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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第13回その2)

2010年01月30日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 糀谷高架駅舎棟の壁面

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今回は、全工区統合編(第12回その2)以後の蒲田高架化工事の続報と、第8工区の糀谷高架化工事および第2~5工区電力線・電気設備工事の速報を掲載しました。

蒲田高架化工事続報
・第3工区高架駅舎棟築造
1月29日に見ると第3工区の高架駅舎棟は、第4工区境界側から築造の駅舎棟と多摩堤通り側から築造の駅舎棟の骨組みがドッキングしていました。また、多摩堤通りガード上の高架駅舎棟は、第1京浜国道側ではガード北端から高架橋の1橋長分の養生シートが外されていました。

 第3工区高架駅舎棟の築造が進む1(:第3工区高架駅舎棟の全体が結ばれる、:多摩堤通りガード上の高架駅舎棟東壁面が初お目見え0129)

また、JR蒲田駅側のガード上でも高架橋の3橋長分の駅舎棟壁面が初お目見えし、呑み川南岸では2橋長分の高架駅舎棟壁面が養生シートを外されていました。

 第3工区高架駅舎棟の築造が進む2(:多摩堤通りガード上の高架駅舎棟西壁面が初お目見え、:呑み側南岸駅舎棟西側壁面の養生シートが外される0129)

・第4工区高架駅舎棟築
同29日には、京急蒲田西口改札口南方の高架駅舎棟中央部の養生シートが外され、2階から3階までの全面高窓枠と左右に模様のついたデザインのスマートな壁面が公開されました。

 西口改札口南方の高架駅舎棟中央部のスマートな壁面(写真拡大0129)

第8工区糀谷高架化工事
糀谷高架駅舎棟の工事は1月20日に見ると、駅舎棟北面の京急蒲田(空)第4踏切側の養生シートが高架橋の4橋長分外されて、2橋長分はまだ足場が残っていました。

 糀谷高架駅舎棟北面の西方で養生シートが外れる(写真拡大0120)

また、上り線用の2階仮ホーム(「全工区統合編(第7回)」参照)への接続の階段は旧跨線橋用の階段を転用するもので、1月20日には2階ホーム部への結合通路部分の工事が完了していました。

 転用階段による仮2階ホーム部への結合通路(:旧跨線橋で使用した階段転用091018、:転用階段による仮2階ホーム部への結合通路0120)

同29日には糀谷高架駅舎棟北面の壁面は、駅ホーム東端近くまで外壁が現われており、外壁工事作業用の道板が撤去されていました。

 大部分が姿を見せた高架駅舎棟の北側壁面(写真拡大0129)

なお、駅舎棟南面の外壁も、糀谷第1踏切側で高架橋の2橋長分の養生シートが外されていました。糀谷高架駅ホームのPC台板は、はっきり見えませんが取付けられているようです。また、上り線の単線高架橋用の電力線電柱の建立はすでに完了していました。

 糀谷高架駅舎棟の築造が進む(:駅舎棟南面の外壁も一部養生シートが外れる、:高架駅ホーム台枠にPCホーム板が見える0129)

第2~5工区電力線・電気設備工事
1月29日に見ると、第2~5工区の上り線の電力線の架設は、梅屋敷第3踏切付近から、京急蒲田第8踏切南の蒲田消防署の先までトロリー線の架線が完了しています。
2階上り高架橋を梅屋敷第3踏切から南に進むと3階の下り高架橋の下を通り、電力線の架線は高架橋の下に付けられた懸垂碍子に架線されています。京急蒲田第6踏切を南に進むと、片張鋼製の電力電柱にトロリー線が架設されています。

 梅屋敷第3踏切から京急蒲田第6踏切間のトロリー架線(左上中上:梅屋敷第3踏切付近のトロリー架線、右上:京急蒲田第2踏切のトロリー架線、左下:同第4踏切のトロリー架線、中下:同第5踏切のトロリー架線、右下:同第6踏切付近のトロリー架線)

電力線の敷設工事は、29日現在同蒲田消防署の先まで進んでいます。

 第5工区の電力線の架線が進む(:京急蒲田第6踏切付近のトロリー架線、:同第8踏切南の消防署裏のトロリー架線、:消防署南方の電柱まで電力線架線工事済)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第13回その1)

2010年01月28日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 窓枠デザインに凝る雑色高架駅舎棟の壁面

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今回は、全工区統合編(第12回その1)以後の第2工区梅屋敷高架化工事の続報と、第6工区の雑色高架化工事を主体に掲載しました。

第2工区梅屋敷高架化工事続報
前回記述の1月9日には梅屋敷高架駅舎棟の下り線側の外壁は、足場が組まれている状態で見られました。同27日に見ると下りの駅舎棟の壁面部の足場が外されて全体のデザインが見えるようになりましたが、養生シートの一部は駅舎棟の北端と南端側面および階段と、エスカレータの工事個所には付けられています。

 梅屋敷下り線高架駅舎棟壁面(写真拡大0127)

また、上り線側の駅舎棟壁面も南方部で、南端側面を除き養生シートと足場が外されました。駅舎棟の中央の壁面部では、階段の工事個所を除いて養生シートを外し始めた段階で、北方部の駅舎棟ではまだ外されていません。

 梅屋敷上り線高架駅舎棟壁面(写真拡大0127)

また、前回記述時には第2工区の大森町第3踏切から同第4踏切間の電柱には吊架線が張られていましたが、同27日には吊架線の下にトロリー線が張られていました。
なお、梅屋敷高架駅ホーム台のPC板取付け工事は未着手の状態で、作業用の仮板が張られている状態であり、上り線側の階段とエレベータ据え付けと共にまだ行われていません。

 第2工区の高架化工事(:吊架線の下にトロリー線が張られる、:高架駅ホーム台のPC板工事は未着手0127)

第6工区雑色高架化工事
第6工区の高架化工事の進捗状況を見ると、昨年12月には雑色高架駅舎棟の築造は屋根が葺かれ、壁面の取り付け工事が始まりました。

 雑色高架駅舎棟の築造が進む(左・中:雑色高架駅舎棟に屋根が葺かれる091201、右:高架駅舎棟に壁面が付けられる091228)

・駅設備工事
同12月28日に見ると、上り線ホームの地下通路の川崎寄りの階段が閉鎖されエレベータ工事の準備が始まりました。

 上りホームのエレベータ工事のため地下通路閉鎖(写真拡大091228)

また、1月27日現在雑色高架駅ホーム台枠にPCホーム板の取付工事は、上下線とも行なわれていません。

 高架駅ホーム台枠にはまだPCホーム板が付けられていない(写真拡大0127)

・雑色高架駅外壁
1月20日に見ると、上り線側の高架駅舎棟の側壁面の養生シートが両端側面部を除いて外され雑色駅の姿を現し、壁面の中央部は上下いっぱいに格子窓をあしらったデザインで駅を引き立たせています。また、下り線駅舎棟でも南方側から養生シートと足場の取外しが行われました。同27日には、下り線駅舎棟も駅端部を除いて養生シートが外されました。雑色高架駅の下り側は、第1京浜国道からは隙間から僅かにしか見られません。

 雑色高架駅舎棟の壁面デザインが公開される(:上り高架駅舎棟の養生シートが外れる0120、:下り高架駅舎棟も養生シートが外される0127)

・上り仮高架橋の電力線・電気設備工事外
同27日に見ると、上り仮高架橋上では大勢の保線員が上り線開通の準備の保線工事を行っていました。

 仮上り線高架橋のレール敷設保守作業(写真拡大0127)

また、上り仮高架橋の電力線・電気設備は、仮上り線の電力用の電柱が建立してあり、電柱は片張りでI字鋼型の鋼製の電柱です。

 仮上り線高架橋に建立の電力線電柱(写真拡大0127)

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大森町界隈あれこれ ニュース 変貌する大森町駅周辺の商店街(2010.1.26号)

2010年01月26日 | 大森町界隈あれこれ 商店街
kan-haru blog 2010

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大森町駅周辺の商店街の変貌
新年を迎え早くも26日を過ぎました大森町駅周辺の商店街は、日々変貌しており、1月前のニュース(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の師走の出来事(2009.12.26号)」参照)から後を追って見ました。
現在、大森町駅東口の商店街通り南側のマンション建築現場(地図青色①)は、線路側から元ホケン堂薬局、元和菓子店青柳、元クリーニング店のCLEAN BLUE、元大森食堂の跡地です。

