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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ イベント 地場演劇公演「山わろ~呑川へきたかっぱのこと~」

2007年10月30日 | 大森町界隈あれこれ イベント
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2年ぶりに大田文化の森で公演する、東京都大田区を拠点に活動している演劇を愛する集団の、「区民とつくる地場演劇の会」は第18回目を迎え、「山わろ~呑川へきたかっぱのこと~」を、10月20日14時と18時30分の2回にわたり開演し満員の盛況でした。今回、初めて地場演劇の観劇の機会をえて、14時の公演を見てきました。

区民とつくる地場演劇の会
「区民とつくる地場演劇の会」は、会の図書などによると、大田区に住む俳優の江角英明(えすみ えいめい)氏が、地元に伝わる歴史に興味を持って書いた一冊の芝居台本からスタートして、1990年に行われた旗揚げ公演では、仲間さがしや劇場探しの手探りの活動が、大田区の文化振興協会の目にとまり支援を受け、公演は大規模な開催となり、思いがけずの大成功を収めました。

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その後、芝居づくりの楽しさを知った人々が集まり、試行錯誤を続けながら、一般市民と演劇人の共同作業の中で、風通しの良いコミュニケーションと運営にこだわり、アマチュアとプロが刺激しあって生まれる新鮮な表現、さらに観客にとって魅力ある市民演劇を目指してきました。

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・江角英明氏
江角英明氏は、1935年10月5日に島根県で生れ、多摩美術大学を卒業し黒澤明監督の映画からアニメの声優、刑事ドラマの悪役、日活ロマンポルノのキャストに至るまで幅の広い俳優活動を行い、2004年8月22日に胃癌により68歳で亡くなられました。

2年ぶりの大田文化の森公演
巨大都市東京の片隅で、「わが町発見、自分発見」を合言葉に、演劇面の成長や互いの信頼関係を求めて活動しましたが、2004年に代表の江角英明さんを失い、一時は解散を考えました。しかし、私たちの活動を励まし協力を惜しまない演劇人と、地域に軸足をおく舞台に共感を抱く観客が確実に増えており、その期待に押されて今年も公演をと思い、2年ぶりの第18回目の開演を迎えました。現在の会員は、10代から70代と年齢も個性も幅広いグループで、20名の構成メンバーです。
このメンバーの中には、わが町の住民の方も参加しており、とても親しみの深い地場演劇であり、近隣では誘い合っての観劇参加です。


・「山わろ」
公演の「山わろ~呑川へきたかっぱのこと~」は、旗揚げ公演以来、脚本を書いてきた江角さんの夫で、前代表の英明さんの遺品を整理していた昨年10月、偶然見つけたもので、英明さんが10年前に原稿としてまとめたものと分かり、えすみ友子さんが脚本の構成を行なったものです。

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タイトルの山わろとは、カッパの別名に由来し、サブタイトルの呑川は大田区内を流れ、東京湾に注ぐ長さ約15キロの小さな河川です。物語はその昔、小さな穴の中で仲間と交わした約束を実行するためカッパが川を下ります。
約束を果たすためには、人間の協力も必要になるが、下るに従い、川の汚染もひどくなり、カッパの頭にのっている皿の部分が乾き出します。かっぱと人間の交流のファンタジー作品の中で、皿の乾きが地球温暖化で自然破壊への警告という内容も盛り込まれています。

・文化の森
文化の森(大田区中央2-10-1)は、 旧大田区役所跡に大田区が、区民による自主運営による文化創造の拠点として、利用しやすく親しみのもてる施設を目的に、2001年11月3日に開設した区民の文化支援のための中心施設です。
施設の設備は、5階建ての集会棟の2階には情報館を設け、ホール(定員259人)、広場(185㎡)があり、事業運営は、任意登録の文化プレーヤーよって実施する「直接企画」と、公募した区民によって実施する「公募による事業」の2種類があり、大田区から委嘱された区民による運営協議会が行っています。

呑川
「呑川(のみかわ)」は、東急田園都市線の世田谷区桜新町付近を水源とし、世田谷区、目黒区、東急東横線都立大学駅付近、大田区の東京工業大学付近、石川町、雪谷、久が原、池上、JR蒲田駅付近を流れ、糀谷を抜けて東京湾に注いでおります。

支流は、世田谷区上馬付近を水源として、都立大学駅付近で本流と合流する「柿の木坂支流」、駒沢オリンピック公園付近を起点とする「駒沢支流」、世田谷区奥沢の浄真寺(九品仏)付近を水源として東京工業大学付近で合流する「九品仏川」があり、大田区清水窪を水源のひとつとする洗足池から流れ出る「洗足流れ」も注ぎ込んでいます。

下流は、大田区東蒲田付近で旧呑川と新呑川に分流し、今の本流は洪水や氾濫を防ぐために直線化した新呑川となり、羽田空港との間の海老取川に注ぎ込んでいます。
旧呑川は、京急蒲田駅近くの東蒲中学校あたりで新呑川から分流し、昭和島の目の前に河口がありましたが、1976年(昭和51年)に全区間が暗渠化され、緑道となって整備されました。

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ITと技術 筑波宇宙センターとサイエンス・スクエアつくば見学 その2

2007年10月28日 | ITと技術
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サイエンス・スクエアつくば見学
10月17日の午後、所属している会の情報化研究会にて開催の「筑波宇宙センター」の見学を終えてから、隣接にある「サイエンス・スクエアつくば」の見学をしました。
「サイエンス・スクエアつくば」へは、宇宙航空研究開発機構前の東大通りのバス亭「物質研究所」から並木道を南東に、一停留場先の「並木二丁目」まで歩くと広大な敷地の独立行政法人産業技術総合研究所(産総研 地図参照)の入り口です。入口を入り林の中の構内道を直進すると、守衛所がありそこからY字状の道を右に進むと、左斜め前に見える赤タイルの建物が目標の見学場所で、並木二丁目から徒歩5分です。


サイエンス・スクエアつくば(茨城県つくば市東1-1-1中央第1)では、産総研が行っている、環境に負荷を与えずに豊かさを増すために応える有用技術の研究開発成果を、わかりやすく展示説明を行っております。
産総研が進めている研究分野は、大きく分けてライフサイエンス、情報通信・エレクトロニクス、ナノテクノロジー・材料・製造、環境・エネルギー、地質、標準・計測の6分野があります。また、ミッションに基づいて進める研究は、 先端的研究、 長期的政策推進のための研究および科学基盤研究に類型化されています。

常設展示施設の事前予約団体ツアーガイドは、所要時間が約50分で11時、12時、15時と16時の4回で、筑波宇宙センターから歩いて15時40分頃着きましたので、最終のコースの見学となりました。

・計量標準
最初の見学ゾーンは、社会を支える「計量標準」で、日本の質量の国家基準は産総研が維持・管理している「日本国キログラム原器」です。将来の標準質量は、1kgのシリコン球が原器となります。
長さは以前では白金を主体とする「メートル原器」でしたが、現在はレーザ光の波長を使った方式が標準器となりました。
その他、電気、温度、時間、周波数、光度、物質量の国家計量標準があります。

 以前標準のメートル原器 将来標準のシリコン球原器  ハイパーフレーム技術

・ロボットゾーン
次の見学は、進化するロボットの眼で、人と同じ様に2つの眼で立体的にモノを見る3次元視覚システムにより、時間をさかのぼって動いている3次元物体の位置・方向を認識するハイパーフレーム技術を見ました。

次に軽量・高剛性の内骨格構造で、太古の恐竜をリアルに再現した2足歩行ロボットを見ました。これは、2005年に開催された万博「愛・地球博」に展示したもので、産総研が開発した2足歩行人間型ロボット技術を発展させ、関節数が多く大きな頭や尻尾を動かしながら歩行することができるようにしたものです。

 恐竜2足歩行ロボット           ICタグ使用の知識分散型ロボット 

次のコーナーは、ICタグを用いた知識分散型ロボット制御システムで、ロボットがすべての知識を持つのでは無く、ICタグを使用して物に情報を持たせ、その情報を読み込んで制御する「モノの情報を認識する」制御では、形、大きさ、色などが分かり、従来と比べ物の認識が容易になりました。おちゃわん、どんぶりやカップなどの形状の異なる食器を取ったり、置いたりを簡単に行います。

次のプログラムを自由に設定できるロボット「チョロメテ」は、研究・教育用に開発したヒューマノイドロボットで、人の形をして人と同じように動くことができ、人間のために設計された機械の運転などが出来る利点があります。高さ37cm、重量1.5kgで、20の自由度を有し、足裏に力センサ、胴体部に加速度およびジャイロセンサを搭載し、背中には実時間Linuxが稼働する小型省電力コントローラを搭載しています。

