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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第29回その2)

2012年05月31日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 在来地上下り線ホームから見た上り線高架ホームのエレベータとエスカレータ     

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第2工区工事
・上り線梅屋敷駅高架ホーム工事
前回記述時には、5月13日から梅屋敷駅高架ホームが、第1京浜国道側の仮上り線高架ホームから、西側の本来の上り線高架ホームに移設のための準備工事が行われていました。
東側の仮上り線高架ホームは、本来の下り線高架ホームに上り線線路まで板張りで拡幅されたホームであり、在来の地上下り線と共通の改札口を使用しています。

 移設前の第1京浜国道側の仮上り線板張り高架ホーム(0508写真拡大)

5月8日に見ると、上り線の運行を反対の西側上り線高架ホームに移設するための準備工事が行われており、高架ホーム上ではホーム移設の細部工事を進めており、地上では上り線高架ホームへの仮設改札口の設営を旧地上上り線で使用していた跡に行っており、改札口からエレベータと階段およびエスカレータの踊り場までの仮階段までの通路の整備が行われていました。

 本上り線高架ホームへの移設の準備が進む(:西側上り線高架ホームの移設開設の準備が進む、:上りホーム移設に備え西口改札の設営準備工事0508)

・上り線高架ホーム移設
同13日に上り線高架ホームが移設されましたので、運用の状況を見ていきます。移設により、梅屋敷駅構内図に示す様に、上り線と下り線の改札口が、従前の様に再び東と西のそれぞれに設けられました。

 5月13日から変更の梅屋敷駅構内図

移設上り線高架ホームの出入り口は、旧地上上り線で使用していた跡に仮設改札口が設けられ、入り口には移設運用の案内人が付いており、乗車の間違いの無いように対応しておりました。入り口を入ると左側に出札機が設置され、その奥が改札機で品川・新橋方面専用改札口と書かれています。

 上り線高架ホーム移設の新改札口(:上り線ホーム移設に伴い開設の改札入り口、:入口を入ると左側に出札機が設置、:出札機の先が改札機で上り線改札口0513)

改札口を入り、正面にあるエレベータを迂回して進むと、後ろ向きにエレベータの乗降り口があり、その先を直進すると右側に仮設トイレがあります。

 移設上り高架ホームへの仮設通路1(:改札口を入ると通路はエレベータの横を迂回して進む、:エレべ―タの横を回り込むと乗降り口、:エレベータの先を進むと右に仮設トイレ0513)

梅屋敷駅の階段とエスカレータの本来の設置構造は、上下線の各高架ホームから中間点の踊り場までの個別階段と個別エスカレータが設置され、上下線が接続された踊り場から本来の駅改札口までは共用の階段とエスカレータが設置される予定です。現時点では、改札口からの上り線の踊り場までは仮設の階段となり、この間にはエスカレータは付けられません。なお、エレベータは、改札口から上下線の各高架ホームまでを昇り降りができます。

 踊り場までのホーム外の仮設階段(:トイレの先を右に進むと仮設階段、:>踊り場までの仮設階段、:高架ホーム外に設けられた仮設階段0513)

上り線移設高架ホームへの通路は、ホーム外に設置された架設階段を上がると、突き当りの踊り場に出ます。踊り場突き当りの右手側には、高架ホームへの階段がありますので、それを昇ると2番線上りの本高架ホームです。なお、上り線の突き当りの踊り場は、上下線列車が共に高架化運用されると、下り線高架ホームの踊り場と接続される予定です。

 移設上り線高架ホームへの通路1(:仮階段を上り左に進むと踊り場の突き当りへ、:踊り場突き当りの右側にはホームへの階段、:0513)

仮設階段の踊り場突き当りの左手奥の品川方には、高架ホームへのエスカレータがありますので、それを昇ると2番線上りの本高架ホームです。現段階での、梅屋敷駅2番線高架ホームへの通路は、仮設改札口や仮設階段を使用しているので、やや複雑な形態となっています。

 移設上り線高架ホームへの通路2(:踊り場突き当りの左奥にはホームへのエスカレータ、:ホームへのエスカレータ、:エスカレータを昇ると上り移設高架ホームへ) 

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第29回その1)

2012年05月28日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 線路敷設が進む下り線仮高架橋内川橋梁付近 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14    

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大森町駅高架下り線ホーム工事
大森町駅高架下り線ホーム工事は、前回記述時点でエレベータの据え付け工事が開始されました。5月1日に見ると高架下り線エレベータの周囲枠の組立が始まり、同18日にはエレベータ周囲枠には工事用の幕で覆われ、同28日には上下線高架橋下部では、対の位置にエレベータ用の取り付けの外枠が、そろって並んでお目見えし、梅屋敷駅に次いで2番目となります。

 下り線高架ホームのエレベータ設置工事が進む(:エレベータ設置工事が始まる0501、:エレベータ取付工事が進む0518、:上下線高架橋の対の位置に設置されたエレベータ0528)

高架下り線の階段取付工事は、中間の踊り場までの階段本体の設置は3月初めには終了しており、5月に入ると階段の壁面の設置が行われていました。下り線の高架化移転当初には、下り線の階段は仮に踊り場から地上に降りる階段を設置して、旧東口改札口へと仮通路を経て出入りするのではないかと思われます。

 下り線高架ホームの階段仕上げ工事(:0501・:0519写真拡大)

下り線大森町駅高架橋下の工事の状況は、現在の仮下り線ホームの工事塀の上部の隙間部からと、ヤードと一部の工事覆いが掛けられていない部分からしか見えません。上り線側の工事の状況は、在来下り線ホームから工事全体が見えていましたので、工事の詳しい進展状況は過去の記事に掲載してありますので、それを参照(エレベータ工事開始2010117階段工事開始20100215エスカレータ工事開始20110216)下さい。

 大森町駅下り線側高架ホーム下の工事現場を見る(:下り線高架ホーム下のエスカレータ据え付け準備工事現場0507、:大森町ヤード0518、右:大森町ヤード0528) 

下り線大森町駅高架橋下の階段、エレベータとエスカレータの取り付け工事の進展により、5月7日まで開いて見えていた工事現場も、防音工事覆いにより全閉されました。同17日に見ると、階段部の外壁が付けられました。

 大森町駅下り線側東の高架ホーム下の工事囲い幕と外壁(:7日まで開いていた工事囲い幕0507、:工事の進展により工事囲いで塞がる高架ホーム下0508、:高架ホーム下と階段部の外壁0517)

高架下り線ホーム上の工事は、工事囲いにより見えませんが、上術のエレベータの据え付け工事は完了しており、待合室も鉄枠組立が進行しているようです。5月28日に見ると、高架下り線用の信号機電柱の建立が見えました。