 変貌する大森町駅周辺商店街地図

これらの商店は、京急の高架化工事と大森町第1踏切東側から第1京浜国道までの商店街通り(大田区画街路第3号線延長63m)を幅員13mに拡幅するため、2007年に閉店の元ホケン堂薬局が2008年12月に取壊しから始まり、3軒の商店は2009年1月から3月までの間に順次取壊されました。このうちクリーニング店のCLEAN BLUEは、通り向かい側の焼肉店とんべつ跡に移転して仮営業(地図1)が始まりました。

 大森町駅東口駅前商店街通り(:第1京浜国道から見た駅前商店街通り、:東口駅前マンション建築現場、:駅東口隣商店跡地)

商店街通り駅前のマンション建築現場の東側では、パチンコ商品引換え所T-U-C SHOP(地図2)、みどりや文具店 (地図3) 、喫茶店CHIK(地図4)、たばこ屋 (地図6)がそのまま営業を継続しています。
商店街通り北側では、元東京キッチンが閉店(地図白丸抜き①)して今年暮れには跡地が平地となり囲い塀で閉ざされており、クリーニング仮営業店およびはな屋TULIP TREE(地図5)と東日ビル1階のすき屋のみが営業継続をしています。

 駅東口大森町商店街通りの営業中のお店(:T-U-C SHOP、みどりや文具店、喫茶店CHIK、:花屋TULIP TREEと東日ビル1階すき屋、:たばこや)

大森町駅の西口に隣接のナンカ堂大森町店A館(地図白丸抜き②)は47年間も営業しており、京急高架化工事で立退きのため昨年の大晦日に閉店し、現在取壊し中で養生シートにより全館が覆われています。

 閉店取壊しのナンカ堂合成(写真拡大)

また、ナンカ堂A館の2階にあったカラオケドルフィンは、ほのぼの通りのナンカ堂大森町店B館(地図緑色)の2階に移り営業中です。ほのぼの通りでは、ナンカ堂の外田肥電器(地図7)との2店の営業となりました。ほのぼの通りで閉店したナンカ堂B館と田肥電器店に挟まれた商店の跡地(地図青色②)と丸忠行川商店跡とコマツヤ靴店跡地では、マンションの建設(地図青色③)が行われています。

 ほのぼの通りの商店街(:ほのぼの通りでは田肥電器1軒のみの営業、:行川ビル建設現場、:田肥電器隣りの建設現場)

ほのぼの通り角地のTSUTAYAでも大森町駅前広場にかかるため、東側壁面の後退工事が行なわれます。角地にあるみずほ銀行のATM小屋も移転を要します。工事が軒並みの商店街では、TSUTAYAの隣のマクドナルドも外壁の化粧直しの工事が始まりました。

 大森町西口商店街も工事が始まる(:TSUTAYAの外壁後退工事が始まる、:みずほ銀行ATMも移動を要す、:マクドナルドも外装工事が始まる)

さらに、ほのぼの通り北側の池田医院隣のマンションMiレジデンス(地図白丸抜き③)は、大森町駅前広場が出来るので立退きとなり、養生シートを掛けて取壊し中です。さらに、マンションから1軒置いた先でもマンションの建て替え建築(地図青色④)が行われており、大森町駅を中心とした商店街は建設のラッシュです。

 駅前広場設置によりマンション取壊し(:マンションMiレジデンスの取壊し、:マンション建替え工事)

京急高架化工事関連側道整備交通計画説明会
京急高架化工事に伴い関連側道が内川南岸(大森西3-5)から梅屋敷商店街通り(大森西6-15)の京急本線西側沿いに、新たに幅員6mの関連側道を整備して設けられます。
この道路は地域の生活道路を主体とする観点から、幹線道路からの車体の抜け道となるのを防ぐように、平成21年から警視庁本部、大森警察署と協議して交通規制案を作成しており、この規制案を住民に対しての説明会が2月9日19時から大田区大森西特別出張所で開かれます。

 京急高架化関連側道地図

大森町付近の幹線道路は、南北を結ぶ第1京浜国道と産業道路は幅員があるので渋滞混雑は他と比べると比較的少ないのですが、東邦医大通りは現在幅員拡幅の工事をしており混雑が見られます。ただ、大森町の東西を結ぶ幹線道路は環7通りのみで、JR東海道線を横断する幅員の広い道路がないのが実情です。そのため大田区の東西幹線道路の環7および環8通りは常時渋滞状態です。その主たる要因は、京浜急行の踏切での遮断の長さにありますが、今年の上り線高架化開通と環8通りと第1京浜国道の立体交差化が完成することにより改善が期待できます。特に環8通りは上り線高架化により、下り線も現在の仮上り線高架橋を利用した高架交差化が行われますので、大幅な改善が期待できます。

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(1月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 大森町商店街総目次
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第12回その2)

2010年01月23日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 窓枠付きデザインの京急蒲田高架駅舎棟壁面

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京急蒲田駅高架化工事
京急蒲田駅高架化工事は、駅舎棟の高架橋建設を第3、4工区が分担しており、本線高架橋の工事が第5工区の分担で、空港線支線の高架化工事が第7工区の分担で築造しています。
駅舎棟建設の進捗は、昨年の秋には北側半分の第3工区ではまだ3階部下り線駅舎棟が骨組み骨格を築造中の状況で、南側半分の第4工区では駅舎棟の壁面と屋根部の構築がほぼ完了し、かなりの部分で壁面の養生シートが外され始めました。
第5工区担当の本線高架橋の築造は、これまでに京急蒲田第6踏切りから同第8踏切部の区間は第1次工程の上り単線の2階部高架橋形態の構造で、第2次の下り単線の傾斜高架橋の建設を残してほぼ完了しています。空港線の第7工区の高架橋は京急蒲田(空)第4踏切までの全区間が完了しています。

 完成の第5・第7工区高架橋(:第7工区の完成高架橋091009、:第5工区上り線高架橋0120)

・第3区高架駅舎棟の築造
昨年11月には第3工区高架駅舎棟の築造は、多摩堤通りガードの北端部から同通り南側の高架橋上までの3階部駅棟の骨組みが建てられた(「全工区統合編(第5回)」参照)ところです。
12月17日には3階部駅舎棟の骨組みの築造が、多摩堤通り北端から吞み川北岸部付近まで南方に向けて建設が進みました。

 第3工区高架駅舎棟の築造が南方に伸びる(写真拡大091217)

今年に入り、1月9日に見ると高架駅舎棟の築造は第4工区境界の高架橋北方側へと建設が進み、同19日には吞み川南岸上の高架橋手前まで進展し、多摩堤通り側高架橋の駅舎棟とのドッキングまでもう一歩となりました。

 第3工区高架駅舎棟の築造が進展する(:第4工区境界北高架橋から北方へと駅舎棟築造が始まる0109、:第4工区側駅舎棟と多摩堤通り側駅舎棟のドッキングまであと一歩0119)

・第4区高架駅舎棟の築造
第4工区高架駅舎棟の骨組の築造は昨年の10月8日にはほぼ出来上がっており、11月5日には中央の駅舎棟屋根の中心にかまぼこ型の白色の幕屋根が付けられました。

 京急蒲田高架駅舎棟の屋根の構造(:蒲田ヤードに搬入の幕屋根091019、:高架駅舎棟天井に幕屋根が付く091105、:京急蒲田高架駅舎棟全景[京急資料室写真より])

また、京急蒲田第2踏切際の駅舎棟の東面3階高架橋上部と、西口改札口付近の西面3階高架橋上部の壁面部の一部の養生シートが外され、京急蒲田高架駅舎棟壁面が公開されました。
11月15日には同第2踏切際の高架橋の一部の駅舎棟は、1-3階までの養生シートが外され壁面の外観がお披露目されました。

 京急蒲田駅舎棟壁面の初公開(:京急蒲田第2踏切際駅舎棟東壁面の初見参、:京急蒲田西口改札口付近駅舎棟西壁面の初見参091105、:京急蒲田第2踏切際駅舎棟壁面が全面公開091115)

11月23日に見ると、同第2踏切際の西面の高架駅舎棟の3階部壁面部の養生シートが外され、広範囲に壁面が見られるようになりました。また、西口改札口の北方でも駅舎棟壁面の一部の、養生シートが外されました。第4工区の駅舎棟の壁面は徐々にその姿を現してきました。

 第4工区駅舎棟壁面が徐々に姿を現す(:第2踏切際の西面3階部の駅舎棟が姿を現す、:西口改札口北方の壁面の養生シートが外される)

12月4日には同踏切際東面の駅舎棟壁面の高架橋幅の4橋分の養生シートが外され、同西面の駅舎棟壁面では1-3階部の全てが現れました。また、空港線分岐鉄橋部手前の駅舎棟壁面の姿も見せました。

