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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第14回その4)

2011年03月29日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 京急蒲田第9踏切北側には高架橋鉄筋柱が建つ(0328)  

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第3、4工区工事
・京急蒲田高架駅設備工事
2月には京急蒲田高架駅橋の2階の下部では、呑み川側の北方に駅コンコース階の桁枠の組立が進んでいました。3月24日に見ると、駅コンコース階の桁枠の取付工事が南側に延長しており、コンコース階東側の板塀が1橋脚分南に延び、延びた南面側にも塀が建ちました。また、延長工事のコンコース階桁枠の工事は、高架駅橋の南端部から3橋脚分の北側で桁枠の組立が進んでいます。

 駅コンコース階の桁枠取付工事が進む(0324写真拡大)

同28日には、駅コンコース階の築造の様子を少し詳細に見て、在来1、2番線ホームと2階高架駅橋間を結ぶ仮連絡橋上から、工事中の駅コンコース階の桁枠の骨組みなどを見ました。

 駅コンコース階の築造を見る(左上:呑み川縁が駅コンコース階の北端、中上:連絡跨線橋下部の駅コンコース階、右上:延長工事の駅コンコース階、左下:駅コンコース階は南へと延長工事が進む、中下右下:跨線連絡橋上から駅コンコース階を見る0328)

・第1京浜国道歩道橋工事
第1京浜国道の大田区産業プラザPIO側の歩道橋の架設工事は、2月に国道を跨ぎ架橋が行われました。2月21日には京急高架橋側に、自転車が通行できるU字階段が付けられました。

 京急高架橋側の歩道橋に階段が付く(0221写真拡大)

3月8日に見ると、歩道橋のPIO側にもU字階段が付きました。

 PIO側の歩道橋に階段が付く(0308写真拡大)

第5工区工事
・京急蒲田第2~6踏切間旧下り線線路跡工事
京急蒲田第2~6踏切間旧下り線線路跡工事は2月以前から継続して行われており、3月8日に見ると、京急蒲田第2踏切付近では橋脚柱間の補強工事が、また同第4踏切跡や同第5踏切跡付近で高架橋下の整地工事が行われています。

 京急第2-6踏切付近の工事(:京急第2踏切付近の工事、:京急第4踏切跡付近の工事、:京急第5踏切跡北側付近の工事0308)

・京急蒲田第6~9踏切間旧下り線線路跡工事。
2月には京急蒲田第6踏切跡南側では、下り線高架橋築造の第1京浜国道側には、築造済の上り線高架橋と並列に高架橋鉄筋柱が建立されていました。
3月8日に見ると、高架橋鉄筋柱の高さは築造済の上り線高架橋とほぼ並び、鉄筋柱間には上り線高架橋までの幅員の足場が、橋脚柱4脚の長さに渡って築かれていました。

 京急第6踏切跡南側の高架橋築造工事(0308写真拡大)

同19日に同第6踏切跡南側を見ると、足場が組まれた先の工事現場では、多数の作業員により高架橋築造工事の準備を行っていました。

 京急第6踏切跡南側の高架橋築造工事現場(写真拡大)

蒲田南ヤード際の北方と中間部の足場の組立は3月8日には見られたが、南方では同19日現在組み立てが見られない。

 蒲田南ヤード付近の高架橋築造足場組立(蒲田南ヤード北方の高架橋築造足場:、:蒲田南ヤード中間の高架橋築造足場0308、:蒲田南ヤード南方の足場は未組立0319)

京急蒲田第8踏切跡北側では足場の組立がお行われており、同南側では山留工事の段階であり、蒲田消防署の南附近の工事現場では高架橋鉄筋柱が建てられていました。

 京急蒲田第8踏切跡付近の工事現場(:京急蒲田第8踏切北側の足場組立、:京急蒲田第8踏切南側では山留工、:蒲田消防署南付近の工事現場0308)

京急蒲田第6-9踏切間高架橋築造現場.wmv

[クリックすると、車窓からの京急蒲田第6-9踏切間周辺の下り線高架橋築造現場が見られます。]

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(3月分掲Indexへ)
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第14回その3)

2011年03月27日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 梅屋敷第1踏切方から見た駅前広場予定地    

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第1工区工事(続)
・大森町商店街の商店建替え
大森町駅東口の商店街通りは、区街3号都市計画線により道路の幅員が拡幅のため、これまで同商店街通りの商店では立退き、建て替え(「大森町界隈あれこれ ニュース 変貌する大森町駅周辺の商店街(2010.1.26号)」参照)が行われてきました。2月には、とんべつ跡のクリーニング仮営業店(地図1)の取壊しが始まり(第13回その2参照)ました。また、さらにはな屋TULIP TREE(地図2)の立ち退き、取壊しが行われています。

 大森町駅周辺地図20110326版

3月24日には、クリーニング仮営業店跡は建屋が取り除かれました。また、3月8日にはな屋TULIP TREEは閉店して仮店舗に移り、同24日には建屋の取壊しが進んでいました。

 大森町商店街の商店再開発(:クリーニング仮営業店跡の取壊し0324、:はな屋TULIP TREE閉店0312、:はな屋TULIP TREE跡取り壊し0324)

・都営アパートの取壊し
大森町第3踏切の北方に建つ都営大森西5丁目アパート1号棟(地図3)は、高架化関連側道の設置のため撤去が必要な建築物であり、昨年末に立退き取壊しが行われました。

 都営大森西5丁目アパート跡地図

3月11日に見ると、都営大森西5丁目アパートの跡は更地になっています。

 都営大森西5丁目アパート1号棟跡(:都営大森西5丁目アパート1号棟20100217、:都営アパート跡地0311)

第2工区工事
・上り線梅屋敷駅ホーム跡工事
3月24日に上り線梅屋敷駅ホーム跡を見ると、高架駅橋下の整地作業を行っており、上り高架ホームの階段、エスカレータおよびエレベータの据え付け工事の準備を進めていました。

 上り高架駅橋下では整地作業中(:大森町第4踏切から見た上り高架駅橋下、:階段付近の上り高架駅橋下0324)

・梅屋敷駅周辺の建屋取壊しおよび建替え
梅屋敷駅商店街通りの第1京浜国道角の商店(地図黄1)と民家(地図黄2)は、2009年に立退きとなり建屋は撤去されました。
3月に梅屋敷駅周辺の建屋の状況を見ると、駅前広場となる梅屋敷シャングリラ(地図黄3)は取壊しが終わり建設の準備を進めています。梅屋敷駅隣のゲームセンター(地図黄4)は撤去したが建屋の取壊しは行われていません。その西側の商店(地図黄5~7)も取壊しが終わり工事の準備が進められています。
大森町第4踏切北側の高架化関連側道となる建屋(地図黒1~6)は取壊しが進み、さわやか信用金庫(地図黒2、3)などでは、後方に下がって建屋を新設しました。