 築造中の下り線大森町高架ホームと下り線信号灯電柱の建立(:築造中の下り線大森町高架ホーム、:大森町ガード上に建立された高架駅下り線信号灯電柱0528)

下り線用の信号機の電柱は、下り線高架ホーム先の大森町駅ガード上に建立されています。

 建立された下り線大森町駅信号灯電柱(0528写真拡大)

下り線仮高架橋築造(内川)工事
下り線仮高架橋築造工事は、前回記述時には高架橋の架橋工事は殆ど終了していました。5月に入り、築造された下り線仮高架橋に線路の敷設が開始されました。

 平和島第2架道橋付近の築造高架橋(0527写真拡大)

下り線仮高架橋築造の架橋が完成した高架橋に、線路の敷設が行われました。仮上り線走行の先頭車窓と後尾車窓から、線路敷設の状況を5月18、27および28日に撮影しました。線路敷設の進行状況が見られます。

仮下り線築造高架橋上の線路敷設状況を見る2012年5月.wmv

[クリックすると、仮下り線高架橋築造現場を、仮上り線の先頭と後尾の各車窓から撮影した、仮下り線の線路敷設工事の状況が見られます]

動画をご覧頂けない方は、「仮下り線築造高架橋上の線路敷設状況を見る2012年5月.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.14

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イベント 東日本大震災 報道写真ギャラリー「記憶 忘れてはいけないこと3」を見て災害を後世に伝えよう

2012年05月26日 | イベント
kan-haru blog 2012 「滝桜」にかかる虹20110424     

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東日本大震災
2011年3月11日午後2時46分に、国内史上最大規模のマグニチュード9.0の地震が、東北・関東地方太平洋沿岸を襲いました。この、地震により非常に大規模な津波が発生し、岩手県北部沖~福島県沖において15時12分から15時19分の間に最大波を観測し、津波の溯上高(斜面を駆け上がった高さ)は、宮古市田老地区の小堀内漁港近くで37.9m、岩手県野田村で37.8m、宮城県女川町で34.7m、大船渡市三陸町綾里で30.1mと確認されています。
2012年3月10日現在、警察庁のまとめによると、余震での死者も含め、死者15,854人、行方不明者3,155人となっています。建造物の被害は2012年5月9日現在、全壊12万9,855戸、半壊25万7,739戸、全半焼281戸、床上浸水2万0,553戸、床下浸水1万5,578戸、一部破損70万5,773戸の被害が出たと発表されています。

 東日本大地震岩手大津波(左:「平成の三陸大津波」岩手日報社20110617、右:「3・11岩手大津波の記録」DVD岩手放送)

この地震で運転中であった、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉の4号機を除く1〜3号機は制御棒が上がり緊急停止し、発電所への送電線の遮断器などの各設備が故障したため外部電源を失いました。地震の約50分後、遡上高14 ~15 mの津波が発電所を襲い、地下の非常用ディーゼル発電機が故障して全交流電源喪失状態となり、原子炉内部や、核燃料プールを冷却できなくなり、核燃料の溶融が発生して、原子炉内の圧力容器、格納容器、各配管などの設備の損壊により、甚大な原発事故となりました。
2012年5月24日の東電の発表によると、昨年3月15日に原発2号機の格納容器損傷により、16万テラ・ベクレルの放射性物質が放出され、16日には3号機より18万テラ・ベクレルが放出され、1~3号機の総量がヨウ素換算で90万テラ・ベクレルの放射性物質が放出されたとの推定結果が発表されました。陸上への放射性物質汚染は、昨年3月15日の朝と夜に、2号機から放出された計約10万テラ・ベクレルのヨウ素131などが、北西方向への風向や降雨で福島県飯舘村などに沈着したと推定されています。なお、同16日の3号機からの放出された物質は、降雨が無かったので、地面に降下せず拡散したものとみられています。

 東日本大震災・福島第1原発放射能放出(左:「自衛隊員が撮った東日本大震災」防衛省20120301、右:「福島第一原発放射能の恐怖全記録」FRIDAY 20120629)

この様な未曽有の大災害の記録情報は、報道、新聞や刊行物に数多く出されていますが、今後の世代に伝える形態になっていません。これらのデジタル記録情報は、転載禁止となっており、記録表示や情報の保管はできません。そこで、後世に伝えるためには、通知可能な災害情報のありかと、情報のある場所を提示する方法で伝達したいと考えています。

東日本大震災の写真展
未曽有の大震災記録の東日本大震災写真展が、2012年3月に震災1年を経過して各所で開催されました。
(1)東日本大震災発生から1年を前に「東日本大震災報道写真展」(朝日新聞社主催、三菱商事協賛)が3月2日から14日まで、東京・有楽町の有楽町マリオンで朝日新聞カメラマン・記者が撮影した写真を中心に約60点を展示開催されました。
なお、朝日新聞DIGITALでは、震災当時と1年後の被災地を同じ地点から撮影した写真を同時に見られる、「被災地あの時といま」(←ここをクリック)を公開しています。
(2)ヤフーでは2012年2月29日、東日本大震災の記録を写真で残す活動「東日本大震災 写真保存プロジェクト」の一環として、寄せられた写真の一部を展示する写真展「東日本大震災 写真保存プロジェクト『3.11 震災と復興』写真展」を、「ニコンサロン bis 新宿」(東京都新宿区西新宿1-6-1新宿エルタワー28階)で、3月13日から3月19日まで開催しました。
(3)日本経済新聞社では、被災地でカメラマンが撮影した写真展示の、日経本社で報道写真ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと3」が、2月2日から3月17日まで開催されましたので、3月7日に見に行ってきました。

 日経本社報道写真ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと3」1(写真拡大)

なお、日経では昨年から写真展示を開催しており、2011年8月に「記憶 わすれてはならないこと2」の展示会と、2011年4月に「記憶 わすれてはならないこと」の展示会が行われています。
今年の写真展示会場では、「記憶3」の写真と共に、「記憶2」と「記憶」展の写真も同時に展示されていました。

 日経本社報道写真ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと3」2(写真拡大) 

報道写真ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと3」の展示会場で、配布のポストカードから、「記憶3」の展示写真を掲示します。写真左は、展示54の写真で、旧暦の8月15日にあたる9月12日に、岩手県陸前高田市の景勝地・高田松原で津波被害から唯一残った一本の松に「中秋の名月」が寄り添うように浮かんだ写真です。写真右は、展示70の写真で、人よりも猫が多い宮城県石巻市の田代町。海辺の猫は漁師から魚のおこぼれおもらい、山の猫は愛猫家からのキャッチフードを待つ。そんな普段通りの生活を取り戻しつつある(2011年11月1日)。トップの写真は、展示66の写真で、福島県三春町の「滝桜」に紅がかった。約49キロメートル離れた福島県第1原発の事故で観光客は減ったが、多くの人が感嘆の声をあげてサクラから元気をもらっていた(2011年4月24日)。

