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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第3回その2)

2009年10月31日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 大森町駅完成予想図ポスター

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大森町高架駅(続)
・高架駅舎棟築造
6月16日に大森町高架駅北端の狭められた形状のホーム上に駅舎棟の築造(その1参照)が開始されました。同26日には、ホーム南に向けて高架橋3面分の駅舎棟が築造され、駅舎棟の南にホーム階段の昇降孔が設けられました。さらに、7月1日には駅舎棟の築造が南に延び、エレベータ昇降用の穴も設けられました。

 大森町高架駅舎棟築造1(:駅舎棟築造が南に延びる ▼は下りホーム階段孔、:▼は上りホーム階段孔06月26日撮影、:▼は上りホームエレベータ孔07月01日撮影)

また、ホーム台にはPC板が敷かれてホームの築造が進み、中央部にはエスカレータの取り付け孔が見られます。同4日に見ると、完成した下り側の駅舎棟にはブルーのシートの作業用覆いが被せられ、同12日には上り側の駅舎棟の柱の骨格も組み立てが進んできました。

 大森町高架駅舎棟築造2(:ホームの築造が進む ▼はエスカレータ取付孔07月01日、:作業用覆いが被せられた築造中の駅舎棟07月04日、:上り線側から見た築造中の駅舎棟07月12日)

同14日には、大森町高架駅の南端側からも駅舎棟の築造が開始され、南北の双方から建設が進展して、15日には上り側から見ると駅舎棟の骨組みが伸びて築造が進展しているのがわかります。

 大森町高架駅舎棟築造3(:駅ホーム南端からも駅舎棟の築造が始まる07月14日、:駅南端側からの駅舎棟の築造が北方へと延びる、:上り線側から見た築造中の駅舎棟07月15日)

7月17日には、南北から築造の駅舎棟がドッキングしました。8月8日には、駅舎棟屋根のI型鋼格子骨格にワイヤーによるクロス補強が付けられました。同15日には、北端の駅舎棟の下り側に側面壁の取り付けが開始されました。

 大森町高架駅舎棟築造4(:南北から築造の駅舎棟のドッキング07月17日、:駅舎屋根骨格に補強ワイヤーが付く08月08日、:下り駅舎棟に側面壁の取付けが始まる08月15日)

9月3日に見ると、下り側駅舎棟の壁面にはホーム中央部分まで側面壁が取り付けられているのが見えます。一方の上り側の壁面を同7日に見ると、トップ写真の大森町駅完成予想図ポスターに示されている、丸窓の枠が付けられているのが見られます。なお、駅舎棟築造工事の期間中は、工事用覆いのシートで覆われており、台風の接近時には風抜きのため覆いの一部が外されます。外部での工事ですので、気象の条件にはいろいろと影響を蒙ります。

 大森町高架駅舎棟築造5(:下り駅舎棟に側面壁が付く09月03日、:上り側駅舎壁面に丸窓枠が付く09月07日、:駅舎棟には作業用覆いが被せられる07月28日)

大森町駅東側の商店街通りは京急高架化工事と道路拡幅工事のため、商店の立退き取壊しが行われ大森町駅東口の高架駅舎の東隣が空き地となり、通りから見られる様になりました。9月7日には、下り側駅舎棟屋根のI型鋼格子骨格に波型の屋根取り付け用のフレームが付けられました。10月1日には、下り側駅舎棟に屋根が葺かれました。

 大森町高架駅舎棟築造6(:商店立退き取壊しで大森町東口駅舎棟が外観を見せる09月27日、:駅舎屋根の取付け枠が付く09月07日、:下り側駅舎棟に屋根が付く10月01日)

10月22日に見ると、下り側の駅舎棟に被せられていた工事用の覆いシートの撤去が始まりました。現在、駅舎棟の南・北端部を除き工事シートが撤去されました。これまでの駅舎棟の築造はまだ工事半ばで、これから上り側の駅舎棟の側面壁の取り付けや屋根葺き、階段、エレベータ、エスカレータの設置および駅舎の諸設備の建設などが行われ、これからの工事の方が多く生易しい工事ではないのです。電車を運行しながらの工事は、大変なものであることが取材を続けていて実感しました。

 大森町高架駅舎棟築造7(:駅舎棟作業覆いの取外し開始10月22日、:作業覆いの取外しは駅舎棟南面まで進む、:駅舎棟の築造はまだまだこれからが本番10月30日)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第3回その1)

2009年10月29日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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京急連続立体化工事駅舎編
京急連続立体化工事は、来春の上り線開通を目指して大森町駅、梅屋敷駅、京急蒲田駅、雑色駅および糀谷駅の各高架駅舎の築造が進められています。各高架駅舎の建設は、それぞれの高架駅の運用に従い、高架駅構造が異なる設計が採られています。
第3回では、工事の進捗を追いながら、各駅舎の完成後の姿を想定して見ていきたいと思います。

大森町高架駅
・大森町高架駅舎棟の初お目見得
大森町高架駅の下り線側の中央部の工事覆いの一部が撤去されましたので、駅舎棟壁と屋根が10月22日に初めてその姿を現して、ブルーの帯で大森町駅のカラーを示す駅舎の中央部の一部がお披露目されました。同28日には、さらにその北側壁の一部の覆い幕も除去されましたので、第1京浜国道からも駅舎棟が眺められるようになりました。

 ベールを脱いた大森町高架駅舎(左:工事覆いが外された下り側大森町高架駅舎壁10月21日撮影、右:覆い幕が徐々に外され高架駅舎の築造が進む10月28日撮影)

駅棟壁の姿は、実は台風が接近する都度工事覆いの青色シートの一部を風抜きのため外されるますので、これまでに9月1日に台風11号が本土東方沖の通過時と、10月11日に台風18号が知多半島に上陸し、東海地方、関東甲信地方、東北地方縦断した時には、駅棟壁の一部が外されて工事覆いの除去前にも、覗き見の初見参ができました。

 台風襲来で工事覆いの一部が風抜きのため外される(:台風11号襲来で工事覆いが外される09月01日撮影、:台風18号襲来で工事覆いが外される10月08日撮影)

・高架駅ホームの築造
大森町高架駅の築造は、2008年7月に駅北端部の高架橋柱に、ホーム構築の土台となる突き出し梁が7月2日取り付けられ、高架駅の建設工事が開始されました。同3、5日には上下線の双方の高架橋柱に付けられた突き出し梁間に、ホームの先端部幅を狭めた形状のI型鋼格子組立ての高架駅築造の土台が付けられました。

 大森町高架駅築造1(:ホーム土台となる突き出し梁が付く08年07月02日、:上り先端ホームI型鋼土台07月03日、:下り先端ホームI型鋼土台07月05日)

2009年に入ると高架駅橋中央部では高架橋柱の突き出し梁間にI型鋼梁を付け、I型鋼梁と高架橋の梁間に補強の小型I型鋼を付けて駅築造の土台が完成です。また、高架橋間のPC桁連結橋部(京急高架化工事基本構造図参照)の土台の組み立ては高架橋間に2本のI型鋼梁を架設し、その間に補強の小型I型鋼を取り付けて駅構築の土台となります。土台の底の覆いは、I型鋼梁上に白色の布シートを敷いて塞ぎます。

 大森町高架駅築造2(:高架橋部の駅構築土台02月21日、:連結橋部の土台03月01日、:土台の底はシートで覆う04月09日)

2009年5月には完成した駅構築土台の上に鋼脚柱を建て、その上に I型鋼格子組み立てホーム台を載せて築造し、ホーム台を北端から南方の中央部へと構築して延びていきます。

 大森町高架駅築造3(:I型鋼格子組み立てホーム台が載る05月01日、:ホーム台が南へと延びる05月21日、:駅土台上に建てた鋼脚柱にホーム台が載る05月01日)

・最初の高架駅舎棟築造
6月に入ると完成したホーム台上にはPC板が載せられて、ホーム台の端に高架駅舎棟の柱が建てられました。柱の上にはI型鋼で組まれた屋根の骨組みが付けられ、高架化工事の全区間では最も早い駅舎棟が建てられました。最初の駅舎棟は、高架橋の一面分の建屋ですので、白色のスマートなハウスという感じです。

 大森町高架駅築造4(左・右:全工区最初に築造された駅舎棟06月16日)

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イベント 鉄道の日 第16回鉄道フェスティバル(その2)

2009年10月27日 | イベント
kan-haru blog 2009

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日比谷公園鉄道フェスティバル(続)
第16回鉄道フェスティバル会場(会場案内図参照)を前回は入口から反時計廻りで会場を歩き、丁度半周してにれの木広場と噴水広場の中間まできましたので、今回は残り半分の噴水広場を中心とした出展ブースを見ます。

にれのき広場から噴水広場に向かうと、鉄道と木の文化交流会(案内図⑫)のコーナーがあり、わたらせ渓谷鉄道が「鉄道の旅~鉄道文化財ねぐり」などの資料を出展していました。

