ちょっとハメを外した面白くもまたうら悲しいお神輿3題
諏訪神社の今年の神輿の練り歩きは、27日が雨のためお流れとなり、28日は朝方のうち雨が残りましたが午前中には上がり、昼過ぎには日が差してきましたので時間を遅らせて、午後一時からのスタートとなりました。
お祭りには、神輿が付きものです。年一度の楽しいお祭りです、お目出度い行事ですから少し位ハメを外してもよいのではと思います。そこで、今回は、面白くもうら悲しい神輿に関しての話題を3つ記述します。
驚いたな! お神輿がお家に入ってきた
大森西三丁目町会の神輿は、残念ですが子供神輿と曳き太鼓しか無く大変と寂しい。以前は町会で立派な大人神輿を所有していましたが、今から数十年程前には、東京では神輿を担ぐ人がいない時代がありました。そこで、町会では大人神輿を地方に寄付をしてしまった経緯があります。ところが、時代が変わり、最近では神輿を担ぐことに人気がでてきたのです。後の祭りで、今では大人神輿は高価で調達ができません。
そこで、大森三丁目町会の神輿の練り歩きは、子供神輿だけですので、細い路地でも通れます。28日の神輿練り歩きもそうですが、毎年私宅の横の路地を通る様になりました。
1 私宅横の路地を練り歩く子供神輿(ここをクリック)
私宅の横の路地を通る様になった訳は、御神酒所を出発した神輿は、一巡して御神酒所に戻るまでに数ヶ所の休憩所を設け、菓子や飲み物を配り一休をするのが楽しみなのです。休憩所は、役員の私宅や事務所などを定めて設けます。
14年ほど前に、役員さんの休憩予定場所が改築のため、その年は使用できなくなりました。そこで、その年に限り臨時的に私宅を休憩所に提供することになりました。この日は天気がよく気候も高く、休憩の飲み物には子供たちが大喜びでした。それ以来、子供神輿は私宅横の路地を通る様になったのです。
私宅にお神輿の入ってきたのをみて、孫は「驚いたな! お神輿がお家に入ってきた」と大喜びでした。
2 私宅に入って来たお神輿(ここをクリック)
3 庭で休息中のお神輿(ここをクリック)
大森警察署内に平和の神輿珍入
大森三丁目町会と第一京浜国道を挟んだ東隣の大森山谷自冶会には、大人用の神輿があります。28日は、天気も回復しましたので、久し振りに大人神輿の練り歩きを見たいと思い、第一京浜国道で休憩中の大人神輿、子供神輿と曳き太鼓を見学に行きました。
大人の神輿はやや小ぶりで、三社祭りで見る神輿と比べると見劣りしますが、担ぎ手は若い男女が楽しそうに休息しておりました。
休憩が済み、神輿の練り歩きの出発です。どこへ行くのかと見ていると、国道の歩道を大森警察署方面に進みましたので、付いて行きました。
1 国道を大森警察署に向かって進む神輿(ここをクリック)
警察署前にくると、やおら向きを変えて警察の玄関に入って行き、署員と折衝しておりましたが、ハメを外して署内に珍入です。
2 警察署内珍入を図る神輿(ここをクリック)
3 「頼もう」!神輿が入って署内を厄払いに来たぞ(ここをクリック)
続いて、子供神輿も同じ様に中まで乱入という珍ずらしく楽しい光景に出会いました。
4 子供神輿も警察署内珍入を図る(ここをクリック)
5 大小の神輿が警察署内で威勢を張る(ここをクリック)
6 意気揚々と凱旋更新の曳き太鼓(ここをクリック)
これを見て、日本は平和国家で素晴らしいと、気持ちが和らぎました。今年のお祭りは、面白く楽しく、とても素晴らしい諏訪神社例祭でした。
戦時中のうら悲しいちょっとハメを外した樽神輿
小学三年生頃の戦時中の諏訪神社例祭の写真がでてきましたので、ちょっとハメを外した樽神輿事件を思いだしました。
向こう三軒両隣の隣組みに小池理髪店がありました。そこのマスターは、陽気なタイプの朗らかな方でした。戦時中で、世相もやや暗く、子供達もそれを感じてかワンパクさが潜んでいるのを見た小池さんが、子供達を明るくしてあげようとの気持ちで、諏訪神社例祭に合わせて樽神輿の作成を考えました。店が終了してから、夜遅くまで子供達のために連日孤軍奮闘して、素人ながら立派な樽神輿を作りあげたのです。
