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kan-haruの日記

イベント 東京ステーションギャラリー 開業100周年を迎えて開催の「東京駅100年の記憶」を見るその2

2015年03月26日 | イベント

kan-haru blog 2015 開業時の神田駅

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○第1章・丸の内の100年
丸の内地区を東京駅が開業した1914年から、その50年後の1964年、さらに50年後の2014年の100年の間に、日本の近代建築は大きくその様相を変わりました。このコーナーでは、建築がどのように変化してきたのかを、東京駅を中心とする丸の内地区のジオラマでたどります。さらに、かつて丸の内に建っていた建築に関する資料や、東京駅の構造模型などが展示してあります。
・中央停車場を中心とした電車運転
東京停車場は、1903年(明治36年)計画段階で中央停車場と呼ばれていたが、1904年(明治37年)12月に、甲武鉄道が飯田町駅から御茶ノ水駅までを開業されましたが、1906年(明治39年)10月に国有化され、1908年(明治41年)4月に御茶ノ水駅以東に昌平橋駅が設置されました。1909年(明治42年)11月の電車運転は、烏森・品川・上野間と、池袋・赤羽間で運行していました。
東京停車場高架線は1910年(明治43年)6月に有楽町駅が開通し烏森・有楽町間の運転が開始され、同9月には中央停車場の北方に呉服橋仮駅が開業して、有楽町・呉服橋間の電車運転が工事中の中央停車場の脇を通過していました。
1911年(明治44年)5月1日に名古屋に至る中央本線の始発駅(起点)となりましたが、1912年(明治45年)4月に万世橋駅まで延伸開業され、昌平橋駅は廃止されました。
  有楽町・呉服橋間の電車運転(:1909年開業期の有楽町駅、:1910年開業の呉服橋仮駅)

中央停車場の建物は規模に変更があり、遅れて辰野金吾が設計に着手して「ルネサンス」様式の3階建ての鉄骨煉瓦造りで、壁には表面に化粧煉瓦が貼り付けてあります。柱の装飾には花崗岩や擬石漆塗りを使用して、銅板葺きの屋根の設計です。建設工事は、1908年(明治41年)3月に着工し、1914年(大正3年)に竣工し、同12月18日に開場式と祝賀会が開催されました。
赤煉瓦の完成した駅舎は、北南端の長さが3335m、ドームの高さは34.8mあり、建坪が2431坪で、延べ面積は6460坪の威容を誇る駅舎です。北側ドームは降車専用口で大広間と出口専用改札口が、南側ドームは乗車専用口で、大広間と出口専用改札口が設けられ、中央部は皇室専用の乗降口と休憩室などの設備があります。

 
中央停車場(:中央停車場来客専用南側ドーム:中央停車場中央部)

中央停車場の開業当初のプラットホームは、第1から第4乗場の8本の発着所を設け、第1、2乗り場は電車専用のホーム長が約236mで、第3、4乗り場は列車専用のホーム長が約1135 mでありました。さらに、ホームの東側には、留置線や機関庫などの操車場となっていました。
 開業当初の東京停車場構内(:開業時の東京ステーションの乗降場1~3:開業時の東京ステーションの乗降場2~4)

同12月20日には中央停車場の開業により、東京・高島町間の電車運転が開始されました。

 東京駅構内を発車する列車

1919年(大正8年)3月に神田駅と東京・万世橋間の開通により、中野・新宿・東京・品川・新宿・上野のルートの「の」の字運転と中央停車場を起点とした、現在の中央線対応の中野または吉祥寺間の運転が行われていました。
 
 東京ー神田間線路と「の」 の字運転(:東京・神田間線路(右側は東京・上野間線路用地):「の」の字運転説明図)

・100年前の丸の内
竣工時の中央停車場前広場は未舗装で、駅付近には建物は見当たらず、「三菱ヵ原」と呼ばれた原っぱが広がっていました。やがて、コンコルドが顧問の丸の内建築所(現三菱地所設計)で、道路計画や建築計画が進められ、馬場先通り周辺から建物が徐々に建てられて都市化が始まりました。

  開業時の東京ステーション1914(:1914年開業時の東京ステーションジオラマ、:開業時の東京ステーションの面影)  