 次々と姿を現す駅舎棟壁面(:高架橋4幅の壁面養生シートが外される、:西側の駅舎棟壁面も1-3階が露出する、:空港線分岐鉄橋部付近の駅舎棟壁面091204)

今年に入り1月9日には第4工区の駅舎棟東壁面は、2橋幅分のみを除いて養生シートが外されました。最後まで残った駅舎棟壁面は同19日にベールが外され、その壁面には窓枠の付いた駅舎面が登場しました。これで東壁面は全ての外壁の姿を見せました。

 京急蒲田高架駅舎棟東壁面の全て(:踏切から5橋幅の駅舎棟壁面を見せる、:2橋幅のみ除き4工区の駅舎棟壁面は姿を現す0109、:最後に登場の駅舎棟面は窓枠の付いたデザインの壁面0119)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第12回その1)

2010年01月21日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010  下り梅屋敷高架駅舎棟壁面とエスカレータ台枠

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統合編を記載のために各工区を取財のため見て歩くと、今春に上り線を開通させるという予定は無理の様に感じられてきました。現状の工程進捗を見る限りでは、開通は5月中旬を越えるものと思われます。
今回は、全工区統合編(第11回)以後の第1工区大森町高架化工事の続報と、第2工区の梅屋敷高架化工事を主体に掲載しました。

第1工区大森町高架駅工事続報
前回掲載後の大森町高架駅の工事には、1月18日に見ると駅ホームの取付け未完部の屋根葺き工事が行われ、これにより屋根の建設は完了しました。

 ホーム屋根残部箇所の屋根葺き工事(写真拡大)

また、上りホーム南端側面の駅舎棟外壁の養生シートが外され、閉店取壊しのナンカ堂との接触面部を除いて外壁面は露出しました。なお、駅舎棟壁の露出面部の建設材は、最新の化学処理が施されており、外面に光などが当たると表面が綺麗に清掃される処理が施されているようです。19日には、上りホームでは駅設備工事のエレベータの工事囲いが上りホームにせり出ました。
また、上り高架線の線路敷設工事は完了しましたが、20日には大森町第4ヤードには工事車が停止しており作業が終了していましたが、この現場で下り高架線路用のラダー軌道の敷設コンクリート枕木片を作成しているそうです。

 第1工区高架化工事続編(:上りホーム南端側面の駅舎棟外壁の養生シートが外れる、:上りホームにエレベータ工事囲いが張り出す、:大森町第4ヤードでラダー枕木片を作成する工事車)

第2工区梅屋敷高架化工事
第2工区の高架化工事の進捗状況を見ると、1月に入りやっと梅屋敷高架駅舎棟の壁面も姿を見せました。

・駅設備工事
梅屋敷高架駅の駅設備工事は、着手が早く昨年の8月には踊り場までの階段の骨組みが上り・下り側ともに築造されましたが、何故か下りホーム側からエスカレータ台枠組が付けられ、同10月には下り側階段に段々の枠が組まれました。

 梅屋敷駅設備工事(:下りホーム昇降階段に段々組枠が付く、中:下りホーム側にエスカレータ台枠組が付く、:上りホーム側は階段枠組のみ091105)

さらに、同11月にはやはり下り側のホームでエレベータの工事が始まりました。上り線開通のための階段とエスカレータの工事は、1月20日現在工事が進んでいません。

 下り側ホームのエレベータ工事(写真拡大091210)

・梅屋敷高架駅外壁
梅屋敷高架駅外壁は昨年9月には養生シートが張られ、10月にはホームの屋根が付けられて高架駅の築造が進められていました。今年に入り1月19日に見ると、下りホームの梅屋敷高架駅の中央部と南端部の一部の養生シートが外され、外壁面が登場しました。外壁は、白色壁の上部の屋根部に青色の帯が付き、縦に細長いガラス窓を3列ずつ配したデザインとなっており、まだ足場は外されていません。外観は駅ごとに異なる形式で、姿を競っており従来の駅の感覚から見るとスマートです。

 梅屋敷高架駅舎棟壁面(写真拡大0119)

・第1、2工区電力線・電気設備工事
昨年12月には全工区統合編(第10回その3)に示す様に、第1工区から第2工区の大森町第4踏切の間まで電柱が建立され、電柱には電力線の吊架線が張られていました。今年に入り1月19日に見ると、第2工区の電柱は梅屋敷第3踏切手前まで建立されていました。
また、建立された第1工区の電柱には、吊架線の下にトロリー線が張られ(「全工区統合編(第11回)」参照)、1月19日に見ると第2工区の大森町第3踏切から同第4踏切間の電柱にも吊架線が張られていました。

 大森町第3-4踏切間電柱の吊架線の架設(写真拡大0119)
 
さらに、吊架線は梅屋敷高架駅を越え、梅屋敷第1踏切から同第3踏切間の電柱にも架設が行われていました。

 梅屋敷第1-3踏切間電柱の吊架線の架設(写真拡大0119)

1月20日に第1工区の平和島第5踏切付近の高架橋上に電源工事車が停車しており、同21日に見ると同踏切北側の高架橋に2本の電柱と、その北方の仮上り線高架橋に1本の電柱を建立していました。

 第1工区仮上り線用の電柱の建立(:電車線・電力工事の工事車群、:、:仮上り線高架橋に電柱が建立)

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大森町界隈あれこれ 2010年 大森町の正月・年始風景 その1(第86回箱根駅伝)

2010年01月19日 | 大森町界隈あれこれ 風景
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箱根駅伝
大森町の恒例の正月・年始風景は、2、3日に大森町を縦断する第1京浜国道を各大学の選手が走る箱根駅伝を、周辺の住民が連れだって新聞社が配る小旗を振って声援を送る情景を見て、新年のスタートを知らせる風物詩です。
今年の箱根駅伝は「第86回東京箱根間往復大学駅伝競走」で、シード校10校に予選会から選考された9校と、関東学連選抜チームを加えた20チームで争われましたので、昨年同様(「大森町界隈あれこれ 2009年 大森町の正月・年始風景(第85回箱根駅伝)その3」参照)に第1京浜国道大森町駅交差点付近で、2、3日に応援に行きました。

・往路コース
往路は、千代田区大手町の読売新聞東京本社前を2日午前8時にスタートして、鶴見、戸塚、平塚、小田原の各中継所を経て、神奈川県箱根町の芦ノ湖までの108.0kmを5人の選手がリレーして走ります。
第1京浜国道大森町駅交差点付近の通過は8時40分頃となりますので、初めはテレビ中継を見て、母校が今年はトップ集団を走っているので気を良くして、品川の御殿山を過ぎるころに腰をあげ国道で配っている応援の小旗を貰います。今年の小旗は昨年までと異なり、布製で一回り小型の旗(Top写真)となりましたが、紙製の旗では破れ易いのでエコを配慮したものです。

 箱根駅伝往路1区(:大森町駅交差点、:往路先頭集団グループ)

例年の大森町駅交差点付近の選手団の通過は、各校の選手が牽制しながら1団となって通りすぎて呆気ない応援となりますが、今年はトップ集団が飛ばして珍しくラスト選手との差を結構付けての通過となり、先頭は明治大、早稲田大、専修大、中央大の集団で、続く2番手集団には東洋大、山梨学大、城西大、関東学連などが通過しました。今年の母校明治大学の往路選手は4年生であり、通過集団の順位を見て期待して家に戻りテレビ観戦です。

 往路大森町を通過する選手団1(:往路大森町通過のテレビ中継1号車、:2番手集団通過、:3番手集団通過)

最初の第1区の鶴見中継所(21.4km)での成績を見ると、1位が母校の北條尚選手が1時間2分27秒で通過し、2位の早稲田大が1時間2分40秒、専修大が1時間2分46秒、関東学連が1時間3分で、以下東洋大、中央大、山梨学大と続きます。
第2区の鶴見- 戸塚間(23.2km)でも、明治大の石川卓哉選手が1位で10時11分23秒(区間5位の1時間8分56秒)で通過し、2位の日本大ダニエル選手が区間1位の1時間7分37秒の11人抜きで10時12分3秒と40秒差に詰められました。以下、山梨学大、東海大、青学大と続きます。

 今年は大森町付近から選手間隔が離れて通過(写真拡大)

