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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第12回)

2008年01月31日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008

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第1工区高架化工事の特徴
大森町駅付近の高架化工事の分担は、第1工区で京急・大豊・西松・鉄建建設JVの担当で、平和島駅南の環七通り鉄橋から高架を下り内川橋梁を超えて、平和島第5踏切で地上となり、これより大森町駅を過ぎて現在閉鎖中の元大森第2踏切付近までの工区です。
この工区は、平和島第5踏切を堺にして、北方の平和島高架駅までの上り坂部と大森町駅を挟んだ平坦部とでは異なる工事法での高架化工事となるのが特徴工区です。

大森町駅付近高架橋工事の進捗
平和島第5踏切以南の高架橋は、年末までには第1高架橋(8本柱脚)と第2高架橋(10本柱脚)と高架橋間の連絡橋が完成してましたが、年が明けてから工事が急ピッチで進行し、その後の進行模様を見てきました。

                 年末までに完了した高架橋部分

工事機械の設置位置は、大森町駅ホーム上の先行工程分担の2号工事機械は年初から、1月16日には約10m程南方に移動し、同じく架橋構築工事の1号工事機械は約数10m程移動して第3高架橋の橋脚の構築が始まりました。

工事機械設置位置(2008.1.7拡大) (2008.1.16拡大)       (2008.1.22拡大)

先ず、第3高架橋部の一部となる橋脚4本が、1月22日には建てられていました。

                  第3高架橋部となる橋脚4本

1月26日には、4本の橋脚間に縦と横に4つの橋桁が取り付けられていました。

                 橋脚間に縦横の橋桁が取り付け

この第3高架橋は、縦に2本の補強梁が1月28には取り付け完了という、急ピッチな高架橋建設の行程で進捗していました。

橋脚間に補強梁を取付(拡大)       (拡大)            (拡大)

第3高架橋は、大森町駅ホーム北端部に掛かる8本柱脚で、2号工事機械設置脇の大森町駅「上りホーム専用臨時改札口」(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第6回)」参照)の北方のゑびす市場跡空地(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第1回その1)」参照)では、連日トラックミキサ車がセメントを搬入して高架橋橋脚の基礎工事が進められています。

                 連日トラックミキサ車がセメントを搬入

また、大森町第1踏切南方でも高架橋建設の準備工事が行われております。

 第1踏切南方の高架橋準備工事

駅設備関係では、大森町西口の券売機設備の移動(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第11回その1)」参照)により、改札口への通路が拡幅されましたが、さらに3機の改札機の並びが、一列に揃えて設置して整理されました。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 蒲田駅付近(第5回)

2008年01月29日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008

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京急創立110周年
京浜急行電鉄は、1898年(明治31年)2月25日に大師電気鉄道株式会社を設立し110周年を迎えます。翌年、1月に六郷橋~大師間が開通し社名も京浜電気鉄道株式会社となり、1901年(明治34年)には六郷橋~大森停車場前(現JR大森駅)間が開通(「大森町界隈あれこれ 京急歴史(1) 大森海岸と大森間に電車が走る(その1)」参照)しました。
また、1902年(明治35年)には、羽田支線の蒲田~穴守間が開通し、六郷橋~川崎(現京急川崎)間も開通しました。品川までの直通は、品川(八ツ山)~八幡(大森海岸)間が1904年(明治37年)に開通したことににより、品川~川崎間が全通開通しました。

蒲田駅付近第5工区高架工事
蒲田駅付近第5工区(工事工区図参照)高架工事は、京急蒲田第2踏切から第9踏切までの区間(地図参照)で大林組JVが担当の工事区です。
この区間の京急蒲田第5踏切(環八通り)は、第一京浜国道と直近の交差点があり、城南唯一の交通渋滞の難所です。このためこの区間には、本番の高架化工事と並行して、別置の本線上り線の環八通り先行立体交差高架化工事(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第1回その3)」参照)が行われ、4月に開通の予定です。

京急蒲田第2踏切から第5踏切までの区間の、環八通り先行立体交差高架化工事の状況については記述済(「大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その4)」参照)ですので、第5踏切からそれより以南の第6工区(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第1回)」参照)と境の京急蒲田第9踏切までの工事進行を1月14日に見てきました。

京急蒲田第9踏切北側から、環八通り先行立体交差高架橋へは上り坂となり、現在の京急本線の山側に並置して仮上り本線が施設されております。

   本線に並行した環八通り先行立体交差高架路    本線との間の高架橋脚

この工区の本番の高架橋工事の状況は、先行立体交差高架橋仮線路と、本線上り線路の山側の間に鉄筋製の四角形の高架橋脚が、京急蒲田第7踏切の南側までの区間に建てられているのが工事の現況です。

                    本線高架橋の橋脚

先行立体交差高架橋仮線路は、上り坂を登ると仮高架橋となり、旧出村駅通りの京急蒲田第8踏切高架橋の桁下は3.2mです。

         京急蒲田第9踏切から第8踏切までの先行立体交差高架橋 


            京急蒲田第8踏切付近の先行立体交差高架橋

仮高架橋は、京急蒲田第6踏切まで登りつめます。

          京急蒲田第6踏切まで登りつめる先行立体交差高架橋

現在、仮高架橋線路には、一本柱の片吊りの架線柱が全区間に架設してあります。

            京急蒲田第6踏切付近の先行立体交差高架橋

京急蒲田第6踏切を過ぎると、先行立体交差の環八通りを渡ります。この仮高架橋線路は、環八通り鉄橋を過ぎると下り坂となり第4踏切鉄橋の桁下は2.3mとなります。そこから、第2踏切手前で地上となります。

                環八踏切上の先行立体交差高架橋

京急蒲田駅施設
京急蒲田駅構内の施設の未完であった、1・2番線ホーム地下道への連絡エレベータは、1月2日時点では開通しています。また、本線上りの旧3番線ホームは、1月14日には除去工事が行われておりました。

開通の1・2番線ホームエレベータ     本線上りの旧3番線ホーム除去作業

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イベント 国立科学博物館 大ロボット博~からくりから最新ロボットまで~ その2

2008年01月27日 | イベント
kan-haru blog 2008 大ロボット博公式ガイド(読売新聞社刊)

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ロボット・スタジアム コーナー(続)
WABOT-1は、1973年に完成した世界初の人間形知能ロボットで、人工の口で日本語の会話を行い、人工の耳・目により対称物を認識し距離・方向を測定し、触覚を有する手で物体の把握と移動ができ、2足歩行を行います。
WABOT-2は、人間の作業を芸術活動に絞り、人間と自然会話を行い、楽譜を目で認識し、両手両足で電子オルガンを演奏します。
SCARAは、屏風の様に上下方向は曲がりにくく、左右方向は曲がり易い構造を持ち、電子機器などの製品組立作業に向いており、1978年にシンプルな組立作業用に開発されたロボットです。

