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kan-haruの日記

イベント 日本橋高島屋 大田区の魅力を都心デパートで紹介する「大田区 世界に誇る技と観光展」

2012年07月31日 | イベント
kan-haru blog 2012 世界に誇る技と観光展       

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世界に誇る技と観光展
大田区では、初めて都心一等地の日本橋デパート高島屋(中央区日本橋2-4-1)の8階イベントホールで、大田区中小企業の誇れる技術の紹介と、NHK連続テレビ小説「梅ちゃん先生」で盛り上がっている大田区の観光を、いろいろな人に見て貰いたいとのことで、高島屋の構成レイアウトで飾られた展示会「ニッポンの元気! 大田区 世界に誇る技と観光展」(主催:大田区、大田区「梅ちゃん先生」推進委員会)を、7月24~30日まで開催されましたので、関心を持って26日に見てきました。同展では、同時開催の「梅ちゃん先生番組展」(主催:NHKサービスセンター、後援:NHK)もゆったりしたスペースをとって展示してあります。

 「大田区 世界に誇る技と観光展」の高島屋広告

展示内容
大田区の誇る技術を「過去から未来へ」と題し、昭和30年代以前に使用されていたベルト掛け旋盤工場時代の物造りから、古くからの「へら」絞り加工で、現在は気象衛星の燃料タンクを作る匠の技術の紹介や、ステンレス材を精密に組み立てた東京スカイツリーの千分の一モデルなどの53社の製品が展示されています。

 世界に誇る技と観光展会場(:世界に誇る技と観光展高島屋8階会場、:展示会場入り口、:会場に入ると床には蒲田周辺の航空写真が展示)

最初のコーナーは、古い大田区の写真や戦前の蒲田周辺の工場・黒澤村のジオラマなどと共に、ベルト掛け旋盤等の模型などが展示されています。
黒澤村は、黒沢貞次郎(明治1875~1953年)が1913年(大正2年)から当時の荏原郡矢口村下田に約2万坪の工場用地を購入し工場を建て、タイプライター製造工場の他、113棟の社宅を建設し、敷地内には菜園を設け自給し、社員の子女の教育のため、私設の幼稚園と小学校を開設しました。工場の建設を契機に月刊社内報「吾等が村」を発行し、「企業は大きな家族である」との企業哲学の下に、蒲田の地に理想郷的工場村を作り上げる情熱が語られています。社宅は戦災にて焼失、被災を免れた工場は、1956年(昭和31年)に富士通信機株式会社との合併会社を設立した後、現在は、かつての工場敷地は富士通システムラボの研修所のほか、大田区民センターとJR東日本の職員住宅用地となっています。(大田区探検隊 栗山製作所から)
ベルト掛け旋盤は、1950年頃の町工場での主流で、1台の大型モーターに、回転軸とベルトを使用して複数の工作機械(旋盤等)に動力を伝える方式です。

 昔の大田区を知るコーナー(左上中上:昔の大田区展示コーナー、右上:職住一体のタイプライター製造工場ジオラマ、左下:黒澤村蒲田工場ジオラマ、中下:吾らが村(黒澤村)説明板、右下:ベルト掛け旋盤)

昔の写真展示コーナーの写真は大森エリアと蒲田エリアに分けて展示されており、4月1日から5月6日まで開催された日本工学院専門学校・東京工科大学主催の、「蒲田 いまと昔 展~Tribute to カマタ~」展示会(「大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその2」参照)で展示の写真と同一の物が展示されていました。写真の撮影時代の、大田区で生活をしていたものが見られ、大変懐かしい写真です。当時は、現在の様にデジカメや携帯電話を誰でも持っていない時代で、当時の写真は殆ど残ってなく非常に貴重なものです。

 昔の写真大森エリアの展示写真(左上:大森エリアの昔の写真展示、中上:大森谷戸町会戦災被害昭和20年4月撮影、右上:梅屋敷商店街昭和25年撮影、左下:産業道路ガスタンク昭和35年撮影、中下:大森駅西口八景坂方面を望む昭和20年代末撮影、右下:大森駅東口昭和28年)

展示会場には、デパートの展示感覚で並べられた大田区53社のものづくり企業の誇る製品展示や、「新製品・新技術コンクール」の展示、大田区「優工場」の展示、大田区優秀技能者「大田の工匠」のパネル・製品展示など、技術の説明や紹介パネル等で示されていました。また、大田区の観光は、羽田空港をはじめとして、蒲田周辺の黒湯など特徴ある場所が多く、観光イラストマップに案内されています。

 大田区の誇る技術63社の展示風景(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

・梅ちゃん先生番組展
梅ちゃん先生番組展は、先に紹介した日本工学院専門学校・東京工科大学主催の、「蒲田 いまと昔 展~Tribute to カマタ~」展示会にも出展(「大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその3」参照)していました。高島屋で展示の同展も同一展示物であるので、昭和20年代の下村家のバラック建てのセット、オープニングタイトルバックに出てくるジオラマおよび出演者が着る衣装を撮影方向を変えて表示してあります。

 梅ちゃん先生番組展(左上:「梅ちゃん先生番組展」入口、中上右上:下村家のバラック建てのセット、左下:出演者が着る衣装、中下右下:オープニングタイトルバックのジオラマ)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(7月分掲Indexへ)
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大森町界隈あれこれ 梅ちゃん先生時代の大森学園 終戦翌年に旧制中学の入学を迎えた混乱期の学び舎時代(2)

2012年07月29日 | 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
kan-haru blog 2012 内川上流から見たガスタンク       

