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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2009.11.29)

2009年11月29日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2009 植樹された3本の梅の木

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大森町界隈の晩秋のイベントニュースです。

○ 大森三丁目連合町会60周年記念行事
大森三丁目連合町会では2009年が町会創立60周年に当たり、11月8日(日)に大田区長の出席のもとで、大森諏訪公園に区の木である白、ピンク、赤色の梅の木3本の記念植樹式典が行われました。

 大森三丁目連合町会60周年記念行事(写真拡大)

10時に植樹記念式典の受付が済むと、田口大森三丁目連合町会長、松原忠義大田区長の挨拶と大田区長から町会への表彰がありました。

 植樹式(:開会の辞、:町会長挨拶、:区長挨拶)

続いて、諏訪公園中央の西側奥の花壇に記念植樹が行われました。

 記念植樹(写真拡大)

植樹行事終了の挨拶の後、11時から公園の隣の福祉作業所に来賓が移動して、祝賀会が開催されました。また、公園内では、模擬店販売所でとん汁が振る舞われて、米、魚、野菜などが販売され行列して完売しました。

 模擬店食料品販売(写真拡大)

・大森諏訪公園
大森諏訪公園は、広さが1,286㎡(約390坪)で、地元の要望に応えて造成(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.22)」参照)された幼児用遊具施設と身障者が使用可のトイレ施設と、広場だけの樹木の少ないオープンに開けた明るい公園です。
元々は現在の大田福祉作業所(大田区大森西3-3-9)の場所に存在しており、現在の諏訪公園跡にあった福祉作業所の建て替えのために場所を交換して造られたため、2008年春に完成した新しく衣替えの公園です。
諏訪公園の由来は、大森西三丁目の鎮守様の諏訪神社から付けられたようです。

 大森諏訪公園付近地図

・諏訪神社
諏訪神社(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺(1) 諏訪神社その1」参照)は大森三丁目連合町会の鎮守様で、旧大森村には11の神社があり、現在の大森西3丁目界隈の地を「山谷(さんや)」と称し、山谷の鎮守で創建の年代は詳らかでないが1964年の氏子会で500年祭を執行されました。諏訪神社の境外末社に金山神社があります。諏訪会館は、1962年頃町会員の要望により町会会館建設の機運が高まり、建設資金を積み立てられましたが、当時は物価上昇時代で積立だけでは建築ができず、1978年に町会会員と氏子会員の寄付を募り、1979年3月に鉄筋2階建て83坪の会館が落成しました。

・連合町会の歴史小史
大森三丁目の連合町会の発足は、1949・50年(昭和24・25年)に現大森西3丁目の全域と、西2丁目の1部区域の西町会と旧明和会を併合して、大森三丁目連合会ができました。町会発足の1949年頃は世界大戦後から間が無く、町会界隈は一帯が焼け野原で、西には国電が、東には第1京浜国道に時たま通る車が見え、北は現環7通りの沢田通りから、南は蒲田が見通せました。京浜急行の現大森町駅の山谷駅は焼け落ちて廃業の状況の中、町会内の焼け跡にバラックが建てられ始めました。町会創立から創立35年頃までの歴史を振り返ってみます。

連合会の発足は、世話人として行川富五郎、富田実、酒井幸男、野口祐方、行川善吉、稲垣庄平、鍋谷軍治、米沢チエの諸氏が奔走されました。
また、顧問として安藤章一郎、米沢勇作、守屋長蔵の諸氏によりスタートしました。

 町会歴史小史1(町会歴史小史2、町会歴史小史3)

○ 大田区老人クラブ連合会第23回文芸作品展
大田区老人クラブ連合会は、15ブロックの156クラブで構成されており、本年は第23回文芸作品展が、東急多摩川線下丸子駅前の大田区民プラザ(大田区下丸子3-1-3)で11月10日から12日まで開催されました。

 第23回文芸作品展会場風景(写真拡大)

今年も会場の展示コーナーでは、大森西三丁目大寿会第一から第三クラブの作品が横に並んで展示され、第一クラブでは4名の方が出品して書道と鶴の置物や小箱、箸袋などの芸を極めた装飾作品を展示されました。

 大寿会クラブ展示コーナー(:大寿会第1~3クラブ展示コーナー、:大寿会第1クラブ展示作品)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第7回)

2009年11月27日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 第2次工事完了時の糀谷高架駅橋

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京急連続立体化工事駅舎編(5)
第7回の記事では、駅舎編の第5回目として糀谷高架駅の、これまでの築造の経過を纏めてみました。

糀谷高架駅舎
現在、糀谷の高架駅の築造は来春の高架上り線の開通に合わせて、第1次工事段階の仮駅舎の建設が進められていますのでその進捗を見ていきます。
第1次工事では、説明図の高架上り線Ⓐの乗降のホームは、仮構築として在来下り線Ⓑホーム上に設けて、上下ホーム間の通行を階段で結び、駅改札口は中央口を使用します。したがって、第1次仮ホームの構造は、高架下りホーム①の先の下り線路上に臨時ホーム②を築造し、その反対の北側に通路③を設け臨時の階段④で、1階の下りホーム⑤に降ります。

 糀谷高架駅第1次工事説明図

高架駅橋は、構内西の京急蒲田(空)第4踏切東側の4面高架橋高架橋の構造が、第2次工事高架橋と同一の幅員で築造され、構内東寄りの高架橋部と連結橋部の幅員は第1次工事に適合させて、通路幅が拡幅された幅員の連絡橋部で構築されています。

 08年10月築造の第1次工事高架駅橋(:糀谷第1踏切から見る、:在来上りホームから見る、:在来下りホームから見る09年10月)

今年に入り4月13日に見ると、通路③用の枠台の取り付け工事が行われていました。通路枠台の先に見える四角形の枠組みの鉄骨は、2階ホームからの昇降用の仮エレベーター築造塔かと思われます。

 高架駅橋上り線仮ホームの連絡橋枠台工事(写真拡大0413撮影)
 
1階への昇降用の仮階段は、仮エレベーター築造塔の脇に、従来糀谷駅で使用されていた跨線橋の下りホーム側の階段を転用されるようです。

 第1次工事の仮上りホーム昇降用の転用階段とエレベータ(写真拡大0508/13撮影)

5月2日に見ると、京急蒲田(空)第4踏切脇の4面高架橋の北側に下り駅ホーム台枠の骨組み(①部)と、高架橋の南面に第2次工事用上り駅ホーム台枠の骨組み(Top写真Ⓒ参照)が築造されていました。

 高架駅ホームの築造(:下りホームのホーム構築用梁桁0502撮影、:上りホームのホーム構築用梁桁0502/13撮影)

7月1日に見ると、糀谷第1踏切側の高架橋の北側に下り駅ホーム台枠の骨組み(①部)の築造が始められていました。

 第1次工事高架上りホームの築造(:下りホームI型梁取付0701、:下りホーム枠台組み立て0715、:下りホーム台完成0729)

7月15日に見ると、京急蒲田(空)第4踏切側から駅舎棟の屋根骨格鋼材の構築が始まり、糀谷第1踏切側のホームと踏切間に築造された仮上り単線高架橋の南面にホーム台のI型鋼材枠が付けられています。また、第1次工事の仮使用の下り用ホームのホーム枠台の骨組みも築造されていました。

 駅舎棟の建立が始まる(:駅舎棟屋根骨格の組み立てが始まる、:仮上り単線高架橋にホーム枠鋼材が付く0715)

7月29日には駅舎棟築造が進み、北面高架橋には工事覆いが掛けられ、南面高架橋でも工事覆いを被せるため足場を築いていました。8月8日には、仮上り単線高架橋のホーム枠台の築造が進んでいました。

 第1次工事駅舎の築造が進む1(:工事覆いを被せ高架駅橋北面の工事が進む、:高架橋何面に足場を掛けて工事が進む0729、:仮上り単線高架橋のホーム枠台築造0808)

8月8日に見ると、高架駅橋の南面は工事覆いが被せられて駅舎棟の建設工事が進められていました。同15日には糀谷第1踏切側の高架橋には、駅舎棟の屋根骨格が組み立てられていました。また、9月15日には、駅舎棟の東面にも工事覆いが付けられていました。

 第1次工事駅舎の築造が進む2(:工事覆いで覆われた南面高架駅橋0808、:、糀谷第1踏切側の高架橋に駅舎棟屋根が建立0815、:駅舎棟東面にも工事覆いが付く0915)

