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kan-haruの日記

風景・風物詩 旧岩崎邸庭園 金唐紙の壁で華やかに蘇った岩崎邸洋館 その1

2008年04月27日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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旧古川庭園の洋館を手がけた英国人建築家のジョサイア・コンドルが設計し、1896年(明治29年)に竣工した、三菱グループを創設の岩崎邸洋館のある旧岩崎邸庭園にはいままで行っておりませんでしたので、4月6日の午後出かけてみました。

旧岩崎邸庭園
旧岩崎邸庭園(台東区池之端1-3-45 地図参照)は、大森町から三田で都営三田線に乗り換え、大手町駅で東京メトロ千代田線に乗り継いで湯島駅下車、1番口を出て四つ角を左に折れて徒歩4分で都立旧岩崎邸庭園の現正門です。


厳めしい鋼鉄せいの現正門を入り、右手に曲がって両側に綺麗に咲き誇った草花がある坂を上った突き当たりが、公園管理棟で入場券を購入しました。

                      袖塀(重要文化財)   右突き当りの公園管理棟

入場料は、一般が400円で、65歳以上が200円であり小学生以下は無料です。ただし、都内在中・在学の中学生は無料です。


入場券を求めて左手の玄関前広場に進むと、大きな西洋館が聳えています。この洋館の建つ屋敷は、江戸時代には越後高田藩主榊原泰政の1万5千坪有余の江戸屋敷であったが、明治時代に薩摩の桐野利秋、についで旧舞鶴藩知事の牧野弼成など経て、1878年(明治11年)に三菱創業者の岩崎弥太郎の所有になり、3代目の弥太郎の長男岩崎久弥が別邸としたものと云われています。
当時は、敷地に20棟もの建物がありましたが、現在は1961年(昭和36年)に重要文化財になった洋館と撞球室と、同じく1969年(昭和44年)に重要文化財になった和館大広間の3棟が残っています。

      旧岩崎邸庭園配置図

邸宅の設計者のジョサイア・コンドルは、1877年(明治10年)に日本政府招聘により来日して、工部大学造家学科(現東大工学部建築学科)教授に就任し、本格的西欧式建築教育を行いました。上野の博物館(現在の東京国立博物館)、ニコライ堂や鹿鳴館など多くの洋風建造物の設計をして、19世紀後半のヨーロッパ建築を紹介し日本の近代建築の発展に指導的な役割を果たしました。
同一敷地内に洋館と社交の場、和館と生活の場を併立する大邸宅は明治20年代頃から建てられ始め、岩崎家本邸はその代表例であり、現存の明治建築としては貴重なものです。

・洋館
木造2階建地下室附きの洋館は、正面に向かって左半分が主屋でスレート葺の大屋根をかけ、その右にやや規模の小さい棟が続き、両者間の玄関部に塔屋がたち、角ドーム屋根となっています。南側のベランダには、装飾を施された列柱が並び、全体的にイギリス・ルネッサンス風となっており、東側はサンルームとして使われ、洋館の広さは531㎡あります。

岩崎邸洋館正面(写真拡大) 岩崎邸洋館南面(写真拡大) 岩崎邸洋館東面(写真拡大) 

洋館の玄関で係りのひとから下履を入れる袋を受け取り、洋館に入ります。
1階部分に玄関・食堂・書斎・厨房・客室が、2階には客室・集会場が、また非公開の地下には倉庫・機械室・通路が設けられています。

      1階の部屋            階段            サンルーム

列柱の並ぶベランダは、1、2階の装飾デザインが異なり、1階はトスカナ式列柱で、2階はイオニア式列柱を採り入れているのが特徴です。

            ベランダ2階:イオニア式列柱装飾      1階:トスカナ式列柱       

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