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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第1回その2)

2013年02月27日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 京急蒲田より雑色に向かう仮高架線走行列車から20100929 
        
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・南蒲田交差点立体交差
京急下り線の高架化により、踏切が無くなった環8通りと国道15号線の南蒲田交差点が、2004年に工事(「大田区界隈 第1京浜国道立体交差工事 南蒲田立体交差事業現場見学会 その1その2その3」参照)を着手して、2012年12月9日午後4時に立体交差完成で開通しました。

 環8・国道15号南蒲田交差点(左上中上:京急蒲田陸橋上から川崎方を見た環8通りの下を通る国道15号トンネル部、右上左下:陸橋上から川崎方を見た国道15号側道、中下:陸橋下から川崎方を見た国道15号側道、右下:陸橋上から品川方を見た国道15号立体道と側道の合流点20130207)

交差点は、環状8号線の下に4車線の国道15号をアンダーパスとするもので、大田区南蒲田1丁目から同東六郷1丁目までの延長が0.98km(立体部:0.46km)で、幅員が50mの車線数が4~6車線です。完成により、環8通りの交通信号が長くとれ、国道15号通過時間が大幅に解消しました。

 環8・国道15号南蒲田交差点縦・横断面図

・旧仮線高架橋の撤去個所を見る
旧仮線高架橋は、環8通りの渋滞を緩和するために京急蒲田第2踏切南から、同第9踏切北までの区間に2006年築造を開始し、2008年5月18日に完成の仮線高架橋に上り本線が高架移設して環8通り踏切の閉鎖時間が4割減少しました。2010年5月16日には上り線高架橋完成により高架化し、上り線が使用していた仮線高架橋は空きになりました。同9月26日には、空きとなった仮線高架橋に下り地上の本線が移設し、上下線共に高架化となり、環8通り踏切を含めて5個所の踏切が無くなりました。さらに、2012年10月21日には、下り線高架橋の完成により本高架橋に移設して、仮線高架橋は空きとなりました。

 京急蒲田第2~9踏切間の仮高架橋の推移(:蒲田第8踏切と仮高架橋を通過する上下線列車20080518、:上り線高架化により地上下り線路の蒲田第5踏切が無くなる20100926、:元蒲田第8踏切跡付近上の高架橋線路20121024)

同12月5日に京急蒲田第2踏切から仮線高架橋を見ると、線路、コンクリート枕木および電力線電柱とトロリー線や信号機器は撤去されていました。

 仮高架橋上の線路、枕木、電柱、電力線、信号ケーブルなどが撤去される(写真拡大20121205)

2013年2月7日に線路や電力線などが撤去された旧仮線高架橋を、京急蒲田第2踏切から同第9踏切まで地上から見てきました。第2踏切から旧仮線高架橋沿いに南に進むと、切断撤去された電力線電柱が見られます。

 京急蒲田第2踏切跡から第4踏切跡までの旧仮線高架橋(:上部が切断撤去された旧仮線高架橋の電力線電柱、:区道交差点から川崎方を見た旧仮線高架橋、:区道交差点から品川方を見た旧仮線高架橋20130207)

蒲田第4踏切跡は、京急線の東西間を結ぶ要路で利用されています。5年間使用された、仮線高架橋は役目を終え、寂しげに佇んでいます。

 京急第4踏切跡から第5踏切跡までの旧仮線高架橋(:蒲田第4踏切跡から見た旧仮線高架橋(左)、:蒲田第4踏切跡付近から川崎方を見た旧仮線高架橋、:川崎方環8通りを見た旧仮線高架橋20130207)

環8通りは、高架化前には京急上下線の踏切と、国道15号線との地上交差点が接近しており、都内随一の交通渋滞の難所でした。それを解消するために仮線高架橋が活用しました。

 環8通り京急第5踏切跡上の旧仮高架橋(写真拡大20130207)

蒲田第6踏切跡は、環8通りからほど近いところにありますが、第1京浜国道側に葬儀式場の天祥院があります。

 環8第5踏切跡から第6踏切跡までの旧仮線高架橋(:環8から路地に入り川崎方を見た旧仮線高架橋、:仮線高架橋下の道路から蒲田第6踏切跡方を見る、:蒲田第6踏切跡の仮線高架橋20130207)

蒲田警察署の裏の京急蒲田第8踏切跡北方は、世界大戦前にはに出村駅があり、1936年品川―上大岡間の急行列車運転開始時には、待避接続駅として急行列車が停車しました。戦災で被災して休止となり、1949年に廃駅となりました。

 京急蒲田第8踏切跡付近の仮線高架橋(:出村駅があった蒲田第8踏切跡の仮線高架橋、:蒲田第8踏切跡北側から見た仮線高架橋、:第1京浜国道側から見た仮線高架橋(奥)20130207)

蒲田第9踏切は、仮線高架橋の南端で地上に降下します。

 京急第9踏切跡付近の仮線高架橋(:地上近くに降下の仮線高架橋、:蒲田第9踏切跡で地上に達した仮線高架橋、:電柱が残る仮線高架橋20130207)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第1回その1)

2013年02月24日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 京急蒲田第2踏切から見た下り地上線路の撤去跡
        
