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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第27回その1)

2012年03月31日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2012 大森町高架駅ホーム上の階段・エレベータの工事覆い3月31日 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.14 

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大森町駅高架下り線ホーム工事
大森町駅高架下り線ホーム工事は、高架橋下り線ホーム下の高架橋柱間に地中梁工事が2月にはほぼ完了した様で、3月6日には階段踊り場近くで、基礎工事が行われていました。

 階段踊り場前のエレベータ設置準備工事(0306写真拡大)

同13日には、クレーンが入りエレベータ設置の準備工事が進められています。

 エレベータ設置の準備工事が進む(0313写真拡大)

同16日には高架ホーム上のエレベータ取付場所の工事準備が行われており、高架下では基礎工事のコンクリート打ちが進められていました。

 エレベータ設置場所の基礎工事(:高架ホーム上のエレベータ設置場所工事準備0316、:エレベータ設置場所のコンクリート打ち0319)

3月の工事は、連日にわたりエレベータ設置の準備工事が進められています。

 連日エレベータ設置準備工事が進む(左上中上:03月23日、右上左下中下:03月26日、右下:03月27日)

下り線仮高架橋築造(内川)工事
・内川北岸の高架橋築造工事
内川北岸の高架橋築造工事は、1月には橋脚柱新P18からP17間に高架橋を築造は済み、2月15日には橋脚柱新P17からP16間の架設が済み、橋脚柱新P16からP15間の築造工事が行われていました。

 内川北岸仮下り線高架橋工事構造説明図(再掲)

3月27日に見ると、内川北岸の高架橋築造の架設は終わり、線路道床のコンクリート打ちも出来ていました。内川仮下り線の橋梁は、工事の底板が外され殆ど完成しています。

 新・旧・仮の内川橋梁が並ぶ(:内川北岸新橋脚P18(中)、:北岸から見た内川橋梁(中)、内川橋梁(手前は仮上り線橋梁):0327)

橋脚柱新P18からP17間の築造高架橋は底板が外され完成しています。同P17からP16間の築造高架橋には底板が付いており工事が続いています。

 新橋脚P18~16間の仮下り線高架橋築造(:新橋脚P18と築造高架橋、:新橋脚P17と築造高架橋、:新橋脚P16と築造高架橋0327)

橋脚柱新P18からP17間の築造高架橋は底板が外され完成しています。この間の高架橋は、仮・新・旧の3高架橋が平和島第2架道を跨ぎます。

 新橋脚P16~15間の仮下り線高架橋(:新橋脚P16と築造高架橋(中)、:新橋脚P15と築造高架橋(中)、:平和島第2架道を跨ぐ仮・新・旧高架橋0327)

内川周辺仮下り線高架橋築造の工事を、仮上り線高架橋および在来下り線の走行車両先頭・後尾・座席車窓から、3月3~31の各日に工事の進況を撮影しました。築造高架橋の工事進捗完成状況を見られます。

平和島から南岸完成高架間.wmv

[クリックすると、仮下り線高架橋築造現場を、仮上り線および下り線の先頭・後尾・座席の各車窓からの撮影各日の工事完成の状況を見られます]

動画をご覧頂けない方は、「平和島から南岸完成高架間.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.7

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(3月分掲Indexへ)
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平和島から南岸完成高架間.wmv

2012年03月31日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

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動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

平和島から南岸完成高架間.wmv
 

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イベント 北鎌倉の梅と江戸期の古雛 北鎌倉古民家ミュージアムのお雛様と東慶寺の梅その2

2012年03月29日 | イベント
kan-haru blog 2012 今年は春が遅く3月20日過ぎになり梅の満開を迎えた

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つるし飾り
「つるし飾り」は、着物の布を解いて作った細工物を紐で繋げて、輪に吊るして飾りにした物で、その起こりは江戸時代とされ、細工物の一つ一つに長寿や健康などを願い女の子が生まれたお祝いとして届けられ、桃の節句に飾ったと云われています。つるし飾りは九州柳川の「さげもん」、静岡稲取の「つるし雛」(「小さな旅 雛のつるし飾りまつりと河津桜まつり その1」参照)、山形酒田の「傘福」などが有名です。

・北鎌倉のつるし飾り
北鎌倉のつるし飾りは、北鎌倉らしい街の風物詩にしていきたいとの思いで、今年は北鎌倉つるし飾り実行委員会(川上靖治委員長)」が主催し、北鎌倉の商店街74軒が協力して、かまくら陶芸館などで開催中の「北鎌倉吊るし飾り展」を中心に、2月7日から4月1日まで街全体吊るし飾りで彩られています。

 北鎌倉吊るし飾り展パンフレット

北鎌倉つるし飾りの企画は、5年ほど前に古民家ミュージアムで展示されていた「源平吊るし飾り」との出会いをきっかけに立ち上がり、2011年3月には試作展を開き、いずれは「北鎌倉吊るし飾り祭り」にまで発展を望んでいます。

 古民家ミュージアムのつるし飾り(写真拡大)

「北鎌倉吊るし展」開催のかまくら陶芸館(鎌倉市山ノ内1385-3)は、古民家ミュージアムと反対のJR線路の西側にある東慶寺から南に4軒目(その1掲載地図参照←ここをクリック)にあ、建物は百数十年前の民家を奥飛騨から移築されてきたもので、2階建てで1階には地元若手陶芸家の陶器・陶人形や、アクセサリー・雑貨、お箸等を展示販売しており、2階はお食事処で季節料理「建長(けんちん)膳」が食せます。

 北鎌倉陶芸館(写真拡大)

「北鎌倉吊るし展」は1階店内のスペースに、尾形光俊、かとうひろみ、嶋本静子、浜肇子と銀の針スタッフおよび北鎌倉陶芸館スタッフの作成の吊るし飾り天井から吊る下げられています。

 陶芸館の吊るし飾り(写真拡大)

東慶寺の観梅
「北鎌倉吊るし展」開催のかまくら陶芸館に行く途中の、東慶寺門前を通りしな、3月22日は暖かな天気に恵まれ梅の香が漂い満開の梅が見えましたので、帰りがけに寄り道して境内で観梅を楽しんできました。
東慶寺(鎌倉市山ノ内1367)は、臨済宗円覚寺派の寺院で、山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺と称して、本尊は釈迦如来、開基は北条貞時が父の北条時宗死去の翌1285年(弘安8年)で、開山時の初代住職は覚山尼です。東慶寺は、「縁切寺(駆け込み寺)」として知られていました。

 東慶寺パンフレット

東慶寺入り口には鎌倉街道に面したところに、山号の「松ヶ岡」と寺号の「東慶寺」と彫られた門柱が建ち、境内に入ると東慶寺の説明版と、法蔵館で2月7日から4月1日まで開催の特別展「2012年東慶寺仏像展」の案内掲示板がでています。

 東慶寺門柱を入る(:東慶寺門柱、:東慶寺説明板、:東慶寺仏像展案内)

東慶寺は山の傾斜地に開創され、境内は山道に沿った形で一直線に上って行き、その参道の両側に寺社の建物が配置されており、最奥に東慶寺墓苑が置かれています。

 東慶寺境内図

山門下の石段までの参道にある梅の木は満開で、その右側にある記念碑は、夏目漱石の参禅百年を記念して平成6年12月に建立されたものです。

 山門石段下までの参道(:山門手前の参道の満開の梅、:夏目漱石参禅百年記念碑)

参道を進み石段を上ると山門があり、駆け込みの女性を守る砦の門で、小さな門ですが風格があります。茅葺屋根の通用門の入り口を潜り拝観料の100円を払って入門ですが、小さな門ですので、出口は門の左側の塀を空けて改装してあります。山門内の梅は見事に咲き誇り、白梅や紅梅は梅の香で一杯で、紅梅の花は紅色やピンク色などいろいろな花を付けています。左側の鐘楼の梵鐘は、1350年(観応元年)の補陀落寺のものです。

 山門内の鐘楼付近の紅白満開の梅(:山門、:山門内の梅の木、:)