 「記憶 わすれてはならないこと3」の展示写真から

日経本社で報道写真ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと」展示写真の解説版図書は、展示会場の販売コーナーで、「記憶3」、「記憶2」、「記憶」の各巻が千円で販売されています。

 報道写真ギャラリー「記憶」展示会解説図書

なお、日本経済新聞社の3回開催した、ギャラリー「記憶 わすれてはならないこと」の解説図書は、日本経済新聞電子版(日経Web情報)から、殆どの写真が説明付きで閲覧できます。
(1) 「記憶 忘れてはいけないこと」2011年04月29日(←ここをクリックする)
(2) 「記憶 忘れてはいけないこと2」2011年09月10日(←ここをクリックする)
(3) 「記憶 忘れてはいけないこと3」2012年02月20日(←ここをクリックする)

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イベント 東京スカイツリー開業 京急大師線港町駅前のマンションギャラリーで東京スカイツリー報道写真展

2012年05月22日 | イベント
kan-haru blog 2012 港町駅からRiverieマンションギャラリーを見る    

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東京スカイツリー
今日4月22日は、高さが634mの世界1高い自立式電波塔の東京スカイツリー(墨田区押上一丁目1番13号)の開業日です。開業式典では、運営会社の東武鉄道の根津嘉澄社長、で地元の墨田区出身のプロ野球福岡ソフトバンクホークス会長の王貞治さんなどの関係者がテープカットをしました。東京ソラマチの312店舗が入った商業施設、すみだ水族館、コニカミノルタプラネタリウムには、予定より25分早い午前9時35分にオープンし、何日前から並んだ人などの約5千人が入場したと報じられています。展望台は、7月10日まで日時指定の完全予約制で、すでにほぼ完売しており、7月11日以降は、当日券が1日1万枚売り出されています。
初日の展望台は、12時から上がることが出来ますが、予約の最高倍率が335倍で、約8千人が展望台に上りましたが、展望台からは白い雲しか眺められない生憎の天候でしたが、遠くの景色は見えないが、眼下の高さが見えて満足したようです。

Riverieマンションギャラリーで東京スカイツリー報道写真展
ツリーの開業に先立ち、港町のRiverieマンションギャラリーで、東京スカイツリーの写真展の広告が出ていましたので、5月19日に見に行ってみました。

 Riverieマンションギャラリー案内図

Riverieマンションギャラリー(川崎市川崎区港町5-5 5階会場)は、京浜急行大師線港町駅下り線ホームの臨時改札口を出ます。

 京浜急行大師線港町駅下り線ホームの臨時改札口(:港町駅下り線ホーム、:港町駅下り線臨時改札口、:港町駅下り線臨時改札口) 

会場のオフィス棟へは、六郷川間の工場跡地に現在1棟目を建設工事中のマンションの前を京急川崎方向へ進み、突き当りを右折すると、Riverieマンションギャラリーです。

 港町駅からRiverieマンションギャラリーへ(:ギャラリーへはマンション工事塀に沿って西に進む、:突き当りを右折するとマンションギャラリー棟、:マンションギャラリーのエントランス)

Riverieマンションギャラリーでの「東京スカイツリー報道写真展」は、3月1日から5月28日まで、朝日新聞社がカメラを通して、工事開始から昨年末の試験的なライトアップまでの、東京ツリーの成長を記録した写真が展示されていました。

 東京スカイツリー報道写真展パンフレット

展示会場には、朝日新聞社が撮影した工事開始時点からの写真と、東京スカイツリーの千分の一の模型が展示されていました。

 東京スカイツリー報道写真展風景(:東京スカイツリー報道写真展受付、:東京スカイツリー報道写真展会場風景、:東京スカイツリー模型(1/1000))

展示写真は、壁面の他会場中央に展示パネルを置き、写真を整理して展示されていました。

 東京スカイツリー報道展示写真(中左中右写真拡大)

また、会場の窓を利用しての影絵での展示の資料は、省エネが要求される昨今、採光に妨げなく効果的な展示手段であり、感心しました。

 会場の窓を利用しての影絵での展示資料(写真拡大)

展示会場の採光のため全開してある窓からの眺めは素晴らしく、展示写真を見終わってからも、景色に見とれて長い時間を充分に眺めてから会場を後にしました。

 展示会場内から眺める周囲の景色(写真拡大)

新聞社が時間をかけて記録した長期の写真は、展示会場で見る雰囲気では頭に残りません。そのため、朝日新聞社のWebのデジタルスカイツリーフォトギャラリーを検索しましたので、リンクアドレスをクリックして、ゆっくりと東京スカイツリーの写真をご覧下さい。
1 スカイツリー発見フォトギャラリー 写真一覧 ツリーのある風景(←クリック)
2 スカイツリー発見フォトギャラリー 写真一覧 こんなことから(←クリック)
3 スカイツリー定点観測フォトギャラリー 写真一覧(←クリック)

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<前回 イベント たからばこ展2 2年ぶりのメルヘンチックな作品展鑑賞の後日に出展者と共に川崎大師の参詣
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イベント たからばこ展2 2年ぶりのメルヘンチックな作品展鑑賞の後日に出展者と共に川崎大師の参詣

2012年05月20日 | イベント
kan-haru blog 2012 結婚祝いの絵とコサージュの出展作品   

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たからばこ展2
2年ぶりに、たからばこ展2開催のご案内を頂きました。
会場は、前回と同じ場所のGallery A/N(中央区日本橋浜町2-545-5 アクセス拡大図)での開催です。出展は、前回と同じくきむらはるか(ペーパークイリング)にしのかよこ(ヘッドレス・イラスト)の2人展で、4月24~29日の11~19時まで開催でしたので、同26日に見に行きました。
前回は、今回と同じ会場で2010年7月に開催(「イベント たからばこ展 新進気鋭のきむらはるかとたかはしかよこのメルヘンチックな2人展」参照)され、それより前の展示会はブログ開始年の2006年4月に、経堂のギャラリー カタカタで陶芸家、木工家、メルヘン画家による3人展を開催(「土と木とメルヘンな鉛筆画のぬくもり三彩展を鑑賞」参照)しております。

 たからばこ展2案内状

展示を見ると、今回から出展のコサージュ類の出展が会場を華やかにしており、メルヘンチックな絵とともに、バリエーションが増えて会場が一段と賑やかになっていました。

 たからばこ展2ではコサージュの出展が会場をはなやかに(写真拡大)

メルヘンチックな出展作品は、色鉛筆による作者固有の繊細な表現で、ほのぼのとした画風は固有な夢の溢れる世界を醸し出しています。

 メルヘンチック画作品(写真拡大)

2人展のペーパークイリングの展示品も鑑賞させて頂き、今回出展のコサージュなどが増え、充実した展示品を見て、たからばこ展2の鑑賞記念にコサージュを購入して会場を出ました。