 梅屋敷周辺地図

・梅屋敷周辺の鉄京本付2号側道
梅屋敷周辺の鉄京本付2号側道が完成すると、第1京浜国道も幅員が拡幅され、京急高架橋と接することになります。同時に、大森町第4踏切と梅屋敷第1踏切間の駅前広場間は、車が双方向通行で乗降り場が設けられます。また、大森町第4踏切北側にも車の乗降り場が設置され、高架橋下には自転車駐輪場が設けられる予定です。

 梅屋敷駅周辺の側道計画(再掲)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第14回その2)

2011年03月25日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 上り大森町高架駅エスカレータの組立が進む   

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・上り線大森町駅ホーム跡仮下り線ホーム工事(続)
仮下り線ホーム工事は、2月に平和島側北方から築造が始まり、ゑびすヤード入り口付近まで進み、3月6日にはホーム桁の完成部にホーム板の張り付けが始まりました。同8日には、ホーム板の張り付けが終わり、ホームのラインも引けて、ホーム背後の板塀を付け始めました。

 下り線仮ホームの築造(:ホーム板の貼り付け0306、:ホーム板貼付けと側壁取付け0308)

同12日に見ると、大森町駅北方の仮下り線ホームの築造は、ホーム背後の板塀が付け終わり、ホームの黄色の安全点字ブロックのラインが付けられました。同19日に見ても仮下り線ホームの延長工事の気配がなく、南方のエスカレータの据え付け工事が進展した後に延長が行われるようです。

 大森町駅北方に築造の下り線仮ホーム(0312・0319写真拡大)

・上り線高架橋エスカレータ設置工事(続)
3月24日に見ると、上り線高架橋エスカレータ設置工事には、大勢の作業員を動員して突貫的な工事を行っていました。

 上り線エスカレータ設置の突貫的な工事(写真拡大)

・大森町駅舎移設新築仮工事
3月11日の東北・関東大地震の来る前に見ると、大森町駅西口の西側に新築工事中の移設の大森町駅舎で、内部と屋根上で工事を行っていました。

 大森町仮駅舎移設工事(写真拡大)

・内川から北方周辺の仮高架橋工事
内川北岸周辺の仮高架橋工事現場では、2月の始めには旧上り線跡の高架橋脚は完全に取壊し撤去が行われ、新設の仮高架橋用の高架橋脚基礎部が造られ始めました。
3月12日に見ると、新設の仮高架橋用の高架橋脚基礎部新P-17から南方の内川鉄橋脚部P-19までの整地が行われており、仮高架橋用の高架橋脚基礎部を造る準備を進めています。

 新設下り線仮高架橋用の高架橋脚基礎部築造工事の準備(0312写真拡大)

同12日時点の、下り線仮高架橋の北端高架橋接続部の平和島第2鉄橋付近から、旧上り線内川北岸橋梁橋脚P-19までの新設高架橋架設工事現場を見ておきましょう。

 下り仮高架橋築造工事の北端部から内川北岸までの工事現場(:平和島第2鉄橋北側の在来高架橋との接続点、:旧上り線内川橋梁北岸橋脚[内川方を見る]、:旧上り線内川橋梁北岸橋脚[内川側から見る]0312)

また、内川南岸から仮上り線高架橋と下り内川橋梁の間に新設仮下り高架橋が築造されます。旧上り線内川南岸橋梁橋脚の上に高架橋が築造されますので見ておきましよう。

 内川上の下り高架橋築造工事現場(:内川南岸から上り仮高架橋と下り内川橋梁を見る、:旧上り線内川橋梁南岸橋脚0312)

・内川南岸周辺の仮高架橋工事
3月12日に見ると、旧上り内川南岸橋梁橋脚南方から平和島第5踏切北側高架橋の北方の下り線仮高架橋築造工事現場では、高架橋脚柱建立のため山留め工事を進めています。

 内川南方の仮下り高架橋築造工事現場(0312写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第14回その1)

2011年03月23日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 大森町高架駅の外壁が付く  

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第1工区工事
・上り線大森町駅ホーム跡エスカレータ工事
2月21日には、旧上り線大森町駅ホーム跡では土台の基礎工事が終了して、高架上り線ホーム用のエスカレータ設置工事のため、エスカレータ下部付近の足場の組立が進んできました。

 エスカレータ据え付け工事の足場組立(0221写真拡大)

同25日にはエスカレータ設置工事用の足場組立が完了し、同27日には高架ホーム上でもエスカレータ設置工事が進んでいました。

 エスカレータ据え付け工事の準備(:エスカレータ据え付け足場完成0225、:高架ホーム上のエスカレータ据え付けの準備0227)

3月に入り8日には下りエスカレータの基台が据え付けられました。

 下りエスカレータ基台が取付られる(0308写真拡大)

同12日に見ると、上りエスカレータの基台も付けられて、上下のエスカレータが並びました。

 上・下のエレベータ基台が取付られる(0312写真拡大)

また、19日にはエスカレータの踏み台を取り付けていました。

 エスカレータの踏み台が取付られる(0319写真拡大)

・上り線大森町駅ホーム跡仮下り線ホーム工事
下り線大森町高架駅の階段、エレベータ、エスカレータの設置工事を行うため、在来線下りホームと駅舎の撤去が行われます。そのため、2月から平和島側北方の旧上り線線路上に、仮下り線ホームの設置を、夜間工事で進めています。

 仮下り線ホーム設置工事(0221写真拡大)

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イベント 展示会で東北・太平洋沿岸地震に遭遇 大田産業プラザで試作市場と地図展 その4

2011年03月20日 | イベント
kan-haru blog 2011 「吾等が村」(黒澤村)    

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・大田区航空写真・地図の床展示
今回の「地図展 In おおた」の目玉の展示品は会場の床一杯に展開された、国土地理院作成の縦が4.5mの横が6.3mの巨大な、大田区全域の1/2500の最新航空写真(撮影:平成19年5月、ただし空港部平成22年6月)「そらから見た[おおた]のすがた」を手前に展示してありました。地震に遭遇しなければ、後でゆっくりと写真を撮るつもりでしたが、退館となりましたのでそれは不可でした。

 「地図展 In おおた」目玉の展示品航空写真・変遷各期地図(左:展示場の床一面に大田区の変遷各期の地図展示、右:大田の航空写真の上から自分の家を見る)

