K&A

kan-haruの日記

大森町界隈の風景 大森町駅付近のゆく年の風景

2007年12月31日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2007

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大森町近辺の年の暮れゆく風景や、師走に行われたイベントなどを回って見てきました。

大みそかの大森町商店街風景
・風物年越しそばとおせち料理の売り出し
大森町商店街には、何軒かの日本そばのお店があります。その中の「満る賀」やと「つちや」そば店では大みそかの開店とともに、恒例の年越しそばを、通りすがりの買い物客に声をかけて売り出しを行っておりました。
年配者には、お正月のおせち料理は欠かせません。大みそかにも商店街の「にしはら」惣菜店やスーパーの「サミット」と「マルエツ」には沢山の正月用品の買い物客で混雑しておりました。


・京急高架化工事関連で薬やさん閉店
大森町商店街の大森町駅東口正面で、50年の間開店していた「ホケン堂」薬局が、12月31日をもって閉店となります。
閉店の「ホケン堂」薬局は、京浜急行線路際に位置し、高架化工事と大森町商店街通り拡幅工事(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第9回)」参照)の両方にかかり、立ち退きのため閉店となり、長年の馴染みのお店が無くなることは、地元住民にとっては大変に寂しい思いがします。



変わりゆく大森町駅周辺
大森町駅周辺は、京急高架化工事と関連道路新設及び拡幅工事や内川護岸工事と大森諏訪公園移転整備工事(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.22)」参)等により、よい方向に改善されるものと失うものとがあり、町並み等が大きく変化していきます。


大森町駅周辺の過去の記録は、殆んど見当たりません。これからは、大森町駅周辺の保存しておきたい記録と、変わりゆく姿をできる限り残すようにしていきたいと思っております。



大森西3丁目町会お楽しみ会
大森西3丁目町会では、これまでの町会運動会に変わり、師走の12月9日に開桜小学校体育館で「お楽しみ会」を開催しましたので見てきました。
お楽しみ会では、焼きそばが配られ、子供と大人の輪投げ大会と「星和彦のマジックショー」が行われ、輪投げの参加者には景品が渡され、成績高得点者の発表がありました。



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今年も沢山のアクセスを頂き有り難うございました

2007年12月28日 | Weblog
kan-haru blog 2007

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お陰さまで、2006年3月にブログを開始して以来、投稿数も333件に達しました。
この間に、12月26日現在のアクセスIP数の累計が40,031件、閲覧数の累計が117,636件に達しました。
皆様から、沢山のアクセスを頂き、誠に有り難うございました。

現在、整備のため投稿をしばらくの間中止致しておりますが、整い次第再開致します。
これからも「大森町界隈あれこれ」をテーマとして、大森町界隈の出来事の記録、京浜急行高架化工事の記録、大森町の戦災・終戦直後の手記(若山氏)を解説付きで継続掲載して参ります。
その他、大森町を含む各地の風物誌や旅行記などと共に、ITなどの技術関係の情報も掲載して行く予定ですので、これからもよろしくご指導をお願い致します。

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イベント 明治大学理工学部 ホームカミングデー その2

2007年12月20日 | イベント
kan-haru blog 2007 写真:構造物試験棟

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ホームカミングデー行事(2)
・記念講演
ホームカミングデー目玉の行事の記念講演は、開会式に引き続き11時30分から農学部桶渡さゆり准教授の司会により、農学部OBの上野動物園園長小宮輝之氏(略歴)の「動物とともに35年」をタイトルにした、1時間にわたる講演でした。

 上野動物園園長小宮輝之氏の講演(拡大)

講演は、今人気の高い旭山動物園も意識し、多摩動物園での新米飼育時代、飛来数の少なくなったツルの人工孵化、くまたちの丘、外国の動物園との関係や動物園の役割などについて話され、長年動物園で数多くの生き物と真剣に接してきた豊富な体験談の一端を披露して頂き、大変興味深く拝聴し感動しました。

       (拡大)                                (拡大)

・懇親会
会場を生田食堂館のスクエア21の3階に移し、12時50分から鎌田弘之氏の司会により懇親会が開かれました。懇親会は、副実行委員長倉田武夫氏の開会挨拶にはじまり、1977年卒業代表の渡上志郎氏挨拶、退職教職員代表のやや長い挨拶の吉本晋氏の乾杯で懇親に入りました。

      懇親会会場         開会挨拶倉田氏       卒業生渡上氏挨拶


 退職教職吉本氏乾杯音頭                懇親風景

・アトラクション
懇親会のアトラクションとして、「明治大学混声合唱団」による合唱が披露され、演奏曲目は、「いざたてた戦人よ」「宿埴生の宿」「Chim Chim Cher-ee (メリーポピンズより)」「なぎさ歩めば」「農民の合唱(喜歌劇マルタより)」を鑑賞しました。
合唱の最後は、全員で校歌を斉唱しエールの後、中〆挨拶、閉会挨拶で懇親会を終了しました。



