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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 昔の大森町風景 世界大戦前(1940年)から終戦時(1945年)頃の戦時下の大森町風景その2

2016年06月29日 | 大森町界隈あれこれ 風景

< 総合INDEX へ  東海道分間絵図(鈴が森から大森村 元禄3年)・誤記訂正20160702

1940年代の大森町風景をみるために、先ずは明治以前から昭和の初めまでの大森の誕生について、見ていきます。
大森町の誕生
・明治以前の荏原郡大森
 今の大森地域は、近世紀の武蔵国荏原郡に属していました。武蔵国は、現在の東京都、埼玉県と神奈川県の川崎市と横浜市にわたります。
 菅野真道らが797年(延暦16年)に著した『日本書紀』には、武蔵国の郡名として荏原郡の名が見られます。
927年(延長5年)に醍醐天皇の命により著した、延喜式神名帳(『延喜式』の巻九・十の全国の神社一覧)には、荏原郡の社として磐井神社(「大森町の社寺 磐井神社 大森町北端にある鈴石伝説の磐井神社夏祭り その1その2」参照)と薭田神社が上げられています。
 荏原郡は、「和名類聚抄」(承平年間(931~938年)に勤子内親王の求めで源順が編纂した辞書)によれば、武蔵国21郡の中の1つで、郡内には蒲田・田本・満田・荏原・覚志(かがし)・御田(みた)・木田・桜田・駅家(えきか)の9郷があり、現在の品川・目黒・大田・世田谷の各区と港・千代田区の一部の範囲が及んでいます。

 和名類聚抄(Wikipediaから)

  1559年(永禄2年)に作られた「小田原衆所領役帳」(相模の戦国大名北条氏康が作らせた、一族・家臣の諸役賦課の基準となる役高を記した分限帳) には、大森、堤方、雪ヶ谷、鵜之木、不入斗、新井宿、蓮沼等の地名がみられます。これらの地名が、450年以上も経過した現在の町名として残っていることは、行政のつながりはありませんが、歴史の連続を見ていく上で重要です。

 小田原衆所領役帳伊豆衆部分

 古川古松軒(旅行家、地理学者1726年~1807年)は、11代将軍家斉(御三卿一橋家の第2代当主徳川治済長男)の命で、江戸近郊を巡視した時の記録「四神地名録」の「武蔵国荏原郡之記」を要約すると、“荏原郡の海岸や多摩川に沿った村には、田もあって風土も適当であるが、それも荏原郡全体からすると2割にも満たない。8割におよぶ部分は、丘陵や山を切り開いた畑の散在する地所の高いところである。したがって、荏原郡のいずれの村も、村の生産力を示す村高の数値割合からすると、村の面積は大きいが、産物の少ない土地や雑木林が多く、五穀(米・麦・粟・稗・豆などの穀類)に適さない灰のような土質の悪い土地であったという。また、荏原郡の名産として、品川・大森の海苔、多摩川の鮎、羽田の蛤をあげ、そのほかには他地方に優れる名産はない、という。”と記されています。

 四神地名録武蔵国荏原郡之記(早稲田大学図書館古典籍総合データベースから)

 1810~26年にかけて編さんされた官選の地誌『新編武蔵風土記』には荏原郡の地勢を、東は品川の海を限りとし、南には多摩川が流れて橘樹郡にならび、西は多摩郡を境とし、北は豊島郡を経て江戸の地に続く、周囲約60キロメートルの区域であり、六郷領(34村)、馬込領(13村)、世田谷領(30村)、品川領(13村)および麻布領(5村)の五領であり、村数は合計で95か村でした。

 新編武蔵風土記之46巻荏原郡(国会図書館デジタルコレクションから)←クリックで拡大

 現大田区関連の村領は、六郷領が八幡塚村から久ヶ原村に至る34ヶ村、馬込領が久ヶ原・道々橋・雪ヶ谷・池上・馬込・桐ヶ谷の6か村、世田ヶ谷領が上沼部・下沼部・石川の3か村の43か村と、羽田猟師町を含めて44か村の構成です。

 六郷領内村の家数・村域・地(新編武蔵風土記稿より作成)

 荏原郡の地勢は南東部の低地は水田もあり土質が良好であるが、北西部の大地に連なる村々は平地に比較すると穀物に適さない土壌の地域である。なかでも、大井村の南に位置する、新井宿村、堤方村、池上村、久が原村、鵜の木村などは、丘陵地で土質もよくないと記されています。