諏訪神社例祭当日には、借家の私宅の1階事務所跡が空いていたので、まがりなりの御神酒所を用意し、子供達は大喜びで神輿を担いで隣組みの周囲を練り歩きました。
ところが、樽神輿や御神酒所は神社に届けが必要とは露知らず、ただ子供達を喜ばそうとの一心での行為でしたが、神社から待ったがかかりました。
当時は、小学低学年生でしたので、折衝の経緯は定かでありませんが、1枚の残っていた写真は、諏訪神社に神輿を担ぎ参拝した光景のものです。
この戦時中の諏訪神社本殿前での、先端の鳳凰が僅かに見える樽神輿を前にした例祭のスナップ写真の公開は、戦後61年を経過した今日の平和を迎え、ブログで大森町大空襲を連載中でもあり、戦争中の1コマを伝えることも諏訪神社への供養かとの思いで掲載しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/4c/5b2f95bd76d816a1f90f49bfb00dcf5d.jpg)
戦時下の諏訪神社例祭樽神輿
当時は、戦時中でしたが、人々の心は優しく隣組では相携えて行動し、経済的には今より貧しかったのですが、人心の気持ちはずっと豊かであったとの感じが強く残っております。
写真の中の人物は、一番前のお面を付けた得意気の方が小池さんで、左後ろが隣家の佐々木さん、その左後ろが私です。私の左前が同級生の栗原さん、小池さんの後ろが同じく同級生の太田さん、その右隣が太田さんのお兄さん、その右隣が栗原さんのお兄さんです。その他の方は、名前を失念しました。写真に写っている幼馴染の友達は、1年後には疎開で別れ別れとなり、それ以来再開が果たせておりません。写真を見る度に、あまり楽しい想い出のなかった小学生時代の遠い昔を想いおこして、なにか侘びしくもの悲しい感じがするのです。
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諏訪神社の今年の神輿の練り歩きは、27日が雨のためお流れとなり、28日は朝方のうち雨が残りましたが午前中には上がり、昼過ぎには日が差してきましたので時間を遅らせて、午後一時からのスタートとなりました。
お祭りには、神輿が付きものです。年一度の楽しいお祭りです、お目出度い行事ですから少し位ハメを外してもよいのではと思います。そこで、今回は、面白くもうら悲しい神輿に関しての話題を3つ記述します。
驚いたな! お神輿がお家に入ってきた
大森西三丁目町会の神輿は、残念ですが子供神輿と曳き太鼓しか無く大変と寂しい。以前は町会で立派な大人神輿を所有していましたが、今から数十年程前には、東京では神輿を担ぐ人がいない時代がありました。そこで、町会では大人神輿を地方に寄付をしてしまった経緯があります。ところが、時代が変わり、最近では神輿を担ぐことに人気がでてきたのです。後の祭りで、今では大人神輿は高価で調達ができません。
そこで、大森三丁目町会の神輿の練り歩きは、子供神輿だけですので、細い路地でも通れます。28日の神輿練り歩きもそうですが、毎年私宅の横の路地を通る様になりました。
1 私宅横の路地を練り歩く子供神輿(ここをクリック)
私宅の横の路地を通る様になった訳は、御神酒所を出発した神輿は、一巡して御神酒所に戻るまでに数ヶ所の休憩所を設け、菓子や飲み物を配り一休をするのが楽しみなのです。休憩所は、役員の私宅や事務所などを定めて設けます。
14年ほど前に、役員さんの休憩予定場所が改築のため、その年は使用できなくなりました。そこで、その年に限り臨時的に私宅を休憩所に提供することになりました。この日は天気がよく気候も高く、休憩の飲み物には子供たちが大喜びでした。それ以来、子供神輿は私宅横の路地を通る様になったのです。
私宅にお神輿の入ってきたのをみて、孫は「驚いたな! お神輿がお家に入ってきた」と大喜びでした。
2 私宅に入って来たお神輿(ここをクリック)
3 庭で休息中のお神輿(ここをクリック)
