい、海岸淵を走行します。
 ジオラマの列車は川を渡り海岸淵を走る(:駅を出た電車は川を渡る:列車は海岸淵を通ります)

模型は山間地に入り、列車は山のすそ野を走り、山を半周してレールは元に戻ります。

 ジオラマ風景は山間地帯となります
(:列車は山間地を走ります:山間地を走る列車は一巡して戻ります)

山には、登山・観光客用の登山電車が走ります。

 山には登山電車が走ります
(:山には登山電車が昇り降りします)

山の頂き付近では、ロープウェイが登り降りしています。

 山の上にはロープウエイが昇り降りしてます 
(:山の上のロープウエイ) 

ジオラマは、実際の運転席の体系を模した、一番ゲージ模型列車の走行実演体験席を2席備えており、申込者に時間を区切って公開をしています。

 ジオラマの模型列車の運転の実演体験席 
 (:ジオラマの列車運転の実演体験席:ジオラマ模型列車の走行実演体験中の様子)

・横浜ジオラマ
いちばんテツモパークの走行模型を堪能して、部屋を移ると次室は横浜ジオラマです。1915年8月15日に、現在の桜木町駅の位置に所在していた「横浜駅」は、「桜木町駅」として生まれ変わり、桜木町駅の生誕100周年を記念して、横浜ジオラマ内に桜木町駅が展示されています。

 横浜ジオラマ
(:横浜ジオラマの案内:100年前の桜木町駅が展示されている横浜ジオラマ)

かつての横浜駅(今の桜木町駅)周辺の様子や馬車道や中華街エリアなど、横浜の街並みを再現しています。

 
百年前の桜木町駅 (:100年前の桜木町駅)

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イベント 原鉄道模型博物館3部 一番ゲージの鉄道模型が走行する世界最大級ジオラマその1

2015年10月23日 | イベント

kan-haru blog 2015 駅舎付近のジオラマ風景

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世界最大級のジオラマ 
原鉄道模型博物館多目的ルームでの「模型で綴る京急車輛史」を見て進むと、原鉄道模型博物館目玉の1番ゲージの蒸気・電気・トロリーの軌道が走る世界最大級のジオラマが展示されている「いちばんテツモパーク」です。
 
 原鉄道模型展示の各種ゲージサイズ 
   
その突き当りの入口には、いちばんテツモパークの引込み線が入っている、修理などを行う車輛工房があります。また、テツモパークに入って右側には、原模型工房が再現してあります。

 模型修理の車輛工房と再現の原模型工房 
(:模型修理の車輛工房:再現の原模型工房)

「いちばんテツモパークジオラマ」は、一周が約70mで線路数が6本あり、総延長は約450mもあり、面積が約310㎡の世界最大級のジオラマです。

 いちばんテツモパークジオラマ路線図

「いちばんテツモパークジオラマ」入口からジオラマの左端を見ると、さすが世界最大級だけあって先が見渡せません。
 
 
 入口から見たいちばんテツモパークジオラマ前景

 一般的な鉄道模型のレールや車輪には、加工しやすい真鍮(銅と亜鉛の合金)などの素材が用いられますが、原鉄道模型博物館のジオラマの模型は、架線から電気をとり、鉄のレールと鉄の車輪で走行しています。これにより原氏は鉄道模型で、列車が加速した後にモーターを切り、加速で得た惰性の力のみで走行する惰力走行を実現した先駆者であり、コントローラーの電気をオフにしても走り続けることが可能になり、モーターの音が消え車輪がカタンカタンとレールを叩く音だけが響きます。さらに、一般的な鉄道模型ではレールから電気を取り込んで走りますが、原氏の模型は架線からパンタグラフで電気を取り込み、パンタグラフが架線の高さに応じて伸縮したりするなど、本物さながらの姿を見ることができます。
 
 ジオラマ模型は架線から電気をとり、鉄のレールと鉄の車輪で走行します

入口から進むと風景は山間地から、町あかりが見えて来て、駅が近ずくようです。 
 風景は山間地から街っへと変わります (:風景は山間地を抜けようとしています:ジオラマは山間地から街へと進む)

駅舎はヨーロッパをイメージし、フランスのリヨン駅を模したのかと思います。
 
 ヨーロッパをイメージした駅舎(:リヨン駅をイメージした駅舎)

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イベント 原鉄道模型博物館2部 原信太郎が愛した京急を博物館に2回にわたり出かけて見るその4

2015年10月18日 | イベント

kan-haru blog 2015 ブルーリボン賞の京急2000形

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京急1000形
旧1000形(1959年)電車は、都営地下鉄1号線に乗り入れることになり、「1号線直通車輛規格」により、1959年(昭和34年)から1968年の20年間にわたって、356輌の製造が続けられた京急の代表車輛です。車体長が18m、3扉ロングシートの2両ユニットの全電動車方式で、地下鉄線内各停運転と京急線内特急運転の高速運転の高性能を備えています。

  京急旧1000形電車(←ここをクリックで拡大)

・新1000形電車
新1000形電車は、2002年(平成14年)に営業運転を開始した通勤形の電車で、2006年までの製造車はアルミ軽合金製塗装車体、2007年以降はステンレス製無塗装車体となり、「1号線直通車両規格」に基づいた、全長18 m、片側3扉の車両で、8両編成20本、6両編成5本、4両編成23本の計282両が在籍して、京急で最大車両数の形式の電車です。アルミ軽合金製車体は64輌製造され、赤い車体に、窓周りは白塗装で、座席は扉間が脚台をなくした片持ち式ロングシート、車端部が補助いす付きのクロスシート席です。ステンレス製車輌は京急初の軽量ステンレス製車体で、車体側面には京急のイメージカラーを踏襲した赤と白のカラーフィルムが貼り付けされ、前頭部は普通鋼製で、従来車同様赤く塗装されています。座席はオールロングシート車になりました。