大田区全域航空写真の展示の奥には、大田の変遷6時期の地図の①フランス式彩色地図(明治9~19年)、②明治後期の地図(明治39~42年)、③関東大震災直前(大正5~10年)、④昭和戦前期(昭和3~11年)、⑤高度成長期(昭和30~35年)と⑥10年前の地図(平成11~17年)床面に展示されてあり、入場者は自宅のある付近に屈み込んで眺めていました。
・フランス式彩色地図

 フランス式彩色地図[1876-86](:、:大森村付近拡大図)

・明治後期と関東大震災直前地図

 明治後期と関東大震災直前地図(:明治のおわり頃の大田区[1906-09]、:関東大震災直前の大田区西南部[1916-21])

・昭和戦前期の地図

 昭和戦前期の大田区地図[1928-36]](:、:大森町付近拡大図) 

・羽田空港の変遷
床面の巨大な大田区の変遷期の地図をさっと見終わり、側面壁の展示に戻ると「伊能図」の次のコーナーの「海図・航空図」を見ながら進み、奥の角地のコーナー「羽田空港の変遷」で、羽田空港の生い立ちから羽田空港国際化「(イベント 羽田空港再国際化 新国際線旅客ターミナルビルオープンと京急、モノレール新駅開業その1~3)参照」までの変遷が、空港模型などを含めて展示されていました。

 羽田空港変遷コーナー(写真拡大)

側面壁の次の展示は、「ものづくりの街大田」、「蒲田モダン」から「六郷用水」コーナーと続きます。

 地図展の壁面コーナー(:ものづくりの街大田コーナー、:蒲田モダンコーナー、:六郷用水コーナー)

・羽田モダン
側面壁の展示の「蒲羽田モダンのコーナーでは、1918年(大正7年)に黒澤貞次郎が蒲田の地に黒澤商店蒲田工場を造り、和文タイプライターを開発して生産しました。工場の周辺には社宅、農園、プール、テニスコート、幼稚園や小学校を建て“吾等が村”を造り、人々から黒澤村と呼ばれた工場の模型の展示や、1920年(大正9年)に誕生した松竹キネマ撮影所などが紹介されています。

 蒲田モダン

・六郷用水
六郷用水の紹介は、1597年(慶長2年)から測量が始まり、1611年(慶長16年)に完成して、今年は完成400年(「大森町界隈あれこれ 六郷用水完成400年 「下袋村と六郷用水」水上写真展」参照)となります。六郷用水の完成により、大田区の平野部は水田地帯となり、城南の米蔵に変身しました。

 六郷用水

続く展示コーナーの「大田区の街の歴史」は、歩きながら簡単に見ました。

 大田区の街の歴史コーナー(写真拡大)

東北・太平洋沿岸地震襲来
次の「時空ナビ」コーナーに移動して、衛星からの情報をペン型センサで画像上の場所を指定し同じ場所の各種地図を表示するという「時空ナビ」の説明を受けている途中に、東北・太平洋沿岸地震に襲われました。地震は時空ナビコーナーの吊り下がりの看板が揺れ出して、そのうち建物の壁面が大揺れとなり直立では立っておれず、場内放送により「壁面」から離れるようにと放送があり、中に移動しましたが直立では立っておれず、展示物コーナーの柱に辿り着きそこにつかまって、揺れが収まるのを待ちました。揺れの大きさは、生まれて初めて遭遇するもので、相当に長い揺れの後に収まりました。場内放送が建屋から退場するようにと促されたので、階段を下りてPIOから第1京浜国道にでました。その後の国道から自宅までは、その2に記載の通りです。

 時空ナビコーナー(写真拡大)

・地図展 In おおたの記念品


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イベント 展示会で東北・太平洋沿岸地震に遭遇 大田産業プラザで試作市場と地図展 その3

2011年03月18日 | イベント
kan-haru blog 2011 富岡八幡宮の伊能忠敬像   

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・伊能図コーナー(続)
伊能忠敬は、1800年(寛政12年閏4月19日)~1816年(文化13年閏10月23日)までの約17年間にわたり、日本国内を第一次測量から第十次測量までを行いました。
伊能忠敬の測量の方法は、導線法で角度と距離を測り、交会法で見渡せる山などの目標物の方位を測り誤差を補正して、天文測量で星の南中高度を測り観測地の緯度を定めていました。
距離の測量の導線法は、測定点間に梵天を建てて、当初は苧麻(ちょま;カラムシの茎の繊維から製した麻糸)の間縄(けんなわ)が用いて距離を測っていたが、伸縮とか、強度が弱い、強風時には風にあおられる、などの欠陥がありました。そこで、改良し第三次測量から以降では、内法を1尺とした鉄線を60本つないだ鉄鎖が距離の測定に用いられました。角度の測定には、杖の先に羅針盤をとりつけた杖先羅針が用いられました。
伊能測量の柱は導線法と交会法で、交会法は2点間の方角を測る時に、同時に近くの寺院の屋根や大木の梢などの共通点を設定して、そこの方位を測り記録して2点間の測り違いの誤差が補正可能である。
また、坂道の測量には、小象限儀で勾配を測り、割円八線対数表を用いて平面距離に変換したと云われています。さらに、伊能測量には測天量地と云われる天体観測で、地図作成の緯度の観測が併用されたといわれてます。

 伊能忠敬の全国測量器具(:間縄、:鉄鎖)

・第一次測量
第一次および第二次測量の測跡は、たまたま今回遭遇した東北・太平洋沿岸地震の被災地域の奥州街道と太平洋岸でありました。
第一次測量は、伊能忠敬が55歳の1800 年(寛政12年) 閏4月19日に、門倉隼太、平山宗平、伊能秀蔵の弟子と下僕の吉助、長助を連れて江戸を出発して、千住宿より奥州街道を進み、宇都宮、白河、仙台、盛岡、野辺地、青森を経て、5月10日に津軽半島北端の三厩に到着しました。三厩を同19日に出航し、蝦夷地の吉岡に上陸して箱館の蝦夷会所に寄って手続きを済ませ、室蘭、襟裳岬、釧路と根室の少し西側の西別まで北上して東海岸を測量しました。帰路は、往路の逆コースを取り、測量しながら、10月21日に測量日数には180日を掛けて江戸に帰着しました(伊能忠敬と伊能図の大事典から)。

 第1次測量ルート測跡(拡大図伊能忠敬と伊能図の大事典から)