                      全員で校歌斉唱           エール

・施設見学ツアー
懇親会が終了し後は、待望の卒業半世紀後の学びやの研究室の見学です。先ず最初に、生明祭でかなり混雑の構内路を北に、第二校舎1号館に向かいあった「構造物試験棟」で、構造物に3軸の圧力をかけて地震に対する実挙動の試験・研究をする装置を見学しました。
次に、北隣の「振動試験解析棟」で、機器装置等の3次元の振動を加える振動台の見学をしました。

    振動試験解析棟               構造物試験棟実験室


                    振動試験解析棟実験室

3番目の施設は、式典を行った2号館校舎の隣の6号館で2班のコースに分かれて、「超音波物理実験室」と「機器分析室」の見学で、実験設備装置の値段が10臆円と聞き驚きました。われわれの工学部時代には、とうてい想像もつかないことで、母校も時代にのり発展していることが感じられました。

   二号館6号校舎                    機器分析室

最後の見学は、6号館の南隣の受付場所の第二校舎A館と一巡して、「電子素子実験室」の無機エレクトロルミネッセンス(EL)の次期研究の状況を、説明して貰いこの分野の革新の早さに感心すると同時に、もうわれわれの時代ではないことも認識させられました。

            超音波物理実験室               A館電子素子実験室

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イベント 明治大学理工学部 ホームカミングデー その1

2007年12月18日 | イベント
kan-haru blog 2007

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第4回ホームカミングデー
明治大学理工学部の第4回ホームカミングデーが生田校舎で、11月24日土曜日に開催され招待状が届きましたので、参加して現在の学びやの変革振りを見てきました。
昨年は、駿河台の第9回ホームカミングデー(「イベント 明治大学 ホームカミングデー(その1、2)」参照)に招待され、2年連続で楽しく参加させて頂きました。

第4回ホームカミングデーの招待対象者は、1956、57年から10年おきに1996、97年までの10学年次の卒業生が該当し、卒業後半世紀が経過しての最初で最後の参加です。
入学当時は、工学部の電気工学科、機械工学科、建築学科の3科で、神田駿河台地区校舎で(「風景・風物詩 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その2)」参照)学び、卒業式は、明治大学記念館で行われました。

生田キャンパス
明治大学理工学部生田(いくた)校舎(川崎市多摩区東三田1-1-1 地図参照)は、1964年4月に明治大学農学部内に工学部校舎を新築して移転を開始し、翌年には工学部、大学院の全てが移転しました。
生田キャンパスは、多摩川の西岸の川崎市多摩区の丘陵地区生田の高台にあり、農学部の畑をはじめとして、周囲は農業地区でありました。また、小田急線の生田駅の両隣方向には、読売ランドと元向ヶ丘遊園地(現在「生田緑地 ばら苑」として残こされている)の二大遊園地があった所です。


・理工学部沿革
1944年に東京明治工業専門学校設置。1949年に神田駿河台地区校舎で新制大学工学部開設。1964年に生田校舎に移転。1989年に工学部6学科、理系3学科を加え理工学部の発足。2007年に電気電子工学科と電気通信工学科を再編して電気電子生命学科を新設。
・農学部沿革
1946年に明治農業専門学校設置。1949年に新制大学工学部開設。1959年に大学院農学研究科設置。

生田校舎式典会場へのアクセス
生田校舎(地図参照)は、大森町から西北西の川崎市多摩区にあり、京浜急行で京急川崎でJR南部線に乗り継ぎ、登戸駅で小田急電鉄に乗り換えて生田駅南口下車して徒歩10分でキャンパスの登校路門(Top写真)です。

登校路門からホームカミングデー開催の式典会場へは、高台を階段か坂道を登って行きますが、足の衰えを考え坂道を選びましたがかなりの急坂で、元気な学生に追い越されながらの休み休みでやっと登りつめました。
坂を登りつめた校舎の構内は、南北に直線の広い構内道路があり、式典会場の2003番教室は第二校舎1号館前の広場を抜けた奥が受付のある第二校舎A館で、その後ろ側の校舎が第二校舎2号館が会場です。
初めてのキャンパスなので、密集した校舎群と生明祭の混雑で迷いました。

                         生田坂

生明祭
当日は、23から25日開催の第7回生明祭と重なり、賑やかな生田キャンパス風景を眺められましたが、残念ながらホームカミングデーの行事で時間がなく、折角の青春のお祭りには参加できませんでした。


明治大学の学園祭は、この生明祭と和泉校舎の明大祭(11月2~4日開催)があります。今年の学園祭には、7万6千人(生明祭4万3千、明大祭3万3千)の来場で賑わったようです。
生明祭は、昔の生田祭から衣替えして今年7回目のテーマは「虹~find your color~」です。


