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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第19回その1)

2010年04月29日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 高架上り線線路の付替え準備[04月29日]

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今年は天候が不順で彼岸ごろから寒暖を繰り返し雨天も多く、上り線開通の工事にも影響を及ぼしているものと思われます。今回は、連休初日の4月29日に各工区の上り線開通の準備工事の進捗を見てきましたのでまとめてみました。

第1工区上り線開通準備工事
第1工区大森町駅高架化工事も4月工程に入り上り線開通の纏め工事の工程となり、開通前へと秒読み段階となりました。ナンカ堂跡の高架駅舎の壁面取付け工事も終わり、高架橋の西側では上り線高架橋ホームへの階段およびエレベータから、大森町商店街通りに通じる仮通路駅舎棟の最終工事が行われています。仮通路駅舎棟は、臨時改札口は5月15日の朝の通勤時間帯まで使用されますのでこの臨時改札口駅舎部分を除いて、それより南側の商店街通りまでと、北側の階段口までの2箇所に分割して工事が行われています。

 第1工区高架工事予定表・上り線開通まで(4-5月)(工事予定表の拡大表示)

4月14日に見ると、南側の仮通路駅舎棟は西側面に壁板の取付け工事が進められ、同19日には全面に壁板が付け終わり、21日には屋根が付けられました。

 仮通路駅舎棟の建築が進む1(:臨時改札口を挟んで南北で仮通路駅舎棟を建築中、:南側仮通路駅舎棟に壁板が付く0419、:南側仮通路駅舎棟に屋根板が付く0421)

同21日に見ると南側の仮通路駅舎棟の地盤は北方から手前にゆるい傾斜がついていましたが、同28日には床板が張られて右側には出札自動券売機が置かれるようです。

 仮通路駅舎棟の建築が進む2(:南側の仮通路駅舎棟の地盤はゆるい傾斜が付く0421、:南側の仮通路駅舎棟に床板が張られる0429)

臨時改札口駅舎北側の仮通路駅舎棟の建築は、高架ホームへの階段とエレベータの出入り口部の踊り場の前には仮通路駅舎棟には高い柱が建てられ、同19日に見ると高い柱に屋根梁柱が付けられました。

 仮通路駅舎棟の建築が進む3(:大森町高架駅の階段の構造[0301再掲]、:階段前の仮通路駅舎棟の柱に屋根梁柱が付く)

同21日には北側仮通路駅舎棟に階段踊り場の高さに床梁柱が付けられ、24日には踊り場の床板と壁板および屋根板が付けられました。

 仮通路駅舎棟の建築が進む4(:北側の仮通路駅舎棟に床梁柱が付く0421、:北側の仮通路駅舎棟に床板・壁板と階段が付く、:北側の仮通路駅舎棟に屋根が付く0424)

・仮上り線高架橋線路の本線への付替え準備工事
5月16日の上り線高架化のための仮上り線高架橋線路の本線への付替えの準備が進められていますが、同15日の終電後から始発までの短時間に、しかも100人程度の作業員による工事作業を行うには、その準備は万端怠れません。そのため、本線への付替え場所付近に作業台が設けられました。同21日に見ると、作業台の上には砂利を入れた運搬容器が沢山置かれていました。

 工事作業台上には沢山の砂利入り容器を準備(0421写真拡大)

また、本線高架橋は傾斜をしており、仮上り線高架橋との間に段差があるため、線路の付替え工事時に本線高架橋をジャッキアップして高さの調整を要するため、同17日にはジャッキアップ行うための準備工事をした様です。付替え工事現場の仮上り線高架橋と奥に並ぶ本線高架橋を、23日に見ると5月16日の工事のための覆いが付けられていました。

 本線高架橋をジャッキアップする工事現場(:手前が仮上り線高架橋で奥が本線高架橋、:手前高架橋の奥の高架橋をジャッキアップする、:本線高架橋をジャッキアップする工事機械0423) 

本線高架橋をジャッキアップする高架橋上部の本線上り線路と、仮上り線高架橋上の付替え線路の準備状況を、4月21日に列車車窓から見てみました。

 列車車窓からジャッキアップする本線高架橋上の線路を見る(:列車先頭窓から前方を見る、:列車最後部車窓から後方を見る0421)

同24日に見ると、付替え準備工事準備の現場調査のため、沢山の関係者が仮上り線高架橋上を歩いて本線への付替え場所へと集合していました。

 沢山の関係者の工事現場調査(0424写真拡大)

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(4月分掲Indexへ)
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画糀谷・蒲田東地区(第2回その3)

2010年04月26日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 東蒲田2丁目公園前丁字路の第1京浜国道側を見る(地図⑯)

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梅屋敷・京急蒲田間(2)
梅屋敷第1踏切から多摩堤通りまでの都市高速鉄道京浜急行電鉄本線付属街路第2号線(略称:鉄京本付2)と呼ばれる側道は、梅屋敷第1踏切南側から多摩堤通りの同第4踏切までを幅員6mの道路が整備されることで、前回(第2回その2)で第1-2踏切間を記述しましたので今回は第2-4踏切間を追って見ました。

 梅屋敷第2-4踏切間工事関連地図

・梅屋敷第2-4踏切間
鉄京本付2となる工事前の区道を、北方向を見ながら同第2踏切から第3踏切までを南に辿っていきます。同第2踏切から南側の区道の幅員は2間幅となり、道路に沿った高架橋は先の京急蒲田駅が3階高架橋のため下り線高架橋は3階付近までの高さに達し、高架橋の東側は梅屋敷公園で同第2-3踏切間は50mほどの距離です。

 第2-3踏切間の鉄京本付2となる工事前の区道を見る(:梅屋敷第2踏切から道幅が広くなる[地図⑦]、:区道に接する高架橋の東は梅屋敷公園[地図⑧]、:梅屋敷第3踏切から第1京浜国道方を見る[地図⑨])

同第3踏切道から南側の区道は、次の北丁字路までの間のファミネス梅屋敷マンション横の道路幅員がさらに1mほど広くなっています。北丁字路から南の区道の幅員は元の幅に戻り狭くなり、総2、3階の高架橋は線路が複線幅で京急蒲田高架駅ホームの本線と空港線とに分岐しています。

 第3-4踏切間の鉄京本付2となる工事前の区道を見る1(:第3踏切南側」で区道幅員が広くなる[地図⑩]、:歩行者専用の北側丁字路、:歩行者丁字路南側の区道[地図⑪])

第2-4踏切間には3つの丁字路があり、中間の丁字路の先の丁字路南側には東蒲田2丁目13番地の小公園があります。

 第3-4踏切間の鉄京本付2となる工事前の区道を見る2(:第3-4踏切間中央の丁字路、:中央の丁字路付近南側の区道[地図⑫]) 、:東蒲田2-13小公園に接する南側丁字路)

公園に面した丁字路の対面は空き地になっており、その南のビルは側道の幅員を考慮してセットバックがされているようです。側道の最南端の多摩堤通り口には、3月には1間幅の間隔でビルが建っており、4月24日に見るとビルの取り壊しが進んでいました。

 3-4踏切間の鉄京本付2となる工事前の区道を見る3(:この辺の区道では立退きや、道幅が確保されている[地図⑬]、:側道の終端部では1間幅のところにビルが聳ええる[地図⑭]、:4月末にはビルの取壊しが進む[地図⑭])

梅屋敷公園側の工事
梅屋敷第2-4踏切間の梅屋敷公園側の工事は、京急高架化工事が進行中で、第1京浜国道の拡幅工事が行われる予定で、公園の対面では大田区体育館が建て替えの工事中です。

 第2-3踏切間の第1京浜国道側の工事説明図

・梅屋敷公園
これらの工事により聖跡梅屋敷公園では先ず京急高架橋の築造工事のため、平成18年8月から平成23年12月までの期間が、公園の土地の一部をヤードに使用されるため占用され、無粋な姿とになりました。

 京急高架化工事のため公園の土地をヤードに占用

ヤードとして占有された公園は、芝生や草木が抜かれ築山や小道が平地にされ、公園西口は網塀で囲まれた細い通路となり、境には高い白塀が建ち、その上には工事の覆いが付けられました。工事が始まると、大型の移動用の工事機により高架橋の築造が開始されました。