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京急蒲田駅高架化事業完了工事
2012年10月21日に下り線高架化により、下り線本線と空港線が3階高架ホームへ移設されました。下り線高架化時には、一部のホーム連絡階段は未完で工事が続行しており、京急蒲田駅入り口の東西通路の東側は、下り線地上ホームを横断して仮通路の運用です。
今回は、前回触れて無かった個所と、その後の京急蒲田駅の高架化事業完了工事を見ていきます。

 京急蒲田駅南端方構内図

・京急蒲田駅ホームへの通路
京急蒲田駅の入り口は、1階の東西通路から中2階の改札階に、エスカレータ、階段またはエレべ―タで昇り、行き先ホームへの改札口を入ります。

 京急蒲田駅の改札口(:東西通路から改札階へはエスカレータまたは階段で進む20121027、:改札階には正面と側面に改札口がある20121205、:側面改札を入るとエスカレータで2、5番線ホームへ20121027)

京急蒲田駅のホームは、2階が上り線ホーム、3階が下り線ホームの階層構造となっており、各階のホームの構成は本線(3、6番線)と空港線(1、4番線)ホームの他に、待避線(2、5番線)ホームを有しています。それぞれのホームへの通路は、7基のエスカレータと2本の階段およびエレベータで昇ります。
正面改札口を入ると、右方に上り線2階4、6番ホームへの昇りエスカレータ(左)と下り線1、3番ホームへの昇りエスカレータ(右)があり、エレベータはエスカレータの反対に向かい合わせてあります。また、左方のトイレの前をかぎのてに進むと上り線2階4、6番ホームへの階段と降りエスカレータがあります。側面の改札口を入ると、横浜方に上り線2階5番ホームへの2基の昇りと降りのエスカレータがあります。

 改札から各ホームへの連絡通路(:改札を入ると右に2、3階ホームへの昇りエスカレ―タ通路20121027、:左方をかぎのてに進むと上り線2階ホームへの通路、:トイレの前を進むと上り線2階ホームへの階段と降りエスカレータ通路20121205)

・京急蒲田終・発着各駅停車列車ホーム
2012年10月21日に下り線高架化により、ダイヤ改正が行われ待避線ホームを使用して、平日11時から15時(休日は18時)の時間帯に3本/時間の品川―蒲田間の普通列車が新たに新設され、それまでの1時間6本の普通列車が、9本に増設されました。
下り線京急蒲田終点の普通列車は、3番ホームを通過して待避線に入り、2番ホームに停車し、京急川崎車庫に回送されます。上り線京急蒲田始発の普通列車は、川崎車庫から折り返して、京急蒲田の5番線ホームに回送し、蒲田発の品川行きの普通列車となります。

 京急蒲田発着各駅列車の蒲田駅停車2、5番ホーム(左上:京急蒲田止まり各駅停車の蒲田駅2番ホームに入線20121205、中上:下り蒲田終着列車用待避2番ホーム、右上:新設された京浜蒲田駅終着の下り普通列車、左下:5番ホームに入線発車待ちの京急蒲田発普通列車、中下:6番ホームに入線の先行快特列車、右下:発車待ちの京急蒲田発普通列車内20121022)

・旧下り線地上ホームと線路、架線の撤去
2012年12月5日に見ると、旧下り線地上線路の撤去が始まっていました。下りホームの北方の線路と第1京浜国道踏切部の線路は撤去完了しており、電車架線は全て撤去されていました。

 旧下り線の地上の線路と架線の撤去が始まる(左上:旧下り地上ホーム北方の本線線路と架線は撤去完了、中上:旧下り空港線北方の線路・架線撤去完了、右上:旧下り空港線南方の線路未撤去、左下:東西仮通路南側の線路は未撤去、中下:空港支線の線路撤去、右下:第1京浜国道踏切部の線路は撤去完了20121205)

京急蒲田第2踏切跡北方からも、旧下り線地上線路の未撤去の様子を見ておきました。

 京急蒲田第2踏切跡北方の線路未撤去(写真拡大20121205)

2013年2月7日に改札階から、旧下り線ホームを見ると取壊しが始まり、ホーム屋根板が外されていました。

 改札階から旧下り線ホームの取壊し状況を見る(写真拡大20130207)

旧下り線地上ホームの屋根板が外され、ホーム南方の線路が撤去され、バラストも除去されていました。

 旧下り線地上線路、バラストとホーム屋根板が除去(左上:旧下り線道床のバラストとホーム屋根板が除去、中上:電気系統のケーブルが除去、右上:東西仮通路南側の線路撤去、左下:旧下り線ホーム南方の線路撤去、中下:空港線支線の線路撤去、右下:道床のバラスト除去20130207)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第1回その2)

2013年02月21日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 DSCF6782町エヤード       

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・内川付近旧下り線傾斜高架橋の取壊し
2012年10月21日に下り線高架移設により旧下り線傾斜高架橋は、平和島第2架橋北方から降りはじめ、平和島第5踏切北方で地上に達します。旧下り線傾斜高架橋を走行車窓からの静止画を、同10月16日に撮影しました。

 下り線移設前の傾斜高架橋走行列車前窓から(:切換え点附近、:平和島第2架橋北方付近、:第2架橋付近20121016)

仮下り線高架橋を走行する車窓からの静止画を、高架化移設当日に撮影しました。

 下り線移設後の高架橋走行列車前窓から(:切換え点附近、:平和島第2架橋北方付近、:第2架橋付近20121021)