・近世の村の形成
 江戸時代では、兵農分離の時代で、領主は文書を持って農民を支配して、農民が個別に生活をおくる場であり、検地(律令制下、全ての農地の所有権は国家が持ち、台帳を作成し、農地の面積や収量を把握し、徴税の基礎資料としていた)と村切(村の境界を定め,村落の範囲を確定して耕地を集落周辺に集中させる)によって確立していました。
  『小田原衆所領役帳』をもとに、1828年(文政11年)編纂の幕府官選地誌『新編武蔵風土記』の村地名がつぎのように記載されています。(大田区史中巻から)
 大森村: “当初の地名は明徳2年鎌倉公方氏満の文書に初めてみゆ”
 不入斗村: “当村今は郷庄の唱を失せり、然るに貞治年中の文書によれば、大井郷に属せしよし見えたり”
 北蒲田村: “古へたゝ蒲田とのみ号せしに其後此村の内今新宿村わかれて・・・・・・『三代実録』に当国蒲田神社のことを載せたれば、貞観の頃より前開けし地なりしなるべし“
 八幡塚村: “村名の起こりし故は、鎮守八幡の社地に八幡塚と号する塚あるによれり・・・・・・天正19年八幡社領の事を  記せし文にも、荏原郡六郷とあり“ 
  雑色村: “昔は六郷村の内にて、其頃は此地を東郷とよべり、今の村名いつの頃起りしや詳かにせず、八幡塚村と同く分村せりと云“ 
   羽田村: “郷庄の名を伝えず・・・・・・昔天正18年までは北条の家人行方弾正が世々領せる所なり、故に北条家より与る文書に、そのことをのせて“
 馬込村: “当村の開けたるは、いつの頃にや定かならず、永禄の頃は梶原助五郎か領地にして“
 池上村: “当村開闢の年代を伝へざれども鎌倉将軍の時池上右衛門太夫が住し地なりと云ふときは、古き村なることしらる“
 堤方村: “昔は文字も提傍と書せしに、いつしか今の字を用るやうになりしと、されと永禄の頃にははや堤方としるしぬれ は“
   原村: “応永年中鎌倉管領満兼より、鶴岡八満宮へ社領寄付せられしちきの文書にのする、六郷保の内原郷と伝は此   所なるべし“
 矢口村: “此地名は『太平記』等の書にも載せて、世に知る所なれば古くより開けし村なることは論を待ず“
   下丸子村: “当村開墾の年代は伝へざれど『小田原北条分限帳』に、五百五十文小札下丸子布施善三とあれば永禄以前開けし村なることは勿論なれど“
   鵜ノ木村: “延徳元年の頃天明伊賀と云もの、五六輩の人を率ひ当所に来て原野を墾し、はじめて陸田をおこせしより、年を歴て村落をなせり“ 
 雪ヶ谷村: “此村開発の年歴を伝へざれども、『北条分限帳』に二貫八百五十文六郷内雪ヶ谷太田新六郎知行・・・・・・記 したれば、永禄の頃は己に開けしとしらる“

・大森村を通る街道
  1825年の『東都近郊図』によると、荏原郡の海岸沿いの一帯は平地で、橘樹郡から豊島郡にかけて東海道が貫いており、江戸にむかう六郷の渡し場の八幡塚村をはじめとして、高畑村、雑色村、町屋村、新宿村、北蒲田村、東・西・北大森村、不不入斗村などが並んでいます。また、大井村から山王台地の縁辺部を通り、池上本門寺門前から平間に抜ける池上道りと、洗足池羽畔を通り、雪が谷村を経て下沼部村で丸子の渡しを渡る二筋の街道は、荏原郡の村々を抜けています。

 
 東都近郊部分図 1825年(文政8年)東京都 所蔵地図データベースから

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大森町界隈あれこれ 昔の大森町風景 世界大戦前(1940年)から終戦時(1945年)頃の戦時下の大森町風景その1

 

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大森町界隈あれこれ 昔の大森町風景 世界大戦前(1940年)から終戦時(1945年)頃の戦時下の大森町風景その1

2016年05月09日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2016 昭和29年頃の学校裏(現平和島)駅と澤田通り付近の第1京浜国道

プロローグ 
Kan-haru日記は、2006年3月8日から投稿を開始し、”大森町界隈あれこれ”の8項目のカテゴリーと、”全般”の7項目のカテゴリーの項目に別けて記述してあります。
大森町に転居したのは1938年(昭和13年)で、当時の東京は35区制であり、大森町は東京府東京市大森区の地名で呼ばれていました(「大森町界隈あれこれ(1) 大森町に住んで65年!(その1)」参照)。ブログの掲載は、10年前の2006年03月19日付けから開始して、掲載記事のほとんどは大森町に住んでから65年ほど経過した時点の記録記事が主体です。
掲載ブログの中で、大森町の風景を記述した記事の” 大森町界隈あれこれ 大森町風景” カテゴリー記事では、2006年のブログ開始時から今日に至る大森町の風景が書かれています。ただし、2010年版記事のなかの、” 大森町界隈あれこれ 大森町の昔を古地図で探る 大森村絵図その1,その2その3その4”ならびに” 大森町界隈あれこれ 大森町の昔を古地図で探る 大森村絵図第2編第1回その1その2その3”の記事には、古地図の時代を考証した大森町・大森村の風景が描かれています。
また、”大森町界隈あれこれ 目次(2)鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)第1回から第11回目次”の掲載記事は、父の同僚の若山武義氏提供の遺稿(1946年1月記述)記から編集して、1945年4月15日の大森町空襲の貴重な遭遇記が掲載してあります。

 空襲を受ける東京市街、1945年5月25日(Wikipediaから) 

本題の”大戦前(1940年)から終戦時(1945年)頃の戦時下の大森町風景”では、世界大戦前から終戦後までの大森町での生活を振り返って、その想い出の風景を辿ってみます。

