
京急蒲田駅ホームの変遷
11月26日は、京浜急行電鉄高架化に伴う京急蒲田駅の下り仮線路使用開始の状況を見るため、大森町から下りホームに降車し新たな下り仮線路ホーム(2番線)の光景を眺め、さらに、西側に幕で覆われた前日まで使用していた下りホームを見るため、跨線橋を渡り上りホーム(1番線)より1923年(大正12年)からの長い期間使用されていた元の下り2番線ホームを想い出深く眺めました。
現在位置の京急蒲田駅ホームは、1923年(大正12年)の専用軌道に路線変更されて以来続き、当初は蒲田駅と称し駅舎はホーム1,2番線側の品川寄りに造られ、穴守線(現空港線)は1番線(終点)と共にホームの横浜寄りで本線の上り・下り線にもそれぞれ接続され、大森と穴守間を1,2輌編成で直通運転(「大森町界隈あれこれ(P31) 京急歴史(1) 大森海岸と大森間に電車が走る(その1)」参照)が行われており、1925年(大正14年)に京浜蒲田駅と改称されました。
1945年(昭和20年)4月15日の大森大空襲(「大森町界隈あれこれ(18) 鎮魂!大森町大空襲(第7~11回)」参照)で被災に合い、1946年(昭和21年) の復旧ではホームを4輌編成に伸延し駅舎を横浜方向に移設して、本線の下り線からの空港線への接続線路が廃止されました。
1965年(昭和40年)に本線のホームを8輌編成に伸延すると共に2,3番線間に跨線橋が設けられました。また、空港線への接続をホームの品川寄りに線路を移設する配線変えが行われました。現在の駅名の「京急蒲田」には、1987年(昭和62年)に改称されました。
1993年(平成5年)には、羽田(現天空橋)開業により空港線1番ホームを品川寄りに8輌編成に伸延し、都心より空港線への直通乗り入れが開始されました。これにより、空港線への上下列車を1番線のみの単線で、しかも品川方向へは本線の下りを横断するという難しい運行をすることになりました。
1995年(平成7年)には、本線ホームを横浜寄りに12輌編成に伸延し、さらに、1998年(平成10年)には第2羽田空港が開業し快速特急の停車駅となり、横浜方面からも空港線への直通乗り入れが開始されました。これにより、空港線への接続線路を設けられ、空港線の単線1番ホームは、品川と横浜方面の双方の空港への上下列車が増え、横浜方向からの列車は本線の下りを横断するというさらなる難しい運行をすることになりました。
京急蒲田周辺高架化工事の状況
2001年(平成13年)に高架化工事が開始され、その進捗により第1回の記載に示す通り空港線1番と本線下り2番ホームが、第一京浜国道寄りに約16m移設(イメージ図参照)されたのです。
これに伴う線路の付け替えの模様と、京急蒲田駅周辺の高架に伴う工事の状況を、地図に示すように、京急蒲田駅西口から環八通りまで南下して踏み切りを渡り、第一京浜国道を多摩堤通りまで北上し、さらに梅屋敷第4踏み切りを渡り、線路沿いに呑川の「たんじょうばし」を渡り、元の京急蒲田駅西口までを反時計回りに一巡して見てきました。
・京急蒲田第2踏み切り付近での線路の付け替え工事を見る
本線下り線路は、移設前には旧多摩堤通り京急蒲田第2踏み切りでの上下線の2本の線路は、接近した並行状態に敷かれておりました。

・左写真クリックで拡大・・中写真クリックで拡大・・・・・・・右写真クリックで拡大
左写真:京急蒲田第2踏み切り工事説明図
中写真:本線下り線路移設前の状態
右写真:本線下り線路移設前の写真
線路の移動敷設工事の第1ステップは、本線下り2番線ホームが約16m第一京浜側に移動のため、京急蒲田第2踏み切り上の下り線路も移動を要するので、踏み切りの遮断機を第一京浜側に移動を行う。第2ステップは、工事は、元の本線下り線路を切り離し、新下り2番線ホームから新しく線路を敷設する。工事の第3ステップは、空港線1番線ホームから元の下り線への線路を切り離し、新たに1番線ホームから本線下り線の線路を跨いで、在来の本線上り線路と接続する線路を敷設する。この時、空港線の新敷設の線路から、同じく新敷設の本線下り線路と切り替え点を設ける。

・・・・左写真クリックで拡大・・・・・中写真クリックで拡大・・・・・右写真クリックで拡大
左写真:工事第1ステップで踏み切り遮断機の移動
中写真:工事第2ステップで本線下り2番線線路の敷設
右写真:工事第3ステップで空港線と本線接続の線路敷設
線路の移動敷設を写真で見ると、左写真は品川方面を眺望したもので左端線路は本線上り線路であり、左から2番目の線路は切り離された旧本線下り線路と旧空港線との接続の線路であり、左から3番目の線路は空港線と本線上り線路との接続線路で、右端の線路は新2番線ホームと結ぶ本線下り線の線路を示します。中写真は、横浜方面を眺望したもので直線状に敷設されている線路は新2番線ホームと結ぶ本線下り線であり、本線下り線と交差しているのが空港線と本線上り線路との接続線路で、切り離されている線路は旧空港線と旧本線下りと結ばれていた線路です。右写真は、工事が完了した旧多摩堤通り京急蒲田第2踏み切りの光景です。