11月23日に見ると、駅舎棟に第1次工事の仮屋根が付きました。仮屋根は第1次工事説明図に示すように、高架下り線線路を越えて上り線線路の肩まで架かるように延長されて付けられています。

 駅舎棟に屋根が付く(写真拡大1123撮影)

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小さな旅 京急羽田空港駅開業11周年 大変貌の羽田空港「国際ターミナル駅」(仮称)2010年開業

2009年11月25日 | 小さな旅
kan-haru blog 2009 イベント列車「京急JAXA号~羽田から宇宙(そら)へ~」  

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羽田空港駅開業11周年
京急羽田空港駅は、11月18日に開業11周年を迎えました。京急電鉄では、開業11周年を記念して、同社の情報誌「京急線 普通電車の旅」「祝 羽田空港駅開業11周年記念号」Vol.15からWebでも配信が始まりました。
京急では、羽田国際ターミナル2010年開業を予定し、沿線出身の野口聡一宇宙飛行士を応援して、羽田から世界へ、羽田から宇宙(そら)へtake off と銘うって「JAXA宇宙航空展」を11月13~23日まで開催していましたので、進化する空港の見学がてらに、15日の日曜日に見てきました。

・羽田空港駅
羽田空港駅(大田区羽田空港3丁目)は、京浜急行蒲田駅から空港線支線の終点の地下駅で、2線式ホームの西側先端の出口は、1998年(平成10年)11月18日に京急待望の東京国際空港(羽田空港)の第1旅客ターミナルビルに直結し、JALなどの旅客便に搭乗でき、ビルのイメージカラーは赤色で塗色され出口を間違えないように施されています。ホーム東側の出口は2004年12月から使用され、空港の第2旅客ターミナルビルに通じ、ANAなどの旅客便に搭乗でき、ビルのイメージカラーは青色に塗色されています。
1日の平均乗降者数は、約7万8千人で、9月のシルバーウイークには10万1千人を越えたそうです。

・JAXA宇宙航空展
JAXA(Japan Aerospace Exploration Agency)は筑波宇宙センター(茨城県つくば市千現2-1-1)の略で、日本で最大規模の航空宇宙開発施設で、H-Ⅱ型ロケットの開発や国際宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟の建設および月周回衛星「かぐや」の打ち上げ(「ITと技術 筑波宇宙センターとサイエンス・スクエアつくば見学 その1」参照)などを行っております。
JAXA協力の宇宙航空展は、第1旅客ターミナルビル2階のフェスティバルコートと、第2旅客ターミナルビル2階のイベントスペースで展示を行ってていました。

・第2会場
先ず展示会第2会場のある第2旅客ターミナルビル2階のイベントスペースには、京急線の地下東口出口を出てエスカレータを1階に上がると出会いのひろばで、吹き抜け部をエスカレータで2階に昇ると、回廊の端に展示場があります。

 展示会第2会場

第2会場の展示内容はJAXAの航空機開発に関する、①静かな超音速旅客機の実現を目指して~静粛超音速機技術の研究~、②太平洋を2時間で横断できる極超音速機~極超音速機技術の研究開発~などのパネル展示とビデオ上映を中心に、宇宙航空技術を支える大田区の町工場の紹介などと、2010年に開業する羽田国際ターミナルや国際化に合わせて開業する京急の新しい駅の紹介パネルなども合わせて展示してありました。

 第2会場展示内容(写真拡大)

・第2会場から第1会場への移動
当日は快晴でしたので、第1会場に移動する前に第2旅客ターミナルビル5階の展望デッキに出て滑走路を飛び立つ航空機をしばし眺めてきました。なお、展望デッキのフロアーの西側サイトには、4本目の滑走路のD滑走路新設工事の説明コーナー(「イベント 羽田空港滑走路工事 4本目滑走路建設工事現場を見渡せるD滑走路の見学」参照)があります。

 展望デッキ(写真拡大)

第2旅客ターミナルビルから第1旅客ターミナルビルへの移動には、両ビル間を結ぶ地下道の動く歩道を利用するか、空港ビル間を巡回する無料バスがありますので、今回は5階から1階までエレベータで降りてビル出口の前から、空港周辺の景色を見ながらバスで移動しました。バスの運行はターミナル間を時計方向に巡行し第2旅客ターミナルから第1旅客ターミナルへは、第2ビルから南へと進み国際ターミナルで国際線への乗降客を運び、そこからコースを西に向け空港中央の橋を渡り建設中の新管制塔を見ながら、コースは北へと曲がり第1会場のある第1旅客ターミナルビルへと着きます。

 羽田空港(:循環バスから新管制塔を望む、:羽田空港航空地図)

・第1会場
第1会場は第1旅客ターミナルビルの2階に上がり、中央のフェスティバルコートにあります。

 展示会第1会場

展示場には、JAXA所有の模型の、①国際宇宙ステーション(サイズ:1/100)、②「きぼう」日本実験棟(サイズ:1/10)、③スペースシャトル「ディスカバリー」(サイズ:1/25)、④宇宙ステーション補給機HTV (サイズ1/25)、⑤H-2Bロケット(サイズ1/25)などの他、パネル展示で「有人宇宙飛行」に関する展示を行っており、会場内で宇宙実験などのビデオ上映も行っていました。
また、2010年に開業する羽田国際ターミナルや、国際化に合わせて開業する京急の新しい駅の紹介パネルなども合わせて展示していました。

 第1会場展示内容(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

・イベント列車
京浜急行では、羽田国際ターミナル2010年開業をPRするイベント列車「京急JAXA号~羽田から宇宙(そら)へ~」を、2009年11月8日(日)~12月27日(日)の期間に京急線2100形車両1編成8車両で運行を行います。(Top写真参照)
車体にはHⅡBロケットやスペースシャトルなどを描き、イベントロゴを先頭車両のヘッドマークとして掲出して運行し、イベント列車内のポスターには、沿線出身の野口聡一宇宙飛行士を応援する内容を中心に、JAXA提供による最新の宇宙情報を展示してあります。宇宙への夢をのせたイベント列車に乗って、楽しみましょう。

国際ターミナル駅(仮称)の新設
羽田空港国際化による新国際線旅客ターミナルビル(大田区羽田空港2)の開業にあわせて建設中の「国際ターミナル駅(仮称)」は京浜急行の発表によると、空港線の天空橋駅と羽田空港駅の間に位置し、地下2階のホームから、地上2階および地上3階の国際線新旅客ターミナルビル入口までをダイレクトに結ぶエスカレーター、エレベーターを設置するほか、スーツケースなどを載せたカートが利用できる広いホームを確保するなど、日本の空の玄関口にふさわしい、便利で快適な駅を目指しているとのことです。

 国際ターミナル駅(仮称)(:国際ターミナル駅航空地図、:羽田国際ターミナル駅イメージ、:国際ターミナル駅構造図[京浜急行])

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大森町界隈あれこれ 大森学園創立70周年 徒弟学校から戦後焼跡工場仮校舎の歴史を追う(第2回その2)

2009年11月22日 | 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
kan-haru blog 2009 大森機械工業徒弟学校の誕生  

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今回は、大森機械工業徒弟委員会がスタートして徒弟学校の創立へと向けて進む姿を追ってみます。

・徒弟委員会による徒弟の共同募集
徒弟委員会は創立後間もなく、徒弟の共同募集の準備にとりかかり、幸い職業紹介所当局からの勧奨も得られたので,これに力を得て結束して画期的な募集方法をとることになりました。
共同募集に当っては,雇用,教育,福利等に関する条件を一定にすることが根本問題なので業者間で討議し,募集人員は各工場別の調査によって概数を調べ、職業紹介所との折衝で諒解をえられて,総計750人の徒弟の共同募集を開始しました。

 生徒応募者数

共同募集について、「大森機械工業徒弟委員会とその事業 大内経雄 財団法人協調会 社会政策時報第230号」には次のように書いてあります。
「共同募集人員の750名に対し、1100名の応募者があり好候件づくしの大工場のそれを凌駕するような成績を示し、応募者の資質は体格や学業においては優秀者揃いであり、募集費の予算は1人当たり15円が10円以内と、従来の業者各個の募集費用に比し非常に少ない費用で済み、東北関東の全域に亘り募集ができた。
また、さらに身体検査では、各地の医療組合病院所属の医師による診断がえられたことは特記する事項である」と書かれています。

 共同募集 大森機械工業徒弟委員会とその事業 大内経雄から

応募者の詮衝は、昭和13年2月22日から3月13日までに終了しましたが,厳重なる詮衝の結果760名の合格者を得ました。併しその中で実際に4月に就職した者は500名に過ぎませんでした。これは、勧誘により他に転じた者,家庭の事情その他の理由で志望を変更した者等により,募集が如何に困難であることかが窺われます。