・第二次測量
伊能忠敬の第二次測量は、1801 年(享和元年)閏4月2日に、伊能秀蔵、平山郡蔵、尾形慶助の弟子と下僕の長助、嘉助の測量隊が江戸出発して三浦半島、熱海から伊豆半島を一周した後、6月19日再度江戸出発。房総半島内房から外房に出て、東北・太平洋沿岸地震の被害の大きい太平洋岸を北上した後、下北半島を一周して青森を経て、11月3日に三厩に到達しました。帰路は奥州街道を再測量しながら、12月7日に江戸に帰着し測量日数は230日でした。

 第2次測量ルート測跡(拡大図伊能忠敬と伊能図の大事典から)

伊能忠敬が第二次測量した地震災害地域
丁度210年前に、今回の東北・太平洋沿岸地震地帯を測量した足跡の一部を辿って見ます。
第二次測量は、1801年(享和元年) 閏4月2日に江戸を出発して、三浦半島から伊豆半島を一周し、箱根を経て同年閏6月6日に深川黒江町の忠敬隠居宅に戻りました。
東北への出発は、6月19日に房総半島の一周から測量が始まり、千葉県の測量が終わったのは7月26日で、これから地震災害を受けた北関東から東北の海岸沿いの測量が行われました。
7月27日からの茨城県の測量は、神栖市、鹿嶋市、鉾田市、大洗町へと進み、8月1日に東海村、日立市と北茨城市を測量し、福島県いわき市に8月5日に入ります。
福島県の測量は、富岡町、相馬市が8月16日に測量して宮城県に入ります。宮城県では名取市、仙台市、塩釜市、東松島市、石巻市、南三陸町、氣仙沼市、大船渡市、釜石市、久慈市と進み青森県の八戸市に入り、今回の地震大災害地を200年前に日本初めての地図作成のため入念な測量が行われました。

 現名取市付近の大日本沿海輿地全図の一部拡大図

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イベント 展示会で東北・太平洋沿岸地震に遭遇 大田産業プラザで試作市場と地図展 その2

2011年03月15日 | イベント
kan-haru blog 2011 地図展 In おおた展示会場  

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地図展を見学中に市場最大の地震に襲われる
東北・太平洋沿岸地震に見舞われた3月11日には、大田区の産業プラザPIO(大田区南蒲田1)で、「第2回試作市場2011」と「『地図展 In おおた』~空から見た国際都市大田~」が開催されましたので見に行きました。

 地図展inおおたポスター

14時半頃に「第2回試作市場」の展示を見終わり、2階の小展示ホールで開催の「地図展 In おおた」を見に行き、地図展の展示物を粗方見終わる15時50分頃に震度5強の強烈な地震に襲われ、最終の小間を見ずに会場からの退場指令によりPIOを出ました。

 地図展 In おおた展示会場(:会場入り口、:会場受付、:会場風景)

会場を出て第1京浜国道から見える、京浜急行電鉄の2階上り線京急蒲田高架駅ホームの照明が消えており、首都圏の鉄道が全て運休となりました。旧多摩堤通りにはバスが動いていましたが、蒲田から大森町方面の路線バスは、1時間に1~2本程度でありバス停で待つのもいやなので、第1京浜国道を歩いて帰ることにしました。国道を歩いていると、梅屋敷の手前で余震に遭い、電柱・電線が大揺れで気持ちの良いものではありませんが、立ち止まらずそのまま進みました。この時間帯の第1京浜国道は、下り方面の車はびっちりと渋滞しており、国道沿いの高層マンションの住民があちらこちらで、建物から外に出て不安そうに立ち話をしていました。国道では同じ風景が続くので、大森町第3踏切で京急線路を西側に渡り、将来関連側道となる線路沿いの区道を歩き、すぐ傍の立退きとなった都営大森西五丁目アパート跡地を見ながら、大森町駅へ到着しました。

 地震のため京急蒲田から大森町まで歩く(:第1京浜国道と京急蒲田高架駅橋、:地震によりマンション前に人が佇む[梅屋敷付近]、:都営大森西五丁目アパート跡地)

地図展 In おおた
「地図展 in おおた ~空から見た国際都市 大田~」は、3月10~12日と「第2回試作市場2011」より1日長い開催で、主催や後援、協賛および特別協力の団体・企業数は次の通りで、35社の参加です。

 主催・後援・協賛・協力団体、企業一覧

展示会場は、2階の小展示場ホールで10時から19時(最終日18時)までと、長い時間の開催ですので、地図の情報をゆっくりと見られるものと思っていたのですが、巨大地震の襲来で退室となり思い通りにはなりませんでした。

 地図 in おおた展示会場

展示会場は、先ず入り口に入っての壁面の展示物は、3Dデジタル標高地形図が数面掲げてあり、説明員から手渡された眼鏡で標高地形図が立体的に見えるもので、江戸川・中川、大田区や九州霧島の新燃岳などの地図が展示されていました。
国土地理院では航空レーザ測量を活用し,平成19 年度より精密3D電子基盤情報整備事業として、政令指定都市の人口集中地区を中心とした地域を対象に精密地形情報の整備を実施しています。デジタル標高地形図は、地震、洪水、噴火等による災害発生時にも精密地形情報の整備を行っており、国土地理院の精密地形情報は、「新潟県中越沖地震」や「岩手・宮城内陸地震」に対応して、精密地形情報を整備中です。たまたま、今回の史上最大の「東北・太平洋沿岸地震」では、宮城県石巻市の「河北観測点」で、東南東に4メートル3センチ移動し、69.9センチ沈降する地殻変動を国土地理院が観測しています。今回遭遇の超巨大地震と地図展見学は、深い因果関係で結ばれており、忘れられない「地図展 In おおた」となりました。

 3Dデジタル標高地形図[国土地理院](:国土地理院展示コーナー、:デジタル標高地形図3Dメガネ)

次のコーナーは、手書きの江戸の大画面の鳥瞰図で、右の突端が羽田で、上部の海岸線が品川、左下が生麦と左上が深沢の範囲を描いたものです。

 江戸鳥瞰図コーナー](写真拡大)

隣のコーナーは、伊能図のコーナーです。49歳で隠居後の伊能忠敬は、江戸に出て歴学・天文を修め、1800~16年まで日本の全国の測量を実施しました。忠敬の没後の1821年に、幕府天文方の手で「大日本沿海輿(よ)地全図」として完成しました。作成した日本地図は、「伊能図」と云われ、大きく分類すると「大図」214枚、「中図」8枚、「小図」3枚などとなります。

 伊能大図](写真拡大)

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イベント 展示会で東北・太平洋沿岸地震に遭遇 大田産業プラザで試作市場と地図展 その1

