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kan-haruの日記

旅ものがたり さくらんぼ狩り 上山温泉日本の宿古窯と天地人の米沢上杉神社 その2

2008年06月30日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2008 
 
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かみのやま温泉
かみのやま温泉は、かつて江戸時代には宿場町として栄えていた町で、蔵王連邦を望む山形盆地の南側に位置します。温泉の名前の由来は、山形から都会側にあり、山形の上ということで、上の山形から上山になったと云われています。また、かみのやま温泉は、1458年に肥前の国の月秀という僧が、沼地に湧いているお湯に鶴が一羽、首を浸けて傷を癒して飛び立ったのを見たとすることから、「鶴脛の湯」という別名があります。
かみのやま市内には、湯町、十日町、新湯、高松、葉山、河崎、金瓶の各地区に数多くの温泉があり、これらの温泉を総称して「かみのやま温泉」と呼んでいます。

上山温泉日本の宿古窯
宿泊の古窯(こよう 山形県上山市葉山5-20 地図参照)は、かみのやま温泉駅から西方向の葉山温泉地区の高台にあります。古窯の由来は、今から1200年前の奈良時代に開かれた窯業が発見され、山形県指定文化財となり、その窯跡に因んで古窯と名付けられました。古窯温泉売店の奥には、発掘当時の窯跡を保存して窯神社として祀っています(古窯遺跡 古窯HPから)
古窯では楽焼が名物で、訪れた著名人が名刺代わりに書いた3千枚の楽焼きが館内の廊下の壁に飾ってあり、美空ひばり、石原裕次郎や岡本太郎などの名前(らくやきの詩古窯HPから)が見られます。


・古窯の温泉
上山城周辺の散策から古窯に着いたのは16時をまわっており、8階の部屋に案内されました。人気の日本の宿古窯の温泉の大浴場は、1階に紅花風呂と8階に展望大浴場があり、入替制で男性が先の展望大浴場を楽しみました。展望大浴場からの蔵王連山の眺望は誠に素晴らしく、露天風呂も楽しめました。温泉の泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩の温泉で、メタケイ酸が76mg含まれており三大美人泉質として知られています。
朝の風呂は、昔紅花を最上川から京に運んだ北前船に因んだ紅花風呂の大浴場と木製露天風呂に浸りました。

・古窯の晩餐
旅行の楽しみは、観光で疲れた体を温泉で癒した後の晩餐の郷土料理と地酒に舌鼓をうつことです。晩餐は、別階の和室の個室会食場で料理長の心と技を凝らした季節の味に出会います。

 御献立(拡大)

なんと云っても山形名産米沢牛のしゃぶしゃぶと、北国の風情をあしらったかまくらもりのおつくりに、山形のおこめの地酒は天下一品です。孫は、彩のある和食に大喜びです。

 料理長の心と技を凝らした料理

食後には、1階ロビーで和太鼓の演奏と宿泊客参加の花笠音頭踊りが行われ、丁度某テレビ局が30日放映の番組取材の撮影に入っていました。

 温泉での夜の憩い

さくらんぼ狩り
お待ちかねのさくらんぼ狩りは、契約の農園高橋フルーツランド(上山市阿弥陀地185 地図参照)までタクシーで直行です。農園には古窯から南に向かい、左手にかみのやまには不釣り合いの41階建ての高層マンションを見ながら車で10分ほどです。
山形のさくらんぼがおいしいのは、さくらんぼは冬眠を必要とし、花芽がつく時期には昼温かく夜寒いことが必須条件で、開花期には低温と霜を嫌い、耐水性の弱い根なので水はけのよい礫質の多い扇状地であり、梅雨に雨が少なく昼夜の寒暖差がある山形は最高の環境なのです。

 さくらんぼ狩りの高橋フルーツランド(:上山に不釣り合いの高層マンション、:高橋フルーツランド、:露地ものサクランボ)

高橋フルーツランドのさくらんぼ狩り料金は、30分食べ放題で5月から6月上旬までは佐藤錦のハウスものが2500円、6月中旬からは露地ものとなり1500円で、7月に入るとナポレオンが加わります。15日のさくらんぼ狩りは露地ものとなり、時期的に早かったので農園がまだ空いており、今年は晴天が続いたので甘いさくらんぼに仕上がり、恵まれたさくらんぼ狩りができました。しかし、欲をかいても思うほどさくらんぼは食べられないものです。

 さくらんぼ狩り風景(:さくらんぼは30分食べ放題、:甘い佐藤錦、:さくらんぼを採ったり写真を撮ったり忙しい)

さくらんぼ狩りを終えお土産を発送して貰い、地元で人気のワイナリー「蔵王スターワイン」に立ち寄り、米沢観光に向かいました。

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旅ものがたり さくらんぼ狩り 上山温泉日本の宿古窯と天地人の米沢上杉神社 その1

2008年06月28日 | 旅ものがたり
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さくらんぼ狩り
小学生の孫が、授業参観の振替により6月15、16日の日曜と月曜が休みになったので、山形のさくらんぼ狩りに親子3代で行ってきました、天気に恵まれた楽しい一泊旅行のものがたりです。
さくらんぼは全国の生産量の約1万9千トンのうち74%が山形県で収穫され、品種改良された佐藤錦とともに、山形県はなんと云っても「さくらんぼ王国」ですので、初のさくらんぼ狩りには日本の宿と人気の上山温泉に行きました。

上山温泉
上山温泉(上山温泉地図参照)へは、東京駅発8時8分の山形新幹線つばさ105号で、10時51分にかみのやま温泉駅着です。初日は、夕刻までゆっくりと上山市を散策して予約の古窯温泉に入ればよいので、蔵王連峰の山麓にいだかれた駅前の温泉街らしくない平地の町を目的なくお城が見える方向に、山形の名物であるお蕎麦を昼食にしようと探しながら散策をはじめました。

 かみのやま温泉街風景(左:かみのやま温泉駅、中:眉川橋から見る上山城、右:上山城入口案内のやぐら)

かみのやま温泉駅前から斜めに進み広い通りに出ると荒町川があり、その川の眉川橋を渡ると右側の川岸に前川の足湯があります。かみのやま温泉には、五ヶ所の足湯があり、蔵王の山並みや市街を見ながらかみのやま市民とのふれあいが楽しめます。足湯のある川岸は、昔栄えた最上川舟運の船着場があったそうです。
川から北に向かうと広い四つ角に出て右折するとすぐ、街の案内をしてくれる上山まちづくりセンターがありましたので、そこでかみのやまの観光などの情報を聞きました。

 かみのやま温泉街風景(左:上山温泉街のお菓子屋、中:上山温泉街のおそば屋、右:三島坂 上山温泉街は坂が多い)

通りを行くと四つ角の左側に上山城入口案内のやぐらが見え、その対面には上山そばの達人7人衆の1つのおそば「一力」があったので昼食に入りました。山形のうまいものの1つには地元産そば粉を使用したおそばがあり、かみのやまのラーメンもまた近隣の町のなかでおいしいと知られている一品で、各人思い思いのおそばの味を楽しみました。