 2人展の出展作品(写真拡大)

購入したコサージュは、たからばこ展が終了してから、5月5日に出展者が遊びがてら自宅まで届けて頂きました。

 たからばこ展2鑑賞記念に購入のコサージュ

川崎大師参拝
たからばこ展出展者は、以前から何回か遊びに訪れて来られ、一緒に三浦方面などへ遊覧しており、今回は川崎大師へはまだ行っていないとのことなので、5日に参拝に出かけて来ました。拝観順路は、大師裏門の西解脱門から入り、大本堂を参拝して、大山門を出て参道へと全くの逆行路です。

 川崎大師参拝(:西解脱門から境内に入門、:大本堂参拝)

5日は子供の日で、川崎大師では子供フェスティバルを開催して、ミニSLの乗車会や大道芸パフォーマンスなど、お子様をはじめ家族全員で楽しめるイベントが行われていました。

 子供フェスティバル開催の川崎大師境内(:子供フェスティバル開催で境内に鯉のぼりが上がる境内、:子供フェスティバルの京急コーナー、:猿回しの大道芸)

初めての川崎大師の参詣を記念して、写真を撮り、川崎名物の「くずもち」と「とんとこ飴」などのお土産を買って帰路に向かいました。

 川崎大師参拝記念撮影(写真拡大)

一緒に楽しく川崎大師を参拝して、再開を約束して帰宅後、何時ものようにメルヘンチックな絵葉書の礼状を頂きました。

 メルヘンチックな礼状

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次回 イベント 東京スカイツリー開業 京急大師線港町駅前のマンションギャラリーで東京スカイツリー報道写真展
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大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその3

2012年05月17日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2012 ラッピングカーに堀北真希の直筆のサイン(NHK HP)  
      
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梅ちゃん先生
NHK連続ドラマの第1作は「娘と私」で、原作が獅子文六で1961年(昭和36年)に放送されました。連続テレビ小説「梅ちゃん先生」は第86作の作品で、脚本が尾崎将也による1945年(昭和20年)戦後の町工場の多い蒲田が舞台で、父親の職業は優秀な医者で、3兄弟の松子と竹夫の末っ子の梅子(堀北真希)がヒロインで、周りから期待されないが医者を目指して進みます。戦後は、医学を学ぶことについて変遷があり、医学専門学校(医専)の入学は昭和21年度が最後となりました。その年に入学した人は、医専自体がなくなるので留年がありません。戦争直後は、周りは焼け野原で食べ物も物資もない時代で、ドラマはどう展開していくのか、同時代を蒲田の隣の大森で過ごした筆者にとっては楽しみです。

 茨城県高萩に造られた梅ちゃん先生蒲田の焼野原セットNHK ONLINEから

4月15日に出先からの帰り道の京急品川駅で、2100形車両にラッピング仕立て早々の「梅ちゃん先生ラッピング」車両が入線していましたので、撮影しておきました。ラッピング電車は8両1編成で,泉岳寺駅~三崎口駅間を4月9日からドラマ放送終了の9月末までの1日約3~4往復し,主に快特として運行する予定ですので、ご覧下さい。堀北真希さんの直筆サイン(TOP写真)は、ラッピング電車の品川方向先頭右側の番組ポスターの上に書かれています。

 梅ちゃん先生京急ラッピングカー(:梅ちゃん先生京急ラッピングカー4月15日、:梅ちゃん先生の京急ラッピングカー出発式(NHK ONLINEから))

梅ちゃん先生番組展
「梅ちゃん先生番組展」の展示は、「蒲田いまと昔展」の展示コーナーの奥で開催しています。会場の壁面には、連続テレビ小説梅ちゃん先生の登場人物に出演の俳優陣のサイン色紙が展示してありますが、残念ながら撮影禁止のため表示できません。

 梅ちゃん先生番組展(写真拡大)

主な登場人物の役名と出演者名(クリックするとNHK梅ちゃん先生の登場人物のHPが開きます)は、ヒロイン下村家の次女梅子(堀北真希)[写真左端]、父建造(高橋克実)[右から3人目]、母芳子(南果歩)[右端]、姉松子(ミムラ)[左から2人目]、兄竹夫(小出恵介)[左から3人目]、祖母正枝(賠償美津子)[右から2人目]、建造の弟/梅子の叔父(立花陽造)、梅子の隣家安岡家の父幸吉(片岡鶴太郎)、安岡家の長男/梅子の幼なじみ信郎(松坂桃李)、信郎の母和子(大島蓉子)などが出演しています。

 梅ちゃん先生下村家の食卓場面NHK ONLINEから

梅ちゃん先生番組展の会場には、出演者が着る衣装が並んで展示されています。衣装は、向かって左から、安岡家の母親和子の衣装、同父親幸吉、同長男信郎、下村家長男竹夫、同梅子の衣装、同姉松子、同母芳子、同父幸吉、同祖母正枝、梅子の叔父立花陽造の順にならべられています。

 梅ちゃん先生のドラマで着る衣装(写真拡大)

梅ちゃん先生番組展の展示会場の左方には、昭和20年代の下村家のバラック建てのセットがあります。当時は、バラックの建築には、木材などすべての建築材は配給制で、申請をとり資材を調達します。それでも資材は一挙に調達できずに、待たされたり、闇で購入したりします。バラックの外壁は木造板張りですが、内壁は無く外板張り1枚の住居です。屋根材は、木端を敷いて葺くトントン葺きが一般であり、窓ガラスなど1枚1枚と分割して配給となるので、全てのガラス戸にガラスの付くのは先のことです。たまたま最近見ていた場面で、梅子が通学する城南女子医学専門学校校舎の不完全な窓ガラスが補充された箇所が出てきましたが、戦後の数年は全く物資不足の時代でした。

 梅ちゃん先生下村家のセット(写真拡大)

展示場の奥には、オープニングタイトルバックに出てくるジオラマが展示してあります。ジオラマは、山本高樹氏の作で、非常に繊細に蒲田の雰囲気を出しています。細部場面の人物や動物、電車に船やお店屋さんなどリアルに表現されています。このジオラマの風景の年代は、昭和30年の後半以降のものです。

 梅ちゃん先生オープニングタイトルバック・ジオラマ1(写真拡大)

ジオラマの川は、呑み川を表現しており、電車は京浜急行を示しています。昭和30年代までは、京浜急行が呑み川鉄橋を渡る風景が見られましたが、現在は、呑み川鉄橋の上は、高架化工事により高架駅ホームの下に隠れております。

 梅ちゃん先生オープニングタイトルバック・ジオラマ2(写真拡大) 