2011年03月13日 | イベント
kan-haru blog 2011 東京都立産業技術研究センター展示コーナー 

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大田区の産業プラザPIO(大田区南蒲田1)で、「第2回試作市場2011」と「『地図展 In おおた』~空から見た国際都市大田~」が開催されましたので、3月11日に見に行きましたが、地図展を見学中に東北・太平洋沿岸地震に遭遇し、生存中の最大の揺れを体験しました。あと、僅かで見終わるところでしたが、地震のため入場者の産業プラザから退出となり、電車が運休となり京急蒲田から大森町まで歩いて帰りました。

 試作市場2011(左・中・右写真拡大)

東北・太平洋沿岸地震
3月11日に発生の過去最大マグニチュード9.0の東北・太平洋沿岸地震は、首都圏でも震度5の揺れを受けた12日は終日鉄道などの交通が停止しました。テレビも終日、地震のニュースを流し、震度7の岩手・宮城・福島では殆どの建物が倒壊し、10mを越える過去最大の津波に襲われ海岸沿いの都市が壊滅的な被害の模様を伝えていました。また、福島原発では炉心溶融で外壁が爆発し、付近住民に被曝者が発生しました。13日には、救援活動が開始されましたが、被害の様子はこれから明らかになりますが、現時点での死者および行方不明者は1万人を超えるのではと予測しています。地震の被害でお亡くなりになられた方には、心よりご冥福をお祈り致します。また、地震の被害に会われた方には、心より御見舞い申し上げます。
史上規模最大の地震の被害は甚大です。地震災害の復興には、日本全国民の支えが必要ですので、先ずは貧者の一灯ですが東北・太平洋沿岸地震義捐金から始めたいと思っています。


第2回試作市場2011
第2回試作市場2011は、産業プラザPIOの1階展示ホールで3月10、11の2日間にわたり日刊工業新聞社の主催、経済産業省後援、(財)大田区産業振興協会協賛で開催し、11日の14時過ぎに入場しました。
試作市場2011の開催テーマは、「技と人が出合い挑戦(試作)が始まる…」で、本展の目的は、①“試作”に強みを持つ企業・団体、また、これから“試作”市場へ参入を果たしたい企業・団体と製品開発をスムーズに進めたい大手・中堅企業とのマッチングの場、 ②自社技術力を広くPRする場とします。

 試作市場パンフレット

参加出展者の企業数・団体は63社で、入場者数は10日が1,020人で、11日が1,060人と発表されています。
会場(マップ参照)に入ると、受付を入って左側のブースは、三重県の中小企業・団体30社の出展コーナーです。

 三重県の中小企業・団体30社の出展コーナー(:会場案内図[拡大図]、:三重県の出展コーナ)

三重県の出展コーナのテーマを「見える! みえのスゴ技II」で首都圏の企業とビジネスマッチング会を目的に開催していました。

 三重県「見える! みえのスゴ技II」小誌

受付の右側のブースには、(株)エヌシーネットワークの様に試作メーカー17,500社が集結のエミダスグループや、(財)日立地区産業グループ傘下の11社の出展コーナーなどと、ワークショップコーナーでは、併催事業として出展・団体による無料セミナーが行われていました。

 試作市場出展コーナーとワークショップ会場(試作市場出展コーナー:、:日立地区産業グループ傘下出展企業、:ワークショップ会場)

その他、本年5月に江東区青梅に開設する(地独)東京都立産業技術研究センターや(財)北海道中小企業総合支援センターなどの団体のブースが出展していました。

 都産技研新本部の業務案内誌

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風景・風物詩 江戸名所図会の古社 水天宮が相殿で平安時代に創建の古社元神明宮

2011年03月10日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2011 お守入りおみくじ 
 
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元神明宮
昔浸食によってできた古川の両岸には、噴火の火山灰により関東ローム層で造られた、三田の中之橋の先の傾斜地の神明坂脇に、平成17年に御鎮座壱千年の記念事業を行った天祖神を祀る元神明宮(港区三田1-4-74)があります。

 小山神明宮 長谷川雪旦 江戸名所図会天保七年

図らずもこの元神明宮に訪れる機会があり、2月28日にお参りしてきました。古社の元神明宮は、平成6年に社殿の老朽化に伴い傾斜地を利用した改築が行われ、社殿を近代建築のビル内に鎮座して、2階の社殿下の1階に付属の神楽殿を設備しました。その神楽殿において、知り合いが出演する邦楽の集い(「イベント 外国人邦楽演奏 第10回インターナショナル邦楽の集い その1、2」参照)が、元神明宮の協賛で開催されましたので観賞のため訪れました。

 元神明宮附近マップ

元神明宮へのルートは大森町から、大門で大江戸線に乗りついで赤羽橋で下車して都道319号を西に進み交差点を左に折れ、昔新宿御苑の湧水が水源であった古川に架かる中之橋を渡り中之橋交差点を横断して、やや細い道を進み左手の国際医療福祉大学病院を過ぎると、三差路の左手に改築された元神明宮のビルが見えてきます。

 元神明宮へと向かう(左:古川に架かる中之橋、右:中之橋交差点を渡り直進すると改築の元神明宮ビルが左手に)

元神明宮へはさらに神明坂の崖縁を進むと、折り返しの参道の石段があり、前には「元神明宮天祖神社」と書かれた社標柱が建っています。

 元神明宮の参道へと進む(左:元神明宮ビルから神明坂を上がる、右:坂を進むと三差路の左が元神明宮への石段参道)

参道を登ると、石段の左側には末社のお稲荷さんが並んで鎮座しているのが見え、上段には石灯籠と神明型の鳥居があり、登りきった境内には元神明宮の提灯と狛犬が鎮座し、その奥には改装された近代的なコンクリート打ちの社殿が見えます。社殿は1階が集会を兼ねた神楽殿で、当日は上記の邦楽の集いが催されていましたので、正面には紅白の幕が張られていました。本殿は、社殿の2階に収容されており、左右の螺旋階段から昇ります。

 元神明宮の参道石段(左:参道石段の左には末社が並ぶ、右:改修された近代的な社殿)

狛犬は、かなり古いようですが創作期は不明で、残念ながら向かって左側の狛犬は一部が破損して補修の跡が痛々しい姿です。左側の狛犬の先には、御手洗の古い水盤が置かれてあります。