 鉄道フェスティバル展示場5(:会場案内板、:鉄道と木の文化交流会コーナー、:NHKにっぽん木造駅舎の旅コーナー)

隣のNHKにっぽん木造駅舎の旅コーナー(案内図⑬)では、今も現役でのこっている全国の木造駅舎を紹介する「にっぽん木造駅舎の旅」の九州・中国編と近畿・四国・北陸編のDVDを紹介していました。

 にっぽん木造駅舎の旅パンフレット

会場を進み噴水公園の角では、日本レストランエアンタープライズのコーナー(案内図⑭)で駅弁を販売していましたが、昼時であらかた売り切れの状態でした。右側のコーナーのグッズステーションtraindoコーナー(案内図⑮)ではグッズを販売しており、隣の日本地下鉄協会コーナー(案内図⑯)では大都市の地下鉄事業者や関係者などで設立した協会の出展で、主として大阪の地下鉄の紹介をしていました。

 鉄道フェスティバル展示場6(:日本レストランエアンタープライズコーナー、:グッズステーションtraindoコーナー、:日本地下鉄協会コーナー)

北隣の鉄道総合研究所のコーナー(案内図⑰)では総合研究所の案内板が備えてあるのみで職員の姿も見えませんでした。次の鉄道建設・運輸施設整備総合研究所コーナー(案内図⑱)では機構の紹介をしていました。隣には抽選用紙記入コーナーがありました。
これで公園の外側の展示コーナーは見終わりましたので、次は噴水の周囲の展示コーナーも同様に反時計まわりですすむと、最初のコーナーはJR西日本(案内図⑲)で交通科学博物館などの紹介を行っており、隣のJR東海コーナー(案内図⑳)ではN700系新幹線でエコ技術を見せていました。

 鉄道フェスティバル展示場7(:鉄道総合研究所コーナー、:鉄道建設・運輸施設整備総合研究所コーナー、:JR東海コーナー)

次のJR貨物コーナー(案内図21)では、キティちゃんのストラップのどのグッズの販売やコンテナ貨物の展示を行っており、隣の大日本印刷コーナー(案内図22)では列車と記念撮影を行っていました。また、東芝コーナー(案内図23)では鉄道クイズラリーをしていました。

 鉄道フェスティバル展示場8(:JR貨物コーナー、:大日本印刷コーナー、:東芝コーナー)

凸版印刷コーナー(案内図24)では、フレーベル館ののりもの絵本の紹介をしており、最後の首都圏新都市鉄道コーナー(案内図25)では、筑波祭の紹介などを行い秋の筑波山の宣伝をしていました。
展示コーナーを全て見終わったので、小音楽堂では丁度海上保安庁音楽隊のコンサートを開いておりましたので木陰のベンチで暫く鑑賞してから、松本楼で昼食をとって帰宅しました。

 鉄道フェスティバル展示場9(:凸版印刷コーナー、:首都圏新都市鉄道コーナー、:海上保安庁音楽隊コンサート)

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イベント 鉄道の日 第16回鉄道フェスティバル(その1)

2009年10月25日 | イベント
kan-haru blog 2009 都営交通グッズ浅草線5300形

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1872年(明治5年)10月4日に新橋と横浜間に鉄道が開通し、鉄道は国の機関産業として発展してきました。これを記念して平成6年からこの日を、「鉄道の日」と定めてJRと民鉄の鉄道事業者と関係者が鉄道の発展を祝い、多彩な行事が行われています。
その行事の一つとして、東京では1995年以降から日比谷公園にて「鉄道フェスティバル」が行われており、今年は第16回のフェスティバルが10月10、11日に行われました。
鉄道マニアではありませんが、若い時から旅行は好きですので鉄道には関心があり、自宅付近の大森町では京急の高架化工事が進められており、そのブログを書くための工事状況の取材で現場を歩き廻っていると親しみが湧いてきます。自然と孫と一緒に京急ファミリフェスタ(「イベント 京急ファインテック久里浜事業所 京急ファミリー鉄道フェスタ2008 その1~4」参照)や鉄道博物館(「イベント 鉄道博物館 交通博物館(須田町)から鉄道博物館(さいたま市)への進化 その1~3」参照)などに足が向き、今年は日比谷公園鉄道フェスティバルに10日に行ってきました。

 鉄道の日ポスター

日比谷公園鉄道フェスティバル
日比谷公園には、京急から三田で都営交通三田線に乗り継いで日比谷公園下車でA10出口を出ると日比谷交差点です。鉄道フェスティバルの会場は、噴水を囲んだ芝生の周辺に展開されていますので、小音楽堂前の鉄道情報ボードから反時計廻りに一巡してみました。

 会場案内図(案内拡大図)

最初のコーナーは、PASMO協議会(案内図②)と交通新聞社(案内図①)の展示で、読鉄で世界を知ると新書など鉄道図書とカレンダーを販売しておりました。

 鉄道フェスティバル展示場1(:小音楽堂前の鉄道情報ボード、:PASMO協議会と交通新聞社展示コーナー、:反時計方向に展示場を廻る)

次のコーナーのスカパー(案内図③)では子どもたちが塗り絵を楽しんでおり、展示コーナー(案内図④)では鉄道のある写真風景や交通総合文化展の入賞作品などが展示されていました。筋向かいの東京都交通局(案内図⑤)ではグッズ販売で混雑していましたが、おみやげに買ってきました(Top写真)。

 鉄道フェスティバル展示場2(:スカパーの展示コーナー、:鉄道フェスティバル展示作品コーナー、:東京都交通局コーナー)

ここから先はJRコーナーが並び、JR九州コーナー(案内図⑥)では100年レイル肥摩線の旅を、JR四国コーナー(案内図⑦)では南風アンパンマン列車で四国の旅を、JR北海道(案内図⑧)が三連休おでかけパスの案内を展示していました。中央の芝生が切れて左に曲がると、中央にJR東日本コーナー(案内図⑨)があり、新型成田エクスプレス「E259系」の10月1日運転と大人の休日倶楽部の紹介をしていました。
JR東日本の対面のコーナーは、鉄道フェスティバルの呼び物の日本民営鉄道協会(案内図⑩)の民鉄各社のグッズ販売のコーナーで、にれのき広場の幅一杯に各社コーナーが展開しています。

 鉄道フェスティバル展示場3(:JR東日本コーナー、:フェスティバルで超人気の日本民営鉄道協会コーナー、:みんてつ館) 

全国有数の民鉄各社のグッズコーナーは、どの社にも多数の購入者が行列して買い求めていました。特に人気の高い民鉄の販売コーナーでは長蛇の列です。購入にはどれだけの時間がかかるのでしょう。

 鉄道フェスティバル展示場4(グッズ販売コーナーは長蛇の列)

民鉄のグッズコーナーの裏側のにれのき広場では、きかんしゃトーマスミニSL乗車会(案内図⑪)が行われており、パパやママに連れられて一緒に来た幼児にとってはあこがれの乗り物です。親と一緒に乗った子どもの満足そうな顔は何時の時代でも同じみの光景です。

 きかんしゃトーマスミニSL乗車会(ミニSLに乗って満足そうな親子の風景)

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イベント こどもの城 第13回図工だいすき子ども美術展

2009年10月23日 | イベント
kan-haru blog 2009

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今年のこどもの城で開催の第13回「図工だいすき子ども美術展」では、孫が通っているお茶の水小学校の児童作品が展示されているというので、10月5日に見てきました。
美術展は、こどもの城のアトリウムギャラリーで9月15日から10月12日までNPO芸術活動推進委員会(CCAA)と(財)児童育成協会こどもの城造成形事業部の共催により、都内24校の小学校が参加して児童の図画、工作の作品の約400点が展示されました。

 図工だいすき子ども美術展ポスター

図工だいすき子ども美術展の経緯
図工だいすき子ども美術展の第1回開催は、1998年12月に六本木のストライブハウス美術館で館長塚原 操氏の好意により始まりました。美術展の趣旨は当時、図画工作・美術教育の授業時間が削減されるのではという教育状況から、「東京児童幼画堂」メンバーの図工専科教師たちが美術教育授業を充実させるために、図工教育を受けた児童たちの作品を展示して、子どもたちの表現を伝えることが大切であるとの趣旨で実現したものです。

2000年にストライブハウス美術館が閉館となり、そのため児童育成協会こどもの城の造形スタジオ課長の岩崎 清氏から救いの手を受け、2001年9月からの「秋展」の第5回「図工だいすき子ども美術展」が造形スタジオと共催して子どもの城で開催されました。それ以来、2008年までに8回にわたり第12回美術展を開催しました。この間、2007年には「東京児童幼画堂」を発展解消し、NPO芸術活動推進委員会(CCAA)が成立して、第12回美術展からはCCAAの主催となりました。
また、秋展とは別に2008年からNCAAの活動拠点の四谷ひろばアートプラザで新たに第1回「冬展」を開催して、中堅の図工教育のリーダーの活躍の場とし、「秋展」開催中には若手教師育成に向けた講座やワークショップを提供して活動しています。(「図工だいすき子ども美術展2009 13th」から抜粋)