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NHK連続ドラマの「梅ちゃん先生」がスタートした、1945年(昭和20年)8月15日の終戦前には、学童疎開で茨城県・栃木県の国民(小)学校に通っていました。疎開先での国民学校では戦時教育で、ほぼ毎日、田んぼで草とりや山に入ったりして、まともな勉強をした記憶がありません。今回は、大森町に転居して住み始めてから、大戦により学童疎開をするまでの、大森町での生活(説明地図1に居住の時代)を追ってから、疎開時代の大森町から隔離した時間を飛ばして、疎開地から東京に引き揚げた後の、梅ちゃん先生時代の背景の大森町(説明地図8に居住の時代)での生活を追って、大森町の変遷を見てみます。

 戦中・戦後の大森町説明地図

戦時経済下の大森町
1938年(昭和13年)に大森町に転入して、産業通りの大森区役所筋向いの会社事務所(地図1)の2階が大森町の住民としての最初の住居です。

 事務所2階が大森町転居の住居(左・中:昭和13年頃、右:昭和18年頃)

住居前産業通りの筋向いには、迷彩色を施した大森区役所(地図2)が聳えており、1940年(昭和15年)に区役所が移転して、美原通りにあった大森警察署(地図4)が移ってきました。産業通りは、北方で第1京浜国道と美原通りとの4差路交差点で結ばれており、その4差路の交差点中央には1944年(昭和19年)までは丸いロータリーが設けられており、中央は草地でバッタやトンボが飛んでおり、こっそりと学童仲間での遊び場でした。

 迷彩色の大森警察署(大森区役所)(左:昭和45年頃、右上:昭和45年頃、右下:昭和55年頃)

大森区役所の北隣は、大森消防署(地図3)があり火の見櫓が立ち、常時火の番が見張りをしていました。

 大森消防署(左上:ラジオ体操昭和17年頃、左下:大森警察署屋上から4差路の交差点を望む昭和36年頃、右:ラジオ体操昭和17年頃)

昔の大森町には、古くから設立の日本特殊鋼や東京ガス会社があり、ガスタンクが見える街として通っております。住居2階の物干し台から東方を見ると、2基のガスタンクが見え右側は閉鎖式のタンクで、左側にはオープン式のタンクが見え、このタンクは毎日朝は満杯で、夕方は消費した姿を現しています。

 東京ガス会社のガスタンク(左:昭和30年頃、右:戦前)

大森町の美原通りや第1京浜国道および澤田通りに沿った京浜急行の学校裏(平和島)駅や山谷(大森町)駅付近には、映画館・会館(地図A)および魚市場(地図9)などがあり、大森区の中心街でした。なお、当時は澤田通りは第1京浜国道が終点であり、春日橋で国鉄線とは立体交叉をしており、今日の環7通りの前身です。また、学校裏駅は戦後、環7通りの北方に移転しました。

 学校裏駅と澤田通り(左:学校裏駅昭和34年、右:澤田通りは第1京浜国道で終点昭和29年)

1939年(昭和14年)に氏子の諏訪神社(地図5)隣の日新幼稚園(地図6)に入り、翌1940年に大森第1小学校(地図7)に入学し、当時は、人口が多く新入生は男児が3組、女児が3組の編成で、1組の人員も写真に示す様な大人数で、1年2組に入学しました。2年生から戦時体制が強まり国民学校令が施行されて、大森第1国民学校と名前が変わりました。

 諏訪神社隣の日新幼稚園(左:遠足に出発、右:園内で相撲大会昭和14年)

当時の国民学校の目的は、「國民學校ハ皇國ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ國民ノ基礎的錬成ヲ為ス」ことでありました。1941年(昭和16年)12月8日に世界大戦に突入し、戦局が落ち目となった1944年(昭和19年)に産業道路の防火帯にかかる建築物を撤去する建物疎開(強制疎開)により転居となり、東京ガス大森工場裏の同社事務所に移り仮住居(地図8)としました。日本政府は同年8月に連合国軍による本土空襲の可能性が高まり、「縁故者への疎開」と学校毎の集団疎開(学校疎開)の学童疎開が行われたので、茨城県岩瀬町に縁故疎開をしました。

 大森第1小学校入学(筆者後列左から5番目)

戦時中の日本は、日中戦争長期化によって物資欠乏により、1938年(昭和13年)4月に公布された国家総動員法が制定され、広く生活必需品が配給制になり、特に市民生活に大きな影響を与えた綿衣料品の切符配給制は1939年(昭和14年)に始まりました。この年を最後に、街のお菓子屋さんでチョコレートが店から姿を消し、始めのうちは色も形も味もすっかりと変わった、チョコレートの紛い品が登場しましたが、それも姿を消しました。街の食堂での食事は、数に限りのある代用品の食事が食券が無いとたべられません。
世界大戦ではますます日常生活物資の不足を招き、1940年(昭和15年)に砂糖とマッチが、1941年(昭和16年)に主食である米穀・小麦粉が、1942年(昭和17年)には味噌・醤油などが切符配給制となりました。小学2年生になると、ゴムが不足して柔らかなゴムまりが、クラスで抽選で配給され当たりましたが、いつの間にかとられて無くなりました。
戦争の激化は生活必需物資の生産力が不足し、配給量自体も不足し、その後すべての生活物資は闇で購入する以外は手に入らない時代となり、市民は食料の買い出しに行かざるを得ない状態でした。

 配給切符・通帳(左:衣料切符、中:米穀通帳、右:家庭用塩購入券)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第30回その8)

2012年07月25日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 連日活躍の架線張り工事作業車 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.7  