     WABOT-1            WABOT-2           SCARA

からくり コーナー
からくりコーナーは、第1会場中央のトランペット演奏ロボットのステージの奥にあり、からくり山車「浦島」展示の裏側にあります。


からくりは、江戸時代に遊び心、好奇心、豊かな感性を備えた職人たちの技と知恵の結晶で、祭礼の山車や庶民の娯楽芝居に、おもちゃに発想を加えながら伝えられ、日本のものづくりの源流として現在にも息づいています。からくり人形の一端を覗きました。

うちわ扇ぎ人形は、和時計の機構を利用して、ゼンマイの力でうちわを上下に動かし、ゆっくりと首を回す首ふり装置もついてます。
茶運び人形は、人形が持つお盆に茶碗を置くと客まで運び、茶碗を取ると停止し、飲み終えて茶碗を戻すと回転して元の位置にかえるからくりで、1796年の「機巧図彙」に紹介されてます。
鯉の滝のぼり(写真右)は、台付きのからくりで、台横の取っ手を回すと人形の太鼓や笛の音に合わせて鯉が滝をのぼる室町時代から始まったからくりです。

    うちわ扇ぎ人形        茶運び人形        鯉の滝のぼり(写真右)

源内焼自動噴水器(写真左奥)は、サイホンとポンプを利用して作られ、平賀源内が考案したもので、携帯用の源内焼きのからくり噴水器です。
盃洗からくり噴水器(写真左手前)は、上部の皿に水を注ぐと、逆止弁のついたパイプを通りタンクへ水が落ち、盃洗内部の空気を圧縮し、水を先端のノズルから噴き出させるからくりです。
文字書き人形(現代からくり)は、ネジを巻くと筆を持った右手が動き、筆を硯につけ、紙に「寿」や「竹」などの文字を書くからくりで、田中久重のモデルです。
流鏑馬(現代からくり)は、神事の行事を再現し、馬を走らせて矢を放ち的を射るからくりで、「愛・地球博」の世界からくりコンテストでグランプリを受賞した江戸末期の田中久重の「弓曳童子」がモデルです。

源内焼自動と盃洗噴水器      文字書き人形          流鏑馬

ロボットラボ コーナー
ロボットラボ コーナーは、第1会場の一番奥のからくり コーナーの裏側にあります。ロボット研究の最前線の息吹を伝える先進大学の試作機や実験機などが並び、ロボット開発の発展とそれを担う人材育成の「今」を伝えるコーナーです。

Lily(写真左)は、住宅の床下の点検を目的としたロボットで、小型で軽く狭い場所で動き、段差や排水管を乗り越えて走行し、状況を撮影し、シロアリ、木部の腐れ、基礎のひび割れ、水漏れなどを調査します。
Kenaf(写真右)は、災害現場のレスキュー活動を目的として開発され、ボディをに装備されたクローラと、4本のサブクローラアームにより、がれきの上でもスムーズに走行し、地震で倒れた人を探すバンチルトズームカメラ、赤外線サーモグラフィを装備したロボットです。
ハルク ツーは、足車輪用に56個のモーターを装備し、車両モード、昆虫モード、動物モードの3形態で走行と歩行し、あらゆる場所に移動ができ、13個の距離センサー、周囲360度の物体の検出センサーを有し、危険を察知し臨機応変に活動できるロボットです。
Morph3(写真左)は、138個のセンサーと14個のコンピュータを搭載して、分散協調制御システムが30個の関節を巧みに動かすロボットで、床運動や太極拳ができる小型ヒューマノイドです。

Lily(写真左)・Kenaf(写真右)    ハルク ツー         Morph3(写真左)       

KARFEは、日本工学院の2002年に教育用に開発された、ロボット科のシンボルです。
マッサージ(写真左)は、第14回全国専門学校ロボット競技会有線部門の優秀メカニック賞受賞のロボットです。

      KARFE                            マッサージ(写真左)

Jumping Joeは、跳躍などの新しい移動機構をコンセプトに開発した4種類のアクチュエータモジュールを持ったロボットです。
ネットワーク ロボットは、センサー情報を無線LANで近くのアクセスポイントに送り、複数の計算機でデータ処理を行うので、ロボットに計算機の搭載を必要としないため軽量で安価が特徴です。

    Jumping Joe       ネットワーク ロボット     見学者で混雑の会場 

ロボットファクトリー コーナー
ロボットファクトリー コーナーは、ロボットラボ コーナーの先にあり、「ロボット大国」ニッポンのお家芸のものづくりの基である産業用ロボットの展示コーナーです。

産業用知能ロボットのファナック社の部品取り出し知能ロボットM-16iBと、高速ハンドリング知能ロボットM-430iAは、「今年のロボット」大賞展2007(「ITと技術 ロボット大国日本 「今年のロボット」2007 その1」参照)で大賞(経済産業大臣賞)を受賞したロボットです。

          部品取り出し知能ロボット         高速ハンドリング知能ロボット 

第2会場 ASIMO館
第2会場のASIMO館は、第1会場を出て階段を上った階上の会場です。

Hondaの2足歩行ロボットの草分けとして知られる「ASIMO」(アシモ)のステージ・ショーを中心としたコーナーで、性能はますます進化を遂げ、駆け足をしたり、サッカーの練習をしたり、ダンスをしたり、家のお手伝いをしたりの活躍で家に来てくれたら良いなというロボットです。

               Hondaの2足歩行ロボット「ASIMO」 

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イベント 国立科学博物館 大ロボット博~からくりから最新ロボットまで~ その1

2008年01月25日 | イベント
kan-haru blog 2008

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国立科学博物館では、2007年10月23日から2008年1月27日まで、読売新聞社、日本テレビ放送網などの主催により、日本の伝統的な「からくり」をはじめ、2足歩行ロボットや産業用ロボットなどの世界最高水準にある日本のロボットや「鉄腕アトム」や「機動戦士ガンダム」などの未来のロボットを展示し、日本経済の未来を拓くロボット技術を科学史的な視点から展観することを銘打って開催しました。

時を同じく、その年に活躍した産業用ロボットを表彰する2007年12月21日に開催の「今年のロボット」2007大賞展(「ITと技術 ロボット大国日本 「今年のロボット」2007 その1、2」参照)を見学した後、小学生の孫をつれてその週の24日に「大ロボット博」を見てきました。

国立科学博物館
国立科学博物館は、1877年(明治10年)の創立で開館130周年を迎え、十数年にわたる建物の新築、改修と展示工事を終、国立の唯一の総合科学博物館として、幅広く自然科学とその応用に関する調査研究、標本・資料の収集、整理、保管を行い、広く展示しています。

博物館は上野本館(台東区上野公園 7-20 地図参照)の他に、自然教育園(港区白金台5-21-5)、筑波実験植物園(茨城県つくば市天久保4-1-1)と新宿分館などがあります。
上野本館の常設館には、2007年4月に改修工事で公開の日本館や地球館、「愛・地球博」で人気の「地球の部屋」を移設した「THEATER 360(シアター・サン・ロク・マル)」と屋外展示があります。