「チョロメテ」を見学している人に感応して、後ろで声を出しているのは、メンタルコミットロボット「パロ」のロボットセラピーです。病気や怪我の時の治療に、体だけでなく心の治療・癒しが必要なことが明らかになり、検討されるようになりロボットが癒しに役に生かせないかと考え、アザラシ型のロボット・セラピーが誕生しました。こうして、子供から老齢者までの癒しが必要とする人に対しての、福祉用のロボットととして評価され、現在販売しているそうです。

  ロボット「チョロメテ」    メンタルロボット「パロ」   英語発音学習システム    

・応用ゾーン
次のコーナーは、コンピュータが英語の発音を詳しく指導する、英語の発音を分析・判定・矯正する学習システムです。見学者がトライしてみたところ、発音が完全であるとの評価がでました。このシステムのソフトを、近々販売する予定だそうです。

次は、卓上型単結晶成長装置で、様々な場所・分野で容易に単結晶が作れれば、新しい材料や物質の研究が出来ると考え開発されました。

 卓上型単結晶成長装置       対話ができる「ハイパーミラー」システム          
次に2箇所の青いスクリーンに分かれて立つと、それぞれの鏡の世界に相手の姿が合成されて写され、全員が同じ場所にいるような画像を用いて、対話ができるシステムの「ハイパーミラー」を体験しました。

次の体験は、手を乗せるだけで発電する、熱を無駄なく電気に変えるセラミック高温熱発電モジュールで、手のひらと板の裏の温度差で発電する素子です。

 高温熱発電モジュール          内視鏡下手術トレーニングモデル

展示物の最後は、内視鏡下鼻内手術のトレーニングで、世界で初めての「内視鏡下手術」トレーニングが出来る精密な人の鼻腔モデルを見ました。このモデルにより、「手術」のトレーニングができるようになると、手術の安全性向上が期待されます。

見学の最後は、プレゼンテーションステージで、立体映像を見てからサイエンス・スクエアつくばを後にして、「並木二丁目」バス亭から「筑波駅」に戻り帰路に着きました。

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ITと技術 筑波宇宙センターとサイエンス・スクエアつくば見学 その1

2007年10月26日 | ITと技術
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10月17日の午後、所属している会の情報化研究会にて開催の「筑波宇宙センター」と「サイエンス・スクエアつくば」の見学会に参加しました。

筑波研究学園都市
当日見学の「筑波宇宙センター」と「サイエンス・スクエアつくば」のある筑波研究学園都市は、東京の中心から北東約60kmの距離にあり、北に関東の名峰筑波山を、東にわが国第二の湖霞ヶ浦をひかえた茨城県南部に位置しています。
都市の区域は、茨城県つくば市の1市全域で、面積は約28,400ha(東京都区部面積の約2分の1)、その大部分は標高20~30mの台地です。

最初の見学場所の「筑波宇宙センター」へは、つくばエクスプレス(2005年8月開通)で、秋葉原駅からつくば駅まで(58.3km)が、快速で45分、区間快速で52分で1時間はかからず、開通以来初めて全区間を乗車しました。なお、つくばエクスプレス線もJR常磐線と同様に、秋葉原駅から途中の守谷駅までは直流による運行だが、その先のつくば駅までは交流による運転となります。

   つくばエクスプレス                        車窓からの筑波山

筑波宇宙センター見学
見学会の集合場所は、筑波宇宙センターの屋外常設展示H-Ⅱロケット付近に、13時45分に集まることになっているので、13時20分発荒川沖西口行き関東バスに乗るため駅前つくばセンターの4番バス乗り場に行くと、今日の見学者のメンバーと出会い、揃って筑波宇宙センター「物質研究所」まで乗車しました。

筑波宇宙センター(JAXA Japan Aerospace Exploration Agency 茨城県つくば市千現2-1-1 地図参照)では、事前予約制(1名~最大80名程度)の 施設案内ツアーで、日本で最大規模の航空宇宙開発施設の一部の最先端研究・開発の現場をじかに、ガイド付きで所要時間が約1時間15分で見学することが出来ます。ツアーの運行は、構内をバスで巡回して見学するので、10時のAコースから15時のEコースまで1日5回運航し、見学会は14時のDコースで廻りました。

    H-Ⅱ型ロケット   H-Ⅱ型ロケットエンジン部 手前:広報棟、奥:展示室

見学コースのルートは、まず、聴視覚室で筑波宇宙センターの概要を映像で見ました。

     聴視覚室             N-1からH-IIBロケットの1/20サイズ模型

次に、バスで展示室まで移動して、案内者の解説付で見学しました。


展示室では、N-1ロケットから最新のH-IIBロケットまでの1/20サイズ模型や、実物大の人工衛星が展示してあり、国際宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟の模型の中に入り、その内部の様子を見学しました。

「きぼう」実験棟船内保管室       「きぼう」日本実験棟と船内実験室内部

再びバスで宇宙ステーション試験棟まで移動して、国際宇宙ステーションの「きぼう」日本実験棟の実機(フライトモデル)を、製作する前に機能試験などをおこなう実機とほぼ同等のエンジニアリングモデルを、2階の窓から見学しました。筑波宇宙センターでは、見学コースでの写真撮影は自由ですが、この2階の窓からの撮影は、内部で作業を行なっているため、フラッシュ撮影は禁止です。

     船内実験室      船内実験プラットフォーム     

次に、無重量環境試験棟で、宇宙飛行士の船外活動(EVA)の訓練のための、水の浮力を使って無重量状態を模擬した深さ10メートルのプールを見ました。
最後に、宇宙飛行士養成棟で、宇宙飛行士の基礎訓練を行うための施設を見学してから、バスで最初の広報・情報棟に戻り見学を終わります。広報エリアの売店では、お土産品として宇宙食、JAXAグッズ、切手等を販売しております。

  閉鎖環境適応訓練設備                   無重量環境試験大型プール

月周回衛星「かぐや」
「かぐや」(プロジェクトの概要)は月表面の元素組成、鉱物組成、地形、表面付近の地下構造、磁気異常、重力場の観測を全域にわたって行います。
・平成19年9月14日10時31分01秒(日本標準時)に、種子島宇宙センターから月周回衛星「かぐや(SELENE)」を搭載したH-IIAロケット13号機 (H-IIA・F13) を打ち上げ、打上げ後約45分34秒後に「かぐや」を分離に成功しました。
・10月4日6時20分に、月周回衛星「かぐや(SELENE)」の月周回軌道投入マヌーバ(LOI1)を行い、月周回軌道へ投入が成功しました。
・10月21日には、「かぐや(SELENE)」の主衛星を所定の軌道に投入し、月面観測のため三軸姿勢制御により観測機器を常に月面に向け周回する、定常制御モード移行運用を行いました。なお、12日に分離した、2つの子衛星のリレー衛星「おきな(OKINA)」およびVRAD衛星「おうな(OUNA)」の状態は正常です。

中国月探査衛星「嫦娥(じょうが)(月に住む仙女)1号」
・24日午後6時(日本時間同7時)5分ごろ、四川省の西昌衛星発射センターから、運搬ロケット「長征3号A」を使い月探査衛星「嫦娥」が打ち上げられた。
・北京航天飛行管制センターは25日午後5時55分、「嫦娥」軌道変更指令を実施し正常な稼動が確認された。

スペースシャトル打ち上げ成功
米航空宇宙局(NASA)のスペースシャトル・ディスカバリーが米東部時間23日午前11時38分(日本時間24日午前0時38分)、ケネディ宇宙センターから打ち上げられ、日本実験棟「きぼう」の建設(来年2月開始予定)に向けた準備が開始しました。
「きぼう」については来年2月、土井隆雄飛行士が部品1号である船内保管室をISSに設置する予定。4月に星出彰彦飛行士が乗るディスカバリーなど2回の飛行で完成させる計画の予定。

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大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.22)

2007年10月24日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2007

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大森町界隈あれこれ ニュースは、大森町界隈の地域密着のローカルイベントをお伝えする第2号です。
大森町周辺地域(大森町周辺地図参照)は、北端の京浜急行電鉄の大森海岸駅付近から、同梅屋敷を南端とし、西端は東海道本線が境で、東は平和島、昭和島付近までの地域を対象とします。

大森西三丁目町会総合防災訓練(10月21日)
恒例の秋の防災訓練が大森西三丁目町会主催で、10月21日に開桜小学校校庭で開催しましたので訓練に参加しました。当日は、朝から快晴で暑い日差しが照りつける中での訓練で、先ず17部町会ごとに指定された一時避難場所に8時30分集合し点呼をとり、疑似訓練の歩行不能者を乗せた介助車を先頭にして、全員がロープに摑まり1列縦隊で開桜小学校に向かいます。