ホームカミングデー行事
ホームカミングデーの行事は、農学部と共催で開会式と記念講演が行われ、懇親会と施設見学ツアーは理工学部の主催で開催されました。
・記念式典
10時半に登校路門に着き、坂を登り構内道路に生明祭の沢山の露天と第二校舎広場の屋外仮設舞台の学生のアトラクションを眺めながら、第二校舎A館3階で受付を済ませました。
11時少し前に、第二校舎2003番教室に入場して記念式典を待ちました。

               受付風景                   記念式典会場

農学部・工学部合同開会式は、11時15分に理工学部教務主任の鎌田弘之さんの司会で開始され、農学部長の米山勝美教授と理工学部長の向殿政男教授の挨拶の挨拶で式典が行われました。

                農学部長米山勝美教授(拡大) 理工学部長向殿政男教授(拡大)

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風景・風物詩 江戸時代から続く千躰荒神祭 竃の神様として賑わう海雲寺 その2

2007年12月16日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2007

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平蔵地蔵
境内の中央の庭に立像と二体のお地蔵様が祀られております。右側のお地蔵様が平蔵地蔵で、由来の石碑が立てられています。
菩薩のような平蔵の地蔵は、青物横丁の松並木の所に石の地蔵像を立て供養されていたが、その場所に京浜電車が開通することになり、当時の海雲寺住職横川得諄和尚が境内に移して回向しました。
平蔵地蔵尊の信仰こそ荒んだ人心を洗うものであるとの、篤信者があり賛同と援助を得たので、海雲寺並に荒神王を参詣する総ての人にお参りいただくため、本尊前庭に移し奉安することになったと由来に書かれています。

                     平蔵地蔵(右)(拡大)    平蔵地蔵の由来石碑(拡大)

平蔵地蔵の由来石碑から抜粋
江戸の末1860年頃 鈴ヶ森刑場の番人をしながら交代で町に出て施しを受けて暮らしていた三人連れの乞食がいた その一人平蔵は或る日 多額の金を拾ったが落とし主を探し 当然のこととして金を返し お礼の小判を断った そのことを知らされた仲間の者は金を山分けすれば三人とも乞食を止めて暮らせたのにと腹を立てて正直者の平蔵を自分たちの小屋から追い出し凍死させてしまった これを聞いた 金の落とし主である仙台屋敷に住む 若い侍 平蔵の遺体を引きとり 青物横丁の 松並木の所に手厚く葬り そこに石の地蔵尊をたて ねんごろに供羪しつづけた
明治三十二年十月 京浜電車が開通することになったが 生憎その線路 地蔵尊の土地がかかり 時の海雲寺住職 横川得諄和尚が 菩薩のような 功徳の君子 平蔵を 長く社会の木鐸たらしめんと 願望して当寺境内に 移してもらい回向した

たまたま篤信者あり平蔵地蔵尊の信仰こそ荒んだ人心を洗う甘露の法乳であると賛同と援助を得たので海雲寺並に荒神王を参詣する総ての人にお参りいただくため本尊前庭に移し奉安することとなった ここに平蔵地蔵の由来を略記し讃仰の資とす
昭和六十一年十月吉日  龍吟山 海雲寺二十三世 如雲裕生 僅誌

千躰荒神祭の名物と露天
千躰荒神祭には、昔から商家の”かまど起こし”の縁起と結びつき、東京ではではここだけにしか売っていない縁起物のお釜おこし・荒神松・ご守護、久寿餅などの名物が出ています。
江戸庶民の味であった、豆いたや生姜糖などが最近では、あまり目にしなくなってきました。

・名物


   荒神松の店(拡大)       お釜おこしの店(拡大)       久寿餅屋(拡大)

三方荒神御尊影の祀り方
家庭の台所の清らかな場所で、神棚は目の高さよりやや上にお祀りします。御札は東向きまたは南向きに祀りますが、北向は避けます。花は榊、又は荒神松を供えます。

・露天
海雲寺周辺の境内、参道や旧東海道には、煎り銀杏・ゆで豆・唐辛子・南天の箸・乾物・暦・竹細工・植木等々珍しい露店も、数多く立ち並び、関東一円からの参拝客でごった返します。
28日の午後1時頃の参詣では、参道もそれほどの混雑ではなく、護摩の受付とお札受け所の行列はありませんでしたが、参詣者は途絶えることなく続いてました。

      乾物店              植木屋          池上通り付近の露店


             本堂参道の露店                参道付近の露店

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風景・風物詩 江戸時代から続く千躰荒神祭 竃の神様として賑わう海雲寺 その1

