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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第3回その3)

2013年06月30日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 蒲田消防署南側の突き当り道路から見た仮設高架橋       

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京急蒲田第2~10踏切跡の整理工事
・京急蒲田第2踏切跡南の高架橋下の工事
前回記述時には、京急蒲田第2踏切跡の旧下り線の移行前に使用していた高架橋下脇の仮設高架橋では、取壊撤去の作業が行われており、盛土部の除去は終了して傾斜高架橋の橋桁部の取壊し撤去が始められていました。
5月13日に京急蒲田第2踏切跡の仮設高架橋の取壊し撤去工事を見ると、旧仮設傾斜高架橋の橋桁部の取壊し撤去工事が進んでいました。なお、旧仮設傾斜高架橋の盛土部が除去された跡を見ると、旧仮設高架橋を仮設置するために、この個所の上下線3階高架橋の築造の橋脚柱の5本分は、梁桁鋼を西側へ延長拡幅して仮設建立してあります。
前回記述時に京急蒲田第2踏切跡の道路際での大型工事機による工事を行っていたのは、仮設建立の5本の橋脚柱から、本来の高架橋に復元するために、高架橋柱の基礎受け穴設置の工事をしていました。

 京急蒲田第2踏切跡南の下り線高架橋の仮設部0513

京急蒲田第2踏切跡南の旧下り線移行後の旧仮設傾斜高架橋跡の盛土部は除去され、傾斜高架橋梁の取壊し工事が開始されています。

 旧仮設傾斜高架橋の取壊し撤去工事(写真拡大0513)

6月18日に見ると、京急蒲田第2踏切跡南の旧下り線移行後の盛土部跡の高架橋橋柱の基礎受け穴部上には鉄板が引かれ、傾斜高架橋梁の取壊し工事が進んでいました。

 京急蒲田第2踏切跡南の旧仮設高架橋撤去工事(写真拡大0618)

傾斜高架橋梁の取壊し工事の状況を見るため、高架橋脇の区道を同第4踏切方に進むと、道路縁の工事現場の塀がが開かれており、この辺の傾斜高架橋梁の取壊し工事が行われて高架橋がすっかりと取壊し撤去されている現場を見ることができました。

 盛土部と傾斜高架橋接続部付近の仮設高架橋取壊し現場(:区道交差点手前の塀が開かれた工事現場の南方を見る、:このあたりの仮設傾斜高架橋は完全に取壊し撤去済、:工事現場北方の盛土部跡も平滑に鉄板が敷かれている0618)

・蒲田第4踏切跡付近の仮設高架橋の撤去工事
道路縁が開かれた工事現場を南に進むと蒲田第4踏切跡です。同踏切の北側から取壊し撤去された傾斜高架橋梁跡を見ました。

 蒲田第4踏切跡付近の仮設高架橋の撤去工事(:工事塀解放の工事場を後に南へ進むと蒲田第4踏切跡、:工事現場を南に進むと京急蒲田第4踏切跡、:蒲田第4踏切跡から北方の仮設高架橋撤去跡を見る0618)

同第4踏切跡の南方の高架橋梁跡は、工事覆いをかけて工事機にて取壊しが進んでいます。

 蒲田第4踏切跡の南側の取壊し中の仮設高架橋(:蒲田第4踏切跡の南方の取壊し中の仮設高架橋、:蒲田第4踏切跡南方の取壊し中の仮設高架橋、:工事シートで覆われ工事機で取壊し工事中の仮設高架橋0618)

・蒲田第5踏切跡付近の仮設高架橋の撤去工事
環8通りの蒲田第5踏切跡北方の仮設高架橋を見ると、取壊し工事の準備が行われています。

 蒲田第5踏切跡北方の取壊し準備中の仮設高架橋(写真拡大0618)

・蒲田第8踏切跡付近の仮設高架橋の撤去工事
蒲田第8踏切跡付近の仮設高架橋は、取壊し工事の準備が行われています。

 蒲田第8踏切跡の仮設高架橋(:蒲田第8踏切跡の仮設高架橋、:蒲田第8踏切跡北方の傾斜高架橋、:蒲田第8踏切跡南方の傾斜高架橋0623)

・蒲田第9踏切跡付近の仮設高架橋
蒲田第9踏切跡北方の仮設高架橋の盛土と傾斜高架橋梁は、道床の砂利が綺麗に除去されています。

 蒲田第9踏切跡北方の仮設高架橋(写真拡大0623) 

蒲田第9踏切跡南方の高架橋も仮設高架橋の設置のため、蒲田第2踏切跡南方の高架橋と同様に下り線仮設高架橋への線路移設により、本高架橋に仮設延長桁梁鋼を設けて、仮設高架橋柱を建立して構築してあります。旧下り線仮設高架橋を取り壊して撤去されると、仮設延長桁の本高架橋は、正常の形態の高架橋に復すことが出来、そのため同第9踏切跡南上の地上道床跡に、正常の橋脚柱を建立するための正式高架橋柱受け穴が設けられています。

 京急蒲田第9踏切南高架橋の仮設部

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第3回その2)

2013年06月27日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 京急蒲田駅高架橋を西側から東側を覗く5月22日      

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京急蒲田駅周辺の再開発工事
京急蒲田駅高架化工事が完成すると完成予想図の通り、東側は第1京浜国道の幅員が拡幅され、京急蒲田駅高架橋に接し、国道東側のヤード跡は東口駅前広場となります。西側は京急蒲田西口商店街が再開発され、西口広場が造られ、商業施設と集合住宅の総合ビルが建てられ、東西間は歩道橋で結ばれます。