 こどもの城地図

こどもの城
こどもの城(渋谷区神宮前5-53-1)は、国際児童年を記念して当時の厚生省が構想して都電の元青山車庫跡に建設した大型児童育成施設で、(財)児童育成協会が運営しており、館内には2劇場(青山劇場、青山円形劇場)とホテルがあり、正面のシンボルモニュメントの「こどもの樹」は岡本太郎の作です。

 こどもの城(:こどもの城シンボルモニュメントの「こどもの樹」、:青山劇場、:案内板)

作品展示場
図工だいすき子ども美術展の展示場は、こどもの城の円筒形のアトリウムの入り口を入ると突き当たり右側こどものあそび場への受付カウンターがあり、その左側にギャラリーに入るゲートがあってエントランスホールの2階周囲に周回型の回廊が設けられており、そこが美術展の作品展示場です。

 美術展作品展示のこどもの城ギャラリー(:図工だいすき子ども美術展ギャラリー入口、:エントランスの2階周回回廊がギャラリー、:ギャラリー周回を殆ど取り巻いてるが一巡はしてない)

ゲートを潜り階段を昇るとギャラリーの壁側には図画の作品展示があり、内側周囲には工作作品の展示が見られます。ホール中央の天井にはお茶の水小学校4年生の共同作品の「心のネットワーク、チョップスティックコミュニケーション」が目立って人目に付き入場者の関心を呼びます。今年は、お茶の水小学校では「図工だいすき子ども美術展」に力を入れての活動(お茶の水小学校ホームページ参照)を行っているのが伝わります。

 美術展展示作品1(:階段を上がるとギャラリーの壁側には図画の作品が展示、:ホール天井にはお茶小4年の共同制作品が目を引く、:お茶小4年生共同作品の説明板)

会場を進むと同小3年生のガムガムモンスターの作品展示があり、作品はガムテープを固めて造ったモンスターと宝物が隠されている地図を表現したものであると同校のホームページに記載されています。会場を進むと5年生の工作作品のビー玉コースターの3作品が展示されており、作品の制作中は図工室がゲームセンター化した様子がホームページ図工の部屋で紹介されています。コースターの名前もそれぞれ「ふわふわ雲コースター」、「くるくるレインボーコースター」、「スリルマウンテン!!」付けてイメージした作品を表現しています。作品の前で孫がコースターの機能を得意げに説明してくれました。

 美術展展示作品2(:お茶小3年生の作品展示、:お茶小5年生の作品展示)

お茶小2年生の工作の作品は、牛乳パックをドロドロにして紙漉きをしてかわいいオブジェを造り展示してありました。29校の参加校の出展の工作それぞれ個性豊かな表現でのびのびと造り上げています。数が多くて紹介しきれないので2校の作品を代表で示しました。

 美術展展示作品3(:お茶小2年生の作品展示、:他校の作品展示)

お茶の水小6年の図画の作品は、学校の屋上から眺めてじっくりと見て画いたもので、実際には存在しない別次元の建物が出来上がり、豊かな個性が表現されています。なお、写真中に写っている中央下段の画はお茶の水小の児童の作品です。

 美術展展示作品4(:お茶小6年生の図画作品、:図画の作品展示)

美術展には、海外からの展示もありミュンヘン日本人国際学校の図画作品が展示されていました。また、会場のギャラリーは、こどもの城造形スタジオこどもクリエイティブクラブの造形事業の活動の場であり、一般来館児童に「くむ」「つつむ」「きる」のどのテーマのメニューを設定して、インストラクターの実演後に用意された材料・用具を使用して制作活動を行っています。
ひと通りの見学を終え、展示作品の表現の豊かさに感心して、我々の子ども時代の図工教育とは全く異なる夢のような世界に浸ってから、家族一緒に食事をとってから帰宅しました。

 美術展展示作品5(:図画展示コーナー、:ミュンヘン日本人国際学校展示コーナー、:こどもの城造形スタジオこどもクリエイティブクラブ活動)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第2回その3)

2009年10月21日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 高欄が付いて完成の第1京浜国道架道橋

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架道橋(続)
前回に続き今回は、道路を跨ぐ架道橋架設を第1京浜国道架道橋と環8通り架道橋の2鉄道橋で見ます。
・第1京浜国道架道橋
第1京浜国道架道橋(地図⑤)は、京急蒲田駅に並行して南北に走る第1京浜国道上に架設された空港支線の弓形形状の3階架道橋です。第1京浜国道は中央区日本橋を起点とし、品川から京急電鉄に並行して走り神奈川駅東の青木通り交差点が終点の国道15号で、1934年(昭和9年)に第2京浜国道が開通するまでは国道1号の東海道としてはばを利かせていましたが、交通量増大でバトンタッチした後も主要国道です。

第1京浜国道架道橋の架設は、線路と国道が接近して並んでいるため、京急蒲田駅から空港線が急カーブして国道を渡る構造の架橋で、京急蒲田空第1踏切の国道西側歩道上の南と北に橋台の2本の巨大な鋼管円筒柱が建立されております。その北側の第1橋台柱上には、3月17日に京急蒲田高架駅橋との間に桁梁が架設され、その上に3階下り線用の橋台が建てられまし(第19回その1)。また、国道の東側には架道橋架設用の2、3階構造の橋台が、2008年2月から建てられていました。

 第1京浜国道架道橋架設1(左:架道橋架設準備の超大型クレーンと国道東側の橋台0602撮影、右:京急蒲田駅空港線ホーム傍の架道橋第1橋台0317撮影)

3月21日には踏切南側の丸型鋼管の第2橋台柱の上に橋台梁桁が載り、3階下り線用の橋台(第19回その1)が建てられ、その橋台と京急蒲田高架駅橋間に鋼床板箱桁の架道橋の架設工事が行われ5月1日には終わり、次いで3階下り線架道橋の架設工事に入り6月1日には架設(第21回その1)が完了しました。

 第1京浜国道架道橋架設2(左:京急蒲田駅空港線ホーム傍の架道橋第2橋台0321撮影、右:第1、2橋台間に上り・下り架道橋の架設0601撮影)

6月1日に第1京浜国道架道橋の架設用の超大型クレーンが空港線脇のヤードに搬入され、予定通りの6月7日に2階上り線鋼床板箱型弓形状の架道橋が架設(第21回その2)されました。

 第1京浜国道架道橋架設3(左・右:2階上り線第1京浜国道架道橋の架設0607撮影)

3階下り線の箱型桁架道橋の架設も予定通り6月9日に国道を交通止めにして架設(第21回その3)が完了しました。

 第1京浜国道架道橋架設4(左・右:3階下り線第1京浜国道架道橋の架設0609撮影)

架設が終了した箱型桁の架道橋は、2階上り線架道橋から仕上げの工事に入り8月6日には高欄が付いて完了(第23回その1)し、3階下り線架道橋も8月27日には高欄が付いて完成(第24回その1)しました。

 第1京浜国道架道橋架設5(左:2階上り線第1京浜国道架道橋に高欄が付いて完成0806撮影、右:3階下り線第1京浜国道架道橋に高欄が付いて完成0827撮影)

・環8通り架道橋
通称環8通りは、東京都道311号環状8線の主要道路で、東京都大田区羽田空港から空港線に沿って第1京浜国道と交差して、世田谷区、杉並区などを経由して北区に至る都道です。

環8通り架道橋(地図④)は、昨年5月に交通渋滞の解消のため仮上り線高架橋(第9回その2)を架設してありますので、それに並べて在来下り線の上に架設されます。1月16日に環8通り架道橋の架設のため、京急蒲田第5踏切の環8通り中央分離帯に架橋受け台(第17回その2)が設けられました。

 環8通り架道橋架設1(左:交通渋滞の緩和のため上り仮線を敷設し環8通りに架設の架道橋0113撮影、右:環8通りに高架化の架道橋架設工事用のため受け台を設置0116撮影)

1月24日に2階上り線の架道橋の左半分が架設され、同29日には残る右半分が架設され、左半分には工事柵が付けられて仕上げ工事(第18回その2)が行われました。

 環8通り架道橋架設2(左:環8通り上に2階上り線の架道橋が半分架設される0124撮影、右:架道橋の残り半分も架設され仕上げ工事が開始0129 撮影)

2月25日には3階下り線の架道橋の架設工事が開始され2階上り線架道橋は仕上げ工事が行われ、3月27日には3階下り線架道橋の架設が済み仕上げ工事に入り2階架道橋の左半分の仕上げ工事は終了して工事柵(第19回その2)が外されました。

 環8通り架道橋架設3(左:3階下り線の架道橋の架設の工事着工0225撮影、右:2階上り線架道橋の仕上げ工事が終わり3階下り線の仕上げ工事開始0327撮影)

4月15日には仕上げ工事が行われていた2、3階の上下線架道橋が(第20回その2)スマートなツートンカラーの橋桁を見せました。現在は、架道橋に高欄が付いて涼しげな3色の色合いの良い鉄道橋が完成しました。

