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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第10回)

2007年11月03日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2007

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大森町駅付近高架化工事の現況
大森町駅は、1906年(明治39年)10月1日に梅屋敷と山谷との間で専用軌道化され、道路上から移設し大森山谷駅と称し開業しました。1935年(昭和10年)時代の乗降場は、山谷踏切道を挟んで下りホームは現在と同じ位置の北側にありましたが、上りのホームは反対に踏切道南方の現大森記念病院側にありました。しかし、戦争の末期の頃、上りホームも現在と同じ様に北側に移され、下り駅舎本屋の改札口から入って構内踏切を通って乗り降りする形となりました。

 2006年3月28日には駅売店のあった大森町駅(写真左:東口拡大と中:西口拡大)
 2007年4月29日構内踏切のある大森町駅(写真右:下りホームから望む拡大) 

その後、1945年(昭和20年)4月15日の空襲(「大森町界隈あれこれ(14) 鎮魂!大森町大空襲(第7~9回)」参照)による戦災で焼失し営業休止となり、下り線の石囲い土盛りのホームの残骸が永らくその姿を曝しておりましたが、1952年(昭和27年)12月15日に大森町駅 (「大森町に住んで65年!(その5)」参照) と駅名を変えて営業を再開しました。

 構内踏切撤去後の大森町駅(写真左:拡大、写真中:踏切待ち上り乗客拡大、写真右:踏切に入る大型トラック拡大)

高架化工事のため本年4月29日に構内踏切の撤去(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第3回)」参照)が行われましたが、線路を渡る通路道が大森町第1踏切の1本となったことで、朝の通勤ラッシュには踏切が大混雑に見舞われ収拾がつかなくなりました。そこで、5月21日通勤時に上りホームに臨時の改札口(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第6回)」参照)が設けましたがラッシュの解決にはなりませんでした。

 2007年5月27日下り線路を第一京浜国道寄りに1.5m移動(写真左:移動前、写真右:移設後)

これに並行して、駅上の高架化工事を施工するのに伴い、線路経路のカーブを緩やかにするため下り線路と上り線路のそれぞれを、第一京浜国道寄りに1.5m移動の移設工事(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第7、8回)」参照)が行われました。

 2007年6月20日上り線路を第一京浜国道寄りに1.5m移動(写真左:移設後、写真中・右:第1踏切道幅拡幅)

この工事に際して、大森町第1踏切(大森町商店街通り踏切)道内の道幅が拡幅され(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第9回)」参照)ましので、朝の通勤ラッシュの混雑が何とか収まりました。
これにより、地上の大森町駅上での高架橋工事の着手が可能となり、10月に通知ポスターの工事案内が掲示され、工事機械を品川よりホームの北端部の上に据え付け設置が行われ、いよいよ地上駅上の工事開始の準備ができました。

平和島第5踏切付近の高架橋      大森町駅北端上に移動してきた工事機械

今後は、平和島第5踏切(マルエツ際踏切)の南端から大森町駅ホーム北端部上までの高架橋建築工事が別のペアーの工事機械と連携して進められ、工事の進展につれ工事機械を京急蒲田駅方面に移動させながら高架化が完成していきます。いよいよ、101年にわたり営業していた、大森町地上駅も時代の要請により高架駅に姿を変えようとしています。

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