小学校に着くと、到着順に煙を充満させた体験ハウスのテント内を通り抜けてから、参加者全員が校庭中央に整列して、3班に分かれて消火器取り扱い、人口呼吸とAED操作、119番消防署通報体験の訓練の開始です。


続いて、町会・消防署消防団による、災害家屋に閉じ込められた被災者救護訓練、婦人・町会・消防署消防隊の放水訓練を見学してから、非常食などのおみやげを頂いて12時過ぎに総合防災訓練が終了しました。


大森コラボ子ども交流センターの駄菓子やすみちゃん(10月18日)
NPO法人大森コラボレーション(大田区大森西2-16-12)の大田区子ども交流センターでは、活動の一環として毎週木曜日に「駄菓子やすみちゃん」を開き、子供たちに駄菓子を売って買い物を通じて社会勉強と交流を図っていますので、その活動の模様を10月18日に探訪して見せてもらいました。


駄菓子やは15時から開店ですが、15時前にはすでにお店が整い子供たちは待ちかねて詰めかけています。駄菓子やすみちゃんのお店は、駄菓子の販売のほか、ゲームも行えその得点により駄菓子の景品がもらえます。
15時半を廻ると施設の学童保育が終了し、駄菓子やは子供が詰めかけラッシュ状態の人気です。


大森コラボレーションとは、平成14年3月に統廃合校として閉校した旧大森第六小学校の跡地利用として、平成16年4月に大田区が「区民活動支援施設 こらぼ大森」を開設しました。こらぼ大森の施設には、シルバー人材センター、協働支援施設、展示室、軽食コーナー、おおもり子どもセンターなどがあり、大田区から学童保育と児童館事業を受託して運営しています。


11月4日日曜日には、『ポレポレECOまつり』(昨年開催のポレポレECOまつり「大森町界隈あれこれ イベント(1) ポレポレエコまつり」参照)が、「~江戸を遊ぼう!学ぼう!つなげよう!~」をテーマにして行われます。

大森諏訪公園整備説明会(10月16日)
元大森諏訪公園跡に隣接してあった大田福祉作業所(「ニュース 秋のイベント(2007.10.14)第33回大田福祉作業所ふれあい祭り」参照)を移転して改築が完了したことに伴い、元大田福祉作業所跡地に、場所を交換した形で大森諏訪公園を整備することとなり、その説明会が10月16日に同作業所の3階会議部室で開かれましたので説明を聞いてきました。

 大田福祉作業所前広場から見た新公園       新大森諏訪公園設計案(拡大)   

公園は、隣接の福祉作業所の前面の広場と行き来が出来るように接続し、オープンな公園を意識した広場の憩いの設計案が、大田区から提示されました。
案に対して近隣の意見としては、①公園をやめて福祉作業所の運動場にしたらどうか。②トイレが西側奥に配置されているが、公園の入り口に近いほうがが望ましい。③憩いの広場のテーブルセットは、酒飲みの場所になりかねないので、テーブルは不要であるなどの希望が出されました。

これに対して、区側の回答は、①は、現在大田区の公園面積は、予定に達していないので、今までの公園面積を減らすことはできない。②と③については、了解したので住民の希望に沿うように検討することとし、本年末には工事に着手し来春には完成するように努めたいとの回答がおこなわれた。

大森西三丁目大寿会第一クラブ誕生会(10月16日)
大森西三丁目大寿会第一クラブでは、8、9、10月生まれの方の誕生会を、10月16日に諏訪神社諏訪会館で開催しましたので、該当者として出席しました。


会長挨拶後、大森警察署交通課警部補 長南仁志氏の交通安全の話を聞き、8、9月誕生者各5名、10月15名の紹介があり、長老の乾杯を合図に食事をとりながらの懇親会がありました。食後のひと時を、カラオケ、合唱、舞踊などの余興で過ごし、楽しく散会しました。

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風景・風物詩 地蔵菩薩公開 薬師寺東京別院宝物のお地蔵さま拝観

2007年10月22日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2007

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JR山手線五反田駅から近い池田山にある、薬師寺東京別院で毎年秋に開かれている宝物特別公開「衆生を救う菩薩の姿~お地蔵さま~」10月14日から24日まで開催を、10月15日に拝観してきました。


     (拡大)             (拡大)                 (拡大) 
(薬師寺東京別院宝物特別公開 衆生を救う菩薩の姿~お地蔵さま~ パンフレット複写)

薬師寺東京別院
薬師寺東京別院(東京都品川区東五反田5-15-17 地図参照)は、檀家や組織を持たない1300年の歴史を持つ奈良薬師寺の別院です。
薬師寺は、450年前に焼失した堂塔の再建を願い、お写経による白鳳伽藍復興の関東以北の拠点として、1975年(昭和50年)より本格的に始動しました。

JR山手線五反田駅を東口に降りて桜田通りを渡り、東に進み目黒方向に左折すると石畳の坂道があります。その坂道の両脇には桜が植えられた小さな公園があり、繁華街をちょっと外れただけで閑静な憩いの散策の場所です。
坂道を登りきったところが池田山で豪邸ばかりです。この屋敷町には美智子皇后のご実家の元正田邸のあったところで、その跡地は「ねむの木の庭」公園となっています。

東京別院へは、坂の突き当たりを左折して、池田山沿いに右に曲がると古風な和洋折衷の豪邸の向かいが、お寺とは感じられない鉄筋3階建ての薬師寺東京別院です。
新別院は、元御家流香道を極めた故山本霞月氏の旧宅で、そこを薬師寺が譲り受けて2003年に、本山よりお遷えした本尊薬師如来様を中心に、祈願した周囲壁面に千体佛をお祀りする三千佛が祀られる写経道場を新築して落慶しました。

   東京別院宝物公開入場券            薬師寺東京別院  

薬師寺東京別院内には、山本霞月氏が香道に親しまれた邸宅の座敷を移築復元し、その奥には濃茶専用の茶室を設けて、厳かな雰囲気の中で「奈良佛教の教え」と「日本の伝統文化」を発信しています。

  山本邸宅の座敷移築復元       茶道室             3階の庭
(薬師寺東京別院(公式サイト)から参照)

地蔵菩薩公開
宝物特別公開「衆生を救う菩薩の姿~お地蔵さま~」の公開は、薬師寺の僧侶による法話と解説が毎日11時、13時、15時の3回あります。
東京別院に着いたのは13時を少し廻っておりましたが、高田好胤師銅像の立っている入口で靴を脱ぎ、受付を済ませ2階の本堂に行きました。

本堂では、法相宗大本山薬師寺執事の大谷徹奘師による法話が始まっており、本堂の右半分には説明を聞くための椅子座席が並べられており、月曜のため空席があり座れました。
本堂の正面には、本尊薬師如来様が鎮座しており、その左右にお地蔵さまが並べられ公開されておりました。
本堂の広間の左半分は、写経道場の台座の席で何人かの方が写経をされておりました。

法話が30分ほどで済んでから、公開の宝物のお地蔵さんに触れては駄目であるが、普通には上がれない本尊が鎮座している壇上に、登って直前で見てよいとの許可により、交互に国宝の菩薩に触れるばかりの面前で拝観してきました。
本堂での拝観が済んでから、隣室でお抹茶とお干菓子を頂戴して、3階の山本霞月氏宅復元のお座敷と茶室に上がり、床の間に鎮座している公開のお地蔵さんも眼前で拝観してきました。

公開の地蔵菩薩

 地蔵菩薩1   地蔵菩薩2  地蔵菩薩3  地蔵菩薩4   地蔵菩薩5  地蔵菩薩6

・地蔵菩薩1 
 木造 源次・源四郎・源五楼郎作 像高153.5cm、1564年(永禄7年) 奈良県指定文化財
・地蔵菩薩2
 木造 善円作 像高97.5cm、1240年(延応2年) 重要文化財
・地蔵菩薩3
 木造 像高95.7cm、平安時代 重要文化財
・地蔵菩薩4     
 木造 像高59.7cm、江戸時代  
・地蔵菩薩5
 木造 像高48.2cm、桃山時代末から江戸時代 
・地蔵菩薩6
 木造 像高45.2cm、1561年(永禄4年) 
(写真・資料説明 薬師寺東京別院宝物特別公開 衆生を救う菩薩の姿~お地蔵さま~ パンフレット出典)

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大森町界隈あれこれ 大森町商店街 旧東海道ふる里祭り

2007年10月20日 | 大森町界隈あれこれ 商店街
kan-haru blog 2007

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旧東海道の三原通りの北町商店会、仲町商店会、みはら南商店会と、羽田街道のするがや通り商店会をあわせて四つの商店会が合同で行う、第九回旧東海道ふる里祭りが10月14日に行われましたので、見てきました。

三原通り
旧東海道の三原通り(「大森町界隈あれこれ(N31) 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)は、各商店会の地域の北原、中原、南原をまとめて三つをまとめて総称したものであり、現在は美原通りと呼んでいます。