 環8通り架道橋架設4(左:2、3階の架道橋の仕上げ工事終了0415撮影、右:2、3階の架道橋に高欄が付いて完成の環8架道橋1011撮影)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第2回その2)

2009年10月19日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 多摩堤通り架道橋上に築造の駅舎棟屋根骨組み

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架道橋
京浜急行連続高架橋で広い道路に架かる架道橋は、京急蒲田駅周辺に4橋が架設されています。
・多摩堤通り架道橋
多摩堤通り架道橋(地図①)は、第1京浜国道から東京都調布市に至る都道11号大田調布線の地方道(通称多摩堤通り)の上に架設工事が進行中の鉄道橋で、橋上では現在京急蒲田高架駅の駅舎棟が築造工事中です。
多摩堤通り架道橋の架設の開始は、2008年12月4日に京急蒲田高架駅橋の2階東側に上り単線線路の箱型桁鉄橋架設(第16回その1)が行われました。

 多摩堤通り2階上り架道橋架設1(左・右:1本目の東側2階上り線路鉄橋架設081211撮影)

次いで西側に2本目の上り単線線路の箱型桁架道橋が今年1月13日(第17回その1)に架設され、上りホームの架道橋が2月4日(第18回その1)に見ると架設されていました。

 多摩堤通り2階上り架道橋架設2(左:2本目の西側[左]2階上り線路鉄橋架設0113撮影、右:2階上りホーム架道橋[中央]架設0204撮影)

3階の架道橋架設工事は、4月26日に3階下り線用の側壁取り付橋が東側に架設(第20回その1)され、5月24日には3階2本目の下りホーム架道橋(第21回その1)の架設が見られ、6月27日には3階3本目の側壁取り付け架道橋(第22回その1)が西側に架設されました。

 多摩堤通り3階下り架道橋架設1(左:3階東側側壁橋[奥]と下りホーム架道橋[手前]の架設0527撮影、右:3階側西側壁橋[奥]の架設0629撮影)

8月2日には、下り単線線路の架道橋(第23回その1)が架設され、10月12日に見ると架道橋には工事用覆いが架けられ駅舎棟築造の骨格柱が4本建てられていました。

 多摩堤通りの駅舎架道橋の築造1(左:下り線線路の架道橋架設0806撮影、右:多摩堤通り架道橋上に駅舎棟築造が始まる1012撮影)

同14日に見ると骨格柱の両側の2脚柱間の上に屋根梁が付けられ、17日には中間の脚柱間にも屋根梁が付き、工事用覆いが被せられました。

 多摩堤通りの駅舎架道橋の築造2(左:架道橋上の駅舎棟骨格柱間2か所に屋根梁が付く1014撮影、右:駅舎塔骨格柱間が屋根梁で結ばれる1017撮影)

・旧多摩堤通り架道橋
通称の旧多摩堤通りは区道13号線で、第1京浜国道から蒲田5丁目で多摩堤通りと結ぶ主要区道で京急蒲田駅ホームから南側に接しています。
旧多摩堤通り架道橋(地図③)の架設を見た4月11日には、2階上り線の架橋は高架橋西側にPC桁橋が4本と3階下り線には2本のPC桁橋(第20回その2)が架かっており、5月2日には2階上り架道橋にPC桁7本を架設して完了し、3階下り架道橋もPC桁の架設が4本となりました。

 旧多摩堤架道橋架設1(左:2階上り架道橋PC桁4本と3階下りPC桁2本架設0411撮影、右:2階架道橋架設完了し3階架道橋PC桁4本架設0502撮影)

5月21日には3階も架設(第21回その2)が終了し、6月7日には2階部の架道橋は工事進展ために橋底面の囲いと、側面には工事外壁塀が付けられ仕上げ工事が行われました。また、同27日には3階部の架道橋にも工事用外壁塀(第22回その2)が付けられ仕上げ工事に入りました。

 旧多摩堤架道橋架設2(左:3階下り架道橋架設の完了0521撮影、右:2階部架道橋工事囲いを付けて仕上げ工事に入る0601撮影)

多摩堤通り2階上り架道橋の仕上げ工事が7月17日に終了して高欄(第23回その1)が付けられ、8月1日には3階下り架道橋も工事が終わり高欄が付けられました。

 旧多摩堤架道橋架設3(左:2階上り架道橋の工事終了で高欄が付く0717撮影、右:3階下り架道橋の工事終了で高欄が付く0801撮影)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第2回その1)

2009年10月17日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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京急連続立体化工事基本構成
京急連続立体化工事のこれまでの進捗状況は、全工区統合編の第1回に記述の様に来春の上り線の高架化開通を目指して、2階高架橋の築造が平和島第5踏切から雑色第4踏切間が完了し、その両端の平和島ガード付近までと六郷土手ガード付近までは上り仮線高架橋が架設されました。
一方の下り線高架化の進捗は、上り線と並行した2階複線高架橋が平和島第5踏切から梅屋敷第1踏切間と、京急蒲田第9踏切から雑色第4踏切間および、空港支線の京急蒲田(空)第3踏切付近から同第4踏切間の高架橋が完了しています。それと京急蒲田駅の3階下り線高架駅に結ぶ2階から3階への高架橋が、本線では梅屋敷第1踏切から京急蒲田第6踏切間と、空港支線の蒲田高架駅から京急蒲田(空)第3踏切付近までが完了しています。

高架橋の基本構造
連続立体高架橋の基本構成は、高架橋部がラーメン構造高架橋と、高架橋間を連結するPC桁橋の連結橋と踏切道路を跨ぐガードの他、河川や国道などを渡る橋梁などから構成される連続形体の鉄道橋です。この他鉄道高架化には、高架駅舎や鉄道線路、電力・信号などの施設を要します。

 京急高架化工事基本構造図

全工区統合編の第2回では、京急連続立体高架化工事に係る鉄道橋の中から、国道などの道幅の広い道路を渡る4橋の架道橋、河川を渡る1橋の橋梁と線路を跨ぐ1橋の線路橋などの架設工事を追っていきます。

 京急高架化鉄道橋の架道橋、橋梁および線路橋の架設地図

橋梁
京急連続高架橋で河川に架かる橋梁は2橋あり、1橋は京急蒲田駅ホーム下を世田谷区の水源から東に向かって流れる二級河川の呑川橋梁と、大森町の中央を流れる二級水系の内川橋梁があります。
・呑川橋梁
呑川橋梁(地図②)は京急蒲田高架駅の真下にあり、高架下の呑川橋梁は3階建ての駅舎を含めた橋梁で、現在3階橋桁の架設工事中の段階です。
呑川橋梁の架設が最初に見られたのは2008年12月4日で、京急蒲田高架駅橋の東側の現行上り線線路の上に、箱型桁の2階上り線路1本用の橋梁が架設(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第16回その1)」参照)されました。次いで今年の2月14日に入り、京急蒲田高架駅橋の西側に2本目の上り線用橋梁が架設(第18回その1)されて、2階ホーム部の橋梁も架設されました。

 呑川橋梁2階部の架設(左:2階上り単線用箱桁橋梁が現行上り線路上に架設081204撮影、右:2本目の上り線橋梁が高架駅橋西側に架設090214撮影)

3階下り単線用の橋梁が8月21日に高架駅橋の東側に架設(第24回その1)され、9月3日には2本目の下り単線用の箱型橋梁桁が作業台の上に置かれていました。

 呑川橋梁3階部の架設1(左:3階下り単線用橋梁が高架駅橋東側に架設081204撮影、右:2本目の下り単線用箱型橋梁が作業台に置かれて架設を待つ090214撮影)

10月2日に見ると2本目の下り単線用の橋梁が高架駅橋の西側に架設が完了しており、東側の橋梁には補強の柱が建てられていました。同17日には、3階ホーム用の箱型橋梁が架設工事で東側下り橋梁の上部に運ばれているのが見られ、呑川3階建橋梁の工事が進行しています。この呑川橋梁は高架駅舎ですので、今後橋の上には駅舎棟の壁と屋根の骨組が築造されます。

 呑川橋梁の架設工事は進行中(左:高架橋西側から見た2本目の下り単線橋梁架設1002撮影、右:架設のため下り線橋梁上に移動した3階ホーム箱型橋梁1017撮影)

・糀谷線路橋
空港線支線の高架化の構築には高架上り線の仮運用を行うために、糀谷高架駅橋を仮構築して、下り線を在来線の位置から北側に大幅に移設して建設を進めています。そのため、地上の下り線線路を高架橋の複線幅から外部に曲がって出る必要があり、高架橋は仮設線路を跨ぐため、京急蒲田(空)第4踏切付近に線路橋(地図⑥)を架設しました。

 高架化工事のため複線幅の外に出た在来下り線路(左:京急蒲田(空)第4踏切から在来上り線路を見る、右:同在来下り線路を見る1014撮影)

長大な線路橋の架設は、京急蒲田(空)第3踏切の南方の高架橋上に橋桁の部品を運んで、線路橋桁を組み立て、先ずはその線路橋桁を高架橋上の上で吊上げを東方に移動して架設位置まで運びます(第13回その3)。