上山城
上山市のシンボル上山城(かみのやまじょう 上山城沿革)は別名月岡城と言い、1535年(天文4年)に米沢盆地と山形盆地の中央にある上山盆地にある丘陵天神森に作られた平山城であり、山形の最上氏と米沢の伊達氏が、しばしば衝突した地であります。
現在の上山城は、1982年(昭和57年)に建てられた郷土博物館で、歴史・自然科学・産業の資料を展示してあります。現在の五層の近世風天守閣は、旧城の建造物とは関係がなく、場所も城内ではあるが二の丸の南に建てられています。

 1982年に建てられた現代の上山城

上山城へは三宅坂を上ると正面に天守閣を控えた入場門があり、入場料は一般大人が400円、小・中学生が50円で、1階から4階までエレベータで眺望が抜群の天守閣展望台です。

 上山城天守閣展望台からの眺望(蔵王連峰写真拡大)

3階には、先史・古代・中世の上山の移り変わりが、2階には近世・近代の上山に関する展示資料が見られ、1階では、五面マルチスクリーンで上山の四季などの迫力ある映像が楽しめます。
また、1階では、さくらんぼストラップを手作りするのコーナーがあり、皆で個性豊かなさくらんぼ作りに励みました。

 手作りさくらんぼストラップ(写真拡大)

武家屋敷
上山城の眺望のよい2つ目の足湯を脇に見て、月待坂をのぼり三島神社(由緒)を通り抜け、上山城の裏手の旧本丸跡に建てられた藤井松平家の初代利長と二代信一が祀られている月岡神社を通り、上山小学校を過ぎたあたりで武家屋敷のある「中の坂」の道に突き当たります。

 武家屋敷通りへの道すがら(左:三島神社、中:月岡神社、右:武家屋敷通道標)

この道を右に進むと、上山温泉の湯町ブロックです。湯町とは反対方向に行くと、四軒ある武家屋敷が残されています。


武家屋敷通りを左に曲がると左側に明新館跡の石碑が建っております。明新館跡(明新館案内板説明板)とは、上山藩では藩主松平信行が儒学、武道の鍛錬の上山藩校「天輔館」を開設し、さらに藩主松平信宝は1840年(天保11年)に藩校を充実し、この地に学舎を新築し「明新館」と呼びました。
最初の武家屋敷は旧曽我部家(案内板)で、初代宗八が1708年(宝永5年)に藤井松平氏七代信通の家禄50石で宗旨奉行を務めてこの地に居住し、建物の表玄関は武家中門造りで中級武家屋敷の様式を表しています。

 武家屋敷探訪(:明新館跡石碑、:旧曽我部家玄関、:旧曽我部家背面)

次の山田家(案内板)は、1753年(宝歴3年)に定住の恒右衛門を初代として、建物は1804年(文化元年)頃と推定されてます。隣の三輪家(案内板)は初代十郎左衛門が側用人として1753年(宝歴3年)から江戸藩邸上屋敷と上山に住み、建物は文化年間初期と推定されてます。次の森本家(案内板)の初代七郎兵衛が現在の屋敷に移り住んだのは文久年間以降といわれ、先住者から引き継いで居住しました。

 武家屋敷探訪(:山田家、:三輪家、:森本家)

春雨庵
武家屋敷を見て西に進むと湯出坂の左には、3つ目の足湯があり上山温泉の新湯ブロックです。月岡ホテル前にある月岡足湯には、何人かが足を付けておりましたので、足の疲れを癒すため足を入れるとお湯がかなり熱く、慣れるまで時間を要しましたが、さすが温泉であり足の疲れが軽くなりました。
新湯温泉街を抜けて荒町川を渡り、駅前通りを越して沢庵坂を進むと右が春雨庵です。

 春雨庵への道すがら月岡足湯で一休み(左:湯出坂、:月岡足湯で足の疲れを癒す、:春雨庵跡)

春雨庵跡(山形県史跡)は、1629年(寛永6年)に京都大徳寺の沢庵禅師は「紫衣事件」で江戸幕府と対立し、訴状執筆の責任を問われ上山に流されてきて、当時の上山藩主土岐頼行は、沢庵和尚に草庵を用意し手厚く迎え入れました。沢庵はこの庵を「春雨庵」(由緒)と名づけて、三代将軍家光に赦されるまでの約三年間をこの地で過ごしました。

 復元された春雨庵(左:春雨庵跡石碑、:復元された春雨庵と沢庵禅師)

後に許されてから、徳川家光は沢庵禅師が詩歌、書画、茶道、武道の造詣が深いのに感動し、品川に東海寺を建てて寄与されて、タクアン漬け(沢庵漬け発祥の碑)にその名を残した禅僧です。復元された春雨庵には、沢庵のご尊像と茅葺屋根のすばらしい茶亭と美しい茶庭、石佛等が配されています。

上山温泉今宵の宿古窯
2日目のさくらんぼ狩りに宿泊する宿は、日本の宿古窯(こよう)です。タクシーを呼んで旅の疲れをほぐすかみのやま温泉に浸かります。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第10回)

2008年06月25日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008 環八通り立体交差高架橋開通ポスター(拡大)
 
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環八通り立体交差高架橋開通後の高架化状況
環八通り先行立体交差高架橋開通1ヶ月後の、京急蒲田駅付近の高架化工事(工事分担図参照)の進展状況を6月21日に見てきました。

 京急蒲田駅工事工区分担図(再掲)

第5工区の高架化工事
第5工区工事のJV大林組・五洋建設が担当の高架化は、一先ず上り線の環八通り先行立体交差高架橋が開通したので、これからの高架橋の築造は京急蒲田第2踏切以南から、同第9踏切までの本線下りの単線だけを運行しながらの直上高架施工で工事が行われます。
京急蒲田駅ホームから南の同第2踏切間の、先行立体交差高架橋開通により線路の大移動を行ったところでの高架化工事は、線路脇を深く掘り下げて基礎工事を行っています。掘り下げた底部には工事トラックターが覗けました。

 京急蒲田駅ホームから第2踏切間の高架化工事(:地下深くでトラックターの基礎工事)

・京急蒲田第2踏切から第5踏切間高架化工事
京急蒲田第2踏切以南では本線下り線路が、先行立体交差高架橋開通に伴い山側の旧上り線の位置まで移設し、その先でカーブして在来下り線位置に戻る様に運行ルートが変更(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第9回その2)」参照)されました。
この個所の高架橋の建設は、既に下り線路がカーブする付近から、第4踏切を挟んで環8通りの第5踏切近くまでの1階部高架橋の築造が進んでいました。また、第2踏切以南からこの高架橋までの間は、先行立体交差高架橋より外の山側に太い鋼鉄の丸い橋脚が建てられています。

 京急蒲田第2-5踏切間高架橋築造(:第2踏切の下り線路、:第4踏切から第5踏切方向を見る、:第5踏切から見た高架橋築造)

21日には、この部分の先行立体交差高架橋に移設して、運転されなくなった本線の旧上り線路が撤去され、踏切道の横断幅が狭く縮小されています。

 京急蒲田第2-5踏切(:京急蒲田第2踏切、:同第4踏切、:同第5(環8)踏切)

・京急蒲田第6踏切から第9踏切間高架化工事
京急蒲田第6踏切から第9踏切間には、既に先行立体交差高架橋の海側には、コンクリート造りの四角い橋脚が建てられており、同様に運転されなくなった本線の旧上り線路が撤去され、第8踏切までは踏切道の横断幅が狭く縮小されています。第9踏切は、上り線が先行立体交差高架橋に進むため、踏切道の横断幅は広く拡幅されています。