続く第3区の戸塚- 平塚(21.5km)では昨年も健闘した鎧坂哲也選手が区間3位の11時14分31秒で通過し、山梨学大コスマスが追い上げてきましたが2位とは11時15分23秒で52秒差とかわし、第4区の平塚 – 小田原(18.5km)の安田昌倫選手も区間記録の55分57秒と奮闘して12時10分28秒と、2位の日体大の12時13分7秒を2分39秒と離しました。しかし、往路の1位通過はここまでで、第5区の小田原- 箱根(23.4km)では東洋大の2年生柏原竜二選手が、脅威的な区間新記録の1時間17分18秒と昨年の記録を破り13時32分2秒の1位で到着し、以下2位山梨学大、3位日体大、4位中央大、5位東京農大となり、明治大学は6位に沈みました。

・復路コース
明治大の復路は5分43秒差で出発ですが第6区の小田原では、1位東洋大、2位山梨学大、3位中央大の次に明治大が6分差の4位で通過して期待を抱かせてくれました。

 総合優勝校東洋大と復路優秀校駒沢大(:大手町読売新聞社1位ゴールの東洋大高見諒選手、:復路の大森町を通過するテレビ中継1号車、:大森町を2位通過の駒沢大藤山修一選手)

しかし、第7区では1位の東洋大とは7分50秒差の6位となり、次の第8区でも奮戦して1位とは9分2秒の差で6位を死守しましたが、第9区で明治大は8位に落ちてトップとは10分31秒差と開きました。

 大森町を通過するシード校選手達1(:3位通過の山梨学大大谷健太選手、:4位通過の中央大辻幸佑選手、:5位通過の東京農大木下潤哉選手)

いよいよ第10区では大森町の通過です。トップの東洋大に続き2位は復路優勝の駒沢大藤山修一選手、3位の山梨学大大谷健太選手、4位中央大辻幸佑選手、5位東京農大木下潤哉選手、6位城西大八巻賢選手、7位早稲田大神沢陽一選手に続き、明治大の渡辺真矢選手が8位を通過していきました。

 大森町を通過するシード校選手達2(:6位通過の城西大八巻賢選手、:7位通過の早稲田大神沢陽一選手、:大森町では8位通過の明治大渡辺真矢選手)

しかし、大森町では9位の青学大鈴木惇選手、10位日体大小柳津幸輝選手、中央学大、帝京大学、東海大、大東大、亜細亜大、日本大、上武大、関東学連、法政大、専修大と走り抜けていきましたが、品川を過ぎる頃には青学大に、ゴール寸前で日体大にも抜かされて明治大はかろうじて11時間21分57秒の総合10位(復路17位)でのゴールとなりトップとの差は11分44秒と開き、しかも11位でゴールの帝京大との差は僅かに2分55秒の差で何とかシード権を得ましたが、4年生の主力が抜けた来年は大変な頑張りが必要なようです。

 大森町を通過するシード校と惜しくも11、12位の大学(:大森町では9位通過の青学大鈴木惇選手、:大森町では10位通過の日体大小柳津幸輝選手、:惜しくもシード校落ちの中央学大と帝京大学)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第11回)

2010年01月17日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2010 上り大森町高架駅舎棟壁面 

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第1工区高架化工事の進捗
2010年に入り高架工事は、上り線の運転開始に向けて進んで行きますので、今年も昨年同様に工事の進捗を記述していきます。
今回は、まず、昨年暮れまでの第1工区の大森町駅周辺の高架化工事のその後を追い、公開された今後の工事予定の進捗を追って見ていきます。

 第1工区高架工事予定表(工事予定表の拡大表示)


・大森町高架駅舎外壁
大森町高架駅舎築造の工事は、昨年10月下旬には駅舎棟壁やホーム屋根(一部を除く)の建設が終わり、下り線ホームの駅舎棟壁に張られていた養生シートが、ホームの南部と北部端の高架橋部を除いた中間高架橋の壁面で外され、白色壁に青色線が引かれた駅棟壁が公開されました。下り線ホームの東壁面には、窓は付けられていません。

 大森町高架駅下り線側駅舎棟の壁面公開再掲(:駅舎棟作業覆いの取外し開始091022、:作業覆いの取外しは駅舎棟南面まで進む、:駅舎棟の築造はまだまだこれからが本番091030) 

昨年の11月23日に見ると、上り線ホーム駅舎棟の壁面の一部の養生シートが外され、壁面には丸窓が見られます。大森町高架駅の西側は完成すると、駅前には広場ができます。12月4日には、ゑびすヤードより北側高架駅西側壁面の養生シートが外され、同19日には中間に残された壁面の養生ヤードも外れ5個の丸窓が見られました。

 上り線高架駅舎棟壁面の公開が進む(:上り線高架駅舎棟壁面の一部公開091123、:ゑびすヤード北部の駅舎棟壁面も公開091204、:上り駅舎棟壁面の北半分が公開091219)

12月に入りホーム駅棟舎北部のホーム幅の狭くなった部分の養生シートが外れると、壁面肩部に幅広い窓枠が付いているのが見えます。同23日には下り線ホーム南端部の側面を除き養生シートが外され、足場を残したままで年明けです。

 ホーム先端端部の駅舎棟壁面(:上り北端の駅舎棟壁面091219、:下り北端の駅舎棟壁面091204、:下り南端の駅舎棟壁面091223)

今年に入り、1月9日には上り線専用臨時改札口の北部の養生シートが外され、半円窓が公開されました。これにより、西側の臨時改札口から北側の高架駅棟舎の壁面は露出されましたが、改札口から南部のナンカ堂の影の壁面はまだ未完の状態です。ナンカ堂は、大晦日の12月31日に閉店して、現在建屋の取り壊しが着手されたところです。
同14日には、下り線ホーム高架駅舎の南端部の壁面の養生シートも外され、北端部までの全体が公開されました。

 高架駅舎棟壁面の公開が進む(:上り臨時改札口から北の駅舎棟壁面0109、:閉店のナンカ堂との境界面の駅舎棟壁工事は未着手、:下り駅舎棟ホーム南端側面の壁面0114)

・高架駅設備工事
高架駅舎棟の築造がほぼ終わり、昨年の11月13日には下り線高架駅築造用の工事材を取り外して搬出が行われていました。また、12月19日には、高架駅舎棟の築造にフル活動していた工事用クレーンも、その役を終わりゑびすヤードを後に帰っていきました。

 高架橋築造完により引き上げる工事機・工事材(:高架駅橋築造の用済み工事用材の引き上げ搬出091113、:高架駅橋の築造工事を終えたクレーン車091219)

同23日には、上り線開通に向けてエレベータの据え付け工事が開始されました。今年に入り14日には、エレベータ用の外筺か外囲枠と思われる建材が搬入されました。

 上りホームのエレベータ工事開始(091201/0114写真拡大)

・電車線架設工事
昨年12月4日には、大森町高架駅北側高架橋に建立された平和島第5踏切までの中間部の電柱から高架駅ホームを通り、高架駅南側高架橋から第2工区の途中までトロリー線を吊るす吊架線が張られていましたが、本年の1月9日に見ると、吊架線の下にトロリ線が張られていました。また、同14日には大森第1踏切南方の高架橋上に、電車線架設用の工事車が見られました。

 電車線のトロリ線架線工事(左上中上右上左下中下右下0109写真拡大)

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風景・風物詩 初詣風景 神田明神と川崎大師の神社仏閣への初詣(その2)

2010年01月15日 | 風景・風物詩
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・神田明神初詣
神田明神は孫一家が氏子であり、七五三の時以来の何年か振りのお参りで、初詣は初めてです。神田明神の初詣は、昨年から初春に開催するようになった、上野東京都美術館の書道展(「イベント 東京都美術館 第63回日本書道美術院「教育部展」2009、2010」参照)で孫の作品を見た後に、近くにある神社・仏閣を回ってお参りするようになり、今年は1月5日に神田明神に参詣をしました。

 神田明神パンフレット

私の先祖は一時神田明神のそばで「きせる」の商いをしていた様で、父はよく成田山新勝寺を参拝してはいけないと云っていました。これは当時、朝廷が叛乱を起した平将門を討伐するため、使いを立て新勝寺で乱鎮圧の動護摩の儀式を行ったことから、参拝することは平将門を苦しめることになるからの理由によるものです。私の代は神田明神の崇敬者ではなく、また新勝寺の信者でもありませんが観光で成田山もお参りしています。
神田明神に着いたのは正午を回っており、鳥居を潜った参道はかなりの込み合いで、両側の食べ物屋台やお店の周りに置かれたテーブル席には、5日が仕事始めと思われる氏子企業の勤め人達で満員でした。

 神田明神初詣り風景1(:露天が沢山並ぶ随神門前の参道、:随神門、:露天のテーブル席はどこも満員)  