下り線の高架化移設は、平和島第2架橋北方の接続点で、傾斜高架橋をジャッキアップして、新高架橋と接続しました。

 下り線高架橋と傾斜高架橋の接続点(:高架橋走行列車後尾窓から傾斜高架橋の接続点を見る20121021、:下り線高架橋と傾斜高架橋の接続点20130203、:平和島第2架橋北方の新旧高架橋の接続点20120406)

下り線高架移設により、傾斜高架橋は不要となり電力線および電柱、線路、コンクリート枕木、バラストなどが撤去されました。

 旧下り線傾斜高架橋の線路、枕木、バラスト、電車線等の撤去(左上:り線走行列車から旧下り線傾斜高架橋を見る20121021、中上:高架移設前の旧下り線傾斜高架橋道床20120205、右上:線路とバラスト撤去20130203、左下:コンクリート製枕木の撤去20121209、中下:20121209、右下:道床撤去の旧下り線傾斜高架橋の遠望20130203)

旧下り線傾斜高架橋は全て除去され、傾斜高架橋撤去の準備が進められています。

 撤去工事の準備が進む旧下り傾斜高架橋(:傾斜高架橋の撤去工事が始まる20130201、:高架下り線から見た旧下り傾斜高架橋20130203、:接続点から旧下り線傾斜高架橋を見る20130207)

2月3日に、内川橋梁付近から平和島第2架橋北側間の撤去する旧下り線傾斜高架橋を見てきました。内川橋梁傾斜高架橋の側板塀は外され、撤去のため高架橋上部道床枠には木材と金属の支え台が設置されています。

 内川橋梁北部の撤去準備が進む傾斜高架橋東面(:内川橋梁北岸部、:内川橋梁北側の傾斜高架橋、:0203)

同様に旧下り線傾斜高架橋東面を見ると、旧橋脚柱P17までは撤去のため高架橋上部道床枠には木材と金属の支え台が施してありますが、橋脚柱より北方は未設置です。

 取壊し準備の旧下り線傾斜高架橋東面(左上:旧下り線傾斜高架橋内川橋梁西面、中上右上:傾斜高架橋道床枠底面には木製柱と金属組枠の受け台で支える、左下:受け台は旧橋脚柱P17までが設置済みで以北は未設置、中下:旧下り線平和島第2架橋(奥)、右下:接続点の旧下り線傾斜高架橋(奥)0203)

・大森町第1踏切南の旧下り線消滅
2012年10月21日には、平和島から六郷土手間と京急蒲田から糀谷間は上下線が高架化に移設し、この間の旧下り線地上線路運行の列車は無くなり、地上線路は消滅し、この間の28踏切も閉鎖されました。同11月14日に見ると、下り線の電力線が撤去されていました。

 上下線高架化により大森町第1踏切南側の地上線路は消滅(:閉鎖された大森町第1踏切南側、:不要となった大森町第1踏切南方旧下り線線路20121021、:大森町第1踏切道の旧下り線線路は撤去される20121124)

同12月18日に大森町第1踏切南方では、小型クレーン車により旧下り線の線路とコンクリート枕木の取外し工事を行っていました。

 大森町第1踏切南方の旧下り線線路と枕木の取り外し(写真拡大20121218)

同日に大森町第3踏切北方でも、小型クレーン車が線路と枕木を取外していました。

  大森町第3踏切北方の旧下り線線路と枕木の取り外し(写真拡大20121218)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第1回その1)

2013年02月18日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 工事資材の搬入20130207       

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大森町駅高架化事業完了工事
・高架駅橋下整理工事
2012年10月21日の下り線高架化移設時には、上下線の大森町駅高架ホームへの連絡通路のエスカレータとエレベータおよび階段は設置完了の状態です。下り線高架ホームへの連絡通路は、仮設改札口を入り直進すると、上り線高架ホームへのエスカレータとエレベータの前から、旧地上下り線路をこえて、下り線高架ホームへのエスカレータとエレベータの前に連絡通路が設置されています。また、下り線高架ホームへの連絡階段は、既設の上り線高架ホームへの昇ると踊り場が、下り線通路の階段まで設置されています。

 大森町駅高架工事配置説明図

これにより、大森町駅高架橋下の旧下り線ホーム、線路と道床や電気・信号設備等の運行設備は不要となりました。

 地上旧下り線運行中のホームと線路道床(:大森町第1踏切から見た旧下り線運行中のホームと線路20121020、:地上旧下り線ホーム上から撮影20121017)

大森町駅高架化事業完了工事は、先ずは大森町第1踏切の廃止工事から始まり、元大森町第1踏切道の北側と南側に囲いが付けられました。

 大森町第1踏切の廃止工事(写真拡大20121022)

次いで、旧地上ホームや線路道床および電力線設備と信号系設備の撤去工事が行われました。

 大森町駅高架化事業完了工事が始まる(左上:旧下り線路東側の板塀が外される20121105、中上:旧下り線仮設ホームの解体撤去20121111、右上左下:工事資材の搬出・搬入20121112、中下:電気、通信、信号系のケーブルの整理作業20121113、右下:旧下り線線路・枕木の撤去20121124)