 京急蒲田駅改札口と周辺横断歩道橋完成イメージ

・京急蒲田駅東口周辺の再開発
現在の蒲田駅地上の東西連絡通路は、東側の第1京浜国道側はかぎ型に折れた仮通路で、旧地上1、2番線の路線跡とホームはその1で記述の様に、取壊し撤去の工事が進められており、地上路線跡は第1京浜国道が拡幅されます。

 横断橋架設の京急蒲田駅東口駅前広場のイメージ(再掲)

5月13日に見ると、京急蒲田第2踏切跡北方の高架橋下と国道沿いの旧下り線線路跡の整地工事は、進んでいます。

 元京急蒲田第2踏切跡方から見た東口方の整理工事(:元京急蒲田第2踏切跡北側から見た高架橋下、:歩道橋から見た元地上下り線線路跡0513)

5月22日に京急蒲田駅西口側の沿線道路上から、蒲田駅橋下から第1京浜国道側方を通して眺めることが出来ましたので、高架橋ゲートと西側駅で入り口付近から見てみました。

 京急蒲田高架駅橋下を大田区画街路第2号線側から第1京浜国道側を見る(:大田区画街路第2号線の高架駅橋下ゲートから1国方を見る、:京急蒲田駅西側出口付近から1国方を見る0522)

・京急蒲田駅西口周辺の再開発
京急蒲田駅西口周辺の再開発は、蒲田八幡神社境内北面の区道から呑川までの京急高架駅橋に沿った周辺の商店街、ホテルや集団住宅などの取壊しが行われております。その跡には、駅前広場と集団住宅・商店設備を持つ高層ビルの建設が進められ、京急蒲田駅東口周辺と結ぶ歩道橋が架けられる予定になっています。

 京急蒲田駅西口商店街再開発地域図

京急蒲田高架橋沿いの道路(再開発後は幅員11mの大田区画街路第2号線となる)から5月22日に北方を見ると、蒲田八幡神社境内北面の区道との交差点から先の商店の取壊しが行われています。

 京急蒲田西口商店街再開発取壊しが進むマル1矢視図(写真拡大0522)

大田区画街路第2号線と上記交差点の区道を西へ進むと、あすと商店街への連絡通路があり、この辺から北方の商店などの建屋の取壊しが行われています。

 蒲田八幡神社境内北面の区道北側の店舗取壊し(写真拡大0522) 

大田区画街路第2号線と区道との交差点から北方の線路沿いの道路の西方は、開発が進むと京急蒲田駅西口駅前広場(補328号線交通広場)となる地域で、工事覆いをかけて商店などの建屋の取壊しが行われています。

 駅前広場となる地域の建屋取壊し(写真拡大0522) 

西口駅前広場となる北端は、アーケードが連なる賑やかな商店街通り繁華街でした。この商店街通りの両側の商店は、シャッターを閉じて閉店し、取壊しが進んでいます。

 あすとアーケード商店街も閉店して取壊し中(写真拡大0522)

蒲田駅西口周辺の再開発のため、商店街の取壊し状況の進展を、5月22日時点と6月18日時点を比較して見てみました。

 蒲田駅西口再開発のため商店街取壊が進む(上段5月22日の状況、下段6月18日の状況)(左上中上右上:0522、左下中下右下:0618)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第3回その1)

2013年06月23日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 二世代前の京急蒲田駅東口改札への階段      

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京急蒲田駅高架化事業完了工事
・旧下り線地上ホームの撤去工事
旧下り線京急蒲田駅地上1、2番線ホームの取壊し撤去作業は、前回記述時(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第2回その1)」参照)から見てあまり進展はしていないようです。

(京急蒲田駅東西連絡通路北方)
5月5日に地上1、2番線ホームの取壊し状況を高架橋の中2階改札階通路から見ると、1か月前とは殆ど変っていません。この地上ホーム等の旧鉄道施設が撤去されると、その後には第1京浜国道の幅員が拡幅されます。

 中2階改札階通路から見た1、2番線ホームの取壊し状況(写真拡大0505)

同22日には、地上1、2番線ホームの北方ではホーム取壊しの作業が行われており、同南方では旧線路跡の砂利の撤去が行われていました。

 中2階改札階通路から見た旧1、2番線ホーム取壊し作業(:ホーム北方での取壊し撤去作業、:ホーム南方での旧線路跡の砂利撤去作業0522)

同13日に京急蒲田駅東西連絡通路から北方の旧下り線本線2番ホームの道床を見ると、ホームの北端部の取壊しは親展しています。

 蒲田駅東西連絡通路から見た旧2番線線路跡(写真拡大0513)

北方の地上1、2番線ホームの取壊し状況を見ると、前回とあまり進展していないようです。

 蒲田駅東西連絡通路から見た旧1、2番線ホーム跡(写真拡大0513)

6月に入り18日に地上1、2番線ホームの取壊し状況を見ると、当初からはかなり進展して綺麗になったようです。

 6月に入っての地上旧1、2番線ホームの取壊し状況(左上中上:中2階改札階通路から見た1、2番線ホームの取壊し状況、右上・左下:旧下り線本線2番ホームの道床跡のを見る取壊し状況、中下右下:旧下り線本線2番ホームの道床跡の取壊し状況を見る0618)

(京急蒲田駅東西連絡通路南方)
蒲田駅東西通路から南方の旧下り線空港線地上1番ホームの道床跡を5月13日に見ると、旧公共地下道の地下通路階段が取り壊され、その附近までは今後第1京浜国道拡幅用地となる道床跡が平滑化されてました。

 東西通路南方の旧下り線空港線1番ホーム道床跡1(写真拡大0513)

同22日に見ると、公共地下道跡より南方の地上レベルを下げて平滑化を行っています。

 東西通路南方の旧下り線空港線1番ホーム道床跡2(写真拡大0522)
 