                       国立科学博物館屋外展示の蒸気機関車

大ロボット博
大ロボット博は、地球館・特別展示室の第1会場からASIMO館(第2会場)へと展開されており、100点を超す「ロボット」とその仲間たちが展示してあります。

第1会場
会場に入るとすぐ、マルチメデア音声ガイドシステムの貸出があり、興味のある孫に1台借り、早速見学です。

・アニメ・おもちゃコーナー
第1会場を入ると、壁沿いの展示コーナーは、「アニメ・おもちゃコーナー」で、「鉄人28号」から「マジンガーZ」、「機動戦士ガンダム」まで、マンガやアニメに登場したさまざまなキャラクターや、懐かしいブリキや「超合金」のおもちゃが所狭しと満載です。しかし、孫の年代ではあまり興味がないようです。

                 アニメ・おもちゃコーナー展示品

・大展示場
アニメ・おもちゃコーナーの先を曲がると、大ロボット博のメインの大展示場です。展示場には、山車からくりの屋台の骨組模型や、1649年(慶安2年)から続く古い犬山祭りのからくり「浦島」が、犬山祭保存会新町組から出展されています。
「汎(はん)と六将(りくしょう)」のモチーフは、「汎」は天地間に存在する全てのものが繋がり、「汎」を介して地球、自然、人間が結線し、究極のロボット化と言える。「六将」は、動物の形を借りた「自然界の代表者」であり、「汎」を介して人間の記憶、人類の軌跡を傍観する歴史の目撃者であると、解説書に書いてありました。

 山車屋台の骨組模型   犬山祭りのからくり「浦島」      汎と六将

・トランペット演奏ロボット
大ロボット博の目玉は、なんと云ってもトランペット演奏ロボットです。大展示場の体感ステージでは、観客がぐるりと取り巻き、「愛・地球博」で絶賛のトランペットを吹くロボット(TOYOTA PARTNER ROBOT)の演奏を待っております。人とのコミュニケーションを目指して開発されたロボット(DJロボット)の解説で演奏が始まります。

    DJロボット       トランペット演奏ロボット(TOYOTA PARTNER ROBOT)

・ロボット・スタジアム コーナー
ロボット・スタジアム コーナーでは、マイクロロボットの世界のマイクロギヤーや、新道路交通システムにより周囲の状況を理解して走る1人乗りの電気自動車(i-unit)の先端技術ロボットに、警備ロボットの「セコムロボットX」が出展してあります。

    マイクロギヤー       電気自動車(i-unit)      セコムロボットX 

コミュニケーションロボットの「Wakamaru」は、周囲の人を検知し視線を合わせて、音声認識で会話を交わし、自律移動機能や自動充電を行います。食事支援ロボットの「マイスプーン」は、利用者の身体状況に合った操作モードで、ご飯、おかず、お菓子など食べることができます。ロボット情報家電の「アプリアルファ」は、家族を認識し音声認識応答をしたり、呼ばれた人のそばまで移動し、家電の操作や天気予報の情報サービスが行えます。

    Wakamaru            マイスプーン         アプリアルファ
          
ヒューマノイドロボットの「プロメテ」(「ITと技術 筑波宇宙センターとサイエンス・スクエアつくば見学 その2」参照)は、人と同じサイズで一緒に働くロボットとして開発され、世界で初めて寝転んだり、起きたりの動作を実現し、人間協調・共存ロボットとして研究されています。社交ダンスパートナーロボットの「PBDR」は、人と共存・協調してパートナーの意図を推定して社交ダンスを踊るロボットです。
アニメのロボット「ガンブラのガンダム」は、人間が登場してテクノロジで戦うのが、アトムや鉄人からの鉄則でありました。

     プロメテ       PBDR      ガンブラのガンダム  

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第1回)

2008年01月23日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008

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雑色駅北部付近高架化工事
雑色(ぞうしき)駅付近高架化工事は、六郷土手駅から雑色駅北の蒲田第9踏切付近までの約1.5kmの第6工区(工事工区図参照)で、清水、東亜、前田、りんかい日産建設JVの担当です。
この第6工区高架化工事は、雑色駅を挟んで京急蒲田寄りと六郷土手よりの2手に分かれて高架橋の架設がすすめられています。このうち今回は、雑色駅から北側の京急蒲田駅方向の蒲田第9踏切付近までの高架橋架設の様子について、1月14日に歩いて見てきました。

・雑色駅
雑色駅(大田区仲六郷2-42-1)は、1901年(明治34年)の六郷橋~官設大森駅(現JR大森駅)間の開通(「大森町界隈あれこれ 京急歴史(1) 大森海岸と大森間に電車が走る(その1)」参照)と同時に、道路上の停留所として開通し、1923年(大正12年)に専用軌道に変更とともに雑色駅が開設されました。

  雑色駅中央口(拡大)                         雑色駅西口(拡大)

1945年(昭和20年)の世界大戦で戦災を受け復旧して開通したが、1979年(昭和54年)の改良工事で6輌編成用にホームを伸延し、それまでの構内踏切を廃止して地下通路になりました。
現在の雑色駅の乗降人員は、普通電車のみの停車駅としては杉田駅に次いで2番目に多い駅です。

                      駅地下道(拡大)

・雑色駅から蒲田第9踏切付近までの高架化工事状況
現在の雑色駅から北側の工事現況は、雑色駅商店街通りの蒲田第13踏切(地図参照)から京急蒲田方面を見ると、一つ蒲田寄りの蒲田第12踏切南側に青色(1号機)と黄色(2号機)の2機の工事機械が見えましたので、高架化工事の進況を見るため第一京浜国道を北へと進みました。
蒲田第12踏切道路との交差点の少し手前に熊野神社への参道があり、境内正面の本殿の後方に青色の工事機械が見えましたので、境内に入ると第12踏切道路と接しておりました。1号機の工事機械は、第12踏切道路の南側に接して設置され工事が進められており、2号機の工事機械はそれより南の数10m先に設置されてます。

第13踏切から見た工事機械 第12踏切南の1号工事機 1号工事機先の2号工事機

蒲田第12踏切から京急蒲田方向を見ると、四角柱の橋脚が1本とその先の蒲田第11踏切までには、6脚と4脚の高架橋が完成しているのが見えます。さらに、第11踏切の先にも高架橋が完成しているので第一京浜国道を北へと進みました。

                    第12踏切北方の高架橋       (写真拡大)

蒲田第11踏切から第10踏切までの間の高架橋は既に出来上がっており、この工区の工事は蒲田第9踏切から高架橋の架設の建設を始めましたので、高架橋間の連絡橋も完成しております。

                    第10踏切南方の高架橋  踏切北の高架橋(拡大)