 ヤードに占用された梅屋敷公園(左上:ヤードに占用され石碑も囲まれる、中上:公園西口は狭い通路となる、右上:梅屋敷公園脇で工事機により高架橋築造が始まる、左下中下:ヤードに占用され無粋な塀と工事覆いで囲まれる、右下:塀の手前にも通行止めの策が設けられる06年09月)

平成9年7月には、梅屋敷公園脇の上り・下り線の3階建ての高架橋が大半完成しました。

 梅屋敷公園脇の高架橋(09年07月写真拡大)

・往時の面影を惜しむ
旧東海道は、現第1京浜国道の東側を通っていましたが、1918年(大正7年)に第1京浜国道としての拡幅工事とともに京浜急行の開通により、その時に庭園の大部分が削り取られ、明治天皇がたいそう好まれた往時の姿は失われましたが、昭和に入って当時の東京市に寄付され、梅林や多くの石碑を残して遺跡としていささかではあるが往時の名残に触れることができた梅屋敷公園(面積: 4,365㎡)でした。
ところが、さらに今後の国道15号(第1京浜国道)の拡幅整備工事により、梅屋敷公園は奥行きが約1/2ほど削られます。これにより、完全に歴史遺産の聖跡梅屋敷公園は消滅です。
梅屋敷は安藤広重の江戸名所百景にも描かれ、江戸時代には敷地3000坪に梅の木数百本と東海道の休み茶屋があり、和中散の売薬所で知れわたっており、徳川十二代将軍家慶が鷹狩りの途中に立ち寄ったり、幕末には木戸孝允、大久保利通、岩倉具視、伊藤博文などが国の行く末を論じる会合を度々持ったともいわれています。
歴史・文化遺産と潰すと復元ができませんし、交通渋滞の解消も絶対欠かせない条件です。その両方を叶える事が現代の大きな課題ですので、大田区の歴史遺産を資料で残すことは可能ですので、梅屋敷第2-3踏切間の京急高架橋下に「梅屋敷資料館」を設けてはと提案します。この資料館には、江戸時代から幕末時代の梅屋敷と旧東海道、世界大戦の大森町から六郷までの戦災記録、戦前・戦後の大森町、森が崎の工業団地の歴史を展示し、いままでの大田区の歴史発展の原点を伝え、今後歩むべき指針の資料を示してはと思います。

 往時の面影を偲ぶ(06年09月写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画糀谷・蒲田東地区(第2回その2)

2010年04月23日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 第2踏切道北方の高架橋工事風景(第1京浜歩道橋より09年04月)

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京急沿線の街並みが大変貌する
4月24日には京急平和島と六郷土手間および京急蒲田と糀谷間の上り線高架切替えに伴い、応募抽選者に対する京急蒲田駅の工事現場の見学会が行われます。この見学会は、5月16日に上り線高架化に対して高架橋や高架駅の工事が完成仕上がり段階を示すものです。上り線の高架化の次には、未完部の下り線の高架化の築造工事が行なわれます。また、下り線の高架化工事と並行し、鉄道の高架化に関連して都市環境(日照障害、騒音・振動、圧迫感等)の保全に資する目的で設置する関連側道の工事が、高架橋の北側(本線西側)で始まります。
これらの工事で、既に高架橋工事の沿線の各所で工事ヤードの設置のため民家や商店が立退き、今後も関連側道整備や駅前広場の新設とともに、市街地再開発事業の計画などで京急沿線地域の街並みが大きく変貌していきます。

 第1京浜国道拡幅で立退きの梅屋敷商店街(写真拡大)

さらに、京急高架工事とともに、国道15号(第1京浜国道)の拡幅整備工事と環8通りとの立体工事(「大田区界隈 第1京浜国道立体交差工事 南蒲田立体交差事業現場見学会 その1~3」参照)も行われていますので、高架橋の南側(本線東側)でも民家や商店の立退きと、神社の移転や旧跡公園地所が大きく削減されますので、沿線の街並みが大変貌するとともに、貴重な歴史的遺産も失われていくのです。

 東京都都市計画道路(幹線街路放射第19号線)拡幅工事 

関連側道整備編交通計画糀谷・蒲田東地区(第2回その2)では、これらの事業で街並みがどの様に変わるのかを追い、現在の街並みの姿を記録して残しておきたいと思います。

梅屋敷・京急蒲田間
関連側道整備編交通計画の糀谷・蒲田東地区の北端の側道は、梅屋敷第1踏切から多摩堤通りまでの都市高速鉄道京浜急行電鉄本線付属街路第2号線(略称:鉄京本付2)と呼ばれ、梅屋敷第1踏切から多摩堤通りまでの幅員6mの道路に整備されます。また、この間には、大森町南から呑み川までの国道15号線の拡幅整備の工事が事業中です。

 梅屋敷第1-2踏切間(鉄京本付2)地図

・梅屋敷第1-2踏切間
鉄京本付2の開始点(地図①)は梅屋敷第1踏切からで、踏切北側は駅前広場となり同踏切から第1京浜国道までの区道は幅員が拡幅され双方向の道路(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その3)」参照)となります。

 梅屋敷第1踏切付近の工事前の鉄京本付2となる区道(:梅屋敷第1踏切から第1京浜国道を見る、:梅屋敷第1踏切から南方の工事前の区道、:工事前の区道から梅屋敷第1踏切を見る)

鉄京本付2となる工事前の区道を、北方向を見ながら同第2踏切までを南に辿っていきます。最初のポイントは区立老人ホーム蒲田との中間点付近(地図②)で、同老人ホーム前を路地が西側の道路まで通じています。次のポイントは蒲田2丁目9番地の丁字路までの中間点付近(地図③)です。このあたりの区道に面した西側は、住宅が密集して軒を連ねています。

 第1-2踏切間の鉄京本付2となる工事前の区道を見る1(:最初の路地との中間点付近、:老人ホーム前の路地、:路地と丁字路との中間点付近)

3番目の地点は蒲田2丁目9番地の丁字路上の工事前の区道(地図④)で、次のポイントは梅屋敷第2踏切道路までの中間地点(地図⑤)で、同第1踏切から京急本線に沿った直線のいわゆる幅員が1間幅と称する最短幅の道路です。

 第1-2踏切間の鉄京本付2となる工事前の区道を見る2(:蒲田二丁目9の丁字路、:蒲田2丁目9番地の丁字路付近の区道、:丁字路と梅屋敷第2踏切道との中間点付近の区道)

鉄京本付2は梅屋敷第1踏切道から1直線に同第2踏切道(地図⑤)に達します。この第2踏切道は曲がりくねった旧道で、京急本線と第1京浜国道(東海道)間の南側は梅屋敷公園(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 梅屋敷公園」参照)に接しており、江戸時代の東海道沿いの梅屋敷は「和中散」という道中常備薬の販売で知られた梅の名所であり、明治天皇も梅屋敷が気に入り9度も寄られたとの記録があります。公園には里程標があり、「距日本橋三里十八丁、蒲田村山本屋」と記されてます。

 第2踏切付近の工事前の鉄京本付2となる区道と踏切道(:梅屋敷第2踏切道から区道を見る、:梅屋敷第2踏切から第1京浜国道を見る、:梅屋敷第2踏切道西側)

東海道の利用者は、京・大阪に赴く旅行者のほか、川崎大師、池上本門寺や古川薬師などの江戸近郊の名所旧跡、社寺を廻る日帰りあるいは一、二泊宿泊の旅行者も多く通行しました。この踏切道の古道は、西に進めば呑み川上流に達し池上本門寺は程なくであり、東に進めば旧呑み川下流に達し川沿いの道を辿ると、大森町の内川が旧東海道・美原通りと交差する内川橋を出発点とする羽田道と交差し、この道が大師や羽田の渡しに向かい川崎大師を参拝する道に通じています。

 梅屋敷第1-2踏切間工事関連風景(:第1-2踏切間の第1京浜国道側の高架橋工事0906、:里程標、:旧東海道美原通りの羽田道石標)

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小さな旅 竜馬と赤坂 竜馬の足跡を追い赤坂本氷川坂の勝海舟邸跡を歩く(その3)