6月に入り18日に、東西通路から南方の旧下り線空港線地上1番ホームの道床跡の取壊し状況を見ると、旧地上鉄道設備の上部を切り取られた不要の埋め込みH形柱群が引き抜かれ、用済の公共地下道が除去されました。

 埋め込みH形柱と公共地下道などの不要物の撤去(:H形埋め込み柱群が引き抜かれた旧1番線道床跡、:旧公共地下道が除去された旧道床跡0618)

・未建立高架橋柱
地上列車運行状態で高架橋を築造する場合、高架橋柱の建立場所が障害物と重なり建立が出来ない場合が発生します。京急蒲田高架駅橋柱の場合にも発生し、その対策は未建立としておいて、障害物が除去された時に建立するか、架設の高架駅橋柱で建立しておいて、障害物が除去された時に建替えをします。京急蒲田高架駅橋柱では、その双方が見られます。当然、未建立でも強度的には問題が無く、京急蒲田高架駅橋は、1昨年の東日本大震災にも耐えて安全です。

 正規の橋脚柱未建立のケース(:高架橋築造時に障害物があり未建立の橋脚柱のケース、:橋脚柱基礎受け台、:建立時障害物により仮設橋橋柱使用のケース0513)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第4回その3)

2013年06月20日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 右下り線本高架橋脚柱台P14     

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内川北岸の下り線高架橋築造工事
・下り線高架橋築造工事
内川北岸の下り線本高架橋築造工事は、旧下り線傾斜高架橋の撤去跡に築造され、完成後には仮下り線高架橋から下り線高架橋に移行され、空いた現仮下り線高架橋には仮上り線仮高架橋から本上り線に移行されます。空いた現仮上り線仮高架橋は撤去して取り外されます。
前回記述時(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第3回その3、4)」参照)では、旧下り線傾斜高架橋の橋脚柱台が撤去され、下り線本高架橋築造の橋脚柱台新P15~18用の基礎土台の築造が進められており、旧平和島第2架道橋北側の橋脚柱台新P15には、足場が設けられ橋脚柱台建立の準備が行われています。

 内川北岸高架橋築造工事説明図(再掲)

・橋脚柱台新P18建立工事
5月14日に見ると、下り線本高架橋築造用の内川北岸縁の橋脚柱台新P18は内川橋梁北側の土台であるため、土台芯穴も太く大型で堅固な基礎工事が行われていました。

 下り線本高架橋脚柱台新P18の土台基礎工事(写真拡大0514)

下り線本高架橋築造用の橋脚柱台新P18用の5月の土台基礎工事は、土台穴に工事機械を入れて、期間もかなりとっての工事が行われています。

 脚柱台新P18は内川橋梁北岸の土台工事(:橋脚柱台新P18土台の工事機械を使用しての基礎工事0517、:新P18橋脚柱土台芯も工事完0525)

6月12日に見ると、橋脚柱台新P18用土台に金網メッシュが組み込まれました。

 橋脚柱台新P18用土台に金網メッシュ組み込み(写真拡大0612)

同20日には、橋脚柱台新P18用土台地中部のコンクリート打ちが行われていました。

 内川北岸の下り線橋脚柱台新P18用土台の築造(:内川北岸の下り線橋脚柱台新P18用土台築造0612、:橋脚柱台新P18用土台地中部のコンクリート打ち0620)

・橋脚柱台新P17建立工事
5月14、25日に見ると、橋脚柱台新P18建立のため土台基礎工事の準備がすすめられていました。

 橋脚柱台新P17土台の基礎工事の準備(:橋脚柱台新P17土台の準備工事0514、:橋脚柱台新P17土台の準備工事0517)

6月に見ると橋脚柱台新P17建立のための、囲い幕が張られていました。

 橋脚柱台新P17建立の準備(:新P17建立の準備0612、:新P17建立の準備0620)

・橋脚柱台新P16建立工事
5月14日に見ると、橋脚柱台新P16建立のための囲い幕が張られていました。

 下り線本高架橋脚柱P16建立工事(写真拡大0514)

同17日には橋脚柱台新P16建立のため金網メッシュの組み立てがはじまり、同25日には金網メッシュの組み込みがほぼ完了状態です。

 下り線高架橋の橋脚柱台新P16建立工事が進む(:橋脚柱台新P16建立のための金網メッシュ組立始まる0517、:金網メッシュ組立がほぼ完了、:橋脚柱台新P16築造工事を旧平和島第2架道から見る0524)

6月12日に見るとコンクリート打ち込みが終了して下り線高架橋の橋脚柱台新P16が建立し、20日には工事用金物類が取り外されました。

 コンクリート打ちが済み下り線高架橋の橋脚柱台新P16が完成(:コンクリート打ちが済み橋脚柱台新P18の建立0612、:工事金具が外され完成した橋脚柱台新P16 0620)

・橋脚柱台新P15建立工事
5月14日に見ると橋脚柱台新P15建立のための囲い幕が張られ、同25日には金網メッシュが組み込まれ、6月12日にはコンクリート打ち込みが終了して下り線高架橋の橋脚柱台新P15が建立されていました。

 下り線本高架橋脚柱P15の建立工事(:高架橋脚柱P15建立工事0514、:網メッシュ組見込みの橋脚柱台新P15 0525、:囲いが外れた橋脚柱台新P15 0612)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第4回その2)

2013年06月17日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 大森町商店街通り南側補助ゲート内の平滑化工事6月17日    

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大森町駅高架化事業完了工事(続)
・高架駅橋下補助ゲート設置
高架駅橋下の大森町駅舎築造工事のため、大森町商店街通り北側の高架橋下に工事関連機材・資材などの搬入ゲートが設けられました。6月13日に見ると、搬入ゲートの反対側の同商店街通り南側の金網柵を外して工事が始まりました。