・環八通り先行立体交差高架化工事
この工区の高架橋の構造の特徴は、橋の橋脚がコンクリートの四角柱であるのが特徴です。
蒲田付近の高架工事には、環八通りの踏切渋滞問題がありますので、暫定的に本線上りの環八通り先行立体交差高架化工事(「大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その4)」参照)が行われます。

4月から開通予定の先行立体交差高架は、上下本線の高架橋とは別に並行して設けられ、この蒲田第9踏切の北側から環八通りの鉄橋へと昇り始めます。

                    第9踏切南方の高架橋 環八先行対応の高架橋(拡大)

そのため、現在の地上を走行している上下線路から山側に線路を曲げて設ける必要があり、蒲田第9踏切付近の高架橋の構築は、その部分を円筒の鉄柱により高架橋の幅を広くした構造で作られております。

 環八先行対応の高架橋   環八先行対応の登坂路    第5工区工事区間
 
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風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺2008

2008年01月21日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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川崎大師初詣
菩提樹と同じ真言宗智山派で、方向が恵方の川崎大師には毎年初詣をしています。今年は3連休中日の1月13日日曜日に近くに住んでいる従兄弟夫婦と連れあって参詣してきました。昨年は、1月7日に出かけましたがかなり混雑(「風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺」参照)していましたが、今年は一週間遅れのお詣でしたので、山門より前からの行列はありませんでした。
川崎大師は、全国に真言密教を広められた弘法大師空海上人が祀られており、初詣3が日の人気が高く、今年も前年同様に全国第3位となりました。

本殿参拝
川崎大師(真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺 川崎市川崎区大師町4-48)の参詣(順路地図参照)は、川崎大師駅新設の北口(川崎大師駅参照下記)を出て踏切を渡り、駅南口方向に一旦戻ってから駅前通りを横断して、表参道入り口の厄除け門に進みます。
3連休で込み合っている表参道を、大師入口門を右折して一方通行の仲見世門を通過して、一方通行規制通りを迂回して、不動門前を右折して大山門に入ります。
・大山門
川崎大師は、世界大戦により殆どが戦災で焼失し、大山門は1977年(昭和52年)の開創850年の記念事業として建立され、山門には京都・東寺の国宝尊像を模刻造立した四天王像が安置されています。
山門を入ると、本殿までの中間の香炉堂の先から参拝客の列で一杯です。

      表参道             大山門         大本堂前の参詣者の列

・大本堂
大本堂は、1964年(昭和39年)に落慶し、鉄筋・鉄骨造りの平安朝の建築様式に近代的な感覚をゆたかに盛りこんだ大伽藍です。
当日は、警備警官による参拝整理を行っていないため、大本堂に入ると身動きできない状態で、押されながら賽銭箱の縁まで進まされ、参拝をしてから横這いで本堂右側の出口にやっと辿りつきました。参拝整理を行っていると、本堂には一定の人数で制限するため、参拝も賽銭箱のかなり手前から賽銭を投げられ、そこで参拝を済ませて楽に本堂から出られましたが、今回は混雑で何時もより本堂内で動きがとれずにかなり長く拘束されました。
丁度、本堂では12時の大護摩のご修業が行われており、供養を受ける人で一杯で煩悩を焼き浄め、大厄を消除し、家内安全、商売繁昌、病気平癒、心願成就など、開運の祈願をする人でいっぱいです。特に厄除けには、効果あらかたで人気があり、私も本厄の時に、護摩祈願をしました。

・お札・お守り
本堂を出た階段下のお札・お守り授け所で、弘法大師厄除けお札と身代わりお守りを授かり、山門脇の納札堂で昨年のお札・お守りとだるまを納めます。

 大山門まで続く参詣者     お札・お守り授け所         納札堂

・仲見世と参道の土産店
川崎大師参道の古くから営業している、名物のくず餅屋、だるまなどの縁起物店、とんとこと包丁でさらし飴を切る名人芸の咳止め飴屋さんなどの土産物屋さんは、数は多く目立ちます。それに、おせんべいとお饅頭屋さんの店も数が目立ちます。

 参詣客で混雑の仲見世        大師名物だるまと縁起物お土産店

大師参拝にくると、ここの雰囲気で何時もの様にくず餅、せき止め飴、だるまや霞ヶ浦のわかさぎと川エビを買い、表参道のお蕎麦屋で昼食をとって帰宅しました。

                 名物とんとこ飴切りの名人競演

・子供の頃の大師の想い出
私が小学生の頃、今もある漬物屋さんで、行く都度奈良漬けを買って貰った遠い昔が想い出されます。
その当時の境内は、今ほど混んでなく、鐘撞き堂の階段横に、[山雀]の『おみくじ』屋が出ていました。お客が来ると、「山雀」は梯子の渡り板を渡り神棚の前で、くちばしで「ちりんちりん」と鈴を鳴らし、ちょんちょんと観音開きの扉を開け、神棚の中より3cmぐらいの金色の帯封をした一枚の『おみくじ』をくわえ、中程にある三方の上に置きます。鳥に「表を見せて、封を切り」と云うとくちばしで帯封を切り、手を出すと「おみくじ」をくわえ手の上に載せる。感心して、次のお客のあるまで何時までも見ていた時代が今でも鮮明に覚えています。

また、最近では見かけなくなりましたが、私の子供が小学生の頃、土産物やで「だるまおこし」が並んで売っており、行く度にせがまれて買ったのもついこの間のような気がします。

川崎大師駅と大師線
川崎大師参詣下車駅の京急川崎大師駅は、京浜急行電鉄の前身の大師電気鉄道が1899年(明治32年)に開通した六郷橋~大師間の開業駅で、移動もせず現存する電気鉄道の日本最古の駅です。川崎大師駅舎の手前には、発祥の地の記念碑が1968年(昭和43年)に建立されてます。
1902年(明治35年)に六郷橋~川崎間が開通し、1925年(大正14年)に大師駅は川崎大師駅と改称されました。
現在の大師線終点の小島新田駅は、世界大戦中の1944年に開業されましたが、その時は小島新田駅より以遠の桜本駅が終点でした。1951年に川崎市電に譲渡して廃止となりました。

 風鈴市の川崎大師駅     明治時代の京急川崎駅  六郷橋~川崎間の電車
                          (京急100年のあゆみ出典)

昔は、川崎大師駅の大師参詣下車の1番線ホームは、当初は構内踏切を渡って改札口を出てました。その後参拝客が多くなり上りホーム間に地下道が新設され、混雑時のみ、昨年まで構内踏切を併用しておりました。今年は、初詣の下車客を捌くのが限界のため、1番線ホームに「北口」が開設(2007年12月20日)され利用が開始されました。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第5回)

2008年01月19日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008

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1月14日の成人の日に大田区では、梅屋敷駅を下車して第一京浜国道を南に徒歩5分の梅屋敷公園(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 梅屋敷公園」参照)の向かいにある大田区体育館(大田区東蒲田1-11-1)にて、「成人のつどい」が開催され約3800人の新成人が会場に集まりました。大田区体育館は、東京オリンピックを記念して建設され1965年4月にオープンしましたが、築後40年以上が経過し老朽化のため3月31日もって改築のため一時閉館し、新しい体育館は平成23年度中に開館する予定です。