2010年04月21日 | 小さな旅
kan-haru blog 2010 氷川神社氷川坂参道口

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創建から1000年以上を経た氷川神社境内(地図参照)には、1952年(昭和27年)に東京都有形文化財の指定となった社殿と、境内社の神社下に在住の勝海舟が称えた四合稲荷(しあわせいなり)神社、赤坂田町四丁目から移された西行稲荷神社、山口稲荷神社に桶新稲荷神社の4社が祀られています。

氷川神社本殿
正門の鳥居を潜り右側の大イチョウを見ながら正面参道を進むと、氷川坂入り口からの参道と合流します。この合流点には二の鳥居があり、左手に手水舎がありますので口を漱いで楼門を潜り、内塀の中に入り突き当たりの歴史ある本殿に参詣しました。

 氷川神社本殿1(:手水舎、:本殿)

本殿は木造、銅板葺きの一間社流造りで、八代将軍吉宗が1730年(享保15年)に建立した拝殿は三間四面の漆朱塗りで、当時の質実、簡素な政策をそのまま表現し、社殿の建築には組物・彫刻を施さない質素な社で、都重宝文化財から東京都有形文化財の指定に変更されています。境内には、都重宝の石造りの標識がそのまま建立して残っています。
氷川神社の御祭神は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと「大国主神」)の3神が祀られています。
本殿を訪れた時、氷川神社で神前結婚を挙げられた一行が記念写真を撮りあっているのに遭遇しましたが、白無垢の花嫁姿と知人方の和服姿が厳粛な社の風情と似合い、一服の絵のようです。

 氷川神社本殿2(:氷川神社社殿説明板、:氷川神社社殿が都重宝であった時の石標、右:厳粛な社での結婚式は一服の絵のよう)

・額堂
本殿を取り囲む内塀の南角にある額堂には、江戸末期から明治初期に活躍した代表的な浮世絵師の月岡芳年が描いた、肉筆の「ま」組の火消し絵馬が1879年(明治12年)に奉納され掲げられています。「ま」組は、氷川神社の北東から南側一帯の元赤坂町・赤坂裏伝馬町・赤坂田町・麻布今井町界隈の火消しを受け持ち、気負い立つ火消したちの姿がいきいきと描かれているそうです。また、額堂には「ま」組の火消し絵馬とともに、江戸時代末期から初期にかけての著名な画家・河鍋暁斎や月岡芳年・柴田是真の描いた絵馬が6点掲げられています。絵馬は、平成5年に港区の文化財の指定を受けました。

 「ま」組火消し絵馬が掲げられている額堂(:内塀の中の本堂横の額堂、:7点の奉納絵馬が掲げられている額堂、:「ま」組火消し絵馬説明板)

・石灯籠
氷川神社には石灯籠が沢山あります。神社の石灯籠の説明には、「門の内外に立つ2対4基の石燈籠です。門内の本殿前に立つ2基は、赤坂表伝馬町・裏伝馬町・元赤坂町(現在の元赤坂1~2丁目)の講中が、1724年(享保9年)閏4月に奉納したものです。氷川神社が現在の地に遷座したのは同15年であるため、遷座前の「古呂故が岡」(現在の赤坂4丁目1付近)にあったときからのもので、遷座の際に移されました。門外の2基は、遷座の年に岡崎城主老中水野忠之が奉納したものです。」とあります。
説明の門内の本殿前に立つ2基の石灯籠は、形状から見ると写真(左)に写っている左側の石灯籠が享保9年に講中が奉納されたものと思われます。したがって、写真右側に写っている石灯籠は、水野忠之が奉納したものとなります。境内には正面参堂の2の鳥居の前にもかなりの年代の石灯籠があり、氷川坂口参堂の2の鳥居の前後にも石灯籠が見られる他、氷川坂口階段下にもあります。

 赤坂神社境内には沢山の石灯籠がある(:赤坂神社の古い石灯籠、:正面参堂の2の鳥居の前の年代ものの石灯籠、:氷川坂参堂の2の鳥居の前・後にある石灯籠)

・狛犬
氷川神社には狛犬も沢山あり、一社で7対もあります。正面参堂の狛犬には子獅子が両方にいる江戸獅子で、2番目に古く1846年(弘化3年)の建立で阿と吽の奉納者が異なり、阿が赤坂 弟大工安兵衛 司鎌太郎弟子中で、吽が麻布今井寺町大工九代目勘兵衛とあります。
豪華な狛犬は、氷川坂口参道の階段の上の江戸獅子の獅子山で子獅子がおり、建立は1882年(明治15年)で石工は木村藤兵衛です。神社の一番古い狛犬は、本殿の内塀近くに建立の1675年延宝3年に奉納されたものがあります。

 氷川神社の狛犬(:正面参堂の狛犬、:豪華な獅子山の狛犬)

四合稲荷神社
四合稲荷神社は、氷川坂口参堂の階段を降りると左側の先に小さな鳥居があり、この場所に以前から鎮座していた地頭(じぬし)稲荷と、赤坂一ツ木の古呂故天神社境内に鎮座していた古呂故(ころこ)稲荷、氷川神社隣接の別当盛徳寺の地内に鎮座していた本氷川稲荷、赤坂門外の御堀端に鎮座していた玉川稲荷の4社を、1898年(明治31年)に遷座合祀した稲荷神社で、幕末に本氷川坂下に在住していた勝海舟により『四合(しあわせ)稲荷』と称えられたとのことです。四合稲荷神社の御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が祀られており、勝海舟筆の「四合稲荷社」という扁額が現存してあるとのことです。
その後、1913年(大正2年)には追加して、赤坂一ツ木町に鎮座の鈴降(すずふり)稲荷神社と赤坂丹後坂下に鎮座の縁起稲荷神社の2社も合祀され、さらに1934年(昭和9年)に赤坂新町に鎮座の明徳稲荷神社も合祀し、現在の四合稲荷神社には、7社の稲荷神社が遷座合祀されています。

 勝海舟所縁の四合稲荷神社(写真拡大)

西行稲荷神社
西行稲荷神社は、四合稲荷神社の左側の鳥居の先の高台の岩にお稲荷様が祀られた祠があり、祠の上に稲荷神社が鎮座しています。この稲荷神社の由来は、氷川神社の説明によると、享保の時代、田町5丁目(現在の赤坂3丁目付近)に西行五兵衛というものがおり、榎坂を通行中に狐の形をした三寸程の稲荷のご神体らしい像を拾い、勧請したため、「西行稲荷」として1921年(大正10年)に遷宮したとあります。

 西行稲荷神社(写真拡大)

氷川神社氷川坂参道
氷川神社境内の氷川坂参道口の階段付近には、かなり目立つ大きな包丁塚の石碑があります。包丁塚石碑の趣意には、「そもこの地赤坂青山は、古くより包丁の冴えに世人をして味覚の境地にあそばしむる店多しために、今日が日まで破れ損ないし刃物は和洋を問わず数多なり、そを情けあつき人々相つどい組合設立二千五周年を期に、この因りの地氷川の神域に「包丁塚」を建立、以ってとこしえに感謝の誠を捧げるなり」とあります。赤坂・青山の料理飲食業組合の関係有志が1968年(昭和43年)頃に建立したようです。
また、氷川坂参道口の階段を降りると傾斜地に水が枯れた池があり、その上に朱塗りの太鼓橋が架けられています。さらに、氷川坂参道を出口方向に進むと鳥居の先には狛犬と石灯籠があり、氷川坂の道路に出ます。

 氷川神社氷川坂参道(:包丁塚石碑、:太鼓橋、:氷川坂口参堂の鳥居と狛犬)

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小さな旅 竜馬と赤坂 竜馬の足跡を追い赤坂本氷川坂の勝海舟邸跡を歩く(その2)

2010年04月19日 | 小さな旅
kan-haru blog 2010 勝海舟邸跡

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勝海舟邸跡 
二度目の住居の勝安房邸跡から勝海舟邸跡に向かうには(前回勝海舟邸跡周辺地図参照)、「プラザ赤坂なんでーも」から西へ進み、日本キリスト教団赤坂教会の前を右折して100mほど先で突き当たりの道路にでます。この道路を右に行くと通ってきた氷川公園で、反対の左に曲がると転坂でその坂を降り突き当たりの道を右折しますと、50m程の所に丁字路がありそこを左に曲がります。
・転坂
転坂(ころびざか)の標識には、江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時盛徳寺の元氷川坂もころび坂といったと、書いてあります。