随神門を潜り境内も初詣の人が一杯で、本殿前は参拝者の行列でお参りまでにはかなりの時間を待ちました。お参りが済んで、本殿脇の昇殿参拝受付所でご朱印を授けていただきました。

 神田明神初詣り風景(:初詣りで混雑する本殿前、:境内の中から見た随神門、:手水舎とおみくじ授受所)

神田明神の3体の祭神は、平将門命に、大己貴命(だいこく様)と少彦名命(えびす様)が祀られています。境内のだいこく様ご尊像は1976年に建立され、高さ6.6メートル、重さ約30トンで石造りとしては日本一のだいこく像です。だいこく様ご尊の前に茅の輪が置かれてありましたので、正月から6月までの半年の大祓いで疫病や罪穢が祓われるといわれていますので、昨年の上野の五條天神社(「風景・風物詩 初詣風物詩 上野五條天神社、不忍池弁天堂と飯田橋東京大神宮」参照)の参詣時と同様に茅の輪をくぐってきました。

 神田明神初詣り風景3(:だいこく様の前の茅の輪、:茅の輪の由来、:だいこく様ご尊像)

昼も大分回りましたので、参道の明神そば「きやり」で昼食のそばを食べ、天野屋で名物の「あまさけ」をおみやげに買って帰りました。

 明神そば「きやり」

川崎大師初詣
川崎大師は大森町からは京浜急行電鉄のみで行くことができ、初詣は小学生の頃から大戦中の学童疎開時を除いて毎年欠かさず行っています。下車駅の京浜川崎大師駅は電気鉄道最古の駅で、1902年(明治35年)に六郷橋~川崎間が開通(「風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺200720082009」参照)し、京浜急行電鉄の前身の大師電気鉄道が川崎大師を「恵方」として宣伝したため、明治、大正、昭和から平成の時代まで初詣の人気ポイントとなり、初参り客数は全国3位を続けています。

 川崎大師パンフレット

今年の川崎大師初詣は、近所に住む従兄夫妻と一緒に1月7日に行きました。まだ、松の内ですが3連休の間のためと、昼過ぎの時間を狙って云ったので比較的に空いていました。大師駅から大師山門までの900mのうち、川崎大師表参道での車の規制はなく、参詣者は狭い歩道の通行のみのため、参拝客と帰りの客が行き合い早くは進めません。また、仲見せ通りも一方通行の規制が行われてなく、結構混雑していました。
大山門を潜り境内に入ると人の流れは良く、たち止まらずに本殿に参拝できました。今年も家内安全と健康を祈願して、毎年授受している「弘法大師災厄消除祈攸」のお札と「身代守り」を戴き、縁起ものの「ダルマ」を購入し、古いお札、お守りと昨年のダルマを納札堂に収めて例年と同じ様にお参りを済ませました。

 川崎大師初詣風景1(左:大山門、:本堂、:昨年も買ったダルマ屋のお店)

山門を出てからの帰り道は、仲見世でおみやげにと山門前のなじみの店で「くずもち」を、仲見せ通り角の飴やさんで「咳どめ飴」と「トントコ飴」を買い、表参道の露店でエビとワカサギを求めるのが年初めの恒例となっています。

 川崎大師初詣風景2(:、:とんとこ飴屋さん、:くずもち屋さん)

また、初参りが済むと昼過ぎですので軽い昼食のそば・うどんをとるのが通例です。大師の参道でのおそばやさんと云うと、山門前にある「蕎麦善はやま」(地図A)と表参道角の「松月庵」(地図C)は共に老舗で目立つ所にあり何回か利用しましたが、何しろ混んでおります。そこで今回は川崎大師付近にあるそば屋さんを6ケ所探しておきました。比較的空いているところを利用することして、まず仲見せ通りの中程にあるお食事処・河床(地図B)を覗くと席が空いている様なので入って昼食をとりました。まあまあの食事に満足し、今年も無事に初詣りができたことを感謝して、大森町に戻りテイタイムを楽しみました。

 川崎大師近辺そばや地図(蕎麦善はやま:A、食事処河床:B、松月庵:C、みしまや:D、仙利庵:E、玄宗:F)

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風景・風物詩 初詣風景 神田明神と川崎大師の神社仏閣への初詣(その1)

2010年01月12日 | 風景・風物詩
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初詣
今年は、1月5日に神田明神に、同7日に川崎大師に初参りに行きました。
初詣は、時代とともに変わっているようですが、毎年行く人は70歳代以上が59.1%で、20歳代では44.4%であるとの調査が出ています。元々の初詣は、家長が祈願のため大晦日から元日の朝にかけて氏神の社に籠もる「年籠り」という習慣があり、これが原点となって「除夜詣」と「元日詣」となりました。
江戸時代末期の頃は、その年の恵方の社寺にお参りする「恵方詣」が普通になっていましたが、明治時代の中期頃より初詣が一般化してきました。明治の後期には、鉄会道社が近郊の神社仏閣を「恵方」と称して宣伝を始めたことにより、鉄道網を利用した「元日詣」が広まり、終夜運転が行われるようになりました。
ところが、ここ数年は利用者が減少し終夜運転が縮小傾向で、本数削減や運転を止めたところも出てきました。

初詣には特に定められた規定はありませんが、正月の三が日に参拝するのが初参りと云われたり、正月中に参拝すればよいのだとも云われています。また、初参りの回数も問われていなく、一部の地域では正月三が日に複数の寺社にお参りする「三社参り」という習慣もあります。
初詣の対象は、神社と寺院の何れでもかまわないとされており、多数の神社・仏閣にお参りすれば色々なご利益があるとの説もあります。これは、明治時代の初期に神仏分離が行われる前に、神道と大乗仏教の信仰が一体化していたことに関係があるようです。

神田明神

 神田明神地図

神田明神(千代田区外神田2-16-2)は正式名称を神田神社と称し、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場、築地魚市場などの都心108町会の総氏神様で、神社本庁の別表神社です。

 ご朱印

ご祭神は3柱で、一の宮には大己貴命(だいこく様)が祀られ、二の宮には少彦名命(えびす様)が祀られ、三の宮には平将門命(まさかど様)が祀られています。また、江戸の食を支える青果市場、魚市場の発祥の地であったところから江戸神社、水神社が祀られております。

 神田明神境内図(境内拡大図)

・神田明神正月行事
ご祭神は、家庭円満、縁結び、商売繁盛、事業繁栄、厄除開運、病気平癒など、多くのご神徳をお持ちの神様で、初詣りには30万人以上の人が詰めかけます。元旦から3日間は、無形文化財の神田囃子と獅子舞いが奉納されます。
仕事初めの1月4、5日には氏子の企業の1,500社、10万人が今年の社運隆昌、商売繁盛の祈願に訪れました。

 1月5日も氏子企業の参拝者で一杯の本殿前

また、今年の1月9日の寒中みそぎ行事は、新成人5人を始めとして女性を含めて約30人が参加して、厳寒の中で男性はふんどし、女性は白装束をまとい、大きな氷柱が入った禊場の中で冷水を頭から浴びて身を清める禊が行われます。
1月10日は、平安時代がはじまりの日本料理の伝統を今に受け継ぐ由緒正しい四條流の庖丁儀式が、御社殿で装束姿で古式に則った儀式が執り行われます。
1月9~11日には、期間中の15時からだいこく祭がだいこく様ご尊像の前で行われます。

 神田明神1月行事(左:寒中みそぎ、中:四條流の庖丁儀式、右:だいこく祭)

・神田祭り
神田祭りは日本三大祭、江戸三大祭の一つとして有名であり、江戸時代から徳川幕府の庇護を受け天下祭り(イベント 江戸天下祭 江戸の風情と粋な山車と神輿が丸の内を巡行 その1、2)と呼ばれており、2年に一度の本祭(今年は陰祭り)には鳳輦・神輿が1日かかりで巡行する「神幸祭」と、各氏子町会の約200基の神輿が町で担がれ神社へ「神輿宮入」されます。

・ご由緒(抜粋)
730年 (天平2年)の創建とあり1,270年以上の長い歴史を有する神社です。創建時は武蔵国豊島郡江戸芝崎(現在の大手町の皇居辺り)にあり、天慶の乱(939~940)に敗れた平将門公の首が付近に葬られると転変の変異が続いたので、時宗の真教上人が将門公の祟りを鎮め、1309年 (延慶2年)に将門公を祭神として合祀しました。
将門公を深く尊崇していた徳川家康が江戸に幕府を開くと、当社に神領を寄進しました。江戸の大規模な造成のため、1616年 (元和2年)に江戸城の表鬼門にあたる現在地に移転して、江戸総鎮守に相応しい壮麗な桃山風の社殿が幕府により築かれ、盛大な天下祭りが執り行われました。