・・・・左写真クリックで拡大・・・・・・中写真クリックで拡大・・・・・・右写真クリックで拡大
左写真:京急蒲田第2踏み切りから品川方面を眺望した写真
中写真:新下り2番線ホームから横浜方面を眺望した写真
右写真:京急蒲田第2踏み切りの光景
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11月26日は、京浜急行電鉄高架化に伴う京急蒲田駅の下り仮線路使用開始の状況を見るため、大森町から下りホームに降車し新たな下り仮線路ホーム(2番線)の光景を眺め、さらに、西側に幕で覆われた前日まで使用していた下りホームを見るため、跨線橋を渡り上りホーム(1番線)より1923年(大正12年)からの長い期間使用されていた元の下り2番線ホームを想い出深く眺めました。
現在位置の京急蒲田駅ホームは、1923年(大正12年)の専用軌道に路線変更されて以来続き、当初は蒲田駅と称し駅舎はホーム1,2番線側の品川寄りに造られ、穴守線(現空港線)は1番線(終点)と共にホームの横浜寄りで本線の上り・下り線にもそれぞれ接続され、大森と穴守間を1,2輌編成で直通運転(「大森町界隈あれこれ(P31) 京急歴史(1) 大森海岸と大森間に電車が走る(その1)」参照)が行われており、1925年(大正14年)に京浜蒲田駅と改称されました。
1945年(昭和20年)4月15日の大森大空襲(「大森町界隈あれこれ(18) 鎮魂!大森町大空襲(第7~11回)」参照)で被災に合い、1946年(昭和21年) の復旧ではホームを4輌編成に伸延し駅舎を横浜方向に移設して、本線の下り線からの空港線への接続線路が廃止されました。
1965年(昭和40年)に本線のホームを8輌編成に伸延すると共に2,3番線間に跨線橋が設けられました。また、空港線への接続をホームの品川寄りに線路を移設する配線変えが行われました。現在の駅名の「京急蒲田」には、1987年(昭和62年)に改称されました。
1993年(平成5年)には、羽田(現天空橋)開業により空港線1番ホームを品川寄りに8輌編成に伸延し、都心より空港線への直通乗り入れが開始されました。これにより、空港線への上下列車を1番線のみの単線で、しかも品川方向へは本線の下りを横断するという難しい運行をすることになりました。
1995年(平成7年)には、本線ホームを横浜寄りに12輌編成に伸延し、さらに、1998年(平成10年)には第2羽田空港が開業し快速特急の停車駅となり、横浜方面からも空港線への直通乗り入れが開始されました。これにより、空港線への接続線路を設けられ、空港線の単線1番ホームは、品川と横浜方面の双方の空港への上下列車が増え、横浜方向からの列車は本線の下りを横断するというさらなる難しい運行をすることになりました。
京急蒲田周辺高架化工事の状況
2001年(平成13年)に高架化工事が開始され、その進捗により第1回の記載に示す通り空港線1番と本線下り2番ホームが、第一京浜国道寄りに約16m移設(イメージ図参照)されたのです。
これに伴う線路の付け替えの模様と、京急蒲田駅周辺の高架に伴う工事の状況を、地図に示すように、京急蒲田駅西口から環八通りまで南下して踏み切りを渡り、第一京浜国道を多摩堤通りまで北上し、さらに梅屋敷第4踏み切りを渡り、線路沿いに呑川の「たんじょうばし」を渡り、元の京急蒲田駅西口までを反時計回りに一巡して見てきました。
・京急蒲田第2踏み切り付近での線路の付け替え工事を見る
本線下り線路は、移設前には旧多摩堤通り京急蒲田第2踏み切りでの上下線の2本の線路は、接近した並行状態に敷かれておりました。

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左写真:京急蒲田第2踏み切り工事説明図
中写真:本線下り線路移設前の状態
右写真:本線下り線路移設前の写真
線路の移動敷設工事の第1ステップは、本線下り2番線ホームが約16m第一京浜側に移動のため、京急蒲田第2踏み切り上の下り線路も移動を要するので、踏み切りの遮断機を第一京浜側に移動を行う。第2ステップは、工事は、元の本線下り線路を切り離し、新下り2番線ホームから新しく線路を敷設する。工事の第3ステップは、空港線1番線ホームから元の下り線への線路を切り離し、新たに1番線ホームから本線下り線の線路を跨いで、在来の本線上り線路と接続する線路を敷設する。この時、空港線の新敷設の線路から、同じく新敷設の本線下り線路と切り替え点を設ける。

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左写真:工事第1ステップで踏み切り遮断機の移動
中写真:工事第2ステップで本線下り2番線線路の敷設
右写真:工事第3ステップで空港線と本線接続の線路敷設
線路の移動敷設を写真で見ると、左写真は品川方面を眺望したもので左端線路は本線上り線路であり、左から2番目の線路は切り離された旧本線下り線路と旧空港線との接続の線路であり、左から3番目の線路は空港線と本線上り線路との接続線路で、右端の線路は新2番線ホームと結ぶ本線下り線の線路を示します。中写真は、横浜方面を眺望したもので直線状に敷設されている線路は新2番線ホームと結ぶ本線下り線であり、本線下り線と交差しているのが空港線と本線上り線路との接続線路で、切り離されている線路は旧空港線と旧本線下りと結ばれていた線路です。右写真は、工事が完了した旧多摩堤通り京急蒲田第2踏み切りの光景です。

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左写真:京急蒲田第2踏み切りから品川方面を眺望した写真
中写真:新下り2番線ホームから横浜方面を眺望した写真
右写真:京急蒲田第2踏み切りの光景
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