・共同募集徒弟の配分
共同募集で募集した合格者の配分には、種々困難な問題を配慮して行われたが、その方法について大内経雄は次のように書いてあります。
「徒弟委員会は同志会を母体にして組織されたが、同志会の全員が会員になったのでは無く、態度不鮮明な業者や徒弟を託すには不適当な業者も見受けられるので、厳密な工場調査を行い、適格な65工場に配分した。配分の基準は採用者の体格、学業成績に応じた3クラスに分け、同府県人を1工場に2人以上配分し、工場の仕事の性質に応じて体格と知能の特性を適応し、それに工場主の指導力などを斟酌按配して公平を期した」とあります。

 徒弟の配分 大森機械工業徒弟委員会とその事業 大内経雄から

・大森機械工業徒弟学校の設立
合格者の工場配属を決定するに先立ち、1939年4月5日に明治神宮外苑日本青年会館に一同を集め、徒弟委員会経営の大森機械工業徒弟学校入校式が挙行されました。
入学式には、多数の来賓並に生徒父兄の前で東京職業紹介所長の立会の許に、「大森機械工業徒弟委員会徒弟雇傭斡旋並二養成教育二関スル協定書」に、雇傭者ならびに被雇傭者代表(保護者代表)が署名調印をして、厳粛なる宣誓を行った入学式式が開催されました。

 明治神宮外苑日本青年会館における徒弟学校入学式

協定書は、わが国はじめての団体雇用協定であり21条からなっており、雇傭関係については雇傭期間を5年として理由なくして解雇、退職ができず、雇傭条件に紛議を生じた時には協議の上東京府職業課及東京職業紹介所の承認を得ること。待遇に関しては、雇傭者は養成教育中の被雇傭者の1年生5円、2年生6円、3年生9円、4年生12円、5年生15円の月額手当を支給し、養成教育中の被雇傭者の衣食及教育は無料支給又は貸与する。
養護については、被雇傭者中の保護職工の就業時間は10時間とし、止むを得ざる場合は11時間とするが、徒弟学校に於ける学科及教練の時数はその中に含めるものとする。寄宿舎の設備のない工場のための共同寄宿舎を委員会にて設置して利用するものとする。
養成教育については、被雇傭者は大森機械工業徒弟学校に全部収容して、その教育を受けるものとする。教育の都合上、就業時間を中断することがある。徒弟学校は青年学校令および技能者養成令に準拠して、特定の時数を学科,教練に当てるものとする。教育に要する費用は雇傭者の負担とする。
といった協定で、この徒弟学校は5年制の当時の学制の青年学校に準拠した教育訓練を受けられ、勤労学生を希望する者には画期的なものでありました。

 大森機械工業徒弟委員会徒弟雇傭斡旋並ニ養成教育ニ関スル協定書(拡大参照)

・徒弟学校校舎建設の大幅遅延
徒弟学校の入学式が挙行されましたが、まだ徒弟学校の共同施設の徒弟学校教室、共同寄宿舎と栄養食共同施設の建設が大幅に遅れて、大森区3丁目283番地に350坪の土地を買収し、850坪を借り受けた建設予定地には建物は何も無く、ただ「大森機械工業徒弟学校建築予定地」の棒杭が1本建っているのみでした。
共同施設の建築は、「戦時下、技術員・技能工養成の緒局面 原正敏」の資料によると、「建築設計に当っては、帝大教授工学博士岸田日出刀氏の御高弟前川国雄氏に依頼し、漸く別図の如き案を得るに至ったが、2月下旬同氏の事務所の事故のため、同氏の推薦による山口文造氏が同案を引き継いで設計されることとなった。同案は大体に於て委貞会の根本趣旨を具現したものとして我々の支持を得たのである。詳細な設計を3月下旬に完了し,直ちに建築に着手する予定である。」とあり、徒弟学校の新校舎は大幅な遅延でのスタートとなりました。
これに対して、当時の徒弟学校校長であった米沢勇作大森学園理事長は、随想集に「創立の頃」の追想を書かれております。

 米沢勇作大森学園理事長の随想集から「創立の頃」(拡大参照)

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大森町界隈あれこれ 大森学園創立70周年 徒弟学校から戦後焼跡工場仮校舎の歴史を追う(第2回その1)

2009年11月20日 | 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
kan-haru blog 2009 

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大森学園の創立
大森学園創立の1939年(昭和14年)の時代背景は、第1回その2で記述した様に満州事変(1931年)が勃発し、1937年の盧溝橋事件で日中が交戦して日中戦争に突入し、1941年には真珠湾を攻撃して大東亜戦争が勃発し戦争が拡大しました。1945年8月8日にソ連が参戦し、同15日に日本はポツダム宣言を受諾して降伏文書に調印しました。
今から70年前の大森の機械工場産業では、政府が日中戦争の拡大に伴って重工業化を進めるとともに徴兵の強化とあいまって、政府の指示により大企業が熟練工の確保に努めることになり、国営化の職業紹介所を通さないで大量の労働者を募集することができなくなりました。
これにより大森町の中小工場群では、国策により生産力拡充の要請のため工場の新設拡張が相次いだため、少年工の需要が数倍に膨れましたが、職業紹介所では官営工場、大規模軍需工場の大量募集に忙殺され、大森町の中小規模工場の要求を充たすことができず、さらに大規模工場では好条件な募集条件での雇用により、中小商工業者は大変不利な状況となり大きな打撃を受けました。

 「米沢勇作理事長随想集」と「山崎正男先生の追憶」転記

徒弟学校の誕生
こうしたなか、1926年頃より大森駅から蒲田駅を走る省線(現JR京浜東北線)と学校裏駅(現平和島駅)から京浜蒲田駅(現京急蒲田駅)を走る京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)間の大森町の海岸寄りの細長い地域内に、次第に中小の機械工場が多く集まるようになりました。こうした工場群が相寄って組織をしたのが、大森機械工業同志会があり、1938年末の調査では約150の工場が集中し、大半の工場が大工場の下請け加工をしており、従業員総数が約3,000人で1工場あたりの従業員の平均が20人の規模でした。
折からの生産力拡充政策で労働力の払底を招き、工作機械が工場で遊んでいる状況となり、新規採用の募集や熟練工への育成をどうするかを同志会で検討して、大森機械工業徒弟委員会を創立し大森機械工業徒弟学校の誕生へと進むのです。

 「大森機械工業徒弟学校の誕生と終焉」と「大森機械工業徒弟委員会とその事業」資料

大森学園創立70周年の誕生となった徒弟学校の発足から戦後の焼け跡仮校舎までの歴史を、大森学園理事長 米沢正倫氏よりご提供を受けた諸資料の「戦時下、技術員・技能工養成の緒局面(Ⅰ)―大森機械工業徒弟学校の誕生と終焉― 原正敏 千葉大学教育学部研究紀要 第36巻第2部別刷 昭和63年2月発行」 1)、「大森機械工業徒弟委員会とその事業 大内経雄 財団法人協調会 社会政策時報第230号別刷 昭和14年11月」 2)、「米沢勇作随想集 学校法人大森学園 大森工業高等学校 平成5年9月10日発行」 3)、「現職員回想 追憶 山崎正男 三十周年記念誌から転写」 4)および、「70年の軌跡~創立70周年記念~ 大森学園高等学校DVD ギャラリー」 5)から見て記していきます。

・大森機械工業徒弟委員会の成立
労働力払底により工場の工作機械が休転している状況から、その対策に中小機械業者は悩み腐心していました。こうした差し迫った問題に同志会業者は寄ると触ると、目前の労力不足の補充だけでなく、毎年恒常的に新規採用する少年工の募集と職業訓練をどうするのかを話し合っていました。
これに対して、かってから徒弟養成問題を研究していた、財団法人協調会と日本技術教育協会が同志会に問題解決の具体案を示して実行の考慮を求めました。

 徒弟学校誕生まで(70年の軌跡DVDから)

その解決案には、同志会を母体とした徒弟委員会を設け、業者が協同して徒弟の募集をし、保護教育を行うというもので、条件は賃金、労働時間、積立金、徒弟終了後の待遇は一定にするというものでした。この案に対して同志会では賛意を示し、その実現に移り7社が発起人となり徒弟委員会の設立に向けて奔走しました。

 徒弟委員会発起人メンバー(70年の軌跡DVDから)