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第1工区(続)
・平和島第5踏切南方の下り線高架橋吊架線敷設
7月20日に見ると、架線張り工事作業車は下り大森町高架駅の南方に移動しており、ホーム先端には信号機が取り付けられ、高架橋南の一体形の電架柱の下り線側には吊架線が張られており、下り線の高架化移行の準備が進んでいます。

 信号機が付き吊架線が張られた下り線大森町高架駅橋(左上:大森町第1ガード下り線の信号機と吊架線、中上:大森町駅南方に移動の工事作業車と吊架線、右上:下り線高架駅橋南の信号機と吊架線、左下:大森町駅先端下り線信号機、中下:、右下:高架駅構内の下り線に張られた吊架線0720)

下り線高架橋吊架線敷設の始点は、平和島第5踏切南方の対の鋼管柱にトラストを金具で取り付けた電架柱から敷設されており、始点電架柱を山側と海側および大森町駅先端から見てみました。

 平和島第5踏切南方の吊架線の始端点(左上中上:平和島第5踏切南方の吊架線始端(海側から見る)、右上左下:平和島第5踏切南方の吊架線始端(山側から見る)、中下:平和島第5踏切南方の吊架線始端架柱(山側から見る)、右下:吊架線始端(大森町駅先端から見る)0722)

7月21日には、大森町第1踏切から同第3踏切南方先の、対の鋼管柱にトラストを金具で取り付けた電架柱の吊架線終端まで見てきました。

 敷設された大森町高架駅南方の下り線吊架線(山側から見る)(左上:、中上:大森町高架駅南方の下り線吊架線敷設(山側から見る)、右上:大森町第3踏切上の吊架線(山側から見る)、左下:、中下:運用中の上り架線と敷設された下り吊架線、右下:大森町第3踏切南方の吊架線の終端0721)

・敷設吊架線にトロリー線の仮張り付け
7月24日に大森町第1踏切ガード南方を見ると、下り線に張られた吊架線の下にワイヤーを丸めた仮のハンガーでトロリー線が吊るされていました。下り線に吊るされたトロリー線の直径は、何故か上り線が運用で使用しているトロリー線の直径に比し細めの銅線が張られています。

 運用中の上り線に比し細めの下りトロリー線が仮敷設の大森町駅南方((海側から見る)・(山側から見る)・(山側から見る)0724写真拡大)

平和島第5踏切南方の下り線に敷設の吊架線始端部から、大森町高架駅まで上り線より細い径のトロリー線が、仮ワイヤーで吊り下げられています。

 平和島第5踏切南方の始端部附近の下りトロリー線敷設((山側から見る)0724写真拡大)

大森町高架駅上り線から見た下りトロリー線の敷設状況は、トロリー線の径が運用上り線の物より細く、ハンガーと曲引金具はワイヤーを丸めた仮設置の状況です。

 大森町高架駅の仮敷設の下りトロリー線を見る(左上中上右上左下:径が細い下りトロリー線、中下:ワイヤーを丸めた仮のハンガー、右下:ワイヤーを丸めた仮の曲引金具0724)

大森町第1踏切ガード南方から、同第1踏切ガード南方までも、同様にトロリー線が仮ハンガーで吊り下げられています。

 大森町第1ー3踏切南終端部までの下りトロリー線敷設(左(山側から見る)・中(海側から見る)・右(山側から見る)0724写真拡大)

・下り線高架橋架線はダブルトロリー方式
7月25日に大森町第1踏切ガード南方を見ると、下り線に張られたトロリー線は2本に増えている様に見えます、架線のハンガーと曲引金具は正式な金具に置き換えられる様です。これにより、下り線の架線方式は、ダブルトロリー・シンプルカテナリ方式となるのではないかと思われます。

 下り線高架橋の架線はダブルトロリー方式(左上中上右上左下中下右下0725写真拡大)

梅屋敷高架駅北方から大森町高架駅北方までの、下り線高架橋に架線の敷設を撮影しました。7月21日は吊架線の架線敷設を、24日はトロリーの敷設と、25日は第2トロリーの敷設を、上り線走行先頭車窓から撮影しました。走行右側の電架柱に、敷設架線が見えます。

大森町高架駅南下り線架線敷設工事2012年7月


[クリックすると、進行右側の下り線高架橋に敷設の架線が見えます。]

動画をご覧頂けない方は、「大森町高架駅南下り線架線敷設工事2012年7月」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.7

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(7月分掲Indexへ)
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大森町高架駅南下り線架線敷設工事2012年7月

2012年07月25日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

大森町高架駅南下り線架線敷設工事2012年7月

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第30回その7)

2012年07月22日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 内川橋梁附近の仮下り線高架橋の電力架線敷設準備工事  更新動画を追加Ⅱ版2014.8.7     

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第1工区(続)
・大森町駅高架下り線ホーム工事
大森町駅高架下り線ホームの工事は、階段(踊り場まで)、エレベータの取り付け工事は終了しており、前回記述時にはエスカレータ取付の基礎工事が行われていました。7月5日に見ると、エスカレータ取付用の作業枠台が組立てられました。

 下り線ホームエスカレータ取付用の作業枠台組立(0705写真拡大)

7月18、19日の朝に、海側と山側取付用のエスカレーター基台の工事材が搬入され、各日の午後までに下り線高架ホームとエスカレータ基礎台間にエスカレータ本体台枠の組立工事が行われました。

 下り線高架ホームのエスカレーター取付工事(:海側エスカレーター取付工事0718、:山側エスカレーター取付工事0719)