 旧東海道石碑   三原通り石碑   三原説明石碑   大田区文化財旧東海道説明

美原通りに絡む三商店会が所属する町会(大森本町北町会、大森本町二丁目仲町会、大森東一丁目町会)では、よく合同でのイベントが行われ、三町会に大森本町二丁目新地町会と大森東一丁目団地自冶会が加わり、美原通りを中心にして大森神社(寄来神社)秋の例祭(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 大森神社2007年秋の例祭 その1」参照)が9月14日から16日にかけて行われました。

また、戦前の美原通りは大田区では大変賑わった繁華街であり、映画館が3館もあり毎晩縁日が開かれ通りの両側にはぎっしりと夜店が並びました。美原通りで四代続いている洋品店「木村屋」さんの話では、昔は特殊鋼の会社があったので夜店は大変の人で混雑したと懐かしんでおりました。

 老舗のりの松尾 菓子老舗大黒屋        洋品老舗木村屋

戦後の夜店は、6の日に縁日を開くようになり、現在も持続してますが出店の数も少なく、現在ミハラ通り仲町商店会と北町商店会の主催で、ミハラ通り夜店フェスティバル(「大森町界隈あれこれ(M31) 大森町商店街 ミハラ通り夜店フェスティバル」参照)が行われております。

するがや通り
するがや通りは羽田街道の通称であり、美原通りの内川橋たもとを左に曲がり「六郷の渡し」までつながっていた道で、平間寺(川崎大師)までお参りする人の裏道でした。

 内川の第一京浜側を望む    内川の海側を望む   1年前撮影の内川の海側

するがや通りには、歌舞伎 「浮世塚比翼稲妻」(鶴屋南北作)で有名な旅籠 「駿河屋」があったところと云われております。

するがや通り石碑 内川橋を左に曲がるとするがや通り      するがや通り

旧東海道ふる里祭り
旧東海道ふる里祭りの各商店街のイベントは、北町商店会が模擬店・フットサル、仲町商店会が粋・江戸前の味、みはら南商店会が模擬店・フリーマーケット・江戸下町職人の会、するがや通り商店会が模擬店・フリーマーケット・輪投げゲームを行います。
また、恒例の「くすのき連」の阿波踊りが、するがや通りを12時30分にスタートして、美原通りを南原から北上して中原を通り北原まで練り歩きます。

     第九回旧東海道ふる里祭りポスター        ふる里祭りお囃子

それと今回の目玉のイベントとして大田観光協会の主催で、今年の4月にオープンした「大森のふるさとの浜辺公園」から出航する、大田区の水辺を巡るクルーズで、いつもと違う視点から、いままで気づかなかったまちの魅力を再発見しましょう!!、と屋形船観光クルーズ(船宿丸八)が13時発、14時30分発の2便が出ます。乗船希望者は、9月末までに申し込み、各回40名が抽選での乗船です。

祭りの見物に、昼食後の13時ころ自宅から徒歩で美原通りに向かい、南原から通りを北上すると、「くすのき連」の阿波踊りが丁度内川を渡り切るところで追いつきました。
昔三木屋という古くからあった本屋の付近の南原の中央で、阿波踊りのいろいろな形の演技の披露があり、それを見て中原へと向いました。

                地域密着の「くすのき連」の阿波踊り

南原から中原にかけての模擬店・フリーマーケット・江戸下町職人の会の出店を見ながら散策しました。北原には、3か所にフットサル競技場を仮設して、子供たちが親の声援を受けながら試合を行っていました。

      羽子板屋          釣りしのぶ屋          木工具屋

北原からは、美原通りを折り返し、昔からある呉服店と洋品店で買い物をして、コーヒー挽き店でコーヒーを飲み、遠い過去の想い出を振り返りながら、するがや通り商店会の八百屋さんに寄り道し、買い物をして帰宅しました。

      バザール        掘り出し物はないかな    フットサルの熱戦

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イベント 新田神社 例大祭の古武道奉納演武 その2

2007年10月18日 | イベント
kan-haru blog 2007

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新田神社の宝物
10月10日の例大祭に、新田神社の宝物殿が公開されましたので、拝観しました。宝物殿は、神社境内に入って左側に、校倉(あぜくら)造にて1977年(昭和52年)に建てられたものです。
宝物殿の撮影は可との事で、貴重な内部の一部を写してきました。
宝物「新田十騎士画の義興」は、1928年(昭和3年)の菊池容齋の筆です。

    校倉造宝物殿          宝物殿正面      新田大明神掛軸(拡大)

「新田義貞公画掛軸」と「新田義貞大明神画掛軸」は、江戸時代に古河藩主の土井大炊頭が奉納したものです。
「太刀と脇差」は、上段の太刀は銘が久幸で、1846年(弘化3年)に新田大明神御神楽講中が奉納したものです。中段は銘が備前国長船祐定で、1522年(大永2年)のものです。下段は銘が備前国長船祐永で、1823 年(文政6年)に脇屋久勝氏が奉納したものです。
「勝兜と大鎧」は、御祭神の新田義興公が智・勇にすぐれ、勇猛果敢な御神徳であることを称えて、平成2年2月に崇敬者奉納復元で奉納されたものです。

 新田義貞公画掛軸 新田義貞大明神画掛軸   太刀と脇差      勝兜と大鎧   

「神楽面」は、『調布日記』に「此神の祭は十月十日、正月十日に太々神楽をなす」とあり、江戸時代には、年二回の大祭でこの神楽面が使われていました。江戸時代に、高家畠山氏 が奉納されたものです。
左の「和鞍」は、御祭神新田義興公ご愛用の品と伝えられ、保存状態が悪く破損などにより、1976年(昭和51年)に補修を行いました。右の「神宮撤下御神宝」は、第60回式年遷宮の後の同昭和51年に、伊勢神宮から特別に撤下された『天照大御神の御神宝三品 御櫛笥・御弓・御楯』です。
左の掛軸「鍾馗画」は、明治時代に新田俊純の筆によるもので、右の掛軸「新田公神霊図」は、画が世田芳柳、書が書峯間信の1937年(昭和12年)の制作です。 


      神楽面         和鞍と神宮撤下御神宝    鍾馗画と新田公神霊図

「新田大明神掛軸」は、1813年(文化10年)の雅楽頭源朝臣忠衛の書です。
左の「矢口渡掛軸」は、江戸時代の書家の松下鳥石葛辰の書です。右の掛軸「新田大神」は、東郷平八郎元帥御真筆で、1932年(昭和7年)に海軍少将東條明次氏が奉納されたものです。
平成20年10月は、新田神社鎮座650年大祭に当たり、10月5日(日)に神幸祭を斎行し、約70年ぶりに新田神社から町内に担ぎだされます。

    新田大明神掛軸     矢口渡掛軸と新田大神 

奉納演武大会
新田神社例祭の奉納演武大会が、境内演武場で午後1時30分より行われました。
大会の次第(プログラム)は、演武者の全員が神社本殿で払い清めた後、演舞場に整列して師範の挨拶と説明があり、奉納演武に先立ち、初めに高津奏家による越前琵琶の「稲村ケ崎」が演奏されました。


ご存じ「稲村ケ崎」は、足利尊氏が京・六波羅で幕府の拠点を陥落させた、1333年(元弘3年)5月7日の翌日、上野国の新田義貞が翌8日に鎌倉攻めの旗を挙げ、幕府方と膠着状態の攻防から、21日夜稲村ケ崎の波打ち際を突破して、鎌倉に突入して北条高時一門を滅ぼし、鎌倉幕府は滅亡したくだりです。

 越前琵琶「稲村ケ崎」              立身流桁打ち・廻し打ち

続く演武次第は、立身流を中心として、白刃一閃会、天然理心流により17種目の演武が奉納されました。

    立合           短棒術         手裏剣術        剣術     


    短刀術          居組                      居合     

立身流は、16世紀初頭の永正年間に伊予の立身三京により、千葉県佐倉堀田藩の藩士教育の重要な総合武術で、居合と剣術の刀術が表芸であり、千葉県の無形文化財に指定されています。

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イベント 新田神社 例大祭の古武道奉納演武 その1

2007年10月16日 | イベント
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10月10日の新田神社例大祭には、毎年古武道奉納演武が行われます。
古武道奉納演武は、立身流矢口支部他による居合、剣術、棒、半棒などが披露されるほか、手裏剣、くさり鎌や短刀、二刀流、俰などの特別な演武も披露され、また、当日は年に一度の宝物殿を公開されるとのことで見てきました。

新田神社
新田神社(大田区矢口1-21-23 地図参照)は、東京急行電鉄の蒲田駅から東急多摩川線で2駅目の武蔵新田駅を降りて商店街を多摩川方向に進むと、昔なつかしの雰囲気が漂う古いお店があり、その間の道をさらに行くと右側に鳥居が見え、正面に神明造の本殿があります。