 京急蒲田第6-9踏切(:京急蒲田第6踏切、:同第8踏切、:同第9踏切)

第3工区の高架化工事
梅屋敷第4踏切北では、21日に多摩堤通りを渡る高架橋の橋脚が進められておりました。まだ1階部のみの橋脚ですが、ここでは第2工区が建設の2階部高架橋と結ばれます。

 梅屋敷第4踏切北側高架橋脚(写真拡大)

また、京急蒲田駅ホームから同第4踏切にかけての1階部のみの高架橋も進んでおります。丁度ありがとうギャラリー号(「わが街の京浜急行110周年記念 大正~昭和を再現した「ありがとうギャラリー号」に乗る」参照)が第4踏切から工事中の高架橋下へ進入してきました。

 第3工区の高架駅橋1階部の築造(左・:工事中の高架駅橋下に入るイベント列車、:高架駅橋1階部の築造)

第7工区の高架化工事
京急蒲田(空)第2踏切から、糀谷駅手前の同第4踏切までの高架橋の築造は、踏切上の橋部を除いて5月にはほぼ完了しています。

 京急蒲田(空)第4踏切付近の高架橋築造(写真拡大)

同第1踏切付近の高架化進展の様子を、6月21日に京急蒲田駅に向かう電車内から写してみましたが、大きくは変化がないようでした。

 京急蒲田(空)第2踏切付近の高架橋(車内より)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田付近工区 Sub INDEX 2006~2008年版

2008年06月25日 | INDEX
kan-haru blog 2009 3月30日19版

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 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田付近工区 Sub INDEX 2006~2008年版



  京浜急行 京浜急行の高架化(その1) 8月9日
  京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第1回その1) 12月22日 
  京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第1回その2) 12月24日 
  京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第1回その3) 12月26日



  京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第2回) 4月29日
21 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第3回)  11月24日
23 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その1) 12月5日
24 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その2)  12月7日
25 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その3) 12月9日
26 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その4) 12月11日



31 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 蒲田駅付近(第5回) 1月29日
36 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第6回その1) 2月20日
37 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第6回その2) 2月22日
40 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第7回) 3月7日
49 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第8回) 4月25日
56 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第9回その1) 5月21日
57 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第9回その2) 5月23日
58 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第9回その3) 5月25日
64 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第10回) 6月25日
72 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第11回) 7月26日
80 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第12回その1) 8月31日
81 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第12回その2) 9月3日
88 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第13回その1) 9月27日
89 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第13回その2) 9月29日
96 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第14回) 10月27日
102 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第15回その1) 11月23日
103 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第15回その2) 11月25日
108 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第16回その1) 12月15日
109 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第16回その2) 12月17日
110 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第16回その3) 12月19日



116 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第17回その1) 1月17日
117 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第17回その2) 1月19日
118 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第17回その3) 1月22日
125 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第18回その1) 2月17日
126 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第18回その2) 2月19日
127 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第18回その3) 2月21日

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風景・風物詩 天王祭 品川神社例祭2008とおいらん道中(その2)

2008年06月23日 | 風景・風物詩
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おいらん道中の行列は新馬場北口通りから
高架の新馬場駅は、1904年(明治37年)の京浜電鉄の開通時に目黒川を挟んで設けられた北番場と南番場の両駅を、1975年に環状6号線の立体化工事と合わせて新設高架ホームに切り替えて統合されて新馬場駅となりました。
新馬場北口通り<サクセス品川>(北品川2丁目 地図参照)は、新馬場駅より北品川寄りの品川神社前にあり、旧北馬場駅の出入り口であった元の北番場商店街通りです。
新馬場北口通りを東に200mほど進むと旧東海道が通っており、この辺り一帯は江戸時代には日本橋に始まる東海道五十三次の第一番目の宿場町の品川宿(「風景・風物詩 旧東海道品川宿 タイムスリップまち歩き北品川宿(その1~4)」参照)で知られています。

 品川神社前の新馬場駅と新馬場北口通り(左:第1京浜国道を帰還する町会神輿、中:第1京浜国道に並ぶ新馬場高架駅、右:旧北番場商店街通りの新馬場北口通り)

・新馬場北口通りを帰還する町会神輿
北二丁目町会神輿詰所に帰還する神輿が通る7日の新馬場北口通りは、両側の択山の露天と出店の間を神輿の後に続く祭り見物客と、北二丁目祭例協賛会主催のおいらん道中を見にきた人で埋まりました。

 北二丁目町会神輿詰所に帰還する神輿を追う見物人(写真拡大)

・おいらん道中見物
町会神輿が帰還した後の19時から、おいらん道中の出発点の旧東海道に近い北二祭例協賛事務所前の新馬場北口通りは、大勢の見物人が押しかけ動きが取れないほどです。

 おいらんがお出ましする北二祭礼協賛事務所付近に集まる見物人(:多数の出店と露天が出て混雑する新馬場北口通り、:おいらんがお出ましする北二祭礼協賛事務所)

おいらん道中開始の少し前には、おいらんが歩く道路幅を樹脂被覆の長い金属棒で確保して、見物人はその両脇で見る整理が行われ、道中の先頭を行く提灯行列が待機しました。

 おいらん道中の開始前(左:赤い高張り道中提灯、中:おいらんの登場、右:見物人で満員のおいらん道中)

おいらん道中は応募した7人の選ばれた若い女性が、きらびやかな衣装を着けて高いげたを独特の歩き方で優雅に進み、旧東海道の品川宿場町が江戸情緒で醸し出され観客を魅了した地元町会の祭りに合わせた毎年開催の催しです。

 おいらん道中(写真拡大)

神幸祭神輿渡御
6月8日の品川神社例祭には、午前8時に本社惣町神輿宮出しの神幸祭神輿渡御を見に行きました。

 品川神社参詣(左:石造りの鳥居から見る本殿、中・右:間宮社中奉納の里神楽)

午前の惣町神輿の渡御の見物は、巡行図に示す様に12時頃神輿が休息する御殿山通りのホテルラフォーレ東京(地図参照)で見る予定で、10時に神社に着き参詣して間宮社中奉納の里神楽や宝物殿などを見てから、品川女子学院の脇を通り御殿山の公園でベンチに腰かけて、ゆったりと神輿渡御を見物しました。

 御殿山の神幸祭神輿渡御(写真拡大)

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風景・風物詩 天王祭 品川神社例祭2008とおいらん道中(その1)

2008年06月21日 | 風景・風物詩
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品川神社例祭2008
品川神社例祭は、6月6~8日に行われました。昨年の例祭の本社大神輿と中神輿の合同渡御(「風景・風物詩 天王祭 品川神社例祭 (その2)」渡御準備参照)は都合がつかずに見られませんでしたので、今年は7日の夕方に町会神輿の連合宮入とおいらん道中を、8日の午前中に神幸祭神輿の渡御を見てきました。今年も、午後渡御の宮神輿は、残念ながら見られませんでした。


町会神輿の連合宮入
品川神社は、京急新馬場駅を下車して第1京浜国道に面してあり、高架橋を通る電車の窓から急な石段と富士塚(「風景・風物詩 天王祭 品川神社例祭 (その1)」参照)が見えます。新馬場駅に着いて間もなくの17時半頃、宮入の最初の町会神輿が品川神社に到着して、本殿に向かい53段の急な石段を上りはじめました。