同19日に、地上下り線仮ホームから見ると、登り・降りのエスカレータ本体台枠が高架ホームと基礎台の間に取り付けられていました。

 下り高架ホームに取付の上下エスカレータ基礎台(0719写真拡大)

同日下り高架ホームでは工事シートが外れ、工事中のエレベーターと待合室が姿を見せました。

 下り高架ホーム上に姿を見せるエレベータと待合室(:下り高架ホーム上で工事中のエレベータ、:下り高架ホーム上で工事中の待合室、:下り高架ホーム上で工事中の階段0719)

・内川附近下り線高架橋電力架線敷設準備
前回記述時(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第30回その1)」参照)では、仮上り線高架橋始点の内川北岸分岐点から、終点の同南岸分岐点間に築造された仮下り線高架橋までの電力架線の敷設は、仮上り線用の仮電架柱のビームを利用する形態で築造されておりますが、下り線の吊架線の支持金具や懸垂碍子は付けられていません。平和島第5踏切北方の上下線本高架橋には、逆U字形のトラスト一体の電架柱と、対の鋼管柱にトラストを金具で取り付けた電架柱が間隔を縫って建立してあり、下り線側には懸垂碍子は付けられていません。

 架線敷設工事説明地図

7月6日以降には、大森町高架橋駅北部の下り線側に架線張り工事作業車が昼間には停車しており、夜間に下り線の架線敷設の準備工事を行っており、工事の進展により工事作業車の構成も変化しています。

 大森町高架橋北側で下り線の架線張り準備の工事作業車(:0706、:0708、:0717)

同18日に見ると、平和島第2架道橋北方から、平和島第5踏切北方までの仮上り線高架橋に並行して築造の仮下り線高架橋の電力線敷設工事は、仮上り線用の仮電架柱の延長のビームに、架線懸垂の碍子取付用の金具と共に、脇に曲線引き取付用の金具が付けられ、架線敷設の準備がが進んできました。

 架線敷設準備が進む内川附近の仮下り線高架橋(0718写真拡大)

内川付近の仮上り線高架橋に並行に築造した仮下り線高架橋の、平和島第5踏切北方から平和島第2架道橋北方までの、仮下り線高架橋上の電力架線敷設の敷設状況を、仮上り線走行の先頭車窓から7月17日に撮影しました。準備工事は、仮上り線用の仮電架柱のビームの延長先に、懸垂碍子取付金具と曲線引き取付用の金具が付けられて、吊架線の敷設の準備が進んでいます。

内川付近仮下り線高架橋の電力架線敷設準備工事2012年7月


[クリックすると、仮下り線高架橋の電力線架線の準備工事の様子が見られます。]

動画をご覧頂けない方は、「内川付近仮下り線高架橋の電力架線敷設準備工事2012年7月」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.7

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内川付近仮下り線高架橋の電力架線敷設準備工事2012年7月

2012年07月22日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

内川付近仮下り線高架橋の電力架線敷設準備工事2012年7月

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第30回その6)

2012年07月19日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 雑色駅北の架線敷設の終点  更新動画を追加Ⅱ版2014.8.7     

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第5、6工区
蒲田ヤード南から雑色駅北の電力線敷設
7月13日に、雑色駅を出発する上り線先頭車両から見ると、下り線高架橋の架線が敷設されているのが見えました。同17日に、下り線の電力線敷設の区間を調べるため、京急蒲田駅から雑色駅までの下り線高架橋を見てきました。
電力線の敷設は、縮小された蒲田ヤード南側から雑色駅北方までの区間に架線が敷設されており、これで、下り線高架橋の架線敷設個所は、空港線の下り線高架橋(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第30回その5)」参照)に次いで2か所目となりました。

 架線敷設説明図

蒲田のヤードは、同17日に見ると北側と南側を削減し公園に変わっていました。下り高架橋の架線敷設の開始ポイントは、ヤード南の削減されてできた公園付近が始点です。下り線高架橋に沿って雑色方へと進み電力線の架設を見ていきます。

 ヤード南端から南へ進み下り線高架橋電力線架線を見る(左上中上:削減された蒲田ヤード南端面、右上左下:ヤードが削減されてできた公園、中下右下:ネッツ豊田の南側空き地0717)

京急蒲田第8踏切跡は蒲田消防署が隣接してあり、下り線高架橋の高さは低い位置に低下しているガードの下り線には、単独の電架柱に架線が敷設してあります。

 京急蒲田第8踏切ガード上の下り線電力架線(0717写真拡大)

蒲田消防署南側の行き止まり道路先の下り線高架橋と上り線高架橋には、若干の高低差があるため電架柱は独立しています。第9踏切道路際のヤード付近の高架橋の高低は無く、電架柱は共通です。

 蒲田消防署南附近と第9踏切付近の架線(:蒲田消防署南側行き止まり道路の架線、:第9踏切道路のヤードから架線を見る、:ヤード塀外から架線を見る0717)

京急蒲田第9踏切は、第5工区と第6工区の境界です。この付近から上下線高架橋の高低は無く、複線の高架橋形態で電架柱は共通です。

 蒲田第9踏切ガード附近の架線(左:手前下り線架線・海側から撮影、中・右:奥川下り線架線・山側から撮影0717)

京急蒲田第10踏切は第6工区であり、仲六郷小学校に面しています。上下線が高架走行になると、騒音が増しますが、校舎は当然防音対策が施されているのでしょう。

 蒲田第10踏切ガード附近の架線(:第10踏切ガード架線・山側から撮影、:第10踏切ガード架線・海側から撮影0717)