美しい宝形造の屋根を誇る本堂「泰平殿」は、本尊の釈迦如来坐像を祀り、佐藤禅忠師が紺紙金泥で観音を揮毫して、 1935年(昭和10年)に建立したものです。

 本堂附近の梅(:本堂山門、:本堂、:本堂山門内の満開の梅)

泰平殿入り口の黒塀前には、四賀光子が詠んだ覚山尼讃歌の歌碑が建立されています。明治以降の東慶寺は、檀家の数も増え各界名士の墓も多くなり、鎌倉の土地が文人を引きつけてひっそりと立つ歌碑や句碑、 詩碑や金仏が目に留まります。「松ヶ岡宝蔵」は、東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館で、縁切寺の歴史を伝える寺法書や呼び出し状、駈け込みの実例を記録した松ヶ岡日記が展示されています。松ヶ岡宝蔵への入館料は300円です。

 本堂から松ヶ岡宝蔵まで(:四賀光子歌碑、:金仏、:松ヶ岡宝蔵)

今年は、寒さが続き東慶寺境内にもやっと春が訪れ、花の季節となりました。

 寒さが続きやっと東慶寺は春の花の季節を迎える(写真拡大)

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イベント 北鎌倉の梅と江戸期の古雛 北鎌倉古民家ミュージアムのお雛様と東慶寺の梅その1

2012年03月27日 | イベント
kan-haru blog 2012  おきあげ雛(江戸時代)  

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3月3日は「上巳」や「桃の節句」と言われ、平安時代の頃には紙で作った人形を、体を撫でて穢れを落として、海や川に流した「流し雛」の風習がありました。江戸時代に入ると、人形を流す行事は川が汚れるという理由から流すことが難しくなり、そのため雛人形を飾り、女の子の健やかな成長と幸せを願う現在の「雛祭り」を行う様になり、全国に広がりました。伊豆稲取地方で、江戸時代後期から伝わる雛のつるし飾りは、長女の初節句に、無病息災、良縁を祈願して、雛壇の両脇に細工を吊す風習がありました。この雛のつるし飾りは、ある時期においては庶民の雛壇飾りの代りの時代もありました。
今年は、雛祭りの行事を北鎌倉の古民家ミュージアムと陶芸館に3月22日に行き、古雛と雛のつるし飾りを見て、例年に比し寒さが続いたため東慶寺の梅が満開の時期にあたり、暖かい陽気につられ寒梅も楽しんでききました。

 北鎌倉周辺地図

北鎌倉古民家ミュージアムの古雛
古雛の展示会場の北鎌倉古民家ミュージアム(鎌倉市山ノ内392-1)での「おひなさま」展示は、鎌倉出土の日本最古のひな人形をはじめ、江戸時代のおひなさまや御所人形、数々のひな道具および源氏の白旗・平家の赤旗にちなんだ「源平つるし雛」など100点以上を展示しております。開催きかんは、2月4日から4月8日までで、月曜日が休館で、入館料は一般が500円で、中高生が300円で、小学生が200円です。

 北鎌倉古民家ミュージアム「おひなさま」パンフレット

古民家ミュージアムは、JR北鎌倉駅の下りホーム改札口を出て、線路沿いの道路を進み円覚寺前を過ぎてから、2つの踏切を通過した左側にあり、ゆっくり徒いて5分です。通りすがりの庭の梅が満開で、あたりに梅の香りがただよっていました。

 北鎌倉古民家ミュージアム附近の風景(:JR北鎌倉駅下り線改札口(右)、:円覚寺参道入り口、:北鎌倉古民家ミュージアム「おひなさま」案内板)

古民家ミュージアムの入り口は、元は鎌倉古陶美術館と呼ばれていたもので、築100年以上になる福井県などから3軒の古民家を移築して構築した、古色蒼然とした建屋の展示スペースであり、入り口上部の名称表示板には旧名称のままで残っております。

 北鎌倉古民家ミュージアム入口(写真拡大)

ミュージアムの入り口は門造りの構造で、左側のカウンターで入場料を払い、中に入ると中庭の梅が満開で、その左側に吊るし飾りの雛がある玄関の「不老門」が展示館の入り口です。

 ミュージアムの玄関と中庭(:中庭の左側不老門がミュージアムの玄関、:古民家ミュージアム内の中庭)

ミュージアムの企画展「おひなさま」は、2003年の初開催から今年で10回目を迎えます。展示品は、20年以上かけて収集してきた同館の所蔵品が展示されており、江戸期の古雛やひな道具などが見られます。展示品の中の最も古い雛人形は、1989年(鎌倉時代後期)の町屋の遺跡(雪ノ下)で日本最古のひな人形と思われる木製の小座像(市教委所蔵)が出土しましたので、その木製人形のレプリカが展示してあります。ミュージアムでは、この出土を機にひな人形の収集を開始し、全国からさまざまな情報が寄せられ所蔵品が充実したのが機会で、「おひなさま」展が開催されました。同展では、京都で1866年(慶応2年)に作られた希少価値の高い「一刀彫ひな飾り」の雛人形も展示されています。

 貴重な雛人形展示品(:出土した最古の木製雛人形レプリカ(鎌倉時代後期)、:一刀彫人形の雛飾り(慶応2年))

江戸時代に完成された御所人形は、西国大名が参勤交代の折、京の御所や公家たちに贈物をした返礼に御所人形を贈っていたもので、もともと京都御所を中心として扱われていたようです。「御所人形春駒持ち」(江戸時代)は、徳川十四代将軍家茂から大奥の局「りつ」が拝領したものと云われています。雛道具の「御伽(おとぎ)犬」は、「犬筥」、「犬張子」とも云われます。古来より犬は災厄から人間を護ってくれるとされ、犬をかたどった張子製の箱を作って、魔除けとすることが行われ、御伽犬(江戸時代)も上流の家庭では産室や幼児の枕元に置かれて魔除けとされていました。

 江戸時代のおひなさま(:「御所人形春駒町」(江戸時代)、:雛道具/御か犬(江戸時代))

衣裳を着せた座り姿の雛人形は、江戸時代中頃から次第に豪華なものとなり、雛人形は、その様式によって、元禄雛、寛永雛、享保雛、有職雛、次郎左衛門雛、古今雛などの呼び名があります。雛段は、江戸時代、宝暦・明和(1751~72)頃には2~3段でした。
有職(ゆうそく)雛は実際の公家の装束を忠実に写した雛です。江戸中期宝暦(1751~)ごろから公家衆が特に注文してつくらせたもので、一般には売り出されませんでした。男雛の装束は、衣冠雛、直衣雛、小直衣雛、狩衣雛などとよびます。女雛の髪はオスベラカシで、白小袖に小桂、紅袴など男雛と見合った装束にして一対にします。
古今(こきん)雛は江戸中期明和(1764~)ごろ、江戸の上野池端の大槌屋が十軒店の原舟月に頭をつくらせ売りだしたもので、古代の風俗と現今の好みを織り交ぜてつくった華麗な雛で、男雛は黒綾の束帯姿、女雛は、裳唐衣に宝冠をつけます。

 江戸時代の雛(:有職雛、:古今雛、:古今雛段飾りと道具一式)

段飾りのひな人形は、江戸中期(1700~1799)の安永(1772~81)の頃には4段・5段で飾る家がでてきました。江戸後期(1800~1867)になると雛段も7段・8段と賑やかに豪華となり、雛人形も15体となり、内裏雛、三人官女、五人囃子、随身、仕丁がそろい、雛道具も膳部のほか箪笥、長持、茶の湯道具、乗り物など、武家の婚礼調度を模したものが数多く飾られました。江戸時代の終わり頃には、現在の段飾りの形式が出来あがりました。

 江戸時代~明治・昭和の各時代の段飾り雛人形(左上右上左下中下右下写真拡大)

京都では、内裏雛を飾る館のことを御殿といいますが、その中に一対の雛を置く形式を「御殿飾り」と呼びました。京阪を中心に、この御殿飾りの雛飾りが登場するのは江戸時代末期のことです。御殿は御所の紫宸殿(ししんでん)になぞらえたもので、華やかな貴族文化への憧れが育んだ復古的な雛飾りといえます。江戸時代後期に誕生した御殿飾りは、明治時代に入ると京阪周辺へも広がり、豪華なものから簡素なものまで、様々な様式が生まれました。