 宮入最初の町会神輿が品川神社に到着

・石段担ぎあげる宮入神輿
神社参道の石段前の龍が巻きついた鳥居を潜り、階段の踊り場から左手には品川富士と呼ばれる富士塚への道があり、石段を登り詰めると末社の浅間神社を左に見て、最初の宮入の神輿は石段の最上段まで3分ほどで一気に担ぎあげました。

 本殿へと一気に担ぎ上げた町会宮入神輿(左中右中写真拡大)

石段を担ぎあがった神輿は、本殿前の境内で所せましと練ります。品川神社の神輿の特徴は、「天下一嘗の面」のお面を屋根に付け、締め太鼓と篠笛によって奏でる「品川拍子」で練り歩きます。神輿の担ぎ棒は、台座下の2本の縦棒の前後に付けられた横棒を担ぎます。

 境内を練る宮入神輿(:天下一嘗の面付けた神輿、:締め太鼓と篠笛で奏でる品川拍子、:所せましと練る神輿)

・勢揃いした町会連合宮入神輿
境内に担ぎあげてきた神輿は、本殿前の正面にある1648年(慶安元年)に堀田正盛公奉納の石造りの鳥居はサイズが小さいため潜って通過できず、鳥居の脇を回って本殿前へと進みます。

 石段を次々と担ぎあげてくる町会連合神輿(:石段を担ぎ上がってきた二番手神輿、:石造り鳥居脇を通る二番手神輿、:同鳥居脇を通る三番手神輿)

四基の神輿が本殿前に勢ぞろいすると、さすが広い境内も担ぎ手と祭り見物客で一杯に埋まりました。神楽殿では、四基の宮入神輿の前で祝三味線の奉納演奏をしていました。

 本殿前に四基勢ぞろいの宮入神輿(:同鳥居脇を通る三番手神輿、:本殿前で練る四番手神輿、:四基勢ぞろいの宮入神輿)

・連合宮入神輿の各町会へ帰還
連合宮入が済んだ神輿は、各町会への帰還です。急な石段の担ぎ降ろしでも締め太鼓と篠笛の品川拍子で、龍が巻きつけている鳥居を潜って帰還します。

 連合宮入が済んだ神輿の町会帰還(:宮入が済んで最初の神輿が石段を担ぎ降りる、:担ぎ降ろしも締め太鼓と篠笛の品川拍子、:石段を下ると龍が巻きつけている鳥居を潜る)

第1京浜国道に出た神輿は、それぞれの町会に向かってご帰還です。

 連合神輿は宮入が済んでそれぞれの町会へご帰還(:町会2番神輿、:町会3番神輿、:町会4番神輿)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷付近(第9回)

2008年06月19日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008 
 
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第1号工事機の移設
梅屋敷駅ホーム上の北端で工事を行っていた第1号工事機(直接高架施工機 杭施工機)は、6月18日には移設されており、梅屋敷商店街通りの大森町第4踏切道の北側面で基礎杭工事を施工していました。

 大森町第4踏切道の北側に移設した第1号工事機

工事機の移設の準備は6月4日頃に大森町第4踏切道を通行止めにして、踏切線路の東・西側に工事機移動時の仮設レール用通路が設けられました。

 工事機移動時の仮設レール用通路(右写真拡大)

昨年11月に梅屋敷駅ホーム上の基礎杭工事を行うため、1号工事機が梅屋敷駅ホーム南端に移設(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷付近(第4回)」参照)されてから後に、掲載記事中に示す工事のお知らせ掲示案内(再掲)の予定期間内に終了して、6月中にはホーム上の基礎杭は、上下線ホーム上に各7本ほど設けられました。

 梅屋敷駅ホーム上の基礎杭工事(図拡大)

これ以降の高架化工事は、ホーム上に高架橋駅の橋脚が建てられますが、地上の現ホームは短く4両の車両しか停車(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷付近(第1回)」参照)できませんでしたが、高架橋駅では8両停車となり梅屋敷第1踏切道はホーム橋の下となります。
梅屋敷高架駅建設のヤードは、大森町第4踏切道梅屋敷商店街北側の第1京浜国道に面してあり、建設機械や設備が整われ高架橋駅の工事準備が進んでいるようです。

 大森町第4踏切北側第1京浜国道に面した梅屋敷高架駅建設ヤード(右写真拡大)

梅屋敷付近の高架橋築造
6月に入り梅屋敷付近高架化の第7回掲載以降の、高架橋工事進展を見てきました。
・梅屋敷第2-3踏切間の高架橋工事
第2-3踏切間の2階建て高架橋の工事は梅屋敷公園南端部の高架橋に、本線下り線の2階部分の橋梁脚が載り梁桁の組まれているのが見えました。ここの高架橋脚は、梅屋敷公園に添ってありますので、高架化建設地域では唯一の風景が良いところにあります。

 第2-3踏切間の2階建て高架橋(:まだ縦梁の付かない2階高架橋脚0604撮影、:縦梁の付いた2階高架橋脚0610撮影)

・梅屋敷第1-2踏切間の高架橋工事
第1-2踏切間の高架橋建設は、昨年建てられた京急線線路際のビルとすれすれに築造が進められていました。高架橋にはスラブも付いて、このあたりで下り線の2階の高架部分が降りて、上下線とも高架線路が並びます。

 第1-2踏切間の高架橋建設(:新築ビルすれすれの高架橋、:2階高架部分を降りて上下線が並ぶ高架橋)

・大森町第3-4踏切間の高架化工事
第2工区分担の大森町第3-4踏切間の高架化工事は、基礎杭工事が開始されたところです。現在、第1工区の高架化工事で、同第1-2踏切間の基礎杭工事のため本線線路を西方向への移設を進めており、同様に第2工区大森町第3-4踏切間の線路も移設の準備が行われています。

 大森町第3-4踏切間基礎杭工事のための線路移設準備(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷付近工区 Sub INDEX

2008年06月19日 | INDEX
kan-haru blog 2009 8月31日19版

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 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷付近工区 Sub INDEX



  京浜急行 京浜急行の高架化(その1) 8月9日



13 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第1回) 5月13日
14 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第2回) 5月26日
20 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第3回)  11月5日
22 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第4回)  11月30日



29 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第5回) 1月19日
35 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第6回)  2月18日
45 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第7回)  4月7日
55 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷付近(第8回)  5月17日
63 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷付近(第9回)  6月19日
71 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第10回) 7月22日
79 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第11回) 8月27日
87 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第12回) 9月23日
94 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第13回) 10月19日
100 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第14回) 11月13日
107 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第15回) 12月11日
112 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第16回速報版) 12月29日



115 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第17回) 1月13日
124 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第18回) 2月13日
133 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第19回その1) 3月22日
134 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第19回その2) 3月24日
143 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第20回その1) 4月24日
144 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第20回その2) 4月26日
154 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第21回) 5月31日
163 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第22回) 6月30日
172 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第23回) 7月31日
179 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第24回) 8月31日

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大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社2008年例祭

2008年06月17日 | 大森町界隈あれこれ 社寺
kan-haru blog 2008 
 
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諏訪神社2008年例祭
氏子の諏訪神社2008年の例祭は、5月24、25日で孫が泊まりがけで遊びに来ましたが、今年は天気がくずれ初日の夕刻から翌日の午前中が雨にたたられました。