1914年前には、有楽町方面には、馬場先通りの一丁倫敦と呼ばれた三菱オフィス街[三菱1~21号館]、東京府庁舎[1889年竣工]、東京商工会議所[1899年竣工]、帝国劇場[1911年竣工]、警視庁[1911年竣工]といった建物群がありました。

 
三菱オフィス街(:1909年ごろの「一丁倫敦」風景三菱1号館:三菱2号館1894)

なお、有楽町の一群の建築群の手前では、洋食レストランとして計画の三菱23号館が1914年に着工するとともに、三菱22号館が1915年に着工しました。また、行幸通りの北側では、東京海上ビルディングが1913年に着工し、大手町側では台湾銀行東京支店が1913年に工事をはじめました。
その建築現場では、1912年竣工の三菱14号館から鉄筋コンクリートの採用がはじまり、1914年に着工の三菱21号館では鉄骨鉄筋コンクリートやエレベータが採用され、近現代の建築技術を支えていきました。
東京駅が竣工した100年前の東京駅や、三菱1号館ができた当初の煉瓦色の街は、コンクリート時代の白い街へと変遷していきました。

  建築は煉瓦造りからアメリカ式高層オフィスビルへ(:1部4階建ての煉瓦造りの東京銀行協会ビル1916、:日本人による高層の東京海上ビルディング1918)

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イベント 東京ステーションギャラリー 開業100周年を迎えて開催の「東京駅100年の記憶」を見るその1

2015年03月20日 | イベント

kan-haru blog 2015 和田倉門から三菱ヶ原を通して眺めた竣工なった中央停車場風景

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2014年12月に東京駅は開業100周年を迎えました。これを記念して東京ステーションギャラリーでは、「東京駅100年の記憶」展を、主催が東京ステーションギャラリー(公益財団法人東日本鉄道文化財団)と読売新聞社、特別協力が三菱地所株式会社、株式会社三菱地所設計により、開催期間が2014年12月13日~2015年3月1日間の月曜休館で、開館時間が10時から18時まで、に開催することになり、入場料は一般が900円、 高校・大学生700円、中学生以下が無料です。2月28日に見てきました。

   東京駅100年の記憶展チケット

 
なお、「東京駅100年の記憶」展に先立ち、「鉄道の日」を記念してJR東日本では、2014年10月11日から13日までの3日間、「東京鉄道祭」が開催(「イベント 東京鉄道祭 JR東日本の東京駅100周年を迎える鉄道の日を記念して開催のスタンプラリー」参照)されました。「東京駅100年の記憶」展の会場の東京ステーションギャラリーは、東京駅北側ドームにあり、エントランスからエレベータに乗り、3階の展示室を見て、階段を下りて2階展示室と廻ります。

 東京駅北側ドーム
(:東京駅北側ドーム天井、:エントランスから東京ステーションギャラリー入口へ0228)

・東京の鉄道網の進展
ここで、「東京駅開業100周年」展を見るにあたり、東京の鉄道網の進展を整理してみておきます。
東京の鉄道網は、1872年(明治5年)10月14日の日本の鉄道開業に際して、官設鉄道が新橋(現汐留駅) と横浜(現桜木町駅)間の開通が鉄道の夜明けです。政府は、東京と大阪を結ぶ鉄道を、当初は予定経路を中山道経由で建設すると決定し、1883年(明治16年)に日本鉄道が上野駅を開業して、熊谷間で仮営業が開始されました。 
1885年(明治18年) 3月に、日本鉄道が渋谷駅・新宿駅・板橋駅を開業し、品川と赤羽間の品川線を開業しました。翌1886年7月に政府は、東京と大阪間鉄道の予定経路を、東海道経由に変更して、1889年(明治22年)に新橋駅から神戸駅まで鉄路が結ばれ、「東海道線」の路線名称が1895年(明治28年)に与えられました。

 
山手線変遷図1

1890年(明治23年) 11月に日本鉄道が、秋葉原駅(貨物駅)を開業して、上野駅間の貨物線を開通しました。1903年(明治36年) 4月に日本鉄道山手線が、池袋駅と田端間を開業しました。
1909年(明治42年)12月に東海道本線が、品川駅と烏森駅(現在の新橋駅)間を開業しました。