 線路橋の架設1(左:線路橋を高架橋上で組み立てる0310撮影、右:線路橋架設場所まで運ぶ0321撮影)

線路橋を架設位置まで移動したら、高架橋の橋台に降ろして架設の完了(第20回その3)です。

 線路橋の架設2(左・右:線路橋架設位置で高架橋の橋台に設置0502撮影)

線路橋の仕上げ工事は、橋の細部を組み上げて高欄を付けて完了です。

 線路橋の架設3(左・右:高欄が付いて完成の線路橋1014撮影)

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イベント 横浜・開国博Y150 これまで見た博覧会と比較して見る(その3)

2009年10月15日 | イベント
kan-haru blog 2009

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横浜・開国博Y150
横浜・博覧会の正式名称は「開国・開発Y150」で、愛称が「開国博Y150」と呼ばれ、開催は横浜開港150周年を記念し財団法人横浜開港150周年協会の主催で、2009年4月28日から9月27日までの期間で、テーマには「出航」を掲げてベイサイトエリア、ヒルサイトエリアとマザーポートエリア(無料)の3つのゾーンで開催されました。
開催の来場者は、不況や新型インフルエンザなどに見舞われて出足が鈍い中の開催なので、これまで見た他の博覧会との違いを比べるため、閉会間際のシルバーウイークの9月21日にベイサイトエリアに行って来ました。

 横浜博Y150ベイサイドエリア会場地図

博覧会の見学は連休最中のことであり、いままでの他の博覧会の混雑の体験から、見学時間を意識してベイサイトエリアの一部に限定して先ずは赤レンガ会場に直通し、見学にかかる時間を計りながら会場を見て廻る予定でいました。

 博覧会チケットホルダー

会場のベイサイトエリアの赤レンガ会場には、京浜急行横浜駅で乗り換えてJR桜木町駅から、それほどの待ちもなく市営の路線バスが来たので赤レンガ倉庫まで行きましたが、連休中ため道路混雑で通常の倍以上の時間がかかりました。赤レンガ倉庫行きの周遊バスもありましたが、先に来た車に乗ったのが失敗でしたが後の祭りです。それにしても、博覧会に行く人数も少なく、そのため会場間の直結のアクセス交通のサービスもありませんでした。

 横浜博ベイサイトチケット

Y150トゥモローパーク会場
バスの終点の赤レンガ倉庫を降りると目の前は、Y150トゥモローパーク(新港地7街区 地図②)で、車から降りた観客が吸い込まれている入口から入場しますと、トゥモローパークステージではジャズの演奏をしていました。会場の未来シアター「BATON」では、岩井俊二脚本、北村龍平監督のSFファンタジーアニメーションを1時間に2回上映しており、丁度前の回の上映が開始された直後で、次の回の入場者の列がまだ少なかったので後尾に並びました。次の上映まで30分も待たないで見られることで、これまでの博覧会見学ではあり得ませんでした。それでも、上映開始時までにはほぼ1回入場分の観客が並びましたが、大型連休でこの状態です。
上映のアニメーションは第1章から第3章に分けた物語を、博覧会の開催期間を3回に分割して上映する方式で、今回は第3章の上映で初めての人には物語の途中からなので判りませんので空いていたのです。また、3回とも全て見に来た人はかなり少ないのではと思われます。
なお、この会場には、アースバルーン「HOME」があり、直径約20mのバルーンの球面に地球環境をテーマにしたCG映像を、夜間には4回の上映(5分間)がされますが、昼間には真っ白いアドバルーンが見られるだけで、興味なしです。昼間の映写は望みませんが、なにかの飾り付け位はあってもよいのではと思いました。

 Y150トゥモローパーク会場での見るものはこれだけ(左:BATON会場、中:トゥモローパークステージでのジャズ演奏、右:昼間は所在のないアースバルーン) 

赤レンガ会場
赤レンガ会場(地図④)は入場無料で大変混雑しており、開国・開港の街で国際交流をテーマに開設した展示・物販・飲食の展開の他、博覧会のマスコット商品の販売などが行われていました。
赤レンガ倉庫は初めて行きましたので、倉庫内を見学した後にレストランで行列待ちして遅い昼食を採りました。

 赤レンガ倉庫会場風景(左:赤レンガ倉庫、中:赤レンガ内ショッピング店、右:赤レンガ倉庫から見た博覧会会場)

NISSAN Y150ドリームフロント & スーパーハイビジョンシアター会場
午後はNISSAN Y150ドリームフロント & スーパーハイビジョンシアター(新港ふ頭 地図③)でのNHKが開発の立体音響による映像(9分30秒映写)を見たいと思い、スーパーハイビジョンシアターのある会場前に行くと大勢の行列が見え、待ち時間90分とありましたので諦めて、横浜博の売り物の巨大クモを見ようとY150はじまりの森会場へと向かいました。

Y150はじまりの森会場
Y150はじまりも森(新港地区8街区 地図①)会場では、「横浜ものがたり」パビリオンがあり黒船来航の開国・開港時代の展示や横浜150年の歴史の映像やセットの展示などををさっと見て、次に「ENEOS未来のエネルギー館」のエネルギー資源と地球環境に関しての新日本石油の取組みの展示も軽く見ました。

 横浜ものがたりパビリオン(左:横浜ものがたりパビリオン入口、中・右:横浜物語展示会場)

最後の見物は、会場の奥で展開する高さ12mの巨大クモを、フランス・ナントの「ラ・マシン」アート劇団によるメインイベント(1日5回公開)を期待を持っての見学です。

 巨大クモのイベント1(:巨大クモのマシン、:フランス・ナントの「ラ・マシン」アート劇団メンバー)

クモから吐き出す多量の水の噴霧を、観客に浴びせかけての演技は過去に無かったショーで、横浜博での唯一の見ものでした。

 水の噴霧を見物人に浴びせかける巨大クモ(写真拡大)

横浜・開国博Y150の開催が済んで公表された入場者数は、目標の有料入場者500万人に対して、123万9325人で、無料会場を含めると716万6300人でした。この数は目標の4分の1以下であり、これまで見た過去の博覧会と比較すると、参加パビリオンが少なくテーマの掲げた「出航」に結び付く印象のものが殆ど見当たらず、博覧会で残ったのものがイベントの巨大クモだけでは何か寂しい感じでした。

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イベント 横浜・開国博Y150 これまで見た博覧会と比較して見る(その2)

2009年10月13日 | イベント
kan-haru blog 2009 浜名湖花博

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首都圏での宇宙科学博覧会
1970年の万国博が開催されてから、首都圏での地方博が1978年に東京埋め立て地の有明13号地で「宇宙科学博覧会」(宇宙博 SPACE EXPO’78&’79)が宇宙博覧会協会の主催、財団法人日本船舶振興会(日本財団)の特別援助で開催され、会期は第1期が「宇宙-人類の夢と希望」をテーマにして1978年(昭和53年)7月16日から翌年の1月15日間と、第2期は国際児童年に当り「宇宙-人類の夢と希望、わが子への愛を世界のどの子にも」をテーマにして同年3月24日から9月2日まで行われました。
戦後初めて東京で開かれた博覧会であるので、父と子、孫の3代で揃って見に行きましたが、出かけたのは何時の時期かは記憶に残っていません。アポロ宇宙船やロケットの展示を見て、宇宙時代への進展(「ITと技術 筑波宇宙センターとサイエンス・スクエアつくば見学 その1」参照)に関心を持ちました。

 宇宙科学博覧会が開かれた埋立13号付近の1979年の航空写真(国交省オルソ化空中写真システムを活用)

博覧会のパビリオン(宇宙科学博覧会Wikipedia参照)は、日本館、アメリカ館、アポロ劇場、宇宙博ホールの4館と船の科学館(イベント 船に関する知識の宝庫 「船の科学館」参照)3階展示ホールの展示場に、ロケット広場にサターンIB、レッドストーン、アトラスなどのロケットが展示されました。また、日本万国博覧会で人気のあった月の石や月面活動の道具などが展示され、画面の展示はアポロ館で360度のパノラマスクリーンでアポロ月面着陸の再現画面と、宇宙博ホールで高さ23m、幅30mのスクリーンに「人は大空へ」の映画が表示されました。
博覧会の入場者数は第1期が550万人、第2期が570万人(日本財団公表)で、予想をはるかに上回りました。

 宇宙科学博覧会(日本財団出典)

国際科学技術博覧会
国際科学技術博覧会(つくばEXPO’85)は、茨城県のつくば市で1985年(昭和60年)3月17日から9月16日までの期間開催された国際博覧会です。博覧会の組織は、皇太子明仁親王(今上天皇)を名誉総裁に、土光敏夫会長の組織で財団法人国際科学技術博覧会協会が主催し、「人間・居住・環境と科学技術」を統一テーマとして開催されました。
博覧会の会場(国際科学技術博覧会Wikipedia参照)は、つくば市御幸が丘のメイン会場と同吾妻のサブ会場の102ヘクタールに展開し、メインの第1会場はAブロックからGブロックに区分けして国内パビリオンは28館と、その他外国館や関連機関のパビリオンや広場・遊園地などの52の展示場が造られました。