2007年12月14日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2007

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千躰荒神祭
京浜急行青物横丁駅の東側の線路に沿った路地の塀内は、千躰荒神様として古くから信仰されている海雲寺です。
海雲寺(品川区南品川3-5-21 地図参照) は、毎年3月と11月の27、28日に千躰荒神祭が開かれ、火と水を守る竃の神様としてご利益により、江戸時代から関東一円の多くの人々の信仰を得て、今でも荒神祭は平日でも参詣客で大変混雑します。
千躰荒神祭は、午後5時までの日中で、平日に当たる日が多く行く機会が少なかったのですが、11月28日にお参りしてきました。

参詣路
海雲寺の下車駅の青物横丁という駅名の由来は、地名をとったもので、江戸時代の終わり頃この地に農民が収穫した「青物」を持ち寄って市を開いたことからきていると云われています。
青物横丁駅を降りると改札口が品川方向にあり、改札を出て直進すると池上通りへ出る階段ですが、改札口の右手に海雲寺出口がありその階段を降り、路地に沿って旧東海道に出ます。

                   青物横丁駅海雲寺出口

旧東海道を左に曲がると、この辺たりは江戸時代の南品川宿で、通常の縁日には見られない台所用品、竹細工或いは古着や和服小物の店などの、沢山の露天が立ち並び参詣客で歩くのが大変で、池上通りまで続きます。

  千躰荒神石標(拡大)  旧東海道南品川宿荒神様参詣路 参道前には竹細工の店(拡大)

参道の正面は山門で、門をくぐると境内の正面に堂が2つあり、右側が本堂で1251年(建長3年)に不山東用和尚の開山で曹洞宗、本尊の十一面観音像が安置されております。

      参道              山門(拡大)            境内(拡大)

山門の正面に位置する本堂左手の護摩堂には、千躰荒神様が祀られております。荒神様は、大日如来、文殊菩薩、不動明王の三身を表していて、憤怒の形相をしています。
天井には、1930年(昭和5年)に「東京各区消防組」が奉納した、「纏」のレリーフが天井一面に描かれています。

                      護摩堂(拡大)

荒神様は、竃の神様ですので、台所を預かる女性の参拝車が多く、各家庭の台所に祀っているお宮を風呂敷に包み参詣するのがしきたりで、護摩を焚いて頂いて祈願して新しいお札を受けます。

                      護摩祈願(拡大)     千躰荒神様の由来(拡大)

台所を守ってくれるご利益を授かるには、昔から帰り道には決して寄り道をしてはいけないと云い伝えられております。

                        本堂(拡大)   烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)殿

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その4)

2007年12月11日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2007 写真は環八通り先行立体交差高架橋

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環八通り先行立体交差高架化
京急蒲田駅付近連続立体交差事業は、複雑な立体化工事のため工事期間は平成27年の完工予定と長期にわたるため、先行して環八通りの本線上り線の立体交差高架化進めております。
環八と交差する仮立体交差高架橋は、京急蒲田第2踏切付近を始点とし、旧出村駅付近の京急蒲田第8踏切の南側までの約500mです。この高架橋の建設は、2007年の夏頃にはほぼ完成しており、本線上り線の移設が終了しましたので、2008年の春頃には線路を敷設し使用され予定です。これにより、環八通りの踏切は本線下り線の線路のみとなりますので、交通渋滞がかなり解消されます。

 環八通り先行立体交差高架橋蒲田側 左:第2踏切から見た先行高架橋終端付近(拡大)
 中:京急蒲田第4踏切付近の先行高架橋(拡大)、右:環八通り上の先行高架橋(拡大)


 環八通り先行立体交差高架橋横浜側 左:蒲田第5踏切横浜展望の先行高架橋(拡大) 
 中:蒲田第6踏切から見た先行高架橋(拡大)、右:第8踏切から見た先行高架橋(拡大)

京急蒲田第2踏切道
京急蒲田第2踏切は、旧上り3番線線路が廃線となり、同踏切を通る本線上下線の線路は移設により間隔が接近しました。その結果、踏切の横断距離は、12mから8mと狭くなり、12月8日から踏切道が変更されました。

 上り線移設前の第2踏切(拡大) 上り線移設後の第2踏切(拡大) 移設後の踏切道(拡大)

京急蒲田空港線第1踏切付近
京急蒲田空港線第1踏切付近に空港線用の本設橋脚が2本建てられたのは2004年8月で、この時はまだ空港線は、16m山側の旧1番線ホームから発着していて、ホームからカーブを切って橋脚の南側を通過して第一京浜国道を横切っていました。
2005年10月に空港線が、仮設空港線1番ホームに移設しての発着になると、ホームからのカーブは2本の橋脚の間を通過し、やや鋭角に第一京浜国道を横切るように変更されました。
2007年12月には、空港線上に高架橋建設の工事機械が出現しました。