 京急新1000形電車(:アルミ軽合金製塗装車:軽量ステンレス製車)

2014年5月からは、「新1000形電車1編成を、京急の電動貨車の塗装をイメージした黄色に塗装された電車の、「しあわせの黄色い電車KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」が運行しています。
  
 「KEIKYU YELLOW HAPPY TRAIN」 

・京急1500形電車
京急1500形電車は、1985年(昭和60年)に営業運転を開始した通勤形電車で、1000形の置き換え用として開発された東京都交通局(都営地下鉄)浅草線・京成電鉄・北総開発鉄道(現・北総鉄道)乗り入れ対応車両で、車内座席はオールロングシート構成とし、1993年(平成5年)までに166両が製造されました。車体は1985と1986年製の20両は普通鋼製、1988年製以降の車両はアルミ合金製車体が採用され、車体外板塗色は赤、窓下に幅150 mmの白帯を引いた京急標準の電車です。

 
京急1500形電車(:鋼製車体1985年3月、:アルミ合金製車体1988年8月) 

・京急2000形電車
京急2000形電車は、1982年(昭和57年)に営業運転を開始した電車で、主として快速特急用として両開き2扉の全クロスシート車として車体外板は赤、窓回りをアイボリー塗装色で設計され、1983年に鉄道友の会が選定したブルーリボン賞を受賞しました。1987年(昭和62年)にかけて72両が製造されました。快速特急とした運用された後、後継の2100形が登場したのに伴い、2000年(平成12年)にかけて3扉ロングシートに改造して、ラッシュ時中心に使用することになりました。ロングシート化された2000形改造電車は、1000形や700形の運用を置き換えて、通勤形車両に格下げ改造されました。

 京急2000形電車 
(:2扉時代の2000形1995年7月:3扉改造の2000形電車)

・京急2100形電車
京急2100形電車は、2000形の後継車として1998年(平成10年)に営業運転を開始した電車で、2000年(平成12年)にかけて8輌編成80両が製造されています。

  京急2100形電車(←ここをクリックで拡大)

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2015年10月12日 | イベント

kan-haru blog 2015 ローレル賞受賞の京急800形電車(1979年)2

総合INDEX

戦前戦後の京急電車
デ300形電車(写真左から3編成目)は東急合併後の1942年(昭和17年)に20輌作成され、車長が現在の車両とほぼ同じの18mとなり昭和54年で廃車されました。デ400形は、まず戦後間もない1947年(昭和22年)に2両編成のアルミサッシ化を採用した300形を形式変更車 (写真左から4編成目) で登場し、2年後の1949年に全長が0.5m短い運輸省規格車(写真左から5編成目)16輌が登場し
て、昭和56年までには廃車されました。400形(1953年)電車は32輌製造され、初代600形の更新タイプで試験的に1段下降式窓が採用されました。

  京急230から400形電車(左から230、230形(1930年)、300形(1942年)、400形(1947年)、400形(1949年)電車)

500形(1951年)電車は、赤と黄色に塗装された電車で前面2枚窓が初採用され、2扉のセミクロスシート車です。
 
 京急500形電車(←ここをクリックで拡大) 

500形(1968年) 電車は、更新時に車体を新造して700形のステンレス4ドアー車となりました。600形(1953~58年)電車は正面2枚窓の3扉ロングシート車で特急に使用され、1953~55年製造車は500形タイプの半鋼製車であり、1957~58年製造車は新造で旧700タイプの合金製電車で、昭和61年で廃車となりました。

 
京急400形から600形電車(左から400形(1949年)、400形(1953年)、500形(1951年)、500形(1968年)、600形(1956年)、600形(1956年)、600形(1956年)電車)

700形(1967~71年)電車の1次車は84輌が製造され、普通列車のスピードアップと乗り降り時間の短縮化を目的として4扉ロングシートで、開閉窓は片側4ケ所の独特のスタイルの電車となった。1985年に改造された2次車は、冷房化され正面窓が1次車より大きくなりました。

 
京急700形から2000形電車(左から700形(1967年)1次車、800形(1978年)1代3輌ユニット車、800形(1986年)2代6輌ユニット車、2000形(1982年) 600形2代後継車、2000形(1998年)車体中央にドアー増設の改造車、1500形(1985年)1000形後継車、600形(1994年)3代目で3扉クロスシート車)

800形(1978年)電車は754輌が製造され、会社創立80周年に登場し、翌年ローレル賞を受賞してた、初の18m級の4扉ロングシートで、正面は非貫通のデザインである。 
  京急800形電車(←ここをクリックで拡大)

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2015年10月07日 | イベント

kan-haru blog 2015 京急平成20年発行なぎさ549号

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京急電車受賞銘版
ローレル賞の京急800形電車は普通列車用として設計され、1978年(昭和53年)12月に営業運転を開始した京浜急行電鉄の通勤形電車で、1961年2月、ブルーリボン賞に選定され難い通勤形電車および近郊形電車を選定対象として、主に技術面で優秀な車両を評価するローレル賞が制定され、1979年第19回に800形電車が受賞した銘版です。ブルーリボン賞の京急2000形電車はおもに快速特急用として設計され、1982年(昭和57年)12月27日に営業運転を開始した京浜急行電鉄の電車で、1998年(平成10年)に後継の2100形が登場したのに伴い、2000年(平成12年)にかけて通勤形車両に格下げ改造されました。1985年第26回に2000形電車が受賞した銘版です。

   
京急電車授賞銘版(左:1979年800形電車が受賞したローレル賞銘版、右:1985年2000形電車が受賞したブルーリボン賞銘版0925)