同第11踏切付近は、踏切に接近した建屋が少なく空き地や車庫が多いため、周囲が広く感じられます。

 蒲田第11踏切ガード附近の架線(:第11踏切ガード架線・海側から撮影、右:第11踏切ガード架線・山側から撮影0717)

同第12踏切付近には、下り線高架橋を背にして熊野神社が鎮座しています。境内が狭いですが、末社にお稲荷様を控えて、力石もあります。昔からの鎮守様で、まさに京浜急行を守っている姿です。下り線の電力線架線の終点は、トップ写真にあるように、雑色駅第13踏切の傍が架線の端末です。

 蒲田第12踏切ガード附近の架線(写真拡大)

京急下り線高架橋の架線の敷設の状況を、雑色駅と京急蒲田第6踏切間の上り線走行の先頭車窓から7月17日に撮影しました。京急蒲田第6踏切付近は、高低差があり若干見られないところがあります。下り線

下り線高架橋第5-6工区電力架線敷設2012年7月


[クリックすると、下り線傾斜高架橋の電力線架線の様子が見られます。なお、始点付近は高低差のため、若干は見られません。]

動画をご覧頂けない方は、「下り線高架橋第5-6工区電力架線敷設2012年7月」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.7

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下り線高架橋第5-6工区電力架線敷設2012年7月

2012年07月19日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

下り線高架橋第5-6工区電力架線敷設2012年7月

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大森町界隈あれこれ 梅ちゃん先生時代の大森学園 終戦翌年に旧制中学の入学を迎えた混乱期の学び舎時代(1)

2012年07月16日 | 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
kan-haru blog 2012 0727一部変更      

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大森学園同窓会
平成24年度大森学園同窓会(大田区大森西3-2-12)もりこう会の総会が6月30日午後4時から、教室棟3階会議室で開催され、同5時半から懇親会が教室棟8階パノラマラウンジで開催されましたので、出席しました。
総会では、大谷会長挨拶、畑澤学校長挨拶の後、平成25年度からの会報発行の改正、会則の改正、役員改選などが行われ、会員の承認で成立しました。

 もりこう会総会(写真拡大)

懇親会
総会終了後、パノラマラウンジにて懇親会が行われ、勝島広報委員長の開会の辞、安達教頭先生の挨拶に続き、乾杯後近況報告や懐かしい懇談の輪ができ盛り上がりました。

 懇親会風景(左上・中上右上左下中下右下写真拡大)

今年は、もりこう会会報VOL.42の卒業生便りに、「NHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』時代のもりこう」をタイトルとした記事の投稿がありました。それらをきっかけに本年度の同窓会では、梅ちゃん先生コーナーを作ることになり、興味をお持ちの同窓会員の方多数がパンフレットをお持ち帰りになりました。

 梅ちゃん先生関連パンフレット(:NHKステラ[梅ちゃん先生]、:梅ちゃん先生蒲田マップ大田観光協会、:梅ちゃん先生イベント情報大田観光協会)

会報「もりこう」投稿記事
もりこうへの投稿記事の「NHK連続テレビ小説『梅ちゃん先生』時代のもりこう」は、4月2日から放映開始の2012年度上半期に、NHKが総合テレビジョンとBSで放送する連続テレビ小説・第86シリーズの作品が、第二次世界大戦末期の空襲(京浜空襲昭和20年4月15日)により焦土となった東京都蒲田区を物語の出発点とし、下村梅子が(学制改革前の)旧制医学専門学校に入学し、地域の人たちの支えによって町医者となって、戦後占領期から高度経済成長期を生きていくという物語です。梅ちゃん先生が通っていた女子医専のモデルは、昔は大森第三尋常小学校に隣接していました。
投稿記事は、昭和20年8月15日世界大戦が終戦の年の秋に学童疎開から、東京に引き揚げて東京ガス大森工場裏の寄合所帯の住宅に仮住いして、爆撃で灰燼の母校大森第1国民学校が大森第5国民学校に居候した中で通学し、翌年3月に卒業証書も成績書の授与も無く卒業しました。そして、同年4月に焼失のため大森9丁目の元山中電機工場跡の5年生旧制中学の大森工業学校の電気科に入学して、東京ガス大森工場裏からガス会社に沿って運河沿いに、旧呑み川を渡り5~6人の学友と通学しました。

 (左:もりこう会報表紙、右:投稿記事の一部[投稿記事PDF])

では、終戦の秋に東京に引き揚げ、ガス会社裏の仮住居に生活を構えた頃の、梅ちゃん先生の時代の背景の大森町の様子がどんな状況であったかを説明地図にて再現すると、入新井の一部に住宅が残存する他は見渡す限りの焼け跡で、蒲田付近まで見渡せました。工場は、東京ガス会社大森工場と日本特殊鋼は爆撃が避けられて無事でした。学校関係では、大森第5国民学校が唯一焼け残りました。京急の駅は、沢田通り(現環7通りの一部)の南側にあった学校裏(現平和島)駅、大森山谷(現大森町)駅とも焼失しましたが、学校裏駅は現在の平和島駅の場所にバラック駅で営業再開しました。なお、戦前の住居地は、戦中に建物強制疎開により取り壊されました。
捕虜収容所は、戦中には連合軍の捕虜を収容していましたが、戦後は日本の戦争犯罪者が収容されていました。

 昭和20年4月の爆撃で焼け野原の大森町北部周辺説明図

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第30回その5)

2012年07月12日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 架線が完成の空港線第1京浜国道ガード 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14          