 創作年代が不明の狛犬

本殿に参拝のため階段を上がり社殿2階に入ると、木造造りの本殿がすっぽりと収まっています。当日は前述の催しがあり、本殿内部を使用しており扉は閉ざされていました。
元神明宮の祭神は、伊勢神宮・内宮の御祭神・天照皇大御神をお祀りしております。
創建は平安時代に遡り、第六十六代一条天皇の勅命により、1005年(寛弘2年)に奉斎された古社です。古くは、渡辺綱の篤い信仰を受けた御社でもあり、また鎌倉時代の戦乱の世も源頼朝を始め多くの武士から崇敬を受けて参りました。
また、相殿として本殿には安産の神、水難・火難除けの神として崇敬されている東京水天宮が祀られております。この水天宮は、1818年(文政元年)当社に隣接する久留米藩有馬上屋敷内に、邸内社として領地の九州久留米水天宮から分祀され、1868年(明治元年)に有馬邸が青山に移転する祭、当社にも御分霊を奉斎し、その後、青山の有馬邸内社は日本橋蛎殻町の現水天宮社地に移転しました(元神明宮御由緒から)。

 元神明宮本殿(:本殿・クリックで本殿内部表示[神社庁ホームページ]、右:変額)

1836年(天保7年)に本殿・幣殿・拝殿を造営し、1897年(明治30年)に拝殿の屋根の改修を行い、1925年(大正14年)には本殿・幣殿の改築が行われました。氏子崇敬者より1683年(天和3年)に境内の手水石や1804年(文化元年)に太鼓などが奉納されております。
平成6年に社殿の老朽化に伴い全面的な改築を行い、宮司や氏子崇敬者の祈りにより関東大震災や戦災等多くの災難から逃れて来たため、現在では厄除の社として多くの方々が参拝に訪れております。

 御由緒と神画(:御由緒、右:神画)

元神明宮の本殿のバルコニーは、石段を登った境内の2階にありますので、見晴らしが良く末社などの境内全体が見通せます。

 社殿バルコニーから見た風景(左:絵馬掛け、右:境内末社を見る)

・末社
帰り通は、元神明宮の境内に鎮座の末社の7稲荷神社を上から見て行きます。末社全ての稲荷神社の祭神は、宇迦之御魂神を祀ってあります。
先ずは、バルコニーの螺旋階段を下りた社殿に近いところに鎮座の白い鳥居の祠が白滝稲荷神社(銀杏稲荷神社)です。階段を挟んだところにある赤い鳥居の祠は平河稲荷神社で、旧江戸城内紅葉山に鎮座されてお、徳川家三代将軍家光の御台様が信仰していたと伝えられております。王政復古の際に縁があった当地に奉斎されました。また、この平河稲荷神社には、和光稲荷大明神と豊日稲荷大明神が合祀されています。

 境内末社(左:白滝稲荷神社、右:平河稲荷神社)

参道の石段を何段か降りた元神明宮型鳥居の左脇場に鎮座の末社は、権太夫稲荷神社と槻根稲荷神社で、ご由緒は不明です。

 参道の石段途中にある末社(左:権太夫滝稲荷神社、右:槻根稲荷神社)

参道石段下の左手にある2つの鳥居を構えた末社は、天白稲荷神社であり、内海家の守護神として、当主勝二氏が1923年(大正11年)に伏見稲荷山間之峯より迎えて邸内に祀った天白稲荷大明神と、先代忠勝氏が信仰した弁財天を合祀した御社です。

 天白稲荷神社(左:一の鳥居、右:二の鳥居と末社)

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イベント 外国人邦楽演奏 第10回インターナショナル邦楽の集い その2

2011年03月07日 | イベント
kan-haru blog 2011 長唄 老松 

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・筝曲合奏
A公演の2番目の演目は、沢井忠雄が1973年に作曲した筝曲合奏で、日本人演奏家による演奏です。演奏筝の構成は箏 I・II・III・十七弦による四重筝曲です。この曲はちょうど洋楽の弦楽四重奏のように、非常に緊密な楽器構成で隙がない。全体は切れ目なく演奏されるが、大きくは四つの部分に分けることができる。第一は、まず三面の箏のピチカットによる美しいテーマで始まります。即興曲風に展開されることが多い沢井忠夫作品の中ではめずらしい、構成の意図がはっきりしており、各パートがきわめて緊密に構成された美しい曲です。
沢井忠雄は、尺八家の父に導かれて小学5年の頃から箏を習い始めて、高校時代には作曲を始め、59年の生涯に作曲した作品数は90を超えます。
十七弦は、大正・昭和の時代になって宮城道雄が、チェロ並みの低音域を持つ十七絃を開発したもので、邦楽合奏における低音楽器として現在でも広く使われ、独奏曲も生まれています。
四重奏の筝曲の音色が聞こえるビデオが、下記の下線文字をクリックするとほんのわずかですが見られます。ビデオから戻るときはブラウザ左上の「←」キーを押すと現画面に戻ります。

 四重奏曲が短時間ですが聴けます ビデオ

また、筝曲合奏に出演メンバーは下記の下線文字をクリックすると見られます。戻るときはブラウザ左上の「←」キーを押します。

 四重奏曲出演者
十七絃を演奏のCurtis Pattersonは、米国イリノイ州シカゴ出身でコーネル大学在学中に箏と出会い、1986年来日後に生田流箏曲の基本の地唄を学び、日本の伝統音楽への理解を深め、1990年沢井箏曲院に入門し、沢井忠夫、一恵両師に師事。以来、古典曲のみならず数多くの現代曲も手がけて、さまざまなジャンルのアーティストとして活動し、邦楽教育・指導によって幅広い箏の世界を目指しています。


 四重筝曲(:筝曲合奏、:左方が筝I、右方が筝II、:手前方が十七弦、奥方が筝III)

・長唄 本調子メドレー
3番目の演奏の長唄 本調子メドレーは、小鍛冶の「調子の合方」と新曲浦島の「寄せの合方」で、小鍛冶は1832年(天保3年)に初演された「姿花後雛形」という五変化の中の一曲で、今回の演奏は刀を作る部分の合方です。新浦島は古来の歌舞伎を改めて、日本的なオペラの創造をして、その理論を実践して新しい楽劇の見本としたのが「新曲浦島」で、その中から「寄せの合方」です。
出演は、三味線が9名(生徒5名)、囃子の笛Ⅰ名、小鼓8名(生徒7名)、大鼓1名、太鼓1名で、総勢20名による演奏です。メンバーの日本人生徒は、舞台2列目の右手方で小鼓の演技を熟していました。

 長唄 本調子メドレー ビデオ
また、長唄本調子メドレーに出演メンバーは下記の下線文字をクリックすると見られます。戻るときはブラウザ左上の「←」キーを押します。

 長唄本調子メドレー出演者


 長唄 本調子メドレー(写真拡大)