・東京の変遷
1940年(昭和15年)代の大森町の風景を理解を進めるため、まずは東京の明治時代からの変遷を追っていきます。
1872年(明治5年) に武蔵国荏原郡、豊島郡、足立郡、葛飾郡のそれぞれ一部を管轄区域とする東京府を設置する。
1878年(明治11年)の「郡区町村編成法」により東京府中心部市街地に、麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区の15区を編成し、市街地に隣接する区域には荏原郡・東多摩郡・南豊島郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の6郡を編成する。

 1878年(明治11年)に設置された東京15区(Wikipediaから) 

1889年(明治22年)の「市制町村制」特例で東京府が東京市となり、市長は府知事が兼務する。
1899年(明治32年)10月1日に特例を廃止し、一般市制による一般市となる。
1917年(大正6年)に東京府南多摩郡八王子町は、市制施行で東京府八王子市となる。
1932年(昭和7年)10月1日に、東京市は近隣郡部を合併し、旧15区外周に新たに20区を増して全35区となり、「大東京」と呼ばれる。

1932年(昭和7年)に設置された東京35区(Wikipediaから) 

郡制廃止後の1940年(昭和15年)に、東京府北多摩郡立川町が東京府立川市となり、東京府は東京市と八王子市と立川市の3市構成とる。
1943年(昭和18年)7月1日 に東京都制施行を施工し、東京市と東京府が廃止され東京都を設置して、東京都の35区は行政区となる。
1945年(昭和20年)3月10日の「東京大空襲」により本所・深川の下町を中心に甚大な被害を受け、都庁舎も焼失する。その後の継続する空襲より、市街地の多くが焼け野原と化す。

 昭和20年3月10日の下町「東京大空襲」(毎日新聞から)

1947年(昭和22年)の地方自治法の公布で、35区は再編されて23の特別区となる。

 東京23区地図(東京都公文図書館から)

・大森町の変遷
1889年(明治22年)5月1日町村制の施行により、東京府荏原郡に大森村、入新井村、池上村、馬込村、調布村、羽田村、蒲田村、矢口村、六郷村が誕生する。

 明治のころの大森村の想定図 

1897年(明治30年)7月20日町制施行して、大森村が大森町となりました。以下、表記の8村も順次村から町に移行していきました。

 1897年から荏原郡に大森町他各町が誕生

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次回  大森町界隈あれこれ 昔の大森町風景 世界大戦前(1940年)から終戦時(1945年)頃の戦時下の大森町風景その2

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 4月INDEX

2016年04月01日 | INDEX

kan-haru blog 2016 4月1日89版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の15年12月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。
 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景

  ◇ 2006~2012年版2013~2015年版
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2015年版
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第10回その2)  32

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2013年版 
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版2010~2014年版 
23 旅ものがたり 総目次 
  ◇ 2006~2011年版2010~2015年版
24 秋葉原界隈 総目次 

25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版2013年版2014~2015年2015~2016年版
 ■ 
イベント 鴻巣びっくりひな祭り 31段7メートルの日本一高いピラミッドひな壇  331
26 ITと技術 総目次 
27 Weblog 総目次 

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イベント 鴻巣びっくりひな祭り 31段7メートルの日本一高いピラミッドひな壇

2016年03月31日 | イベント

kan-haru blog 2016  鴻巣びっくりひなまつりのパンフレット 誤記訂正160612

鴻巣ひな人形
鴻巣ひな人形協会パンフレットによると、鴻巣では江戸の中頃に「鴻巣びな」は、「関東三大雛市」のひとつとして、特にきものの着付けでは関東一という評判で、江戸の職人たちは競って鴻巣に修行にやってきました。
明治になっても「鴻巣びな」の製作は盛んで、「県内の、越谷6軒、大沢3軒、岩槻3軒に対して、鴻巣の人形業者は30軒で、職人が300人」という記録が活況ぶりを伝えています 。
現在の人形の町鴻巣には、江戸時代から続く老舗の雛屋から、頭、胴、小道具、赤もの人形などを作る店、近代的メーカーや新進気鋭の人形専門店、箱屋などの関連業者が揃っており、江戸期からの「鴻巣びな」の歴史を今に伝えるお店です。

 鴻巣駅名票:上り線駅名表、:下り線駅名表)

「鴻巣びっくりひなまつり」は、歴史的にも古く技術的にも優れているひな人形生産地の鴻巣を、一般の方達に伝え、市民全体でひな祭りができるように、鴻巣市観光協会を主催団体とし、関係団体により実行委員会を組織して開催しています。

 鴻巣びっくりひな祭り広告(左:鴻巣駅ホームのひな祭り広告
、右:駅前広場のひな祭り広告 

「鴻巣びな」は、鴻巣の市街地活性化、町おこしを目的として、2005年より2015年まで市役所のロビーに、日本一のピラミッド型ひな壇を作成しひな飾りを行ってきました。なお、2005年のピラミッド人形数1333体であり、2006年から2008年までのひな壇数は26段、高さ5.74m、人形数は1345体であり、2009年からひな壇の規模が年々大きくなり、2012年に至りピラミッドひな壇数は31段、高さ7.0m、人形数は1807体であり、「ひな人形で飾る日本一高いピラミッドひな壇」として、日本一である認定を受けたとのことです。