 
1909年(明治42年)中央停車場本屋竣工

翌1910年6月に東海道本線が、烏森駅と有楽町駅間を延伸開業しました。さらに、同9月に東海道本線が、有楽町駅と呉服橋駅間延伸開業しました。
1914年(大正3年)12月に東海道本線に東京駅を開業し、新橋駅を汐留駅と改称し、烏森駅を新橋駅としました。

 烏森から呉服橋停車場までの延伸図

1919年(大正8年)3月に神田駅を開業し、中央本線と接続し中野駅・東京駅・品川駅・池袋駅・上野駅間で「『の』の字運転」を開始しました。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で有楽町駅・新橋駅・浜松町駅・鶯谷駅・上野駅が焼失しました。1925年(大正14年)11月に御徒町駅を開業し、東北本線が神田駅と上野駅間が開業しました。

  
山手線変遷図2

1945年(昭和20年) 4月13日の空爆により田端駅・鶯谷駅・駒込駅・高田馬場駅・池袋駅などの駅と池袋電車区焼失、5月24日の空爆により五反田駅・恵比寿駅など焼失、5月25日の空爆により東京駅など焼失し、山手線が全線不通となりました。5月29日に山手線の運転が再開されました。

・東京駅開業100周年の記憶展の構成
「東京駅100年の記憶」展の構成は、プロローグ・辰野金吾と東京駅、第1章・丸の内の100年、第2章・東京駅の100年、エピローグ・これからの100年の順に展示されています。
 「東京駅100年の記憶」図録

プロローグ・辰野金吾と東京駅
プロローグコーナの展示では、まず弟子の後藤慶二が書いて辰野金吾の還暦祝いに送った絵が展示されています。この絵には、辰野金吾(1854~1919)の設計による45点の建築を一堂に収めて描かれており、後方の右奥が東京駅、東京駅の左側は両国国技館、その隣の高いビルが第一生命保険相互会社で、中央右寄りの大きな白い建物が日本銀行本店、その左側の大きな建物が東京帝国大学工科大学(現存せず)です。日本銀行の手前の列には東京火災保険買う式会社など6社が名を連ね、さらに手前の列には三十三銀行など6社が、また最前列には如島銀行など4社が名を連ねています。さらにはまた日本銀行本店と東京帝国大学工科大学の後方および左方には朝鮮銀行など24社の名が見えます。この絵では、日本の近代建築史における辰野金吾の重要性を語っています。
次いで、交友関係のあった洋画家の松岡壽が、辰野の死後に建築学会の依頼により制作された辰野金吾肖像油彩が展示されています。さらに、辰野金吾が英国留学中に残した建築物のデッサンとメモが書かれた4冊のスケッチブックが展示されています。

 辰野金吾の還暦祝いに弟子・後藤慶二が書いた画

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第7回その5)

2015年03月14日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2015 建設中の「あすとウィズ」ビルと屋根柱が建立されたペデストリアンデッキ(3月13日撮影)

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京急蒲田駅高架化事業完了工事
・京急蒲田西口駅前再開発事業(続2)
2015年1月27日に見ると、「あすとウィズ」ビルの4階から上部階の集合住宅の建築が始まり、ペデストリアンデッキ架設も進展しております。
 
 「あすとウィズ」ビル4階以上集合住宅部建築とペデストリアンデッキの架設が進む(左上:「あすとウィズ」ビルの集合住宅部建築、中上右上左下中下右下:ペデストリアンデッキ架設と歩行者仮通路0127)

2月11日に見ると、「あすとウィズ」ビルの集合住宅部の建築の進展と、ペデストリアンデッキ架設も工事が進行しています。

 ペデストリアンデッキの構築が進む(左上:駅構内改札通路から見たペデストリアンデッキ、中上:ペデストリアンデッキと駅との接続点、右上:ペデストリアンデッキと駅改札階との接続点、左下:駅改札口から延びるペデストリアンデッキ、中下右下:熊の手状に延びるペデストリアンデッキ0211)

同20日には、ルート変更の弾正橋方向に進む歩行者仮通路の入口が、駅際に変更され仮通路のルートが変わりましたので、歩いてみました。
 歩行者仮通路がルート変更となり入口が駅際に移動する(左上:歩行者仮通路入口が駅際に移動となる、中上右上左下中下右下:ルート変更の歩行者仮通路を弾正橋方向に進む0220)