京急車輛の歴史を見る「模型で綴る京急車輛史」コーナーには、京急の明治32年創立当時(1900年)の1形から現在の1000形のイエローハッピー(2014年)までの模型が勢ぞろいです。主な種類の車両を抜粋して見ると、1号形電車は1904年(明治37年)に10輌制作され我が国初のボギー車輛である。
26号形電車は1911年(明治44年)に3輌制作された豪華電車で、29号形電車は1913年(大正2年)に12輌制作され1948年まで活用された。300号形電車は1942年(昭和17年)の戦時体制下に輸送力増強のために製造したもので、1979年(昭和54年)に廃車となりました。
 模型で綴る京急車輛史(左:「模型で綴る京急車輛史」コーナー1:京急1号形~300形電車まで0925)

41号形電車は1921年(大正10年)に10輌制作され本格的な高速電車で、51号形電車は1924年(大正13年)に20輌制作され、1939年(昭和14年)にポ―ル集電からパンタグラフに切り替えられました。
 
   京急41号形電車と湘南電気鉄道デ1号電車(:京急41形と湘南電気鉄道デ1号電車、:京急41形0925)

デ1形電車は1930年(昭和5年)に湘南電車開業に製造した戦前の関東私鉄の名車で、東急合併で5230形となり、京急分離後はデハ230形となり1978年(昭和53年)に引退しました。デ101形電車は1940年(昭和15年)普通列車用に8両製造されたが、昭和20年に戦災で焼失し、戦後になってクハ350形になり昭和51年までに廃車となりました。
 
 京急230形電車(←ここをクリックで拡大)

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イベント 原鉄道模型博物館2部 原信太郎が愛した京急を博物館に2回にわたり出かけて見るその1

2015年09月30日 | イベント

kan-haru blog 2015 京浜急行大型パネル板

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9月13日に原鉄道模型博物館京急展を見学し、時間が足らずに再度同26日に2回目の博物館見学で詳細に京急展展示物と同館目玉の世界最大級のジオラマを見てきました。
なお、1回目は知らずにミスりましたが、2回目の入場では、横浜駅で入館料10%OFFスタンプカード(「イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその1」参照)に押して持参し、受付に1回目の来館スタンプカードを見せると、2回目の来館を押印して京急グッズ(京急線メモ切符)が記念に貰え、900円で入場できます。
 
 (左上:2回目来館スタンプカード、左下:10%割引入場券大人、右:2回目来館記念の京急グッズ0926)

・第3展示室続
まずは、2回目は第3展示室の続きから見ていきます。最初はメルクリン社の世界でたった15台しかない、ドイツのケルン・ボン鉄道が20世紀初頭に重役に贈った3両編成模型の記念品で、1950年代に原信太郎が購入した貴重な模型です。子供時代の信太郎は祖母にねだり、首総の給料が450円時代に、価格が495円の電気で動くライオネル社の模型を買って貰いました。

 原コレクションの展示模型1(左:ライオネル社の電気で動く模型、右:20世紀初頭にドイツのケルン・ボンが記念に贈った電気で動く模型0926)

次に京急の展示品を見ていきます。最初は京急電車の「主制御器」(マスター・コントローラー)で、左から旧1000型用、600型用、右端のは800、2000型用です。隣は車両の製造工場の各種銘版です。

 京急電車のマスコンと車両製造所銘板(左:マスター・コントローラー、右:製造工場の各種銘版0926) 

原信太郎は京急が大好きで、戦後すぐからの写真が残されています。写真の5000型は戦時統合時代で、車体にはTKK(東急電鉄)のマークが見られ、ガラスのない窓枠に乗客が腰かけている様子や、350型の前半分は進駐軍専用車の車両など歴史を感じる写真が見られます。

 原信太郎が写した戦後すぐの京急電鉄の写真1 (←ここをクリックで拡大)

残された写真には、戦災にあった車両や、ファインテック久里浜に保存の、「京浜電鉄デ51型」と「湘南電鉄デ1型」車両の運転席に原信太郎が乗って嬉しそうに写っている写真もあります。

  原信太郎が写した戦後すぐの京急電鉄の写真2 (←ここをクリックで拡大)

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イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその3

2015年09月25日 | イベント

kan-haru blog 2015 京急イベントおしらせ

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展示模型を見る
第1展示室から第2展示室に進むと右壁面には、原信太郎の所蔵する様々なゲージの鉄道模型が飾られています。小学生時代から作られていたといわれる、鉄道模型は他の鉄道博物館では見られない、まさに素晴らしい展示品です。第2展示室の左壁面には、「時代の先端を駆け抜ける京急」の説明資料が掲示されています。

 第2展示室の展示品 
(左:原信太郎の制作展示の鉄道模型、右:「時代の先端を駆け抜ける京急」の説明展示0913)

第2展示室を出ると、「原信太郎と鉄道」のコーナーです。ここでは、信太郎がどんな鉄道を見てきたのか。自身の年表と、鉄道史とを重ねて解説してあります。
1872年(明治5年)に新橋ー横浜間に鉄度が開設し、私鉄の開業が相次ぎ戦争とともに国有化が進み、20世紀に入り鉄道が黄金化時代を迎えるころの1919年(大正8年)に信太郎が誕生して、裕福な家に生まれたので4歳のころ外国の鉄道のおもちゃを与えられ、少学5年でカメラを携え超特急「つばめ」で関西の一人旅を行いました。
 
 原信太郎の生涯と鉄道史1(左:原信太郎の制作展示の鉄道模型、右:「時代の先端を駆け抜ける京急」の説明展示0913)