大森警察署内に平和の神輿珍入
大森三丁目町会と第一京浜国道を挟んだ東隣の大森山谷自冶会には、大人用の神輿があります。28日は、天気も回復しましたので、久し振りに大人神輿の練り歩きを見たいと思い、第一京浜国道で休憩中の大人神輿、子供神輿と曳き太鼓を見学に行きました。
大人の神輿はやや小ぶりで、三社祭りで見る神輿と比べると見劣りしますが、担ぎ手は若い男女が楽しそうに休息しておりました。
休憩が済み、神輿の練り歩きの出発です。どこへ行くのかと見ていると、国道の歩道を大森警察署方面に進みましたので、付いて行きました。
1 国道を大森警察署に向かって進む神輿(ここをクリック)
警察署前にくると、やおら向きを変えて警察の玄関に入って行き、署員と折衝しておりましたが、ハメを外して署内に珍入です。
2 警察署内珍入を図る神輿(ここをクリック)
3 「頼もう」!神輿が入って署内を厄払いに来たぞ(ここをクリック)
続いて、子供神輿も同じ様に中まで乱入という珍ずらしく楽しい光景に出会いました。
4 子供神輿も警察署内珍入を図る(ここをクリック)
5 大小の神輿が警察署内で威勢を張る(ここをクリック)
6 意気揚々と凱旋更新の曳き太鼓(ここをクリック)
これを見て、日本は平和国家で素晴らしいと、気持ちが和らぎました。今年のお祭りは、面白く楽しく、とても素晴らしい諏訪神社例祭でした。
戦時中のうら悲しいちょっとハメを外した樽神輿
小学三年生頃の戦時中の諏訪神社例祭の写真がでてきましたので、ちょっとハメを外した樽神輿事件を思いだしました。
向こう三軒両隣の隣組みに小池理髪店がありました。そこのマスターは、陽気なタイプの朗らかな方でした。戦時中で、世相もやや暗く、子供達もそれを感じてかワンパクさが潜んでいるのを見た小池さんが、子供達を明るくしてあげようとの気持ちで、諏訪神社例祭に合わせて樽神輿の作成を考えました。店が終了してから、夜遅くまで子供達のために連日孤軍奮闘して、素人ながら立派な樽神輿を作りあげたのです。
諏訪神社例祭当日には、借家の私宅の1階事務所跡が空いていたので、まがりなりの御神酒所を用意し、子供達は大喜びで神輿を担いで隣組みの周囲を練り歩きました。
ところが、樽神輿や御神酒所は神社に届けが必要とは露知らず、ただ子供達を喜ばそうとの一心での行為でしたが、神社から待ったがかかりました。
当時は、小学低学年生でしたので、折衝の経緯は定かでありませんが、1枚の残っていた写真は、諏訪神社に神輿を担ぎ参拝した光景のものです。
この戦時中の諏訪神社本殿前での、先端の鳳凰が僅かに見える樽神輿を前にした例祭のスナップ写真の公開は、戦後61年を経過した今日の平和を迎え、ブログで大森町大空襲を連載中でもあり、戦争中の1コマを伝えることも諏訪神社への供養かとの思いで掲載しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/4c/5b2f95bd76d816a1f90f49bfb00dcf5d.jpg)
戦時下の諏訪神社例祭樽神輿
当時は、戦時中でしたが、人々の心は優しく隣組では相携えて行動し、経済的には今より貧しかったのですが、人心の気持ちはずっと豊かであったとの感じが強く残っております。
写真の中の人物は、一番前のお面を付けた得意気の方が小池さんで、左後ろが隣家の佐々木さん、その左後ろが私です。私の左前が同級生の栗原さん、小池さんの後ろが同じく同級生の太田さん、その右隣が太田さんのお兄さん、その右隣が栗原さんのお兄さんです。その他の方は、名前を失念しました。写真に写っている幼馴染の友達は、1年後には疎開で別れ別れとなり、それ以来再開が果たせておりません。写真を見る度に、あまり楽しい想い出のなかった小学生時代の遠い昔を想いおこして、なにか侘びしくもの悲しい感じがするのです。
<前回 大森町界隈あれこれ(21) 大森町の社寺(1) 諏訪神社その2 へ
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