 神田明神ご由緒(ご由緒拡大)

1874年(明治7年)には明治天皇の御親拝があり東京を代表する神社として厚く敬われてまいりましたが、1926年(大正15年)の関東大震災により社殿はじめ社宝等を失いましたが、氏子崇敬者の尽力によって1934年(昭和9年)当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート造り総漆朱塗り権現造の現在見ることのできる社殿が造営されました。また、平成7年より始まった御造替事業により社殿他建物全てが美しく塗り替えられ、江戸総鎮守としての面目を一新しました。

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旅ものがたり 南紀家族旅行 アドベンチャーワールドで童心に返りパンダやイルカと戯れる(その3)

2010年01月10日 | 旅ものがたり
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アドベンチャーワールド
第2日目はパンダやイルカとふれあいの感動体験をするのが目的で、受付時間に間に合う様にホテル川久をチェツクアウトし、田辺湾沿いの31号道路を東に進み、途中33号道路から南に曲がり一路アドベンチャーワールドへと向かい、開園前に到着して入口に並びました。

 南紀白浜地図

動物たちとの触れ合いには、体験のツアーとアトラクションの申し込みが必要であり、各イベント毎にサポートセンターで開園時から定員に達するまで受け付けます。
今回はJALツアーズ(期間:2009年10月1日から2010年3月31日まで)を利用しましたのでJAL旅行者だけが参加できる、パンダバックヤードツアー、ドルフィンフィーティング、サファリ探倹ツアーは、事前に予約してありました。当日の天候は小雨がちらついていましたので、屋外のツアーは不可なので家族が2組に分かれ、ドルフィンフレンドシップとカートサファリツアーの予約を追加することとし、9時30分に入門して受付を済ませました。

 アドベンチャーワールド園内マップ(拡大して見る)

・ドルフィンフィーティングツアー
先ずは最初のドルフィンフィーティングツアーは10時から行われますので、フラワー通りとアニマルランドの横を通って会場のマリンワールド内のイルカふれあいプールに直行です。

 ドルフィンフィーティングツアー1(写真拡大)

プールではイルカと握手したり、魚をあげたりして、賢くてかわいいイルカと存分に触れ合い写真も撮って貰え、イルカも最後には人なつこくお別れの挨拶をしてツアー時間は約15分間でしたが楽しい思い出となりました。

 ドルフィンフィーティングツアー2(縦左縦中縦右横右写真拡大) 

・パンダバックヤードツアー
パンダバックヤードツアーの会場はイルカのプールから階段昇り、パンダランド内を通り裏側の通用門からバックヤードに入ります。10時30分から始まりで、先ずパンダの飼育のレクチャーを受けてから、パンダにおやつをあげたりの体験を行うツアーで所要時間は20分間です。パンダを前に写真を撮って貰え、関東の動物園では餌をあげられるところがなく珍しい体験ができました。

 パンダバックヤードツアー(写真拡大)

次のツアーまでの時間がないため、パンダランド内の屋内運動場で2008年9月13日生まれのふたごのパンダ見て、屋外運動場での親パンダも急ぎ足で見ました。

 「梅浜」・「永浜」の双子のパンダ(写真拡大)

・サファリ探倹ツアー
サファリ探倹ツアーはサファリワールドで11時からで、アニマルインストラクターのガイドを受けながら、大型草食動物とのふれあい体験や肉食動物たちのバックヤードを見学するスペシャルツアーで、所要時間は約50分ですがバスに乗っている間は本ぶりの雨となりました。ツアーが済んでから、エンジョイドームのレストランで昼食をとりました。

 サファリ探倹ツアー(写真拡大)

・ドルフィンフレンドシップ
午後は12時30分から孫親子が二人で、ビッグオーシャンの巨大プールでのドルフィンフレンドシップツアーで2人乗りクリアカヤックに乗って、イルカたちとのふれあいの体験の30分です。

 ドルフィンフレンドシップ1(写真拡大)

カヤックを降りてからツアー参加の子供たちは、仲良くなったイルカたちと遊びました。

 ドルフィンフレンドシップ2(写真拡大)  

・カートサファリ―ツアー
13時から童心に帰った大人は専用のカートで参加者が2人のみの貸し切りで60分間、雨が小ぶりとなった草食動物ゾーンをめぐりました。最初は再びパンダバックヤードでパンダに餌をあげてから、サファリ―ワールド内の草食動物のキリンに餌をあげたり、Rhino Hill(ライノヒル)でサイの寝室や資料を見たり餌をあげたりしました。

 カートサファリ―ツアー(写真拡大)

1日では見きれないアドベンチャ―ワールド
参加ツアーの体験がすべて終わり、残る時間も残り少なくなりました。アドベンチャ―ワールドはとても一日では見きれません。帰るまでの残りの時間をワンワンランド、アシカライブ、ペンギン王国、イルカのマリンライブや生まれたばかりのペンギンと北極熊なども見て、折角来たのだからと最後に観覧車に乗り、アドベンチャ―ワールドに別れをつげました。

 アドベンチャーワールドの動物たち(:アザラシ、:ペンギン、:ペンギンの赤ちゃん)

帰路は南紀のお土産にと「とれとれ市場」に寄り、おみやげに生産量日本一を誇る和歌山県の南高梅と海産物などを買って、南紀白浜空港から羽田へと帰りました。

 名残惜しい南紀白浜(:観覧車、:観覧車からの遠望、:とれとれ市場)

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旅ものがたり 南紀家族旅行 アドベンチャーワールドで童心に返りパンダやイルカと戯れる(その2)

2010年01月08日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2010

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紀州白浜のお昼は幻のクエ料理
白浜海中展望塔の見学が終わると13時を回っており昼時を過ぎているので、この地で昼食タイムとしました。

 左:白浜北部地図(拡大して見る)、右:白浜温泉拡大図(拡大して見る)

展望塔からホテルシーモアの入口に戻ると、隣はおあつらえ向きに活紀州本クエ料理屋の九絵亭です。

 紀州本クエ料理九絵亭

紀州白浜では、本州中部以南でしか食せない幻の魚のクエが地元のグルメとして売りの高級料理ですので、昼食は何といっても始めてのクエ会席で「旨さ」を堪能して頂きました。

 活紀州本クエ料理屋の九絵亭パンフレット(クエ:九絵亭ホームページから)

クエ(九絵)とは、ハタ科の魚で、体長1mを超え、重さが30~50kgにもなり、身は透き通り白く、脂がのり、深みのある味わいがあり、皮やアラにはゼラチン質が多く含まれています。紀伊水道の磯に棲むものを「天然紀州本九絵」と云い、なかなか漁ることができないので、幻の魚と呼ばれて高級魚です。

 クエ会席料理1(:料理長の腕を振るった懐石料理、:クエお造り、:クエ鍋料理)

見かけはグロテスクですが、食通の間では、ふぐや鯛よりうまいと評判の高級魚で、その食味は一度食べると忘れられない味と云われます。近畿大学水産研究所では、20年以上の研究を重ねて本九絵の養殖に成功して、1年を通じて安定供給が可能となり、味は天然ものに勝るとも劣らない味わいが楽しめ、お造り、鍋やにぎりなどの定番料理をいただきやすい価格で食せます。

 クエ会席料理2

白良浜
クエでの昼食を済ませ、南白浜道路を海岸線に沿って北上すると鉛山湾で、沿岸は白い砂浜の白良浜(しららはま)です。砂浜は延長640mの遠浅で、90%の珪酸を含む石英砂は文字通り真っ白で、手では握れない非常に細かいサラサラの砂です。

 白良浜1(写真拡大)

この海岸は夏にはカラフルなパラソルが咲きみだれる白良浜海水浴場で、1996年に日本の渚百選に、2006年に快水浴場百選に選定されました。しかし、現在の美しい白砂の砂浜は、昭和の後期に波によって流出し、海岸の背後地は開発により砂の供給が途絶えたため痩せてきました。和歌山県では回復のため、オーストラリアから2005年までに約7万4500 ㎥の砂が投入されて綺麗な砂が保たれています。

 白良浜2(写真拡大)

ホテル川久
白良浜の白砂の感触を楽しんでいると14時半となったので、南白浜道路を北上して今宵の宿の豪華ホテル川久に向かいました。道路の4つ角のホテルむさしから分岐して31号道路を東に走り、桟橋で再び34号線の南白浜道路の交差点に達し左折後、信号のある4つ角を右折すると田辺湾に突き出た先端に斬新なデザインの外観のホテル川久があります。