 2015年までは市役所がひな飾りのメイン会場 
(左:市役所玄関前に飾られたひな人形、右:市役所内のピラミッドひな壇)鴻巣市ホームページより

鴻巣びっくりひなまつり
2016年の鴻巣びっくりひなまつり2016は、メイン会場をエルミこうのすショッピングモールに会場を移動して開催となりました。ピラミッドひな壇の段数は31段、高さは7.0mで、人形の数は
約1,830体と増加して日本一です。3月5日に、品川駅から直通の高崎線で鴻巣駅でおり、駅直結のメイン会場で日本一のひな壇を見てきました。

 鴻巣びっくりひなまつり2016案内(左:鴻巣びっくりひなまつり2016パンフレット、右:鴻巣びっくりひなまつり2016吊り案内

なお、鴻巣のひな祭りは、ひなの里特別展として、管内に約1500体、川幅飾りに約1400体のひな人形が飾られているほかに、花久の里ひなまつりで17段の六角すいひな壇に約600体の
人形が飾られ、またパンジーハウスひな祭りでは17段の三面ピラミッド型ひな壇に約400体の人形が飾られ、さらにコスモスアリーナふきあげの13段の八角すい型ひな壇には約300の人形が飾られおりましたが、残念ですが鑑賞時間が取れずに見ずに帰宅しました。

 鴻巣びっくりひなまつり2016開催の各会場 
(←クリックで拡大

飾り付ける人形は、市の広報やホームページ等で募集し、市民のみなさんのみならず全国からご家庭で眠っているお人形を、毎年1月初旬から31日の間にご提供ご提供いただき、飾り付けは、上の壇は大工さんなどの職人さんにより衣装の部分をビスで固定してあり、それ以外は実行委員会とボランティアのみなさんで一体一体手作業で飾っています。年々、お人形の数は増えています。
そのピラミッドひな壇を鴻巣駅から、2階の通路を通りエルミこうのすショッピングモール会場に入り、ホール中央には見事な日本一の17段ピラミッドが目の前に展開されていました。
 
 鴻巣びっくりひなまつり2016の17段ピラミッド 
(左:2階側面から見たピラミッド、右:2階正面から見たピラミッド)

2階から階下に降りて、目のあたりで見たピラミッドは圧巻でした。

 1階に降りて見た17段ピラミッド (左:1階正面から見たピラミッド、右:1階側面から見たピラミッド) 

桃の節句
桃の節句の起源は、平安時代までさかのぼります。昔の日本では、江戸幕府が五節句を式日として定め、一月「七草がゆ」、三月「桃の節句」、五月「端午の節句」、七月「七夕祭り」、九月「菊の節句」と五つの節句がありました。明治6年には廃止されましたが、現在では民間の行事として定着しています。
男雛と女雛の並べ方は、古来、左に男雛、右に女雛という配置が一般的でしたが、昭和天皇の即位の大礼が催された時に、西洋式に天皇が向かって左、皇后が右に立たれました。また、掲げられていた御真影も、西洋式に昭和天皇が向かって左側だったことから、東京の雛人形業界では並べ方をそれまでとは反対としました。京都の人々は伝統を重んじて、在来通りとしています。

 鴻巣びっくりひなまつり2016で飾り付けのひな人形 
(左:ひな人形、右:男雛と女雛) 

毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(1月INDEXへ)
カテゴリー別Index イベント総目次 2015~2016年版2014~2015年版2013年版2012年版2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版 へ
<前回 
イベント 日書展 東京都美術館で開催の第70回日本書道美術院教育部展を見る

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第10回その2)

2016年03月02日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2016 京急蒲田駅2階ぺデストリアンデッキ出口

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成人式の京急蒲田商店街あすと
京急蒲田商店街あすとでは、毎年成人の日に新成人の方々へのお祝いイベントとして、今年は1月11日に商店街アーケード内で黄金餅つき会を開催し、通りすがりの新成人の方にはお餅を無料で配り、一般の方にも先着順にてチャリティ販売を行っていましたので、見てきました。
 
  京急蒲田商店街あすと祝成人式餅つき大会
(左:祝成人、:祝成人黄金餅つき会場案内0111)

昨年の12月11日に京急蒲田駅直結の商業施設「ウィングキッチン京急蒲田」と「あすとウイズ」が開店されましたので、京急蒲田商店街あすとへの通路は変更され、京急蒲田駅2階からぺデストリアンデッキに出て、「あすとウイズ」への2階通路を進み、同デッキを直進して階段またはエスカレータを降りると、京急蒲田商店街あすとの入口です。

  京急蒲田駅西口案内(左:京急蒲田駅2階ぺデストリアンデッキ出口、:京急蒲田駅西口案内図)

ぺデストリアンデッキに出て、直進して京急蒲田商店街あすとへ降りる階段またはエスカレータへと進みます。

  京急蒲田商店街あすとへのぺデストリアンデッキを進む
(左:ぺデストリアンデッキに出る、右:ぺデストリアンデッキから京急蒲田商店街あすとを見る)

デッキより階段またはエスカレータ降りると、再開発で後退した京急蒲田商店街あすとのアーケードの新たな入口です。

 デッキの階段を降りると新たな京急蒲田商店街あすとアーケード入口
(左:ぺデストリアンデッキを降りる、右:ぺデストリアンデッキから直京急蒲田商店街あすと入口へ0111)