梅屋敷駅付近の高架化工事近況
梅屋敷駅付近の高架化工事は、これまでのレポート(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第4回)」参照)の通りですが、その後の工事近況を大田区の「成人のつどい」が開催された1月14日に見てきました。
京浜急行連続立体交差事業梅屋敷駅付近の工事工区の分担は、工区図に示すように第2工区で東急・奥村・森本建設JVの担当です。第2工区は、図によると閉鎖中の元大森町第2踏切付近から多摩堤通りの梅屋敷第4踏切までの間の893.5mの区間です。

           京浜急行連続立体交差事業工事工区図(図拡大)

・直接高架施工機
梅屋敷駅ホーム上に設置の工事機械(直接高架施工機1号機)は、現在は昨年11月からは10mほど北に移設されております。

 写真左:2007年11月の梅屋敷駅ホーム上に設置の工事機械1号(写真拡大)
 写真中:現在のホーム上の工事機械1号(写真拡大)2008.1.14撮影
 写真右:工事機械1号は作業台の四隅に杭施工用の孔が開いている(写真拡大) 

この1号工事機械の役目は基礎杭を施工もので、作業台の四隅に杭施工用の孔が開いており、踏切の位置などに影響されることなく基礎杭を築造できます。
工事機械の2号機は、現在梅屋敷第2踏切の北位置で作業を行っており、高架橋の柱、梁、スラブなどを揚重架設するための役目の桁架設機です。

                 1・2号工事機械の工事作業役割分担

・高架橋架設状況
第2工区の高架橋架設状況(地図参照)は、多摩堤通りの梅屋敷第4踏切から架設が北上して行われ、現在第4踏切から第3踏切までの高架橋架設は殆ど完成しております。

 写真左:梅屋敷第3踏切付近から京急蒲田方向を見た高架橋架設(写真拡大)
 写真中:梅屋敷第4踏切から梅屋敷方向を見た高架橋架設(写真拡大)
 写真右:梅屋敷第4踏切上から京急蒲田駅方向を見る

梅屋敷公園北側の同第2踏切付近には、現在踏切の南側に4本、北側に2本の高架橋のスラブ・地覆が築造されております。

 写真左:梅屋敷第3踏切から見た同第2踏切南側の高架橋スラブ・地覆(写真拡大)
 写真中:第2踏切南側のスラブ・地覆を通して見た踏切北のスラブ・地覆(写真拡大)
 写真右:梅屋敷駅から見た梅屋敷第2踏切北側の工事機械2号(写真拡大) 

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ITと技術 ロボット大国日本 「今年のロボット」2007 その2

2008年01月17日 | ITと技術
kan-haru blog 2008

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表彰ロボット 続
・日本機械工業連合会会長賞が、無軌道自律走行ロボット「血液検体搬送ロボットシステム」 松下電工株式会社

審査委員会講評(経済産業省ニュースリリース2007.12.20から)
複数台の自律移動ロボットが搬送作業を行うロボットシステム。夜間作業が発生する検体検査サービスにおいて、高い信頼性を保ちつつ検体搬送作業を行うことにより、労働力不足の克服や、検体検査サービスの信頼性・効率性を向上している。また、正確かつ最適な搬送の実現のため、ロボットの群制御や無軌道自律移動などを実用化しており、技術的な先進性も有している。
このように、ユーザーのニーズを満たして実用化に成功し、ロボット産業の振興に貢献している点が評価され、「日本機械工業連合会会長賞」の受賞となった。

 無軌道自律走行ロボット  複数台の自律移動ロボット搬送作業(松下電工HP出典)

・中小企業基盤整備機構理事長賞が、超小型高精度高出力トルクAC サーボアクチュエータ 株式会社ハーモニック・ドライブ・システムズ

審査委員会講評(経済産業省ニュースリリース2007.12.20から)
ロボットは、様々な要素技術の摺り合わせによって構成されており、要素技術の高度化や低コスト化はロボット産業の振興において重要である。本アクチュエータは、これまでにない超小型・軽量化とともに、高精度・高トルクを実現している。高速・高精度な動作を行うロボットハンドや指の駆動部分などに使用され、装置全体の高精度化、小型化、軽量化に貢献している。
ロボット産業において、中小企業は部品の供給等を担うことも多いが、このような優れたアクチュエータを、独自のものづくり技術を活かして生産・供給し、ロボット産業振興に貢献している点が評価され、「中小企業基盤整備機構理事長賞」の受賞となった。

 超小型高精度高出力トルクAC サーボアクチュエータ(右写真:「今年のロボット」2007から)  

・審査委員特別賞が、MR 画像誘導下小型手術用ロボティックシステム 九州大学、株式会社日立製作所、株式会社日立メディコ、瑞穂医科工業株式会社、東京大学、早稲田大学。

審査委員会講評(経済産業省ニュースリリース2007.12.20から)
従来の低侵襲外科手術における技術的困難を打開し、より高度で安全な手術を可能とすることを目的として、ロボット技術を活用して開発されたシステムであり、社会的意義は高い。また、本システムのように、磁気共鳴診断(MR)画像誘導下の手術を可能とする小型手術支援システムは世界でも例がなく、技術的な先進性も高い。まだ研究開発段階ではあるが、実用化された際の社会的意義の高さや可能性の大きさなどが高く評価され、今回「審査委員特別賞」の受賞となった。

 MR 画像誘導下小型手術用ロボティックシステム

「今年のロボット」2007の優秀賞
「今年のロボット」2007の優秀賞は、応募のあった82件の中から、今年活躍し、将来の市場創出への貢献度や期待度が高いロボットの13件が選ばれました。この、優秀賞の中から前記の「今年のロボット」大賞他の4件が選ばれ、2007年の受賞の栄誉を受けたロボットです。

優秀賞ロボット
・サービスロボット部門の優秀賞は、MR画像誘導下小型手術用ロボティックシステム(審査委員特別賞受賞)、教育用レゴ マインドストームNXT、小型ヒューマノイドロボット HOAP、miuro(最優秀中小・ベンチャー企業賞受賞)、無軌道自律走行ロボット「血液検体搬送ロボットシステム」(日本機械工業連合会会長賞受賞)の5件です。

 教育用レゴ マインドストームNXT   小型ヒューマノイドロボットHOAP   
・産業用ロボット部門の優秀賞は、2台のM-430iA のビジュアルトラッキングによる高速ハンドリング(「今年のロボット」大賞受賞)、連結式医薬品容器交換ロボットの2件です。