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第7工区
・下り空港線傾斜高架橋の電力線架線
前回記述時には、下り空港線傾斜高架橋の電架柱に懸垂碍子などが取り付けられ、電力線架線の準備が進められていました。

 京浜蒲田ー糀谷間説明地図

6月15日に見ると、同傾斜高架橋には電力線の架線が掛けられていましたので、京急蒲田駅の空港線分岐点の3階第1京浜ガードから、傾斜高架橋が2階の高さまで降りて、上り線高架橋との合流点付近までの架線状況を見てきました。電力線の架線は、各写真を拡大してご覧ください。

 電力線架線完了の第1京浜国道上の下り空港線傾斜高架橋1(左上中上右上左下中下右下:地図まる1からの展望写真拡大0615)

空港線分岐点の3階第1京浜ガード上には、品川方面発の羽田空港行き下り列車と、空港発の横浜方面行きの上り列車の快速・特急が10月から走行し、来年の箱根駅伝の京急蒲田空港第1踏切の問題は無くなります。

 電力線が架線された第1京浜国道上の下り空港線傾斜高架橋2(地図まる2からの展望写真拡大0618)

架線が施された下り空港線傾斜高架橋は、第1京浜国道ガードを越すと高架橋は降りはじめて、高架橋は東南向きに直線に進みます。

 大田区産業プラザ横の下り空港線傾斜高架橋(地図まる3からの展望写真拡大0618)

大田区産業プラザの東方の先では、下り空港線傾斜高架橋は進行方向の右側を区道に接して進み、旧踏切跡の直交する区道付近では高架橋の高さは大分降下してきます。

 架線済の降下が進む下り線傾斜高架橋(:大田区産業プラザ東付近の架線完了の傾斜高架橋(地図まる4からの展望)、:区道に接して構築の架線完了の傾斜高架橋(地図まる5からの展望)、:高さが大分降下した架線完了の傾斜高架橋(地図まる6からの展望)0618)

下り空港線傾斜高架橋を、大田区産業プラザの東方の先から見ると、手前の上り線高架橋の背後に、架線が完了の傾斜した高架橋が見られます。

 空港線高架橋北側から見た架線完成の傾斜高架橋(:第1京浜国道ガード上の架線済傾斜高架橋(地図まる7からの展望)、:大田区産業プラザの東方から見た架線済傾斜高架橋(地図まる8からの展望)0706)

京急蒲田(空)第2踏切上では、上下空港線傾斜高架橋との高低差は数十センチメートル程度であり、下り高架橋は旧踏切区道を過ぎると高低差は無くなり、複線高架橋となります。

 京急蒲田(空)第2踏切東方の架線完了の傾斜高架橋(:京急蒲田(空)第2踏切上の架線完了の傾斜高架橋(地図まる9からの展望)、:上下線高架橋の高度差が接近した個所の架線架線完了の傾斜高架橋(地図まる10からの展望)、:上下線高低差なしの架線完了の高架橋の(地図まる10からの展望)0618)

京急蒲田(空)第3踏切上では、上下線高架橋は複線高架橋となり一体形の電架柱が建立されて架線されています。同踏切東方には線路のクロスポイントがあり、それに応じた電力線の架線が行われています。

 京急蒲田(空)第3踏切東方の架線完了の高架橋(:京急蒲田(空)第3踏切上の複線高架橋(地図まる11からの展望)、:線路クロスポイント上の架線状況(地図まる12からの展望)0618)

6月18日に京急蒲田(空)第3踏切から同第2踏切附近までの、下り線傾斜高架橋の電力線架線・敷設の状況を、上り線走行の先頭車両から6月26日に静止画撮影しました。

 蒲田方面行き走行先頭車窓から電力線架線と電架柱を見る(:京急蒲田駅に進む先頭車窓から電力線架線を見る、:上り線高架橋に切り替えのクロスポイントの手前から電力線架線を見る、:下り傾斜高架橋(左)と上り線高架橋(右)の架線を見る0618)

京急蒲田(空)第3踏切から同第1踏切までの、下り線傾斜高架橋の電力線架線・敷設の状況を、上り線走行の先頭車両から6月26日に動画撮影しました。同第1踏切までは高度差のため見られませんが、上り線高架橋への切り替えクロスポイント上の架線は、糀谷駅発線路から京急蒲田駅方の線路のみ架設してあり、下り線傾斜高架橋の電力線架線の様子や電架柱の構成などが見られます。

架線完了の京急蒲田空第1 3踏切間傾斜高架橋2012年06月


[クリックすると、下り線傾斜高架橋の電力線架線の様子が、クロスポイントで上り線高架橋に進入した車窓から、傾斜のため高くなるので途中までですが見られます。]

動画をご覧頂けない方は、「架線完了の京急蒲田空第1 3踏切間傾斜高架橋2012年06月」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.13

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架線完了の京急蒲田空第1 3踏切間傾斜高架橋2012年06月

2012年07月12日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

架線完了の京急蒲田空第1 3踏切間傾斜高架橋2012年06月

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第30回その4)

2012年07月10日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 電力線架線の準備の環8ガード附近の下り線高架橋 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14         

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第5工区
・下り線傾斜高架橋の電架柱建立
前回記述時には、京急蒲田第2踏切から同第5踏切跡間までの、下り線3階高架橋の電力線の電架柱の建立は、環8通りの3階ガード北側までの建立が終了していました。

 京急蒲田第2-9踏切間説明地図

電架柱は、逆U字形の鋼管ビームと一体形の鋼管電架柱が建立されており、一体形電架柱建立のごく所々には、両脇に2本の鋼管電柱を建て、そこに鋼管トラストをリング金具で取り付けた形式の組立形の電架柱も見られます。