・長唄 鞍馬山
4番目の演目も、日本人の演奏による1856年(安政3年)に二杵屋勝三郎が作曲した長唄 鞍馬山で、仇を討つため鞍馬山で修業する牛若丸に、大勢の天狗が木太刀で襲いかかり激しい立ち回りとなったが、最後に天狗共が逃げうせるという筋を唄った曲です。演奏は長唄に三味線と囃子の笛、小鼓、太鼓の演奏で、山田連、崇兄弟の演ずる笛と小鼓は人気を博していました。山田兄弟は、お父さんが邦楽の集いで演奏している福原流笛方の福原寛で、国立音楽大講師、歌舞伎、日本舞踊会などで古典を中心とした演奏活動を行っています。

 長唄 鞍馬山 山田兄弟の笛と小鼓の演奏に人気です ビデオ
また、長唄鞍馬山に出演メンバーは下記の下線文字をクリックすると見られます。戻るときはブラウザ左上の「←」キーを押します。

 長唄鞍馬山出演者


 長唄 鞍馬山(写真拡大)

・長唄 助六
長唄 助六は5番目の演目で、十代目杵屋六左衛門が作曲して、1839年(天保10年)3月に初演の中村座で八変化舞踊「花翫歴色所八景」の中の1曲で、歌舞伎18番の「助六」を舞踊化した曲のため、河東節の影響を受けてそれを巧みに長唄化したものです。
長唄 助六では、生徒は三味線8名、笛1名が演奏し、総勢22名の登場ですが、知り合いの生徒は3列目の左端のため、残念ながら演奏はよく見えませんでした。この回は、演奏のビデオは無く、生徒が演奏内容を紹介する模様を撮影しました。

 長唄 助六 の演目紹介をする生徒達
また、長唄助六に出演メンバーは下記の下線文字をクリックすると見られます。戻るときはブラウザ左上の「←」キーを押します。

 長唄助六出演者


 長唄 助六(写真拡大)

・長唄 老松
A公演の最後の演目は、杵屋六三郎が1820年(文政3年)に作曲した長唄 老松で、劇場音楽から離れた純演奏曲です。母・ますの80歳の祝いに、「ます」を「まつ」に通わせて作曲し、作詞も作曲者本人といわれています。松風合方は初演の折は無く、後に十代目杵屋六左衛門が作曲者の了承を得て、作曲しました。老松のめでたさからはじまり、松にちなんだ風景や風物などが変化のある曲調で展開されます。
立方(踊り手)の日本舞踊・振付家の林千永は、3歳で林流二世家元・林 一枝に入門。東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業し、古典の舞台を踏む一方、創作、ライブ「林 千枝の踊りカタログ」、イベント・演劇の構成・振付・出演等を行っています。
出演は立方が1名入り、長唄4名(生徒1名)、三味線9名(生徒5名)、囃子に笛1名、小鼓1名、大鼓1名、太鼓1名の総勢18名の出演です。

 長唄 老松 ビデオ 
また、長唄老松に出演メンバーは下記の下線文字をクリックすると見られます。戻るときはブラウザ左上の「←」キーを押します。

 長唄老松出演者


 長唄 老松(写真拡大)

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イベント 外国人邦楽演奏 第10回インターナショナル邦楽の集い その1

2011年03月05日 | イベント
kan-haru blog 2011 長唄 いきおい演奏

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インターナショナル邦楽の集い
久しぶりに、異業種交流会メンバーの常連出演の方より「第10回インターナショナル邦楽の集い」のご案内を頂きましたので、感動の演奏を観賞させて頂きました。インターナショナル邦楽の集いは、邦楽家の西村真琴さんが主催する「代田インターナショナル長唄会」で、日本に滞在し、日本文化を知りたいと思っている外国人のために、主に長唄の三味線をほとんど無報酬で教授しておられる篤志家で、滞在期間の制約がある短い稽古経験で舞台に立って、日ごろの生徒の成果を示すための、日本人演奏家のバックアップする中での発表会の催しなのです。

 第10回インターナショナル邦楽の集いパンフレット(:表面拡大、:裏面拡大)

代田インターナショナル長唄会の歴史は、2001年10月20日に神楽坂 矢来能楽堂で「インターナショナル長唄・能演奏会」が開催され、翌年6月29日に同所で「第1回インターナショナル邦楽の集い」が開かれ、今年の2月27日に元神明宮(港区三田1-4-74)で「第10回インターナショナル邦楽の集い」が行われ節目を迎えました。
インターナショナル邦楽の集いを初めて観賞したのは、2004年の本願寺ブデイストホールで、日本人でも難しい邦楽を外国人が熟して演奏するのに感動しました。それ以来、2005年梅若能楽学院と、2007年青山鉄仙会能楽堂(「イベント 外国人邦楽演奏 インターナショナル邦楽の集い その1、2」参照)へと通い、2008年梅若能楽学院(「イベント 外国人邦楽演奏 インターナショナル邦楽の集い2008」参照)と5回連続で外国人邦楽演奏を堪能しました。

元神明宮での邦楽の集い
今年の元神明宮での「第10回インターナショナル邦楽の集い」は、3年振りに観賞させて貰いました。元神明宮へは、都営1号線の大門駅で大江戸線に乗り換えて、赤羽橋を下車し都道319号を西に進み交差点を左に折れ、中之橋を渡り約150m進むと3差路の左が元神明宮のビルで、駅から5分足らずです。会場は、階段またはエレベータで昇った1階に邦楽の集いの演奏会場があります。

 中之橋を渡り元神明宮会場へ

邦楽の集いも回を重ね10回目の節目を迎え、外国人生徒の演奏のテクニックは高まりました。それにしても、日本人でも得とくが困難な邦楽の心を見につけ、その長唄や器楽の演奏は素晴らしく、多くの邦楽を知らない日本人に感動を与えてくれます。
第10回の邦楽の集い公演は、14時30分~16時のA公演と、16時30分~18時のB公演の2部構成で、それぞれ6曲目が公演され、今回は時間の都合でA公演のみを観賞しました。

 A公演チケット

元神明宮の公演会場はやや狭く、観客席は舞台前の席がシート敷で、中間は複数個のテーブルを重ねた座席で、後方は折り畳み椅子を並べて多くの入場を収容しようとの工夫の席ですが、開場の14時から観客が詰めかけ、開演直前には外国人生徒の演奏の人気で満席となり立ち見の盛況でした。

 会場風景(左:会場直後の前面座席、中:開演直前の中間座席、右:開演直前の後部座席)

・長唄 いきおい
A公演の最初演目は、初代杵屋正治郎作曲の長唄 いきおい で1787年(天明7年)正月に江戸の桐座で、市川高麗蔵の五郎、瀬川富三郎の化粧坂少将で初演された草摺引の所作事です。邦楽の集いでは演目の紹介等は、出演者が交代で行うのが通例で、日本語と外国語で行います。次の下線文字をクリックすると、演目に関する注意の紹介の一部がビデオで見られます。ビデオから戻るときはブラウザ左上の「←」キーを押すと現画面にもどります。