徒弟委員会設立の趣旨を見て、大森町近隣の工場主は賛同して62工場の参加加盟を得て、1938年(昭和13年)12月15日に大森機械工業徒弟委員会の創立を見ることになりました。

 徒弟学校委員会加盟工場(70年の軌跡DVDから)

これにより大森機械工業徒弟委員会がスタートして、大森学園母体創立の大森機械工業徒弟学校の設立に進みますが、発起人の1人で富士見製作所経営者の米沢勇作氏は、初代の徒弟学校校長を務め、1941年(昭和16年)に大森工業学校が設立されてから初代理事長に就任し、戦後の混乱、困窮期を乗り越えて現在の大森学園を築かれました。現大森学園理知長の米沢正倫氏は初代理事長のお子さんで、後を継がれ70周年の創立を迎えたのです。創立70周年を記念して、70年の軌跡に書かれているDVDの徒弟学校についての感慨を抜粋してみましたので参照してください。

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イベント ハロウィン 国内最大 「カワサキ ハロウィン」3000人の仮装パレード

2009年11月18日 | イベント
kan-haru blog 2009 ハロウィン アワード 2009 仮装グランプリ受賞の「巨身兵」

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10月31日はカトリックの諸聖人の日・万聖節の前日で、キリスト教の伝統的なイベントのハロウィンが行われます。ハロウィンは、元々はケルト人が行っていた収穫感謝祭の原型とされています。ハロウィンには、死者があの世から帰り魔女や精霊が出てくると信じられ、追い返すために恐ろしい格好をしてかぼちゃをくりぬいた「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ります。ハロウィンは日本でも浸透し、幼稚園や一般家庭でも人気のイベントになっています。

カワサキハロウィン パレード
毎年10月末に開催される川崎駅前東口の商業エリア「ラ チッタデッラ」(川崎市)「カワサキハロウィン」は、国内のハロウィーンイベントでは最大級の規模で、「仮装コンテスト」「ハロウィン映画祭」「ダンス大会」などが繰り広げられます。

 銀柳街でのパレード見物者(左・中:パレードを待つ見物者、右:パレード先導のパトカー)

今年のメーンイベントのハロウィン仮装パレードの開催は、第13回目を迎え10月31日のハロウィン当日と重なりました。パレードは、全国から3000人を越える参加者がパート1から3のグループに別れて、大音量のクラブサウンドの先導車に従いチネチッタ通りを出発して踊りながら練り歩きます。

 仮装行列グループ1先導化カ―

パレードのコースは、14時30分にチネチッタ通りを出て新川通りを横断して、銀柳街をパレードして市役所通りを横断し、銀座街を通り京急川崎駅前で右折して砂子一丁目通りを進み市役所前広場を東に折れ、平和通り商店街で右折して駅前大通り商店街まで練り歩いて、新川通りをJR川崎駅方向に進みチネチッタ通りまでの約1.5kmを踊りながら歩きます。

 仮装行列パレードコース

大田区の隣のカワサキハロウィン パレードは、今まで見たことが無く31日の土曜日に見に行きました。大森町蚊ら京急川崎駅に着いたのは14時過ぎで、パレードの見学を見るため、駅前から京急電鉄高架橋沿いの道を南に進み、仲見世通り商店街を左に折れて銀柳街の衣料品店田原屋の前に陣取りしたのは14時半の少し前でした。

 グループ1仮装行列(写真拡大)

洋品店の前はマクドナルド店で、その2階の窓際の席には早くから来て陣取った見物人は飲み物を飲みながらの特等席を占めており、一方銀柳街通りの前列には敷物を敷いてパレードを来るのを待ちこがれていました。

 仮装コンテストで受賞した仮装行列1(:テーマ「マリオネット」で「マーチ君賞」受賞の仮装、:テーマ「ニモの親子」で「ベストキャラクター賞」の仮装)

見物者の数は10万人を越え、通りは立ち見の人で一杯になりました。

 仮装コンテストで受賞した仮装行列2(:テーマ「ファミリー歌舞伎」で「ハッピー・ファミリー賞」受賞の仮装、:テーマ「不明」で「トリック・オア・トリート賞」の仮装)

パレードのグループ1の先導のパトカーが来たのは14時35分頃で、先導車の「カールじいさんの空飛ぶ家」に続いていよいよ仮装行列の行進です。ハロウィンに仮装するのは、人間にとりつこうとする悪霊達を怖がらせて追い払うために始まりましたが、やがて子供達が近所の人を脅かしてお菓子を貰う様な行事へと変わりました。

 グループ2仮装行列(:仮装行列グループ2先導化カ―、:仮装行列が続く)

日本では宗教的意味合いを持たず、ハロウィンに馴染んでイベントを楽しみに参加している様ですので、悪霊を追い払う仮装があったり、悪霊そのものの仮装だったり、また日本化した仮装もありパレードを見るのもまた楽しみです。

 仮装コンテストで受賞した仮装行列3(:テーマ「おじいちゃんと古時計」で「トリック・オア・トリート賞」受賞の仮装、:テーマ「ガマ王子&ガマ王女」で「ハッピー・ハロウイン賞(準グランプリ)」の受賞仮装)

14時45分を過ぎた頃、パレードのグループ2の先導車に続いて、思い思いに仮装を凝らした約1000人の行列が続きます。

 グループ3仮装行列(:仮装行列グループ3先導化カ―、:仮装行列が続く)

3番目のグループの先導車の通過は15時少し前で、パレードが終わると見物客は駅方向へと散っていきました。

 仮装コンテストで受賞した仮装行列4(:テーマ「巨身兵」で「ベスト・パンプキン賞(グランプリ)」受賞の仮装)

・仮装コンテスト
この仮総装行列は、チネチッタ通りに戻るとラ チッタテッラ屋外広場で16時15分から「仮装コンテスト」ハロウィン アワードが行われます。「カワサキハロウィン」は、日本最大級のハロウィンであるので、仮装のレベルが高くグランプリに輝いたのはタイトル「巨身兵」の全身が4m以上もある製作日数1年架掛かりの巨大手作りロボットで、自立走行をして歩きました。
仮装コンテストの入賞の仮装の幾つかは、写真に収っていましたので紹介します。その他の受賞仮装は、Webページの「KAWASAKI Haloween 仮装コンテスト ハロウィン アワード 2009」を参照してください。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第6回)

2009年11月16日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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京急連続立体化工事駅舎編(4)
第6回の記事では、駅舎編の第4回目として雑色高架駅の、これまでの築造の経過を纏めてみました。

雑色高架駅舎
雑色高架駅の築造は、5月7日に高架橋にホーム築造用の突き出し梁が見られ、6月2日には雑色高架駅ホーム北方と南方にそれぞれ3対の高架駅舎用柱が建てられました。

 駅舎棟の構築が始まる1(:ホーム築造用の突き出梁が付く0507、:ホーム北方と南方に駅舎築造用の柱が建つ、:ホーム北方に3対の駅舎用柱が建つ0602)

建てられた駅舎用柱を見ると、第1、2工区の駅舎用柱の構造と建て方の工法が異なる方式での築造の様です。ホーム台のH型鋼は幅広の堅牢な形状で組まれていますが、高架橋の突き出し梁間を接続するH型鋼は幅の狭い鋼材が使用されています。

 駅舎棟の構築が始まる2(:上りホーム北方に建てられた駅舎柱0611、:上りホーム南方に建てられた駅舎柱、:下りホーム南方に建てられた駅舎柱0609)

7月1日に見るとホーム北と南の3対の駅舎柱に横梁桁が付けられ、建立の柱間に細い補強の壁柱が挿入され、高架橋の突き出し梁間にはH型鋼骨組みホーム台と突き出し梁間接続のH型鋼が付けられました。

 駅舎棟の構築が始まる3(:ホーム北方駅舎柱に横梁桁が付く、:高架橋突き出し梁間にホーム台と接続H形鋼が付く、:ホーム南方駅舎柱に横梁桁が付く0701) 

7月12日に見ると、駅舎用柱間の全区間に横梁桁が付き、ホーム北方から屋根梁が架けられて、屋根梁間の間にも屋根補強骨組みの梁が付けられました。

 駅舎棟の構築が進む4(:駅舎柱間の全てに横梁桁が付く、:ホーム北方に屋根梁が架けられる、:屋根梁間に補強骨組みが組まれる0712)

8月17日に見ると、ホーム屋根梁間の全体に屋根補強骨組み梁が付き、骨組み格子枠に補強のクロスワイヤーが張られました。9月7日には屋根骨組みの中央部の骨材に白色ペイントで塗布されました。