大田区からのお知らせ
大田区では5月6日まで日本工学院の展示ホールで行いました、「蒲田いまと昔展」・「梅ちゃん先生番組展」ですが、大変多くの方に来ていただき、「ぜひまたやってほしい」というご意見をいただきましたので、場所を代えて開催します!
場所は、大田区役所本庁舎3階展示ホールで、期間は平成24年5月11日(金曜日)から平成24年5月30日(水曜日)までの平日で、土曜日・日曜日を除きます。ただし、「梅ちゃん先生」関連のジオラマや衣装等の展示はしておりませんので、ご了承ください。
イベントチラシ(PDF:606KB) ←ここをクリック

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大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその2

2012年05月15日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2012 昭和27年田園調布駅 
      
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大田区の戦前・戦後と復興期
大田区には、1938年(昭和13年)に転入し、当初は産業通りの事務所の2階の借家に住み、一時期茨城・栃木で学童疎開生活をし、灰燼の焼け跡に引き揚げてガス会社脇の間借り生活を経て、現在は大森町駅近辺の住宅で過ごしています。幼稚園、小・中・高校から大学に通い、1955年(昭和30年)代の復興期には、残業・休日出勤とがむしゃらに働き、世界2位の経済大国になった大田区で人生を送った当事者としては、「蒲田いまと昔展」を見て素直な気持ちにはなれないのです。今後も何時災害に遭うか分らない時代を、これからの世代のために、大森・蒲田の昔の出来事を出来る限り正確に伝えて行かなければならないと感じました。
蒲田いまと昔展の展示会場で、大田区での昔の生活を想い起しながら展示品を見て行きます。

 大田区の戦前・戦後と復興時の情景展示(:ようこそ蒲田への歓迎旗、:大田区の魅力再発見の展示コーナ、:大田区の学校行事、商業と農業写真)

1941年(昭和16年)12月8日に世界大戦に突入し、敗戦が濃厚となった1945年(昭和20年)4月15日の城南空襲(「大森町界隈あれこれ 大森町大空襲から67年 ガス会社、特殊鋼、森ヶ崎一帯を除いて一面の焼け野原その1」参照)と、5月に入り終戦までの17回の空襲により、大森・蒲田では8万戸以上が焼失し30万人以上が住む家を失いました。写真右の中央に薄く見えるのは、戦災被害をまぬかれた、大森ガス会社のガスタンクです。

 大森・蒲田の空爆戦災跡昭和20年(:戦災の矢口東小学校昭和20年5月、:戦災の大森東5丁目谷戸町会昭和20年4月、:大森6丁目の戦災昭和20年4月 石川光陽(大田区史下巻から))

前回ブログその1のトップ写真の大森ガス会社のガスタンクは、5歳で千住から転入した産業通りに面した借家での、物干し台から日常見られるガスタンクは、朝は満タンになり、夕方には消費されて減じたタンクの姿は、大森の戦前・戦中の少年時代のノスタルジアな風景でした。
幸いと、城南空襲では大森ガス会社とその北側にあった日本特殊鋼は、爆撃を避けられ被害を蒙らずに済みました。大森ガス会社は、1908年(明治41年)に建設され営業を開始して、1987年(昭和62年)に閉鎖されるまでは、大森町はガスタンクの見える街でした。
しかし、戦後の復興のため大森ガス会社のガスタンクは、羽田空港の空路の障害となるため大森第1小学校から南方の産業通り際に移転されましたが、今ではガスタンクは撤去され、大森町の光景であったガスタンクの姿は無くなりました。

 かっての大森町はガスタンクの見える街(:東5丁目の海苔業家とガスタンク、:空路障害のため移転したガスタンク、:大森警察署屋上から望む移転したガスタンク)

焦土と化した大森・蒲田も電柱が建ち、商店が並び復興が始まりました。食料品、衣料品などの生活に必要な供給が増加して、配給制度が1950年(昭和25年)から廃止されましたたが、道路などが舗装されていなく、雨が降るとぬかるみになります。戦後、10年が経過しても、駅舎などはバラック建てのままです。現在の京急平和島駅の前身は、学校裏という駅名であり、開業時には環7通りの南側の寄来尋常小学校(現在の大森第1・開桜小学校の前身)の裏に出来たので、付けられた駅名です。

 戦後復興が始まるの大森・蒲田(:復興が始まる蒲田駅東口昭和24年、:京浜急行学校裏駅昭和32年、:駅舎がバラック建ての東急蒲田駅昭和30年(昭和30年代の大田区から))

昔の展示写真を見て行くと、何点かの昔の実物の展示が出展されてありました。実物展示の1つは肥桶です。肥桶をご存知の方は、あまりおられないのではと思いますので説明しますと、昭和20年代以前のトイレは糞尿を瓶にためておく、汲み取り便所でした。糞尿が一杯になると汲み取りやさんが、柄杓で汲み取って肥桶に入れて担いで運び、複数の肥桶を専用のリヤカーで糞尿処理場まで運搬していたのです。昭和30年代の半ばになると、汲み取りの作業がバキュームカーとなり、現在では水洗トイレと進化したのです。

 汲み取り式便所の肥桶(:肥桶、:大江戸博物館で孫が肥桶担ぎに挑戦(2007年)、:肥桶運搬車昭和35年'(大津市歴史博物館から))

昭和時代の中流家庭でのお茶の間洋品には、衣服や小物などを整理する和箪笥と洋箪笥に小物箪笥、家庭用足踏みミシン、卓上電話器、ちゃぶ台、重箱、鉄瓶、食器膳、物入れ、そろばん、筆記具、火鉢、お釜やおひつなどが必需品でした。昭和20年代後半から昭和30年代前半の食事は、肉のおかずはまだ少なく、ご飯はかまどやガスで焚いていました。

 昭和の生活用品(:戦前の中流家庭でのお茶の間用品、:戦前の一般家庭での食事と食事用品、:昭和30年代一般家庭の夜の食卓(昭和30年代の大田区から))

行ってみよう博物館・記念館コーナーでは、大田区の博物館や記念館が紹介されていました。大田区では、大田区ミュージアムマップ(平成23年3月)を発行しており、「大田区ミュージアムマップ」とそのガイドの「大田区ミュージアムガイド」は、大田区役所ホームページ「大田区ミュージアムマップ(民間施設含む)」からダウンロードができます。(「大森町界隈あれこれ 大田区のミュージアム 民間ミュージアム(美術館、博物館)紹介展示会」参照)

 行ってみよう博物館・記念館コーナー(写真拡大)

おおたうまいもの紹介コーナーでは、大田区商連のお店のうまいものが展示してあり、新名物大田区限定品の「東京大田汐焼きそば」の幟が立っていました。また、展示会場の東方にある「梅屋敷商店街」の紹介コーナーもありました。蒲田周辺には19軒の温泉施設があり東京23区内では最多の場所がら、大田区のお風呂屋さんコーナーには、銭湯絵が展示してある他、銭湯の小道具などが並べてありました。