 転坂を経て勝海舟邸跡(:氷川公園方から見た転坂、:転坂の坂下、:本氷川坂への角地ビルが勝海舟邸跡)

その道を100mほど進むと左側に丁字路があり、その丁字路を曲がると本氷川坂の登り道で、氷川神社に通じています。この本氷川坂道との丁字路角地が勝海舟邸跡で、そこには3階建てのバー(THE GABY)のお店の白いビル(ソフトタウン赤坂)が建っています。そのお店の窓辺際の植え込みに、「勝海舟邸跡」の木製の標識が建てられており、標識の下に大きな銀色の「勝海舟邸跡の記」が掲げられています。
この場所が勝海舟邸跡(港区赤坂6-10-39)で、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が36歳の1859年 (安政6年)から 45歳の1868 (明治元年)まで、最初に住んだ氷川の旧跡です。
坂本竜馬と勝海舟の出会いは、海舟が残した「追賛一話」の中で、1862年(文久2年)に千葉重太郎が坂本龍馬を伴って、海舟を切ることを目的としたこの地での面談の結果は、勝の人物に惚れ親密になったという逸話があります。

 勝海舟邸跡(:勝海舟邸跡、:勝海舟邸跡標識、:海舟邸跡曲がり角は本氷川坂の坂下)

・本氷川坂
本氷川坂(もとひかわざか)は勝海舟邸跡のソフトタウン赤坂の丁字路を曲がって登って行くと、曲がりくねった坂道が氷川神社(港区赤坂6-10-12)まで続いています。本氷川坂の標識には、坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治16年4月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。とあります。

 勝海舟邸跡記

氷川神社
勝海舟邸跡から海舟ゆかりの氷川神社へは本氷川坂を反時計方向に登るか、転坂下まで戻り南東への坂道(氷川坂)を直進して時計方向に曲がり神社の正門に進みます。

 氷川神社周辺地図

氷川神社(港区赤坂6-10-12)への坂を登ると、鳥居の正面に楼門が見えかなり歴史のある趣を備えた風格のある神社です。説明板を見ると、氏子の地域は、元赤坂1・2丁目、赤坂1~9丁目、六本木1・3・4丁目、虎ノ門1丁目と広大です。
・由緒
創立の起源は、951年(天歴5年)に州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られたと、古書物に記録されています。
幕府の尊信が篤く、江戸時代に八代将軍 徳川吉宗公が1716年(享保元年)に将軍職を継ぎ、1729年(享保14年)に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営し、翌年(享保15年)4月に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われて、将軍直々の御参拝がありました。以後十四代家茂公まで歴代の朱印状(港区文化財)を下附され、御神徳を高め氷川の鎮守神として尊崇を深められました。

 氷川神社正門(写真拡大)

鳥居を潜って境内に入ると、右手に天然記念物の大イチョウが聳えています。このイチョウは地上1.5mの幹の太さが約2.4mで幹の周囲が約7.5mあり、樹齢が400年の雄株です。現在港区にある最大の善福寺「逆さイチョウ」(国指定天然記念物)に次ぐ大きさと樹齢を保っている貴重な樹木です。

 樹齢400年の天然記念物の大イチョウ(写真拡大)

境内の大イチョウの反対の参堂の左手には九神社、天祖神社・春日神社・鹿嶋神社・八幡神社・諏訪神社・秋葉神社・厳島神社・金刀比羅神社・塞神社の九社を合祀したお社があります。

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小さな旅 竜馬と赤坂 竜馬の足跡を追い赤坂本氷川坂の勝海舟邸跡を歩く(その1)

2010年04月17日 | 小さな旅
kan-haru blog 2010 勝海舟邸址出土品展示場

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赤坂
前回は竜馬の足跡シリーズで立会川を歩きましたが、今回は4月13日の夜に定例の集会が四谷でありましたので、ちょっと家を早く出て赤坂に寄り道して勝海舟邸跡を見て来ました。
東京メトロ千代田線赤坂駅には、京急線と都営浅草線を乗りついて新橋駅で東京メトロ銀座線に乗り、溜池山王で乗り換えて1つ先の駅です。
赤坂という地名の由来は、この土地全体が赤土でできているからと云われています。また、迎賓館周辺の場所を茜(あかね)が生えているため赤根山とよばれ、そこに上る坂を赤坂(現紀伊国坂)と呼んでいたといわれています。赤坂は古くからの歴史があふれて、数多くの坂のある町です。その中でも忠臣蔵の「南部坂雪の別れ」の場面で有名な南部坂は、江戸時代初期に盛岡藩南部邸があったことが名前の由来だそうです。勝海舟邸跡へ行く道にも、坂道を歩きます。

 赤坂氷川の勝海舟邸跡周辺地図

赤坂の氷川神社周辺の江戸時代に下屋敷のあった界隈では、都心とは思えない喧騒から離れた静かな落ち着きのある伝統文化の町並みを保ち、赤坂の新たな文化発信の「赤坂サカス」周辺の新しい街とは、新旧が和して融合した魅力ある街へと進化しているのが感じられます。
歴史の町並の勝海舟邸跡に向かうには、赤坂駅の5b出口を出ます。地上に出ると西側に一際目立つTBS放送センタービルを背にして、国際新赤坂ビルを横に南東に100mほど進むと、氷川公園の交差点です

 氷川公園周辺

氷川公園
氷川公園(港区赤坂6-5-4 面積:3,070㎡)は、公園付近沿革案内板の説明によると、この地には江戸時代の前期に、広島藩浅野家の本・分家の屋敷と赤穂藩浅野内匠頭の屋敷がありました。1697年(元禄10年)にはその屋敷の一部が幕府旗本屋敷となり、公園の土地も旗本屋敷でありました。また、1729年(享保14年)には三次藩浅野家屋敷跡の一部が氷川神社の宮地と定められ、その門前が赤坂氷川門前町となりました。

 氷川公園周辺古地図(港区赤坂地区総合支所案内板から)

1869年(明治2年)の幕末には、氷川門前と氷川社僧屋敷に一ツ木町飛地を併合して赤坂氷川町が誕生しました。1908年(明治41年)に赤坂区が買収した邸宅地の現氷川公園の土地に、東京市氷川尋常小学校を開校しましたが、1929年(昭和4年)に隣家屋の火災により校舎が類焼したため、勝安房邸跡であった現在の「プラザ赤坂なんでーも」がある場所に旧氷川小学校を移転しました。1935年(昭和10年)に元小学校の移転跡地には、氷川公園が開設されました。

 赤坂旧町名由来(港区赤坂地区総合支所案内板から)

勝安房邸跡
氷川公園からさらに100mほど進むと、区立氷川武道場の入り口の門が見え、その一体の建物が「プラザ赤坂なんでーも」と呼ばれる港区立赤坂こども中高生プラザ(港区赤坂6-6-14)で、18才未満の子どもとその保護者や関係者が利用できる施設と区立特別養護老人ホームがあります。この施設には、平成5年3月まで旧氷川小学校があり、小学校の統合により新小学校の赤坂小学校(港区赤坂8-13-29)が設置されました。

 勝安房邸跡周辺(:氷川園付近沿革案内板、:港区立氷川武道場、:勝安房邸跡のイチョウ)

この旧氷川小学校が開校した土地には、幕末から明治にかけて幕臣として活躍した勝海舟が1872年(明治5年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいたところで、赤坂氷川での二度目の勝安房邸の屋敷跡地です。この間には、参議・海軍卿、枢蜜顧問官、伯爵として生活を送りました。晩年は、海軍、陸軍の歴史記事を編纂し、談話を速記した「氷川清話」などを遺しました。
安房邸屋敷跡は東京市に寄付され、「プラザ赤坂なんでーも」施設内には発掘調査の出土品などが展示されています。

 勝安房邸跡の発掘調査の出土品展示場(写真拡大)