 ホテル川久パンフレット

ホテル川久の外観は、まるで中世ヨーロッパのお城の様です。お城の門を潜るとエントランスで、両脇の塔の頂にあるブロンズ像の兎はイギリスの彫刻家の著名なバリー・フラナガン氏のオブジェです。
ホテルの竣工は1991年で、建築には31万5千人が252万時間を要したとあり、約73種類、140万個の煉瓦を使用しオランダI.B.S.S社の構造設計と技術指導をもとに中空構造で施工されました。瑠璃瓦の屋根瓦の色は老中黄で、中国北京の紫禁城の瓦を焼き続けてきた瑠璃青磚廠が、国外用に老中黄を使って47万枚も焼いたのは始めてであるとのことです。また、エントランスの45mの棟庇は土佐漆喰(高知城)に使われた古典的な左官技法仕上げです。

 ホテル川久エントランス(:ホテル川久に入るのにはお城の門を潜る、:エントランス、:エントランス両脇の兎のオブジェ)

エントランスからロビーに入ると、そこはまるで別世界です。約1500㎡のロビーの床は、イタリアのフリウリ州モザイク学校のアルチザン(職人)が、ローマンモザイクタイル(約1cm角のモザイク)を一枚ずつを手作業で床に埋め込んであります。ロビー天井は、フランスのアトリエ ロベール・ゴアール氏が手掛けた金箔の天井で、純度が22.5金の5cmの正方形サイズの金箔を1枚ずつ手作業で張り付けてあります。
直径が1.6m、高さが6mのロビーの柱は、「シュトックマルモ」と呼ばれる擬似大理石技法で製作された柱で、ウイーンのオペラハウスで見ることが出来るヨーロッパで発達した技法であり、久住章氏がドイツで技法を習得し再現したものです。ロビーの壁面には、シリアで発見され、ニューヨークのメトロポリタン美術館で2世紀に制作されたと鑑定されたビザンチンモザイクが4点埋め込まれています。

 ホテル川久ロビー(:ロビー、:ロビーの柱、:ビザンチンモザイク)

ホテル川久の客室は、88室の全室がスイートルームで各室のデザインは全てが異なり、客室の広さはクラスにより約60㎡から660㎡の2階建の豪邸まであり、小さい客室でもゆったりしています。

 全室デザインが異なる客室

夕食は、モロッコの先住民族、ベルベル民族の装飾様式をテーマにコーディネイトされた、「美しい島々」(イゾラベラ)という名のイタリアンレストランで、久しぶりの本格の地中海料理フルコースでヨーロッパへ行った積りでワインや洋酒を傾けゆったりと味わいました。夕食後のデザートのコーヒーはハート型のカップです。たまたま、近くの席のカップルはバースディのケーキのプレゼントに蝋燭を灯してのお祝いで和やかな雰囲気のなかで夕食を過ごすことができました。

 夕食の地中海料理

夕食後は、一日の疲れをとるため南紀白浜温泉の入浴です。各部屋にも浴場がついていますが、何といっても温泉は大浴場です。ホテルには時間別の2つの浴槽があり、夜間の男性大浴場の「紫府」には高野槙の浴槽に陶芸家の青山禮三氏の描く仙人画と、陶淵明「山海経を詠んで」の抜粋の漢詩が浴槽の壁に描かれてあります。女性用大浴場は「遊斉」と称する御影石の大浴場です。温泉の源泉名は「みゆき」で、泉温が64.2℃の泉質ナトリウム・塩化物・炭酸水素塩泉で無色透明の湯にゆったりと浸かりました。
朝食は、「炉」をイメージしたイタリアのアンティーク煉瓦とテラコッタの壁面、天井のスタッコはイタリア左官職人の仕上げの「フォルナーチェ」でとり、第2日目の出発です。

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旅ものがたり 南紀家族旅行 アドベンチャーワールドで童心に返りパンダやイルカと戯れる(その1)

2010年01月05日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 20100106修正

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小学校の孫とは2年ばかり続いて1泊旅行をしており、2009年も孫の希望で10月25、26日が振り替え休日になったので、南紀白浜のアドベンチャーワールドに行き、孫と一緒にパンダとイルカと戯れてきました。

JALツアーズオリジナル体験ツアーコース白浜の旅
体験ツアーの10月の2日間コースは、アドベンチャーワールドの休園日を除いて毎日実施しており、1日目は羽田空港を発ち、南紀白浜空港に着いてから選択指定したホテルの川久にチェックインするまでは自由時間です。2日目の「JALツアーズオリジナル体験ツアー」は、アドベンチャーワールドパンダにおやつをあげて間近で見るバックヤードツアーと、握手したり魚をあげたりイルカたちとの触れ合い体験と、専用ジープに乗ってサハリーワールドの動物たちとの接近の3つの体験ができます。動物たちと1日戯れてから南紀白浜空港から帰京です。

 左:南紀白浜地図(拡大して見る)、右:白浜北部拡大図(拡大して見る)

第1日目南紀白浜海岸巡り
第1日目の出発は羽田空港8時35分発JAL1381便で天候は曇りでした。JALは経営不振ですが南紀便は満席で、出発は各社出発便が一杯で滑走路までの誘導路が数珠繋ぎの行列でしたが、やや遅れて滑走路を飛び出し東京湾上を旋回しながら太平洋上の雲の上を西へと向かいます。曇り空でしたが南紀の方は雨の様子は無く、往路の機上では飲み物のサービスがあり、1時間程で南紀の東方海岸上空を北上してUターンして滑走路を南に向かって着陸で予定の10時より10分程の遅れです。
南紀白浜空港に着いてから現地の足回りは、オプショナルプランの5人乗りのレンターカーを利用して行動しました。

 南紀白浜空港(写真拡大)

・三段壁
白浜での最初の見物先は空港から東に進み、34号の南白浜道路に出てからさらに東に向かい、いそぎ公園から北東に走ると三段壁交差点で、ここで車をおりてお土産店の先の突端が名勝の三段壁で延長2km高さ50mの断崖です。残念ながら当日は曇りで、水平線には四国が望めませんでしたが、結構な数の観光客が来ていました。

 三段壁(写真拡大)

・三段壁洞窟
三段壁からエレベータで36mを降りると三段壁洞窟で、入場料は大人が1200円で小人が600円です。エレベータで24秒降りると、洞窟の世界は2500から5000万年前に堆積された牟婁層群の地層が見られ、洞窟には牟婁(むろ)大弁財天様が祀られており、洞窟内からは十像岩の奇岩が見られます。

 三段壁洞窟入場券

三段壁洞窟は、桓武天皇の頃沖合を航行する漁夫から魔の牟婁沖と恐れられた海賊「多賀丸」の隠し洞窟でした。年を経て源氏と平家が屋島沖で対決した当時は、熊野地方では敏捷果敢な熊野水軍の支配下にありました。三段壁洞窟はその熊野水軍の「船隠し洞窟」で、源平合戦の主戦場が壇ノ浦に移った頃、二百余隻・二千余人の勇敢な熊野水軍が決戦場に向かって、ここの田辺湾から進発したと云われてます(白浜町保存牟婁伝記より)。

 三段壁洞窟1(:洞窟ホール、:十像岩、:牟婁大弁財天様)

洞窟では熊野水軍小屋の遺品などの資料が見られ、洞穴に激しく波が一気に打ち寄せ、塩吹岩に当っては砕け散って海水が引いていきます。洞窟から戻り三段壁の上を進むと岩石の散策道が続きます。

 三段壁洞窟2(:熊野水軍小屋、:浪が打ち寄せる潮吹岩、:三段壁上の散策道)

・千畳敷
三段壁から駐車場に戻り車で南白浜道路を北に進むと白浜パークマンションが見え、そこを左折すると瀬戸崎で、海岸の先端から太平洋に向けて突きだしたスロープ状になった柔らかい岩からなる大岩盤が千畳敷です。打ち寄せる荒波に浸食され壮大な景観を創っています。千畳敷の岩盤は第3紀層の砂岩で柔らかいので傷を付けやすく、そのためか岩肌の面に観光客の落書きがやたらと目につきます。

 千畳敷(写真拡大)