2012年12月に入ると、旧ホーム、地上線路道床などの運用設備は撤去されました。

 大森町駅橋下の旧下り線設備の撤去説明図

12月には、地上運用の旧設備の撤去が進み、高架橋下が整備されて平滑化が進みました。

 大森町駅橋下の平滑化が進む(:電気関連ケーブルだけがが残る20121205、:電気関連ケーブルは移動され旧道床は平滑された、:高架橋下は殆ど平らになる20121218)

大森町駅橋下の平滑化が進むと、橋脚柱間補強などのため地中梁構築工事の準備が行われ、土留鋼矢板などの工事資材が搬入されました。

 地中梁築造工事の準備が進められる(左上:橋脚柱間の地中梁築造工事準備20130116、中上右上:橋脚柱間の地中梁構築の準備工事20130204、左下:地中梁築造工事用建築資材の搬入・出、中下右下:地中梁築造の土留鋼矢板が搬入20130207)

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<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事梅屋敷駅編(第1回)
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事梅屋敷駅編(第1回)

2013年02月15日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013       

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京急蒲田駅付近連続立体交差事業工事概要
京急蒲田駅付近連続立体交差事業が2000年12月に着手開始し、事業区間である京急本線(平和島駅~六郷土手駅間)および空港線(京急蒲田駅~大鳥居駅間)の2001年12月に高架化工事に着手しました。2008年5月に環状8号線付近の仮上り線高架橋を築造して4踏切道の上り線を高架化(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第9回その3)」参照)にしました。

 上り線が仮高架に移設した環8通り踏切(:東側から第5踏切を見る、:京急蒲田方を見る閉鎖の上り線、:川崎方を見る閉鎖の上り線)

2010年5月には、大森町駅梅屋敷駅京急蒲田駅(その1)同(その2)同(その3)雑色駅糀谷駅(←クリックにより各駅の使用開始状況が見られます)の上り高架ホームの使用を開始し、内川付近(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第21回その2)上り線高架化開通」参照)と六郷土手付近の仮上り線高架橋を築造して事業区間の上り線高架化に移設しました。
2010年9月には、空いた環状8号線付近の仮上り線高架橋(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第6回その2)」参照)を使用し、同区間の仮下り線の高架化に移設して、28踏切道のうち4 踏切道を廃止しました。
2012年10月には、大森町駅梅屋敷駅京急蒲田駅雑色駅糀谷駅の下り高架ホームの使用を開始し、事業区間の下り線高架化に移設して、4踏切道を廃止しました。
2013年に入り、現在は大森町駅・梅屋敷駅・京急蒲田駅・雑色駅・糀谷駅の高架橋下に駅舎構築の準備工事と、内川付近と六郷土手付近の下り線高架橋の築造工事と、環状8号線付近の仮下り線高架橋の撤去工事ならびに、梅屋敷駅・京急蒲田駅・雑色駅・糀谷駅の各高架駅の未設置の階段、エスカレータおよびエレベータの設置工事の準備が進められており、事業完了予定は2014年度末と発表されています。

梅屋敷駅高架化事業完了工事
梅屋敷駅高架化事業完了工事は、旧地上ホームや線路道床および電力線設備と信号系設備の撤去工事が先ず行われます。その後に、高架橋整備と駅舎構築のため、地中梁構築の工事に進みます。その関連を見るために、大森町第4踏切跡と梅屋敷第1踏切跡から、地上のホーム跡や線路道床、電気設備などの撤去の状況を、上下線の高架化移設後の2012年10月22、24日と2013年2月4日に見に行きました。
10月22および24日に、元梅屋敷地上下り線ホームと線路および電気設備を見ると、踏切道の線路には鉄枠で囲われた以外は、下り線の高架化移設前の状態と変化は見られず、ただ、作業員が地上鉄道設備の撤去作業の準備を行っていました。なお、下り線高架ホームへのエレベータの乗り降り口はホームレベルになっており、駅舎完成の際には地上レべルに下げる調整が必要となります。

 上下線高架化後の旧地上下り線梅屋敷駅ホーム、線路道床、電機関連設備(左上:大森町第4踏切から旧地上下り線ホームを見る20121022、中上右上左下:第4踏切から見る地上鉄道設備撤去作業の準備、中下:第1踏切から見る地上鉄道設備撤去作業の準備20121024、右下:ホーム上が乗り入れ口の下り線エレベータ2012102)

大森町第4踏切および梅屋敷第1踏切から見ると、線路道床およびトロリー線は未撤去であり、準備中です。

 旧下り線道床、電気設備は撤去の準備中(:第4踏切から北方を見る20121022、:第4踏切から見る20121024、:第1踏切から北方を見る20121024)

大森町第4踏切と梅屋敷第1踏切から旧下り線地上ホームを見ると、線路や電気設備は撤去され、地上上下線間を隔てていた白板塀は外されていましたが、塀の取り付け柱はまだ未撤去です。

 両踏切から旧地上ホームを見る(左上中上右上:大森町第4踏切から見る、左下中下右下梅屋敷第1踏切から見る20130204)

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<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編糀谷駅・下り線高架化(第3回その6)
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大森町界隈あれこれ 大森町2月の風景・風物誌 諏訪神社の節分・初午2013

2013年02月08日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2013 諏訪神社の節分豆まき        

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諏訪神社の節分祭
大森町の鎮守様諏訪神社の節分祭は、立春の前日に行われ今年は2月3日の日曜日にあたり、しかも今年は格別な寒さですが当日は暖かい陽気に恵まれて、まめを拾う近隣の人が沢山集まりましたので見に行きました。

