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kan-haruの日記

イベント 63年前の東京大空襲傷痕 浅草、本所、深川の戦跡をめぐり平和を祈願する その1

2008年03月14日 | イベント
kan-haru blog 2008

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東京大空襲
今年も、63年前の1945年3月10日に10万人余りの命を奪った世界大戦大空襲惨禍の日が回ってきました。
東京空襲は、初めは軍事施設への爆撃が主でしたが、1945年に入ると無差別攻撃で一般市民への爆撃が連日行われるようになり、1月27日に東京の中心部の銀座、有楽町界隈が白昼の爆撃で多数の死者がでました。

戦争の末期の3月10日深夜には、東京下町の浅草(台東区)、本所(墨田区)、深川(江東区)、日本橋(中央区)地区の木造家屋に、B29戦略爆撃機325機が1万3千発のナパーム焼夷弾による継続爆撃で、計画的な人家密集地域への武器を持たない一般住民大量殺傷の爆撃により、火炎の海となり焦土と化し、死者10万人余り、負傷者11万人余り、焼失家屋100万戸以上という惨劇を受けました。

 亀戸付近の焼け跡(天神橋から亀戸方面を望む) 拡大写真 2006年4月22日掲載承認

大森町界隈でも、無残な4月15日の無差別爆撃により、第1京浜国道沿いに多摩川の六郷橋から、現在の平和島付近まで見渡す限りの焼け野原の焦土と化しました。

 大森町付近焼け野原米軍撮影航空写真 1947年7月9日撮影(国土地理院) 
 大森町界隈あれこれ 鎮魂!大森町大空襲(第5回) 縮小画像写真リンク掲載参照
 大森町界隈あれこれ 鎮魂!大森町大空襲(第9回) 標準画像写真リンク掲載参照

私の父の同僚である、若山武義氏が東京大空襲の戦災に遭遇した際記録した手記が保存されており、わが街大森町、中野、目黒の各地で戦災に遭遇した貴重な記録を、ご遺族のご好意によりkan-haruブログへ解説を付けて掲載しております。
現在、戦争を知らない世代の方が80%を超えております。手記には空襲編と戦後史編に別れて編集しています。戦争の歴史を語り告ぐ貴重な世界大戦の記録であり、次に記載の目次からアクセスして是非目を通して頂きたいと願っております。
・手記目次
 1 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次1/3 (第1~11回)
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次2/3 (第1~7回)
 3 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次3/3 (第1~9回)
 4 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~3編カテゴリー総目次 掲載連載中

戦争を語り継ぐ
毎年、3月10日の東京大空襲の時期がくると、各地で追悼式や資料展、戦争を語り継ぐ催しなどが開催されます。
東京大空襲・戦災資料センターでは3月8日に、同区亀戸文化センターのカメリアホールで「東京大空襲を語り継ぐつどい」が開催され400名が参加しました。つどいでは、両親と妹を亡くした橋本代志子さんが当時の体験を話され、脚本家の小山内美江子さんも親しい友人を失った母や、父が犠牲となった友人のことなどを話され戦争の悲惨さを訴えられました。つどいは、昨年も3月10日に開催(「イベント あれから62年「東京大空襲を語り継ぐ集い」参照)されて参加してきました。今年は、都合により行けませんでした。

東京大空襲資料展

 浅草公会堂ギャラリー東京大空襲資料展

東京大空襲資料展は、被災43周年の1988年(昭和63年)の3月10、11日に[第一回東京大空襲資料展]が浅草公会堂ギャラリー(台東区浅草1-38-6)で開催され、被災63周年の今年は第一回資料展から20年を経過した資料展(主催 東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会)で、3月8日から11日の午前10時~午後5時まで開催されました。

 資料展会場(写真拡大)

昨年は、3月10日に見に行きましたが、時間の都合がつかずに僅か30分足らずの見学でした。今年は、時間をたっぷりとって資料展のイベント「浅草戦跡めぐり」に参加して、東京大空襲の傷痕や平和を願う人たちが建立した史跡を巡る予定で、3月9日に資料展を見に行きました。

 資料展イベント「浅草戦跡めぐり」 (拡大写真)

・東京板橋九条の会に飛入しての戦跡めぐり
浅草戦跡めぐりの参加には、東京大空襲資料展実行委員会と「台東九条の会」が共同作成した、200円で頒布の「浅草戦跡マップ」が必要とあります。
浅草公会堂ギャラリーの入り口ホールには、白地に「平和 憲法九条」と書かれた幟を持った人が目立つ様に立っておりましたので、てっきりと「浅草戦跡めぐり」の案内掛の方と早合点して、他の主催での東京大空襲資料展を見学に来ていたグループに付いて行き、思い違いの飛び入り参加の戦跡めぐりとなりました。間違えた会は東京板橋の九条の会で、「東京大空襲、被害地の跡を訪ねる」の催しの皆様でした。

    写真拡大            写真拡大

九条の会の皆様には、大変なご迷惑をお掛けしお世話になりましたが、お蔭様で浅草寺周辺から、東京都慰霊堂、東京大空襲・戦災資料センターと広範な戦跡めぐりを案内して頂き、楽しく見学させて貰えました。九条の会の皆様には、飛び入り参入にも関わらずに歓迎して頂き大変有難うございました。

 九条の会「東京大空襲、被害地の跡を訪ねる」の集い

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2 コメント

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ホームページ掲載の写真 (尾嵜章一)
2014-07-13 12:08:04
ホームページ掲載の写真についてお尋ね
亀戸付近の焼け跡(天神橋から亀戸方面を望む)の石碑は現在も天神橋のたもとにあるものですが、現状から察すると、天神橋から錦糸町方面を望むではないでしょうか。それとも石碑を移転させたのでしょうか。
返信する
ホームページ掲載の写真 (kan-haru)
2014-08-05 15:20:47
尾嵜章一さん はじめまして

掲載写真のお問い合わせの、「天神橋から亀戸方面を望む」の写真は、ブログ記事内容の背景説明に合致した写真でしたので、所有元の許可を得て掲載したものです。

したがいまして、写真の背景位置に関しましては、存じておりません。お問い合わせに関しての、回答はできませんので、ご了承願います。

今後とも、よろしくご閲覧をお願い致します。


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