 「今年のロボット」大賞受賞ロボット  連結式医薬品容器交換ロボット 

・公共・フロンティアロボット部門の優秀賞は、血管内手術の技術トレーニングのための超精密人体ロボット イブ、消防ロボットの2件です。

     超精密人体ロボット イブ          消防ロボット

・部品・ソフトウェア部門の優秀賞は、HG1T/HG1H形小形ティチングペンダント、国際標準準拠のRTミドルウェア(OpenRTM-aist-0.4.0)、超小型高精度高出力トルクAC サーボアクチュエータ(中小企業基盤整備機構理事長賞受賞)、ロボット・FA機器向けオープンネットワークインターフェース”Orin” の4件です。

 小形ティチングペンダント    RTミドルウェア     ネットワークインターフェース
 
記念シンポジューム
「今年のロボット」大賞2007を記念して、2007年12月21日13時30分から、TEPIAホール4階で記念シンポジュームが開かれ、トヨタ自動車株式会社パートナーロボット開発部長 高木宗谷氏や受賞ロボット開発者の講演を聞いてきました。講演開始時には、客席は満席でした。

                 記念シンポジューム会場

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ITと技術 ロボット大国日本 「今年のロボット」2007 その1

2008年01月15日 | ITと技術
kan-haru blog 2008

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現在の世界のロボット稼働台数は、2006年末で約95万台であると云われ、そのうち日本の稼働台数は約35万台であり、生産台数も約11万台で、当に日本はロボット大国です。
現在、使用されているロボットのほとんどは、工場での組み立てや溶接などの作業を行う産業用ロボットです。

しかし、これからのロボットは、家庭や福祉現場で人と働き、手助けしてくれる介護ロボットや、人を癒してくれるアザラシ型のロボット・セラピー(「ITと技術 筑波宇宙センターとサイエンス・スクエアつくば見学 その2」参照)などの他、家庭やオフィスで自動掃除をするロボット、侵入者を監視する警備ロボットなどの次世代ロボットが、産業用ロボットで培った技術を生かして開発が進んで行き、急速な少子高齢化が進む社会で貢献することが期待されます。

この様な背景の中で、国立科学博物館で読売新聞社などのが主催する「大ロボット博」と、経済産業省などが主催する「今年のロボット」大賞展2007が開催されました。
先ずは、青山のTEPIAで開催された、「今年のロボット」大賞展2007を昨年の12月21日に見てきました。また、受賞ロボットの開発者が講演する記念シンポジュームも聞いてきました。

大賞展2007会場

              TEPIA(財団法人機械産業記念事業財団)

会場のTEPIA(財団法人機械産業記念事業財団 港区北青山2-8-44 地図参照)は、東京メトロ銀座線外苑前駅3番出口を出て、青山通りから北に折れ秩父宮ラグビー場の先の神宮球場に挟まれて、徒歩5分の所にあります。
TEPIAの1階の機械産業記念館では、第19回展示「ちえものづくり」展が2008年2月29日まで開催しています。

              TEPIA1階の第19回展示「ちえものづくり」展

大賞展2007の会場は、3階のTEPIAエグジビジョンホールが会場で、受賞ロボットの展示と2007年のロボットの活躍が実感できる企画展を開催しておりました。
会場に入ると、先ず2006年の「今年のロボット」大賞のロボットが展示されており、一巡して奥のゆったりとした展示場に、2007年の「今年のロボット」大賞のロボットが展示されていました。

「今年のロボット」大賞展2007
日本のものづくりお家芸に結びつく、センサー、知能・制御系、駆動系の3つの技術要素を有する知能化した機械システムのロボット技術は、情報技術、エレクトロニクス、機械工学、素材技術といった幅広い要素技術の統合で生み出され、今後の労働力不足の解消や、安全・安心な社会の実現にはなくてはならないものです。

こうしたことから、ロボット技術の進化を促進し、技術革新と社会に役立つロボットの認知度を高め、ロボットの需要を喚起するため、2006年からその年に活躍する高度なロボットを表彰する「今年のロボット」大賞が創設され、今年は2年目の「今年のロボット」大賞展2007が、経済産業省、(社)日本機械工業連合会、(独)中小企業基盤整備機構、日本経済新聞社主催で開催されました。

              2006年の「今年のロボット」大賞の展示ロボット

ロボット参加数
ロボットの応募数は、平成18年7月18日から19年8月31日の期間に、国内で活躍したロボット、部品、ソフトウェアが対象品で、サービスロボット部門が49件、産業ロボット部門6件、公共・フロンティアロボット部門12件、部品・ソフトウェア部門15件の総数82件でした。

表彰ロボット
・表彰のロボットは、「今年のロボット」大賞(経済産業大臣賞)が、2台のM-430iA のビジュアルトラッキングによる高速ハンドリング ファナック株式会社

審査委員会講評(経済産業省ニュースリリース2007.12.20から)
これまで蓄積されてきたロボット技術に加え、高速性、連続稼動性、清潔性、洗浄性、耐薬品性などの機能を備えることで、新規市場でのニーズを満たし、食品・医薬品分野という新たな活躍の場を開拓したロボットである。加えて、画像認識・処理した物品の情報を高速フィードバックし、コンベア上を不規則かつ高速で流れてくる物品にも対応できることや、アームロボットを3台以上に拡張でき、更なる作業効率向上や、より複雑な作業への対応も期待できることなど、技術的先進性も高く評価された。
食品・医薬品分野は、比較的人手や専用機での作業が多いとされるが、本ロボットは、その製造コストの削減に貢献している。さらに、安全・安心が求められる同分野において、高い品質の実現に貢献し、市場を拡大している。今後も、更なる市場の拡大が期待されるとともに、ロボット技術の新規分野への展開の成功事例として、「今年のロボット」大賞にふさわしいと評価された。


 2台のM-430iA のビジュアルトラッキングによる高速ハンドリング ファナック株式会社

・最優秀中小・ベンチャー企業賞(中小企業庁長官賞)が、miuro(ミューロ) 株式会社ゼットエムピー

審査委員会講評(経済産業省ニュースリリース2007.12.20から)
これまでにないロボットのイメージを打ち出しており、新たな市場の創出を期待させるユニークなロボットである。音響機器としての基本性能に、自律移動等のロボット技術を融合させるとともに、ユーザーの操作のしやすさなどにも配慮し、生活の中で使われるロボットの在り方の一例を提示している。また、ロボット技術の活用分野の拡がりを示す好例として、ロボットのコンセプトの拡大に貢献している。
このように、中小企業ならではの柔軟な発想を活かして、新たな市場の開拓に取り組んでいる点が高く評価され、今回「最優秀中小・ベンチャー企業賞」の受賞となった。

               miuro(ミューロ) 株式会社ゼットエムピー

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風景・風物詩 初詣風物詩 穴八幡神社と放生寺 その3

2008年01月13日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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穴八幡神社の初参りを済ませ、参道を戻り出口の馬場下町交差点の早稲田通りは、1854年(嘉永7年)頃の地図では「放生寺門前」と称して、この辺りは通称「融通虫封じ観世音」を御本尊とする穴八幡宮に隣接して放生寺があり、江戸の時代より夜泣きや疳の虫の祈祷霊験あらたかな寺として多数の老若男女の参詣がありました。