 商店街通り南側の補助ゲート設置工事が始まる(:商店街通り南側の工事が始まる0613、:商店街通り南側の高架下の工事0614)

同14日には工事機を使用して商店街通りから車両を入れるための通路が設置され、ゲートが設けられました。このゲートは、商店街通り北側の搬入ゲートへの工事資材搬入車を、1国側から一旦南方に車両を突っ込みませて、その後車両をバックさせて搬入ゲートに車両後尾の荷物車体を入れるための、補助ゲートであると思われます。補助ゲートの西側では、区道を挟んで元大森記念病院跡にビルの建設工事が行なわれています。

 商店街通り南に補助ゲートが設置される(左上中上右上左下:商店街通り南側の補助ゲート設置工事0614、中下:商店街通り南に設置された補助ゲート、右下:補助ゲート西側では区道を挟んでビル建設工事中0615)

・高架駅橋下の中面基礎工事
大森町高架駅橋下の基礎工事は、第4回その1で記述の高架駅橋下南面と、上下線高架ホーム通路のエスカレータ間を結ぶ仮地上通路の北側の駅橋下中面および、上下線高架ホーム通路の階段間を結ぶ仮踊り場通路より北方の北面があります。中面基礎工事は、前回記述時には4本の橋脚柱内側の東西および南北間にコンクリート基礎台が設けられました。

 大森町駅高架化駅舎築造工事説明図(再掲)

5月13日に見ると、高架駅橋下中面の橋柱間補強梁築造の骨格用の鋼鉄丸鋼棒が到着し、コンクリート基礎台上に置かれておりました。14日には、骨格用鋼鉄丸鋼棒が多量に入荷して、高架橋柱南北のコンクリート基礎台上と高架橋柱の周囲に補強梁の組み立てが始まりました。

 大森町駅高架化駅舎築造工事説明図(:橋柱間補強梁骨格用丸鋼棒が入荷0513、:骨格用丸鋼棒が着々と到着0514)

同15日に見ると、中面の4本の橋脚柱内側のコンクリート基礎台上に、高架駅柱間補強梁築造の鋼鉄骨格の組立および、橋脚柱周囲との連結梁鋼鉄骨格組立が行われていました。同17日には補強梁築造の鋼鉄骨格の組立は完了していました。

 高架駅橋下中面の橋柱間補強梁築造の鉄骨組み立て工事(:コンクリート基礎台上に補強梁築造の鋼鉄骨格組立が始まる0515、:補強梁の鋼鉄骨格組立が完了0517)

同22日には、高架駅柱間補強梁築造の鋼鉄骨格の周囲にはコンクリート打ちの板囲いが張られていました。

 補強梁築造のコンクリート打ち板囲い(:補強梁築造のコンクリート打ちの板囲いが張られる0522、:コンクリート打ちの板囲い0524) 

6月1日に見ると、高架駅柱間補強梁のコンクリート打ちが完了していました。

 高架駅柱間補強梁のコンクリート打ち(写真拡大0601)

同6日には、コンクリートが渇き板囲いが外れ、高架駅橋下中面の橋柱間補強梁の姿を見せました。駅橋下の橋柱間補強梁との違いは、南面補強梁の築造は高架駅柱の中心線上に設けられたのに対して、中間補強梁の築造は高架駅柱の内側に設けられています。

 コンクリートが渇き板囲いが外れた高架駅柱間補強梁(写真拡大0606)

6月12日に見ると、高架駅橋下中面の橋柱間補強梁を土砂により埋戻しの作業が進められていました。

 コンクリートが渇き板囲いが外れた高架駅柱間補強梁(写真拡大0617)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第4回その1)

2013年06月14日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 大森町商店街通り北側の高架駅下駅舎築造搬入ゲート    

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大森町駅高架化事業完了工事
・高架駅橋下基礎工事
大森町駅第1踏切跡の道路北側の高架駅橋下の基礎工事は、前回記述時(第3回その1)には高架駅橋脚柱間に補強用の地中梁を設置工事が行われており、4月24日には補強用地中梁築造のコンクリート打ちが完了したところです。
4月30日には、補強用地中梁築造のコンクリート打ちの木枠が外されました。

 高架駅橋脚柱間の補強用地中梁築造完了(写真拡大0430)

5月8日には、コンクリートが乾燥した高架駅橋脚柱間補強用地中梁が埋め込まれて、高架駅橋下敷地の平滑化が行われました。

 補強用地中梁を埋め込んで高架下敷地の平滑化(:高架橋下に土砂搬入して平滑化、:補強用地中梁を埋め込んで高架下の平滑化0508)

同10日には、高架駅橋下の中間部と最奥部で基礎工事が行われていました。

 高架橋下中間・奥部の基礎工事(:高架橋下奥部の基礎工事、:高架橋下中間部の基礎工事0510)

同14日に見ると、高架駅橋下の奥部で基礎工事が行われていました。

 高架橋下奥部の基礎工事(:高架橋下の奥部での基礎工事、:最奥部の基礎工事(エスカレータ通路側から見る)0514)

同16日に見ると、高架駅橋下の平滑化の整地が行われ使用済の鋼矢板を引き抜き、重ねて並べ置かれました。

 工事終了の鋼矢板を引き抜いて重ねて並べ置かれる(写真拡大0516)

同17日から20日にわたり、工事用済鋼矢板をトラックに積み込み搬出していました。

 工事用済み鋼矢版の搬出(:引き抜いた鋼矢版をトラックに積み込む、:工事用済鋼矢板の搬出0517)