1930~40年代は、鉄道の目覚ましい進歩が続きましたが、中学生の頃には模型造りには資材不足でした。独学により短波受信機で海外の動向を知り、海外の技術の高さをしり敗戦を予感しました。1940年に東京工業大学に入学し、朝鮮、満州と投稿して大陸で活躍の日本技術の各種の列車を見ました。戦争激化とともに、鉄道も軍事が優先されて技術もサービスも停滞しました。終戦を迎え、戦時中の量産車を改造した蒸気機関車は、輸送需要に応え日本の復興に力を尽くしました。1958年には「こだま」が、1964年には、「新幹線」が誕生しました、信太郎は㈱コクヨに入社し「全自動立体倉庫」を開発して会社の生産性向上に貢献し、また世界の鉄道の技術革新を目で見る旅を続け、「世界的な鉄道愛好家」として知られていきます。
  
 原信太郎の生涯と鉄道史2(左:大陸へ、戦争を迎えて、右:世界にはばたく0913) 

信太郎は、会社員時代に数百件の特許を取得し、延べ380ケ国の世界を旅して鉄道愛好家と交流を深め、模型を次々と製作して2011年時点では模型車両の約2千点に及び、所蔵する模型は約6千点に達しました。最初の1番乗りは、1927年(昭和2年)の8歳の時に、浅草から上野間を開通した地下鉄で、10銭玉を入れる改札機前に2~3時間待ちして果たしました。初めての一番切符は、1933年(昭和8年)の帝都電鉄(現京王電鉄井の頭)の開通時のもので0002番切符を購入しましたが、抗議して駅員が求めた0001番切符を手に入れられました。また、1934年(昭和9年)3月の地下鉄銀座駅開通ではナンバー2でしたが、同年6月の新橋駅開通では午後10時から粘って一番切符を獲得しました。さらに同年、丹那トンネルが開通して学校を病欠届出で休んで、熱海駅で一番切符を手に入れました。1954年(昭和29年)の東海道新幹線開通では東京発と大阪発の番切符を手に入れました。1961年(昭和36年)の伊豆急行電鉄開通の時は、2日前に待合室に車ごと乗り入れて発売を待ちました。

 原信太郎の生涯と鉄道史3(左:世界的な鉄道愛好家の信太郎、右:初乗りと切符収集
0913)  

第3展示室
第3展示室は、「ブィンテージ・コレクション」で、信太郎の鉄道の旅の一端を、模型などを交えて展示してあり、希少なアンティーク鉄道玩具などが見られます。このコーナーでの目玉の展示品は、ヴッパータールの空中電車の模型です。この模型は、ドイツの鉄道模型会社のメルクリン社が20世紀の初めに製造したヴッパータール市の懸垂電車であり、電気で動く模型の出始めた頃のもので、信太郎が電話を繋ぎぱなしにしてセリ落としたものです。
懸垂電車の登場は、1880年代に技術者のカール・オイゲン・ランゲンが、ケルンの自工場で運搬を行うために懸垂式モノレールを開発して使用していた。この技術を人や物資の輸送に応用できることに気づき、ランゲンの構想によるヴッパータール空中鉄道は、1898年に着工された。その後、1900年10月24日にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の臨席を受けて試運転が行われ、最初に開通したのは、クルーゼ・劇場駅 - 動物園・スタジアム駅間で、オーバーバルメンまでが全通したのは1903年6月27日です。

 第3展示室ヴッパータール空中鉄道 
(左:ヴッパータールの空中電車の模型、:空中電車の0913) 

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イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその2

2015年09月20日 | イベント

kan-haru blog 2015 横浜ジオラマ

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・京急展の展示
京急展開催の横浜三井ビルディング1階フロワーに掲示されているイベント案内板には、京急展開催期間内の9月30日までの間に入場すると、桜木町駅誕生100周年記念の横浜ジオラマの特別ディスプレイが展示しているとの案内がでており、同13日に見に行きましたので桜木町駅100周年記念横浜ジオラマも見られました。

 
原鉄道模型博物館展示案内(左:展示案内板、右:桜木町駅100周年記念横浜ジオラマ特別展示案内0913)

1階から直通のエスカレータで上がると、原鉄道模型博物館のエントランスで右側に入場券売り場があり、入場券(その1参照)を購入して入場口にかざすと入口が開きます。

 原鉄道模型博物館全館レイアウト

展示会場に入ると第1展示室で、京急展来館記念切符を作ろうとのコーナーがあり、ダッチングマシンと記念切符が置いてあり、各自がマシンに挿入して差し込みスライドさせると、その切符に入場日の日付けが乗車券の端に印字を行う体験ができます。また、右側には入館料10%OFFのスタンプカード(その1参照 ここをクリック)が置いてあります。
 
 
入場日を印刷するダッチングマシンと日付け印入記念切符(左:ダッチングマシン、右:ダッチングマシンを通した記念切符0913)

第1展示室「原模型の神髄」には、原模型の中の代表作が展示してあり、一号機関車は原信太郎が小学生の時に作った機関車で、博物館のマークとなっています。

 原模型の神髄の第1展示室 
(左:第1展示室、右:一号機関車0913)

ここで第1展示室に展示の模型を見ていきましょう。最初の金剛山電気鉄道22号は、朝鮮半島に存在した伝説の登山列車であり、箱根登山鉄道 チキ形 チキ1は、精密な木造、真鍮エッチングによる再現が見事です。
 
 第1展示室に展示の数々の原模型2 (左:金剛山電気鉄道22号、右:箱根登山鉄道チキ形チキ10913)

次のオリエント急行は、木造の美しい車両を天井絵まで見えるようにして作られた模型であり、或る列車は明治末期の幻の列車の模型です。

 第1展示室に展示の数々の原模型3(左:オリエント急行、右:或る列車0913) 