 大森西3丁目連合町会お神酒所

5月中旬から6月に掛けての土・日は夏祭りのシーズンで、あちこちの神社で祭囃子が聞かれますが他社の例祭が中止とかで、諏訪神社例祭では祭りを盛り上げる屋台の出店数が例年より多く並んで賑わいを見せました。

 諏訪神社本殿とお神楽殿

諏訪神社には、大森に移り住んできた1936年(昭和13年)から氏子となり、遊びにきた孫の親は他区住まいで現在は氏子ではありませんが、小学時代は神社門前にある大森第2小学校へ通っていましたので、当時は露天での買い物が50円でしたので朝から晩まで詰めていられた時代でもありました。現在では、買い物が1回あたり300円となり、貰ったお小遣いはあっという間に空っぽとなります。

 例年より多い露天出店の諏訪神社例祭

町会神輿物語
・戦時神輿
戦時中の小学生時代のお祭りは賑やかには催されず、当時は物資不足で露店などを見られる時代では無く、ただ軍事色で出征兵士の武運長久の祈願の神社祭事的に行われました。
当時は子供の人口が多い時代でしたが、一般の人心はまだ豊かさをもって助け合い過ごしていました。娯楽のない子供たちを喜ばそうと、当時隣組の床屋さんが子供樽神輿を仕事の合間に手造りで仕上げて、祭日当日には借家住居1階の事務所後を臨時御神酒所として、隣組(現在の町会)の子供達を集めて神社まで喜んで神輿担ぎを行いました。

この俄か子供神輿には後日談があり、本来神輿は神社に届出して祀りごとの仕来たりを執り採り行う必要があるのですが、隣組では子供たちを喜ばせればとの気持ちだけで進み、お小言を頂戴しましたが、何とか交渉で祭日には神輿を氏神様の諏訪神社へと担ぎ込みが出来、当時の暗い時代の中で仄かな想い出の戦時神輿(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社その3」2006年参照)物語があります。

 戦時下のもの悲しい想い出の手造り樽神輿

・庭に入ってきた神輿
諏訪神社大森西連合町会には、大人神輿は無く子供神輿と曳き太鼓のみと寂しい状況です。そのかわり子供神輿と曳き太鼓ならば、町会内の細い路地でも入れます。15、6年前に、私宅前の路地の神輿巡行時に、たまたま所定の休憩所が使用できず、その年は臨時に庭を休憩所としました。その時には、長男の孫が「驚いたな! お神輿がお家に入ってきた」と大喜びをしたことも祭り神輿(同上諏訪神社その3参照)の想い出も一駒です。

 驚いたな! お神輿がお家に入ってきた

・大森警察署建屋内が神輿巡行ルート
大森東町会の神輿は、大人神輿、子供神輿と曳き太鼓があり、いつの頃からか第1京浜国道三叉路にある大森警察署の建屋内に入るのが巡行ルートとなっています。

 休憩中の東町会神輿巡行

神輿巡行ルートの終わりに近い、城南信用金庫大森店道路から第1京浜国道大森町交差点に出た歩道が休息場所で、休息後ここから大森警察署の玄関へと進みます。

 大森警察署内巡行の神輿

今年の子供神輿の担ぎ手には、子供の姿は見えず時代の様変わりで、戦時中の神輿に群がる子供たちを見た世代からは侘びしく思います。
さて、今年も休息を終えて大森警察署内への巡行神輿の出発です。国道の歩道を北上して警察署玄関入口で、神輿を傾けてエントランスホールへ入ろうとしましたが、担ぎ棒が閊えて中に入れません。よく見ると、担ぎ棒が昨年と比べてがっちりと太くなっており、入口より大きくなって入れません。急遽、担ぎ手を子供神輿に移らせて巡行神輿が目出度く警察内に入り、安全を祈願し平和を願ってお神酒所へと戻って行きました。

 警察署内への祈願神輿(:神輿がはいらないぞ、:子供神輿と交代だ、:警察署内で安全祈願)

大森警察署エントランスホール内に入った神輿(2006年2007年)風景。

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イベント 京急ファインテック久里浜事業所 京急ファミリー鉄道フェスタ2008 その4

2008年06月15日 | イベント
kan-haru blog 2008 
 
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特修工場見学
今回の京急ファミリー鉄道フェスタ2008には親・子・孫の3代の参加で、午後の部は子と孫の参加で、12時頃に会場総合案内所前で待ち合わせをすることで連絡をとり、それまでの時間に、特修工場見学(再掲拡大構内地図J)や京急沿線版Nゲージ模型展示(構内地図Q)などを見て時間を調整しました。
主工場には、旧1000形車両が展示してあり、前回その3で掲載の車体上げ作業実演車が格納されているピットの先に特修工場があります。

 主工場展示通路(左・:旧1000形展示車両、右:車体上げ作業実演ピットの先にある特修工場)

・特修工場
特修工場は、工場内に立ち入ることはできませんが、修理作業中の各種電車の見学ができました。

 特殊工場全景(:工場全景、中・右:修理作業中の電車)

・Nゲージ模型展示
特修工場から総合案内所に向かう右側の建屋には、Nゲージ模型や「京急110周年の歩み」パネル&グッズ展が見られました。

 Nゲージ模型展示(左・:Nゲージ模型展示は人気で満員)

ステージイベント
会場入り口横の特設ステージにて小出直樹さんの大道芸を行っている前で、フェスタ2008に参加の親・子・孫が集合しました。その後のステージでのじゃんけんゲームには、孫が参加して勝ち抜いて商品のグッズが貰えたのを見てからの午後は、子と孫の2人が洗車体験に参加しました。

 じゃんけんゲーム(左:勝ち抜き戦、中:勝ち残り、右:商品グッズを貰う)

孫たちと見学のバトンタッチしてからフェスタとはお別れで、お帰り電車乗り場(構内地図V)から新1000形ステンレス車で、京急久里浜駅にでて快速電車に乗り換えて帰路につきました。

 お帰り臨時電車(:お帰り電車は新1000形ステンレス車、:新1000形ステンレス車内部、:会場はまだまだ盛況)

洗車体験
ステージのイベントに参加した後、午後14時開催の事前応募の洗車体験です。お帰り電車乗り場の横の洗車体験集合場所(構内地図K)には参加者が集まっており、洗車体験の電車への乗車は、電車工場に敷設の沢山の線路を横断する地下道を潜ってイベント会場とは対岸の工場まで渡ります。

 地下通路を通り洗車体験車乗り場へ(左:地下通路入口、中:地下通路、右:洗車体験車乗り場)

 京急ファインテック構内図(構内拡大図)

洗車体験車乗り場で乗車し、体験車の発車後洗車場までは、複雑な入替え線を辿ります。

 入替え線を辿り洗車場へ(左:洗車体験車に乗車、中:洗車体験車出発、右:洗車場までの線路は複雑)

何回も入替え線を渡りながらやっと洗車場への線路に進入して、洗車場に入ると車両が清掃され、一般では味わえない大型電車の洗車を体験し孫は大喜びです。

 洗車場へ進入(左・中:体験車が洗車場へ進入、右:洗車場突入の体験車内)