    武蔵新田駅      昔なつかしい雰囲気のお店     武蔵新田商店街 

本殿は、世界大戦により戦災で焼失し、1960年(昭和35年)に神明造にて明治神宮旧御本殿を復元して奉建しました。御祭神は、新田義興(にったよしおき)公で、創紀は1358年(正平13年)です。
本殿前の手水舎と神燈は、伊勢神宮より下付されたものです。
境内左で陳列している宝物を公開している宝物殿は、校倉(あぜくら)造にて1977年(昭和52年)に建てられたものです。

      新田神社         神明造の本殿            手水舎

境内に入りすぐ右側の欅の御神木は、樹齢七百年で過去に雷や戦災の被害に会い、真二つの状態になってしまったが、新緑の季節になると青々と葉を付け、参拝者にひとときの安らぎを与えております。

    (拡大)                                  (拡大)

御神木の右手奥にある末社は、江戸時代の頃にこの矢口村の稲作や農業を守護するために、711年(和銅4年) 鎮座の京都の伏見稲荷大社から、その御分霊が祀られたと云われ、御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。

                                           (拡大)

・御塚
社殿の後ろは15メートルほどの円墳があり、『御塚』と呼ばれ、義興の遺骸を埋めた墓だとの伝承があります。

                          御塚              (拡大)

・境内の石碑、狛犬
神社本殿横の「新田神君」の碑(大田区文化財)は、1746年(延享3年)に忠臣としての義興の事跡を顕彰し、松平政種が寄進したものです。
唸る狛犬は、阿像のみで吽像は失われており、造られた年代ははっきりしないが、全体の印象から江戸時代のものとみられています。伝承として恨みを持つ畠山一族の人が近づくとうなり声を上げたと言い伝えられています。


       (拡大)             (拡大)               (拡大)

・由緒
当神社の御祭神である新田義興公は、稲村ケ崎にて名剣を投じて鎌倉に攻め入り「建武中興」を成し遂げられました新田義貞公の第二子で、幼名を徳寿丸と申し、元服の折には後醍醐天皇より「義貞の家を興すべき人なり」として「義興」という名を賜り、「従五位左兵衛佐に任ぜられました。ところが足利尊氏が謀反を起こし、父義貞公亡き後、義興公はよく遺志を継がれ新田一族を率いて吉野朝(南朝)の恢復に尽力をされました。そして、武蔵野合戦を始め各地に奮戦され、終始一貫その忠義を尽くされましたが、1358年(正平13年)10月10日、足利基氏の執事である畠山国清、江戸遠江守らの卑怯なる謀略により、多摩川の「矢口の渡」で壮烈なる最後を遂げられました。

その後、義興公の怨霊が現れ悪計加担の者どもに祟りを及ぼしたり、夜々「光り物(火の玉)」が矢口付近に現われて往来の人々をも悩ますようになりました。そこで義興公の御霊を鎮めるために、義興公の墳墓の前に社殿が建てられ、「新田大明神」として広く崇め奉られました。これが「新田神社」の起こりであります。

江戸時代に入ると、将軍徳川家の祖先がこの新田家であるということより、松平家から「縁起絵巻物」(都文化財)や「新田神君碑」 (大田区文化財)等の奉納などもありました。また、蘭学者である平賀源内が新田神社に参拝して、境内の篠竹で厄除開運・邪気退散の「矢守」を作ったり、新田神社の縁起を浄瑠璃歌舞伎の「神霊矢口渡」として脚色し、現在でもその一部分が各地の歌舞伎場などでしばしば上演されています。その後、1873(明治6年)1月に社格が「府社」に列せられ、明治42年9月には特旨を以て御祭神に「従三位」が追贈せられました。(新田神社資料より)

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大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.14)

2007年10月14日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2007 10月16日修正

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今回から、大森町周辺地域で開催したイベントを、不定期にニュース形式で掲載します。
大森町周辺地域(大森町周辺地図参照)は、北端の京浜急行電鉄の大森海岸駅付近から、同梅屋敷を南端とし、西端は東海道本線が境で、東は平和島、昭和島付近までの地域を対象とします。

開桜小学校運動会(10月3日)
9月30日開催予定が雨で流れて、10月3日に平成19年度運動会が開催されました。
開桜小学校(大田区大森西2-26-3 地図参照)は、大森第二小学校と第六小学校が統合して平成14年4月に開校した、内川に沿っている学校です。

・開桜小学校の沿革
小学校の沿革は、1875年(明治8年)2月12日に、大森村892番地に校舎を仮設、「第一第学区東京府管内第二中学区第十一番公立小学校大森学校」として大森で初めて開校し、3月30日に「第一大学区東京府管内第二中学校区第十七公立寄来学校(現大森第二小学校)」と「同第十六公立寄来学校(現大森第一小学校)」に分校して改称されました。

1878年(明治11年)に、中原451番地(今の京浜急行電鉄平和島駅と第一京浜国道の間)に校舎が新築され、翌年「東京府荏原群寄来小学校」と改称されました。
その後、「寄来尋常小学校」に改称され、さらに高等科が設けられ「寄来尋常高等小学校」となり、1898年(明治31年)に、大森町441番地(現環七通りの南側の第一京浜国道付近)に移転しました。4年後に、現京浜急行電鉄平和島駅の前身である、現環七通りの南側の寄来尋常高等小学校の裏に「学校裏駅」が出来ました。

1920年(大正9年)11月18日に、現在地に校舎を新築し「大森第二尋常小学校」と改称されました。
1940年(昭和15年)に、「大森第六尋常小学校」ができ分校して独立し、その後尋常小学校を国民学校と改称しました。両校共1945年(昭和20年)4月15日に世界大戦の大森町大空襲の戦災(「大森町界隈あれこれ(13) 鎮魂!大森町大空襲(第7、8回)」参照)により全焼し、入新井第二国民学校の教室を借りて学習を行いました。

1947年(昭和22年)に63制の新教育体制により、国民学校を小学校に改称し、2年後に焼け跡に校舎ができ、平成14年に統合により開桜小学校となりました。(変革史:開桜小学校開港5周年記念史わたしたちの郷土から)

・開桜小学校開校6回目の運動会
雨で流れた10月3日は、やっと涼しさが訪れ絶好の運動会日和のもとで、子供たちは熱心に競技に取り組んでおりましたが、ウイークデイ開催のため父兄の出足はやや少なめでした。対抗戦競技の結果は、970対946で白組が優勝でした。


平成19年度もり校会同窓会総会(10月6日)
大森学園高等学校(大田区大森西3-2-12 地図参照)の同窓会もりこう会の総会が10月6日に新校舎3階会議室で、懇親会が同8階パノラマラウンジで開催されました。
大森学園高等学校の沿革は、1939年(昭和14年)に旧大森地区の中小機械工場の協力により、大森機械工業徒弟学校を創立し、米沢勇作氏が初代校長に就任しました。1942年(昭和17年)に大森工業学校を開設し、1945年(昭和20年)に世界大戦で全焼により森ヶ崎の工場跡を借りて授業を行い(「大森町学びや もりこう会の集い(その1~4)」参照)ました。

学制改革により1947年(昭和22年)に大森工業高等学校(新生高校)と大森学園中学校(新生中学)と改称し、翌1948年に現在地に廃工場建屋を移築して古巣に移転しました。大森学園中学校は、1951に廃校となりました。(10.16修正)
平成17年に新校舎を新築し通科を併設して、大森学園高等学校に改称しました。平成19年に講堂棟の新校舎を新築し普通科を共学制にして、創立以来初めての男女共学になりました。


第33回大田福祉作業所ふれあい祭り (10月7日)


大田福祉作業所(大田区大森西3-3-9 地図参照)は、今年2月に隣接の内川添いの諏訪公園跡に移転新築の新しい建屋で、10月7日にふれあい祭りを開催しました。


ふれあい祭りのテーマは、このまちに広げようふれあいの輪ということで、近隣住民に呼びかけて多数の見学者が来場して、模擬店・バザーの物品販売や食堂のおふくろの店で飲食をし、ふれあいステージの演芸を楽しんでおりました。


大森第八中学校開校60周年記念式典(10月12日)
大森第八中学校(大田区大森西2-21-1 地図参照)では、開校60周年記念を迎え10月12日に開校60周年記念式典が、体育館3階アリーナで行われました。
大森第八中学校は、1947年(昭和22年)に63制の新教育体制により都立大森実践女学校に併設して開校して、開校時は現山王小学校の教室を借りて授業を行いましたが、現在地に大森実践女学校独立校舎落成し、同校舎に併置して移転しました。

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イベント 江戸天下祭 江戸の風情と粋な山車と神輿が丸の内を巡行 その2