 つくばEXPO’85の見学1985年6月

会場へのアクセスとして、国鉄常磐線の牛久駅と荒川沖駅間に臨時の万博中央駅が設置されましたが、13年後の1998年にひたち野うつくし駅が開設されました。また、HSST方式のリニアモーターカーのデモ運行が行われました。
博覧会の総入場者数は、2033万4727名を記録しました。博覧会には個人で出かけ、そのひとつは開催前の3月に所属する団体で、開催準備中の万博会場を見学しました。

 つくばEXPO’85の施設見学1985年3月

横浜博覧会
横浜博覧会YES’89は、横浜みなとみらい21地区(69ヘクタール)で1989年に横浜市制100周年と開港100周年を記念し、横浜博覧会協会の主催でテーマを「宇宙と子供たち」(21世紀の展望)と掲げて、1989年3月25日から10月1日間にわたり開催され、総入場数は1,333万人でした。

 みなとみらい地図

博覧会場へのアクセスは、桜木町駅からは動く歩道で桜木町ゲートまで約3分で着き、山下公園から1911年に開通の貨物線を利用して桜木町ゲートに近い日本丸駅まで気道車が運転されました。また、横浜そごうからゴンドラが運行してゴンドラゲートまで往復していました。その他、各地からのシーバスやシャトルバスが運行されていました。さらに、HSSTが日本初の磁気浮上式鉄道の営業運転や、羽田空港からヘリコプターの定期便就航など各種の交通手段が動員されました。
博覧会のパビリオン(横浜博覧会Wikipedia参照)は、YES’89宇宙館(横浜博覧会協会)、横浜館(横浜市)など30館を数えます。
横浜博覧会には、九州からお客さんが来て案内して、現在の観覧車のある付近を歩いたとの微かな記憶があるのですが、横浜博に関しては写真などが見当たらずそれ以上は想いだせません。

浜名湖花博
浜名湖花博は、浜名湖ガーデンパーク(現浜松市西区村櫛町)の約56ヘクタールの会場で秋篠宮文仁親王が総裁を務められ、日本花博の3回目で次項の日本国際博覧会の宣伝の役割も持って、2004年4月8日から10月11日まで開催して約544万人が来場して成功をおさめました。

 浜名湖花博会場地図

博覧会の会場(浜名湖花博Wikipedia参照)は3つのゾーンがあり、1つは「花の街」でワールドガーデンコンベディション、KANSAI SUPER GARDENNなどの11の庭園やパピリオンがあり、2つ目は「水の園」できらめきタワーや水辺の劇場などの展示場があり、3つ目は「緑の里」で昭和天皇自然館や花の美術館などの7展示館があります。
花博の見学は、5月23日に行きましたが、新幹線に乗っている間じゅう雨が降り続いていましたが、浜圧駅からのシャトルバスで会場につくと雨は殆ど止んで何とか博覧会会場内を歩いて廻りました。印象に残った展示は、フランス・ジヴェルーにあるクロード・モネの家と庭園の再現が花博にマッチしていました。

 浜名湖花博会場

日本国際博覧会
日本国際博覧会は、略称は「愛知万博」、愛称が「愛・地球博」の国内2回目の国際博覧会です。会場は、愛知県愛知郡長久手町の長久手会場(約173ヘクタール 愛・地球博記念公園地図参照)と瀬戸市の瀬戸会場(約15ヘクタール)の2会場で財団法人2005年日本国際博覧会協会の主催で、テーマは「人と自然が如何に共存していくか」を掲げて開催されました。入場者は、2,204万9,544人で目標の1,500万人を大きく上回りました。
愛・地球博への参加国は日本を含めて121カ国、4つの国際機関には国連本部と国連関係機関33が参加しました。
日本国際博覧会には、孫夫婦と2家族で6月15日に新幹線で日帰りの見学をしてきました。当然のことながら、日本万国博覧会と同様に人気パビリオンには待ち時間が2時間を越えるのがざらでそこは避け、121カ国も参加していますので比較的空いているパビリオンに入り、いろいろな国の人と展示品に触れてきました。

 日本国際博覧会パビリオン

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イベント 横浜・開国博Y150 これまで見た博覧会と比較して見る(その1)

2009年10月11日 | イベント
kan-haru blog 2009

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東京の隣りの横浜で開催が行われた開国博Y150に、閉幕直前のシルバーウイークの9月21日に見てきました。
博覧会の出会いは、大戦後の間もない1949年(昭和24年)の地域・社会の復興活性化のひとつとして、神奈川会場と野毛山会場の二ヶ所の会場で3月15日から6月15日まで開催した日本貿易博覧会を、高校一年の時に学校から集団で見学したのが始めての博覧会との出会いです。
横浜での博覧会は、その後現在のみなとみらい21地区で1989年(平成1年)3月25日から10月1日まで開催したYES’89横浜博覧会とともに、今回で横浜博覧会は3度目の見学になります。

60年前の初めての博覧会見学の想い出
初めての博覧会見学は、日本貿易博覧会であり丁度60年前のことですので、記憶は薄れており博覧会の印象はあまり残っておりませんが、戦後4年目の復興期で戦争中は殆ど民生品の生産は出来ない時代から、平和に向かい日本は工業品を輸出して復興を目指す時代でしたので、現在のそれとは全く異なる博覧会で日本の企業がこれぞと各種の民生品を生産して、その製品を展示するのが主体で、貿易博覧会(当時の絵はがき)と銘打ったものでした。
当時の各種の製品は、種類は数多く生産されるようになり安価でしたが品質は良くなく輸出先では不人気でしたが、今日では高機能・高品質の製品で世界の目を引くように変わりましたが、さらに時代は進み後進国に追いあげられるようになりました。
博覧会の見学は、当時は工業系の学生でしたので沢山の種類の製品には、関心があり特に、『高柳式テレビジョン 』などの一般公開展示品には大変と興味があり感激した記憶が想いおこされます。
博覧会後の神奈川会場は現在反町公園として利用されており、会場近くの東急電鉄東横線線の東白楽駅と反町駅間にあった戦災で廃止されていた、新太田町駅が博覧会のため1945年3月から6月まで「博覧会場前」として一時復活しましたが、2004年の東横線地下化工事により現在は消滅しました。学校からの第2会場の団体見学は、京浜急行電鉄の「神奈川駅」を下車して、現在の第2京浜国道から会場まで行きました。

 貿易博覧会第2会場の現在の反町公園地図

博覧会第1会場の野毛山会場は関東震災で大きな被害を受け、日本庭園、西洋庭園、折衷庭園の3様式を持った公園を建設して1926年(大正15年)に一般公開しましたが、戦後は1947年まで米軍に接収され、その後の接収解除で博覧会が開催されました。博覧会後は、日本庭園の部分が動物園になり、様式庭園部分に児童遊園が造られ、「野毛山遊園地」として開園しました。

 貿易博覧会第1会場の野毛山公園地図

日本初の万国博覧会 EXPO’70
今から39年前の1970年の安保闘争の年に、大阪府吹田市千里丘陵で日本初の国際博覧会(約350ヘクタール)が3月14日から9月13日間に、財団法人日本万国博覧会(公式サイト)の主催で開催され、77カ国4國祭機関が参加して、太陽の塔をテーマ館とし、テーマは「人類と歩調」を掲げ、参加展示館は国際館が57、企業館他が30、その他8の展示が行われ、話題の展示品はアメリカ館のアポロ計画で持ち帰った月の石が人気を博しました。会場跡地は、現在万博記念公園として残されています。


博覧会の総入場者数は6,421万8,770人で、入場目標の3,000万人を遥かにオーバーし、万博史上最高を記録しました。
万博記録動画(約13分 独立行政法人日本万国博覧会記念機構大阪万博 YouTube)
日本万国博覧会の見学は学友グループの6組の小学生、幼児の親子で7月に出かけました。


ホテルは予約が困難なため大阪市内馴染みの旅館に泊まり、数時間待ちの人気パビリオンは小さい子供には無理なので見送り、空いているパビリオンに入り万国博覧会の雰囲気に触れてきました。


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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第1回その2)

2009年10月09日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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これまで築造の高架橋(2)
・下り線用高架橋築造
下り線高架橋の築造は、その1で記述のように平和島第5踏切北側の高架橋から北方の在来上下本線線路が、平和島高架駅橋に至るまでが2階へと登り坂の構造になっています。そのため、既設線路の上には高架橋の築造が出来ないので、先ずは在来の上り線線路を仮上り線高架橋に移設して運行させ、空いた上り線線路跡に単線での仮高架橋を建設します。単線の高架橋には在来下り線線路を移設運行させ、空いた下り線路上に単線高架橋と並べて複線高架橋を築造します。その複線に構築した高架橋は、完成形態の高架橋ですので上下線を移設し高架化運用し、使用済みの不用仮上り線高架橋を撤去して高架化工事は完了です。同様に、六郷土手側でも同じ方法で最終高架橋を完成させます。

