kan-haru blog 2009 植樹された3本の梅の木
< 総合INDEX へ
大森町界隈の晩秋のイベントニュースです。
○ 大森三丁目連合町会60周年記念行事
大森三丁目連合町会では2009年が町会創立60周年に当たり、11月8日(日)に大田区長の出席のもとで、大森諏訪公園に区の木である白、ピンク、赤色の梅の木3本の記念植樹式典が行われました。
大森三丁目連合町会60周年記念行事(左・中・右写真拡大)
10時に植樹記念式典の受付が済むと、田口大森三丁目連合町会長、松原忠義大田区長の挨拶と大田区長から町会への表彰がありました。
植樹式(左:開会の辞、中:町会長挨拶、右:区長挨拶)
続いて、諏訪公園中央の西側奥の花壇に記念植樹が行われました。
記念植樹(左・中・右写真拡大)
植樹行事終了の挨拶の後、11時から公園の隣の福祉作業所に来賓が移動して、祝賀会が開催されました。また、公園内では、模擬店販売所でとん汁が振る舞われて、米、魚、野菜などが販売され行列して完売しました。
模擬店食料品販売(左・中・右写真拡大)
・大森諏訪公園
大森諏訪公園は、広さが1,286㎡(約390坪)で、地元の要望に応えて造成(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.22)」参照)された幼児用遊具施設と身障者が使用可のトイレ施設と、広場だけの樹木の少ないオープンに開けた明るい公園です。
元々は現在の大田福祉作業所(大田区大森西3-3-9)の場所に存在しており、現在の諏訪公園跡にあった福祉作業所の建て替えのために場所を交換して造られたため、2008年春に完成した新しく衣替えの公園です。
諏訪公園の由来は、大森西三丁目の鎮守様の諏訪神社から付けられたようです。
大森諏訪公園付近地図
・諏訪神社
諏訪神社(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺(1) 諏訪神社その1」参照)は大森三丁目連合町会の鎮守様で、旧大森村には11の神社があり、現在の大森西3丁目界隈の地を「山谷(さんや)」と称し、山谷の鎮守で創建の年代は詳らかでないが1964年の氏子会で500年祭を執行されました。諏訪神社の境外末社に金山神社があります。諏訪会館は、1962年頃町会員の要望により町会会館建設の機運が高まり、建設資金を積み立てられましたが、当時は物価上昇時代で積立だけでは建築ができず、1978年に町会会員と氏子会員の寄付を募り、1979年3月に鉄筋2階建て83坪の会館が落成しました。
・連合町会の歴史小史
大森三丁目の連合町会の発足は、1949・50年(昭和24・25年)に現大森西3丁目の全域と、西2丁目の1部区域の西町会と旧明和会を併合して、大森三丁目連合会ができました。町会発足の1949年頃は世界大戦後から間が無く、町会界隈は一帯が焼け野原で、西には国電が、東には第1京浜国道に時たま通る車が見え、北は現環7通りの沢田通りから、南は蒲田が見通せました。京浜急行の現大森町駅の山谷駅は焼け落ちて廃業の状況の中、町会内の焼け跡にバラックが建てられ始めました。町会創立から創立35年頃までの歴史を振り返ってみます。
連合会の発足は、世話人として行川富五郎、富田実、酒井幸男、野口祐方、行川善吉、稲垣庄平、鍋谷軍治、米沢チエの諸氏が奔走されました。
また、顧問として安藤章一郎、米沢勇作、守屋長蔵の諸氏によりスタートしました。
町会歴史小史1(町会歴史小史2、町会歴史小史3)
○ 大田区老人クラブ連合会第23回文芸作品展
大田区老人クラブ連合会は、15ブロックの156クラブで構成されており、本年は第23回文芸作品展が、東急多摩川線下丸子駅前の大田区民プラザ(大田区下丸子3-1-3)で11月10日から12日まで開催されました。
第23回文芸作品展会場風景(左・中・右写真拡大)
今年も会場の展示コーナーでは、大森西三丁目大寿会第一から第三クラブの作品が横に並んで展示され、第一クラブでは4名の方が出品して書道と鶴の置物や小箱、箸袋などの芸を極めた装飾作品を展示されました。
大寿会クラブ展示コーナー(左:大寿会第1~3クラブ展示コーナー、中・右:大寿会第1クラブ展示作品)
< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(11月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 大田産業プラザ 第30回日本鉄道模型ショウ へ
次回 大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の師走のイベントと出来事(2009.12.23号) へ