蒲田商店街あすとアーケード内では、黄金餅つき会と新成人の記念撮影が行われていました。

 
黄金餅つき会と新成人記念撮影(左:黄金餅つき会、右:新成人記念撮影会0111) 

恒例の黄金餅つき会開催の、京急蒲田商店街あすとアーケードの新年の風景です。

  
新年の京急蒲田商店街あすと黄金もちつき会風景(左・右:黄金餅つき会風景0111)

毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(3月INDEXへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次:2011年前期版2011年後期版2012年前期版2012年後期(2)版2013年前期版2013年中期版2013年後期版2014年前期版 、2014年中期版 、2014年後期版2015年前期版2015年後期版2016年期版 へ 
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第10回その1)

 

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 3月INDEX

2016年03月01日 | INDEX

kan-haru blog 2016 3月1日88版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の15年12月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。
 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景

  ◇ 2006~2012年版2013~2015年版
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2015年版
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
 ■ 
大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第10回その1) 214

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2013年版 
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版2010~2014年版 
23 旅ものがたり 総目次 
  ◇ 2006~2011年版2010~2015年版
24 秋葉原界隈 総目次 

25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版2013年版2014~2015年2015~2016年版
26 ITと技術 総目次 
27 Weblog 総目次 

< 総合INDEX へ

 

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第10回その1)

2016年02月14日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2016

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ウィングキッチン京急蒲田
京浜急行電鉄株式会社京急蒲田駅では、2014年から「駅を、街とつながる開かれた場所へ」をコンセプトとして、京急蒲田西口駅前再開発事業(施設名称:あすとウィズ)と同時に、鉄道高架下を活用し、京急蒲田駅直結の商業施設「ウィングキッチン京急蒲田」を、2015年12月11日に開業しましたので見に行きました。
蒲田駅改札を出てから、駅の出口へは中央左寄りの階段またはエスカレータを降りると東西通路にでますので、左方は第1京浜国道側の東口で、右方は新たに開発された西口駅前広場です。階段を降りずに、右側に出ればぺデストリアンデッキに出てあすとウイズ」への2階通路へと繋がり、同デッキを直進した階段を降りれば京急蒲田西口商店街の入口前です。また、直接デッキから左手階段を降りると旧京急蒲田第1踏切のバス通りに進みます。

 ウィングキッチンオープンの京急
蒲田駅を訪れる(:京急蒲田改札口を出る、:改札を出ると右側にはぺデストリアンデッキへの通路:あすとウイズのオープン通知広告20151211)

なお、右側のデッキから出ずに直進すると、 開業したばかりの「ウィングキッチン京急蒲田」の2階部分の「物販サービスゾン」に直結です。

  ウィングキッチン京急蒲田駅下2階部

ウィングキッチン京急蒲田に、ファッション店舗、コンビニや書店、クイックサービス型の店舗や訪日外国人旅行者等の観光拠点の「大田区観光情報センター」もオープンしています。改札側から南方に出店の開店初日の模様を見ていきます。
 
 改札口からの物販サービスゾンの出店を見る1 
(:セブンイレブン、:大田区観光情報センター、:カメラのキタムラ20151211)

物販サービスゾンは、角店のくまざわ書店と通路を挟んで南端にはカジュアルファッションのGUが店を出しています。なお、2階のGUは階下にもお店を出しております。

 物販サービスゾンの出店を見る
(:カメラのキタムラ、:物販サービスゾン南端部から改札方を見る:カジュアルファッションGU)

毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(2月INDEXへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次:2011年前期版2011年後期版2012年前期版2012年後期(2)版2013年前期版2013年中期版2013年後期版2014年前期版 、2014年中期版 、2014年後期版2015年前期版2015年後期版2016年期版 へ 
サブ・カテゴリー別Index
<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第9回) 
次回  
大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第10回その2)

 

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大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2016年版

2016年02月14日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog  2016年4月1日128版

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  大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 カテゴリー総目次 2016年期版

2013年後期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2014年前期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照

2014年中期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2014年後期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照



2015年前期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 INDEX 参照 



2015年後期版 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 参照



498 
大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第10回その1) 2月14日
499 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第10回その2) 3月2日

< 総合INDEX へ
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次2011年前期版2011年後期版2012年前期版2012年後期(2)版2013年前期版2013年中期版2013年後期版2014年前期版 、2014年中期版 、2014年後期版2015年前期版2015後期版 へ
・サブ・カテゴリー別Index 高架化関連側道編高架化全工区統合編2012年後期版前期版高架化全工区統合編2011年後期版前期版高架化全工区下り線工事2010年版高架化全工区統合編2010年版2009年版大森町付近工区2009年版2008年版2006・2007年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2009年版2006~2008年版雑色付近工区糀谷付近工区 へ

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 2月INDEX

2016年02月01日 | INDEX

kan-haru blog 2016 2月1日87版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

K&A kan-haru 日記の見方について(←ここをクリックして参照してください。)

  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の15年12月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。
 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景

  ◇ 2006~2012年版2013~2015年版
 ■ 風景・風物詩 秋の風物詩 2015年酉の市 大森鷲神社 15
 ■ 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第92回箱根駅伝風景その1 116 