 駅舎棟の構築が進む5(:駅舎屋根全体に補強骨組みが付く0817、:屋根骨組み中央部が白色ペイントされる0907)

10月に入り駅舎棟の築造はさらに進展して、同8日には上り線側駅舎と側面には足場が組まれ、工事用の覆いが北方から南方に向かって被せられております。

 駅舎棟の構築が進む6(:白色ペイントされた屋根骨組み中央部1004、:下り側の駅舎棟築造を見る、:上り側の駅舎棟築造を見る1008) 

10月21日に見ると高架駅ホーム上での工事が行われているのが見られました。また、上り線側駅舎棟側面の足場が高く組まれて工事覆いが全体に被せられ、下り線側でも足場が高く組まれて駅舎棟の築造が進展してきました。

 駅舎棟の構築が進む7(:ホーム上の工事が見られる、:上り線側外部に高い足場が築かれる、:下り線側にも高い足場が築かれる1021)

10月31日に駅舎棟の工事状況を見ると、下り側北方付近で多数の工事者により駅舎棟の築造工事を行っており、ヤードがオープンされたところからの工事現場を見ることができました。また、11月13日には、駅舎北方の屋根棟骨組みの下側に作業覆いが付けられており、工事の一歩一歩と進展していることが見られます。

 駅舎棟の構築が進む8(:駅舎棟屋根骨格に作業覆いが付く1113、:多数の作業員により駅舎棟築造工事中、:下り線北方付近の駅舎築造状況1031)

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大森町界隈あれこれ 大田産業プラザ 第30回日本鉄道模型ショウ

2009年11月14日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2009
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日本鉄道模型ショウ
毎年秋に大田産業プラザ(PIO)で日本鉄道模型ショウが開催され、今年は10月24日(土)、25日(日)に行われましたので、鉄道模型のファンではないのですが昨年に引き続き(「イベント 大田産業プラザ 第29回日本鉄道模型ショウ」参照)、24日の京急蒲田駅の高架化工事の取材の帰りに見てきました。

 第30回日本鉄道模型ショウ会場

今年は第30回目の日本鉄道模型ショウで日本鉄道模型連合会(JMRA)の主催で、例年通り1階の大展示ホールで鉄道模型や書籍の展示販売を行い、入場料は1000円(保護者同伴の小学生以下無料)で「日本鉄道模型連合会カタログ2009」が貰えす。2階の小展示ホールではHOおよびNゲージレイアウトを展開展示して誰でも車両の運転ができ、また実物運転台でHOの走行が楽しめて入場料は無料です。

 第30回日本鉄道模型ショウのチケット

1階大展示ホールに入ると、昨年入口近くに出展されていた集合式レイアウトの展示は今年はなく、何か会場の空きスペースが目立ち広く感じました。

 日本鉄道模型ショウ会場レイアウト

出展社も例年と同じようで、入場者は鉄道マニアが多く比較的年齢層が高いようです。2日間にわたり、鉄道大好きのタレントの中嶋春香さんのトークショーが行われてましたが、女性の入場者は殆ど見かけられず、小学生の保護者同伴として母親が付いてきた程度です。

 日本鉄道模型ショウ会場風景(写真拡大)

鉄道模型で人気の高いのはジオラマです。精巧なジオラマの田園風景を眺めていると、故郷の遠い想い出が甦ったり、楽しかった旅を思い出して感傷にさらされます。

 ジオラマ(写真拡大)

鉄道模型展示の車両は、Nゲージ、HOゲージやHOナローなどの様々のシリーズが出展され、新幹線をはじめとしてJRや国鉄の新旧の各種車両から、私鉄、地方軌道および国外模型などあらゆる車両が勢揃いです。鉄道模型のキットや完成品の価格を見ると、数千円から数十万円と様々ですがちょっと手が出ません。

 鉄道模型展示(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

・中嶋春香トークショー
タレントの鉄道ファンの中嶋春香のトークショーin日本鉄道模型ショウが24、25日の両日の14時から行われました。24日に日本鉄道模型ショウを見に行った時にトークショーを行っていましたので覗いてみました。トークショーでは、鉄子さんの好きな車体は281系特急はるか、ロマンスカーVSE、E233系、N700系新幹線などだそうで、ショーの最後はクイズゲームをしていました。

 中嶋春香のトークショー

・小展示ホール
2階の展示ホールでは、HOおよびNゲージレイアウトを出展してあり、実物そっくりの運転台で自由に車両の運転ができます。子どもにとっては憧れの車両運転のレイアウトですが、鉄道模型ショウでは大人の模型ファンが運転をして見たり、快適に走る列車を追って眺めていると時間の経つのが忘れるひと時の様です。

 小展示ホールレイアウト(左上中上右上左下・中下・右下写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第5回)

2009年11月11日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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京急連続立体化工事駅舎編(3)
第5回の記事では、駅舎編の第3回目として京急蒲田高架駅の、これまでの築造の経過を纏めてみました。

京急蒲田高架駅舎
京急蒲田高架駅は3階建ての高架駅で、2階高架駅は本線の上り線ホームと共に、空港線羽田からの都心直通の上り線と横浜方面からの羽田行きの直通列車用空港線ホームが築造されています。また、3階高架駅は本線の下り線ホームと共に、都心方面から羽田行き直通列車用と羽田から横浜方面行きの直通列車用空港線ホームが築造されています。
この京急蒲田高架駅の構造は、第3工区建設担当の多摩堤通り(梅屋敷第4踏切)ガード上から始まり呑み川ガードを渡ります。在来線京急蒲田駅出入り口付近から南の第4工区建設担当の高架駅は、旧多摩堤通り(京急蒲田第2踏切)ガードの北側までと、第4工区築造の北側4面高架橋RS61(高架橋工事図参照)から空港線には急カーブで第1京浜国道ガードを渡りますので、空港線用のホームは多摩堤ガード上からこの高架橋RS61までが高架ホームとなります。

・第3工区高架駅舎築造
第3工区高架駅建設の高架橋の築造は9月にはほぼ出来上がっており、多摩堤通りガードの架橋も同時期には完了し、同ガード上には駅舎棟の骨組みの築造(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第2回その2)」参照)が始まりました。これより駅舎棟は同ガードから建設が南方向へと始められ、10月12日には駅舎棟の骨格柱が4本建てられました。10月14日には南北の2柱間に屋根骨組みが付けられました。

 多摩堤通りガード上に駅舎棟築造が始まる(左:多摩堤通りガード上に駅舎棟柱が建つ1012、右:屋根骨組みが付く1014)

10月17日には骨格柱の中央部にも屋根骨組みが付いて、作業用の覆いが被せられました。同19日に見ると、屋根の中央部に半円丸型のかまぼこ屋根骨組みがつけられました。

 多摩堤通りガード上の駅舎棟築造が進む(左:工事用覆いが被せられる1017、右:半丸かまぼこ屋根が付く1019)

11月5日に見ると多摩堤通りガード南側の高架橋上に駅舎棟の築造が行なわれ、これから高架駅舎棟の建設が進展するようです。

 第3工区築造の高架橋上に駅舎棟の建設が始まる(左・右:高架橋上に駅舎棟築造1105)

・第4工区高架駅舎築造
第4工区の高架橋の築造は6月にはほとんど完成しており、同28日には北端の高架橋RS61(高架橋工事図参照)上に、駅舎棟が築造され南へと建設が進んで行きます。

 第4工区高架橋RS61上に駅舎棟の築造が始まる(左・右:高架橋RS61上に駅舎棟築造0628)

8月27日に見ると、高架橋RS61上に建設の駅舎棟は南方に延長築造され、さらに、高架橋RS62上にも駅舎棟が築造されました。

 第4工区駅舎棟の築造が進む(左:高架橋RS61上の駅舎棟築造が南に延びる、右:高架橋RS62上に駅舎棟が築造される0827)

10月2日には、高架橋RS61上の駅舎棟と同高架橋RS62間に屋根鋼材板の取付工事が行われていました。

 駅舎棟間の屋根部接続工事(左・右:駅舎棟間の屋根が繋がる1102)

10月8日には第4工区の駅舎棟は高架橋RS61からRS65までの高架橋上に築造されており、台風18号の襲来で駅舎棟を覆っていた作業用の覆いが取り除かれ、駅舎棟の骨格構造を見ることができました。

 台風18号の襲来で工事覆いが外される(高架橋RS61~65上の全てが連結完了の駅舎棟1008)