< 総合INDEX へ
大森町界隈の晩秋のイベントニュースです。
○ 大森三丁目連合町会60周年記念行事
大森三丁目連合町会では2009年が町会創立60周年に当たり、11月8日(日)に大田区長の出席のもとで、大森諏訪公園に区の木である白、ピンク、赤色の梅の木3本の記念植樹式典が行われました。
大森三丁目連合町会60周年記念行事(左・中・右写真拡大)
10時に植樹記念式典の受付が済むと、田口大森三丁目連合町会長、松原忠義大田区長の挨拶と大田区長から町会への表彰がありました。
植樹式(左:開会の辞、中:町会長挨拶、右:区長挨拶)
続いて、諏訪公園中央の西側奥の花壇に記念植樹が行われました。
記念植樹(左・中・右写真拡大)
植樹行事終了の挨拶の後、11時から公園の隣の福祉作業所に来賓が移動して、祝賀会が開催されました。また、公園内では、模擬店販売所でとん汁が振る舞われて、米、魚、野菜などが販売され行列して完売しました。
模擬店食料品販売(左・中・右写真拡大)
・大森諏訪公園
大森諏訪公園は、広さが1,286㎡(約390坪)で、地元の要望に応えて造成(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.22)」参照)された幼児用遊具施設と身障者が使用可のトイレ施設と、広場だけの樹木の少ないオープンに開けた明るい公園です。
元々は現在の大田福祉作業所(大田区大森西3-3-9)の場所に存在しており、現在の諏訪公園跡にあった福祉作業所の建て替えのために場所を交換して造られたため、2008年春に完成した新しく衣替えの公園です。
諏訪公園の由来は、大森西三丁目の鎮守様の諏訪神社から付けられたようです。
大森諏訪公園付近地図
・諏訪神社
諏訪神社(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺(1) 諏訪神社その1」参照)は大森三丁目連合町会の鎮守様で、旧大森村には11の神社があり、現在の大森西3丁目界隈の地を「山谷(さんや)」と称し、山谷の鎮守で創建の年代は詳らかでないが1964年の氏子会で500年祭を執行されました。諏訪神社の境外末社に金山神社があります。諏訪会館は、1962年頃町会員の要望により町会会館建設の機運が高まり、建設資金を積み立てられましたが、当時は物価上昇時代で積立だけでは建築ができず、1978年に町会会員と氏子会員の寄付を募り、1979年3月に鉄筋2階建て83坪の会館が落成しました。
・連合町会の歴史小史
大森三丁目の連合町会の発足は、1949・50年(昭和24・25年)に現大森西3丁目の全域と、西2丁目の1部区域の西町会と旧明和会を併合して、大森三丁目連合会ができました。町会発足の1949年頃は世界大戦後から間が無く、町会界隈は一帯が焼け野原で、西には国電が、東には第1京浜国道に時たま通る車が見え、北は現環7通りの沢田通りから、南は蒲田が見通せました。京浜急行の現大森町駅の山谷駅は焼け落ちて廃業の状況の中、町会内の焼け跡にバラックが建てられ始めました。町会創立から創立35年頃までの歴史を振り返ってみます。
連合会の発足は、世話人として行川富五郎、富田実、酒井幸男、野口祐方、行川善吉、稲垣庄平、鍋谷軍治、米沢チエの諸氏が奔走されました。
また、顧問として安藤章一郎、米沢勇作、守屋長蔵の諸氏によりスタートしました。
町会歴史小史1(町会歴史小史2、町会歴史小史3)
○ 大田区老人クラブ連合会第23回文芸作品展
大田区老人クラブ連合会は、15ブロックの156クラブで構成されており、本年は第23回文芸作品展が、東急多摩川線下丸子駅前の大田区民プラザ(大田区下丸子3-1-3)で11月10日から12日まで開催されました。
第23回文芸作品展会場風景(左・中・右写真拡大)
今年も会場の展示コーナーでは、大森西三丁目大寿会第一から第三クラブの作品が横に並んで展示され、第一クラブでは4名の方が出品して書道と鶴の置物や小箱、箸袋などの芸を極めた装飾作品を展示されました。
大寿会クラブ展示コーナー(左:大寿会第1~3クラブ展示コーナー、中・右:大寿会第1クラブ展示作品)
< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(11月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 大田産業プラザ 第30回日本鉄道模型ショウ へ
次回 大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の師走のイベントと出来事(2009.12.23号) へ