また、敷地内の角地には港区解説の屋敷跡の説明版とともに、大きな史跡碑が建てられており、碑には「勝安芳邸址」、「勝海舟伯爵終幕の地なり」などの文字が見られます。また、碑に並んでイチョウの大木が今も茂っており、海舟が寵愛したと云われるこのイチョウの大きさは、樹高が18m、幹周りが3.8mの雄株で、樹齢が約150年であるようです。
港区の「勝安房邸跡」説明版には、海舟は号で佐久間象山から受領の篆刻「海舟書屋」からとったものであり、本名は義邦と名付けられ、幕末に武家官位である「安房守」を名乗ったことから勝安房(あわ)として知られていましたが、維新後は安芳と代えたと記載されています。

 勝安房邸跡(:勝安芳邸址史跡碑、:勝安芳寵愛のイチョウ、:勝安房邸跡の説明版)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第18回その3)

2010年04月14日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 雑色駅階段とエレベータ工事

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第6工区高架化開通工事
上り線雑色駅の高架駅橋の階段工事は4月6日に見ると、階段踏み板が付けられていました。同14日に見ると工事覆いを付けて工事が進められていました。

 上り線高架駅橋の階段工事(:上り線高架駅橋の階段工事で踏み段が付く0406、:工事覆いを付けて階段工事が進む、:在来ホームから見た階段工事0414)

4月6日に見た同上り線のエレベータ工事は、下部が工事覆いのため見えませんが、上部の外筐体壁の構造が他の駅のものと異なる様に見えます。

 上り線高架駅橋のエレベータ工事(:外筐体壁面が他駅と異なるエレベータ工事0406、:在来ホームから見たエレベータ工事0414)

・仮上り線高架橋の本線分岐部工事
3月には六郷土手駅北方の仮上り線高架橋の線路の敷設工事は、雑色第4踏切近くの仮高架橋上で整備の工事が行われていました。4月6日には、仮上り線高架橋の最南端高架橋部上にはレールが敷かれ、その上にPC枕木と木片工事材などが置かれていました。

 上り線仮高架橋の線路切替準備工事が進む(:上り線仮高架橋の線路敷設整備作業0301、:上り線仮高架橋の本線線路との分岐工事へと進展0406)

同8日には、多勢の作業員が本線の分岐工事への準備作業が行われていました。

 多勢の作業員が本線の分岐工事の準備作業を進める(写真拡大0408)

1週間後の14日に川崎に所要で出かけた帰りの午後に工事現場を見ると、準備作業が継続して行われており、最南端高架橋部上に置かれていた木片工事材は線路脇に移されて、それに変わり砂利入りの袋が積まれていました。

 14日も分岐工事の準備作業が続く(左・写真拡大0414)

第8工区高架化開通工事
糀谷駅第8工区の2階上り線高架駅橋から中央改札口に降りる階段は、2008年9月25日まで使用していた、上り・下りホーム間に使われていた連絡通路跨線橋の降り階段部を変更改造して使用されます。

 2008年9月まで使用していた連絡通路跨線橋と下りホーム階段部(写真拡大)

4月14日に見ると、以前に使用していた連絡通路跨線橋の降り階段部を改造して、高架駅橋の高さに合わせ、高架ホームへの通路を設けて上り線高架橋の階段として再生されました。ここで、高架上り線ホームには、羽田空港発の品川方面行きと横浜方面発の羽田空港行きの列車が発着(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第16回その2) 」参照)します。

 跨線橋の階段を改造して利用の高架駅橋階段(写真拡大)

糀谷駅の上り高架駅橋への階段に向うには、中央改札口を入り下りホームに進み、突き当たりの板囲いの塀が外されると、かっての連絡通路跨線橋への階段口が再現された、高架駅橋への階段となります。

 中央改札口から高架駅橋階段へ(:中央改札口から下り線ホームに入る、:突き当たりの板囲いの先が階段口)

・仮上り線高架橋の本線分岐部工事
4月8日に見ると、多勢の作業員が本線の分岐工事への準備作業が行われていました。

 多勢の作業員が本線の分岐工事の準備作業を進める(:多勢の作業員が本線の分岐工事の準備作業を進める0408、:上下線クロスポイントと仮上り分岐線を見る0414)

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次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画糀谷・蒲田東地区(第2回その2) へ
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第18回その2)

2010年04月12日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 呑み川上の第3工区京急蒲田高架駅舎棟

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第2工区高架化開通工事
4月に入ると梅屋敷高架駅の下りホームで、工事中のエレベータの工事覆いが外されました。梅屋敷高架駅では、5月16日の上り線高架化の出入り口は、下りホームから仮設階段で第1京浜国道側で乗り降りする様です。

 上り線高架化の乗り降りは下りホームからの梅屋敷高架駅(:工事覆いが外された下りホームのエレベータ、:下り線高架ホームから第1京浜国道に繋がる仮設階段0404)

第3工区高架化工事
・第3工区京急蒲田高架駅舎棟工事
4月1日に見ると第3工区京急蒲田高架駅橋は、多摩堤通ガード上の駅舎棟から呑み川南側の高架駅橋駅舎棟までの全区間にわたり、工事覆いが外されて駅舎棟の壁面が姿を現しました。第3工区の高架駅舎棟を第1京浜国道の南端方から見ると、呑み川南側の2号機クレーン作業台先の高架橋から呑み川を渡り、北へと延びて1号機クレーン作業台へと続きます。

 概観を現した第3工区高架駅舎棟1(:呑み川南の第3工区南端高架駅橋、:第3工区高架駅橋は呑み川を渡り北へ伸びる、:高架駅橋は呑み川を超えて1号機クレーン作業台へと続く0401)

北方の京急蒲田高架駅舎棟は、1号機クレーン作業台から先は多摩堤通りへと続き、多摩堤ガードの北端まで延びており、この辺の駅舎棟壁面は一足早くお披露目が済んでいます。

 概観を現した第3工区高架駅舎棟2(: 1号クレーン作業台付近の高架駅舎棟0401、:1号クレーンの先の多摩堤通り上の高架駅舎棟、:多摩堤通り上の高架駅舎棟北端0408)

・上り高架化開通関連工事
3月には、本線下り2番ホームと空港線1番ホームから高架駅橋の2階上りホームへの仮設連絡通路の工事が始まり、前回の記述(「全工区統合編第17回その2」参照)時にはホームから踊り場までの階段部と、本線上り3番ホーム間に中2階の仮跨線橋の橋桁が掛けられました。
この結果上り線高架化開通時には、京急蒲田高架駅での乗車、降車、乗り換えの連絡通路は、地下道、1階ホーム、中2階仮跨線橋、2階上り高架ホームおよび3階下り高架ホームとの5階層の連絡通路が誕生します。5月16日の上り線の開通時では、3階下り高架ホームは使用しませんが、今でも戸惑う乗客が多い4階層の連絡通路は、かなり混乱を生じるのではないかと思われます。特に、羽田空港行きは、発駅により2階上り高架ホームからと在来空港線1番ホームの双方から発車しますので、間違うと乗り遅れてしまいます。

 上り線高架開通時の京急蒲田ホーム配置図

3月26日に見ると、仮跨線橋の本線上り3番ホーム上から上り線線路上まで通路床が張られ、2番ホームの上には仮跨線橋舎の骨組みが乗せられていました。

 高架駅橋に連絡の仮跨線橋の築造が進む1(:床板が張られた仮跨線橋通路、:下りホーム上に仮跨線橋舎骨組みが乗せられる0326)

また、第1京浜国道際の2号機クレーン作業台上には、運搬された仮跨線橋舎の骨組みが置かれてありました。

 高架駅橋に連絡の仮跨線橋の築造が進む2(:下りホーム上の仮跨線橋舎骨組み、:第1京浜国道から見た下りホーム上の仮跨線橋舎骨組み、:第1クレーン台に置かれた仮跨線橋舎骨組み0326)

4月1日に見ると、仮跨線橋の通路床は在来上下線ホーム間と下り線上の踊り場の床に張られ、仮跨線橋と踊り場間に階段が付けられて、仮跨線橋舎の骨組みが乗せられていました。

 高架駅橋に連絡の仮跨線橋の築造が進む3(:床板が張られた仮跨線橋0408、:仮跨線橋から踊り場に降りる階段0401)