放生寺は穴八幡の造営に尽力し、その別当寺として開創された寺で、神社境内に建てられました。江戸の昔は寺社の区別無く、1868年(明治1年)の神仏分離令により穴八幡と放生寺は分離分割されたものです。
冬至の日から節分に、穴八幡では一陽来復お守りを授受しますが、放生寺では一陽来福のお札を配布します。
穴八幡宮に参詣後、隣接の放生寺のお参りをしてきました。

放生寺
放生寺へは、馬場下町交差点交番前の諏訪通りが、現在穴八幡宮の工事中で見渡せませんが、数10m西へ進んだところが入口の参道です。参道の坂道を上がって行くと、右側に本堂があります。

                      放生寺参道

放生寺(新宿区西早稲田2-1-14 地図参照)は、寺名が威盛院光松山放生寺(こうしょうざん ほうしょうじ)と称し、宗派は高野山真言宗準別格本山で菩提樹と同宗で、1641年(寛永18年)に、高野山で修行を積んだ威盛院良昌が社僧として招かれ開創され、本尊は聖観世音菩薩が祀られております。

              放生寺本堂                     お水舎

・一陽来福お札
江戸天保年間より放生寺に伝わる秘法を、厳修し一部の信徒に授与したのが始まりで、時代の変遷により今日の様に多数の信徒に授与するようになりました。
授与された方たち全てに沢山の「福」が来る様に、観音経の結びの「福聚海無量」の「福聚(あつ)むること海の如く無量なり」と言う偈文より「福」の字を取り「一陽来福」と名付けられました。
お札は、一家の居間か、商売先の部屋に毎年定められた恵方に向けて冬至、大晦日、節分の何れかの深夜0時に貼ります。

                       (写真拡大)

・修行大師像
境内の左手前には、弘法大師空海(774~835)の若き日の修行時代の姿の修行大師立像が鎮座しています。大師様が42歳の厄年の時に四国を巡錫されたのに因み、立像は「厄除け大師」としても親しまれております。
敷石の下には、四国八十八カ所霊場全てのお寺のお砂を敷いてあり、左より時計回りでご宝号「南無大師遍照金剛」と、お唱えになり巡られますと四国八十八カ所をお参りすると同じ功徳を受けられと云われてます。

・神変大菩薩
修行大師像の奥に建立の神変(じんべん)大菩薩は、別名役の行者(えんのぎょうじゃ)、役の小角(えんのおづぬ)と云い、634年(舒明6年) 奈良県葛上郡茅原村(現在の御所市茅原)の高賀茂家に生まれ、幼少の頃から博学であり仏教特に密教を信仰され、修験道の開祖として仰がれておりました。
神変大菩薩は、没後千年以上の後の1799年(寛政2年)に、当時の光格天皇から送られた「諡号」であり、当時の民衆から長きに亘って厚い信仰を受けていたかが判ります。
神変大菩薩が山岳信仰の第一人者であり、山野を駆け巡って修行されたことに由来し、今日では特に足腰の弱い方をお救い下さると云われております。

     (写真拡大)            (写真拡大)           (写真拡大)

・地蔵菩薩と馬頭観音菩薩
神変大菩薩の奥には、右に二体の水掛け地蔵菩薩と左に馬頭観音菩薩が鎮座しています。右側の地蔵菩薩は、左手に蓮華寶珠、右手に錫杖を持つ僧形で鎌倉時代、民間信仰にとり入れられ賽の河原で童児の救済者として子育地蔵、子安地蔵の名で古くから信仰されております。
左側の馬頭観音菩薩は、観世音菩薩化身の内、唯一の忿怒像であり怒りが強い程、内には人を救う慈悲の心も大きく、また馬は大食いであるということから人々の煩悩を喰べ尽くすと言われてます。また、「馬頭」という名称のゆえ、あらゆる畜生類を救う観音であるとも言われてます。
地蔵菩薩参考:「風景・風物詩 地蔵菩薩公開 薬師寺東京別院宝物のお地蔵さま拝観」参照

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風景・風物詩 初詣風物詩 穴八幡神社と放生寺 その2

2008年01月11日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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一陽来復御守
本殿で守護神の八幡宮をお参りしたので、江戸時代の元禄年間から穴八幡宮だけに伝来する一陽来復御守を授かるため、御札所に行き頂いてきました。
一陽来復御守(いちようらいふくおまもり)は、冬至から節分までの期間に限り授与されます。このお守りは、金銀融通の商売繁盛のお守りで特に商売の店主の方々は、昔から師走の忙しい冬至に冬至祭りが行われ、朝早くから参詣し2時間も行列して求めると云うほどのご利益があります。

  一陽来復御守(拡大)

お守りは、金柑と銀杏各1個を清祓して円筒形の紙に包んであり、キンカンとギンナンで金と銀の財宝に縁が深く、その融通について苦しむことが無いということから、お金に不自由することが無く商売繁盛に霊験あらたかと人気があります。

                銀杏                        金柑

2007年12月22日の冬至は土曜日に当たり、今でも人気の冬至祭りには、都内を始めとして近県や遠地から例年より多くの参拝客が訪れ、朝9時のお守り配布前から歩道と境内に長蛇の列ができ、頂くのに2時間を要したと報じてました。

                     縁起物の銀杏細工

・お守りの祭り方
授かったお守りの祭り方は、冬至、大晦日または節分の午前0時に、恵方の巳午(真南から少し東)方向にお守りの文字を向けて、反対の子亥(北)側の柱か壁の高いところに、糊を付けて貼ります。
お守りは、一年間は動かさずにお祭りし、移転の場合には、取り外して神棚に納めるか穴八幡宮に納めます。
5日に頂いてきた一陽来復お守りは、節分まで神棚に収めてあります。


・一陽来復
一陽来復を大辞泉および大辞林では、
(1) 易で、陰暦10月に陰がきわまって11月の冬至に陽が初めて生じることから、陰暦11月または冬至のこと。
(2) 冬が去り春が来ること。新年が来ること。
(3) 悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方に向かうこととあります。

昨今は、老舗の食品会社や建築資材業者などでいろいろと偽りが暴露し、今年の漢字は「偽り」です。また、サプライムローン問題で米国が今年に景気後退入りするなどの憶測により、日本の株式が大きく下げて年明けの情勢はあまり良くない状況です。
今も昔も、よい年もあれば、悪い年もありで、江戸時代の人達も一陽来復のお守りを信心して、良い方向に向かうよう努力して改善を怠らないで安泰に過ごしてきたのでしょう。これは、現在にも通じ、良い方向に向かうには改革しか方策はありません。