洗車を終了した体験車は下車ホームへと戻り、初めての体験をした孫は感激です。体験終了後会場に戻り、タイトー電車ゲームコーナー(構内地図P)と物販コーナー(構内地図T)会場に寄り各鉄道会社のグッズを見たり、硬券乗車券のつかみ取りなどの他、鉄道部品等販売コーナーで電車吊革など買い、孫は京急ファミリー鉄道フェスタ2008 ではいろいろと収穫を得て、お帰り臨時電車で帰ってきました。

 洗車体験を終えて(左:洗車場から戻る、中:戻りの地下道入り口、:硬券乗車券のつかみ取)

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イベント 京急ファインテック久里浜事業所 京急ファミリー鉄道フェスタ2008 その3

2008年06月13日 | イベント
kan-haru blog 2008 
 
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車体上げ作業実演
主工場を見ていると車体上げ作業実演(再掲拡大構内地図E)を開始するとのアナウンスがあり、この日1回目の11時30分からの実演を見学しました。
先ず、作業を実演するメンバーの紹介の後、車体上げの電車を牽引して運ぶ車両牽引車(アント)の登場です。牽引車は、軌陸両用型で車体を上げる車両の線路までゴムタイヤで走行し、線路上に来ると鉄輪をセットして電車を迎えに行き、車体を持ち上げるジャッキーの所まで誘導して牽引します。

 車体上げ車両牽引のアント(左:作業メンバー、:ゴムタイヤで移動のアント、:電車を牽引する線路に鉄輪セットのアント)

隣の工場から車両を牽引して、持ち上げジャッキーの位置で車体を固定してアントは切り離され元に戻ります。

 持ち上げ車両を誘導して牽引するアント(左:隣の工場から車両を牽引、:ジャッキーまで車両を牽引、右:ジャッキー位置で車両をセット)

車体持ち上げのため左右4ヶ所のジャッキーの制御設定を行い、設定後持ち上げ動作により車体が自動制御により持ち上がり始め、所定の高さに到達すると停止します。
車体の持ち上がっていく高さは、写真のジャッキーに備えてあるランプの光の位置で解ります。

 車体持ち上げ作業(:ジャッキーの持ち上げ制御セット、:車体をジャッキーが持ち上げ中、:車体持ち上げ完了)

車体の持ち上げで外された台車は、トラバーサーに積んで保管場所に運ばれます。

 台車をトラバーサーで運搬(:台車を運ぶトラバーサーが接近、:トラバーサーが台車の前で止まる、:台車をトラバーサーに引き上げる)

持ち上げ車体の前・後方に、ホークリフトで仮台車を運び車体の下に移動して、台車の位置に設定します。

 仮台車のセット(:ホークリフトで仮台車を運ぶ、:持ち上げ車体の下に仮台車を運ぶ、:仮台車の位置をセットする)

仮台車が置かれると、持ち上げジャッキーを下降させて車体を仮台車に乗せます。

 持ち上げ車体を仮台車上に降ろす(:ジャッキー下降制御セット、:車体が仮台車に降下中、:ジャッキー降下完了)

仮台車上に置かれた車両は、その車体の修理・整備のためトラクターによって押して移動し、ピットまで運ばれます。

 仮台車の車体をピットに移動(左:移動トラクタの登場、:車体を押して移動、右:車体修理のためピットまで移動)

主工場部品展示
主工場部品展示(構内地図D)は、車体上げ実演を行った大きな主工場内に展示してあり、電車の主な構成部品が見られました。展示部品を見ると、電車がどのような機能を持った部品で作られているのかが解ります。
台車はかなり複雑な構造であり、主電動機は高速で走る割合に小型で、パンタグラフは昔のひし形と比較すると非常に簡単で見るからに軽量化されたことが解りました。

 電車構成部品1(:台車、:モーター、:パンタグラフ)

冷房装置は薄い構造だがかなり大型です。電動空気圧縮機はブレーキ系統には欠かせないもので、連結器は先頭車用ものと中間車用では構造が異なっています。

 電車構成部品2(:冷房装置、:電動空気圧縮機、:連結器) 

主制御装置は、電車の中枢部品で運転台の操作で電車の速度を変えたり、止めたりなどの制御を司る装置です。静止型補助電源装置は、パンタグラフから受けた直流1500ボルトを変換して、直流の24、100ボルトと交流の100、200、440ボルトを作る装置です。バッテリーは、停電の時や始発前の電源として蓄電しておく機器です。

 電車構成部品3(:主制御装置、:静止型補助電源装置、:バッテリー) 

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イベント 京急ファインテック久里浜事業所 京急ファミリー鉄道フェスタ2008 その2

2008年06月11日 | イベント
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保存車両開放
長年大森町駅近くに住んでおり出かける時の交通手段なので日常生活に溶け込んでおり、京急と共に歴史を歩んだので京急ファミリー鉄道フェスタには大変と関心があります。戦中・戦後の小学生時代に乗ったデ51形・デ1形電車のイメージは、今でも鮮明に残っています。車両撮影コーナー(再掲拡大構内地図M)で勢ぞろいして並んだ運行中の電車を見てから、小学生以下参加の運転台撮影コーナー(構内地図N)の前には、昔懐かしいい「デ1形複元車」と「デ51形複元車」が並んで展示してあり、乗車して見学できる保存車両開放(構内地図O)では、これだけでフェスタに来た甲斐がありました。

 小学生以下参加の運転台撮影コーナー

・デ51形復元車
デ51形の展示車両は、1924年(大正13年)に登場の鋼鉄製電車で昭和時代を生き続けて、戦後の物資欠乏時代にはかなりの期間本線でも運行され、晩年は、大師線や空港線で活躍し、1965年(昭和40年)まで運行され、都電と同じ様に運転手が先頭の運転台に立っての運転で、乗車していて揺れが少なく静かな車体でした。

 デ51形復元車(:復元車説明板、:復元展示車、:デ51形はダルマ形)

当時の中高生の間では、大森の東京湾には曳舟に引かれる船尾が丸いダルマ船が多く見られ、デ51形電車も先頭が丸いので「ダルマ船(せん)」と愛称を付けて呼んでいた人気の車両でした。展示の復元デ51形は、製造時の復元でポール集電形ですが、戦中の1940年(昭和15年)頃にはパンタグラフに付け替えられました。

 デ51形復元車(:デ51形運転席、:デ51形定員は96名、右:デ51形車内)

・デ1形復元車
小学生の頃電車に乗ると、運転台のある先頭に乗りたいとの思いがある筈です。デ1形電車の運転席の構造は少し変わっており、運転席は腰までの高さの腰板で逆L字の囲いがしてあるだけで、腰から上は客席との仕切り板が無く、横の客席と背面から運転手の操作が丸見えのため、電車に興味のある小・中学生には関心が高い電車でした。

 デ1形復元車(:復元車説明板、:復元展示車、:デ1形車両構造)

デ1形電車の車体は、運転席との仕切り壁がないため、社内の座席からは運転席前面の窓外の景色も見られ、車窓は現在の様に広窓ではないのですが、窓の柱を細くして車体全体をとりまき窓面積を広くした形の2ドアの電車で、座席からは前面も左右の風景が良く見渡せる形式のデザインのためオープンな明るい感じの車両で、運転手とは親しみが持てました。
 