同21日には、高架駅橋下で使用していた電源車が用済となり午後搬出され、夕刻には用済の小型クレーンが自走して京浜国道まで進み、トレーラーに乗り搬出されました。

 用済となった工事用機械が搬出される(左上:用済みとなった電源車、中上右上:搬出される電源車、左下:用済みとなった小型機械が自走して1国に進む、中下:自力で搬送トレーラに乗る小型機械、右下:トレーラーの上に鎮座した小型機械0521)

同22日に見ると工事機械は小型機械の1台のみとなり、25日には高架駅橋下駅舎工事用と思われる目印杭が打たれました。

 高架橋下駅舎構築の準備に入る(:高架橋下では小型機械が1台のみとなりました、:1台のみの機械で工事が進む0422、:工事目印杭が打たれました0525)

同29日には、高架橋下駅舎工事の準備が始められたようです。

 駅舎築造の準備工事が始まる(左・中・右写真拡大0529)

6月6日に見ると、大森町商店街通り北側に面した高架橋下駅舎工事の築造のため、金網柵を外して工事車搬入出入りのゲート設営工事が始まりました。

 駅舎築造資材搬入用入り口ゲートの設営工事(写真拡大0606)

同12日には、高架橋下駅舎工事の築造のため大森町商店街通り北側の搬入ゲートは完成しました。
 高架駅橋下駅舎築造のための搬入ゲート設営工事(写真拡大0612)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(6月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版2011年後期版2012年前期版2012年後期(2)版2013年前期版2013年中期版
・ サブ・カテゴリー別Index : 高架化全工区下り線工事2011年前期版、・高架化全工区下り線工事2011年後期版高架化全工区下り線工事2012年前期版高架化全工区下り線工事2012年後期版 へ
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大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2013年中期版

2013年06月14日 | INDEX
kan-haru blog 2013 10月28日62版

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  大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 カテゴリー総目次 2013年中期版



2010年後期 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2011年前期 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2011年後期 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2012年前期 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2012年後期 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2012年後期(2) 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2013年前期 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX (ここをクリックして下さい)



410 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第4回その1)6月14日
411 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第4回その2)6月17日
412 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第4回その3)6月20日
413 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第3回その1)6月23日
414 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第3回その2)6月27日
415 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第3回その3)6月30日
416 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事梅屋敷駅編(第3回その1)7月4日
417 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事梅屋敷駅編(第3回その2)7月7日
418 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第3回)7月10日
419 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事糀谷駅編(第3回)7月14日
420 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第5回その1)9月9日
420 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第5回その2)9月13日
421 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第5回その3)9月17日
422 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第5回その4)9月17日
423 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事梅屋敷駅編(第4回) 9月25日
424 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第4回その1) 9月30日
425 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第4回その2) 10月6日
426 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第4回その3) 10月11日
427 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第4回その4) 10月17日
428 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第4回) 10月22日
429 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事糀谷駅編(第4回) 10月28日

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イベント 生誕120年木村荘八展 東京ステーションギャラリーで昭和の東京の油絵と小説の挿絵を見るその4

2013年06月11日 | イベント
kan-haru blog 2013 「墨東奇譚」初版本表紙(三田文学ライブラリー~永井荷風の初版本を中心に~から)   

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木村荘八の挿絵続
前回では、永井荷風の小説「墨東綺譚」の第一章から第四章までの挿絵を見てみました。今回は、その続編です。
・第六章
<其家は大正道路から唯とある路地に入り、汚れた幟のぼりの立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝に沿うて、猶なお奥深く入り込んだ処に在るので、表通のラディオや蓄音機の響も素見客ひやかしの足音に消されてよくは聞えない。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵16 (1937)東京国立近代美術館

<わたくしの忍んで通う溝際どぶぎわの家が寺島町七丁目六十何番地に在ることは既に識しるした。....お雪という女の住む家が、この土地では大正開拓期の盛時を想起おもいおこさせる一隅に在ったのも、わたくしの如き時運に取り残された身には、何やら深い因縁があったように思われる。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵17 (1937)岩波文庫『墨東綺譚』第77刷から

<その夜お雪さんは急に歯が痛くなって、今しがた窓際から引込んで寝たばかりのところだと言いながら蚊帳から這はい出したが、坐る場処がないので、わたくしと並んで上框あがりがまちへ腰をかけた。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵18 (1937)東京国立近代美術館

<「急に痛くなったの。目がまわりそうだったわ。腫はれてるだろう。」と横顔を見せ、「あなた。留守番していて下さいな。わたし今の中うち歯医者へ行って来るから。」>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵19 (1937)東京国立近代美術館

・第七章
<白っぽい浴衣ゆかたに兵児へこ帯をしめ、田舎臭い円顔に口髯くちひげを生はやした年は五十ばかり。手には風呂敷に包んだものを持っている。わたくしは其様子と其顔立とで、直様すぐさまお雪の抱主かかえぬしだろうと推察したので、向から言うのを待たず、
「お雪さんは何だか、お医者へ行くって、今おもてで逢いました。」>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵20 (1937)東京国立近代美術館

<二階は窓のある三畳の間に茶ぶ台を置き、次が六畳と四畳半位の二間しかない。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵21 (1937)東京国立近代美術館

<「あなた。髪結さんの帰り……もう三月になるわネエ。」>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵22 (1937)東京国立近代美術館

<わたくしが殆ど毎夜のように足繁く通って来るのは、既に幾度か記述したように、種々いろいろな理由があったからである。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵23 (1937)東京国立近代美術館

<わたくしは已やむことを得ず自動車に乗り改正道路から環状線とかいう道を廻った。つまり迷宮ラビラントの外廓を一周して、伏見稲荷の路地口に近いところで降りた事があった。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵24 (1937)東京国立近代美術館