 2013年節分祭の諏訪神社(写真拡大)

節分とともに、同9日の初の午の日に末社伏見稲荷神社で「初午祭」と、内川沿いの末社金山神社にて「針供養」の恒例行事が、春を迎える大森町の風物誌です。

 諏訪神社末社の伏見稲荷社と金山神社(:末社の伏見稲荷社、:内川沿いの末社の金山神社)

諏訪神社で豆をまく年男年女は、希望者は申し込むと参加ができ、毎年希望者を3回に分けて本殿にあがり、節分追儺(ついな)式が行われます。追儺式は、年男年女は裃を着用し神官を先頭にして本殿に入り、祝詞をあげて一同で礼拝し、本殿内の内部に2回と外部に向って1回と豆を撒きます。

 年男年女は3組に分けて節分追儺式に参列(:神官を先頭にして追儺式挙行の本殿にむかう、:本殿内にあがり追儺式の挙式、:追儺式が済み本殿から豆まき会場へ)

儀式が終わると太鼓を鳴らして、豆の入った枡が各自に渡され、本殿前で記念写真を撮り、観客が待っている神楽殿に上がり、クライマックスの豆まきが、神官の太鼓の合図で行われます。

 追儺式を終えて第1回目の年男年女の豆まきへ(:追儺式を終えて年男年女の記念撮影、:第1回目の年男年女は豆まき会場へ向かう、:豆まき会場の神楽殿へ向かう)

年男年女の第1回目の豆まきは、午後3時40分からですが、3時には神楽殿の前はまだ一人も集まっていません。追儺式が始まる頃に人が集まりだし、豆まき直前には沢山の人です。

 豆まきを行う神楽殿前は徐々に人が多くなる(:午後3時には神楽殿前はまだ空っぽ、:午後3時20分頃には人が集まり出す、:豆まき開始時には人でいっぱい)

神楽殿での豆まきは、豆、お菓子、みかんが撒かれ、観客がわれ先にと取り合います。撒かれた縁起物の品物を、うまく取れた人は、今年1年は運がよい年に恵まれることを願う、春の風物詩です。

 第1回目の年男年女による神楽殿での豆まき(:第1回目の年男年女が神楽殿に整列、:太鼓の合図とともに第1回豆まきの開始、:まかれた豆に手をあげてとれたぞ)

最近は、家庭での豆まきを行うことは見かけなくなりましたが、昔は一家の主人が「福は内、鬼は外」といいながら煎った大豆をまき、みんな自分の年の数だけ豆を食べるとこれから1年間は病気にならないと言われていました懐かしい行事です。

 第1回目の年男年女による豆まき風景(写真拡大)

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風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺初詣2013

2013年02月05日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2013 京急大師線ヘッドマーク2013       

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川崎大師初詣
大森町に住んで毎年初詣には、川崎大師平間寺は欠かさずお参りに行っています。
川崎大師は、山号が金剛山、院号は金乗院と称して、真言宗智山派の大本山のお寺であり、菩提樹とは武山派との違いはありますが同じ宗派のお寺なので、距離も近いことからなじみ深く、お参りしないと気持ちが良くないのです。

 川崎大師大山門と大本山(:川崎大師大山門、:大山門を潜り境内から大本山を見る)

初詣は、昔は三が日までに参詣するしきたりでしたが、特に初参りの期限の決まりはなく、松の内までに参詣すれば初詣であると云う人もあり、最近では1月中に参拝すれば初詣であるとの考え方もあるようです。昨年の初詣は、都合があり2月12日となってしまいましたが、今年は、1月31日にお参りしてきました。31日は、ウイークデーでしたが、沢山の人が参詣にきており、境内には露天も出ており、猿回しの大道芸が見られました。

 平日でも大道芸や露店が沢山出ている(:1月31日は平日でも露店が沢山出ている、:境内では猿まわしの大道芸が見られる)

大師の初参りには、決まってお参りが済んだら、境内のお札・お守り授け所で身代わりお守りと、災難除け(家内安全)のお札を毎年授けて頂き、昨年のお札やお守りとだるまは、納札堂にお礼の気持ちをこめて納めるのが定番です。参詣が済むと、門前の表参道の土産店でくず餅、厄除・開運だるま、せきどめ飴を、お土産に買います。
川崎大師初参りのブログ記事は。2007年2008年2009年2010年2011年2012年(←クリック)と記載しており、新たな記事は見当たりませんので、今年の初詣は2012年と同じコースをとりましたので、写真のみの掲示としますので、過去の記事を参照願います。
今回は、川崎大師平間寺の宗旨の説明と菩提寺との宗派の違いについて記述しました。

 くず餅とだるまを買うおみやげにくず餅とだるまを買う(:門前のくず餅やさん、:表参道の厄除・開運だるま屋さん)

真言宗
川崎大師や菩提樹の宗派、真言宗について調べてみました。
弘法大師(空海)は、804年(延暦23年)、唐へ留学し「密教を正当に伝承されて」806年(大同元年)帰国しました。弘法大師は、広い視野と的確な識見に基づき、密教の教えを組織的かつ体系的に整備して、真言密教を開宗しました。真言密教は、835年(承和2年)に弘法大師入定、約300年後、興教大師(覚鑁)が真言宗を中興し、1143年(康治2年)の覚鑁の入滅後、専誉僧正と頼瑜僧正が新義真言宗を打ち立て、高野山を中心として18本山に分かれて受け継がれています。