 御殿飾り(写真拡大)

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イベント 江戸東京博物館 東京スカイツリー完成記念特別展ザ・タワー~都市と塔の物語~その3

2012年03月24日 | イベント
kan-haru blog 2012 万国博覧会での太陽の塔実物写真1970年7月撮影    

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ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~(続)
・エピローグの展示コーナー
エピローグの「都市の塔」の東京スカイツリー(墨田区押上東京都墨田区押上)は、既存電波塔の東京タワー周辺では超高層建築物が林立し、その影となる部分に電波が届きにくくなる問題が発生し、今後の放送のワンセグやマルチメディア放送といった携帯機器向けの放送を快適に視聴できるようにすることを目的とされて、東武鉄道の本社隣接地の貨物駅跡地に建設された全高が634メートルで、塔本体屋上の高さが495mは世界一の電波塔であり、2012年2月29日に竣工しました。

 建設が進むスカイツリー2010年5月6日(:吾妻橋浅草側から見たスカイツリー、:墨田区役所附近から見たスカイツリー)

スカイツリーの建設は、東武鉄道の本社隣接地の貨物駅跡地に、2008年7月14日に着工し、ツリーに隣接する関連商業施設・オフィスビルの開発も行われ、ツリーを含めたこれらの開発街区を東京スカイツリータウンと称して、2012年5月22日に開業を予定しています。

 業平橋付近からみたスカイツリー2010年5月6日(写真拡大)

スカイツリーのタワーデザインは、3つのコンセプトを基にその1として、日本古来の建築「五重塔」の耐震構造システムを取り入れて、鉄筋コンクリート造の高さ375m直径約8mの円筒の心柱を取り付けて、地震などによる揺れを抑える心柱制震構造となっています。

 業平橋工事現場付近から見たスカイツリー2010年5月6日(中左中右写真拡大)

デザインのその2は、タワーの地面真上での水平方向の断面は正三角形であるが、高くなるほど丸みをおびた三角形と変形し、地上約320m上での断面は円となる構造が採られており、塔の構造体概観は日本の伝統美の日本刀に見られる「そり」や、寺社建築の屋根に見られる「むくり」の柔らかい曲線を採り入れています。

 妙見堂通り元大横川橋上から見たスカイツリー2010年6月15日(写真拡大)

デザインのその3は、「都市の塔」としてまちの活性化への起爆剤となるように、電波塔にはレストランやカフェ、ショップなどが設けられた高さ350mの第1展望台と、窓ガラスで覆われた空中回廊を設置した高さ450mの第2展望台が付けられます。

 桜橋付近から見たスカイツリー2010年7月1日(写真拡大)

スカイツリーの建設を振り返って見ると、2008年年末には地下50メートルに達する杭工事が終わり、2009年2月3日には3本の塔脚鉄骨の基礎工事の開始です。同年5月23日には塔脚の高さが49メートルとなり、同6月17日には塔高さが54メートルとなり地上50メートルで3本の脚の支えが連結されました。同8月20日には塔高105メートルとなり、同11月18日には塔高205メートル、年末の12月22日には高さが245メートルに達しました。
写真掲載の2010年5月6日には塔高368メートルとなり、塔の断面は遠景で第1展望台(350m)の外観が見られます。同7月1日には塔高398メートルとなり、同8月4日の写真の塔高は408メートルとなりました。
同9月11日には塔高461メートルとなり、第2展望台(450m)の工事が開始となり、同10月23日には塔本体屋上の高さ495mに達しました。年末の12月21日にはアンテナ部の工事となり塔高は514メートルに達し、第2展望台の姿が見られます。
年を越して2011年1月14日には塔高549メートルとなり、同3月29日には塔高634メートルに達しました。11、12月に入ると第1展望台の床から真下を眺めるため耐熱強化ガラスをはめ込んだり、LED照明点灯などが行われました。
2012年2月29日には、スカイツリーが完成して建設請負の大林組から、運営会社の東武タワースカイツリーに引き渡され、同3月2日に竣工式が行われました。

 押上駅付近から見たスカイツリー2010年8月4日(中左中右写真拡大)

太陽の塔 黄金の顔 常設展特集展示
特別展「ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~」開催(記事その1~3参照)にあわせて、「太陽の塔 黄金の顔」特集展示が江戸東京博物館常設展示室の日本橋橋桁下で、東京で初公開展示されました。

 太陽の塔黄金の顔パンフレット

1970年(昭和45)に、大阪で開催された日本万国博覧会のテーマ館のシンボルとして太陽の塔が建造されました。日本を代表する芸術家の岡本太郎氏の制作によるもので、博覧会終了後も万博公園に残されました。

 万博公園の太陽の塔万博公園(独立行政法人日本万博博覧会記念機構)から

太陽の塔には、塔の頂部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」(直径11m)と、塔の正面には現在を象徴する「太陽の顔」と、塔の背面には過去を象徴するの「黒い太陽」という3つの顔を持っています。「太陽の塔」は過去・現在・未来を貫いて生成する万物のエネルギーの象徴であると同時に、生命の中心、祭りの中心を示したもので、博覧会開催期間中、テーマ館の来館者に多くの感動を与えました。
展示表示の黄金の顔は、改修のため1992年に取り外した黄金の顔(独立行政法人日本万国博覧会記念機構所蔵)を展示したものです。

 太陽の搭の3つの顔(左:黄金の顔、中:太陽の顔、右:黒い太陽)万博公園(独立行政法人日本万博博覧会記念機構)から

黄金の顔の直径は11メートルあり、顏前面を見るには常設展示室の日本橋橋上の欄干から覗くように展示されており、横顏は橋の袂から覗いて見ました。橋下におりると、黄金の顔の厚みは高く、顔が置かれている橋下からでは顔面がのぞけませんでした。

 太陽の塔の未来を象徴する黄金の顔(:展示日本橋橋上より見た黄金の顔、:日本橋袂から見た黄金の顔、:橋の階下で見た黄金の顔側面)

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イベント 江戸東京博物館 東京スカイツリー完成記念特別展ザ・タワー~都市と塔の物語~その2

2012年03月20日 | イベント
kan-haru blog 2012 さくらにマッチする東京タワー  

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ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~(続)
・第2章展示コーナー
19世紀を迎え、科学と技術の世界の欧米では、200~300メートルの高さの建造物が計画されていました。その中でフランスのパリ市民は、革命により自らのものになったパリ市の風景を楽しむために、革命100年を祝う記念碑として、1889年(明治22年)に開催されたパリ万国博覧会の会場入り口を飾るエッフェル塔が誕生しました。
パリ万国博覧会の計画が伝わると、複数の建築家や技師の間で300メートルの塔の構想が検討され、エッフェル社のエミール・ヌギエとモーリス・ケクランの2人の技術者の高塔の検討案を元に、同社の建築家のステファン・ソーヴェストルによって装飾性が加えられた300メートルのエッフェル塔が建築コンクールに提出ました。エッフェル塔の対抗の提案としては、ジュール・ブルデの高さ66メートルの花崗岩の基壇の上に建つ、総高さ370メートルの太陽の塔が提案されたが、300メートルの鉄塔を建てることが応募条件であったため、重量や風圧の問題で採用されませんでした。
結局エッフェル案が採用され、1887年(明治20年)から300メートルのエッフェル塔の建設が開始され、工期2年2ヶ月という驚異的な短期間で建設されました。石造りの重厚な街並みの人々の中には、哲の塔に対して批判が多くありましたが、完成後のエッフェル塔は、パリ万博の最大の目玉として、大人気となり、会期中に約195万人が塔に登りました。

 今昔のエッヘル塔(左:エッヘル搭のサーチライト(ジョルジュ・ギャレン画1889年)オルセー美術館蔵、右:現在のエッヘル搭)