・第八章
<両側に縁日商人あきゅうどが店を並べているので、もともと自動車の通らない道幅は猶更狭くなって、出さかる人は押合いながら歩いている。板橋の右手はすぐ角に馬肉屋のある四辻よつつじで。辻の向側には曹洞宗東清寺と刻しるした石碑と、玉の井稲荷の鳥居と公衆電話とが立っている。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵25 (1937)東京国立近代美術館

<お雪の家の在る第二部を貫くかの溝は、突然第一部のはずれの道端に現われて、中島湯という暖簾のれんを下げた洗湯せんとうの前を流れ、許可地外そとの真暗な裏長屋の間に行先を没している。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵26 (1937)東京国立近代美術館

<これを幸に、わたくしはいつも此路地口から忍び入り、表通の家の裏手に無花果いちじくの茂っているのと、溝際どぶぎわの柵さくに葡萄ぶどうのからんでいるのを、あたりに似合わぬ風景と見返りながら、お雪の家の窓口を覗く事にしているのである。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵27 (1937)東京国立近代美術館

<わたくしは橋の欄干に凭もたれ、下流かわしもの公園から音頭踊おんどおどりの音楽と歌声との響いて来るのを聞きながら、先程お雪が二階の窓にもたれて「三月になるわネエ。」といった時の語調や様子を思返すと、すみ子と種田との情交は決して不自然ではない。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵28 (1937)東京国立近代美術館

・第九章
<いつもの窓に見えるお雪の顔も、今夜はいつもの潰島田つぶしではなく、銀杏いちょう返しに手柄をかけたような、牡丹ぼたんとかよぶ髷まげに変っていたので、わたくしは此方こなたから眺めて顔ちがいのしたのを怪しみながら歩み寄ると、お雪はいかにもじれったそうに扉をあけながら、「あなた。」と一言強く呼んだ後、急に調子を低くして、「心配したのよ。それでも、まア、よかったねえ。」
わたくしは初め其意を解しかねて、下駄もぬがず上口あがりぐちへ腰をかけた。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵29 (1937)東京国立近代美術館

<そのまま窓に坐って、通り過る素見客ひやかしにからかわれたり、又此方こっちからもからかったりしている。其間々には中仕切の大阪格子を隔てて、わたくしの方へも話をしかける。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵30 (1937)東京国立近代美術館

<わたくしは帰りの道筋を、白髯橋の方に取る時には、いつも隅田町郵便局の在るあたりか、又は向島劇場という活動小屋のあたりから勝手に横道に入り、陋巷ろうこうの間を迂曲うきょくする小道を辿たどり辿って、結局白髯明神の裏手へ出るのである。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵31 (1937)東京国立近代美術館

<わたくしは、お雪が意外のよろこびに眼を見張った其顔を、永く忘れないようにじっと見詰めながら、紙入の中の紙幣さつを出して茶ぶ台の上に置いた。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵32 (1937)東京国立近代美術館

・第十章
<わたくしは舗道から一歩ひとあし踏み出そうとして、何やら急にわけもわからず名残なごり惜しい気がして、又ぶらぶら歩き出すと、間もなく酒屋の前の曲角まがりかどにポストの立っている六丁目の停留場である。ここには五六人の人が車を待っていた。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵34 (1937)東京国立近代美術館

<お雪は下へ降りて茶を運んで来た。姑しばらく窓に腰をかけて何ともつかぬ話をしていたが、主人あるじ夫婦は帰りそうな様子もない。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵33 (1937)東京国立近代美術館

<わたくしとお雪とは、互に其本名も其住所をも知らずにしまった。唯墨東の裏町、蚊のわめく溝際どぶぎわの家で狎なれ※(「日+匿」、第4水準2-14-16)したしんだばかり。一たび別れてしまえば生涯相逢うべき機会も手段もない間柄である。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵35のための下絵 (1937)東京国立近代美術館

・作後贅言
<そのころ、わたくしは大抵毎晩のように銀座尾張町の四ツ角で翁に出逢った。翁は人を待合すのにカフエーや喫茶店を利用しない。待設けた人が来てから後、話をする時になって初めて飲食店の椅子に坐るのである。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵15のための下絵 (1937)東京国立近代美術館

<今年残暑の殊に甚はなはだしかった或夜、わたくしは玉の井稲荷前の横町を歩いていた時、おでん屋か何かの暖簾のれんの間から、三味線を抱えて出て来た十七八の一寸ちょっと顔立のいい門附から、「おじさん。」と親しげに呼びかけられた事があった。「おじさん、こっちへも遊びに来るのかい。」>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵14 (1937)東京国立近代美術館

注:「墨東綺譚」の墨の字は、サンズイを付けるのが正式ですが、本ブログでは文字化けとなるため「墨」の字を使用しております。

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(6月分掲Indexへ)
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イベント 生誕120年木村荘八展 東京ステーションギャラリーで昭和の東京の油絵と小説の挿絵を見るその3

2013年06月08日 | イベント
kan-haru blog 20132版 永井荷風『墨東綺譚』岩波文庫本 第77刷発行  

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木村荘八の挿絵
生誕120年木村荘八展メインの挿絵は、日中戦争が始まった年の1937年4月16日から6月15日まで朝日新聞に連載された永井荷風(1879-1959)の小説「墨東綺譚」の挿絵です。「墨東綺譚」の岩波書店の初版本は、木村荘八の挿し絵つきは、1947年に発行されました。

 永井荷風「墨東綺譚」挿絵岩波書店(左:岩波文庫カット、:木村荘八:永井荷風著『墨東綺譚』挿絵1 (1937)東京国立近代美術館)