これまでに築造された第1工区の北端の下り高架橋は、上記の第5踏切北の上り線と合わせて築造された複線高架橋からスタートで、平和島第5踏切のPC桁高架ガードを渡り南方に向かって建設され、第2工区の梅屋敷第1踏切南側高架橋までを上下線複線の2階高架橋として完成しています。

 完成済みの下り線高架橋1(:平和島第5踏切北方側の第1工区北端上下線高架橋[左は分岐の仮上り線高架橋]、:大森町第3、4踏切間高架橋の下り線側高架橋を見る)

京急蒲田駅は空港線支線との分岐駅で、現在の空港線ホームは上りと下り線をホーム1本で共用して、都心方面と横浜方面への相互乗り入れ運転を行っています。
高架化工事での京急蒲田高架駅橋の構造は、土地の制約から3階建てとして2階が上り線の高架駅で、下り線は3階の高架駅で建設が進められています。
そのため、梅屋敷第1踏切南側からの下り線高架橋の築造は、2階上り線高架橋と並行して京急蒲田駅に向かって2階から3階に登る形体の傾斜高架橋を築造し、梅屋敷第3踏切付近で3階の高度に達する高架橋が建設されています。

 完成済みの下り線高架橋2(:下り線高架橋は梅屋敷駅を過ぎると3階へと登る1005撮影)

3階下り線高架橋は多摩堤通りガードを渡ると京急蒲田高架駅です。高架駅の南方からの第5工区下り線の高架橋の築造は、旧多摩堤通りの3階PC桁のガードを越えた部分の3橋は外壁塀(高欄)が付いて完成していますが、その先の環8通りガードまでの高架橋には高欄が未取付でまだ工事が進行中です。環8通りガードの先の3階下り線高架橋は、京急蒲田第6踏切北側までの2橋の高架橋で終端です。そこから先の高架化工事は、上り線が高架化運行を開始した後に、空いた上り線仮高架橋に在来下り線を移設して、京急蒲田第9踏切までの現下り線線路跡に上り高架橋に平行して最終下り線高架橋が建設されます。

 完成済みの下り線高架橋3(:蒲田第2踏切南の3階下り3橋の高架橋には外壁塀が付く、:蒲田第4踏切付近の下り線高架橋は外壁塀が未取り付け、:現在第5工区の環8ガード先の2橋3階下り線高架橋はここが終端)

第6工区の京急蒲田第9踏切から雑色第4踏切までの下り線高架橋は、2階上り線高架橋と合わせた複線高架橋が完成しています。同第4踏切から先の六郷土手までは平和島側と同様に在来本線線路が登り坂となっているため、仮高架橋に順次移設しながら本高架橋を建設します。

 完成済みの下り線高架橋4(:雑色第4踏切付近の下り線側から見た高架橋、:現在第6工区の雑色第4踏切南の終端本高架橋、:六郷土手駅から終端の高架橋を見る)

空港支線の第7工区の下り線高架橋の築造は、3階京急蒲田高架駅橋を出て第1京浜国道ガードを渡ると、2階上り線高架橋の南側に3階から2階へと降りる傾斜高架橋で、京急蒲田(空)第3踏切付近で2階の高さに下がり、そこから先は同第4踏切までを2階上り高架橋と合わせた複線高架橋が完成しています。

なお、最終的の下り線の高架運用時には同第4踏切手前の線路交換ポイントで北側に交換して糀谷駅では北側のホームに進入しますが、当初の上り線仮運用時には、高架下り線線路上を仮上り線のホームを仮構築(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第15回その1)」参照)して使用しますので、下り線の線路は糀谷駅手前でストップです。
第8工区の糀谷高架駅の東先の下り線高架橋の築造は、糀谷第1踏切先の上り単線仮高架橋に線路を移設した後に、在来上り線路の空き跡に上り線高架橋に平行の複線下り線高架橋が建設されます。上下線の複線高架橋が完成すると、上り線運行のホームは本来の南側ホームを使用し、下り線は北側ホームを使用して、暫定の仮架設構築の不用の高架橋部が撤去されます。

 完成済みの下り線高架橋5(:第1京浜国道付近の3階下り傾斜高架橋、:2階に降りる京急蒲田(空)第3踏切付近の下り線高架橋、:現在下り線高架橋は糀谷駅ホームで終端)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第1回その1)

2009年10月07日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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全工区統合編
京浜急行の高架化工事もここにきて、来春を目標とする上り線開通を目指して全工区での高架橋の築造がほぼ出来上がり、既に線路の敷設工事が進めています。
これまでの「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化」工事の記事は、高架化工事区間の8工区を、大森町付近、梅屋敷付近、京急蒲田付近、雑色付近と糀谷付近の京急線の駅を中心として分けて記述してきました。
これからは、鉄道運行施設の工事が進みますと、工区毎の工事と共に区間にまたがる共通工事が増えてきますので、今後は駅付近毎による分けてた記事編集を変更して、全工区を統合した記事に纏めての編集とし、今号からリニューアルしましたのでご了承ください。今後も、従来にもましてご高覧下さいますようお願い致します。

これまで築造の高架橋
・上り線用高架橋築造
現在の時点の上り線運行時の高架橋の築造状況を、高架工事が行われた北端部から辿ってみると、まず単独の上り線の仮高架橋が平和島高架鉄橋のやや南方から、内川を渡って平和島第5踏切北の本架橋までの間に築造されています。この間の在来線は、大森町の平地から高架の平和島高架駅橋までが登り坂なので、既設の本線軌道上に列車を運行させながらの高架橋の築造ができないため、既設線路脇きに仮線高架橋を設けて空いた跡に本高架橋を建設する方式です。

 来春開通予定を目指す上り線高架橋1(:内川付近の区道上に築造の上り線仮高架橋、:仮上り高架橋は平和島第5踏切北側高架橋から分岐する)

平和島第5踏切から南に築造済みの第1工区の上り線運行の高架橋は、大森町商店街通りの大森第1踏切高架橋に至るまでの間の高架橋を、丸型鋼管橋脚柱の高架橋で建てられています。同踏切から先の高架橋にはコンクリート製橋脚柱の高架橋で、第2工区の梅屋敷商店街通りの大森町第4踏切まで続いています。この間の高架橋は下り線と合わせた複線形体の高架橋で建設されています。

 来春開通予定を目指す上り線高架橋2(:大森町第1踏切南の第1工区高架橋、:第1、2工区境界点の高架橋、:都営住宅付近の第2工区高架橋)

梅屋敷高架駅橋南の梅屋敷第1踏切から先は下り線とは分離して、単線の高架橋となり京急蒲田高架駅橋へと繋がります。梅屋敷第1踏切から第2踏切まではコンクリート製高架橋脚柱の高架橋ですが、それより南の京急蒲田高架駅までは丸型鋼管製の高架橋で建設されており、下り線高架橋は京急蒲田高架駅橋に向けて3階へと登る傾斜高架橋の形態で築造されています。

 来春開通予定を目指す上り線高架橋3(:梅屋敷第1踏切上の上り線高架橋、:梅屋敷第1踏切から南方の上り線高架橋、:梅屋敷第3踏切から見た上り線と下り線高架橋)

京急蒲田高架駅橋を出て、第5工区の京急蒲田第6踏切までは3階下り線高架橋と併置して2階の上り線高架橋が築造されています。この間の高架橋築造の高架橋脚柱は、環8通り(京急蒲田第5踏切)を挟む環8鉄橋架設用の高架橋の2橋のみはコンクリート製の橋脚柱ですが、他の高架橋は丸型鋼管製の橋脚柱で築造されています。

 来春開通予定を目指す上り線高架橋4(:京急蒲田第4踏切付近の上下線高架橋と仮上り高架橋高架橋、:環8鉄橋架設のコンクリート製橋脚柱高架橋、:現在下り線高架橋は京急蒲田第6踏切で終点)

京急蒲田第6踏切を越えると高架橋の築造は、2階単線上りの仮高架橋でコンクリート製の橋脚柱で築造され、下り線高架橋用の橋脚柱も併せて建立して同第9踏切まで続きます。

 来春開通予定を目指す上り線高架橋5(:京急蒲田第6踏切から南側は上り線単線高架橋築造、:この間の高架橋には下り線用高架橋脚柱が建立、:上り線高架橋は仮上り運用線と下り線に挟まれる)
 
京急蒲田第8踏切を越えた第6工区では、再び下り線と合わせた複線高架橋で雑色第4踏切南の高架橋までは2階の本線高架橋として出来上がっています。

 来春開通予定を目指す上り線高架橋6(:京急蒲田第8踏切南の高架橋、:OKディスカウント北側の高架橋、:雑色商店街通りから見た上り線側高架橋)