 京急蒲田第2-5踏切までの建立済の電架柱(左上中上右上左下:地図まる1からの展望、中下:一体形と組立形の電架柱、右下:地図まる1からの展望0629)

6月29日に見ると、3階の環8ガード南側に一体形電架柱が建立されており、そこから京急蒲田第6踏切跡3階ガード北側までは一体形および組立形電架柱が建立されています。同踏切跡南側の傾斜高架橋には単独の電架柱が建立されており、電架柱のトラストは2種類の形状が見られます。

 環8交差点から見る新たに建立の電架柱(:地図まる3からの展望の環8ガード南側に建立の電架柱、:地図まる4からの展望の第6踏切南に建立の電架柱0629)

京急蒲田第6踏切跡3階ガードを越えると単線の傾斜高架橋となり坂を降りはじめますが、高架橋の高さが高いので、建立の電架柱は目立ちます。現在工事で使用しているヤード付近の高架橋も、傾斜して降りてきますが建屋の障害物がないため、周囲から傾斜高架橋は良く眺望ができきます。

 第6踏切跡南からヤード付近の傾斜高架橋の電架柱建立(:地図まる5からの展望の第6踏切跡南の傾斜高架橋の電架柱建立、:地図まる6からの展望の第6踏切跡南の傾斜高架橋の電架柱建立、:地図まる7からの展望の蒲田ヤード入り口付近の傾斜高架橋の電架柱建立0629)

蒲田ヤードを南に進むと、下り線傾斜高架橋は坂の降りが進み高さがかなり低くなり、第1京浜国道からの眺望は建築物の陰となり、見えなくなります。蒲田消防署南隣接の区道付近では、下り線傾斜高架橋と上り線2階の高架橋との高低差は数十センチメートル程度となります。ここでは、下り線傾斜高架橋と上り線2階の高架橋の電架柱は、それぞれ単独で独立して建立してあります。

 蒲田ヤード附近南側から蒲田消防所南側区道の傾斜高架橋の電架柱建立(:地図まる8からの展望の蒲田ヤード南側の傾斜高架橋の電架柱建立、:地図まる9からの展望のネッツ豊田南側空き地から見た傾斜高架橋の電架柱建立、:地図まる10からの展望の蒲田消防署南側突き当り区道から見た傾斜高架橋の電架柱建立0629)

蒲田消防署南隣接の行き止まりの区道から、南方の高架橋から先は、上下線高架橋の電架柱は共通の複線式で組み立て式の電架柱が3基建立したあり、その先きは京急蒲田第9踏切ガードの北側です。同踏切ガード南からは、第6工区で一体形の電架柱が既に完成しています。

 京急蒲田第9踏切道附近の上下線高架橋の電架柱(:地図まる11からの展望の京急蒲田第9踏切道から見た上下線高架橋の電架柱、:京急蒲田第9踏切ガード付近走行列車から見たの上り(左)・下り(右)高架橋0629)

京急蒲田第9踏切から第6踏切までの、下り線傾斜高架橋の架線電柱建立の状況を、上り線走行の先頭車両から6月29日に撮影しました。第6踏切までは高度差のため見られませんが、蒲田第9踏切ガード南側の一体形の電架柱の北方は、3基の組み立て式の電架柱が建立され、その先は傾斜高架橋が登り坂となり単独の電架柱が建立されています。当然、上り線高架橋の電架柱となります。

京急蒲田第9-6踏切間電架柱建立2012年06月


[クリックすると、下り線傾斜高架橋の電力線架線用の電架柱の建立が、傾斜のため高くなるので途中までみられます。]

動画をご覧頂けない方は、「京急蒲田第9-6踏切間電架柱建立2012年06月」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.13

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京急蒲田第9-6踏切間電架柱建立2012年06月

2012年07月10日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

京急蒲田第9-6踏切間電架柱建立2012年06月

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第30回その3)

2012年07月08日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 跨線橋通路から見たコンコースのエスカレーター・階段  更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14       

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第3・4工区
京急蒲田高架駅設備工事
京急蒲田駅周辺の上り線運用2階部の高架橋本体の築造工事は終了しており、10月高架化予定の下り線運用3階部の高架橋本体を完成に向けての築造が進められています。また、京急蒲田高架駅設備の築造も、前回記述時には工事が始められていました。
現時点の京急蒲田駅改札への仮入り口は、京急線東側の第1京浜国道歩道から階段またはエレベータで地下に降りての仮東口改札口に通じます。

 京急蒲田駅仮東口改札口(:仮東口改札階段口、:仮東口改札エレベーター口、:仮東口改札口0708)

京急線西側からは、区道に接した仮西口改札口から入場します。

 京急蒲田駅仮西口改札口(:京急蒲田駅仮西口改札口、:京急蒲田駅構内図0708)

第1京浜国道の拡幅工事は、現在旧多摩堤通り交差点から羽田空港線線路までの拡幅工事が進められており、完成すると京急蒲田高架駅橋下の1階に、第1京浜国道と京急西側区道間に東西連絡通路が結ばれます。

 京急蒲田入り口の東西連絡通路口(:拡幅工事中の第1京浜国道、:第1京浜国道側の東西連絡通路口、:京急線西側の東西連絡通路口0708)

・コンコース
京急蒲田高架駅2階改札口の築造は、2階高架駅橋下のコンコースに設けられ、2階改札口へは東西連絡通路から階段またはエスカレーター等で登るか、駅周辺の横断歩道の通路を経て入場します。