 デ1形電車の運転席は仕切り壁がなくオープン(:運転席の背後から前面を見る、:運転席を客席側の横から見る、:シンプルな運転制御機械は客席から丸見え)

京急は広軌ですので、都心から郊外まで高速運転の快適性をデ1形電車に求めていましたので、当時流行の海水浴客には展望性の良い車両は人気で、特に子供には運転手の脇で運転操作を見ながらの急行電車の高速運転には心を奪われる車両でしたが、残念ながら当時は大戦へと進んだいやな時代の思いが深い車両です。
復元展示車では、1930年(昭和5年)製の当時は最新・最高技術の車両で高速・快適性を求めたクロスシートの車両にお目にかかれましたが、子供の頃利用した戦中・戦後時代にはロングシートの電車のみであり1980年(昭和53年)まで運転された馴染み深く懐かしい名車でした。

 デ1形列車客席(:クロスシートの客席、:客席から前面展望ができるデ1形車両、:デ1形車両を示す社内表示板)

主工場見学
懐かしい電車を見た後は、主工場内を見学(構内地図D)して小学生以下が対照のパンタグラフ上げ下げ操作体験(構内地図G)や信号機操作体験(構内地図L)会場で幼児が真剣な態度で操作している微笑ましい光景に触れました。

 主工場見学(左:信号機操作体験コーナー、中:パンタグラフ上げ下げ体験、右:主工場見学コーナー)

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イベント 京急ファインテック久里浜事業所 京急ファミリー鉄道フェスタ2008 その1

2008年06月09日 | イベント
kan-haru blog 2008 
 
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京急ファミリー鉄道フェスタ2008
京浜急行電鉄では、毎年5月下旬の日曜日に、京急ファインテック久里浜事業所において、京急ファミリー鉄道フェスタを行っており、今年で10回目の開催となる「京急ファミリー鉄道フェスタ2008」が5月25日に開かれ、多くの参加型イベントの募集を行い、特に今回は、京急創立110周年記念のラッピング電車も、会場に登場するなど人気の高いイベントです。25日は、親子孫の3代で見てきました。

・参加イベントの応募
毎年、開催案内の広告を見て日常京急を利用しているので、一度は是非見たいと思っていました。都心にいる孫も、小学生の男子で鉄道博物館などに関心がある年代となり、予め事前募集を行った「車両部品優先販売」(400名)と「洗車体験」(400組800名)にはがきで応募してみました。応募のイベントにはこの他「主工場見学ツアー」(75組150名)もありましたが、募集人員が少数であり抽選確率が低いとの判断で申し込みをしませんでした。
応募結果の通知は、5月16日に2枚のはがきで当選の通知を受け取りましたので、早速孫に結果をしらせて、親子孫の3代で参加することにしました。丁度24、25日は、氏神様の祭例ですので泊まりがけで遊びに来ました。

 左拡大:車両販売入場通知はがき、右拡大:洗車体験当選はがき

鉄道フェスタ2008の参加
25日の午前中は前日からの雨で、朝はかなりの風雨が強くフェスタには、「車両部品優先販売」参加の午前組と、午後からの「洗車体験」組に分かれて昼頃会場で落ち合うことにしました。
鉄道フェスタ2008の会場は、京浜急行電車で北久里浜駅を出てから、三埼口進行方向左側に見える久里浜工場信号所が会場の京急ファインテック久里浜事業所(神奈川県横須賀市舟倉2−4−1)です。この京急ファインテックは、1948年創立の「京浜急行電鉄株式会社久里浜工場」から分社した京急グループの子会社で、「京急車両工業株式会社」から現社名となりました。
・車両部品優先販売
車両部品優先販売の参加には、大森町を7時半に出て京急川崎駅から快速に乗りついて、京急久里浜駅に着いたのは9時少し前です。会場には、直通バスで向かいますが、土砂降りの雨の中大勢の鉄道ファンが乗り、下車する場所は会場入り口から200mほど先の空き地で降りて戻ります。
入口に通じる歩道には、バスを降りた入場者の行列がコンビニ付近まで続いていましたが、「事前応募はがきを持参の方は前に進んでください」の案内で、会場に入りました。

 会場案内図(拡大)

会場内では事前応募者の誘導をしており、車両部品優先販売集合時間の9時30分前には、会場北部に進んで雨中で傘を差して、入場整理番号毎のグループの行列で待ちました。10時からの販売方法は、整理番号順に10名毎に購入制限時間3分でテントに陳列の部品が1人3品まで購入できる方式で、240番では1時間以上の待ちとなるので、降りしきる雨風の中での行列待ちは大変な思いでした。

 車両部品優先販売の整理番号順の行列(:整理番号毎の行列立札、:車両部品販売の値段札)

しかし、鉄道ファンは雨風には全く動ぜず、誰も列から抜けずに待ち続ける辛抱強さに感心しながら、折角の部品購入のチャンスなので並んでいるうちに、11時近くには雨足があがって来ました。
購入順番が回ってきて、部品販売コーナー(構内地図S)のテントを見ると特に欲しい物品がないので、電車種別を示す赤色の「快速」側面表示板が、孫も喜ぶと思い5千円で購入し、車両部品優先販売へ参加したことにより鉄道ファンへ一歩近づいたのかなと思いました。

 車両部品購入は10人単位で持ち時間3分での購入(:部品購入は10人づつ、:部品の品選びは3分以内)

・車両撮影コーナー
部品販売コーナーから鉄道フェスタ目玉のメイン展示の車両撮影コーナー(構内地図M)へは、左側の主工場(構内地図I)建屋内の電車や右側の建物内の方向幕操作実演(構内地図H)展示場などを見ながら、南へ進むと右側には多数の引き込み線路上に各種の電車を展示した車両撮影コーナー(構内地図M)です。

 主工場や方向幕操作実演などの展示(:方向幕操作実演展示)

車両撮影基地には、京急創立110周年記念ラッピング車両の旧1000形「京急110年の歴史ギャラリー号」と「ありがとうギャラリー号」(「わが街の京浜急行110周年記念 大正~昭和を再現した「ありがとうギャラリー号」に乗る」参照)を真中にして、右側に増備中のステンレス車体新1000形が並び、その隣りが2ドアクロスシートの快特で活躍した看板車両の2000形です。

 車両撮影基地1(:人気の車両撮影基地、:左からありがとうギャラリー号、ステンレス車体新1000形、快特で活躍の2000形車両)

「京急110年の歴史ギャラリー号」の左は、クロスシートの看板車両2100形で「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」の青い電車です。その左は3ドアで可変座席「ツイングルシート」を装備した600形です。

 車両撮影基地2(:左からツイングルシートの600形、KEIKYU BLUE SKY TRAINの2100形、歴史ギャラリー号、:京急110年の歴史ギャラリー号)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第19回その3)

2008年06月07日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008 
 
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大森町駅出入口付近の基礎工事
・西出入口付近の基礎杭鋼管挿入
大森町駅東西の出入口部の本格基礎工事を始めるための準備工事が終了したので、6月6日の終電車通過後に駅西出入口部の券売発券機を脇に退けて、基礎杭工事着工の基礎杭鋼管の挿入準備が始まりました。

 大森町駅西出入口付近の高架化基礎杭工事(:券売発券機を退けての工事準備、:基礎杭鋼管挿入穴の整備)