 表参道の何軒かの飴やさんでは飴切音の競演です(写真拡大)

・真言宗智山派
真言宗智山派は、弘法大師(空海)を始祖とし、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095年-1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派で、1577年(天正5年)に根来山の学頭職となった玄宥(1529年-1605年)が、1585年(天正13年)、秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山 智積院を、1601年(慶長6年)、徳川家康の許可を受け寺領(豊国神社付属寺院の土地建物)を拝受し復興させたことを端緒に創建されることとなった宗派である。
真言宗智山派の総本山は、智積院(京都市東山区)で、別院は、愛宕薬師真福寺(東京都港区)で、大本山は、成田山新勝寺(成田山・千葉県成田市)と、川崎大師平間寺(川崎大師・神奈川県川崎市川崎区大師町)および高尾山薬王院(高尾山・東京都八王子市高尾町)の三山があります。また、別格本山には、高幡不動金剛寺(高幡不動・東京都日野市)と大須観音宝生院(愛知県名古屋市中区)がある他、旧別格本山3寺と化主出身・隠居寺院の6寺があります。

 総本山五百佛山 根来寺 智積院(Wikipediaから)

・真言宗豊山派
真言宗智山派は、興教大師覚鑁が創始した新義真言宗という同一宗派でありました。真言宗は高野山を中心に教えを広めましたが、平安末期には一時衰退してしまいました。中興の祖、興教大師は弘法大師の教学を復興させ、根来寺を創建されました。根来寺での興教大師の教えは受け継がれ、鎌倉時代には頼瑜僧正によって新義真言宗が成立しました。新義真言宗は根来寺を中心に大変栄えましたが、戦国時代に根来寺は焼き討ちにあって、壊滅状態になり専誉僧正と玄宥僧正という二人のすぐれた学僧が根来寺を離れました。玄宥僧正は京都の智積院で智山派を興し専誉僧正は奈良の長谷寺で豊山派を興しました。豊山派の名は長谷寺の山号「豊山」に由来するものです。江戸時代、長谷寺(奈良県桜井市)は豊山派の総本山として大いに栄えました。一方、関東では豊山の隆光僧正が徳川幕府の厚い信頼を受け、大本山の護国寺(東京都文京区)を建立して江戸の豊山派の一大拠点とし、また、関東一円に多くの豊山派末寺を増やして豊山派寺院の隆盛を築き上げ、通称西新井大師は、山号を五智山と称し、寺名は遍照院總持寺と称する寺院で、空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り826年(天長3年)に寺院を建立し、川崎大師と共に「関東三大師」の一つとして有名です。

 総本山豊山 神楽院 長谷寺(Wikipediaから)

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イベント 日書展 第67回日本書道美術院教育部展が古巣の東京都美術館で開催

2013年02月03日 | イベント
kan-haru blog 2013 日書展受付     
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第67回日書展
第67回日書展が、3年振りに改装された東京都美術館に開催場所を戻して、平成25年1月4~10日に開催されました。

 第67回日書展招待券

第67回展では、日本書道美術院所属の書壇を代表する書作家の作品と一般公募作品併せて約2000点の作品が展示され、6日間で2万人を超える観客が訪れ、大盛況でした。日書展会場内では、第67回教育部展と第57回全国競書大会が併催され、出品者の両親や祖父母連れなど家族や関係者が訪れ連日賑わいました。

 新装改装の日書展開催東京美術館(:改装の東京美術館、:美術館入口への新装の階段・エスカレータ、:東京美術館入り口)

・教育部展授賞式
今回の教育部展では、中学2年の孫が2年ぶりに作品を教育部展に展示され、はからずも「みんなの書賞」を頂くことができましたので、1月6日に見に行きました。当日は、入賞者作品には、賞状・賞品が頂けますので国外にいる孫一家の代理で授賞式に参列しました。しかし、授賞式が行われた東京美術館講堂は、定員が230名の収容のため、付添いの参列者は全員が一堂に入れずに、途中入れ替えにより参列しました。
「第67回教育部展」は入賞者全員および、「第57回全国競書大会」は書芸文化院賞以上の入賞者が掲載されている目録を見られます(←ここをクリックする)。

 第67回日本書道美術院教育部展授賞式(:授賞式の付き添いが入れきれない講堂入り口、:授賞式日本書道美術院役員一同、:上位入賞者のひとりひとりに賞状授与)

なお、孫の書道の荻原玉汀(ぎょくてい)先生が第67回日書展で、1月4日に日書展特別賞「サンスター国際賞」の栄誉を得られました。国際賞の作品は、松尾芭蕉の「野ざらし紀行」から、伊賀上野での紀行文「こゝに草履をときかしこに杖を捨てゝ旅寝ながらに年の暮れ」、俳句「年くれぬ笠きて草履はきながら」。一年の旅を振り返り、旅のままに年の暮れを迎えた心境が詠まれたものです。

 第67回日書展「サンスター国際賞」の栄誉に輝く荻原玉汀先生の作品(SUNSTARホームページから)