パリに完成したエッフェル塔は、日本にも伝わっており、文明開化以降開放された高所からの見晴らしを求める人が多く、高楼建築が盛んになり、1890年(明治23年)に浅草六区に凌雲閣(浅草十二階)の避雷針を含めて52メートルの展望塔が、東京帝国大学のウイリアム・K・バルトンの設計により開業しました。凌雲閣は、10階までが煉瓦造りで、その上の2階は木造であり東京における高層建築物の先駆けとして建築されました。8階までは世界各国の物販店で、それより上層階は展望室であり、展望室からは東京界隈はもとより、関八州の山々まで見渡すことができたので、開業時には多数の人々で賑わったが、明治末期には客足が減り、経営難に陥ちいりました。1914年にはエレベーターが設置されて一時的に来客数が増えたものの、その後も経営難に苦しみました。
1923年(大正12年)の関東大震災により凌雲閣は、8階より上の部分の自慢の展望台が崩壊してしまいました。震災から23日後、2次被害を回避するため、工兵隊により爆破されて浅草十二階は完全に無くなりました。

 凌雲閣・浅草十二階(綱島亀吉画大正10年)江戸東京博物館蔵

文明開化を迎えた大阪においても高楼の建築は盛んで、1888,9年(明治21,2年)にかけて、5階以上の高い建物が続々と姿を現し、また、1888年(明治21年)には、西関谷町に高さが約32メートルの木造五層の有宝地・眺望閣「南の五階」が営業を始め、さらに、翌1889年には、北野村に高さが約40メートルの有楽園・凌雲閣「北の九階」が登場して人気を集めました。
大阪の高楼ブームの到来は、1903年(明治36年)に開催された、530万人の入場者を集めた第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、パリのエッフェル塔と凱旋門を模した高さ75メートルで、東洋一の高さを誇る初代通天閣が1912年(明治45年)に「新世界・ルナパーク」と共に建設されました。しかし、1927年(昭和2年)の金融恐慌により、理想的な娯楽施設の通天閣と新世界は初期の面影は消え、所有権は吉本興業に譲り渡され、第2次世界大戦の戦況悪化に伴い、鉄材の供出が囁かれている1943年(昭和18年)に、通天閣に隣接の映画館の火災により鉄骨が歪んだので、解体され軍に供出されました。

 大阪新世界・通天閣(絵葉書大正初期)江戸東京博物館蔵

・第3章展示コーナー
1945年の世界大戦により、灰燼の被害を蒙った新世界は、1947~50年(昭和22~25年) にかけて、映画館や劇場が建ち始め、以前の活気を取り戻すには塔がなければとの思いから、1955年(昭和30年)8月17日に起工して、高さが103メートルの二代目通天閣が1956年(昭和31年)10月28日に竣工しました。通天閣の5階展望台の高さは、4階床まで84m、5階床まで87.5mで、街の人々の熱意によっての通天閣の再建そのものは、「都市と塔の物語」なのです。

 二代目通天閣(左:工事中の通天閣(昭和31年)ザ・タワーから、右:現在の通天閣)

1953年(昭和28年)2月に日本で初めての国営テレビ放送がスタートして、つづいて民間の放送も開局して、テレビは浸透していきました。当時はまだ、各局が独自のバラバラの位置の電波塔から放送を発信していましたので、チャンネルを変えるたびにアンテナの位置の微調整を要するとか、航空安全の面でも危険が予測されましたので、都心から100キロ圏内の人々にテレビ放送を届けるための、1957年(昭和32年)6月29日から総合電波塔の東京タワーの建設が開始され、1958年(昭和33年)10月14日までの僅かに1年半の工期で竣工し、12月23日には完工式が開かれました。

 東京タワーと桜(増上寺附近2007年)

高さ333メートルの東京タワーには、大展望台1階(高さ145メートル)と同2階(高さ150メートル)の展望台が設けられています。およそ10年後の1967年(昭和42年)7月になってからその上にあった設備置き場を、解放してオープンした高さが250メートルの特別展望台があります。

 東京タワーからの夜景眺望(2007年8月)

エッヘル搭を抜いて世界一の高さを現実のものとした東京タワーは、人々の誇りであり東京を一望できるという眺望を得て、開業の最初の年には513万人が登り、エレベータの窓ごしに見える鉄柱に興奮したのです。東京タワーの建設当時は、都心においても高層ビルは殆ど見られず、山手線の車窓から見るタワーの鉄柱の巨大さに感激をした、そのタワーは東京を美しく彩る「都市の塔」の誕生なのです。

 赤羽橋元神明宮附近から見た東京タワー(2011年2月)

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イベント 江戸東京博物館 東京スカイツリー完成記念特別展ザ・タワー~都市と塔の物語~その1

2012年03月18日 | イベント
kan-haru blog 2012 JR両国駅ホームから見た東京スカイツリー2012年1月 

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高さ634メートルと世界一高いタワーの東京スカイツリー(墨田区押上1丁目1−13)が2012年2月29日に完成し、施工担当の大林組から東武タワースカイツリーに引き渡しされました。東京スカイツリーの開業は、準備が進められ5月22日にオープンします。それに先立ち、最寄駅の東武伊勢崎線「業平橋駅」が、3月17日に「とうきょうスカイツリー駅」に改名して、「東武スカイツリーライン」の愛称で呼ばれ、特急電車が止まるようになりました。
東京スカイツリーの完成を記念して江戸東京博物館(墨田区横網1-4-1)で、特別展『ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~』(主催:公益財団法人 東京都歴史文化財団 東京都江戸東京博物館 、読売新聞社、NHK 、 NHK プロモーション、特別後援:東武鉄道株式会社、東武タワースカイツリー株式会社、他2社、後援:フランス大使館、他2社、協力:日本科学未来館、他5社)が1階展示室で、2012年2月21日から5月6日まで開催され、併せて特集展「太陽の塔黄金の顔」(主催:公益財団法人東京都歴史文化財団、東京都江戸東京博物館)が5階常設展示室で、5月20日まで開催されますので、3月13日に見てきました。

 ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~パンフレット

大森町から江戸東京博物館へは、今回は都営地下鉄浅草線大門駅で同大江戸線に乗り換えて、両国駅A4出口を出て1階玄関から入りました。

 ザ・タワー展示開催の江戸東京博物館(左・中:ザ・タワー広告展示開催の、:ザ・タワー1階展示室入り口)

入場料は、特別展 当日券は一般(65歳以下)が1,300円で、大学生・専門学校生が1,040円で、その他が650円であり、前売券の場合はそれぞれ200円安くなります。特別展と常設展を合わせた当日券は一般(65歳以下)が1,520円で、大学生・専門学校生が1,210円で、その他が760円で、前売券の場合は200円安くなります。なお、3月28日は江戸東京博物館の開館記念日のため、常設展示室の観覧料が無料になります。

 ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~ 入場券

ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~
・プロローグ展示コーナー
ザ・タワーの展示構成は、プロローグからエピローグまでの5章だてで構成されています。プロローグの展示コーナーでは、9点の雛型や容器などと、7点の銅版画や洋装本、木版画およびはがき版錦絵が展示されています。
このコーナーでは、塔はなぜ建てられたのだろうかに迫り、西洋では古代人が、神を信仰の対象として神を天空に置き、神を祀り、祈りをささげるために古代都市に建物が造られて、高みに近ずくため空に向かって、高く、高くジックラットと呼ばれる階層状の神殿が築かれましたが、地域の勢力争いの戦いの中で破壊されました。西洋のバベルの塔は、このジックラットをモデルにしたと云われ、人間が自分たちの町に建てようとした、最初の「都市の塔」でありました。しかし、人々は共通の言語を失い、コミニュケーションがとれなくなり、塔の建築が出来ずに、散り散りに離れていき、建築が放棄されたのです。