永井荷風は、新進作家見習いとして、1902年に刊行の『地獄の花』は森鴎外に絶賛され彼の出世作となりました。1908年に『あめりか物語』を発表し、夏目漱石からの依頼により東京朝日新聞に『冷笑』が連載され、その他『新帰朝者日記』『深川の唄』などを発表し新進作家として注目されました。1934年『ひかげの花』など新境地の作品を作り出し、各出版社から荷風の全集本が発売されるなど多額の印税が入り、生活に余裕が生まれ、創作活動期を迎え、友人らと銀座を散策したり、江東区荒川放水路の新開地や浅草の歓楽街、玉の井の私娼街を歩み、その成果が実り、1937年に荷風の小説中最高傑作といわれる『墨東綺譚』を朝日新聞に連載しました。「墨東綺譚」は、挿絵の依頼を受けた時には完成していた小説を、荘八は貪り読み、亀戸から玉の井を歩き資料を集め、意欲を持って臨み完成し人気を博しました。
ブログでは、岩波文庫の『墨東綺譚』第77刷(2013年5月)文庫本から挿絵を追って、国立美術館木村荘八 永井荷風著『濹東綺譚』挿絵から絵をWebのリンクで見ていきます。
岩波文庫の『墨東綺譚』第77刷(2013年5月)から、木村荘八の挿絵を追って見ました。

・第一章
<この辺で夜も割合におそくまで灯あかりをつけている家は、かの古本屋と煙草を売る荒物屋ぐらいのものであろう。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵2 (1937)東京国立近代美術館

<いきなり後うしろの木蔭から、「おい、何をしているんだ。」と云いさま、サアベルの音と共に、巡査が現れ、猿臂えんぴを伸してわたくしの肩を押えた。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵3 (1937)東京国立近代美術館

<巡査は広い道路の向側に在る派出所へ連れて行き立番の巡査にわたくしを引渡したまま、急いそがしそうにまた何処どこへか行ってしまった。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵4 (1937)東京国立近代美術館

・第二章
<「失踪しっそう」と題する小説の腹案の登場人物の種田順平は、かつて其家に下女奉公に来た女すみ子と偶然電車の中で邂逅かいこうし、其女が浅草駒形町あさくさこまがたまちのカフエーに働いている事を知り、一二度おとずれてビールの酔を買った事がある。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵5 (1937)東京国立近代美術館

<踏切の両側には柵さくを前にして円タクや自転車が幾輛となく、貸物列車のゆるゆる通り過るのを待っていたが、歩く人は案外少く、貧家の子供が幾組となく群むれをなして遊んでいる。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵6 (1937)東京国立近代美術館

<わたくしは脚下あしもとの暗くなるまで石の上に腰をかけていたが、土手下の窓々にも灯がついて、むさくるしい二階の内なかがすっかり見下されるようになったので、草の間に残った人の足跡を辿たどって土手を降りた。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵7 (1937)東京国立近代美術館

<いくら晴れていても入梅中のことなので、其日も無論傘と風呂敷とだけは手にしていたから、さして驚きもせず、静にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方うしろから、「檀那、そこまで入れてってよ。」といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵8 (1937)東京国立近代美術館

・第三章
<「宇都の宮にいたの。着物もみんなその時分のよ。これで沢山だわねえ。」と言いながら立上って、衣紋竹えもんだけに掛けた裾模様の単衣物ひとえに着かえ、赤い弁慶縞の伊達締だてじめを大きく前で結ぶ様子は、少し大き過る潰島田の銀糸とつりあって、わたくしの目にはどうやら明治年間の娼妓のように見えた。>

 永井荷風著『濹墨東綺譚』挿絵9 (1937)東京国立近代美術館
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵10 (1937)東京国立近代美術館

<靴をはいている間あいだに、女は小窓の下に置いた物の中から三味線のバチの形に切った名刺を出してくれた。見ると寺島町七丁目六十一番地(二部)安藤まさ方雪子。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵11 (1937)東京国立近代美術館

・第四章
<吾妻橋のまん中ごろと覚しい欄干に身を倚よせ、種田順平は松屋の時計を眺めては来かかる人影に気をつけている。女給のすみ子が店をしまってからわざわざ廻り道をして来るのを待合まちあわしているのである。>
 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵12 (1937)東京国立近代美術館

<畳のよごれた六畳ほどの部屋で、一方は押入、一方の壁際には箪笥たんす、他の壁には浴衣ゆかたやボイルの寝間着がぶら下げてある。すみ子は窓を明けて、「ここが涼しいわ。」と腰巻や足袋たびの下っている窓の下に座布団を敷いた。>

 永井荷風著『墨東綺譚』挿絵13 (1937)東京国立近代美術館

注:「墨東綺譚」の墨の字は、サンズイを付けるのが正式ですが、本ブログでは文字化けとなるため「墨」の字を使用しております。Ⅱ版

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イベント 生誕120年木村荘八展 東京ステーションギャラリーで昭和の東京の油絵と小説の挿絵を見るその2

2013年06月04日 | イベント
kan-haru blog 2013 生誕120年 木村荘八展~花の東京東に西に~」図録 

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出展作品を見る
1896年(明治29年)に赤煉瓦の東京駅3階建て駅舎を建設することとなり、1914年(大正3年)に丸の内東京駅が開業して、1945年(昭和20年)5月の戦災で屋根は焼け落ち内装も焼失しましたが、レンガ造壁の構造体は残りました。1947年(昭和22年)に3つのドーム部の3階部分の内外壁を取り除いき2階建て駅舎に仮変更し、中央ドームの屋根は木造小屋組で元の形に復原し、南北両ドームの屋根は丸型から台形に変更して復元されました。創建当初の駅舎に復元するため2007年(平成19年)に工事が開始され、ドームの屋根は創建当初の一文字葺きの天然スレートに葺き替えを行い、地上3階(一部4階)建ての東京駅に復元しました。