同6日に見ると、仮跨線橋舎には壁板を取り付ける工事が始まっていました。

 高架駅橋に連絡の仮跨線橋の築造が進む4(:仮跨線橋舎の壁板取付工事0406/08、:第1京浜国道から見た工事中の仮跨線橋舎0408)

第4工区京急蒲田高架駅舎棟工事
第4工区京急蒲田高架駅舎棟築造の工事も残るは仕上げ工事のみとなり、活躍していた2基のタワー型クレーンも撤去され、上り線高架化運用に一歩近ずいてきました。

 タワー型クレーンが活躍中した第4工区高架橋駅舎棟築造の工事現場(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第18回その1)

2010年04月10日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 在来線路と高架化新線路間との切替地点での段差

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各工区では5月16日の高架上り線開通を目指して、追い込みの工事が行われています。
第1工区高架化開通工事
上り線高架駅橋の階段工事は3月17日に見ると、階段幅の半分幅部分に階段の踏み板が付けられていました。

 上り線高架駅橋階段工事(0317写真拡大)

また、旧ナンカ堂に接していた駅舎棟の壁面取付工事が3月下旬から行われ、同26日には駐輪場と高架橋の間では、臨時改札口を挟んだ両側で上り線階段への歩行通路舎築造の柱が立てられていました。

 階段への歩行通路舎の築造が進む1(:旧ナンカ堂面の外壁工事と歩行通路の築造が進む、:臨時改札口南側の歩行通路用柱の建立0326、:臨時改札口北側の歩行通路用柱の建立0401)

4月1日に見ると歩行者通路舎の屋根の桁柱が組まれ、仮通路舎の築造が進展しています。

 階段への歩行通路舎の築造が進む2([0401]・[0406]・[0409]写真拡大)

同10日には駅舎棟の壁面の取付が完了して工事用覆いが外されました。また、臨時改札口北側の仮通路舎の先の階段の前の場所では、通路舎屋根の位置を駅舎棟壁面に合わせて高く作られるようです。

 上り線高架駅斜棟の工事が進む(:駅舎棟壁面の取付が完了し工事用覆いがとれる、:背が高い階段前の通路舎0410) 

・仮上り線開通には難工事が待つ
第1工区では仮上り線の開通のためには、平和島第5踏切北側の地上位置から平和島ガードの高架橋までは、在来本線は傾斜高架橋になっていますので、この区間では本線の上部に高架橋の築造ができません。したがって、上り線高架化の開通時には、同踏切北側の高架橋からは築造した仮上り線高架橋を使用して運行が行われます。

 平和島第5踏切から平和島まで傾斜高架で登る在来本線(:平和島第5踏切北側高架橋下の在来本線線路、:仮高架橋に沿って平和島まで登る上り線路、:仮高架橋に沿って傾斜の高度を増した上り線路0410)

上り線の高架化開通時には本線傾斜高架橋上の在来線線路は、仮上り線高架橋上の線路と切替する必要があります。その切替点の位置では両者の高さが同一で、双方の線路を交じ合わさせるためには一定の間隔の平行した部分が必要となります。しかし、高架橋築造の地形の関係上、この平行を必要とする間隔の部分の在来線高架橋は、傾斜して降りはじめる箇所となっています。

 仮高架橋線路と在来線路の合流箇所(:仮高架橋線路と合流には在来線路の桁上げを要す0410、:平和島側から見た仮高架橋線路と在来線路の合流箇所0404)

したがって、5月16日の高架開通時には、終電後から始発電車の開通時間までの間に線路の切替のため、在来上り線路の平行走行部分の傾斜高架橋梁桁部をかさ上げする工事が必要となります。在来線傾斜高架橋は上下線一体構造の高架橋梁桁で、下り線側の橋梁桁は切り離してそのままとする必要があります。4月3日に見ると、在来線傾斜高架橋梁桁のジャッキアップを行う工事準備と見られる作業が行われており、また10日には工事資材の搬入が行われていました。

 仮上り線高架橋と上り傾斜高架橋の合流点(:仮上り線高架橋線路の切替工事準備作業0403、:仮上り線高架橋線路の切替工事材料の搬入0410、:仮上り線高架橋と上り線傾斜高架橋)

高架化線路切替の工事条件は厳しく、当日は100名程度の作業員が団結して工事を行うものと交わされており、上り線開通時までの短時間での大変な工事となります。同10日には、100名の作業員の作業をスムースに行うためと思われる準備の工事も作業現場近くで見られました。

 線路切替の準備工事(写真拡大)

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kan-haru日記 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2010年前期版

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2008年中期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 7~9月参照 (ここをクリックして下さい)



2008年後期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 10~12月参照 (ここをクリックして下さい)



2009年前期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 1~4月参照 (ここをクリックして下さい)



2009年中期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 4~7月参照 (ここをクリックして下さい)



2009年中Ⅱ期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 8~11月参照 (ここをクリックして下さい)



2009年後期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 11~12月参照 (ここをクリックして下さい)



202 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第10回その3) 1月3日
203 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第11回) 1月17日
204 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第12回その1) 1月21日
205 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第12回その2) 1月23日
206 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第13回その1) 1月28日
207 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第13回その2) 1月30日
208 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第14回その1) 2月10日
209 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第14回その2) 2月13日
210 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その1) 2月15日
211 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その2) 2月17日
212 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画大森西地区説明会(第1回その3) 2月20日
213 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第15回その1) 2月25日
214 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第15回その2) 2月27日
215 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第16回その1) 3月3日
216 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第16回その2) 3月6日
217 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第17回その1) 3月17日
218 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第17回その2) 3月19日
219 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画糀谷・蒲田東地区(第2回その1) 3月31日

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風景・風物誌 京急高架化沿線の春 5月開通の上り線高架橋沿線の桜を歩く(六郷土手駅付近)第3回

2010年04月08日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2010 満開の緑地堤防桜並木の桜

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六郷橋緑地堤防桜並木
京急高架化沿線の花の第3回として高架橋南端の京浜急行六郷土手駅東方にある六郷橋緑地堤防桜並木を4月6日の花見日和に廻ってみました。

 六郷周辺地図

六郷橋緑地堤防桜並木へは六郷土手駅から東におよそ300m行くと、多摩川にかかる第一京浜国道の新六郷橋があります。その多摩川の左岸を羽田(東)方向に向かうと、六郷水門までの河川敷一帯が多摩川六郷橋緑地で、野球場、テニスコート、ゲートボール場やトラック状のサイクリングコースが整備された東京ドームの2倍以上の敷地面積(119,659㎡)を持った公園になっています。また、堤防の土手の上はサイクリングロードになっており、サイクリングロードの京浜急行線の西側方向上流の始点は多摩川丸子橋緑地の丸子橋からで、六郷橋緑地の下流方向の終点は羽田空港入り口の弁天橋までの全長約11kmに及んでいます。

 多摩川六郷橋緑地(:第1京浜国道新六郷橋、:多摩川左岸の六郷土手、:多摩川六郷橋緑地)

このサイクリングコースの新六郷橋から雑色ポンプ所の放流簗・吐口までの土手の幅員は一段と広くなっているので、自転車と歩行者が無理なく行き来ができます。六郷橋緑地堤防桜並木は雑色ポンプ場付近の土手の北側に並木があり、大田区の多摩川フォーラムが認定した桜の札所の1つです。

 六郷橋緑地堤防桜並木1(写真拡大)

桜並木は雑色ポンプ所から先もまだ続きますが、このあたりから引き返して次の目的の六郷神社に向かいます。絶好の花見日和で土手下の桜にはシートを敷いて、家族連れや仲間達が花見の団欒に興じていました。

 六郷橋緑地堤防桜並木2(:雑色ポンプ所で折り返して戻る、:土手の下で花見の宴、:帰路の緑地堤防桜並木)

六郷神社へ旧東海道を行く
桜並木から新六郷橋に戻ると第1京浜国道に並ぶ道路は、旧東海道の道筋です。その道筋を北に250mほど進むと六郷土手北詰めで、道端に旧東海道跡の石碑が建っています。

 旧東海道跡を北へと進む(:旧東海道の道筋、:旧東海道を北へと進む、:六郷土手北詰めに建つ旧東海道跡道標)