1号工事機の上に保管されていた大型の基礎杭鋼管を、クレーンで持ちあげて垂直状に吊るし挿入場所への搬送です。

 1号工事機保管の基礎杭鋼管移送

挿入場所の基礎杭工事穴位置の真上から、ゆっくりと挿入穴へと大型鋼管を降ろして差し込みます。

 1号工事機の上に保管されていた大型基礎杭鋼管挿入(中左中右写真拡大)

差し込まれたた鋼管は、クレーンを下ろして自重で挿入します。鋼管が地下まで挿入されない場合には、鋼管を数m引き揚げて落下させ、それを繰り返して挿入が完了します。

 基礎杭鋼管は挿入穴に運び自重挿入(写真拡大 6月6日)

・東出入口付近の基礎工事準備
なお、駅東出入口通路部付近の基礎杭工事のための板囲いの改修は、前回その2記載時の5日時点では工事が行われておりましたが、7日にも作業を続行して完了しました。

 基礎杭工事が行われる駅東出入口通路部付近(:通路が狭められた大森町東口、中:東口通路の移された板囲い、:基礎杭工事が行われる場所 6月7日) 

・高架化工事の工事車
高架の機械化工事には、各種の移動用の工事車が使用されています。

 軌道専用工事車(:重量物運搬車、:クレーン車)

6月6日に大森町第1踏切を通過した、軌道専用車と車道・軌道両用の工事車(その1掲載工事車写真(1)(2)参照)を見て写真を撮っておきました。

 車道・軌道両用工事車(下中写真:高架化工事鋼材運搬の工事車 6月6日)

大森町高架駅橋工事・続
2号工事機が築造した大森町高架駅橋の骨格は、5月25日に工事がほぼ出来上がっていましたが、前回その2記載時では見られなかったスラブが、6月6日には張られていました。2号工事機俯瞰写真で、工事機の先の工事現場棟(左)と住居棟(右端)との間に僅かに見える平坦部分が、大森町高架駅橋に張られたスラブです。

 スラブが張られた大森町高架駅橋(:上りホームから見た大森町高架駅橋、:2号工事機俯瞰写真)

内川北岸仮線傾斜高架橋脚工事・続
内川北岸の道路上の仮線傾斜高架橋脚は、前回その2記載時には工事中でしたが、6日には4本柱の高架橋脚が完成しておりました。この道路北方の住宅前の路上には、橋脚の2本柱を建てる位置のマークが見られました。その先で、5日に高架橋脚工事中の工事は6日も作業を継続していました。

 内川北岸道路上の仮線傾斜高架橋脚築造(・中:仮線傾斜高架橋脚築造、:マークされた仮線橋脚位置)

大森町第1踏切以南の高架化工事
内川南岸から大森町第3踏切までの京急線路西側に添って、幅員が6~13mの都市高速鉄道京浜急行電鉄本線付属街路第1号線が、新設または拡幅して整備されます。
このうち、大森町第1踏切から同第3踏切までは、従来幅員が1.8mほどの道路(地図参照)を6mに拡張のため、既に立ち退きが同第1踏切近辺を除いて完了しております。工事現場に建てられた工事期間は、2009年12月31日と記載されていました。

 大森町第1踏切から第3踏切の基礎杭工事(左:第1踏切から第3踏切方を望む、中:第3踏切から第3踏切方を望む、:同区間の基礎杭工事の通告板)

この間の京浜急行本線の高架化工事は、第1工区の担当で、線路西側の基礎高架橋脚工事が除除に進められておりましたが、ここにきて本格工事のための白い囲い塀の構築が始まりましたので、6月に入り見てきました。

 第1踏み切から第3踏切の基礎工事本格始動(:工事現場の電柱移設、:基礎杭工事穴あけ工事、:工事安全囲い塀組立)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第19回その2)

2008年06月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008 仮高架線内川橋梁 
 
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大森町駅出入口部変更
6月5日に大森町第1踏切付近を見に行くと、大森町駅出入口部付近の基礎杭工事の本格的な開始のため、東口出入口通路の囲い板が狭められて改築されていました。

 基礎工事で狭められた東出入口通路(:1月頃の大森町駅東口、:狭められた東口通路)

第2号工事機の工事作業
第2号工事機は3月27日の移設以来移動せずに、大森町高架駅橋の築造工事を行っています。5月2日に最初の高架駅橋脚が建った後、同16日には2脚目の横梁が付いた駅橋脚が建てられました。

 2本建てられた大森町高架駅橋脚(:2本目の高架駅橋脚建造 5月16日、:橋脚間に連結縦梁が付く 5月21日)

その後の同21日には、2脚の高架駅橋脚間に連結の縦梁2本が築造され、さらに24日には縦梁間の中間に縦梁2本が結合され、その中間縦梁間にメッシュ状に9本の補強の梁が付けられて1対の駅橋脚が完成しました。

 最初の大森町高架駅橋脚(:中間に縦梁2本が付いた橋脚 5月24日、:補強梁が付いて完成の橋脚 5月25日)

内川橋梁付近の高架仮線敷設工事
5月22日には、内川の上に仮線橋梁を仮設するための鋼鉄製横桁の梁上に、3組の緑色塗装の仮設橋脚と、内川南岸の道路に建設済みの堅護な築造の灰色塗装の仮線高架橋脚の北側にも、緑色仮設橋脚が建てられていました。

 内川橋梁上の緑色仮線高架橋脚(写真拡大)

灰色仮線高架橋脚の南面は、ここから平和島第5踏切に向かって地上に降下する仮線敷設の個所で、工事はまだ進んでおりません。
内川北岸の線路脇の道路では、22日には仮設橋脚を建てる2個の穴が掘られておりました。その先の車両通行止め(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第18回その4)」参照)の道路に面した京急本線傾斜高架橋の下では、継続して本高架化のための基礎工事が行われていました。

 平和島まで傾斜の本線線路左を仮線敷設(:本線左側に傾斜仮線を敷設、:内川南岸の傾斜仮線橋脚、:内川北岸の仮線橋脚の穴 5月22日)

同28日には、内川南岸と内川基礎梁上の2組と合わせて3組の仮設橋脚上に、4本の工字型鉄鋼横桁の橋梁が架設されていました。横桁橋梁間には、梁を結ぶ工字鋼で連結してあります。

 3組の仮設橋脚上に架設された横桁橋梁(:仮線敷設の架設橋脚、:横桁橋梁間の工字鋼梁 5月22日)

さらに、6月2日には、内川の鋼鉄製横桁梁上北側の4つ目の仮設橋脚にも、接続延長した工字型鉄鋼横桁の橋梁が架設されており、22日に見た内川北岸の線路脇道路の穴には、2脚の仮設橋脚が建ち、橋脚間は桁梁で結ばれていました。

 4つ目の仮設橋脚に延長された横桁橋梁(:延長の横桁橋梁、:内川北道路上の仮設橋脚 6月2日)

仮設傾斜高架橋の築造はピッチを上げて進展し、6月5日には内川北岸の道路西側の借用地にも2脚の仮設橋脚の建設が進められていました。

 内川北岸道路西側の仮設橋脚建設(写真拡大 6月5日)

また、さらに同道路の開桜小通り寄りのガード付近でも、仮設橋脚の建設が始まっていました。

 開桜小通りガード付近の仮設橋脚建設(写真拡大 6月5日)

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