2007年10月12日 | イベント
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江戸天下祭山車巡行
天下祭の山車巡行の行列は、江戸木遣り、手古舞などが先導し、民謡流し踊りと朝鮮通信使に続いて14台の山車が丸の内のオフィス街を江戸情緒に染めあげます。
その往時の華麗さを今に伝える山車の巡行を都合により見られませんので、山車巡行出発間際の時間帯に展示場を覘いて見ました。江戸フェスティバル会場は、見物者と山車・神輿の曳き手、担ぎ手が待機して大変な人出でした。

・山車巡行出発の式典
江戸フェスティバルステージでは、巡行前の式典が行われ、最後の木遣で巡行の出発です。

                                          木遣り

出発に備える山車の前では、川越の奇麗どころと、若い女性の囃子手や女性神輿の担ぎ手が待ちかねております。

       (拡大)              (拡大)               (拡大)

今回のパレードには、朝鮮通信使を再現した一行も山車巡行の先導に加わりました。

       (拡大)          朝鮮通信使(拡大)           (拡大)

朝鮮通信使の起源は、1375年に足利義満によって派遣された日本国王使に対して信を通わす使者として派遣された返礼が始まりであり、日本の国情視察目的も密かに含まれており3度来日しています。
その後、豊臣秀吉による文禄・慶長の役の後、断絶していた李氏朝鮮との国交を回復させ、400年前の1607年(慶長12年)に、通信使は将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀使節として派遣されました。1811年に通信使が対馬までで差し止められまで、計12回の通信使が派遣されましたが、それを最後に断絶しました。(Wikipediaから)

・巡行の山車
巡行の山車は、明治時代に市内電車の開通により電線が引かれ、山車を引くことが出来なくなり、1889年(明治22年)の憲法発布を記念し、山車100台を皇居前に集結しての巡行を最後とし行われなくなりました。そのため、それらの山車を地方に移したので、関東周辺での祭が盛んになったようです。

展示の山車を順不同で見てみます。

 張飛翼徳(拡大)   弁慶と牛若丸(拡大)    羽衣(拡大)     弁財天(拡大)
・張飛翼徳(ちょうひよくとく) 栃木県栃木
・弁慶と牛若丸 千代田区九段4
・羽衣 千代田区神田
・弁財天 茨城県石岡


 翁二人立(拡大)     石橋(拡大)      神武天皇(拡大)    石橋獅子(拡大) 
・翁二人立 港区赤坂
・石橋(しゃっきょう) 埼玉県本庄
・神武天皇 埼玉県飯能
・石橋獅子(しゃっきょうじし) 千葉県佐倉


   牛若丸(拡大)    徳川家康(拡大)    二見ヶ浦(拡大)    稲村ケ崎(拡大)
・牛若丸 千代田区九段3 
・徳川家康 埼玉県川越
・二見ヶ浦 静岡県掛川旭組
・稲村ケ崎 静岡県掛川せ組


        東郷元帥(拡大)
・東郷元帥 千代田区三番町

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イベント 江戸天下祭 江戸の風情と粋な山車と神輿が丸の内を巡行 その1

2007年10月10日 | イベント
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江戸天下祭2007
江戸天下祭は、江戸開府400年を記念して2003年に復活して開催され、以来2年毎に開かれ、今年第3回目が9月29、30日に雨天決行で開催されました。
・江戸フェスティバル
江戸天下祭2007では、江戸フェスティバルが日比谷公園で行われ、山車・神輿の展示と江戸職人長屋、バザール横丁などでの物品販売などの他、ステージで三味線・和太鼓演奏などのショーや式典が行われました。
・山車、神輿巡行
9月29日は、16時からメインイベントの往時の華やかさを伝える、山車14台、神輿9基などによる総延長2kmの巡行が、日比谷公園の日比谷門を出発して、丸の内仲通りを進み行幸通りを経て、皇居前広場までの5時間にわたり練り歩き、当時の賑わいを再現しました。
また、丸ビル1階マルキューブでは、25日から30日まで山車・人形・神輿の展示が行われました。

                       読売新聞「江戸天下祭」PR版から転載

天下祭見物
徳川将軍が見物したという、江戸の話題をさらった人形を乗せた山車を見に、29日の16時までの時間を都合つけて行ってきました。残念ながら、予定があり天下祭ハイライトの山車・神輿の巡行は見られませんでしたが、江戸の風情にちょっとだけ触れてきました。

大森町から日比谷公園には、京浜急行・都営三田線と乗り継いで日比谷駅下車で江戸フェスティバル会場です。

                       読売新聞「江戸天下祭」PR版から転載

日比谷公園の江戸フェスティバル会場には、日比谷駅入り口を直進して噴水広場からが会場で、噴水を囲うようにして山車の展示の大きなテント小屋が取りまいてあります。噴水広場の南端には、各町会テントの前に巡行神輿が勢揃いしており、担ぎ手が沢山詰めかけております。

29日は、あまり天気が良くなく、日中は雨がぽつぽつ落ちていましたが、会場に着いた時には何とか雨は上がっておりました。このため、巡行で待機している神輿に、ビニールの蔽いを掛けてありました。天下祭の巡行は、雨でも決行ですが、折角のお祭りですので雨をもたせて、多数の見物客で盛り上げたい願いです。
当日は、山車・神輿巡行の見物は都合によりできませんでしたが、天気の方はまあまあのようでした。巡行の模様は、Webで見た様子を後で紹介します。

       (拡大)              (拡大)

・巡行神輿
巡行神輿は9基で、神田公園地区連合町会の神輿が大きさ3尺で最も大きく、万世橋地区町会連合会の神輿が一番古く1926年(大正15年)の「だしてつ」の作です。また、須田町中部町会の神輿は女性神輿が登場しました。
巡行神輿の所属は、千代田区の各町会のもので、大小それぞれあり3尺1基、2尺7寸1基、2尺5寸1基、2尺3寸5基、2尺1基の構成でした。

・山車展示
山車の展示小屋は3棟あり、巡行の山車14台が勢揃いして展示してあり、山車の名前は山車の上に立つ人形の名前で呼び、前面の囃子台の周囲を屋台で囲い、嗜好を凝らした刺繍や金糸銀糸・金箔で飾りを施した山車は「江戸の華」です。
巡行に参加の山車は、東京が5台、埼玉県3台、静岡県2台のほか4県から山車が参加しております。

 山車の展示小屋① (拡大) 山車の展示小屋② (拡大) 山車の展示小屋③ (拡大)

・バザール横丁
バザールには、ワールドバザール横丁とちよだバザール横丁があり、時間をかけて寄れませんでしたが、千代田区内大使館の各国料理や飲食・物販などを販売しておりました。
山車の展示小屋の並びには、江戸職人長屋があり、江戸伝統職人による実演と作品の販売をおこなっておりましたが、見に行った時間帯には展示屋台の見物客と山車巡行の曳き手とが輻輳して、長屋前の見物は不可の状況でした。


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イベント 東京オペラシティ ドイツ留学中の倉澤杏菜ピアノリサイタル

2007年10月08日 | イベント
kan-haru blog 2007

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倉澤杏菜さん
ドイツ留学中の倉澤杏菜ピアノリサイタルが、ハートフェルトコンサートの企画で東京オペラシティにおいて、9月29日に満員の盛況で開催されました。
倉澤杏菜さんとは、お父さんとコンピュータの関係で親しくして頂いた縁で知り合い、昨年のコンサート会場でお目にかかっております。

倉澤杏菜さんは、2006年3月に桐朋学園大学音楽部を卒業し、同年「アルス五重奏団」の演奏活動を始動し東京(「春の花とアルス五重奏団コンサート」参照)、新潟、宮城にて公演しました。同年12月東京国際フォーラム主催の音楽コンクール「ピアノ部門」で、優秀賞を受賞しました。

また、同年5月には、ヤマハ音楽振興会本部「留学奨学制度」の留学奨学生として、10月から国立ベルリン芸術大学の対象者として選ばれ、留学を記念して7月にカワイミュージックショップ青山2階パウゼでピアノリサイタル「倉澤杏菜 ベルリン芸術大学留学記念 ピアノリサイタル」参照)を開催しました。

留学記念リサイタル演奏の倉澤杏菜さん カワイ音楽振興会出典

この時のリサイタルのカワイ音楽振興会のレポートによると、モーツァルト、ショパン、スクリャービン、ラフマニノフのピアノ曲を演奏し、会場は多いに盛り上がりました。アンコールは、ブラームス/インテルメッツォOp.119-2、モーツァルト/トルコ行進曲、ガーシュイン/アイ・ガット・リズムの3曲でした。