 空港線第1踏切付近 左:ホームからカーブを切って橋脚の間を通過する空港線(拡大)
 中:第一京浜国道を鋭角に横切る空港線線路、右:空港線上に工事機械が出現(拡大)

公共地下通路
1965年11月に本線の8輌停車のホーム延伸工事が行われ前までの京急蒲田駅は、下りホー南端に駅舎があり改札出口でした。それより以前には、京急蒲田駅の出口前には、山側と連絡する京急蒲田第1踏切がありました。
京急蒲田第1踏切は、1995年7月に本線の12輌停車のホーム延伸工事が行われた際に、地下道で連絡するようになり、現在も使用されており高架工事が完了するまで残されることと思われます。

 京急蒲田第1踏切跡の公共地下道 左:公共地下道通路図(拡大)、中:公共地下道東口
 右:公共地下道西口

京急歴史:出村駅 (元出村駅跡の地図)
1923年京急が専用軌道に移設された時に、京急蒲田駅と雑色(ぞうしき)駅間の京急蒲田第7踏切に接して出村(でむら)駅が設けられました。
1936年に品川-上大岡間に急行電車の運転が始まり、普通列車の退避線が設けられ急行停車駅となり、デ93号新車の急行電車が夏には海水浴客を運んでいた時代がありました。
急行停車駅の出村駅は、その後の世界大戦の空襲で被災焼失し駅は休止となり、戦後の1949年に廃止となりました。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その3)

2007年12月09日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2007

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本線上り仮設3番線を通過の電車
京急蒲田駅構内の本線上り列車は、12月2日から第一京浜国道側へ約16m移動した上り線路を走り、上り仮設3番ホームに停車します。

 仮設本線上り3番線を通る上り電車
 左:梅屋敷第4踏切を通過する快速特急の京急600形 KEIKYU BLUE SKY TRAIN (拡大)
 中:仮設上り3番ホームに停車中の快速特急 京急N1000形電車(拡大)
 右:仮設2番線ホームから見た仮設3番線に入線中の快速特急 京急2100形電車(拡大)


                京急蒲田駅仮設ホーム配置図(再掲)
             
・本線上り仮設3番線線路
在来の旧上り本線線路は、梅屋敷第4踏切から京急蒲田第2踏切間を、ほぼ直線で敷設されていました。
高架化工事のため、駅構内を約16m第一京浜国道側に移動した上り仮設本線線路は、2006年に移設した下り本線線路と平行して敷設され、京急蒲田第2踏切付近で右にカーブを切り、3番線仮設ホームを直線で抜け、左にカーブを切り元の上り本線線路との接点で合流します。

 梅屋敷第4踏切付近の上り仮設3番線線路 左・中:上り仮設3番線線路(左)と下り線路(右)
 右:梅屋敷第4踏切から蒲田駅を眺める、上り仮設3番線線路(右)と下り線路(左)(拡大)


 蒲田第2踏切付近の本線上り仮設3番線線路
 左:横浜方面展望の上り仮設3番線線路(中央)と撤去予定旧上り3番線線路(右)、左は本線下り線路
 中:駅ホーム方面の上り仮設3番線線路(左)と本線下り線路(右)、分岐線路は空港線(拡大)
 右:本線下りホームから見た上り仮設3番線線路(右)と本線下り線路(左)、分岐線路は空港線(拡大)

・撤去の旧本線上り3番線線路
旧上り3番線線路は、1923年に専用軌道になって以来の開通時のままの軌道ですが、今後この線路は撤去され、京急蒲田駅付近連続立体交差事業により歴史が変わります。

 梅屋敷第4踏切付近の旧上り3番線線路 左・中:移設により廃線となった旧上り3番線線路
 右:梅屋敷第4踏切上の廃線となり撤去される旧上り3番線線路(拡大)

 蒲田第2踏切付近の旧上り3番線線路 左中:移設により廃線となった踏切上の旧上り3番線線路
 右:横浜方面から蒲田旧3番線ホームを直線で施設されていた旧上り3番線線路(拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その2)

2007年12月07日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2007 写真:閉鎖された京急蒲田駅跨線連絡橋東口出口(拡大) 

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高架化工事のための撤去駅施設
京急蒲田駅上の高架化架橋工事のための、仮上り線ホームの移設が12月2日に完了しましたので、工事に支障となる不要の駅施設の撤去がこれから始まります。

 仮上り線ホームの移設前の京急蒲田駅構内図、1・2番線仮ホームと線路を除いて撤去予定

・跨線連絡橋
京急蒲田駅跨線連絡橋が造られるまでは、1・2番線ホーム南端に位置した改札口から、本線上り3番線ホームへの連絡通路は構内踏切を使用しており、空港線と本線上り間の乗り換え客は必然的にホーム南端の構内踏切を渡っておりました。このため、ホームの北端からの乗り換えには不便をきたし、乗客の流れも不自然でした。このため、1965年11月の駅舎の新築工事の際に、両ホームの中央部付近に跨線連絡橋が建設されました。