 バベルの塔 銅版画 フランス国立図書館蔵

「塔」という言葉は、サンスクリット語の「ストゥ―パ」の音を表した「卒塔婆」からきており、東洋では釈迦の仏舎利を納め、祀るために、紀元前3世紀頃に造られたお墓です。仏教がシルクロードを経て中国に伝わった時に、ストゥ―パは楼閣建築の影響を受けて、多層塔にと変化して煉瓦によるせん塔が作られました。朝鮮半島では石塔が主流になり、日本では木造の三重塔や五重塔が建立されました。日本の飛鳥・奈良時代の多層塔は、塔上のストゥ―パをかたどった相隣との間を心柱が塔の中心を貫き、心礎に空けられた穴に仏舎利を奉安し祈りを捧げるもので、人が登ることが出来ない構造です。

 日英博覧会に出品された薬師寺東塔の模型 東京芸術大学美術館蔵

・第1章展示コーナー
日本では戦国時代の終わり頃には城が建てられ、防御用の人が登る天守閣が作られましたが、見張りの目的のものでした。戦いの時代が過ぎ去り、江戸時代の江戸を見晴らす風景は、地形を利用して遠く霊峰の富士山を眺めていました。1809年(文化6年)に鍬形けい斎が描いた、江戸一目図屏風(六曲一隻)は、高い塔の無い時代に、高所から眺めた風景を想像力により描かれたもので、墨田川の東から遠く富士を眺め、所々に火のみやぐらを配し、江戸の微細な風景を一望する景色は、200年後の我々が東京スカイツリーの展望台から一望できるものです。

 江戸一目図屏風 津山郷土博物館蔵

明治に入り、江戸が東京に変わり、建物の高さの制約が解かれ、築地ホテルや第一国立銀行などの鐘楼や時計台を備えた洋風建築が出現して錦絵に描かれるようになりました。
江戸の高さが26mの愛宕山は、見晴らしの良さで四季それぞれの眺望が楽しめ、江戸庶民の人気を集めた名所でありました。1889年(明治22年)に、愛宕山に煉瓦作りの八角の5階建ての愛宕塔が建てられ、6銭の料金で登れたと云われてましたが、1923年大正12年の関東大震災により、倒壊焼失しました。

 愛宕山ノ高塔 国立国会図書館所蔵写真帳から

1887年(明治20年)には、浅草公園内に富士山を模して木製の骨組みに漆喰で塗固めた高さが約32メートルの、富士山縦覧場が登場して頂上には望遠鏡が備え付けられ、大人5銭で登ることができ、多くの人が押しかけて大変な人気となりました。2年後の1889年(明治22年)に暴雨風のため大きく破損して、修復をしたが人気は回復せず、翌年には取り壊されました。しかし、衆目を集めた富士山縦覧場は、東京において高塔の役目を果たすことになりました。

 富士山縦覧場江戸東京博物館蔵

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大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化の都市計画道路事業で変貌する駅周辺商店街新シリーズ1

2012年03月15日 | 大森町界隈あれこれ 商店街
kan-haru blog 2012 元大森記念病院跡地3月13日

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大森町駅周辺の高架化関連の道路事業
京浜急行電鉄の高架化工事関連で、大森町駅周辺では東京都市計画道路事業が進展し、日毎に商店街は変貌しています。その商店街の変貌を2006年から追っていますが、その時点での駅周辺商店街は、駅東口には14店の商店が軒を並べ、駅西口にはナンカ堂南店やゑびす市場や三吉野商店などがありました。(「大森町界隈あれこれ 大森町商店街 京急高架化関連で変貌する大森町駅周辺の商店街その1」参照)。

 東京都市計画道路事業(再掲)

これらの商店は、立退きで取り壊され、大きく変貌を続けています。今後も、これからの商店街の変貌を定期的にレポートしていきます。

 変貌する大森町駅周辺の商店街地図(3月24日現在)

大森町駅周辺商店街の変貌
前回記述時までに入れ替わった商店を見ると、新築マンション(WEST SQUAR OMORI)の1階の地図白抜きまる1は、「からあげ専門店福のから」で2011年9月12日に開店しました。ダイヤモンドマンション1階北側店舗の地図白抜きまる2は、「ハンバーガーとタコスのお店のロコフィ」で、2011年1月6日に開店しました。地図白抜きまる3は、旧こまつ靴店跡に建設されたマンションの1階で2010年に開院した「ほねつぎあおなみはり・きゅう整骨院」です。

 大森町商店街に新たに登場の商店1(左:からあげ専門店福のから、中:ハンバーガーとタコスのお店のロコフィ、右:ほねつぎあおなみはり・きゅう整骨院)再掲

地図白抜きまる4は、道路拡幅により建替えの店舗に入居して、2011年11月25日に再開店した「はな屋TULIP TREE」です。また地図白抜きまる5は、建て直しの道林ビルが完成して1階に、2012年2月20日に開店した「焼き牛丼東京チカラめし」です。

 大森町商店街に新たに登場の商店1(:はな屋TULIP TREE、:焼き牛丼東京チカラめし)

・東日ビル取壊し
東日ビル(地図まる1参照)は、1階に「すき家」が入居しており、2011年6、7月に取り壊され、2012年3月から旧銘酒コーナーと旧東日ビルの跡地を合わせた所の道路拡張幅分をバックして、「はな屋TULIP TREE」に隣接して、4階建ての店舗・共同住宅の建築を着工するお知らせが掲示されています。

 旧東日ビル跡(:旧東日ビル1階すき家、:旧東日ビル取壊し跡地)

・池田医院建替え工事
ほのぼの通りの突き当りにある池田医院(地図まる3参照)は、ほのほのぼの通りの拡幅と、線路沿いに内川まで新設する幅員6m道路との接点に当たる3角部分が、旧池田医院の建屋に触れるため2011年10月に建替えが始まり、2012年3月には新築の医院の外観が姿を現しました。

 京急付属街路第1号線事業で建替えられた池田医院(左上:建て替えが始まる2011年10月、中上右上左下中下右下:建替えで姿を現した池田医院)

・元大森記念病院ビルの解体
大森町第1踏切の西南にある元大森記念病院(地図まる4参照)は、北の池田病院の反対側のほのぼの通りの突き当りの大森町商店街通りに面した、線路沿いに新設する幅員6m道路との接点に当たる3角部分が、同病院ビルに抵触するため2011年11月から解体取壊しが始まりました。休日を覗く連日の解体工事により、2012年3月12日には5階建てのビルの取壊しは終了しました。

 元大森記念病院の取壊し解体が進む(左上:大森記念病院の取壊しが始まる2011年11月23日、中上:解体が進む元大森記念病院1月23日、右上:同2月2日、左下:同2月15日、中下:同3月7日、右下:同3月12日)

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イベント 東京新名所 東京ゲートブリッジを渡り東京最大級の若洲風力発電設備を見るその2

2012年03月12日 | イベント
kan-haru blog 2012 鉄腕アトムが描かれた若洲風力発電設備  

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江東区立若洲公園
東京ゲートブリッジを渡り、若洲側に着くと左側には江東区立若洲公園があり、右側には若洲海浜公園があります。区立若洲公園には、見学目的の若洲風力発電設備がありますので、ブリッジ接続道の終端の交差点でUターンして南に進み、東京ゲートブリッジ橋桁下で折り返して4分の3周した付近に風力発電設備近くの多目的広場の前に駐車場(有料)があります。
同若洲公園(江東区若洲3丁目)は、2006年より若洲海浜公園内のキャンプ場、貸し自転車、特種自転車、多目的広場の部分が東京都港湾局より江東区に移管され、区立若洲公園となったものです。

 江東区立若洲公園地図

・若洲風力発電設備
江東区若洲風力発電設備(地図まる3参照)は、区立若洲公園北端の多目的広場内の最北端にあります。多目的広場は、全面芝生の広場でレジャーシートを敷いてピクニックなどがお勧めの環境で、広場南には遊具広場があり子供が楽しめるさまざまなアスレチック遊具があります。

 若洲風力発電設備1(写真拡大)

若洲風力発電施設は、石川島播磨重工(IHI)により2004年3月に完成し、風車の最高点高さは100mに達し、単機定格出力1,950kWの国内最大級の大型風力発電設備です。

 若洲風力発電設備2(写真拡大)

若洲公園は海に面し年平均5.7m/sの風が吹いていることから、風力発電には比較的適しています。この風車で発電する電気は、電力会社に売電しており、多目的広場の外灯などの電気もこの発電した電気でまかなわれています。