日書展では、開催の1月8日に特別賞受賞者の荻原玉汀先生による席上揮毫会が実施されました。

 第67回日書展の荻原玉汀先生揮毫会1月8日(日本書道美術院ホームページから)

孫の、過去の教育部展の参加作品は、第65回教育部展(小学6年)で全日本書道連盟賞(「イベント 池袋サンシャイン・ワールドインポマート 第65回日本書道美術院「教育部展」」参照)、第63回展(小学4年)で秀作(「イベント 東京都美術館 第63回日本書道美術院「教育部展」」参照)、第62回展(小学3年)で優作(「イベント 東京都美術館 第62回日本書道美術院「教育部展」」参照)、第61回展(小学2年)で佳作(「イベント 東京都美術館 第61回日本書道美術院「教育部展」」参照)を頂きました。今回の第67回教育部展(中学2年)では、国外から参加して「みんなの書賞」を頂くことができました。

 みんんなの書賞の賞状・メタル(:みんんなの書賞、:みんんなの書賞メタル、:みんんなの書賞メタル表面)

・東京都美術館
東京都美術館(台東区上野公園8-36)は、明治以降の日本画や洋画など同時代の美術を展示する近代美術館の必要性が議論され、1926年(大正15年)に、北九州の石炭王と言われた佐藤慶太郎から東京府に100万円の寄付金が申し出され、それをもとに岡田信一郎設計により東京府美術館が建設されました。
開設当時の建物が老朽化し、1975年(昭和50年)に前川國男設計・大林組建設により総工費50億円の新館が完成しました。1975年開館の東京都現代美術館も築30年を超え、2010年4月より休館し、2年間の工期を経て先ず2012年4月に公募展示室、レストラン、ミュージアムショップ、美術情報室、アートラウンジがリニューアルオープンして、次いで同年6月には企画展示室のリニューアルにより全館がリニューアルオープンしました。
またもう一つの展示スペース、かつての彫塑室は多目的のギャラリーへと変更され、ロビーから直接エレベーターとエスカレーターで行き来することが可能になりました。また、北口入口が新設され、東京国立博物館の方からタクシー利用で入れます。

 改装の多目的のギャラリーと新設の北口入口(:活用が広がる改装された多目的ギャラリー、右:新設された北口入口)

・第57回全国競書大会
第67回日書展には、併載して日本書道美術院第67回教育部展と日本書道美術院第57回全国競書大会が開催されます。「第57回全国競書大会」には、一般部が漢字部・かな部・新書芸部の部門があり、教育部が小学部・中学部・高校部の部門があり、作品の仕様は普通半紙のタテ書きとします。賞には、特待賞/日本書道美術院賞/理事長賞/毎日新聞社賞/毎日小学生新聞賞/全日本書道連盟賞/高野山金剛峯寺賞/全国競書大会賞/書道美術特別賞/みんなの書特別賞/書芸文化院賞/秀華賞/推薦/特選・準特選/金賞・銀賞・銅賞(教育部のみ)があります。

 第57回全国競書大会展示会場(写真拡大)

・第67回教育部展
「第67回教育部展」には、高校の部、中学の部と小学の部(幼年を含む)があり、作品の寸法は本紙寸法がタテ100cm× ヨコ24.5cm(既製の半紙三枚判)で、審査後仕上寸法が軸端を含みタテ135cm× ヨコ36cm です。

 小学生(含む幼年生)展示作品(:小学校・幼年の部作品、:同上位入賞作品)

各部の賞種目には、、特待賞、日本書道美術院賞、理事長賞、毎日新聞社賞、全日本書道連盟賞、高野山金剛峯寺賞、教育部展特別賞、みんなの書賞があります。また、一般の入賞種目には、特選、秀作、優作、佳作があります。

 小・中・高校生展示作品(:小・中学生展示作品、:中・高校生展示作品)

第67回の上位入賞の受賞者は、特待賞(高2、中1点)、日本書道美術院賞(高1、中1、小1点)、理事長賞(高2、中2、小3点)、毎日新聞社賞(高2、中3点)、毎日小学生新聞社賞(小5点)、全日本書道連盟賞(高3、中5、小7点)、高野山金剛峯寺賞(高6、中11、小14点)、教育部展特別賞(高12、中22、小29点)、みんなの書賞(高24、中47、小59点)で、上記の「第67回教育部展」入賞者目録で入賞者指名が見られます。

 教育部展上位入賞作品展示(写真拡大)

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・カテゴリー別Index イベント総目次 2013年版2012年版2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版
<前回 イベント 大戦前は山手随一の盛り場神楽坂 花街風情の粋な三味の音と唄を肴に異業種交流会の忘年会 へ
次回 イベント 生誕120年木村荘八展 東京ステーションギャラリーで昭和の東京の油絵と小説の挿絵を見るその1
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kan-haru日記 イベント総目次(カテゴリー別INDEX) 2013年版

2013年02月03日 | INDEX

kan-haru blog 2013 12月31日131版

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< イベント カテゴリー別総目次 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2010年版2011年版2012年版 へ

   イベント カテゴリー別総目次 2013年版



2006年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2007年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2008年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2009年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2010年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2011年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)



136~154項INDEXは、2012年 イベント INDEX 参照 (ここをクリックして下さい)