1993年4月には、空港線が本線の都心と直通運転が開始され、乗り換えの流れが緩和され、また、京急蒲田駅西口出口が3番線ホームに設けられました。
1995年7月には、ホーム南端の京急蒲田第一踏切を地下道にして、本線上下線ホームを12輌停車ホームに延伸し、さらには、1998年11月に空港線が横浜方面とも直通運転を開始しました。

この間に、跨線連絡橋には、2002年5月に連絡橋上に東口改札口が設置され、京急蒲田駅東口出口が階段とエレベーターで第一京浜国道に結ばれました。さらに、ホーム延伸に合わせて、1・2番線と3番線の両ホーム間の連絡路を増設のため、延伸したホーム上付近に地下道連絡通路が新設されました。

京急蒲田駅付近連続立体交差事業が進展した2006年11月には、旧1・2番線ホームは仮1・2番線ホームに移設されましたので、旧ホームへの跨線連絡橋階段は閉鎖され、仮1・2番線ホームとの跨線連絡橋階段とエレベーターが連絡通路(上図参照)となりました。

さらに、今回の2007年12月2日の本線上り仮3番線のホーム移設の使用開始に当たり、跨線連絡橋の設備は完全に閉鎖され、今後は京急蒲田駅上の高架化架橋架設の障害となるため撤去が行なわれます。

 跨線連絡橋設備の閉鎖 左:仮1・2番線ホームの閉鎖された跨線連絡橋への階段
 中:閉鎖された跨線連絡橋へのエレベーター、右:閉鎖された東口出口のエレベーター


 本線上り仮3番線ホームを跨ぐ撤去待ちの跨線連絡橋 中:拡大、右:拡大

・本線上り旧3番線ホーム
本線上り旧3番線ホームは、京急の前身時代の京浜電鉄の路上停留場から、専用軌道に改良された1923年4月に造られた時と同じ場所にありますが、ホーム長が昭和のはじめの2輌連結運転時代の30~40mから、12輌連結運転の約390mへと延伸しております。
今後は、暫定使用の同ホーム上に設置されている、京急蒲田駅西口改札出口の部分を除き、高架化工事の支障となる旧3番線ホーム設備は撤去されます。

 役務を終えた旧上り3番線ホーム 左:西口改札口付近から品川方面の旧3番ホーム
 中:跨線連絡橋階段下の旧3番ホーム、右:京急蒲田駅第二踏切から望む旧3番ホーム

・旧地下連絡通路
12輌連結運転開始時に造られた旧地下連絡通路は、旧3番線上りホームと空港線ホーム間の乗り換え乗客のために設けられました。旧地下連絡通路は、今回の駅上の高架化架橋工事のため、旧3番線上りホームが3番線仮ホームに移設して使用を廃止されたため不要となり、ホーム設備ともに撤去されます。

 閉鎖された旧地下連絡通路 左:旧地下連絡通路階段、中:閉鎖された地下連絡通路階段
 右:本線上り仮3番線のホームの新地下連絡通路階段

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大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その1)

2007年12月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2007 写真:本線上り仮ホーム 

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京急蒲田駅本線仮ホーム
・本線仮下りホーム
京急蒲田駅付近連続立体交差事業の進展に伴い、2006年11月26日に、本線下りの在来ホーム2番線から、第一京浜国道寄りに2005年10月に新設の仮ホーム (「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第1回その2)」参照) の新2番線に移設されました。この新設の仮ホームの1番線側は、支線の空港線が単線で、羽田空港と品川方面や横浜方面発着ホームとして使用されております。


本線下りホームの移設により、在来ホームの2番線は役目を終え、ホームと旧下り線路が撤去されました。

・新設本線仮上りホーム
京急蒲田駅上の高架化架橋工事のため、12月2日日曜日から上り本線が、在来ホーム3番線から第一京浜国道寄りに新設した仮ホーム(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第3回)」参照)の新3番線に移りました。

           京急蒲田駅仮ホーム配置図(2007年12月2日)拡大図


 仮下り線ホームから仮上り線ホームを見る 左:ホーム南端から横浜方面を望む(拡大)
 中:ホーム中央部を見る(拡大)、右:ホーム北端から呑川橋梁上のホームを見る(拡大)

これにより、在来ホームの3番線は役目を終えましたが、このホームに直接結ばれている京急蒲田駅西口改札口出口として、暫定的に継続使用されることになります。

 仮上り線ホームから下り線ホームを見る 左:ホーム中央部付近から横浜方面を望む(拡大)
 中:中央部付近から品川方面を望む(拡大)、右:北端から呑川橋梁上のホームを見る(拡大) 