旧東海道の古い町並みを見ながら進むと、旧東海道と第1京浜国道とは一体となります。昔は東海道筋であった国道15号線の前は六郷神社の入り口で、1935年(昭和10年)に建立された鳥居があります。

 旧東海道沿いにあった六郷神社(:古い町並みの旧東海道を北へと進む、:六郷神社前で旧東海道と国道が一体となる、:六郷神社入り口は旧東海道と接していた)

・六郷神社
東海道筋にあった六郷神社(大田区東六郷3-10-18)には、境内を入るとすぐ左側に東海道跡の石碑が建っています。旧東海道側の入り口は脇参道で、参道には石灯篭や春日灯篭があり、拝殿へは突き当たりにある社務所前まで進むと境内に南北の表参道があります。

 六郷神社の本殿参拝路(:東海道跡の石碑、:六郷神社由緒板、:東海道入り口から本殿には社務所前に進む)

・由緒
六郷神社創建は古く由緒によると、1057年(天喜5年)に源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢に源氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、その役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが創建と伝えられています。
源頼朝も奥州征定の1189年(文治5年)に、祖先の例にならい白旗を立てて戦いでの勝利を祈願し、1191年(建久2年)に梶原景時に命じて社殿を造営しました。 社宝となっている雌獅子頭(めじしがしら)と境内に残る手水石は、このとき頼朝が奉献し、神門前の太鼓橋は、景時が寄進したものといわれております。
徳川家康は1591年(天正19年)に、神領として十八石を寄進する朱印状を発給し、1600年(慶長5年)に六郷大橋の竣功を祈って願文を奉り、六郷神社の神輿をもって渡初式を行ったと史書にあり、八幡宮の巴紋と併せて葵紋を用いているゆえんとなっています。 
江戸時代には、東海道をへだてた西側の宝朱院(御幡山建長寺)が別当寺でしたが、明治維新により廃され、1872年(明治5年)に東京府郷社に列格し、1876年(明治9年)より六郷神社と称して今日に至っています。
ご祭神は、今から950年余の昔、京都石清水八幡宮の分霊をお祀りした神社で、一般に八幡様は応神天皇、神功皇后、比売大神の三柱の神様をお祀りしていましたが、その後六郷神社では応神天皇の一柱をお祀りするようになりました。

・境内散策
表参堂の北側には茅葺きの入母屋造りの拝殿を配し、拝殿の後ろに密着して建てられた江戸中期の神社建築の貴重な存在の本堂があります。拝殿の西側には年代の神楽殿があり、東側には新しく建てられた神輿庫があります。

 境内散策1(:六郷神社拝殿、:六郷神社神楽殿)

拝殿から表参道の南方を見ると手水舎と神門があり、参道東側には境内末社があり案内板に列挙された祭神には、天照大神、素盞嗚命、日本武尊、大物主命、布津主命、天太玉命、天児屋根命、宇迦御魂命とあります。

 境内散策2(:神門、:境内末社、:手水舎)

また、境内の前庭には、源頼朝が寄進した手水石が置いてあり、1685年(貞享2年)に六郷中町の有志が奉納した大田区内最古といわれるユーモラスな小さな狛犬が見られます。

 境内散策3(:源頼朝が寄進した手水石、:大田区内最古の狛犬) 

切り妻造りの総檜の神門の外側には鳥居があり、鳥居の先には梶原景時が奉納したといわれる太鼓橋の神橋があり、神社の正面の風格を現しています。

 境内散策4(:神門と鳥居、:六郷神社正門、:梶原景時が奉納した神橋)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(4月分掲Indexへ)
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風景・風物誌 京急高架化沿線の春 5月開通の上り線高架橋沿線の桜を歩く(大森町駅付近)第2回

2010年04月05日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2010 内川遊歩道

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大森町の桜
今年の東京の天候は、4月1日の桜満開の宣言の日が晴れた他は陽気が冷え込み、雨模様の日が続き花見日和には恵まれませんでした。
京急高架化沿線の花の第2回として大森町駅周辺の桜を、4月3、4日の土日に廻ってみました。例年ですと、土日や花見日和には近隣の方やクラブの方々が大勢集まって盛り上がるのですが、今年は肝心の空模様が3日に晴れ間を見せた以外は、気温も低く愚図ついて花見も閑散とした陽気でした。

 大森町駅周辺地図

・大森西交通公園の桜
大森町の桜は、京浜急行高架橋を中心にした西側に散在した公園などで見られます。特に、大森町の中心にある大森西交通公園(大田区大森西3-4)は、京急の平和島第5踏切道路の西方の約100mの北側にあり、広さ約3300㎡の公園の遊具施設には交通公園の示す通り、小学生以下で利用可の自転車、ゴーカート、豆自動車、三輪車等が備えられており、信号機や、横断歩道もあるサイクリングコースになっています。

 交通公園の桜(写真拡大)

このサイクリングコースの中央や周辺には芝が植えられた広場になっており、公園の南側と西側に植えられた桜の並木は見事なもので、満開の頃はこの広場は花見見物で賑わいます。また、西交通公園は町会のイベント広場であり、盆踊り大会などには多数が参加します。西交通公園の道を挟んだ北西に、北側の大田福祉作業所と場所変えして2008年に完成した大森諏訪公園(広さ約1280㎡)があります。同公園の特徴は、樹木の少ないオープンな広場だけの公園で、移設した桜が1本と町会60周年記念に植樹した(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2009.11.29)」参照)区の木の梅が3本あります。移転する前の内川川岸にあった同公園には、数本の大木の桜が植わっており満開時は見事な花が咲き、地元の人達に潤いを与えてくれましたが、今は福祉作業所前の広場に10本ほどの桜の幼木に花を付けています。

 交通公園周辺の桜(:交通公園の桜、:福祉作業所前の幼木の桜)

・開桜小学校校庭と内川遊歩道の桜
開桜小学校(大田区大森西2-26-3)は西交通公園北の内川北岸にあり、大田区では兄弟校の大森第1小学校と分校した最も古い小学校で、元は大森第2小学校と称し近隣の大森第6小学校と併合した小学校ですが、第2小学校時代の校舎は1945年の戦災で焼失しました。
開桜小学校の校庭の東西側と内川沿いの南面には10数本の桜の木が成長しており、3日には満開でした。校名はこの桜から付けられているのでしょう。今年も恒例の開桜花まつりが開催(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の春のイベントと京急高架化運用決定(2010.3.28号)」参照)されました。
小学校南面の内川には遊歩道の護岸が2009年に完成し、歩道とベンチが設けられ、桜が植樹され2年目の今年も花が咲きました。冬季には沢山のかもやかもめが訪れ、春には校庭の花見ができ近隣の絶好の憩いの場となっています。

 開桜小学校周辺の桜(:開桜小学校正門の桜、:開桜小学校と遊歩道の桜)

・大森西図書館前公園の桜
大森西図書館(大田区大森西5-2-13)は1986年(昭和61年)に15館目に開館した図書館で、この図書館前の公園広場の周囲には数十本の桜が植えられており、花見時には近隣の人の花見場所となります。今年は、天候不順で4日の日曜日には雨がポツポツ落ちていましたので、花見の集まりはまばらです。図書館へは京急大森町西口から同商店街通りを西へ約400m進み、東邦医大通りの1つ手前の道を左折するとすぐ図書館前の公園広場です。

 大森西図書館前公園の桜(写真拡大)

なお、この時期には大森町周辺の民家の庭には、桜以外のとりどりの花にも遭遇しますので、思わぬ発見もあります。

 しだれ桃(写真拡大)

その他の大森町界隈の桜

 大森町界隈の桜の見所地図

今回は天候の都合にもより廻りきれませんでしたが、大森町界隈のその他の花見の場所には、京急平和島駅東側の環7通り北方の道路(地図参照)には年数を経た桜並木があり、満開時には見事な花が見られます。

 平和島の桜並木

また、桜並木の東方には平和島公園(「風景・風物誌 花見のはしご 今年は大森町界隈の花見と大田区の桜 その1」参照)があり、公園内には数多くの桜が植えられています。さらに、ふるさとの浜辺公園から南方の旧呑川であった跡地には、川を埋め立てた緑地公園(「風景・風物誌 花見のはしご 今年は大森町界隈の花見と大田区の桜 その2」参照)があり、旧川沿いに桜並木が延々と続いており、大森町界隈では桜の木が最も多い花見のメッカです。