 おおたうまいもの紹介、お風呂屋さんコーナー他(:おおたうまいもの紹介、:梅屋敷商店街紹介コーナー、:大田区お風呂屋さんエリア)

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大森町界隈あれこれ 「蒲田いまと昔展」(梅ちゃん先生番組展)を見て大森・蒲田の昔を探るその1

2012年05月13日 | 大森町界隈あれこれ イベント

kan-haru blog 2012 昭和14年撮影の大森ガス会社のガスタンク
      
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大森と蒲田の昔
現在の大田区内の大森と蒲田の沿革は下表に示す通りです。

 蒲田と大森の沿革

1932年(昭和7年) 10月1日に東京市15区(1978年制定)と、近隣の5郡82町村(荏原郡・豊多摩郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の各全域)を編入して新たな20区を置き、東京35区となりました。新設の大森区は大森町、入新井町、馬込町、池上町、東調布町の区域を指定して設置され、蒲田区は羽田町、蒲田町、矢口町、六郷町の区域をと指定して設置されました。

 旧大森・蒲田区地域町名

1943年(昭和18年) 7月1日に、東京都制が施行され、東京市と東京府が廃止され、東京都35区が設置設置されました。
現在の大田区は、1947年(昭和22年)3月15日に東京都35区制の大森区が蒲田区と合併し、東京都23区制の大田区となりました。

 大田区地域地図大田区ホームページ大田区の公園から

昔の記録
大森・蒲田の昔の姿の情報を一般的な記録として残すことが出来るツールは、コンパクトデジタルカメラで撮影した写真や動画です。しかし、日本にてコンパクトで手軽に写真が撮影できるカメラが大衆化するのは、1970年代です。デジタルデータとして記憶素子に記録するデジタルカメラが一般に登場するのは、1995年あたりからで、今から20年ほど前のことであり、1970年(昭和45年)より前の昔の記録写真は非常に少なく希少的なものです。さらに、昔に使用していた品物というと、壊れたりすると更新して残っていません。世界大戦では、1945年4月15日の東京城南大空襲で大森・蒲田は焼野原(「大森町界隈あれこれ 大森町大空襲から67年 ガス会社、特殊鋼、森ヶ崎一帯を除いて一面の焼け野原その1」参照)となり、物資不足のなか、昔を忍ぶ物は殆ど残っていないのが実情です。
 
 大森町上空の戦災後の航空写真(昭和22年)(再掲)

蒲田いまと昔展
大田区の昔を忍ぶ物の写真、記録書や昔の道具などの保存が少ないなかで展示資料集めが大変である、「蒲田 いまと昔 展~Tribute to カマタ~」の展示会を日本工学院専門学校・東京工科大学主催で、12号館1階 ギャラリー鴻(大田区西蒲田五丁目23番22号)にて、4月1日から5月6日まで開催されましたので、4月30日に見てきました。

 日本工学院専門学校12号館

なお、「蒲田 いまと昔 展~Tribute to カマタ~」では、連続テレビ小説「梅ちゃん先生」番組展の併設展示が行われてていました。

 蒲田いまと昔展パンフレット

同展は、大田区「梅ちゃん先生」推進委員会NHKサービスセンター主催で、NHKの後援で、番組紹介のパネルや、一部再現セットなど、今人気番組の展示がみられました。ドラマ「梅ちゃん先生」は、第二次世界大戦末期の城南空襲により焦土となった東京都蒲田区が物語の出発点で、1945年8月15日の終戦日の前後から放映が開始され、この蒲田いまと昔展と当ブログにはぴったりのドラマなのです。

 梅屋敷駅高架ホームのドラマ「梅ちゃん先生」の写真(写真拡大)

会場の日本工学院専門学校12号館に向かう途中で初めて見た、東京工科大学の巨大な校舎に驚かされ、また、ギャラリー鴻に入り立派なホールの作りにも感心しました。
 
 立派な東京工学院12号館ギャラリー鴻(:蒲田 いまと昔 展会場の東京工学院玄関、:ギャラリー鴻エントランストホール、:ギャラリー鴻展示会場入口)

蒲田 いまと昔 展の会場構成は、6つのブロックで構成されており、入り口を入ると「写真で見る大田区エリア」で、次のコーナーは「大田区昔の生活エリア」から「大田区まち歩きエリア」が続き、隣の大田区関連団体の紹介エリアが休憩所になっています。次の奥のコーナには「見る!味わう!大田区エリア」と「大田区お風呂屋さんエリア」の2つが並んでおり、最後の奥のコーナーが「連続テレビ小説「梅ちゃん先生」番組展」と配置されています。

 蒲田いまと昔展会場図

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第28回その5)

2012年05月09日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 雑色駅中央口 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14  
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第6工区
・雑色高架駅ホーム
現在上り線の雑色高架駅ホームの運用の2番線高架ホームは、2010年5月16日の上り線高架化移行時での設備が、階段、エレベータと待合室のみであり、旧上り線ホーム改札口を入ると旧ホームの通路を通り高架ホームに進みました。(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第24回)上り線高架化開通ビデオ雑色編」参照)
2010年12月には上り線の雑色高架駅ホームへのエスカレータが、全5駅で最初に設置されました。(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第11回その4)」参照)

 雑色駅構内図

2011年2月15日から雑色駅西口改札口が増設され、高架ホームへの通路は旧上りホームを通らずに、平地の拡幅された通路となりました。(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第13回その4)」参照)

 雑色駅西口上り線乗場(:雑色駅西口入口、:雑色駅西口の出札機と改札機、:西口の構内より見た改札口0508)

雑色駅西口改札口を入り仮通路を進むと、上り線高架ホームへのエレベータ乗場があり、そこを反転するとホームへのエスカレータ乗場で、エレベータ乗場の脇を進むと奥にホームへの階段昇り場があります。

 西口改札口を入り高架ホームへの仮通路(:改札口を入り仮通路を進むとエレベータ乗場、:エレベータ乗場の手前にはエスカレータ乗り場、:エレベータの脇を先に進むと階段昇り口0508)

2番線上り線高架ホームへ登ると、京急蒲田方からエスカレータ、エレベータ、待合室と階段の駅設備が設置されています。

 雑色駅上り2番線高架ホーム(:京急蒲田寄りにエスカレータが設置、:エスカレータの南にエレベータが設置、:六郷土手方に待合室と階段が設置0508)

一方、1番線下り線の雑色高架駅ホームは、上り線の高架化運用時点から、階段とエスカレータの設置場所を仮床板で塞いだ状態で囲いはされておらず、エレベータの設置位置のみに板囲いがされた状態が当初から続いています。最近、駅名板などの案内板が付けられています。