蒲田駅新旧仮ホーム間の連絡通路
京急蒲田駅のホームは、12月2日から2本の新設仮ホームと、在来ホームとの間で連絡通路が必要となり、新たに2本の地下道を新設して設置されました。

 仮下り線ホームからの新設地下道連絡通路 左:品川側設置の地下道通路への階段(拡大)
 中:横浜側設置の地下道通路への階段(拡大)、右:地下道への工事未完成のエレベータ


 仮上り線ホームからの新設地下道連絡通路 左:品川側設置の地下道通路への階段(拡大)
 中:横浜側設置の地下道通路への階段(拡大)、右:地下道通路へのエレベータ

・従来ホームとの連絡通路
12月2日以前のホーム間連絡通路は、本線上り線在来3番ホームと、第一京浜国道寄りの本線下りと空港線の仮設1・2番ホーム間を、京急蒲田駅東口改札口に接続した跨線橋連絡通路と共に、2ホーム間を地下道通路で連絡していました。

・新ホーム間の連絡通路
新ホーム間の連絡通路は、駅上の高架化架橋工事のために跨線橋連絡通路が使用できないため、仮設1・2番ホームと仮設3番ホーム間を、2本の新設地下道通路で連絡し、そのうちの1本の地下道は京急蒲田駅東口改札口に接続した連絡通路が設けられました。

 新設地下道通路 左:東口改札出口に直結した地下道通路、中:東口改札出口(拡大)
 右:京急蒲田駅東口出口(拡大)

在来の旧3番ホームにある京急蒲田駅西口改札口との連絡通路は、新旧の3番ホーム間に連絡橋を設けて結ばれました。

 京急蒲田駅西口改札口出口 左:新旧3番ホーム間は連絡橋で結ばれている(拡大)
 中:西口改札口は在来の改札口利用(拡大)、右:在来の京急蒲田駅西口(拡大)
  
・連絡通路の障害者支援設備
新ホーム間の連絡通路の障害者支援設備は、地下通路から仮設1・2番ホームと仮設3番ホームへの2基のエレベータと、蒲田駅東口の地上に出るエレベータで、全てがエレベータで整備されましたが、しかし仮設1・2番ホームへのエレベータは工事中で最初からは使用できません。

12月2日以前の今までの連絡通路の障害者支援設備は、2基のエレベータと2基のエスカレータが2ヶ所の通路にありましたが、支援設備としては役不足でした。
公共交通機関は、身障者、高齢者、乳幼児乳母車などのいろいろな方が利用します。また、京急蒲田駅は羽田空港を控え、大型荷物を持った乗り換え客が数多く利用します。

今回のホーム間の連絡通路の全面変更では、エスカレータは1基も設けられず、特に横浜寄りの地下連絡通路では昇降機が設置されず、全体で設備の設置数は減らされました。多くの交通機関の駅で見受けられる、上り専用のエスカレータは、障害者等には不自由ですが、エレベータと比較すると多量の人の移動ができます。
高架化工事中の段階ですので、贅沢は言いませんが、工事期間はまだ長いので、障害者を含めた利用客への配慮がもう少し必要であると感じました。

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風景・風物詩 秋の風物詩 2007年酉の市 大森鷲神社

2007年12月03日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2007

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大森鷲神社酉の市
今年の酉の市は、11月11日の日曜日と23日の祝日の二の酉が休日にあたり、陽気も暖かったので、23日に大森鷲神社に行ってきました。
大森鷲神社から「熊手守り」の授与を受けるようになったのは、1939年に大森に転居してきた、父の代から続いており、熊手は東京の一般庶民の願を授かる縁起物で、昔本格的な寒さを迎えるこの時期は、火事の多い冬場の「火の用心」を縁起熊手に託して気をつけると云う行事が東京の風物誌で、我が家では世界大戦中の混乱期の数年間を除き、68年経過した今日まで続いております。

         参道にあふれる参詣者の行列

鷲神社
大森鷲神社の由来(「風景・風物詩 秋の風物詩 酉の市 大森鷲神社」参照)は、祀られた日本武尊が戦勝を祈願をされたと伝えられる処から、武運、開運、商売繁盛の神として多数の方の信仰を集めて居ります。


酉の市の縁起熊手
縁起熊手は、金銀財宝を詰め込んだ熊手で、運を「かっ込む」、福を「はき込む」といって開運招福・商売繁盛を願った、江戸っ子らしい洒落の利いた縁起物で、熊手守りは年々大きな熊手に換えてゆくのが良いとされます。

       参詣者で混雑の境内                   古い熊手を納める

・かっこめ

   かっこめ授与(拡大)                       お祓いを受けご利益を頂く

鷲神社では、江戸時代から開運招福のお守りとして、稲穂を付けた小さな竹の熊手の「かっこめ熊手守り」を授与しています。このお守りは、今でも酉の市に限り授与されています。