155 イベント 「電車道」~日本の路面電車今昔~ 日本全国のさまざまな都市を走っていた路面電車写真展 9月10日
156 イベント 営業写真の開祖 1862(文久2)年に野毛に写真店を開いた下岡蓮杖の150年を遡る古写真展 9月27日
157 イベント 日本カメラ博物館 展示古カメラを見て高校生で初めて手にした蛇腹式カメラを思い出す 9月30日
158 イベント 神奈川県立歴史博物館 馬車道に聳える元横浜正金銀行の重要文化財の建物に魅せられる博物館その1 10月4日
159 イベント 神奈川県立歴史博物館 馬車道に聳える元横浜正金銀行の重要文化財の建物に魅せられる博物館その2 10月7日
160 イベント日本美術展覧会鑑賞 国立新美術館で日展入選の異業種交流会員の出展洋画を鑑賞その1 11月22日
161 イベント日本美術展覧会鑑賞 国立新美術館で日展入選の異業種交流会員の出展洋画を鑑賞その2 11月24日
162 イベント 大戦前は山手随一の盛り場神楽坂 花街風情の粋な三味の音と唄を肴に異業種交流会の忘年会 12月31日



163 イベント 日書展 第67回日本書道美術院教育部展が古巣の東京都美術館で開催 2月3日
164 イベント 生誕120年木村荘八展 東京ステーションギャラリーで昭和の東京の油絵と小説の挿絵を見るその1 5月29日
165 イベント 生誕120年木村荘八展 東京ステーションギャラリーで昭和の東京の油絵と小説の挿絵を見るその2 6月4日
166 イベント 生誕120年木村荘八展 東京ステーションギャラリーで昭和の東京の油絵と小説の挿絵を見るその3 6月8日
167 イベント 生誕120年木村荘八展 東京ステーションギャラリーで昭和の東京の油絵と小説の挿絵を見るその4 6月11日
168 イベント 日本銀行本館 辰野金吾の設計による旧館の堅固な建物の中央銀行の金庫、営業所や史料展示室を見学 7月19日
169 イベント 貨幣博物館 古貨幣研究家の田中啓文氏の銭幣館コレクションを日本銀行に寄贈し誕生した博物館 7月23日
170 イベント 江戸東京博物館 各派の江戸絵画作品を蒐集展示したファインバーグ・コレクション展その1 7月27日
171 イベント 江戸東京博物館 各派の江戸絵画作品を蒐集展示したファインバーグ・コレクション展その2 7月31日
172 イベント 東京藝術大学大学美術館 鶯谷から上野まで古寺・古建築を巡り夏目漱石の美術世界展を見るその1 8月12日
173 イベント 東京藝術大学大学美術館 鶯谷から上野まで古寺・古建築を巡り夏目漱石の美術世界展を見るその2 8月16日
174 イベント 東京藝術大学大学美術館 鶯谷から上野まで古寺・古建築を巡り夏目漱石の美術世界展を見るその3 8月21日
175 イベント 東京藝術大学大学美術館 鶯谷から上野まで古寺・古建築を巡り夏目漱石の美術世界展を見るその4 8月25日
176 イベント 東京藝術大学大学美術館 鶯谷から上野まで古寺・古建築を巡り夏目漱石の美術世界展を見るその5 8月29日
177 イベント 東京藝術大学大学美術館 鶯谷から上野まで古寺・古建築を巡り夏目漱石の美術世界展を見るその6 9月5日
178 イベント 三菱一号館美術館 浮世絵全貌の「浮世絵Floating World -珠玉の斎藤コレクション-」展 11月25日
179 イベント 東京藝術大学大学美術館 興福寺創建1300年記念の東金堂名宝の仏頭と十二神将像を観賞その1 11月30日
180 イベント 東京藝術大学大学美術館 興福寺創建1300年記念の東金堂名宝の仏頭と十二神将像を観賞その2 12月6日

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< イベント カテゴリー別総目次 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2010年版2011年版2012年版 へ

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 2月INDEX

2013年02月01日 | INDEX

kan-haru blog 2013 2月1日54版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の13年1月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版2009年後期版2010年前期版2010年前Ⅱ期版2010年中期版2010年後期版2011年前期版2011年後期版2012年前期版2012年後期版
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 ■ 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第89回箱根駅伝風景その1 1月26日
 ■ 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第89回箱根駅伝風景その2 1月29日
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版 
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 関連側道高架化 全工区下り線工事2012年後期版高架化全工区下り線工事2012年前期版高架化全工区下り線工事2011年後期版高架化全工区下り線工事2011年前期版高架化全工区下り線工事2010年版全工区統合2009年版全工区統合2010年版、大森町付近工区:2006・2007年版2008年版2009年版梅屋敷付近工区、京急蒲田付近工区:2006~2008年版2009年版雑色付近工区糀谷付近工区
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編糀谷駅・下り線高架化(第3回その1) 1月4日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編糀谷駅・下り線高架化(第3回その2) 1月8日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編糀谷駅・下り線高架化(第3回その3) 1月10日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編糀谷駅・下り線高架化(第3回その4) 1月12日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編糀谷駅・下り線高架化(第3回その5) 1月14日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編糀谷駅・下り線高架化(第3回その6) 1月17日

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2012年版 
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版
26 ITと技術 総目次
◇ 2006~2011年版2012年版
27 Weblog 総目次

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