 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2015年版
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2013年版 
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版2010~2014年版 
23 旅ものがたり 総目次 
  ◇ 2006~2011年版2010~2015年版
24 秋葉原界隈 総目次 

25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版2013年版2014~2015年2015~2016年版
 ■ イベント 日書展 東京都美術館で開催の第70回日本書道美術院教育部展を見る 130
26 ITと技術 総目次 
27 Weblog 総目次 

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イベント 日書展 東京都美術館で開催の第70回日本書道美術院教育部展を見る

2016年01月30日 | イベント

kan-haru blog 2015 第70回教育部展優秀作品展示場受付(2016.01.05)

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第70回日書展教育部展鑑賞
正月恒例開催の日書展は、日本書道美術院主催、後援が毎日新聞社、全日本書道連盟により、東京都美術館にて1月4日~10日まで開催されます。日書展は、1946年(昭和21年)の戦後に第一回展を東京都美術館にて開催以来、今年は「第70回日書展」を迎え、書作家の作品と一般公募作品併せて約1600点の作品が展示され、7日間で約2万3000人もの観客が訪れる書道展です。
また、日書展では、「第70回教育部展」ならびに「第60回全国競書大会」が併催されます。「教育部展」は、書写・書道教室の振興を図ることを目的に開催され、小学生(幼年含む)から高校生までの軸装作品を対象とした展覧会で、「全国競書大会」は、全国の学生生徒と大人を対象に、日頃の稽古鍛錬の成果を競うことを目的に「半紙作品」にて開催され、それぞれの展示会場には、出品者の両親や祖父母連れなど家族や関係者が訪れ賑わいます。
今年も「教育部展」と「全国競書大会」の展示作品を見に、1月5日に東京都美術館に行ってきました。

  第69回日書展ポスター

・教育部展
第70回教育部展の展示会場は、美術館2階の奥の4棟室で、受付の先が入口です。教育部展の作品は、陳列時に縦135cm×横36cmに軸装されます。
教育部展の出展作品には、小・中・高の学部別に特待賞/日本書道美術院賞/理事長賞/毎日新聞社賞/毎日小学生新聞賞/全日本書道連盟賞/高野山金剛峯寺賞/第70回展記念賞/みんなの書賞/特選/秀作・優作・佳作の各賞(←ここをクリックすると小学・中学・高校別の入賞者名が見られます)が与えられます。
展示会場に入ると教育部展優秀作品の展示コーナでは、展示壁面に特待賞から佳作までの作品が展示されています。
 
  教育部展作品展示コーナー (左:優秀作品展示コーナー、右:作品展示コーナー)

教育部展の特選の展示コーナーを鑑賞しました
  特選掲示コーナー(・右)

・全国競書大会
第60回全国競書大会は、美術館2階の教育部展の手前の3棟室の展示会場で開催されております。
全国競書大会の出展作品は、学部別のほかに一般の部が加わり、「半紙作品」で展示されます。全国競書大会の入賞作品は、特待賞/日本書道美術院賞/理事長賞/全日本書道連盟賞/高野山金剛峯寺賞/第60回展記念賞/書道美術特別賞/みんなの書賞/書芸文化院賞の各賞(←ここをクリックすると小学・中学・高校・一般別の入賞者名が見られます)が与えられます。

 全国競書大会作品展示コーナー(左:優秀作品展示コーナー、右:作品展示コーナー)

全国競書大会のみんなの書賞の展示コーナーを鑑賞しました

  
みんなの書特別賞高校の部展示コーナー(、右)

毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(1月INDEXへ)
 ・カテゴリー別Index イベント総目次 2015~2016年版2014~2015年版2013年版2012年版2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版 へ
<前回 
 イベント 原鉄道模型博物館3部 一番ゲージの鉄道模型が走行する世界最大級ジオラマその2

 

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kan-haru日記 イベント総目次(カテゴリー別INDEX) 2015~2016年版

2016年01月30日 | INDEX

kan-haru blog 2016  4月1日145版

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< イベント カテゴリー別総目次 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2010年版2011年版2012年版2013年版 2014~2015年版、へ

   イベント カテゴリー別総目次 2015~2016年版



2006年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2007年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2008年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2009年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2010年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2011年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい)
2012年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい) 
2013年  イベント  INDEX (ここをクリックして下さい) 
2014年 イベント INDEX (ここをクリックして下さい) 