 京急蒲田高架駅2階改札口のコンコース平面図

東西連絡通路の北側に2階改札口コンコースへ上る階段(西側)とエスカレーター(東側)が設置されています。

 東西連絡通路からコンコースへのエスカレーターと階段(0706写真拡大)

東西連絡通路から2階改札口コンコースへの階段またはエスカレーターでコンコースへ登ると、北方に出札販売機が置かれ、改札機が設置されます。それより北方の1階地上1、2番線ホームのトイレ位置付近に対応したコンコースには、2階高架駅ホームへのエスカレーターおよび階段が設置されています。

 コンコースから2階高架ホームへの階段およびエスカレータ(:在来ホームのトイレ付近のコンコースにエスカレーターと階段設置0708、:コンコースから2階高架ホームへのエスカレーターと階段設置0629、:工事が行われているエスカレーター0706)

また、2階高架駅ホームへの登り通路は、東西連絡通路近くのコンコースにも階段が設置されています。

 コンコース南方の2階高架橋ホームへの階段(0706写真拡大)

・2階高架ホーム
上り線が運用している4、6番線2階高架ホームから、1、2番線1階ホームや仮東・西口改札口への通路および、コンコースへの通路並びに、10月高架化の3階高架ホームなどへの通路を見てみます。
2階高架ホームの最南端(川崎方)には、1、2番線1階ホームへの跨線橋通路に降りる階段があります。階段の北方には、背面の跨線橋通路に降りる階段と並んで、1階仮西口改札口へと、地階仮東口改札口へのエレベータがあります。また、階段横の工事囲い塀は、コンコース南からの階段の設置工事が行われている様です。

 2階高架ホーム南端(川崎方)の階段と北方エレベータ(:2階高架ホーム最南端の1、2番線ホーム跨線橋への階段、:背面階段の右は1、地階行きのエレベーター0708)

最南端階段の背面階段は、1、2番線1階ホームへの跨線橋通路に降りる階段です。階段横の工事囲い塀は、コンコース北からのエスカレーターと階段の設置工事が行われている様です。背面階段の北方のエスカレーターと階段は、踊り場を経て1階仮西口改札口へ降りますが、エスカレーターは踊り場までです。そのエスカレーターと階段の先には、3階高架ホームに昇る工事中のエスカレータと階段(写真中参照)があります。

 最南端階段の背面階段と仮西口改札口へのエスカレーター・階段(:最南端階段の背面階段、:1階仮西口改札口へのエスカレーターと階段0708)

その先の階段は、専用通路を経て1階仮西口改札口へ出ます。その階段の北方には、3階高架ホームに登り降りする未完成の上下エスカレーター(写真左参照)があります。さらにエスカレーターの先にも、最北端の未完成の階段(写真右参照)があり3階高架ホームに通じます。

 北端・北部の階段(:1階仮西口改札口への専用階段、:2階高架ホームへの階段0708)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第30回その2)

2012年07月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 梅屋敷高架駅下りホーム  

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第2工区
・下り線梅屋敷駅高架ホーム回復工事
梅屋敷駅の在来下り線ホーム長は短く、踏切間に挟まれ6輌編成の前2輌はホームからはみ出してドアーカットの運用をしておりますが、10月に下り線高架化によりやっと解消します。前回の記述では、上り高架線の運用ホームが、下り高架ホームに板張りで拡幅した仮ホームから、本ホームに移設しました。
今回は、板張り拡幅の上り仮ホームとして使用していたホームを、本来の下り線ホームとして使用するための、回復工事を見て行きます。5月末には、拡幅板張り仮ホームの敷板をはがし始め、6月3日には板張りの半分ほどの板が剥されていました。
6月5日に見ると、拡張板張りの板は完全に剥がされ、ホーム枠台の根太が見える状態となりました。
 仮上りホームとして使用していた板張りホームの取壊し撤去1(左上中上右上左下中下右下0605写真拡大)

同8日に見ると、ホーム枠台のみと分解されました。

 仮上りホームとして使用していた板張りホームの取壊し撤去2(0608写真拡大)

同日上り線運行列車に乗り、先頭車窓から拡張板張り仮ホームの取壊しが進んで、ホーム枠台のみとなった状態を撮影しました。

 取壊し撤去の板張りホーム横を進行する上り線列車(0608写真拡大)

同12日に見ると、拡張板張り仮ホームの取壊しが進み、下り線ホーム際の枠台支え金具のみとなりました。

 仮上りホームとして使用していた板張りホームの取壊し撤去3(0612写真拡大)

同15日に見ると、拡張板張り仮ホームの跡は何も残さず、本来の下り線高架ホームの姿として復しました。

 板張りホームが撤去された下り線高架ホーム(0615写真拡大)

また、同15日には下り線高架ホーム上では、10月の下り線高架化に備え駅ホーム設備の点検が行われており、さらに、7月4、5日には高架下り線線路設備の点検工事が行われていました。

 下り線10月高架化に備えて高架駅・線路設備点検(左上中上右上左下:下り線高架ホーム駅設備点検0615、中下:下り線線路設備点検0704、右下:構内線路設備点検0705)

第1工区(続)
下り線大森町高架駅橋外壁板
7月4日に見ると、下り線大森町高架駅橋下部に外壁板の取付工事が始まり、階段部近くの一部に外壁版が付けられている個所から、エスカレータ取付部分までの個所に、外壁板が付けられ完成しました。

 大森町下り線高架駅橋下部の外壁板取付(左上中上右上左下中下右下0704写真拡大)

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次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第30回その3)
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