 建設当初から変わらぬ下り線高架ホーム(:京急蒲田方の下りホーム階段設置場所、:駅名板が取り付けられている下り高架ホーム、:下り高架ホームのエスカレ―タとエレベータ設置場所0508)

下り線高架化移設により高架ホーム使用するには、階段、エスカレータとエレベータを設置工事をするため、高架ホーム下の在来下り線ホームの撤去が必要です。

 在来下り線地上ホーム(0508写真拡大)

在来下り線ホームの撤去により、以前に旧上り線線路が敷設していた場所に下り線仮設ホームを設ける必要があります。旧上り線線路上の仮設ホームの設置場所は、上り線高架ホームへの仮通路の境界の塀から、在来下り線路の間に板張りホームを設置することになります。高架橋への仮設通路の先には、旧上り線残存ホーム(右写真参照)が残されており、その元ホームから在来下り線線路までの間にホームを仮設を予定されていますが、工事の着工はまだ見られていません。

 上り高架ホーム下の仮通路(0508写真拡大)

・六郷土手付近仮下り線高架橋築造工事
前回記述時には六郷土手付近仮下り線高架橋築造工事は、一部に工事覆いが付けられていましたが、高架橋の築造は完了しています。
連休前の4月25日に見ると、寶珠院踏切側仮下り線高架橋から線路の敷設が見られました。連休後の5月8日には線路敷設が、六郷土手ガード付近の在来線線路と仮上り線高架橋線路の合流点近くまで、敷設工事が進んでいました。

 進展する仮下り線高架橋の線路敷設(:仮下り線高架橋上に線路敷設が始まる0425、:仮下り線高架橋上の線路敷設が進む、:仮下り線高架橋上の線路敷設工事0508)

寶珠院踏切と六郷土手ガード間の仮下り線高架橋築造工事を、在来下り線走行の前方車窓からの高架橋築造状況と、仮上り線高架橋走行の前方車窓からの高架橋上の線路敷設状況を、4月25日と5月8日に撮影しましたので進展の状況が見られます。

寶珠院踏切ー六郷ガード間仮下り線高架橋築造120508.wmv

[クリックすると、仮下り線傾斜高架橋築造の現場を、仮上り線の先頭車窓かの線路敷設工事と、下り線からの高架橋築造の状況が見られます]

動画をご覧頂けない方は、「寶珠院踏切ー六郷ガード間仮下り線高架橋築造120508.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.14

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寶珠院踏切ー六郷ガード間仮下り線高架橋築造120508.wmv

2012年05月09日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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寶珠院踏切ー六郷ガード間仮下り線高架橋築造120508.wmv

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第28回その4)

2012年05月07日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 糀谷第1踏切南の下り線傾斜高架橋  更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14

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第8工区
・糀谷高架駅ホーム関連準備工事
現在高架傾斜高架橋を走行する、品川方面からの羽田空港行きと、空港発の横浜方面行きの列車の停車高架ホームは、高架化が完了すると下り線高架ホームとなる板張り拡幅の仮設ホームです。このホームの駅設備は、エレベータと階段は仮設設置のものであり、エスカレータは設置されてなく、待合室のみが最終形態の設備です。

 板張拡張して仮運用中の糀谷高架ホーム(:仮運用中の蒲田方の糀谷高架ホーム、:仮運用中の中間附近の糀谷高架ホーム、:仮運用中の大鳥居方の糀谷高架ホーム0505)

前回記述時に設置工事されていた、本来形態の糀谷第1踏切までの延長下りホームは、線路の敷設が終わり、高架ホームの工事が完成しています。

 糀谷第1踏切上まで高架ホーム築造と線路敷設が完了(0505写真拡大)

高架化完了した後に糀谷上り線運用となる高架ホームを見ると、前回記述時とは工事の進展が無く、エレベータ、エスカレータ、階段および待合室の設置場所は、工事囲いで覆われています。

 上り線糀谷駅高架化ホーム(:上り線高架化ホーム京急蒲田方、:上り線高架化ホーム中間部、:上り線高架化ホーム大鳥居方0505)

・高架駅ホーム下部の工事
糀谷駅高架駅ホームの下部は他駅工区の工事とは異なり、高架橋駅下の橋脚柱内には在来のホームや線路が置かれてないので、高架橋底部の補強梁桁工事が行われています。

 糀谷高架ホーム下部の高架橋底部補強工事(左上中上:糀谷高架ホーム下部第1踏切付近、右上左下:糀谷高架ホーム下部中央付近の高架橋底部補強工事、中下右下:糀谷高架ホーム下部中央西付近の高架橋底部補強工事0505)

・糀谷第1踏切ガード南下り線高架橋築造工事
前回記述時と同様に糀谷第1踏切の下り線ガードには、高欄はまだ付けられていませんが、上下複線ガードとしては完成しています。

 糀谷第1踏切下り線橋梁(0505写真拡大)

糀谷第1踏切から見ると下り線高架橋築造工事はほぼ終了して、工事覆いも上部はほとんど取り外され、今後は線路敷設工事に進みます。

 糀谷第1踏切南の下り線傾斜高架橋(0505写真拡大)

糀谷第1踏切ガード南の下り線高架橋は、カーブを曲がりきる先は盛土部となり、この辺の下り高架橋は、前回記述時点から高欄が付けられ完成状態です。

 糀谷第1踏切南の下り線傾斜高架橋と盛土部(:糀谷第1踏切南の下り線傾斜高架橋、:糀谷第1踏切南の下り線傾斜高架橋盛土部0505)

糀谷駅から糀谷第2踏切間の下り線傾斜高架橋築造現場を、仮上り線高架橋および在来下り線走行車両の先頭車窓および座席車窓から、4月25日および5月5日に工事の進況を撮影しました。

糀谷駅ー糀谷第2踏切間傾斜高架橋築造120507.wmv

[クリックすると、糀谷駅ー糀谷第2踏切間の下り線傾斜高架橋築造現場を、仮上り線線路および在来下り線の先頭車窓・座席車窓からの工事風景を見られます]

動画をご覧頂けない方は、「糀谷駅ー糀谷第2踏切間傾斜高架橋築造120507.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.1

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糀谷駅ー糀谷第2踏切間傾斜高架橋築造120507.wmv

2012年05月07日 | ようこそ kan-haru日記へ

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糀谷駅ー糀谷第2踏切間傾斜高架橋築造120507.wmv

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第28回その3)

2012年05月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 京急本線下り線高架橋に電車線電柱建立が始まる 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14   

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京急蒲田駅付近立体工事
・京急蒲田駅交差点付近の第1京浜国道
前回記述時には、蒲田第2踏切道の旧多摩堤通り方向からの京急蒲田駅交差点では、第1京浜国道への右折が禁止となりました。

 京急蒲田駅周辺地図(再掲)