10月14日に見ると、ヤード脇の作業台上に駅舎棟中央部に付ける半円形のかまぼこ屋根骨材が集荷されており、同19日には新たに1機のかまぼこ屋根骨材がヤードに入荷しているのが見られました、ヤード入口から見る屋根骨材はかなり大型なものです。11月5日には、駅舎棟の中央部には半円形の白色かまぼこ屋根骨材が付けられていました。

 駅舎棟上に半円かまぼこ屋根組み骨材が付(左・:かまぼこ屋根の集荷1019/14、:かまぼこ屋根が付く1105)

11月5日に見ると、京急蒲田第2踏切の北部分と同蒲田駅西口出入り口付近の駅舎棟の一部がお披露目されて、駅舎壁面の一部が見られ落ち着いた感じの淡い色で塗色の帯が見えます。

 駅舎棟の一部がお披露目(左:京急蒲田第2踏切北側、右:京急蒲田駅西口付近1105)

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大森町界隈あれこれ 大森学園創立70周年 徒弟学校から戦後焼跡工場仮校舎の歴史を追う(第1回その2)

2009年11月09日 | 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
kan-haru blog 2009 

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大森学園創立時の時代背景
大森学園70年前の大森機械工業徒弟学校創立を理解するため、当時の時代背景を知る必要があり、「転換期における地域社会と生活の変容」1)、「工場まちの探検ガイド」2)などの資料から探ってみました。
・大森の工業化
1904年(明治37年)の日清・日露戦争の経験により軍需工業の強化の要請が高まり、近隣の区の機械金属工業の下請け工場の必要性が強まってきました。
大森では1908年(明治41年)に現大森東3-28に東京瓦斯大森製造所の建設許可がおりてからが、工業化の出発点と考えられます。なお、大森町での電灯の点灯は早く、1901年(明治34年)に京浜電気鉄道により配電供給がされていました。

 明治41年頃の東京瓦斯大森工場(工場まちの探検ガイド 大田区立郷土博物館出典)

既に隣の品川区では、1869年(明治2年)にビール製造所(現東大井3)が設立され、1873年(明治6年)ガラス製造会社が目黒川沿いに建設され、後に製薬会社の三共となり品川の工業化の核となりました。
1906年(明治39年)には後の明治製糖となった製糖会社が多摩川沿いに設立され、翌年には後の東芝となった東京電気が現川崎市堀川町に工事部を設置したほか、1913年(大正2年)に富士紡績が久根崎付近に工場用地を購入し、工業化は品川から多摩川を越えて川崎に渡りました。当時大森の工業化の遅れは、伝統的な海苔養殖業が盛んで漁民や海苔業者が海を汚す工場建設に反対していた点にあります。
品川区と川崎が工業地として足場を固めつつある時に、大森では時代の流れに抗しきれず、特に品川区からの影響が強く、工場の新設・転入が活発化してきました。


1914年(大正2年)に第一次世界大戦が起こり、政府は国防的見地から工業化を進めるため1919年(大正8年)に「都市計画法」を公布して、現大田区域も1922年(大正11年)の公告により計画区域に含まれることになりました。また、1925年(大正14年)の「東京都市計画区域内商業地域、工業地域内特別地区及住居地域指定ノ件」の告示によって、大森町の全部と入新井町の一部が工業地帯に指定されました。
その後、1923年(大正12年)に関東大震災が発生し、東京の旧市区内の被害は甚大でありました。「市街地建築物法」などで旧市区内での復旧を見合わせた多くの工業企業家達が、旧市区にも近く比較的に震災被害の少ない大森の工場地帯に移転してきました。

 関東大震災後の工場数と人口の変移(左:町別工場数の変移[大田区立郷土博物館出典]、右:大田区の人口の変遷[大田区史より])

また、第一次世界大戦を経て軍需産業強化の声とともに、軍需工場として周辺に高度加工技術を波及させた日本特殊鋼(1915年設立大森東)や新潟鉄工所(1918年設立蒲田)などの、大・中規模の企業が次々と建設され、さらに、地域整備が進んだことにより、1930年(昭和5年)に東京計器、1937年(昭和12年)に三菱重工が大田区で操業を開始しました。

 昭和9年の大森東の日本特殊鋼(工場まちの探検ガイド 大田区立郷土博物館出典)

これらの企業は加工組み立て型で、工作機械・専用機械・測定機器の資本財中心のリーディングカンパニーの親会社となり、大森には中小工場が下請け工場群として集積してきました。大田区の工場数集積の伸びは飛躍的で、1930年(昭和5年)から1936年(昭11年)の短期間に大森では4倍近く、蒲田では8倍近くに増大しました。
なお、交通インフラの整備も進み、1927年(昭和2年)には第1京浜国道が完成し、1931年(昭和6年)には羽田飛行場が完成し、人口も急増してきました。
この時期は、金融恐慌の時代でしたが、1931年(昭和6年)には東京市の工業生産額が、大阪市を抜いて全国一となりました。

昭和10年代に入り、次第に戦争突入へと向かう日本は、工場(こうば)の町である大森のモノ作り工場から兵器工場へと変貌していき、兵器の生産によって仕事は忙しく活気付きました。大田区の軍需事業所は、東京都内の四分の一が集まり、人材の需要も高くなり仕事を求める人々が大森に集まり、人口が増えてきました。大戦に突入する前の、この頃の京浜急行の大森山谷駅(現大森町駅)の周辺には、沢山の銀行や金融機関が建ち並び、映画館や劇場も多く見られ、現大森警察署の場所には大森区役所があり、大森区の中心街でした。旧東海道の三原通りには夜店が沢山出て、日本特殊鋼管の職工さん達が夜遅くまで出歩き、大変賑わっていました。

 工場数と人口増加の実数(大田区立郷土博物館出典)

・大森機械工業徒弟学校
この急速に工業化の進む時代に生きる軍需拡張の大森工場地帯では、地方出身、特に東北地方出身の多くの少年工達が働くようになりました。大森の中小工場経営者の62社により意欲を出して、これらの少年工達に教育の場を与え、産業の後継者を育成することを目的として1939年(昭和14年)に大森機械工業徒弟学校が創立されました。
徒弟学校は、高等小学校卒を入学資格とし、生徒は昼間には62の加盟工場の従業員として働き、学費は工場側の負担で夜は学校へ通い修業年限は3年です。徒弟学校生の募集は共同募集により、就職先は委員会が加盟工場に振り分けました。
当時は、工業系の学校が少ないことや、雇い主の無理解で働きながら学校へ通うということが難しい時代で、この大森町の工場経営者達の工業化に対する熱意や、ネットワークの先取りは意気を感じさせられます。

1942年(昭和17年)になると、財団法人大森工業学校の設立が認可されて、夜間部は大森機械工業徒弟学校生徒中の希望者を試験の上入学させ、昼間部は一般の尋常小学校卒の生徒を受け入れるように制度を改められました。

 大森・蒲田の中規模・大規模機械工場集中地域図(工場まちの探検ガイド 大田区立郷土博物館出典)

その後、1945年(昭和20年)4月15日の大森町大空襲の爆撃により大森工業学校は全焼したため、戦後の森が崎の工場跡の仮校舎での授業が始まり、現校地への工場棟移築の校舎再開(1948年3月)と苦難の道を歩むのですが、1950年(昭和25年)の朝鮮戦争の特需により我が国の工業も活気付きました。
これらの中小工場で高い加工技術を身につけた多くの職人達が、大戦後の大田区で独立創業して、中小企業による一大集積地を形成し大森のものつくりの地域技術を蓄積してきました。

脚注
1) 「転換期における地域社会と生活の変容PART<3>」 第3章 大森西地区(大田区大森西1丁目~7丁目)  浦野正樹+「産業と地域」研究会編 [発行] 早稲田大学地域社会と危機管理研究所/早稲田大学文学部社会学研究室 2001年3月31日
2) 「工場まちの探検ガイド」 [編集・発行]大田区立郷土博物館 1994年7月3日発行

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大森町界隈あれこれ 大森学園創立70周年 徒弟学校から戦後焼跡工場仮校舎の歴史を追う(第1回その1)

2009年11月07日 | 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
kan-haru blog 2009 

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創立70周年記念行事
わが学びやの大森学園高等学校(大田区大森西3-2-12)では今年創立70周年を迎えて、数々の記念の行事が行われました。
5月23日にはグランドプリンスホテル新高輪「飛天の間」で、約500名を招待して行われた大森学園創立70周年祝賀会に、参加させて頂きました。

 大森学園創立70周年祝賀会(写真拡大)