       (拡大)              (拡大)       かっこめと神宮館運勢暦(拡大)

・酉の市の名物
江戸時代の酉の市の名物には、唐の芋を「頭の芋」と名付け、食べて人の頭になるように、粟餅を「黄金餅」と称して、黄金持ちになるようにと、あちこちで売られ、大変な人気があったようです。黄金餅は、その後姿を消し、変わって切山椒(きりさんしょ)と呼ばれるお菓子が名物として出てきました。

「おとりさま」の参詣風景
酉の市の大森鷲神社の参詣は、何十年もの間変わらずにお参りしており、先ず神社参拝の行列に並び境内のお囃子を聞きながら、参詣者で押し合う本殿で家内安全無病息災のお祈りをします。参拝後、本殿脇の特設台で授ける「かっこめ」を求め、巫女さんからお祓いを受けて来年の福のご利益をいただきます。

       (拡大)              (拡大)             (拡大)

参詣を済ませ、境内に立ち並んだ熊手屋さんの金銀細工の華やかで見事な縁起熊手を観賞しながら、「買った買った」の掛け声や手締めを聞くと、我が身も景気が良くなった気分になれます。

    手締め(拡大)              (拡大)             (拡大)

鷲神社周辺の参詣道の混雑している露天を眺め歩くのが、おとりさまの楽しい風物です。
露天の人気は、イカ焼き、お好み焼き、たこ焼き、じゃがバター、串焼き、綿あめ、あんず飴などなど、若者の食欲を満たします。大森鷲神社の露店には、人気のお好み焼き屋さんがあり、ここは毎年行列して売れています。


時代とともに、酉の市の露店の品物も変わっております、昔は、豆板、生姜糖などの下町の駄菓子的なものが定番でした。
以前は参詣後に、上新粉に砂糖と山椒を加えて短冊形に切った餅菓子の名物「切山椒」を露天で買うのが習慣でした。
ところが、最近「切山椒」を売っている露店が目につかなくなり、このところ名物を何年も味わっておりません。大森酉の市の露店の出店は多く、200店を数えますので、売っている店はあると思いますが探しておりません。


毎年のおとりさまで必ず買う物に、神宮館運勢暦と七味とうがらしがあります。暦は、鷲神社で来年の福を授かってきますので、来年の運勢が良いことに恵まれますようにと、暦を参考に行動することができる、江戸時代からの知恵袋です。
庶民の冬の寒さをしのぐ料理には鍋ものが一番です。七味とうがらしは、鍋もの、煮込みそば・うどん、白菜のお新香にはかかせない江戸の味覚です。
また、商店街の賑わいを見ながらJRガード傍の古くからある豆屋さんで、塩豆と落花生などを求め、酒の肴にするのが通で、長年大森に住んでの鷲神社の酉の市、冬の歳時記です。

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 12月INDEX

2007年12月01日 | INDEX
kan-haru blog 2007

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全ての検索ができます。

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「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、この日記を見るためのガイダンスを記載してあります。日記の見方について (その1)の解説には、カテゴリー別の概要説明と共に、カテゴリー項目からは当該カテゴリーの第1回登録記事から最終・最新の登録までの全ての記事の索引が行えるようにカテゴリー別INDEXと結合してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新
・ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その3) (未完)

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番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の11月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの全記事の目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1編総目次
  3-2 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第2編総目次
  3-3 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第3編総目次
  ■ 大森町界隈あれこれ 昭和戦後史 第3編 我等の生活談義 第4回 11月7日
  ■ 大森町界隈あれこれ 昭和戦後史 第3編 我等の生活談義 第5回 11月9日
  ■ 大森町界隈あれこれ 昭和戦後史 第3編 我等の生活談義 第6回 11月11日
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第10回)  11月3日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第3回) 11月5日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第3回)  11月28日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第4回)  11月30日
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
22 小さな旅 総目次
23 旅ものがたり 総目次
 ■ 旅ものがたり ハウステンボス 風格あるホテルでオランダを満喫の家族旅行 その1 11月13日
 ■ 旅ものがたり ハウステンボス 風格あるホテルでオランダを満喫の家族旅行 その2 11月15日
 ■ 旅ものがたり ハウステンボス 風格あるホテルでオランダを満喫の家族旅行 その3 11月17日
 ■ 旅ものがたり ハウステンボス 風格あるホテルでオランダを満喫の家族旅行 その4 11月19日
 ■ 旅ものがたり 同窓旧友たちの旅 袋田の滝と大子温泉 その1 11月24日
 ■ 旅ものがたり 同窓旧友たちの旅 袋田の滝と大子温泉 その2 11月26日
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
 ■ イベント 東京国際女子マラソン 大森町旧東海道三原通り交差点がマラソンの折り返し点 11月22日
26 ITと技術 総目次
27 Weblog 総目次

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