5月1日に見ると、京急蒲田空港線第1踏切南側から旧多摩堤通り北側までの、京浜第1国道と京急蒲田駅高架橋までのヤードで使用していた空き地に、国道15号線上り線(日本橋方面)の分離車道設置工事の準備が進められています。なお、旧多摩堤通り南側から環8通りまでの京浜第1国道は、下り線と分離した国道15号線上り線が出来上っています。

 空港線第1踏切南側から旧多摩堤通り附近の工事中の第1京浜国道(:京急蒲田駅第1京浜国道上り線分離用地、:旧多摩堤通り南から第1京浜国道上り線分離用地を見る0501)

京急蒲田空港線高架橋は、2階部高架橋には空港・品川間と横浜・空港間が運行し、3階部高架橋には地上走行中の空港・横浜間と品川・空港間の列車の移設準備工事が行われており、3階部高架橋上は電車線電柱は既に建立済であり、5月1日に見ると信号機の電柱の建立が見えました。

 京急空港線高架橋の電車線と信号機設置の工事が進む(:京急空港線第1踏切上の上下線高架橋、:京急空港線15号国道東方の上下線高架橋、:既に建立済の電車線電柱の間に建立された信号機電柱0501)

京急本線の3階下り線傾斜高架橋の築造はは、1日に見ると京急蒲田第2踏切南方付近と、同第4・第5踏切付近で、電車線電柱の建立が見られ高架橋への昇り階段が設けられていました。

 京急本線下り線傾斜高架橋に電車線電柱の建立が始まる(:蒲田第2踏切南方下り線高架橋に電車線電柱建立、:蒲田第4踏切附近下り線高架橋に電車線電柱建立、:環8橋梁下り線高架橋に電車線電柱建立0501)

・蒲田第6~9踏切間高架橋築造
同1日に見ると京急蒲田第6踏切跡では、3階下り線傾斜高架橋の橋脚柱には工事用シートの囲いは、まだ外されていませんが、高架橋の築造は終了しているようです。なお、同踏切跡北側には、高架橋への昇り階段が設けられています。

 第6踏切跡の下り線傾斜高架橋築造工事(0501写真拡大)

京急蒲田ヤードの3階傾斜高架橋の工事は、一部の工事用シートの囲いは外されておらず、高欄の一部もまだ外されたままです。3階傾斜高架橋に線路敷設のために、クレーン車が出動しており、高架橋への昇り階段がクレーン車付近から工事シートの位置へと移動しています。

 京急蒲田ヤードの3階下り線傾斜高架橋工事(0501写真拡大)

蒲田消防署北側の京急蒲田第8踏切跡の3階傾斜高架橋では、踏切北側の工事用シートの囲いは外されていました。

 蒲田第8踏切跡の下り線傾斜高架橋工事(0501写真拡大)

同1日に見た、京急蒲田第9踏切上の下り線高架橋本体の築造工事は完了しており、高架橋上では線路敷設工事が進んでいます。

 蒲田第9踏切下り線高架橋工事(0501写真拡大)

上り線走行列車の前面窓から下り線高架橋線路の敷設工事の模様を4月25日に撮影しました。

京急蒲田第6~第9踏切間下り線傾斜高架橋.wmv

[クリックすると、下り線傾斜高架橋線路の敷設現場を、上り線の先頭車窓からの撮影工事状況が見られます]

動画をご覧頂けない方は、「京急蒲田第6~第9踏切間下り線傾斜高架橋.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ
版2014.8.14

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京急蒲田第6~第9踏切間下り線傾斜高架橋.wmv

2012年05月05日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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京急蒲田第6~第9踏切間下り線傾斜高架橋.wmv

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第28回その2)

2012年05月03日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 上り線ホームは板張り拡幅2番ホームから5月13日より左側1番ホームに移設予定    

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第2工区工事
・上り線梅屋敷駅高架ホーム工事
前回記述時には、上り線高架ホームの階段とエスカレータおよび踊り場の据え付け工事はかなり進捗しており、エレベータの据え付けは完了しています。
5月1日に見ると、現在使用中の上り線2番梅屋敷駅高架ホームは、同13日より上り線1番の高架ホームに移設され、改札口も高架化前に使用されていた西口側に変更するとの案内が掲示されています。

 梅屋敷駅上りホームと改札口変更の案内

梅屋敷駅西側外部の区道から上り線ホームの工事状況を見ると、高架ホームへの階段とエスカレータを結ぶ踊り場の手前西側に、仮設の階段が設置され地上に降りられるように出来上っていました。

 上り高架ホーム階段踊り場外側に仮設階段が設置(0501写真拡大)

13日から使用の上り線梅屋敷駅高架ホームへの通路は、改札を入った目の前のエレベータで昇るか、その先のトイレ前を通り右に曲がり仮設の階段を踊り場まで上がり、左に曲がって左側にあるエスカレータまたは、右側の階段を昇って移設高架1番ホームに出ます。

 改札口から上り線高架ホームへの通路(:上り線高架ホームから仮設階段を経て改札口へ、:仮設階段を下り通路を右に進みトイレの前を通り改札へ、:仮設階段へはエレベータの横を通り抜ける0501) 

高架上り線梅屋敷駅の入り口は、大森町第4踏切西側に仮設されます。入口を直進し改札口を入ると正面にエレベータがあります。出札機は梅屋敷駅入り口の左側に設けられるのではと思われます。高架ホームへの通路は、改札機を入りエレベータを利用するか、またはエレベータを左より迂回して進むと仮設階段です。

 梅屋敷駅上り線入口(:13日から使用の上り線入り口、:0501)

仮上り線ホームから13日より使用のホームを見ると、工事囲いが外されエレベータ、エスカレータ、待合室および階段が完成してお披露目です。

 新上り高架ホームではエレベータが北側に設置(:仮上りホームから新使用の上りホームを見る、:新使用上りホームのエレベータ0501)

上り線高架ホームの駅設備の配置はエレベータが北側にあり、南側(京急蒲田寄り)に向かってエスカレータ、待合室と階段が並びます。

 13日カラ使用される新上りホーム(:新上りホームのエスカレータ、:新上りホームはエスカレータの南に待合室が並ぶ、:新上りホームの待合室0501)

階段はホームの一番南側(京急蒲田寄り)に設置されています。上り線専用高架駅ホームは13日より使用されると、大森町駅、京浜蒲田駅、雑色駅に次いで4番目となります。

 梅屋敷高架ホームの階段は南側の京急蒲田寄り(0501写真拡大)

上り線高架駅ホームが移設すると、仮使用の2番線高架駅ホームが空いて、仮板張りホームを撤去すると、下り線専用高架ホームとして、高架化工事の全駅では最も早くに使用可となります。

 下り線高架移設への準備が進む梅屋敷高架駅(:現在上り線高架ホームとして仮使用の2番ホーム、:蒲田方を望む下り線路(左)と上り線路(右)0501)

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