 若洲風力発電設備仕様

若洲風力発電施設の目玉は、環境問題に深い関心を寄せていた漫画家手づか治虫さんの生み出した、鉄腕アトムをはじめとするおなじみのキャラクターたちが、タワーに大きく描かれていることです。

 若洲風力発電設備3(中左中右写真拡大)

風力発電施設の見学は、誰でも間近で見ることが出来ますが、メンテナンス時を除き無人の施設で、説明や内部の見学はできません。当日は天気が良く、暖かな見学日よりでしたので、14時30分頃に風速6.7m/sの風に吹かれて翼の長さ40mのブレードが廻って、430Kw発電している若洲風力発電施設の姿を動画で撮影して、動画と静止画の撮影画面を編集しました。

若洲風力発電施設見学.wmv

[クリックすると、風速6.7m/sで回転する若洲風力発電施設の風景が見られます]

・東京ゲートブリッジ
風力発電設備の見学が済むと駐車場に戻り、東京ゲートブリッジ見学のため車で、若洲公園内を海辺方向に進むと小さな駐車場があります。そこから歩いて若洲公園を南に進むと、東京ゲートブリッジ道路の陸上部アプローチ橋の橋脚柱が高くなり、歩道橋への昇降施設が見えて来て、その先は海岸縁でブリッジ(地図まる4参照)です。

 若洲公園から東京ゲートブリッジを見る1(写真拡大)

若洲公園南端から眺める、恐竜が向かい合っているような恐竜橋は、2012年の東京新名所です。今年は、5月にスカイツリーがオープンして、続いて新名所が誕生しますが、これが東日本大震災1年からの復興のきっかけになることをお祈りします。

 若洲公園から東京ゲートブリッジを見る2(写真拡大)

東京ゲートブリッジの諸元情報を記入した見学写真(静止画)を多数纏めて、YouTubeで編集しましたのでご覧ください。
東京ゲートブリッジ見学静止画.wmv

[クリックすると、東京ゲートブリッジ諸元情報を記入した見学写真の風景が見られます]

・えこっくる江東環境学習情報館
東京ゲートブリッジの見学が済み、4か所目の見学の江東区のえこっくる江東環境学習情報館へは、若洲公園から北へと車で進みます。道路には、長い鋼製骨組みのアーチをしばらく潜り、砂町南運河を渡ると新木場で、京葉線の新木場駅です。新木場で湾岸道路を左折して夢の島公園角の明治通り交差点で右折して北上し、新砂に渡り2丁目交差点を左折して、運河を越え潮見に入り三ッ目通りの手前が「えこっくる江東環境学習情報館(江東区潮見1-29-7)」(東京ゲートブリッジ・若洲風力発電設備見学地図まる5参照←ここをクリックで地図表示)です。

 えこっくる江東環境学習情報館正面(写真拡大)

えこっくる江東は、常設展示室の開館時間は、9時30分~17時で月曜日が休館で、入場料は無料です。1階展示室は、江東区の自然から地球環境問題、そして自分たちの生活とその見直しへとつながっていく流れを表した常設の展示室になっています。展示コーナーは、江東区の自然、青い地球、赤い地球、大量生産・大量消費、大量廃棄、生活の見直しで構成してあります。

 環境学習情報館常設展示室コーナー1(写真拡大)

2階展示コーナーには、企画展示コーナー、情報コーナーの他、講座等で使用する研修室と、体験学習をするためのワークショップルームがあります。また、屋上には上がれませんが、太陽光発電パネル(出力25kW)や風力発電機(出力1kW)を設置し、自然エネルギーを利用して発電しています。さらに、環境学習情報館の建物正面の壁面にも、太陽光発電パネルが取り付けられています。ここで発電した電気はえこっくる江東で使用しています。
一通り見学を終えてから、2階休憩室でドリンクを飲んで休憩を取った後に、車で京葉線新木場駅まで送って貰いそこで解散です。

 環境学習情報館常設展示室コーナー2(写真拡大)

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イベント 東京新名所 東京ゲートブリッジを渡り東京最大級の若洲風力発電設備を見るその1

2012年03月10日 | イベント
kan-haru blog 2012 若洲公園から見た東京ゲートブリッジ

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所属する情報化研究会の見学会が2月24日に行なわれましたので、参加して乗用車で新名所となった東京ゲートブリッジを渡り、江東区若洲公園にある東京の最大級の若洲風力発電設備を見学し、同公園の南端から恐竜が睨みあっている形の東京ゲートブリッジを見てから、えこっくる江東環境学習情報館を見学しました。

 東京ゲートブリッジ・若洲風力発電設備見学地図

東京ゲートブリッジを渡る
品川駅東口から東方にある港港南郵便局前(地図まる1)に13時30分に集合して、東京ゲートブリッジに向けて出発です。品川を出ると大田区の城南島までは、品川区の埋め立て地を通り南に進むと、周囲は港湾と倉庫地帯で大型トレーラーや大小トラックに囲まれ圧倒され、不景気とはいえ今さら日本の産業力の巨大さを実感します。
これから進む城南島から臨海トンネルを潜り、中央防波堤外側埋立地を結ぶ東京港臨海道路(1期事業区間)は、約3.4 kmは2002年(平成14年)に開通しました。臨海トンネルは、別の場所で作成した11函の沈埋函を現場まで船で曳航し、沈めた後に接合してトンネルとする沈埋工法が採用されました。
臨海トンネルを出て中央防波堤外側埋立地に入り、暫く進むと左手の東京港中央防波堤内側埋立地に東京臨海風力発電所の2基の風力発電設備が見えてきます。この発電設備は、2003年3月に東京都臨海部で初、また大都市近傍としては世界初の本格的風力発電所が誕生しました。

 東京臨海風力発電所(東京都環境局から)

中央防波堤外側埋立地を進むと、2月12日に開通して間もない東京港臨海道路(2期事業区間)の中央防波堤外側埋立地から江東区若洲間までの延長約4.6kmを進み、途中橋梁部が約2.6kmの東京ゲートブリッジを渡ります。東京ゲートブリッジの名称は、一般公募により付けられましたが、恐竜が向かい合っているような特異な形状をしている事から恐竜橋とも呼ばれています。

 東京ゲートブリッジ全体図(国土交通省関東地方整備局東京港湾事務局から)

東京ゲートブリッジ(地図まる2)に入ると車線数は、往復4車線で橋梁の北側にのみ歩道が付けられています。通行は、原動機付自転車(50cc以下)が車道の通行不可で、自転車は車道・歩道ともに通行不可です。歩行者は、若洲側昇降施設より入れますが、中央防波堤側へ通行する事は出来ずに、若洲側に引き返して出る必要があります。
ゲートブリッジを進み、全体図に示す地上部アプローチ橋に入ってから動画撮影を開始しました。暫く進むと、左側に将来使用予定の中央防波堤側の昇降施設と見られる、円筒状の設備が現れます。その円筒状の施設の先は歩道の終点地点で、見学当日はウイクデーですが歩道上には歩行者が多く見られ、終点まで歩い来て折り返して戻っていました。そのれより少し先は、海上部アプローチ橋で、緩やかな左方向にカーブをすると、恐竜の頭部の肩に当たるトラスとなります。

 東京ゲートブリッジを渡る1(:将来使用予定の中央防波堤側昇降施設、:中央防波堤側の歩道橋終点附近、:中央防波堤側の恐竜頭部の肩に当たる部分のトラス)

東京ゲートブリッジをさらに進むと中央防波堤側の恐竜口頭部先端のトラスとなり、若洲側の恐竜口頭部先端トラスとの中間点が、ブリッジの海上からの最高位位置で54.6mの高さですが、その手前のトラスの頭の最高位点は87.8mあります。最高位点を過ぎると、若洲側の恐竜先端部のトラスで、トラスを抜けて海上部アプローチ橋を過ぎた点までのブリッジ海上区間の距離は1,618mで、その先の陸上部アプローチ橋が終わった地点までの、東京ゲートブリッジ橋梁区間の距離は2,618mです。