アンコールが終わった直後、サプライズに甘利マネージャーの粋な演出で、突然バースディケーキが登場しました。実は、この日は、倉澤杏菜さんのハッピーバースディ・イヴ(誕生日の前日)で、飛び入り参加して下さった、下田幸二先生のピアノ伴奏で、みんなでお祝いしました。感激のリサイタルでした。
参加者のアンケートでは、ショパンのノクターンがとてもきれいな音で、連符の入り方など勉強になった。キラキラ星の変奏曲は、細かい音までていねいに弾けていて大変良いと思った(小学生の女の子)。心が洗われました。生のピアノソロの演奏は、ほぼ初めてだったのでとても感激しました。人によって奏でる音楽って違うんですね。素敵でした。これからも頑張って下さい!!(20代女性)。緩急織りまぜ、非常に情熱のこもったダイナミックな演奏であった(30代男性)。ダイナミックで良かったです。私も弾きたくなりました(40代男性)。などで演奏の素晴らしさを感激しております。

ドイツ留学中のピアノリサイタル
これまでに、小西由紀子、兼松雅子、奈良場恒美、下田幸二氏の各氏に師事し、現在、国立ベルリン芸術大学留学して、ファビオ・ビディーニ氏の下で学んでおります。
ファビオ・ビディーニ氏の倉澤杏菜さんの評価は、パンフレットの記述によると次に示す通りです。


杏菜さんの留学の成果を示す留学中の帰国リサイタルが、予定通り東京オペラシティ リサイタルホールにて2007年9月29日18時から開催されました。
プログラムは、当初の曲目から一部が変更され、ブラームスのピアノ・ソナタ第3番へ短調 作品5の演奏時間が30分を超える長大曲の演奏が披露されました。


1年2月前の留学記念リサイタルと、今回のリサイタルを比べると素人目にも留学での成果がハッキリと感じました。まずピアノ演奏に自信があふれ、ドイツ音楽の力強い演奏には強烈な感激をしました。
満席の観客の盛り上がりのアンコールに、ショパン即興曲第4番「幻想」Op66と練習曲 Op10-5の2曲が演奏され、ますます素晴らしい演奏に堪能しました。

留学の成果については、杏菜さんのお父さんのメールにて、「1年ぶりに娘の演奏を聴きましたが、1年間のベルリン生活が無駄ではなかった事がはっきり判り、自分も、少々感激しました。また、今までのコンサートでは、ショパン、ラフマニノフ主体の選曲で、今回のベートーベン、ブラームスは、初演なんです。本人も言っていましたが、まさに、ベルリン留学の成果です。まだまだ、未熟ですが、これからも鍛錬を重ねてゆくと思います。」とおっしゃっておられます。

これは、杏菜さんご自身の厳しい勉強の努力の成果です。今回のリサイタルでも、22日(土)に帰国し、23日に家族で1日だけ温泉に行き、翌日からリサイタルの練習に励み、リサイタルの翌日の30日の夜便でベルリンに戻る強行な日程です。この様な努力により、明日のピアニストとして、大変に希望が持てます。

帰国リサイタルの評価を、ピアニストの高橋多佳子さんの日記(ブログ)で見せて頂きました。「今日は若いピアニスト、倉澤杏菜ちゃんのリサイタル。桐朋を卒業してまだ2年という若さですが素晴らしい演奏を披露してくれました。ブラームスの3番、ベートーヴェンの109、リストのスペイン狂詩曲等など、大曲をズラリと並べていましたが、どの曲も素晴らしい仕上がりで、しかも豊かな表情を持って弾いてくれたので、曲の素晴らしさを十分伝えていました。感動的だったなあ。」とあります。

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イベント 運動会 第15回お茶の水小学校運動会

2007年10月05日 | イベント
kan-haru blog 2007

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お茶の水小学校運動会
昨年と同様に朝から良く晴れた残暑の9月22日に、孫の通っているお茶の水小学校で第15回目の運動会が開催されました。昨年(「イベント(6) 運動会 お茶の水小学校運動会」参照)の徒競争やリレーでは頑張っており、今年もリレーに出ると云うので応援に行きました。
お茶の水小学校(千代田区猿楽町1-1-1)へは、京浜急行大森町駅から三田駅で都営三田線に乗り換えて、神保町駅から書籍店街の靖国通りを通って横道に入り、明大の裏の錦華公園に隣接したところにあります。

・古書店街神保町
靖国通りを中心にした神保町の一体は、書籍店街・スポーツ用品店街の高度に専門化された広域的商業集積街です。このうち、書店街はWebの「BOOK TOWN じんぼう」によると、古書店160店、新刊書店30店、取次店25店、出版社500社があり、売場面積5,000坪、在庫1,000万冊の世界一の書店街が集積しています。

神保町書店街の生い立ちは、神保町に関する研究書の1979年『東西書肆街考』(岩波新書)脇村義太郎氏によれば、明治前期に学校、学生の神田への集中が書籍商の発展を促がしたものであったようです。
明治20年に東京書籍商組合が組織されたが組合自体が営業せずに、有志の発起で大市が行われ、貧乏な学生が次ぎの本を購入できるように、読終えた本を引取る新古書の取引が開始されました。後に、正式に組合業務として行われるようになりました。

大正・昭和前期には、古書の取引は増加してきて、坐して売りに来るのを待っていては間に合わなくなり、他の古書店から自店で需要の多い価格の安い本を買ってきたりして、「競取(せどり)」を使って、自店に向くものを探して持ってこさせるようにしました。また、同業者が集まり、商品を持ちよって交換する方法が自然に発生してきました。

その後、変遷を経て東京古書籍商業協同組合が設立され、現在小川町に古書会館を持ち、神田はあらゆる古書取引きの中心になるに至ったのです。
今年もまた、神田古書店街恒例の『東京名物・神田古本まつり』の時期となり、第48回目が10月26日(金)から11月1日(木)までの期間に、神保町表通りの舗道(駿河台下から専大前交差点まで)に書店約100店舗とのべ100万冊の書棚に囲まれた「本の回廊」が出現します。
また、10月27、28日に、すずらん通り、さくら通り、小学館、集英社前広場で第17回 神保町ブックフェスティバルが開催され、「明治大学応援団」パレードでオープンして古本チャリティーオークションが行われ、トークショウや楽団演奏、お茶の水小学校 和太鼓演技などが行われます。

・お茶の水小学校
お茶の水小学校(「風景・風物詩(A1) 東京百景 山の上ホテルとその周辺(その3)」参照) 運動会は、平成5年4月に近隣の小川小学校、西神田小学校と夏目漱石が通った錦華小学校が統合された小学校です。
錦華小学校は、明治6年に開校し錦坊学校と改称して猿楽町2番地(現神保町1-30 ホテルヴィラフォンテーヌ神保町地図参照)に校舎を新築しました。その後、現在地(千代田区猿楽町1-1-1 地図参照)に移転し、世界大戦の戦災で焼失しました。
統合の小川小学校跡(地図参照)は、現在公園となっていますが、統合前の1960年代、1980年代の小川小学校付近の貴重な写真が小川町北三町会のWebで見られます。

運動会
運動会のプログラムは、午前が14種目の午後が6種目であり、最初の種目が孫の出た徒競争のいのしし RUN!!! で今年も頑張りました。

    いのしし RUN!!!   

来賓・同窓会・児童保護会が参加する競技種目の大変身!! ではパパが参加して奮闘しました。

    大変身!!

午前最後の勝利をめざして(低学年リレー)では、今年はアンカーとして出場し奮戦しましたが、3位に終わりました。

お茶の水小学校の競技種目は、15種目が対抗競技で競争意識を持たせております。また、競技方法も、定位置に全員が張り付いて綱引きをするのでは無く、一部の者はスタートラインから綱をめがけて駆けて行き、そこから綱引きに参加するという競技で、早く綱にたどり着いた方が有利という体力を競うものです。

   ひっぱれ ヒッパレ 走ってひっぱれ!


   ロケットダッシュ

併設の幼稚園児の微笑ましい可愛い演技、組体操や対抗競技では、父兄が紅白に分かれて手に汗を握り応援して楽しんで秋の一時を過ごしておりました。

    KIZUNA~2007~

小学生の運動会といっても、高学年の対抗競技のロケットダッシュ、熱中時代!激走編!、対人!お茶の水の決戦、飛び出せ!青春!!や、演技種目のKIZUNA~2007~などは迫力がありました。

    対人!お茶の水の決戦


   飛び出せ!青春!! 