・白浜海中展望塔(コーラルプリンセス)
千畳敷から車で北上すると程なく。湯崎の南紀白浜梅樽温泉ホテルシーモアが見えてきます。ホテルの建物間の下を潜って海辺の突端に出ると、沖合100mに高さ18mの水深8mの全天候型展望塔の白浜海中展望塔があります。
大人が800円の小人が500円の入場料を払い、橋を渡って展望室から螺旋階段を下りると海中で、周囲の丸窓から覗くと少し濁った青い海にはクロダイ、カサゴ、メジナや熱帯魚が観賞できます。
充分に魚を観賞して、展望室に戻って休憩しながら目を北に転じると、崎の湯露天風呂には何人かの入浴姿が見えます。ちなみに、崎の湯は万葉の昔から「湯崎七湯」の中で唯一残っている歴史ある湯壷で、湯船から海までの距離は約10mほどなので、岩に打ち寄せる太平洋の波を感じながら入浴できます。温泉の泉質は、ナトリウム-塩化物泉(旧泉質名:純食塩泉)で泉温83℃、無色澄明にて、微弱硫化水素臭、塩味を有するとあります。

 白浜海中展望塔(左・・右写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第10回その3)

2010年01月03日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2010 1月1日26版 第1京浜国道ガード2階部の電柱建立工事
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・電力線・電気設備工事(続)
今回は前回のその2に記載の第1工区の電車線懸架電柱の建立の続編として、第2工区から第8工区までの電柱建立工事の状況を見ていきます。
2009年12月12日には、第1工区の大森町第1踏切南側の高架橋に電柱の建立が見られましたが、同日には第2工区の大森町第4踏切までの高架橋にも電柱が建てられていました。

 梅屋敷北方高架橋の電柱建立(写真拡大1212)

第5工区での電気工事設備は、12月4日に見ると京急蒲田第6踏切北側高架橋2階部から同第9踏切間の上り単線高架橋上に電柱が建立されていました。

 京急蒲田第6-9踏切間高架橋の電柱建立(:京急蒲田第6踏切北側高架橋の2階部の電柱建立1210、:京急蒲田ヤード付近の上り単線高架橋の電柱建立1204、:京急蒲田第9踏切付近の上り線高架橋の電柱建立1210)

第6工区高架橋の電柱建立は、12月10日以降には京急蒲田第9踏切南側から同第13踏切高架橋と、雑色第1踏切から同第4踏切までの全区間で電柱が建てられていました。

 第6工区高架橋の電柱建立(:京浜蒲田第9踏切南高架橋の電柱建立1210、:雑色高架駅北側の電柱建立、:雑色第4踏切付近高架橋の電柱建立1228)

京急空港支線の第7工区上り線高架橋の電柱建立は、12月10日頃から第1京浜国道ガードの2階部から建てられ始め、12日にはセパレートの2階部高架橋と、複線部高架橋の京浜蒲田(空)第4踏切までの全区間で建て終わっていました。

 京急蒲田(空)第1-4踏切間の電柱建立(:第1京浜国道ガード2階部の電柱建立、:京急蒲田(空)第2踏切付近2階高架橋の電柱建立、:京急蒲田(空)第3踏切付近高架橋の電柱建立1212)

・電車線架設工事
12月24日に見ると、大森町高架駅北側高架橋に建立された平和島第5踏切までの中間部の電柱から高架駅ホームを通り、高架駅南側高架橋から第2工区までトロリー線を吊るす吊架線が張られていました。

 大森町北側高架橋建立電柱に張られた吊架線(写真拡大1224/26)

・信号機設置工事
京急高架化工事の上り線用の電車信号機の設置工事は、12月1日に雑色高架駅の北側の下り線側に信号機取付け用の柱が建てられているのが見られました。同10日には、信号灯が付けられていました。同28日には、信号機に並んで電柱が建てられていました。

 雑色高架駅北側に信号機の設置が始まる(:雑色高架駅北側に信号機用取付け柱が建つ1201、:信号灯が取付けられる1210、:信号機に並んで電車線電柱が建つ1228)

第6工区の信号機設置は雑色高架駅付近から工事が始められ、同10日には雑色駅北方高架橋上に信号機の設置が見られ、同28日には雑色駅南方高架橋上にも信号機が見られました。

 第6工区高架橋に信号機が付く(:第6工区雑色駅北方高架橋に信号機が付く1210、:雑色第2踏切北方に信号機が付く1228)

また、同10日には第5工区京急蒲田第8踏切から第9踏切間にも信号機が設置されているのが見られました。

 京急蒲田第8-9踏切間高架橋上の信号機設置(写真拡大)

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・サブ・カテゴリー別Index 高架化全工区統合編大森町付近工区2009年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2006・2007年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2009年版京急蒲田付近工区2006~2008年版雑色付近工区糀谷付近工区 へ
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kan-haru日記 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2009年後期版

2010年01月03日 | INDEX
kan-haru blog 2009 12月31日203版

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  大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 カテゴリー総目次 2009年後期版



2006年 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX参照 (ここをクリックして下さい)



2007年 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX参照 (ここをクリックして下さい)



2008年前期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 1~6月参照 (ここをクリックして下さい)



2008年中期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 7~9月参照 (ここをクリックして下さい)



2008年後期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 10~12月参照 (ここをクリックして下さい)



2009年前期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 1~4月参照 (ここをクリックして下さい)



2009年中期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 4~7月参照 (ここをクリックして下さい)



170~179項INDEXは、2009年中Ⅱ期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 8~11月参照 (ここをクリックして下さい)

180 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第24回その1) 9月7日
181 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第24回その2) 9月9日
182 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第19回) 9月15日
183 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第15回その1) 9月19日
184 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第15回その2) 9月22日
185 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第1回その1) 10月7日
186 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第1回その2) 10月9日
187 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第2回その1) 10月17日
188 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第2回その2) 10月19日
189 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第2回その3) 10月21日
190 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第3回その1) 10月29日
191 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第3回その2) 10月31日
192 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第4回) 11月5日
193 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第5回) 11月11日



194 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第6回) 11月16日
195 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第7回) 11月27日
196 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第8回その1) 12月7日
197 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第8回その2) 12月9日
198 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第9回その1) 12月13日
199 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第9回その2) 12月16日
200 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第10回その1) 12月29日
201 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第10回その2) 12月31日

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 1月INDEX

2010年01月01日 | INDEX
kan-haru blog 2010 1月1日26版

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K&A kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事の即時検索のほか、カテゴリー別の登録記事の全て(2006年3月から最新登録まで)の検索ができます。
また、京浜急行の高架化の駅別工区をキーとした、大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次を新設しました。

[K&A kan-haru 日記の見方について]
ブログ左覧のガイド板「カテゴリー」には、kan-haru日記のカテゴリー名とカテゴリー毎の記事登録数が掲載されております。
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総合目次は、この月間INDEXと統合しており、同一のカテゴリー別目次を併用しております。
「ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について」は、この日記を見るためのガイダンスを記載してあります。日記の見方について (その1)の解説には、カテゴリー別の概要説明と共に、カテゴリー項目からは当該カテゴリーの第1回登録記事から最終・最新の登録までの全ての記事の索引が行えるようにカテゴリー別INDEXと結合してあります。
kan-haru日記 カテゴリー別総合目次(全日記INDEX)
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その1)  2007年1月30日 更新
ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その2)  2007年1月22日更新
・ようこそ K&A kan-haru 日記の見方について (その3) (未完)

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次の2006年3月月間INDEXに方法が記載してありますので、参照して下さい。
番外編 ブログ記事の参照地図を拡大して見る方法 [付 kan-haruの日記3月月間INDEX] 2006年4月1日

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の09年12月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版2009年後期版
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第8回その1) 12月7日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第8回その2) 12月9日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第9回その1) 12月13日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第9回その2) 12月16日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第10回その1) 12月29日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合編(第10回その2) 12月31日
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント  
 ■ 大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の師走のイベントと出来事(2009.12.23号) 12月23日
 ■ 大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の師走の出来事(2009.12.26号) 12月26日
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
 
  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 全工区統合 2009年版大森町付近工区2006・2007年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2009年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2006~2008年版京急蒲田付近工区2009年版雑色付近工区糀谷付近工区

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008・2009年版
 ■ 風景・風物詩 紅葉の六義園 江戸の名園和歌の庭でモミジを楽しむ 12月11日
22 小さな旅 総目次
 ■ 小さな旅 三渓園 原家の私邸であった内苑の日本庭園で楽しむ紅葉 12月5日
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009年版
26 ITと技術 総目次
 ■ ITと技術 2008「今年のロボット」大賞 2009国際ロボット展で合同展示その1 12月19日
 ■ ITと技術 2008「今年のロボット」大賞 2009国際ロボット展で合同展示その2 12月21日
27 Weblog 総目次

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コメント
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