また、ペデストリアンデッキ架設も延伸工事が行われていました。
 歩行者仮通路を進みペデストリアンデッキを潜って見る(:歩行者仮通路よりペデストリアンデッキを潜る、:ペデストリアンデッキを潜り駅際を見る、:ペデストリアンデッキを潜りビル側を見る0220)

なお、北側のペデストリアンデッキは、「あすとウィズ」ビルとの接続工事が進行していました。
 北側のペデストリアンデッキはビルに直結される(:0220)

3月13日に見ると、ペデストリアンデッキと「あすとウィズ」ビルとは、直結していました。
 
 「あすとウィズ」ビルと結ばれたペデストリアンデッキ(:0313)

呑み川弾正橋北岸から見ると、「あすとウィズ」ビルの建設は、集合住宅部の建設階数が上がっています。

 呑み川弾正橋から見た建設中の「あすとウィズ」ビル(:0313)

「あすとウィズ」ビルの建設状況を、呑み川西方や京急蒲田商店街から展望してみました。
 
 呑み川周辺から見た建設中の「あすとウィズ」ビル(:呑み川北岸から見た建設中の「あすとウィズ」ビル、:呑み川橋上から見た建設中の「あすとウィズ」ビル、:京急蒲田商店街から見た建設中の「あすとウィズ」ビル0313)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第7回その4)

2015年03月09日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2015 商店階の3階まで建築が進んだ「あすとウィズ」ビル

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京急蒲田駅高架化事業完了工事
・京急蒲田西口駅前再開発事業(続)
2014年10月に西口駅前再開発事業現場を北方通路窓から見ると、20階建ビル「あすとウィズ」の1階の躯体工事を行っており、同4日には「あすとウィズ」ビル1階部の鉄筋柱の組み込が行われており、同29日には同ビル1階部枠が組まれていました。

 蒲田駅西口ビル「あすとウィズ」の建造が進む1
(左上中上右上:ビル1階部鉄筋柱の建造が進む20141004、左下中下右下:ビル1階部枠が完成20141029)

同29日にはペデストリアンデッキの架設が進展し、歩行面上の整備工事が行われていました。
 
 ペデストリアンデッキの架設が進む1(:20141029)

同11月に見ると、同ビル2階部の工事が進展していました。
 「あすとウィズ」の建造が進む2(:ビル2階部柱建立が始まる20141107:ビル南側の2階部建立準備20141107:、:ビル北側の2階部枠が完成20141115)

同12月に入ると同ビルは、3階部の工事が進展していました。

 「あすとウィズ」の建造が進む3(:ビル2階部柱建立が始まる20141206、:南側の3階部柱建立が進む、:北側の3階部柱建立が進む20141219)

12月19日に、ペデストリアンデッキの架設の進展状況を見るために、蒲田駅西口から歩行者仮通路の入口付近の架設進捗を見てみました。
 
 ペデストリアンデッキの架設工事の進捗を見る1(左上中上右上左下中下右下:20141219)

さらに、デッキ架設下の歩行者仮通路を潜り、反対側に出てペデストリアンデッキの架設状況を見てみました。
 
 ペデストリアンデッキの架設下を潜り抜けて反対側から仮設の状況を見る(左上中上右上:デッキの架設下を潜り抜ける、左下中下・右下#mce_temp_url#:架設デッキの反対側から見る20141219)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第7回その3)

2015年03月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2015 東京誠心調理師専門学校横から見た補助街路328号

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京急蒲田駅高架化事業完了工事
・京急蒲田西口駅前再開発事業
京急蒲田西口駅前再開発事業は、京急線連続立体交差事業を契機に、京急線から東邦医大通りまでの区域約3.4haを対象とする『京急蒲田西口地区まちづくり研究会』が平成11年2月に設立され、平成18年にはグランドデザインがまとめられ、このグランドデザインにより、駅前地区の再開発事業も取り組んでいます。