 東京ゲートブリッジを渡る2(:中央防波堤側の恐竜口頭部先端のトラス、:東京ゲートブリッジ海上最高位置の付近、:若洲側の恐竜先端部のトラス)

ここから、中央防波堤側から入り東京ゲートブリッジを渡る動画を撮影画面ですが、車の進行左側にある歩道橋を歩く人の流れも見て下さい。

東京ゲートブリッジを渡る.wmv

[クリックすると、東京ゲートブリッジを中央堤防側から若洲側へ渡る風景が見られます]

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大森町界隈あれこれ 大田区のミュージアム 民間ミュージアム(美術館、博物館)紹介展示会

2012年03月08日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2012 ミュージアム紹介コーナー     

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大田区ミュージアムマップ
大田区では、大田区ミュージアムマップ(平成23年3月)が発行され、民間ミュージアム共同展示会が大田区役所(大田区蒲田5丁目13番14号)1階展示コーナーで、2月22日から27日まで開催されましたので、同26日に見てきました。
「大田区ミュージアムマップ」とそのガイドの「大田区ミュージアムガイド」は、大田区役所ホームページ「大田区ミュージアムマップ(民間施設含む)」からダウンロードができます。

 大田区ミュージアムマップ

民間ミュージアム共同展示会
大田区のミュージアムには、大田区立博物館・美術館が7館と民間の博物館・美術館が12館あります。民間ミュージアム共同展示会は、ミュージアムマップ掲載の民間ミュージアムのうち、五十嵐健治記念洗濯資料館、昭和のくらし博物館、蒲田切子(グラスフォレスト)、炭ギャラリーおよび第一次南極越冬隊長 西堀榮三郎邸の5館が、大田区役所1階展示コーナーで出展して展示されました。

 大田区役所地図

展示会場の大田区役所の展示コーナーは土・日曜日も開催され、ウイクデーとは展示場所が移されたようです。

 民間ミュージアム共同展示会場の大田区役所(左・写真拡大)

五十嵐健治記念洗濯資料館(下丸子2-11-1)コーナーには、ドライクリーニングの白洋舎創業者五十嵐健治にまつわる品を展示してあり、クリーニングに使用するアイロンの変遷は、炭火アイロンが幕末の頃移入され、洋服の普及とともに流行りだし、炭火を中に入れる「火熨斗」や炭火で熱して使う「鏝」は古くから使われてきました。

 五十嵐健治記念洗濯資料館の展示コーナー(左:白洋舎の誕生、右:さまざまなアイロンとコテ)

昭和のくらし博物館(南久が原2-26-19) コーナーには、1933年(昭和8年)に製造されたシンガーの足踏みミシン、1965年(昭和40年)代に着られていた洋服や戦前の日常の着物を出品し、懐かしい昭和の庶民の暮らしが再現されています。戦前から戦後の着もの地は銘仙が殆どで、1955年(昭和30年)頃まではこのような着物で職場に通っていました。1965年(昭和40年)代の外出着は、上が無地でチェックのスカートが一般で、スカートと共布のベルトのデザインに工夫をこらしていました。

 昭和のくらし博物館の展示コーナー(左:昭和30・40年代の着物と洋服、右:戦前・戦後の日常の品々)

蒲田切子(グラスフォレスト)(仲六郷1-9-15) コーナーには、水滴の文様である水鏡に大正・昭和の蒲田のイメージを重ねた切子細工のグラスの江戸切子が出展していました。蒲田切子は、「魅力ある日本のおみやげコンテスト2012」で「日本の持つ品位や品格を感じられる」として観光庁の「ラグジュアリー・ジャパン賞」を受賞しました。

 蒲田切子(グラスフォレスト)の展示コーナー(左:蒲田切子、右:蒲田モダン水鏡)

炭ギャラリー(南久が原2-5-3) コーナーには、炭の総合燃料商社の増田屋が、新しい炭文化を発信するために、備長炭から茶の湯炭、火鉢や炭のオブジェを展示しています。

 炭ギャラリーの展示コーナー(左:炭の総合燃料商社の増田屋、右:炭のオブジェ)

第一次南極越冬隊長西堀榮三郎邸(鵜の木1-20-1)コーナーには、第1次南極越冬隊隊長を務めた西堀榮三郎氏が持ち帰った、南極昭和基地周辺で採取されたザクロ石片麻岩と玄武岩が展示されています。見学者には、ザクロ石片麻岩を持たしてくれて、かなりの重量に驚かされます。

 第一次南極越冬隊長西堀榮三郎邸の展示コーナー(左:南極の石のザクロ石、右:南極の石の玄武岩.)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第26回その4)

2012年03月06日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 下り高架橋下の工事現場    

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第6工区
・六郷土手付近仮下り線高架橋築造工事
六郷土手付近の下り線(仮運行)本高架橋築造は、工事現場が見難い環境ですが、3月1日に寶珠院踏切周辺を主として視察してきました。六郷土手付近の高架橋築造は、旧上り線線路の西側に仮高架橋を築造して上り線の高架運行を行い、空いた旧上り線線路跡に単線の本高架橋を築造し、出来上がり時には下り線の仮高架運行に使用されます。本文記事では、この築造高架橋を下り線高架橋と呼び、上り線高架運行の高架橋を仮上り線高架橋と称します。
今回は、寶珠院踏切付近から、六郷土手ガードまでの線路沿い区道からの撮影写真にて、工事状況を伝えます。旧上り線跡の仮下り線の高架橋の築造の進行状況は、仮上り線走行の車窓から撮影の動画で見て下さい。
下り線高架橋の築造は、寶珠院踏切南側に3橋脚間の上下線高架橋が完成しており、その高架橋の南側の旧上り線路跡に築造しています。寶珠院から高架橋を見ると、本殿北は完成済の上下線高架橋で、本殿南に見える高架橋が築造工事中の下り線高架橋です。

 寶珠院から見た下り線高架橋(:寶珠院山門から下り線高架橋を覗く、:寶珠院本殿北の下り線高架橋、:寶珠院本殿南の下り線高架橋0301)

寶珠院踏切から南側の完成の上下線高架橋の先に見える、左側のコンクリート橋桁が下り線高架橋で、右側の橋桁が仮上り線高架橋です。

 寶珠院踏切から見た仮下り線高架橋築造(0301写真拡大)

寶珠院踏切をわたり線路に平行している区道を南に進むと、上下線完成高架橋の南端からが高架橋の築造工事現場で、手前の高架橋が仮上り線高架橋で並行して奥が下り線高架橋です。築造高架橋脚柱の第1高架橋にはKP126の記号が付され、その南の第2橋脚柱は工事用幕で覆われています。

 完成高架橋と橋脚柱第1-2間の高架橋築造(:完成高架橋と第1橋脚柱間の高架橋築造、:第1-2脚柱間の高架橋築造0301)

第2橋脚柱と第3橋脚柱の間の高架橋は、工事膜で覆われているため高架橋が見えません。第3-4橋脚柱間は開いており、第4橋脚柱にはKP129の記号が付されています。

 第2-4橋脚柱間の高架橋築造(:第2-3橋脚柱間は工事覆いで塞がれている、:第3-4橋脚柱間の高架橋0301)

第4-5橋脚柱の間の高架橋築造工事には、複数の作業員が工事をしており、第5橋脚柱にはKP130の記号が付されています。

 第4-5橋脚柱間の高架橋築造(写真拡大)

第6橋脚柱付近から南の旧線路は盛土部で坂を昇って行き、高架橋下は盛土部石塀が残されています。盛土部の石塀の高さは徐々に高くなり、最高位に達するとその先の旧線路は高架橋構造となり、この旧高架橋の高さ位置を桁上げして、下り高架橋となり、区道ガードが下り線高架橋の南端です。

 下り高架橋築造は区道沿いにガードまで続く(左上:第5-6橋脚柱間高架橋、中上:第6-7橋脚柱間高架橋、右上:これより南の橋脚柱間は旧盛土石塀で囲われている、左下:旧盛土部の石塀は徐々に高くなる、中下:旧盛土部石塀が最高位になると旧線路は高架橋となる、右下:旧高架橋線路は区道ガードをわたり六郷土手駅へ)