 演奏前の注意事項もコミカルに 紹介ビデオ

また、長唄 いきおい 出演メンバーは下記の下線文字をクリックすると見られます。戻るときはブラウザ左上の「←」キーを押します。

 長唄 いきおい出演者

長唄 いきおい出演者は、長唄が5人(生徒2名)、三味線が13人(生徒9名)で、囃子が笛1人、小鼓1人、大鼓1人、太鼓3名(生徒2名)での演奏です。

 長唄 いきおい演奏(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 梅の名所を忍ぶ 広重の浮世絵で梅の名所として有名な変わりゆく梅屋敷公園

2011年03月03日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2011 梅屋敷公園
         
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梅屋敷公園
かっては、梅の名所であった梅屋敷公園(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 梅屋敷公園」参照)の現状は、京浜急行電鉄の梅屋敷駅と京急蒲田駅の中間の第1京浜国道沿いにあり、西側は京急の3層高架化工事現場に接しており、公園地の一部を工事のヤードとして借り上げられました。

 梅屋敷公園航空写真MSN(2008年5月頃撮影)


また、梅屋敷公園と第1京浜国道を挟んだ対面では、巨大な大田体育館の建替え建設が行われており、その第1京浜国道の公園側は幅員の拡幅が行われる予定であり、周囲の状況はとても梅の名所の環境ではありません。

  建替え工事中の大田体育館

それでも、聖跡梅屋敷公園は、明治天皇に愛されて入り口に「明治天皇行幸所蒲田梅屋敷」の石碑が建っており、京急の高架工事以前までは昔の梅の名所であった公園には、かなりの梅の木が植えられていましたが、目の前の第1京浜国道の排気ガスで年々と梅の木の勢いは衰えてきました。梅の季節を迎えた2月23日に、ぶらりと現在の梅屋敷公園に行ってきました。

 梅屋敷公園入口

第1京浜国道から公園に入ると、突き当りには3階建ての高架橋が聳え、手前には無粋な工事のヤードの白塀が建っています。

 ヤードで狭くなった梅屋敷公園(左:梅屋敷公園のヤードの先には3階高架橋が建立、右:ヤードの白塀で分断され小さくなった梅屋敷公園20070519)

それでも、公園の数少なく残された老衰した梅の木には花を付けていました。今年の冬は、気温の低いせいで花の開きが、少し遅いようです。

 季節がきて花を付けた梅屋敷の梅(写真拡大)

高架工事のヤードで縮小のため、削られた池の周りの梅の木だけの本数はかなり少なく、明治天皇の行幸が九度あったという、かっての聖跡梅屋敷公園の面影は感じられません。梅を見ながら、池の周りを一周しても5分もかかりません。

 梅屋敷公園池の廻りの梅(写真拡大)

なお、ヤード内に植えられていた梅の木は他に保存してあるようですが、復元しても今度は第1京浜国道の幅員拡幅により、工事が始まれば現状とほぼ同じの幅の奥行きで、公園の面積は広くなりません。

 第1京浜国道幅工事と梅屋敷公園説明図

しかし、かってはの名園の梅屋敷公園です。狭い公園内には、今もいくつかの石碑が残されています。

 梅屋敷ゆかりの句碑・歌碑(左上左下:狂歌堂真顔の歌碑・説明板、中上中下:梅路、梅志の句碑・説明板、右上右下:山本久蔵の句碑・説明板)

大田区体育館建替え工事
公園内から東方の第1京浜国道を見ると、巨大なクレーンが動いて旧大田区体育館(東蒲田1-11-1:平成20年3月31日閉館)の跡地に、大田区総合体育館の改築が進められています。体育館の施設は、メインアリーナが1,824平方メートルで固定と可動観客席が4,000席、サブアリーナが約714平方メートルで固定席が200席、体育室1、2が計287平方メートル、会議室が約100メートル、弓道場が近的28メートルの5人立ち、その他の設備として駐車場、駐輪場、更衣室、控室、トイレ等が整備されます。
体育館の建物は、約8,588平方メートルの敷地面積に、建築面積が約5,813平方メートルで、延べ床面積が約13,970平方メートルの規模です。改築工事の期間は、平成24年3月16日に完成の予定で、現在は地上階メインアリーナ躯体の屋根鉄骨工事が行われています。
工事の模様を、第1京浜国道上の梅屋敷公園横断歩道橋上から2月22日に撮影しました。

 大田体育館の建替え工事(写真拡大)

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 3月INDEX

2011年03月01日 | INDEX
kan-haru blog 2011 3月1日31版

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全て(2006年3月から最新まで)の検索ができます。

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ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
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番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の11年2月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版2009年後期版2010年前期版2010年前Ⅱ期版2010年中期版2010年後期版2011年前期版
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町2月の風景・風物誌 諏訪神社の節分・初午と金山神社の針供養他 2月14日
 9 大森町界隈あれこれ イベント  
 ■ 大森町界隈あれこれ 桃の節句 親子代々の七段飾りひな人形を目の前でゆったりと観賞 2月28日
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
 
  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 関連側道高架化全工区下り線工事2011年版高架化全工区下り線工事2010年版全工区統合2009年版全工区統合2010年版、大森町付近工区:2006・2007年版2008年版2009年版梅屋敷付近工区、京急蒲田付近工区:2006~2008年版2009年版雑色付近工区糀谷付近工区
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その1) 2月16日 
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その2) 2月18日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その3) 2月20日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その4) 2月23日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その5) 2月26日

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2011年版 
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版
23 旅ものがたり 総目次
 ■ 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 八木の鼻漁港さびき釣り、鳴門渦潮水中観測船、淡路島周遊(第3日目その2) 2月3日
 ■ 旅ものがたり 徳島鳴門旅行 八木の鼻漁港さびき釣り、鳴門渦潮水中観測船、淡路島周遊(第3日目その3) 2月6日
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2010・2011年版
26 ITと技術 総目次
 ■ ITと技術 日本の宇宙技術 講演と宇宙展を見て小惑星物質を持ち帰ったはやぶさの技術に誇りその1 2月8日
 ■ ITと技術 日本の宇宙技術 講演と宇宙展を見て小惑星物質を持ち帰ったはやぶさの技術に誇りその2 2月10日
 ■ ITと技術 日本の宇宙技術 講演と宇宙展を見て小惑星物質を持ち帰ったはやぶさの技術に誇りその3 2月12日
27 Weblog 総目次

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