スイス国鉄 Ae4/7形の模型は、ブッフリ式駆動装置を再現してあり、阪神電気鉄道311形313は魅力的な形や色をした魅力的な電車です。
 
 第1展示室に展示の数々の原模型4(左:スイス国鉄 Ae4/7形、右:阪神電気鉄道311形313 0913)    

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イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその1

2015年09月16日 | イベント

kan-haru blog 2015 原鉄道博物館の入場口

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京急展
京急展は、原鉄道模型博物館にて7月18日から11月3日まで開催されており、火曜日が休館(ただし、9月22日と11月3日は営業)で、11時から18時まで開館していますので、9月13日に見にいきました。

 
京急展パンフレット

原鉄道模型博物館の入館料は、大人1000円、中学・高校生700円、子供500円です。

 
原鉄道模型博物館入場券

ただし、帰りの際にわかったのですが、京急では京急展開催記念キャンペーンとして、京急線横浜駅改札内(中央口・北口・南口)に設置のスタンプ台にある用紙にスタンプを押して、原鉄道模型博物館に行くと、入館料が10%割引(1枚につき4名様まで有効)となります。

 
京急展入場料10%OFFスタンプ

原鉄道模型博物館へのアクセスは、横浜駅東口からポルタ地下街を南東方向に向かい、横浜駅前通りの出口Gで地上に出て、首都高速神奈川1号横羽線下の地上道路を南へ進み、川を渡った左側の横浜三井ビルディング(神奈川県横浜市西区高島1-1-2 地図参照 徒歩5分)の2階が2012年7月10日に開館した博物館です。

 横浜駅東口から原鉄道博物館へ(左:横浜駅東口ビル、右:横浜三井ビルディングの2階が原鉄道模型博物館0913) 

・原鉄道博物館
原鉄道博物館は、2012年7月10日に日本で初めて鉄道が開通した横浜の地に開館しました。当博物館では、原信太郎が製作・所蔵した世界一ともいわれる膨大な鉄道模型と、鉄道関係コレクションを一般に公開しました。信太郎の鉄道模型の特長は、蒸気機関車から電気機関車へと鉄道が著しい発展を遂げた時代の日本・ヨーロッパ・アメリカを中心とした世界中の鉄道車両を再現したコレクションです。

  原鉄道博物館パンフレット

原信太郎(はら・のぶたろう)は、1919年に東京生まれ、幼少時より鉄道を愛し、鉄道に乗り、撮影し、一番切符を集め、小学6年生から本格的な模型製作を始めました。鉄道技術を学ぶために東京工業大学工学部機械工学科に入学しました。第二次大戦後、コクヨ株式会社で開発技術担当。在職中は、世界初の立体自動倉庫やオフィス家具自動一貫製造ラインなどを開発し、300以上の技術特許を個人で請願・維持しました。退職後は、財団法人原総合知的通信システム基金設立し、若手研究者の海外論文発表のための助成をしました。
戦後は海外に積極的に渡航し、各国の鉄道車両を模型化して、所蔵模型数約6000両を有します。訪れた国、延べ約380ヶ国に及び、撮影スチール約10万枚の他、ムービーフィルム16mm、8mm、VTR 合計約440時間を有しています。(原鉄道博物館から) 
 原信太郎フォト・ライブラリー公開のパンフレット

・京急展の博物館外の展示物
原鉄道博物館の横浜三井ビルディング前の屋外には、京急から借用した工場作業用の仮台車が展示されています。仮台車の大きさは、予想以上のもので、説明によると1924年(大正13年)に製造された「デ51形ブリルシャ製電車の台車」と同一物で、車輪のメーカーは当時世界一の規模を誇っていたLOBDELL CAR-WHEEL COMPANY製とあります。この仮台車は最近まで使用されていましたが、車輪は貴重な歴史的な世界遺産であるので借用して展示してあるとのことです。
また、横浜三井ビルディングの1階フロワーの壁際には、京急の800形車両で使用されている、パンタグラフ「PT43-E」が展示されており、直前で見られますが、その大きさは予想以上のもので驚かされます。

 
京急工場作業用仮台車とパンタグラフ(:工場作業用の仮台車、:パンタグラフ「PT43-E」0913)

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イベント 上野東京ライン 開業日に常磐線品川駅始発のE531系交直両用車で上野駅まで試乗その2

2015年05月11日 | イベント

kan-haru blog 2015 上野東京ライン常磐線列車内

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上野東京ライン常磐線試乗
上野東京ラインが開通しましたので、開通2日後の3月16日に常磐線始発駅の品川から上野駅まで試乗しました。
・品川―新橋駅間
品川始発の上野東京ライン常磐線1193M列車は、品川駅10番線からの発車で、進行最後尾の10両目車両の右側座席に乗り、進行風景を車窓から撮影しました。常磐線1193M列車は、10番線ホームを出て、かっての田町センターを通過すると、在来東海道線上り線路と合流し、さらに東海道線下り線路と並走すると、都道日比谷芝浦線(都道409号)JR跨線橋札の辻橋を潜り、山手線田町駅を通過ます。

 品川駅発の上野東京ライン常磐線列車車窓から1 
(:品川駅10番線ホーム発車の常磐線列車から:都道日比谷芝浦線JR跨線橋札の辻橋手前の東海道上下線並走線路、:山手線田町駅付近走行の上野東京ライン常磐線試乗列車から0316)

山手線田町駅を通過すると、羽田空港と結ぶモノレール線路と並走して、山手線田町駅を通過し、新橋駅に到着です。

 品川駅発の上野東京ライン常磐線列車車窓から2(:モノレールと並行走行の上野東京ライン常磐線試乗列車から:浜松町駅付近走行の上野東京ライン常磐線試乗列車から:新橋駅到着の上野東京ライン常磐線試乗列車から0316)