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(4月分掲Indexへ)
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風景・風物誌 京急高架化沿線の春 5月開通の上り線高架橋沿線の桜を歩く(蒲田八幡神社)第1回

2010年04月03日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2010 神社境内から京急高架橋を望む

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京急高架化沿線の桜
東京管区気象台では、1日に都心で桜が満開になったと発表しました。
5月16日に上り線の高架化運用が発表(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の春のイベントと京急高架化運用決定(2010.3.28号)」参照)された京急高架橋沿線にも、満開に近い桜が見られますので歩いてみます。
先ず、4月24日に2、3階のホームの見学会が行われる、京急蒲田駅高架駅の近くにある蒲田八幡神社の桜を、満開の発表があった同1日に見に行きました。

 蒲田八幡神社編集地図

蒲田八幡神社へは、京急蒲田駅高架駅橋南端の京急蒲田第3踏切の旧多摩堤通りを、JR蒲田駅方向に進むと右側に妙安寺に並んで八幡神社の鳥居があります。

 桜が満開を迎えた蒲田八幡神社(:妙安寺正門、:妙安寺の隣が八幡神社)

蒲田八幡神社
蒲田八幡神社(大田区蒲田4-18-18)は、南北に細長い約3200㎡の境内に入ると、右側には神社神輿庫があり、境内奥の左側にある手水舎で口をすすぎ、正面奥の拝殿を参拝しました。
1945年(昭和20年)4月15日の戦災により焼失した拝殿は、現在は1958年(昭和33年)に竣工した鉄筋コンクリートの社殿です。社殿の左右には、1961年(昭和36年)に寄進された吽像と阿像の狛犬が鎮座しています。
ご祭神は「誉田別名」こと応神天皇が祀られています。第15代天皇として御在位の間、文学を奨励し、殖産興業を盛んにし、国力増強、外国との交流にと意を用いました。崩ぜられた後に、その徳を称えて八幡大神と崇められ、北九州の宇佐八幡宮に祓られました。

 八幡神社境内1(:八幡神社の鳥居、:手水舎、:神輿庫)

・由緒
八幡神社の由緒は碑によると、創建年代は不詳であるが、境内に小円墳があったことから相当古くから村人の信仰の場であり、多摩川の河口にあたり交通の要衝であり都からの文化の伝播も早く、縄文式文化時代の信仰と共ににつくられた斎場が推移して今日の姿になったものと思われます。
蒲田村からの新宿分村にあたり、薭田神社の基作の神体三座のうちの春日の像一体を分ちお祓りしたところ霊験あらかたであったといわれます。新宿分村は慶長の頃といわれますが定かでなく、慶長5年を新宿分村と定めて八幡神社の御鎮座としました。春日の像は神仏分離により別当妙安寺に移されましたが、戦災で焼失しました。
戦後の復興期に蒲田の中心地にあったため、1949年(昭和28年)8月に新宿八幡神社を蒲田八幡神社に改名しました。

 八幡神社境内2(:拝殿、:頭に角のある吽像、:由緒碑)

・末社
末社の1社は本殿左手に並んで配せられ、祭神が天照大神、日本武尊を祀る天祖神社があり、1910年(明治43年)に居たお伊勢の森(現蒲田4-24)から移転して、今の境内末社になりました。拝殿には、1878年(明治11年)の寄進の記録のある、「子取りの阿像」の獅子型狛犬が鎮座しています。

 末社の天祖神社(:天祖神社、:天祖神社拝殿、:天祖神社の)

もう1社の末社は、本殿に進む左手に鎮座の満願火伏稲荷神社で、稲荷大神(宇迦之御魂大神)が祀られています。銀杏の大木の根方にあった末社は、1945年の戦災を免れ、蒲田における数少ない建物として残り、満願火伏稲荷大神として火災の守り神として称えられています。旧社殿は、現社殿の中に収められており外からは見ることができません。

 末社満願火伏稲荷神社(:末社脇の大木、:満願火伏稲荷神社社殿、:末社前の桜)

境内の桜は、ほぼ満開で通行人の目を楽しませてくれます。

 蒲田八幡神社の桜(写真拡大)

・神社近くの仲蒲田公園の桜
また、蒲田八幡神社前の三差路を南西に100mほど進むと、神社の近くに大田区仲蒲田公園(蒲田4-35)があり、そこの公園内でも満開に間もなくの桜が見られました。

 八幡神社の近くの仲蒲田公園の桜(写真拡大)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(4月分掲Indexへ)
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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 4月INDEX

2010年04月01日 | INDEX
kan-haru blog 2010 4月1日20版

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全て(2006年3月から最新登録まで)の検索ができます。
また、京浜急行の高架化の駅別工区をキーとした、大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次を新設しました。

[K&A kan-haru 日記の見方について]
ブログ左覧のガイド板「カテゴリー」には、kan-haru日記のカテゴリー名とカテゴリー毎の記事登録数が掲載されております。
カテゴリー名の「ようこそ kan-haru日記へ」欄内には、次に示す日記の総合目次と日記を見るためのガイダンスが掲載してあります。
総合目次は、この月間INDEXと統合しており、同一のカテゴリー別目次を併用しております。
「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、この日記を見るためのガイダンスを記載してあります。日記の見方について (その1)の解説には、カテゴリー別の概要説明と共に、カテゴリー項目からは当該カテゴリーの第1回登録記事から最終・最新の登録までの全ての記事の索引が行えるようにカテゴリー別INDEXと結合してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新
・ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その3) (未完)

[ブックマーク からカテゴリー別目次を見る]
ブログ左覧のガイド板の「ブックマーク」に、カテゴリー別目次を登録しました。カテゴリーを選択するとカテゴリー別の目次が見られます。
閲覧日記と同一のカテゴリーの目次は、記載日記最後尾のカテゴリー別Indexから見られます。

[閲覧日記のページから総合目次を見るには]
ブログ左覧のガイド板「ブックマーク」の[kan-haru日記 総合目次]を指定すると、「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」内のカテゴリー別総合目次を参照できます。
各閲覧日記の先頭または後尾に記載の"< 総合INDEX へ" からも最新の目次が見られます。

[ブログ記事内の参照地図・写真などを拡大して見るには]
次の2006年3月月間INDEXに方法が記載してありますので、参照して下さい。
番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の10年3月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版2009年後期版2010年前期版
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第16回その1) 3月3日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第16回その2) 3月6日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第17回その1) 3月17日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第17回その2) 3月19日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 関連側道整備編交通計画糀谷・蒲田東地区(第2回その1) 3月31日
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント  
 ■ 大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の春のイベントと京急高架化運用決定(2010.3.28号) 3月28日
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
 
  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 関連側道全工区統合 2009・2010年版大森町付近工区2006・2007年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2009年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2006~2008年版京急蒲田付近工区2009年版雑色付近工区糀谷付近工区

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版
22 小さな旅 総目次
 ■ 小さな旅 龍馬と立会川 土佐藩山内家下屋敷のあった京急立会川駅周辺を歩き龍馬の足跡を追う(その1) 3月11日
 ■ 小さな旅 龍馬と立会川 土佐藩山内家下屋敷のあった京急立会川駅周辺を歩き龍馬の足跡を追う(その2) 3月13日
 ■ 小さな旅 龍馬と立会川 土佐藩山内家下屋敷のあった京急立会川駅周辺を歩き龍馬の足跡を追う(その3) 3月15日
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009年版
26 ITと技術 総目次
 ■ ITと技術 宇宙からブログの場所を見る 情報センターJAXAiと「地球観測画像特別展」(その1) 3月21日
 ■ ITと技術 宇宙からブログの場所を見る 情報センターJAXAiと「地球観測画像特別展」(その2) 3月23日
 ■ ITと技術 プライベ-トクラウド ブログ機能で簡易なクラウド的活用の個人情報共有の試み第2回 3月25日
27 Weblog 総目次
 ■ kan-haru日記もおかげさまで4周年を迎えました 3月8日

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