188 イベント 日書展 東京都美術館で開催の第69回日本書道美術院教育部展を見る 1月15
189 イベント 東京ステーションギャラリー 開業100周年を迎えて開催の「東京駅100年の記憶」を見るその1 320
190 イベント 東京ステーションギャラリー 開業100周年を迎えて開催の「東京駅100年の記憶」を見るその2 3月26日
191 
イベント 東京ステーションギャラリー 開業100周年を迎えて開催の「東京駅100年の記憶」を見るその3 4月7日
192  
イベント 上野東京ライン 開業日に常磐線品川駅始発のE531系交直両用車で上野駅まで試乗その1 5月6日
193  
イベント 上野東京ライン 開業日に常磐線品川駅始発のE531系交直両用車で上野駅まで試乗その2  5月11日
194 イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその1 9月17日
195 イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその2 9月20日
196 イベント 原鉄道模型博物館 時代の先端を駆けぬける京急展で90年前の外国の仮台車車輪を見るその3 9月25日
197 イベント 原鉄道模型博物館2部 原信太郎が愛した京急を博物館に2回にわたり出かけて見るその1  930
198 イベント 原鉄道模型博物館2部 原信太郎が愛した京急を博物館に2回にわたり出かけて見るその2   107
199 
イベント 原鉄道模型博物館2部 原信太郎が愛した京急を博物館に2回にわたり出かけて見るその3  10月12
20 イベント 原鉄道模型博物館2部 原信太郎が愛した京急を博物館に2回にわたり出かけて見るその4 10月18日
201 
イベント 原鉄道模型博物館3部 一番ゲージの鉄道模型が走行する世界最大級ジオラマその1 10月23日 
202  
イベント 原鉄道模型博物館3部 一番ゲージの鉄道模型が走行する世界最大級ジオラマその2 10月29 

 

203  
イベント 日書展 東京都美術館で開催の第70回日本書道美術院教育部展を見る 1月30
204 
イベント 鴻巣びっくりひな祭り 31段7メートルの日本一高いピラミッドひな壇  3月31日

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< イベント カテゴリー別総目次 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2010年版2011年版2012年版2013年版2014~2015年版 へ

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大森町界隈あれこれ 大森町風景総目次2015~2016年版

2016年01月30日 | INDEX

kan-haru blog 2016 1月30日46版 

< 総合INDEX へ 
< 大森町界隈あれこれ 大森町風景 カテゴリー別総目次 2006~2012年版2013~2015年版 へ

  大森町界隈あれこれ 大森町風景 カテゴリー総目次2015~2016年版



 ■
2006~2012年 大森町界隈あれこれ 大森町風景 カテ 大森町界隈あゴリー総目次INDEX (ここをクリックして下さい)
 ■ 2013~2015年 大森町界隈あれこれ 大森町風景 カテ 大森町界隈あゴリー総目次 INDEX (ここをクリックして下さい) 


48  正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その1 1月30日
49 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その2 2月5日
50 
大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その3 2月10日
51 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その4 2月16日
52 大森町界隈あれこれ 大森町の桜 今年も内川桜のプロムナードと大森西交通公園の桜が満開になりました 4月13日



53 
風景・風物詩 秋の風物詩 2015年酉の市 大森鷲神社 1月5日 
4 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第92回箱根駅伝風景その1  1月18日  

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< 大森町界隈あれこれ 大森町風景 カテゴリー別総目次 2006~2012年版2013~2015年販 へ  

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第92回箱根駅伝風景その1

2016年01月18日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2015 第92回箱根駅伝選手名鑑(スポ―ツ報知刊)

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正月の第1京浜国道大森町交差点風景
毎年正月の2,3日には、大森町界隈の大森町交差点の第1京浜国道(国道15号)を、恒例の箱根駅伝の選手が通過するので、近隣住民は国道添いに集まり、新聞社が配る旗を振って、応援するのが恒例になっています。第92回箱根駅伝は、関東学生陸上競技連盟主催、読売新聞社共催して行われ、参加出場校は。第91回大会の上位10校のシード校と、2015年10月に行われた予選会通過校10校を加え、オープン参加の関東学生連合チームを合わせた全21チームが参加して行われます。
 
 第92回箱根駅伝出場校   

箱根駅伝の往路は、午前8時に読売新聞東京本社前を一斉にスタートして火ぶたが切られ、国道1号線を日比谷公園交差点まで走り、そこから一直線に東京都道409号日比谷芝浦線を芝5丁目交差点まで進み、国道15号線(第1京浜)に入り品川駅を通過します。

 第92回箱根駅伝読売新聞社前スタート点(:スタート点より品川まで、右:スタートを待つ走者明大横手健)

駅伝コースの国道15号線は品川駅を通過するとJRを渡り、左手の京浜急行電鉄高架線沿いに南下して鈴ヶ森で京浜急行電鉄のガードを潜ると、駅伝コースの国道15号線は京浜急行電鉄高架線の右手沿いに進みます。国道15号線の駅伝コースを進むと平和島の東京都道318号環状7号線交差点に達し、さらに進むと国道131号交差点となり、その先が住居の大森町駅交差点で駅伝を応援するところです。

  箱根駅伝往路コース大森町での応援場所(左:駅伝応援の大森町駅交差点角、右:0102大森町国道15号線応援場所0102)

国道15号線の応援席で待つと、8時40分前にテレビ中継車が近ずき、その後ろに白バイとともに駅伝ランナーのトップ集団が走ってきます。

  箱根駅伝往路コース大森町の応援場所 (左:駅伝先頭のテレビ中継車、右:駅伝先導のバイクに続くトップ集団ランナー群0102
)

今年は、大森町付近を通過する駅伝ランナー群は、トップグループと2番手グループに分かれていました。

  箱根駅伝往路コース大森町通過ランナー1 (左:駅伝トップ集団、右:駅伝2番手集団0102)