6月27日に大田区産業プラザ(PIO)で開催した創立70周年記念総会・祝賀会は、約250名が参加して午前の記念総会には写真家・須山貴史(昭和56年電気科卒)さんの講演「海からの贈り物」がありました。

 海の祝祭日(須山貴史著)

午後からの祝賀会では恩師の須田恵吉先生の乾杯の音頭で祝杯が始まり、大森はやし会の祝舞やブラスバンド演奏などで盛会に執り行われました。

 創立70周年記念総会・祝賀会(左上:須山貴史氏の講演、中上:鏡開き、右上:須田恵吉先生の乾杯の音頭、左下:昭和27年卒業生、中下:祝舞、右下:ブラスバンド演奏)

創立70周年の出来事
大森学園では地元に密着した行事に参加したりして地域との共生活動を行っており、これは他校では見られない実践行事です。
9月27日には、恒例の学園祭が開催され地域の人も見学に訪れていました。会場には、長期間ボランティア活動を続けている「おもちゃの病院」とタイなどに送る車いすの点検整備活動を見せていました。10月31日には車いす修理会が行われ、OBなど110名が参加して23台の車いすを送りました。

 大森学園祭(:おもちゃの病院、:車いす修理)

これに関連して、今年創立70周年を迎えた大森学園に相応しく、長期のボランティア教育活動が認められて、「第58回読売教育賞」最優秀賞を受賞して、7月17日に表彰状と記念盾が授与されました。

 第58回読売教育賞受賞(地域社会教育活動最優秀賞 ヨミウリ・オンライン)

11月1日には、大森学園ふちの内川の対岸にあるこらぼ大森グラウンドで地域イベント恒例の「ポレポレECOまつり」に模型部・将棋部メンバーや生徒会から参加して、まつり後の片付けなどの様々なボランティア活動に地域住民が感謝しています。

 ポレポレECOまつり(写真拡大)

大森学園70年の歴史
今年は大森学園70周年の節目を迎えましたが、現在は立派な新校舎が完成して活動期を謳歌していますが、70年前に現大森学園理事長米沢正倫氏のお父さんの米沢勇作氏が、大森地区の中小機械工場の協力による大森機械工業徒弟学校創立の生みの苦しみと共に、その後の1941年(昭和16年)の世界大戦により終戦の年の1945年(昭和20年)の大森大空襲の戦災で校舎が全焼し、森が崎の工場焼け跡での仮校舎時代の苦難の時代を経て今日があるのです。

・戦前時代
私が大森町に住み始めたのは、1948年(昭和13年)に父の転勤により勤務事務所の2階に転居して以来、途中の2年間程戦局の悪化により学童疎開で茨城と栃木で過ごした以外は大森の住民として過ごしました。
大森町に移り住んで翌年の1949年(昭和14年)4月に、当時は諏訪神社の横にあった日新幼稚園に通園することになり、住宅のあった当時大森区役所前の産業通りから、内川橋を渡って北岸を京浜急行線の踏切を越えて見た内川の不自然な人工的な直線の印象は今でも鮮明に残っています。
奇しくも幼稚園に入園の年が、対岸の内川南岸で大森機械工業徒弟学校の創立を迎えた時ですが、その折には年令的にまだ大森学園とは関係がありませんでした。

 大森工業学校校舎(大森学園70年の軌跡DVDから)

・戦後時代
大森学園との縁は、終戦の翌年(昭和21年)の国民学校(小学校)卒業による進学によるもので、敗戦の日本は物資・食糧の何もかもが欠乏しており、電車通学は困難であるため、戦後住まいの大森ガス会社横の仮住居から程近い森が崎仮校舎で授業を行っていた、旧制大森工業学校に入学しました。
翌1947年(昭和22年)の学生改革により、小中高教育は6・3・3制の制度となり、2学年目から大森学園中学校の私立新制中学生に編入されました。新制高校は、大森工業高等学校の校名となりました。
1949年(昭和24年)に大森工業高等学校の電気通信科に入学し、1952年(昭和27年)3月に卒業しました。この間の中学、高校時代の記録は当ブログ記事に詳しく記載してあります。(「大森町学びや もりこう会の集い(その1~4)」参照)
また、大森町の4月15日の大空襲の状況は、当ブログの若山武義氏の手記に詳しく記載(「大森町界隈あれこれ(12) 鎮魂!大森町大空襲(第6~9回)」参照)してあります。

 森が崎仮校舎(大森学園70年の軌跡DVDから)

・大森学園生い立ちの記録
大森町の中心を東西に流れる内川沿いにある、いまの大森学園の生い立ちとなる大森機械工業徒弟学校創立に係わる資料を、理事長の米沢正倫氏からお借りすることが出来ましたので70周年を期に、大森学園創設から徒弟学校の終焉までの歴史を次回から紐解いてみたいと思いますので応援願います。

 大森機械徒弟学校資料

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(11月分掲Indexへ)
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第4回)

2009年11月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 姿を現した梅屋敷高架駅舎棟の骨格

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京急連続立体化工事駅舎編(2)
第4回の記事では、駅舎編の第2回目として梅屋敷高架駅の、これまでの築造の経過を纏めてみました。

・梅屋敷高架駅舎
梅屋敷高架駅舎棟の築造は、2009年5月21日にホーム中央部付近の高架橋にホーム構築の突き出し梁が付けられ、突き出し梁間にI型鋼梁が架けられ、それに補強のI型鋼が組まれて高架駅橋築造の最初の土台が出来ました。同6月30日には、現用4輌停車ホームの北方の大森町第4踏切を越えて、踏切北側高架橋上まで高架駅ホームを延長して組まれた高架駅築造土台の底部が塞がれ、土台上にI型鋼格子組み立てホーム台の築造が開始されました。

 梅屋敷高架駅築造1(:最初の高架駅築造土台が出来る09年05月21日、:商店街通り上では現ホームより延長されて高架ホーム台が築造される06月30日)

7月28日に見ると、梅屋敷駅南方側ホーム上の高架橋までの間にホーム台が築造され、さらに梅屋敷第1踏切上にも延長されたY字形の狭さくホーム台が、同踏切ガードの中間点までガード桁に直接付けで付けられました。

 梅屋敷高架駅築造2(:駅南方ホーム上までホーム台を築造、:梅屋敷第1踏切ガード上にもホーム台を築造07月28日)

また、同日にはホーム中央部付近の高架ホーム台から高架橋ホームの踊り場の間に階段が付けられました。梅屋敷高架駅ホームへの昇降方式は、高架橋の中間に踊り場が設けられ、上下ホームから踊り場に降りて、踊り場間連結部の中央から地上に達する形態(平和島駅方式)が取られています。
8月8日には、高架ホーム台には、駅舎棟構築のための足場が組まれました。

 梅屋敷高架駅築造3(:上下線高架ホームから踊り場まで階段がつく07月28日、:駅舎棟構築の足場が組まれる08月08日)

8月27日には、ホーム中央部から北方側に高架駅舎棟柱の骨組みが建てられました。また、同28日には、下り側ホームの高架ホーム台と踊り場の間にエスカレータ台が設置されました。

 梅屋敷高架駅築造4(:ホーム中央から北部に駅舎棟柱が建つ08月27日、:下りホームの踊り場までエスカレータが付く08月28日)

9月8日に見ると、骨格が組み上がった高架駅舎棟柱の南方側から、工事用の覆いが被せられてきました。

 梅屋敷高架駅築造5(:駅舎棟南方部には工事覆いが被される、:駅舎棟中央部では工事覆い掛け作業準備が始まる、:工事覆いを掛けられる前の商店街通り上の駅舎棟09月08日)

9月18日には、梅屋敷高架駅舎棟の全体に工事覆いが被せられ、本格的に築造工事が始まりました。

 梅屋敷高架駅築造6(:工事覆いで囲われた北方部駅棟舎、:工事覆いで囲われた中央部駅棟舎、:工事覆いで囲われた南方部駅棟舎09月18日)

しかし、10月8日には台風18号が本土に襲来し、駅舎棟に被せられた工事覆いが、風抜きのために外されましたが、翌日には工事覆いが元に復され築造工事が再開されました。

 梅屋敷高架駅築造7(:台風で覆いが外された北方駅舎棟、:同中央駅舎棟、:同南方駅舎棟10月08日) 

同31日に見ると、下りホームに敷設されている昇降階段の鋼鉄骨組みに、階段の段々が付けられました。また、築造の駅舎棟には、屋根葺き工事の準備が見られました。

 梅屋敷高架駅築造8(:下りホーム昇降階段に段々が付く、:屋根葺きの準備が始まる10月31日、:屋根が葺かれる11月05日)