 東京駅丸の内北口ドーム内部赤煉瓦(写真拡大)

復元された東京駅北口ドームの東京ステーションギャラリー再開記念の、「生誕120年 木村荘八展~花の東京東に西に~」展示会場へは、ギャラリー入り口に入り入場券を購入して3階会場にはエレベータで登ります。

 生誕120年木村荘八展入場券

・大正時代の油彩
展示会入場の5月18日は後期(4/23~5/19)にあたり、先ずは1891年(明治24年)生まれの木村荘八の油彩絵が65点展示してあります。展示の油彩絵を年代を追って整理して見て行くと、1912年京橋の「いろは」第3支店に居住時代は19歳で、10月ヒューザン会第1回展に出品した作品は、「祖母と子猫」、「母」など10点を出展しています。
翌1913年2月に家族と離れて牛込の下宿に転居し、12月には大崎に転居して、ヒューザン会第2回展では、「自画像」、「大崎風景」など21点を出品しています。

 ヒューザン会展出品作品(左:ヒューザン会第1回展作品「祖母と子猫」油彩、右:第2回展作品「大崎風景」油彩)

東京駅が開業した1914年10月の草木社時代には上大崎に転居し、木村荘八個展を開き「自画像」など24点を出品、翌年には巽画会第15回展、木村荘八個人展や、草土社結成の第1回展などに「瓶を持っている女」など60点を出品しています。1916年には草土社第2、3回展に、「襟巻をせる自画像」など油彩と素描が126点出品しています。1917年の草土社第4、5回展には、素画「齋藤山の一端」や油絵など25点を出品し、翌年の再興第5回院展「二本灌木」などを出品して樗牛(ちょぎゅう)賞を受賞し、草土社第6回展には「大学構内」など23点を出品しました。1919年には、再興第6回院展に「静物」など9点を、草土社第7回展には「女の肖像」など15点と描画を出品しました。

 草木社時代の油彩(左:「自画像」1914年、中:「瓶を持っている女」1915年、右:「襟巻をせる自画像」1916年)

・春陽会の時代
1920年の再興第7回院展に「正陽寺望楼より」などを出品した後、院展を脱会しました。草土社第8回展には「老虎灘の山」などを出品しました。院展をやめた後の1922年には、春陽会を設立し中心メンバーとして活躍し、画風も大きく変貌を遂げ、草土社第9回展に「上野にて」など15点余りを出品しました。翌年には、草土社を解散し、春陽会第1回展には「郊外小景」など12点を出品し、木村荘八小品及興画展覧会には「築地川岸所見」など51点余を出品しました。1924年には、春陽会第2回展に「お七櫓にのぼる」、「寺子屋三種「車とどまる」」など出品し、白井喬二の小説「富士に立つ影」の挿絵を交代で制作して、挿絵画家としても活躍しました。翌年には本郷森川町へ転居して、春陽会第3回展に「連獅子」などを出品しました。

 春陽会の時代の作品1(左上:「寺子屋三種「車とどまる」」1924年、左下:「正陽寺望楼より」1920年、右:「お七櫓にのぼる」1924年)

1926年の昭和に入ると、春陽会第4回展に「たけくらべ絵巻」などを出品し、聖徳太子奉賛美術展に「続たけくらべ絵巻」を出品しました。翌年は春陽会第5回展に「風景習作」を出品し、吉井勇「大川端」東京日日新聞夕刊の「大東京繁昌記」の挿絵を手がけました。1928年には、春陽会第6回展に「Panの会」(その1参照)などを出品し、翌年の春陽会第7回展に「室内婦女」などを出品して、白井喬二の小説「祖国は何処へ」の挿絵や、十一谷美義三郎「時の敗者」東京朝日新聞と永田幹彦「東京新景」国民新聞の挿絵を手がけました。
1930年の春陽会第8回展に「戯画ダンスホール」などを出品して、翌年の春陽会第9回展には「夜楽」を出品し、田中貢太郎「情鬼」東京朝日新聞と佐々木味津三「夜明けの女」福岡日日新聞の挿絵を手がけました。
1932年の六潮会第1回展に「お吉図」、春陽会第10回展に「牛肉店帳場」(その1参照)を出品し、舟橋誠一「白い蛇赤い蛇」都新聞の挿絵を手がけました。翌年の六潮会第2回展に「レビュー所見」、春陽会第11回展に「「東京新景」に因む原画」を出品し、直木三十五「大阪落城」時事新報、大仏次郎「霧笛」東京日日新聞夕刊の挿絵を手がけました。1934年六潮会第3回展に「助六雑踏」、春陽会第12回展に「小説霧笛の場面」を出品しました。
1935年六潮会第4回展に「人物」、春陽会第13回展に「新宿駅」を出品しました。翌年の六潮会第5回展に「水仙」、春陽会第14回展に「浅草寺の春」(その1参照)を出品しました。

 春陽会の時代の作品1(左上:「戯画ダンスホール」1930年、左下:「新宿駅」1935年、右:「幽霊せり出し」1937年)

「墨東奇譚」挿絵
1937年六潮会第6回展に「梅が枝」、春陽会第15回展に「幽霊せり出し」を出品しました。同4月に永井荷風「墨東奇譚」東京朝日新聞の挿絵を手がけました。
1938年杉並区和田本町に転居して春陽会第16回展に「(永井荷風氏小説挿絵)墨東奇譚」を出品し、六潮会第7回展に「道成寺」を出品しました。
注:「墨東綺譚」の墨の字は、サンズイを付けるのが正式ですが、本ブログでは文字化けとなるため「墨」の字を使用しております。

 永井荷風「墨東奇譚」挿絵24 1937年

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 6月INDEX

2013年06月01日 | INDEX

kan-haru blog 2013 6月1日58版

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