さらにランナーはばらけて第3集団の後に
、 ラストランナーが続きます。 
 箱根駅伝往路コース大森町通過ランナー2 (左:駅伝3番目集団、右:ラストランナー0102)

1区の往路蒲田(15.3km)では、トップグループは牽制しながら1団をなしており、今は高架下の空港線ガード下を走り抜けます。昔は、空港線は地上を走り国道15号線とは踏切で接しており、駅伝の時間はその場所を電車が通らないように止めていました。

   第92回箱根駅伝蒲田付近(:品川より蒲田まで、右:蒲田15km付近)

蒲田でのトップグループの通過時間は43分58秒で、ラストランナーは1分45秒差の45分43秒で第1区鶴見中継所へと走り抜けて行きました。


 第1区蒲田での通過順位 

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(1月INDEXへ)
カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 大森町風景 カテゴリー別総目次 2006~2012年版2013~2015年版
2015~2016年版 へ
<前回  風景・風物詩 秋の風物詩 2015年酉の市 大森鷲神社
次回 大森町界隈あれこれ 昔の大森町風景 世界大戦前(1940年)から終戦時(1945年)頃の戦時下の大森町風景その1

  

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風景・風物詩 秋の風物詩 2015年酉の市 大森鷲神社

2016年01月05日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2015 大森鳳神社の熊手売りの店

大森鷲神社酉の市

酉の市には、11月の酉の日に大森鳳神社近辺の大森銀座商店街で沢山の露店が立ち並び、賑やかに市がたち、「お酉様」と呼ばれています。2015年の酉の市は5、17と29日の三の酉までありました。大森での酉の市は、1939年に大森に転居してきた時から、大森鷲神社より「熊手守り」の授与を受け、戦時中の混乱期を除いて、親の代から現在まで続いています。

 大森鷲神社酉の市

大森神社へのアクセスは、JR大森駅から南へ進み大森銀座商店街通りを東方に向かうと左側に参詣通路があります。また、京急の大森海岸駅からは大森海岸通りを西へ進み、イトウヨーカドー交差点を突っ切り、2つ目の信号機のある交差点を左折すると、左側に西側参詣通路があります。
  大森鳳神社場所の説明図

今年ののお酉様への参詣は、三の酉の11月29日に自宅から八幡通りを経て、大森銀座商店街通りを西方に進み参詣通路から鳳神社に行きました。 

  八幡通りから大森銀座商店街通りに入り鳳神社へ
 (:大森銀座商店街通り入口付近、:大森鳳神社参道1129)

境内に入ると、沢山の縁起物の熊手を売る店が出ており、神楽殿ではお囃子で酉の市を盛り上げています。縁起物の熊手は酉の市の名物で、金銀財宝を詰め込んだ熊手は、運を「かっ込む」、福を「はき込む」といって開運招福・商売繁盛を願った、洒落の利いた縁起物です。熊手守りは、翌年の更なる招福を願って、年々大きな熊手に換えてゆくのが良いとされています。
 鳳神社参道風景 (:参詣者で込み合う参道、:縁起物の熊手を売る参道の出店:参詣通路で巫女さんによる熊手販売風景1129)

参詣道の行列に並び順番を待ち、本殿で新年の開運招福を祈願して、本殿脇の受け所で巫女さんから「かっこめ熊手お守り」と来年の幸せを呼ぶおみくじを頒布して頂きます。かっこめ熊手お守りは、たわわに実る稲穂を付けた小さな竹の熊手を、鳳神社で開運招福のお守りとして授与しています。
 
  大森鳳神社の「かっこめ熊手」授与(左上:鳳神社拝殿、左下:拝殿でのかっこめ熊手お守り授与:かっこめ熊手お守りとおみくじ)

参拝後、拝殿から西方への参道を抜けて、道路に出ている露店で東京神宮館発行の平成28年運西暦を購入するのがお酉さまでの習わしです。神宮館運勢歴は、古代中国が発生の地とされる九星術により、各人の年齢別による当年・月・日についての運勢を判別し、冠婚葬祭や生活上の判断の参考指針が与えられていますので、例えば仏滅や大安などの実行・行動可否を参考にして、運気向上を図るのに便利なもので、従前から参考にしています。

  お酉さまで購入の「かっこめ熊手お守り」と「神宮館運勢歴」

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2016年01月01日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2016 11日87版

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  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次 
■印覧の15年12月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。
 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年! 
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次 
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編) 
      付 東京大空襲 ~あれから61年~ 
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編 
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて 
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次 
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次 
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街 
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔 
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景

  ◇ 2006~2012年版2013~2015年版
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次

  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版2012~2015年版
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや 

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2013年版 
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版2010~2015年版 
  小さな旅 奥久慈ドライブ 北茨城奥久慈下野宮寿昌庵で会席料理と三村りんご園でのりんご狩りその1 12月5日
 ■ 小さな旅 奥久慈ドライブ 北茨城奥久慈下野宮寿昌庵で会席料理と三村りんご園でのりんご狩りその2 12月13日
23 旅ものがたり 総目次 
  ◇ 2006~2011年版2010~2015年版 
24 秋葉原界隈 総目次 
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版2013年版2014~2015年
26 ITと技術 総目次 
   ◇ 2006~2011年版2012年版2014年版
27 Weblog 総目次 

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