雑色駅南の雑色第1踏切から同第4踏切までの高架橋の築造も、外壁塀(高欄)が付けられ完成しており、第4踏切南側の高架橋から先の六郷土手駅北方までの間は、仮線高架橋が築造され六郷から平和島までの上り線高架橋が貫通して全区間が繋がりました。

 来春開通予定を目指す上り線高架橋7(:雑色駅南の献血供給事業団大田付近の高架橋、:雑色第4踏切南高架橋から分岐の上り仮高架橋、:六郷土手付近から分岐の上り線仮高架橋)

支線空港線の2階上り高架橋を京急蒲田駅から第1京浜国道を渡り、左(北)側の上り線側の2階高架橋を進み、京急蒲田(空)第4踏切手前のポイント交換で右(南)側に代わると、糀谷駅高架橋の在来下りホーム上に臨時の設けられた仮設上り線ホーム(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第15回その1)」参照)に達します。糀谷第1踏切を越えた東方に築造された上り単線仮高架橋から先には、地上へ降りる傾斜高架橋と盛り土部の坂道が出来ていますので、そこを進むと在来線の上り線線路に達します。

地形的な条件により京急蒲田高架駅の3階式高架構造や、列車運行を止めないでの高架化工事のため、複雑な形態を採っての高架化工事を進めてきましたが消化進行し、これにより来春の上り線の高架化の運行は、今後の線路敷設工事、電力工事や通信工事などの施行して、その完成を待つといよいよ上り線列車の開通となります。

 来春開通予定を目指す上り線高架橋8(:第1京浜国道を渡ると向かって左側が2階の上り線高架橋、:糀谷第1踏切東の上り単線仮傾斜高架橋、:糀谷第2踏切西の単線仮の盛り土部)

上り線開通後の高架工事の予定
上り線列車の運行が開通されると、交通渋滞緩和のため2008年5月に仮築造した環八通り先行立体交差高架橋(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第9回その1)」参照)は、京急蒲田駅からの本線下り線列車が引き継いで運行され、京急蒲田第6踏切南から同第8踏切間の在来下り線線路が空いた跡に、下り線の本高架橋の築造工事が開始されます。また、平和島付近と六郷土手付近の仮高架橋および、糀谷駅付近の単線仮高架橋に上り線が移設して運行されると、在来線上りの空き線路上に上り線の本高架橋の建設が開始されます。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合 Sub INDEX 2010年版

2009年10月07日 | INDEX
kan-haru blog 2010 6月30日27版

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 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合 Sub INDEX



185~200項INDEXは、大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合 Sub INDEX 2009年版 INDEX (ここをクリックして下さい)

201 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第10回その2) 12月31日



202 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第10回その3) 1月3日
203 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第11回) 1月17日
204 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第12回その1) 1月21日
205 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第12回その2) 1月23日
206 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第13回その1) 1月28日
207 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第13回その2) 1月30日
208 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第14回その1) 2月10日
209 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第14回その2) 2月13日
213 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第15回その1) 2月25日
214 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第15回その2) 2月27日
215 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第16回その1) 3月3日
216 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第16回その2) 3月6日
217 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第17回その1) 3月17日
218 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第17回その2) 3月19日
220 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第18回その1) 4月10日
221 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第18回その2) 4月12日
222 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第18回その3) 4月14日
225 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第19回その1) 4月29日
226 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第19回その2) 5月3日
227 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第19回その3) 5月5日
228 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第20回その1) 5月9日
229 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第20回その2) 5月11日
230 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第21回その1) 5月15日
231 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第21回その2)上り線高架化開通 5月17日
232 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第21回その3)上り線高架化開通 5月19日
233 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第22回)上り線高架化開通梅屋敷 5月21日
234 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第23回その1)上り線高架化開通京急蒲田 5月23日
235 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第23回その2)上り線高架化開通京急蒲田 5月26日
236 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第23回その3)上り線高架化開通京急蒲田 5月28日
237 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第24回)上り線高架化開通ビデオ雑色編 6月5日
238 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第25回その1)上り線高架化開通ビデオ糀谷編 6月7日
239 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第25回その2)上り線高架化開通ビデオ糀谷編  6月9日
240 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第26回)上り線高架化開通後工事  6月15日
241 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第27回)上り線高架化開通後工事  6月30日

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小さな旅 曼珠沙華まつり 秋の高麗の里巾着田に真っ赤に色づく彼岸花の郷(その2)

2009年10月05日 | 小さな旅
kan-haru blog 2009

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曼珠沙華群生地
巾着田の曼珠沙華群生地は2ヶ所に分かれてあり、1つは高麗川のU字湾曲部の底辺を中心にしてあり、もう1つは高麗川のU字部右辺の垂直直線部にあり、双方合わせて約5.5ヘクタールの広さで日本一の群生地です。

 巾着田ガイド

コスモス畑を横断して200円を払って第3ゲートから曼珠沙華公園に入ると、そこは高麗川U字湾曲底部の曼珠沙華の群生地で、辺り一面に赤い絨毯を敷き詰めたかのように100万本の曼珠沙華が咲き競っています。

 曼珠沙華の群生地(写真拡大)

公園に入って見ると群生地は予想していた以上に広く、見事に真っ赤に咲き競う彼岸花に圧倒され、暫くは花を鑑賞しながら散策路をさ迷い歩きました。

 咲き誇る曼珠沙華(写真拡大)

・曼珠沙華
曼珠沙華は秋の彼岸頃に開花するので彼岸花とも呼ばれています。法華経などの仏典に由来する曼珠沙華は「天上の花」を意味して、白い花で彼岸花とは外観が異なる別花です。曼珠沙華は沢山の異名を持った花ですが、地域によっては不吉な花であると忌み嫌うところもあります。

 彼岸花1(写真拡大)

彼岸花の特徴は、6枚の花弁が放射状に付き、多年草の有毒な球根性の植物です。花は赤いのが一般ですが稀に白色の花もあり、農家の庭先では黄色い彼岸花(その1参照)も売っていました。彼岸花は夏の終わりから秋にかけて花茎が葉のない状態で30~50cmに伸びてから、その先端に5~7個の花が付きます。開花期には線状の細い葉がロゼット状(放射線状)に出て、翌春には葉がかれて秋まで何も出てこない珍しい咲き方をします。

 彼岸花2(写真拡大)

・巾着田ふれAIフェスタ
曼珠沙華を鑑賞して感嘆していると、曼珠沙華祭の会場の方から太鼓の音が聞こえてきましたので会場の方に行ってみました。会場には、沢山の食べ物やお土産の出店が出ており、快晴で気温が高いためテントの下の休憩場所は満杯です。混雑のため直射日光の当たる席も殆ど空いていませんが、空くのを待って一休みしました。

 曼珠沙華祭会場

曼珠沙華祭会場の出店テントの向こう側では「巾着田ふれAIフェスタ2009」が行われており、行ってみると期間中は日高市内外の代表や団体による催しが行われており、当日20日のプログラムには舞人の「よさこい鳴子踊り」、日高かわせみ連の「阿波踊り」などが出演して色を添えていました。
ゆっくりと見ていたいのですが、直射日光の立ち見で熱さのため木立の高麗川辺に敷物を敷いて川風にあたり小休止して、12時40分も廻り食事時も過ぎましたので高麗川駅へと戻ることにしました。

 巾着田ふれAIフェスタ(:フェスタの催し、:河原の木陰で一休み)

・遅くなった昼食
朝来た県道15号へと戻るため高麗川の川辺から公園の群生地に入ると赤い絨毯の散策道で、少し進むと赤い彼岸花の中に珍しく白い彼岸花が混じって咲いていましたので写しておきました。

 赤い彼岸花に混じって咲いた白い彼岸花(写真拡大)

曼珠沙華群生地内では遊歩道が2手に別れており、川沿いの遊歩道はこれから花見に来た人の行列が続き、山側の遊歩道は帰路の人の行列です。

 花見観光客で混雑する曼珠沙華群生地散策路(:花見観光客で渋滞の入場側散策路、:花見観光客散策路は一方通行、:復路散策道も混み始める)

公園ゲートの出口にでるまでの暫くは赤い絨毯の散策路を楽しみながら進み群生地とはお別れして、鹿台橋を渡り朝来る時見た瀟洒なレストランに寄って昼食を採ろうと目論んでいましたが、同じ考えの人が多く長い行列でしたのでそこを諦めて駅へと向かいました。また、国道299号交差点の横にあるお蕎麦屋さんをと見ると、そこも沢山の人が待っていましたので高麗駅前まで戻りました。
丁度、駅前に喫茶店がありましたので、そこに入ると食事らしきメニューは全て売り切れており、まだホットドッグのみがありましたので、それを昼食変わりに間に合わせたのが14時少し前でした。5連休でしたので混雑は予想しておりましたが、曼珠沙華公園は広いため花の鑑賞には賑わう程度の込み方でしたが、食事処が満杯であることには気が廻りませんでした。帰路の電車は、帰りの特急券を駅に着いてからすぐ購入しておきましたので15時35分発の特急に座って楽をして、池袋には16時32分に着きました。

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