平成19年度運動会の競技は、694対662で白組が優勝し、優勝旗、優勝杯を手にしました。
応援合戦ひびけ和太鼓今日は一日頑張ったぞ

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風景・風物詩 秋の歳時記お彼岸 城下町古河の菩提樹お墓参りと周辺散策 その2

2007年10月03日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2007

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古河市
古河市(こがし)は、関東地方のほぼ中央、茨城県の西端に位置し、2005年9月12日に城下町である旧古河市と、総和町、三和町との1市2町の合併により誕生した、人口約15万人の都市です。
古河観光の見所としては、古河公方館跡、永井路子(作家)旧家、古河歴史博物館、鷹見泉石記念館、古河総合公園などがあり、訪問記を何れの次期かに掲載をしたいと思います。
古河総合公園には、2000本の日本一の花桃林があり、春彼岸のお墓参りに来て満開時の掲載記事(「小さな旅(12) 茨城古河 桃まつり」参照)があります。

・歴史
万葉集に詠まれてる古河は、「許我」と表記されており、奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていたことが伺えます。
 「逢わずして行かばおしけむ まくらがの許我(こが)こぐ船に君も逢はぬかも」
 「まくらがの 許我(こが)の渡りのからかじの音高しもな寝なへ児ゆえに」

室町時代には古河公方の本拠地として、江戸時代には下総国古河藩の城下町で日光街道古河宿の宿場町として盛えました。
古河藩第十一代藩主である土井大炊頭利位(どいおおいのかみとしつら)が、1832年に日本初の雪の結晶に関する観察図鑑「雪華図説」を出版しました。

 古河城(明治3年 武藤松庵撮影)古河歴史博物館出典  古河駅前万葉歌碑

・古河城 (wikipedia古河城)
江戸時代の曲亭馬琴作の読本南総里見八犬伝の芳流閣とは、古河城と云われているが、1873年(明治6年)廃城令によって、翌年、城は取り壊され、石垣の石をはじめ、門や櫓などの部材は、入札によって払い下げられました。古河城(古河城下模型 古河市公式ホームページ参照)跡は渡良瀬川の改修でほとんどなく、城門(市の文化財)古河城文庫蔵、乾蔵、が遺構として、移築現存しており国の登録有形文化財に指定されています。

古河城の起源は、平安時代の末期に、下河辺行平が古河の立崎(竜崎)に築いた城館とされています。室町時代には、足利成氏(古河公方)が本拠とし、関東動乱の中心の一つとなりました。江戸時代には、多くの譜代大名が入れ替わりで城主を務め、近代城郭として整備を進めました。古河藩庁が置かれて、行政機能を担うとともに、将軍の日光社参時の宿として、あるいは、江戸城の北方の守りとしても機能しました。

城下には、日光街道の本陣がおかれ宿場町が発達するとともに、渡良瀬川による河川水運も発達して、交通・物流の要所となりました。 徳川将軍による日光社参では、岩槻城・古河城・宇都宮城に宿泊した後、日光に入ることを恒例とし、将軍の宿城の一つとして重視されました。

古河城はどこにあるのかを、筑波大学地球科学系人文地理学研究グループ調査のレポート「古河市における中心市街地の変容と都市観光への取り組み」の第3図の近世古河城下町(天保期頃)地図を参照して、Google Mapの旧古河市内地図上に古河城本丸跡付近や町名をマークしてみました。

・古河宿
街道沿いの宿場は、原町、台町、一丁目、二丁目、横町と続き、延長約1.8kmほどで旅籠や茶店が軒を並べ、飯盛女がことのほか多い町だったと云います。
JR古河駅西口から西へ向かい県道261号線(旧日光街道)に出た、本町2丁目交差点の若野屋着物店前に「史蹟 古河城下高札場跡」碑があり、道路の反対側の北斜め向かいに「本陣跡碑」があります。逆に、道路の反対側の南斜め方向には、「御馳走番書所跡」と「古河城お茶屋口跡」があります。

      本陣跡碑           下高札場跡碑        お茶屋口跡碑

若野屋着物店前261号線を北に歩くと、信号のある十字路で、旧日光街道は261号線と別れて左折し「曲の手」です。左折した右側のお寺は、お墓参りをした神宮寺です。
この、神宮寺の道路に面した石塀内には、昔「脇本陣」だった太田屋旅館がありましたが、廃業して現在は神宮寺の境内となっております。

              「脇本陣」だった旧太田屋旅館(山田屋出典)

神宮寺の道を挟んで左斜め前には、常夜塔が上に乗っている大きな道標があり、正面に「左日光道」、右側面に「東筑波山」、左側面に「右江戸道」と刻まれております。もとは、左折した交差点のところにあったと云います。


左折した旧日光街道を100mほど歩くと十字路があり、旧日光街道は右折し「横町」です。ここには昔遊郭があったところと云われ、道の右側に「よこまち柳通り」の標識があります。横町を北に進むと、別れた261号線と合流して古河宿は終わりです。

神宮寺のお墓と石碑
神宮寺は城下町の由緒あるお寺でありますので、歴史ある石碑や著名人のお墓などがあります。
・水戸藩勤王の志士殉難の碑
神宮寺には、墓地の中央の東端に「水戸藩元治甲子之変殉難追悼碑」があります。水戸藩勤王が永井寺と正定寺の付近(旧古河市街図参照)で殉難する変がありました。


古河の社寺
旧古河市街には、30もの古河宿ゆかりの社寺があります。神宮寺からJR古河駅の間だけでも7つの社寺(菩提樹ルート地図参照)があり、秋の彼岸のお墓参りにそのうちの二寺を帰路に散策してみました。


・西行寺
神宮寺から旧日光街道(曲り手)を東に歩き、信号を渡って直進して古い家が多い筑波道を100mほど進み、鍛冶町から南下する北新町の道を歩くと左手に西行寺(浄土宗称名山 総本山:知恩院 本尊:阿弥陀如来)の山門が見えます。


・浄円寺
西行寺からさらに南へ進むと、浄円寺(真宗大谷派 本山:本願寺 本尊:阿弥陀如来立像)の山門が見えます。古河では、お寺からお寺と続いております。


浄円寺と道を挟んで小さな八幡宮が鎮座しております。八幡宮は江戸時代初期、藩主土井利勝により北新町(現本町一丁目)に移されたといわれ、今も町内の人々によって祭られています。
八幡様をお参りして、駅前通りを通って帰路につきました。


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番外編 カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 [付 kan-haruの日記10月月間INDEX]

2007年10月01日 | INDEX
kan-haru blog 2007

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全ての検索ができます。

[K&A kan-haru 日記の見方について]
ブログ左覧のガイド板「カテゴリー」には、kan-haru日記のカテゴリー名とカテゴリー毎の記事登録数が掲載されております。
カテゴリー名の「ようこそ kan-haru日記へ」欄内には、次に示す日記の総合目次と日記を見るためのガイダンスが掲載してあります。
総合目次は、この月間INDEXと統合しており、同一のカテゴリー別目次を併用しております。
「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、この日記を見るためのガイダンスを記載してあります。日記の見方について (その1)の解説には、カテゴリー別の概要説明と共に、カテゴリー項目からは当該カテゴリーの第1回登録記事から最終・最新の登録までの全ての記事の索引が行えるようにカテゴリー別INDEXと結合してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新
・ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その3) (未完)

[ブックマーク からカテゴリー別目次を見る]
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[ブログ記事内の参照地図・写真などを拡大して見るには]
次の2006年3月月間INDEXに方法が記載してありますので、参照して下さい。
番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の9月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの全記事の目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1編総目次
  3-2 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第2編総目次
  3-3 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第3編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
  ■ 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 磐井神社 大森町北端にある鈴石伝説の磐井神社夏祭り その1 9月3日
  ■ 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 磐井神社 大森町北端にある鈴石伝説の磐井神社夏祭り その2 9月5日
  ■ 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 谷戸三輪神社2007年秋の例祭 9月11日
  ■ 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 大森神社2007年秋の例祭 その1 9月25日
  ■ 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 大森神社2007年秋の例祭 その2 9月27日
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行
  ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第9回)  9月9日
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ■ 風景・風物詩 穴守稲荷 涼しげな行灯に照らされながら晩夏の献灯祭と輪踊り 9月7日
  ■ 風景・風物詩 山王熊野神社 歴史ある鎮守の森の大神輿池上通り渡御 9月13日
  ■ 風景・風物詩 池上松涛園 西郷隆盛・勝海舟の江戸城開場会見の名園 その1 9月15日
  ■ 風景・風物詩 池上松涛園 西郷隆盛・勝海舟の江戸城開場会見の名園 その2 9月17日
  ■ 風景・風物詩 糀谷祭 糀谷神社・浜竹天祖神社・西仲天祖神社の宮神輿連合渡御 9月19日
  ■ 風景・風物詩 秋の歳時記お彼岸 城下町古河の菩提樹お墓参りと周辺散策 その1 9月29日
22 小さな旅 総目次
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ■ イベント 歌舞伎座観劇 第二回秀山祭九月大歌舞伎夜の部 9月21日
  ■ イベント 目黒のさんま 第12回目黒のさんま祭り 9月23日
26 ITと技術 総目次
27 Weblog 総目次

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