上野東京ライン常磐線走行風景動画1
品川駅から新橋駅まで、上野東京ライン常磐線1193M列車の最後尾車両に乗り、座席右窓から走行風景を動画撮影しました。

上野東京ライン常磐線1193M列車品川―新橋間走行撮影

・東京ー上野駅間
上野東京ラインは、神田駅周辺では新線のための土地が確保できないので、新幹線の軌道上空を通過する難工事であり、鉄道の運行終了後から始発までの短い時間で作業を行われました。東京駅を発車すると、まず上野東京ラインの線路は東北新幹線と並行しながら傾斜を昇り、神田金物通り手前で新幹線の上に重層構造の高架橋で走行します。重層高層高架橋は、中央通りと靖国通りの中間で、新幹線の上から降りて秋葉原の手前では、新幹線と並行します。

 神田駅周辺重層高架橋構造図 

東京駅を出発すると新幹線と並行走行の電車は、すぐ坂を上り高架橋は新幹線の上の重層高架橋を走行し、靖国通りの手前から坂を降り、新幹線と並行します。
 
 東京駅から上野までの上野東京ライン常磐線列車車窓から1(:東京駅を過ぎると上野東京ライン線路は登坂を進む:首都高速道路までは新幹線と並行線路走行:靖国通り手前では上野東京ライン線路と新幹線線路へ並置区間となる0316)

・上野東京ライン常磐線走行風景動画2
東京駅から上野駅まで、上野東京ライン常磐線1193M列車に乗り継ぎ、座席右窓から走行風景を動画撮影しました。 

上野東京ライン常磐線1193M列車東京―上野間走行撮影

上野東京ライン列車
上野駅にて、停車中の上野東京ラインの常磐線・東海道線・東北線運行の各列車を撮影しました。


 上野東京ラインの常磐線・東海道線列車(:上野東京ラインの常磐線列車:上野東京ラインの東海道線列車0316)

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イベント 上野東京ライン 開業日に常磐線品川駅始発のE531系交直両用車で上野駅まで試乗その1

2015年05月06日 | イベント

kan-haru blog 2015 常磐線上野東京ライン勝田行列車

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上野東京ライン
3月14日から、宇都宮線と高崎線が東海道線と相互直通運転を開始し、これにより、大宮と品川間の所要時間が46分となり10分短縮され、また、横浜と大宮間の所要時間が64分となり13分短縮されました。さらに、常磐線が品川駅までの直通運転が実施され、柏と品川間の所要時間が49分となり10分短縮され、また、速進タイプの特急列車のひたちでは品川と水戸間の所要時間が83分となり13分短縮され、相互直通運転の利用者には大変と便利になりました。

 上野東京ライン相互乗り入れ系統図

〇戦後の上野東京間列車運行
これまでの、上野駅と東京駅間の列車運行の経緯はウィキペディアによると、1946年7月に連合軍専用列車が初めて同線を直通する列車として設定され、1954年から1956年の山手線と京浜東北線の分離運転工事期間中には、上野駅折り返しの国電常磐線が朝夕のみ有楽町駅まで運行され、その後も東北本線・常磐線・高崎線列車が新橋駅まで朝晩の各1往復程度乗り入れていました。その後にも、連合軍専用列車を引き継いて、東京駅を発着する急行・特急・準急列車が設定されていました。さらに、準急「湘南日光」や通勤時間帯に設定の快速「わたらせ」などは東京駅を越えて東海道本線にまで乗り入れていたほか、高崎線から東海道本線富士駅までを結ぶ中距離電車も1往復運転されていました。また、お盆や年末の帰省ラッシュ時期には、上野駅始発である奥羽・磐越西線方面の夜行列車を品川駅始発とする措置が取られ、その際には、山手貨物線経由とともに、荷物・新聞扱いの関係上、東京駅・上野駅経由の列車も運行されました。

東北新幹線運行
東北新幹線敷設工事で線路用地を新幹線に転用するために秋葉原駅と神田駅付近で線路が分断され、東北本線系統の列車は東京駅に乗り入れることができなくなり、1973年4月限りで上野東京駅乗り入れが中止となり、帰省時の品川駅始発列車の運行も1975年年末で終了しました。新幹線は1991年6月20日に東京駅と上野駅間が開業し、東北・山形(1992年7月1日から開業)・秋田(1997年3月22日から開業)・上越・北陸(同10月1日から開業 )の各新幹線が東京駅に乗り入れをはじめました。

上野東京間列車線路再敷設
1993年2月にJR東日本が山手線・京浜東北線の秋葉原駅と上野駅間や、上野駅の混雑緩和のため常磐・東北・高崎の各線の運転区間を東京駅まで延長して東海道線と相互乗り入れの検討が行われました。さらにその後、秋葉原駅から東京駅まで東北新幹線の2階部分に複線を建設して、東海道線に乗り入れることが計画され、本格的な検討を開始して、2002年3月に2009年度末完成目標とする東京駅と秋葉原駅間の東北列車線建設工事計画が発表されました。JR東日本は、2008年5月より工事に着手し、神田と東京間の新幹線との重層部は架設機を新幹線の直上に設置し、新幹線終電後から始発までの時間帯に工事が行われました。2012年4月に東日本大震災の影響等により工事計画を一部変更し、2015年3月に開業することを発表して、2015年3月14日に開業しました。

上野東京ライン常磐線品川駅から試乗
〇品川駅のホーム構成
開通2日後の同16日に、品川駅始発の常磐線直通運転の電車に試乗のため、品川駅に行きました。

 品川駅ホーム構内図

品川駅の5番線ホームは上野東京ライン東海道線上りホームで、8番線ホームは未使用で閉鎖されていましたが、案内板には上野東京ライン東海道線上りホームと書かれていますので将来使用のようです
。上野東京ライン常磐線品川発着の直通運転列車は、9番線が特急列車の発ホームです。
 