寶珠院踏切南から六郷ガード間の仮上り線高架橋走行車と在来下り線走行車から、下り線高架橋の築造工事の現況を、2月27日に動画撮影しました。

寶珠院踏切―六郷ガード間下り線高架橋築造工事.wmv

[クリックすると、寶珠院踏切南から六郷ガード間の下り線高架橋築造現場を、仮上り高架線路および在来下り線走行の車窓からの高架橋工事の現況が見られます]

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第26回その3)

2012年03月04日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 蒲田第6踏切跡の下り本高架橋と上り線高架橋   

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第2工区工事
・上り線梅屋敷駅ホーム工事
前回記述時には、上り線梅屋敷駅高架ホームのエスカレータの取り付け工事が開始されたところです。2月20日に見ると、階段およびエスカレータを結ぶ踊り場の築造工事が進められています。

 上りホーム階段・エスカレータ・エレベータ取付工事(:上りホーム階段・エスカレータの踊り場、:上りホームの階段部、:上りホーム階段の底面部を見る0220)

また、上り線高架ホームの上では、ホーム完成を目指して諸工事が進められています。

 上りホームのエスカレータ・エレベータ取付工事(:上りホームのエスカレータ・エレベータ取付工事、:上り高架本ホームの階段・エレベータ取付工事、:上り線側本ホームの開通準備工事0220)

第5工区工事
・京急蒲田第6~9踏切跡間下り線本高架橋工事
前回記述時には、同第6~9踏切跡間下り線本高架橋の築造は一部に工事用残材が残るのが見られましたが、下り線本高架橋はほぼ出来上がりの状況でした。なお現在、この間の下り線の運行は、西側に設置された仮高架橋上を走行していますので、同第6~8踏切は残存していません。
3月1日に、その後の京急蒲田第6~9踏切跡間下り線高架橋の築造状況を見てきました。蒲田第6踏切跡ガード南側の下り線高架橋脚柱には、まだ工事覆いシートが掛けられており、高架橋下にも工事車運転に使用されていた鋼板は残っています。同踏切跡北側の高架橋は、かなり以前から完成していますので、工事中に敷かれていた鋼板は取り払われています。

 蒲田第6踏切跡付近の下り線本高架橋の築造(左上:京浜国道より京急蒲田第6踏切付近の下り本高架橋を望む、中上右上左下:第6踏切跡上の3階下り線本高架橋、中下:蒲田第6踏切跡北側の高架橋下を見る、右下:蒲田第6踏切跡南側の高架橋下を見る0301)

今回の下り線傾斜高架橋築造の京急蒲田第6から第8踏切跡間の写真撮影は、従来とは逆に高架橋線路を西側から視察してみました。

 高架橋を線路西側から視察の説明地図

同第6踏切跡からマル2付近までの高架橋は、手前に仮下り線高架橋が見え、後ろ側に下り線傾斜高架橋が見え、上り線高架橋は仮高架橋の陰で見えません。傾斜高架橋の高さは、マル2付近では大分低くなってきます。

 京急線路西側から見た傾斜高架橋1(:蒲田第6踏切跡西側から見た傾斜高架橋、:マル1地点から見た下り線傾斜高架橋、:マル2地点から見た下り線傾斜高架橋0301)

マル3付近での高架橋は、仮下り線高架橋が地上に降りはじめるので、2階の高さの上り線高架橋が見えてきて、下り線傾斜高架橋も3階の高さから2階の高さへ徐々にと降下しているので、3線の高架橋が姿を現します。

 京急線路西側から見た傾斜高架橋2(:マル3地点から見た傾斜高架橋、:上下仮線高架橋が重なる地点、:上・下・仮線高架橋の高欄0301)

マル4付近では、仮下り線高架橋の高さがかなり低くなり、下り線傾斜本高架橋も2階の高さへと降下するので、2階の上り線高架橋の姿が大きく見えてきます。

 京急線路西側から見た傾斜高架橋3(:蒲田第8踏切跡西側から見た傾斜高架橋、:マル4地点から見た傾斜高架橋(拡大)、:上・下・仮高架橋の高欄0301)

蒲田第8踏切では、北側の傾斜高架橋の工事覆い幕と足場がまだ取り外されていません。また、北側と南側の高架橋下には、工事車用の鋼板が敷かれています。

 蒲田第8踏切跡の3階下り線本高架橋(:第8踏切跡東側から見た下り・上り・仮高架橋、:第8踏切跡北側高架橋下、:第8踏切跡南側高架橋下0301)

同第8踏切際の蒲田消防車の南に接した路地の突き当りでの傾斜高架橋の高さは、あと僅かで2階の高さとなります。高架橋下には、まだ一部に鋼板が敷かれたままです。

 蒲田消防署南路地突き当りの傾斜高架橋(:消防署南路地突き当りの傾斜高架橋、消防署突き当り路地北側の高架橋下:、:消防署突き当り路地南側の高架橋下0301)

同第9踏切では、仮下り線高架橋は地上に降り、下り運用線路は踏切上を通ります。高架橋下では、上り線高架橋側のみに鋼板が敷かれています。

 蒲田第9踏切の運用中の上り線と築造中の下り線高架橋(:第9踏切上の上下線高架橋、:第9踏切北側の本下リ線高架橋下、:第9踏切北側の本下リ線高架橋下0301)

蒲田第6から第9踏切間の下り線傾斜高架橋築造現場を、上り線高架橋および仮下り線高架橋の走行車両の先頭および最後尾車窓から、2月27日および3月1日に工事の進況を撮影しました。

京急蒲田第6ー第9踏切間傾斜高架橋築造工事.wmv

[クリックすると、蒲田第6から第9踏切間の下り線傾斜高架橋築造現場を、上り線線路および仮下り線高架橋走行の先頭・最後尾車窓からの高架橋風景が見られます]

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 3月INDEX

2012年03月01日 | INDEX

kan-haru blog 2012 3月5日43版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

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 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 ■ 大森町界隈あれこれ 諏訪神社 東日本大震災で損傷の鳥居修復なって初午と針供養を迎えるその1 2月19日
 ■ 大森町界隈あれこれ 諏訪神社 東日本大震災で損傷の鳥居修復なって初午と針供養を迎えるその2 2月22日
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
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 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版
 ■ 大森町界隈あれこれ 第16回大田工業フェア 中小企業を中心に工業技術や新製品を紹介する展示商談会 2月6日 
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
 
  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 関連側道高架化全工区下り線工事2012年前期版高架化全工区下り線工事2011年後期版高架化全工区下り線工事2011年前期版高架化全工区下り線工事2010年版全工区統合2009年版全工区統合2010年版、大森町付近工区:2006・2007年版2008年版2009年版梅屋敷付近工区、京急蒲田付近工区:2006~2008年版2009年版雑色付近工区糀谷付近工区
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第26回その1) 2月25日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第25回その2) 2月28日

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2012年版 
 ■ 風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺2012 2月17日
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版
 ■ イベント 江戸東京博物館 討入り時期に絵で楽しむ忠臣蔵と辰年に因んで歴史の中の龍展その2 2月4日
26 ITと技術 総目次
◇ 2006~2011年版2012年版
 ■ ITと技術 クラウド活用 ITの個人情報データファイルの多重保存による信頼化とデータの共有化第1回 2月8日
 ■ ITと技術 クラウド活用 ITの個人情報データファイルの多重保存による信頼化とデータの共有化第2回 2月10日
 ■ ITと技術 クラウド活用 ITの個人情報データファイルの多重保存による信頼化とデータの共有化第3回 2月13日
27 Weblog 総目次

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K&A kan-haru 日記の見方について

2012年03月01日 | INDEX
kan-haru blog 2012 3月5日1版別編分離   

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[K&A kan-haru 日記の見方について]
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総合目次は、この月間INDEXと統合しており、同一のカテゴリー別目次を併用しております。
「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、日記を見るためのガイダンスを記載してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新

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