 京急蒲田西口駅前再開発事業

前回までの記述(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第4回その2」参照)では、2013年9月11、27日に見た西口駅前のあすと商店街アーケード屋根の取り壊し工事が掲載してあります。
さらに、記述の「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第4回その4)参照」では、2013年10月8、12日に見た開発現場の地上物の撤去整理工事が掲載してあります。
また、記述の大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第5回その2」参照)では、2013年12月7日に見た西口駅前の開発現場の整地工事が進み、平坦化された状態および基礎抗切削工事および、2014年3月28日に見た開発予定ビルの地下躯体工事・地業工事と、駅西口高架添いの弾正橋方面への仮設通路などが掲載してあります。

なお、京急蒲田西口駅前再開発事業の2014年3月以降の観察記録は、西口駅前地上周辺および京急蒲田駅構内改札階の北方通路と南方通路窓から撮影したものです。

 
京急蒲田西口駅前再開発事業現場の観測場所(:西口駅前再開発事業現場を地上から見る:再開発現場を駅構内改札階北方通路窓から見る20140728:同南方通路窓から見る20140718)

2014年9月に西口駅前再開発事業現場を北方通路窓から見ると、20階建ビル「あすとウィズ(地下1階〜3階は商店街、4階〜20階は集合住宅)」の地下および1階の躯体工事を行っていました。

 
建築ビルの躯体工事(:地下部の躯体工事20140902:1階部の躯体工事20140926)

同9月2日に駅構内改札階南方通路窓から見ると、京急蒲田駅と「あすとウィズ」をペデストリアンデッキにより直結するための、歩道橋架設のデッキ架設台設置工事が進められていました。なお、一部のデッキ架設台上にペデストリアンデッキが載せられていました。
 ペデストリアンデッキ架設準備工事
(左上:京急蒲田駅改札階通路南窓辺に置かれたジオラマ、中上右上左下中下:改札階通路南窓から見たデッキ架設台、右下:デッキ架設柱にペデストリアンデッキが載る20140902)

2日に京急蒲田駅西口を降りると、目の前はペデストリアンデッキ築造工事現場入り口で工事車が出入りをしています。蒲田駅西口から旧弾正橋への通路は、デッキ築造工事現場内の数十m先のから仮設の歩行者通路が設定されており、そこから通路は蒲田駅高架橋方向に進むと、歩行者通路は旧弾正橋へと迎います。なお、この仮設通路は、9月5日から通路一部が変更されると案内板に掲示されています。
 京急蒲田西口から再開発事業現場内の弾正橋方面への歩行者通路1(左上:弾正橋方面歩行者通路の変更通知中上:ペデストリアンデッキ築造工事現場出入口、右上:蒲田駅際の再開発事業現場出入口、左下:、蒲田駅際の再開発工事現場脇の歩行者通路を進む、中下:蒲田駅際の再開発工事現場脇の歩行者通路入口、右下:京急蒲田高架駅際の旧弾正橋への歩行者通路20140902)

仮設通路は呑み川に達すると旧弾正橋は撤去されて、現在工事現場への通路として使用されている道路と一体となり、幅員15mの補助線街路第328号線となります。 
 京急蒲田西口から再開発事業現場内の弾正橋方面への歩行者通路2(左上:歩行者仮通路は呑み川まで続く、中上:歩行者仮通路の隣は将来の補助街路328号、右上左下:歩行者仮通路の旧弾正橋、中下:歩行者仮通路の旧弾正橋は新弾正橋の歩道に代わる、右下:補助街路328号新弾正橋の誕生20140902)

9月10日に見ると、京急蒲田駅西口の工事現場では、歩行者仮設通路のルートが若干移動し、ペデストリアンデッキの架設が始まり、同26日にはペデストリアンデッキの架設が進展していました。
 駅西口工事現場のペデストリアンデッキ架設が進む(左上中上右上:20140910左下中下右下:20140926)

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 3月INDEX

2015年03月01日 | INDEX

kan-haru blog 2015 3月1日78版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の15年2月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。
 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
  ◇ 2006~2012年版2013~2015年版
 ■ 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その2 2月5日
 ■ 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その3   2月10日
 ■ 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その4  2月16日
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2015年版
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  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

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 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第7回その1)   2月22日
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第7回その
2)
   2月25

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  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版2010~2014年版 
23 旅ものがたり 総目次
  ◇ 2006~2011年版2010~2015年版
24 秋葉原界隈 総目次 
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  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版2013年版2014~2015年版
26 ITと技術 総目次 
◇ 2006~2011年版2012年版2014年版
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