 品川駅ホーム構成1 (:品川駅上野東京ライン東海道本線上りホーム:8番ホームは上野東京ラインの東海道上り表示の掲示だが閉鎖中:9番ホームは常磐線特急列車で、10番ホームは常磐線快速・各停列車用0316)

10・11番線が常磐線方面電車の発駅ホームであり、また、11番線は東海道線下り湘南ライナーの停車ホームでもあります。12番線は東海道線下りのホームです。なお、上野東京駅乗り入れに無関係のホームは、1・2番線は山手線ホームで、3・4番線は京浜東北線の国電ホームであり、13から15番線は横須賀・総武線の上下線ホームで、21から24番線は東海道・山陽新幹線ホームです。

  品川駅ホーム構成2
(:11番東海道線下り・常磐線上野東京ライン、12番東海道線下り、:13-15番は横須賀・総武線、21-24は新幹線ホーム、:品川駅9・10番ホーム0316)

乗車予定列車が入線している、9・10番線ホームの横浜方寄りに降りました。降りたホームの9番線には、14時14分発勝田行の特急ときわ65号1015M列車が停車しており、10番線ホームには試乗の14時16分発勝田行の1193M列車(E231系)が停車していましたが、双方の列車には乗車客はほとんどおらずにガラガラでした。10番線ホームの普通電車に乗車して待っていると、11番線ホームに、土浦発の特快3160M列車が到着しました。
 常磐線方面列車発着の9・10番線ホーム(:9番ホームは発車待ちの特急ときわ65号1015M列車、:10番ホームは試乗の勝田行の1193M列車:11番線に到着の土浦発快特3160M列車0316)

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イベント 東京ステーションギャラリー 開業100周年を迎えて開催の「東京駅100年の記憶」を見るその3

2015年04月07日 | イベント

kan-haru blog 2015 丸ビル・東京中央郵便局ビル(1935年代)

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1964年の丸の内
「東京駅開業100周年」展の展示には、「100年前の丸の内」のジオラマに並んで、「1964年の丸の内」(50年前)のジオラマが展示してあります。

 
1964年代の丸の内ジオラマ(:丸の内方から見た1964年代のジオラマ:八重洲方から見た1964年代のジオラマ)

・東京駅開業時から50年前まで
「100年前の丸の内」からの東京駅開業50年間の出来事は、1921年(大正10年)に原敬首の丸の内南口で暗殺される、1923年(大正12年)に関東大震災が発生し鉄道は、東京駅第3、4の両ホーム亟屋が倒壊し、9月1日から3日まで不通となりました。東京駅舎には大きな被害がなく、丸ビル付近の負傷者が運びこまれ、一時市民の避難場所となりました。

 
関東大震災時の東京駅構内 (:関東大震災時の東京駅内避難者:第4乗り場方から操車場の焼失客車を見る)

東京駅前のビル建設は、東京駅真ん前の旧「丸ノ内ビルヂング」(丸ビル)が、1923年(大正12年)2月に桜井小太郎の設計で竣工し、地下1階地上9階の「東洋一のビル」といわれた、昭和戦前期で最大のビルです。同年9月に発生した関東大震災により被災し復旧補強工事が行われ、外壁は1935年(昭和10年)に改修しており、建設当初の外見外装は失われています。

 かって東洋一と言われた旧丸ビル
(:1923年竣工の丸ビル:丸ビル1997年1月撮影) 

旧新丸ノ内ビルヂングは、丸ノ内ビルヂングとは行幸通りを挟んだ向かい側に、1937年(昭和12年)に着工されましたが、翌1938年(昭和13年)に、基礎工事が完了した段階で日中戦争により、工事が中止されました。工事中止の基礎部分は、戦中・戦後は防火用貯水池、プールや復興用資材の貯木場となっていました。1950年代に入り、朝鮮戦争特需によりオフィスビルの需要が急増し、新丸ノ内ビル(地上8階、地下2階)が建設されることになり、1951年(昭和26年)に着工、1952年(昭和27年)に竣工しました。

 1952年竣工の旧「新丸ビル」 
(:新丸ビル1952年竣工:丸ビルと新丸ビル昭和28年夏撮影)

中央郵便局の発足は、1871年(明治4年)に元四日市町(現・中央区日本橋一丁目、現在の日本橋郵便局所在地)に四日市郵便役所として開設され、その後名称変更や庁舎の火災などを変遷して、1903年(明治36年)に駅逓寮跡地を庁舎として東京中央郵便局となりました。
1922年(大正11年)の火災により庁舎を焼失し、吉田鉄郎(逓信省営繕課)の設計により、1929年(昭和4年)に東京駅前に鉄骨鉄筋コンクリート造の新局舎を起工し、1933年(昭和8年)に新局舎にて営業を開始しました。 
 旧東京中央郵便局(:東京中央郵便局:東京中央郵便局1933年より2008年まで)

鉄道省庁舎(旧国鉄本社ビル)は、1923年の関東大震災で庁舎が倒壊した後、木造バラック建ての仮庁舎を使用していましたが、1935年(昭和10年)に岡崎泰光の設計により鉄道省新庁舎(旧館)が着工され、1937年(昭和12年)に鉄骨鉄筋コンクリート構造の地上8階、塔屋2階、地下2階建ての本館と鉄筋コンクリート構造地上3階、塔屋1階、地下1階からなる別館が竣工(旧館)しました。庁舎竣工後に増築される予定でしたが、戦争により実現できませんでしたが、鉄道省庁舎から東京駅前間を結ぶ地下道は戦前に設けられました。
1945年の世界大戦の空襲を受け庁舎が焼失し、木造2階のバラック建て庁舎を使用していましたが、日本国有鉄道では、1960年(昭和35年)に鉄骨鉄筋コンクリート構造地上9階、地下3階の新館を着工し、1962年(昭和37年)に竣工して旧館から国鉄本社及び運輸省が移転しました。