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大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2009.11.03)

2009年11月03日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2009 演奏前の緊張した和太鼓奏者

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大森町界隈の秋のイベントニュースの第一報です。

○ ポレポレエコまつり(11月1日)
毎年恒例の子ども交流センター主催の第6回「ポレポレエコまつり~地域でつくる江戸のまち~」が、好天で暑い日差しの中11月1日12時から15時30分まで芝生が敷き詰められた「こらぼ大森グラウンド」で開催されました。

 ポレポレエコまつりポスター

こらぼ大森の子ども交流センター(大田区大森西2-16-12)は、地域住民の区民活動支援施設であり、ポレポレエコまつりは周辺地域の町会、民生委員、幼稚園・小学校父母会、大森学園などの近隣高校の生徒などの多数のボランティア活動で運営されており、過去に開催の掲載記事(2008年開催2006年開催)を参照して下さい。

 ポレポレエコまつり会場図

13時過ぎに着くと、会場は父兄に連れられた幼児や児童と友達同士で来た沢山の人で埋め尽くされ、天気にも恵まれて大盛況でした。

 会場は好天に恵まれて大盛況

子どもたちは、大変と興味を持って江戸の時代の籠に乗ったり、石臼を挽いたり、纏いを振ってみたり、髪結いや藍染の体験、テープの渦や新聞紙の海に潜ったりの挑戦をして昔を認識しておりました。また、風力発電に風をおくり電気を起こしたり、将棋で遊んだり、お化け屋敷や普段触れない世界を楽しんでいました。

 子供たちは興味を持っていろいろと挑戦(:石臼で挽いてみる、:籠に乗ってみる、:風力発電で電気を起こして見る)

食の市には大人向けに産直野菜販売、お茶席、手作りクッキー、トン汁屋などが店を開き、子ども向けには江戸クッキー、おでん、あめ、ソースせんべいなどを売っていました。
展示コーナーでは「江戸時代の防災に学ぶ」や子ども交流センターの活動を紹介していました。また、今年は特別に起振車が出動して地震の体験に大勢の人が参加して、防災の認識普及を進めていました。

 会場風景(:食の市場、:展示コーナー、:起振車)

芝居小屋では、よさこいソーラン、南京玉すだれ、太極拳演武、獅子舞・お囃子などいろいろなパーフォマンスを披露しており、最後の和太鼓演奏が人気で、今年の春に新参の子どもたちも立派に演奏を見せてくれました。

 芝居小屋の熱演(:獅子舞、:今春新入者組の和太鼓演奏、:熱演の和太鼓演奏) 

○ 大森西三丁目連合町会総合防災訓練(10月18日)
大森西三丁目連合町会主催の恒例秋の防災訓練が、好天の10月18日に開催されましたので参加しました。集合場所は、町会指定の1組の避難場所で内川北岸の第1京浜国道際のメイツ大森西前に8時30分に集まり、定刻に点呼を採り全員がロープに掴まり縦隊を組んでで訓練会場の開桜小学校に向かいます。校庭につくと、先ず煙体験テント内を参加者全員が通り抜けてた後、中央に整列して防災訓練の開始です。

 防災訓練の風景1(:集合場所からロープに掴まり訓練会場に向かう、:会場に着くとテントで煙潜りの体験をする、:防災訓練のセレモニー)

訓練は全体を3組に分けて、消火器取扱、人工呼吸とAED操作、119番消防通報体験に別れて訓練が行わました。1組は先ず消化器の取り扱い方で火災場所への放出を全員で行い、アトラクションでは火災訓練参加の子ども向けに消化器放出で風船割りが行われ、消化器操作の体験を学びました。次の体験訓練は、呼吸停止に陥った人の救命で心肺蘇生方法とAEDの操作体験を代表者の実演で訓練をしました。

 防災訓練の風景2(:消化器放出体験、:子どもにも消化器体験、:人工蘇生体験)

最後の訓練は、119番消防通報の体験を消防署員との電話応答で学びました。

 防災訓練の風景3(:119番消防通報の体験、中:市民消火隊メンバー、右:市民救護隊メンバー) 

体験訓練の後は、市民消火隊と救護隊員により、地震災害家屋に閉じ込められた被災者の救護活動訓練と、消火隊による放水訓練を見学し、非常食などの品物が配られ解散しました。

 防災訓練の風景4(:天災で家屋に閉じ込められた人の救護活動、:怪我人を救護所まで搬入し救護活動、:市民消火隊の放水訓練)

○ 大森西三丁目大寿会第一クラブ定例会・誕生会(10月21日)
大田区老人クラブ連合会大森西三丁目大寿会第一クラブでは、定例会と8、9、10月生まれの方の誕生会を、10月21日に諏訪神社諏訪会館で開催しましたので、該当者として出席しました。
会長の挨拶後乾杯にて定例会が開始され、誕生月該当の誕生者の紹介があり、お弁当を食べながらの歓談の後、大森警察署生活安全課防犯係警部補 甲斐氏の大森地区の犯罪の話を聞き防犯の筆立てセットや資料が配布されました。

 大寿会第一クラブ定例会1(左:会長の独演、中:大森警察署の防犯の話、右:防犯筆立ての説明)

定例会のお楽しみの余興の時間に入り合唱、カラオケ、舞踊と和やかに過ごしました。

 大寿会第一クラブ定例会2

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・カテゴリー別Index イベント総目次
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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 11月INDEX

2009年11月01日 | INDEX
kan-haru blog 2009 11月1日24版

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全て(2006年3月から最新登録まで)の検索ができます。
また、京浜急行の高架化の駅別工区をキーとした、大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次を新設しました。

[K&A kan-haru 日記の見方について]
ブログ左覧のガイド板「カテゴリー」には、kan-haru日記のカテゴリー名とカテゴリー毎の記事登録数が掲載されております。
カテゴリー名の「ようこそ kan-haru日記へ」欄内には、次に示す日記の総合目次と日記を見るためのガイダンスが掲載してあります。
総合目次は、この月間INDEXと統合しており、同一のカテゴリー別目次を併用しております。
「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、この日記を見るためのガイダンスを記載してあります。日記の見方について (その1)の解説には、カテゴリー別の概要説明と共に、カテゴリー項目からは当該カテゴリーの第1回登録記事から最終・最新の登録までの全ての記事の索引が行えるようにカテゴリー別INDEXと結合してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新
・ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その3) (未完)

[ブックマーク からカテゴリー別目次を見る]
ブログ左覧のガイド板の「ブックマーク」に、カテゴリー別目次を登録しました。カテゴリーを選択するとカテゴリー別の目次が見られます。
閲覧日記と同一のカテゴリーの目次は、記載日記最後尾のカテゴリー別Indexから見られます。

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ブログ左覧のガイド板「ブックマーク」の[kan-haru日記 総合目次]を指定すると、「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」内のカテゴリー別総合目次を参照できます。
各閲覧日記の先頭または後尾に記載の"< 総合INDEX へ" からも最新の目次が見られます。

[ブログ記事内の参照地図・写真などを拡大して見るには]
次の2006年3月月間INDEXに方法が記載してありますので、参照して下さい。
番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の09年10月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第1回その1) 10月7日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第1回その2) 10月9日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第2回その1) 10月17日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第2回その2) 10月19日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第2回その3) 10月21日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第3回その1) 10月29日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第3回その2) 10月31日
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント  
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 全工区統合 2009年版大森町付近工区2006・2007年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2009年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2006~2008年版京急蒲田付近工区2009年版雑色付近工区糀谷付近工区

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008・2009年版
22 小さな旅 総目次
 ■ 小さな旅 曼珠沙華まつり 秋の高麗の里巾着田に真っ赤に色づく彼岸花の郷(その1) 10月3日
 ■ 小さな旅 曼珠沙華まつり 秋の高麗の里巾着田に真っ赤に色づく彼岸花の郷(その2) 10月5日
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009年版
 ■ イベント 横浜・開国博Y150 これまで見た博覧会と比較して見る(その1) 10月11日
 ■ イベント 横浜・開国博Y150 これまで見た博覧会と比較して見る(その2) 10月13日
 ■ イベント 横浜・開国博Y150 これまで見た博覧会と比較して見る(その3) 10月15日
 ■ イベント こどもの城 第13回図工だいすき子ども美術展 10月23日
 ■ イベント 鉄道の日 第16回鉄道フェスティバル(その1) 10月25日
 ■ イベント 鉄道の日 第16回鉄道フェスティバル(その2) 10月27日
26 ITと技術 総目次
27 Weblog 総目次

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