 国鉄本社ビル旧館 

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2015年03月26日 | イベント

kan-haru blog 2015 開業時の神田駅

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○第1章・丸の内の100年
丸の内地区を東京駅が開業した1914年から、その50年後の1964年、さらに50年後の2014年の100年の間に、日本の近代建築は大きくその様相を変わりました。このコーナーでは、建築がどのように変化してきたのかを、東京駅を中心とする丸の内地区のジオラマでたどります。さらに、かつて丸の内に建っていた建築に関する資料や、東京駅の構造模型などが展示してあります。
・中央停車場を中心とした電車運転
東京停車場は、1903年(明治36年)計画段階で中央停車場と呼ばれていたが、1904年(明治37年)12月に、甲武鉄道が飯田町駅から御茶ノ水駅までを開業されましたが、1906年(明治39年)10月に国有化され、1908年(明治41年)4月に御茶ノ水駅以東に昌平橋駅が設置されました。1909年(明治42年)11月の電車運転は、烏森・品川・上野間と、池袋・赤羽間で運行していました。
東京停車場高架線は1910年(明治43年)6月に有楽町駅が開通し烏森・有楽町間の運転が開始され、同9月には中央停車場の北方に呉服橋仮駅が開業して、有楽町・呉服橋間の電車運転が工事中の中央停車場の脇を通過していました。
1911年(明治44年)5月1日に名古屋に至る中央本線の始発駅(起点)となりましたが、1912年(明治45年)4月に万世橋駅まで延伸開業され、昌平橋駅は廃止されました。
  有楽町・呉服橋間の電車運転(:1909年開業期の有楽町駅、:1910年開業の呉服橋仮駅)

中央停車場の建物は規模に変更があり、遅れて辰野金吾が設計に着手して「ルネサンス」様式の3階建ての鉄骨煉瓦造りで、壁には表面に化粧煉瓦が貼り付けてあります。柱の装飾には花崗岩や擬石漆塗りを使用して、銅板葺きの屋根の設計です。建設工事は、1908年(明治41年)3月に着工し、1914年(大正3年)に竣工し、同12月18日に開場式と祝賀会が開催されました。
赤煉瓦の完成した駅舎は、北南端の長さが3335m、ドームの高さは34.8mあり、建坪が2431坪で、延べ面積は6460坪の威容を誇る駅舎です。北側ドームは降車専用口で大広間と出口専用改札口が、南側ドームは乗車専用口で、大広間と出口専用改札口が設けられ、中央部は皇室専用の乗降口と休憩室などの設備があります。

 
中央停車場(:中央停車場来客専用南側ドーム:中央停車場中央部)

中央停車場の開業当初のプラットホームは、第1から第4乗場の8本の発着所を設け、第1、2乗り場は電車専用のホーム長が約236mで、第3、4乗り場は列車専用のホーム長が約1135 mでありました。さらに、ホームの東側には、留置線や機関庫などの操車場となっていました。
 開業当初の東京停車場構内(:開業時の東京ステーションの乗降場1~3:開業時の東京ステーションの乗降場2~4)

同12月20日には中央停車場の開業により、東京・高島町間の電車運転が開始されました。

 東京駅構内を発車する列車

1919年(大正8年)3月に神田駅と東京・万世橋間の開通により、中野・新宿・東京・品川・新宿・上野のルートの「の」の字運転と中央停車場を起点とした、現在の中央線対応の中野または吉祥寺間の運転が行われていました。
 
 東京ー神田間線路と「の」 の字運転(:東京・神田間線路(右側は東京・上野間線路用地):「の」の字運転説明図)

・100年前の丸の内
竣工時の中央停車場前広場は未舗装で、駅付近には建物は見当たらず、「三菱ヵ原」と呼ばれた原っぱが広がっていました。やがて、コンコルドが顧問の丸の内建築所(現三菱地所設計)で、道路計画や建築計画が進められ、馬場先通り周辺から建物が徐々に建てられて都市化が始まりました。

  開業時の東京ステーション1914(:1914年開業時の東京ステーションジオラマ、:開業時の東京ステーションの面影)  

1914年前には、有楽町方面には、馬場先通りの一丁倫敦と呼ばれた三菱オフィス街[三菱1~21号館]、東京府庁舎[1889年竣工]、東京商工会議所[1899年竣工]、帝国劇場[1911年竣工]、警視庁[1911年竣工]といった建物群がありました。

 
三菱オフィス街(:1909年ごろの「一丁倫敦」風景三菱1号館:三菱2号館1894)

なお、有楽町の一群の建築群の手前では、洋食レストランとして計画の三菱23号館が1914年に着工するとともに、三菱22号館が1915年に着工しました。また、行幸通りの北側では、東京海上ビルディングが1913年に着工し、大手町側では台湾銀行東京支店が1913年に工事をはじめました。
その建築現場では、1912年竣工の三菱14号館から鉄筋コンクリートの採用がはじまり、1914年に着工の三菱21号館では鉄骨鉄筋コンクリートやエレベータが採用され、近現代の建築技術を支えていきました。
東京駅が竣工した100年前の東京駅や、三菱1号館ができた当初の煉瓦色の街は、コンクリート時代の白い街へと変遷していきました。

  建築は煉瓦造りからアメリカ式高層オフィスビルへ(:1部4階建ての煉瓦造りの東京銀行協会ビル1916、:日本人による高層の東京海上ビルディング1918)

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