穴八幡神社の由来(抜粋)
1062年(康平5年)源義家が奥州の乱を鎮圧した凱旋のおり、この地に兜と太刀を納め氏神八幡宮を勧請し、東北鎮護の社として祀りました。1569~1623年の慶長、元和の頃までは、このあたりは八幡山と呼ばれ、神木の下に小祠が祀られていました。
1636年(寛永13年)に幕府の御持弓組頭松平直次がこの地に的場を築き、射芸の守護神として八幡宮を奉祀しました。

1641年(寛永18年)に宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時から穴入幡宮と唱えられるようになり、祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。また将軍世嗣誕生に際して色々奇瑞のあったことが、たまたま鷹狩の途次に当社に参拝された三代家光将軍の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。

1649年(慶安2年)42坪の社殿を始め数々の殿合が竣工し、その後も幕府により寛文・延宝・元禄・享保・元文と数次にわたって造営、営繕がおこなわれ、特に1703年(元禄16年)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。
1854年(安政元年)の青山火事のため類焼し、幕府より造営料として金子が奉納され、再興に努めましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。

1879年(明治12年)に大正天皇の御虫封を拝命し、以来崇敬者は年々増加し、1916年(大正5年)以降1926年(昭和初年)にかけて広壮な社殿が完成し旧時の盛観に復しましたが、今次大戦により社殿はことごとく罹災しました。
戦後はいち早く仮社殿により再興し、平成元年より慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿等の造営を初め、平成10年8月の随身門竣工をもって往時の姿に復し、引続き再建、境内地の整備に着手し今日に至っています。

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風景・風物詩 初詣風物詩 穴八幡神社と放生寺 その1

2008年01月09日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2008

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冬至に一陽来復お守り授与の穴八幡神社
今年の初詣りは、元旦に氏神様の諏訪神社をお参りしましたが、5日に金銀融通「一陽来復」のお守りで有名な早稲田の穴八幡神社で、冬至から節分までの間にのみ授与されるお札を受けてきました。また、境内と堺を接している放生寺もお参りしてきました。

穴八幡神社(穴八幡宮 新宿区西早稲田2-1-11 地図参照)は、JR山手線の高田馬場駅から都営バスの早大正門行き(学02路線)に乗り、約7分の乗車で穴八幡神社横の「馬場下町(ばばしたちょう)」で下車し、早稲田通りを横断すると神社参道への石段です。
参考に、東京メトロ東西線を利用の場合には早稲田駅で下車して、高田馬場方面からは3b出口を、飯田橋方面からは2番出口を出て早稲田通りを2分ほど西に進むと、四つ角にでて神社参道への石段が見えます。

穴八幡神社参詣路
穴八幡神社参詣路入口の左側は、現在工事中の塀が張り巡らされており、ここに流鏑馬の像(区指定文化財)が建っていますが見られませんため、写真撮影ができませんでした。
・流鏑馬
1728年(享保13年)に八代吉宗将軍が、世嗣の疱瘡平癒祈願のため神社北の馬場で奉納されたのが始めで、ついで10年後の元文3年に若君誕生の報賽として盛大に行われ、中でも嘉永の時のものは特に盛大なものと記されています。
維新以後は中断してましたが、1934年(昭和9年5月)今上陛下御生誕を奉祝して再興し、以後年々執行されるようになった神事も、戦争のため再び中絶しました。その後、1964年(昭和39年)から水稲稲荷神社で復興し、1979年(昭和54年)から毎年10月10日に執行されてきましたが、平成12年より体育の日に執行されています。

塀で流鏑馬の像が見えない 露天の先は石段が聳える 随神門の先は縁起物露天が並ぶ  

・随神門
入口の石段を上ると、参道の両側には露店が並び、鳥居を潜ると急な石段が聳えています。石段を登ると朱色に輝いた、1998年竣工の随神門で、1945年(昭和20年)5月の東京大空襲で炎上し50年ぶりに再建したのです。門の中には右大臣と左大臣が鎮座しています。
随神門は、「清水組」の創業者である清水喜助が、1848年(嘉永元年)4月に穴八幡神社からご下命を受けて建築したもので、その出来栄えは当時、江戸中の評判になったと云われています。

・布袋像の水鉢
門を潜ると、両側には露天が軒を連ね、縁起物の銀杏細工、まねき猫、だるま屋さんに白南天橋と七味唐辛子屋さんなどの古くからの常連の店が出ております。お土産に、銀杏細工の干支の「とり」と「いのしし」を買って帰りました。
その露天の間の右側に、区指定有形文化財の「布袋像の水鉢」があり、区切りなく参詣者が布袋像を手でさすり、体の具合の悪いところの快復を祈願していました。

                      縁起物露天

区教育委員会の布袋像の水鉢説明
新宿区指定有形文化財  工芸品                                        
1649年(慶安2年)の紀年銘がある水鉢で、 同年家光が江戸城吹上御苑にあったものを穴八幡神社へ奉納したと伝えられている。布袋像は、左足を立てて水鉢を脇にかかえ、容姿は中国近世の弥勒像に類似し、作柄も優れている。他に類例のない特異な形をしており、また、布袋像の古様を示すものとして貴重である。 平成4年8月

  布袋像の水鉢            穴八幡宮本殿    随神門には左・右大臣が鎮座   
 
・本殿
戦災で焼失して、慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿を復興した本殿に参拝しました。
祭神は、八幡宮を守護神とし、應神天皇、仲哀天皇、神功皇后が祀られております。
商売繁盛・金融業繁盛・金銀融通・勝馬券祈願・除災招福、虫封じの御利益があります。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第11回その2)

2008年01月07日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008

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大森町駅ホーム上付近の高架化工事の概況
昨年の10月に、大森町駅ホーム上に工事機械を据え付けて、高架橋の仮設工事を行うことの通知ポスターが掲示(再掲)され、工事機械が品川よりホーム上の北端部に据え付け設置(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第10回)」参照)されました。

 写真:高架橋の建設もじょじょに進展し大森町駅上の工事機械も京急蒲田方向に移動が進む

工事機械は、2台が1組となり高架橋の工事施工分担を、それぞれ担いながら建設が進められています。

 写真:2台1組の工事機械が協調して高架橋建設を進める模様を俯瞰して見る

大森町駅付近の高架化工事の現況は、京急蒲田駅付近連続立体交差事業第1工区として、工事略図に示す様に、「マルエツ」際の平和島第5踏切りの南方側から高架橋の建設が始められ、現在は踏切に接した場所の第1高架橋部(仮称 工事図①)と、高架橋柱の一間隔分を隔てた大森町駅寄りの第2高架橋部(仮称 工事図②)までの建設が終了して、両高架橋間連絡の橋も掛けられています。

 写真:高架化橋建設も進展して第1と第2架橋部が完成し架橋部間の接続橋も架設される

・工事機械の移設と工事
これに伴い、2台の工事機械が京急蒲田駅方向に移動し、先行行程分担の2号工事機械は、大森町駅上に当初据え付けられた場所から10数m南方向に移設(工事略図参照)しました。
高架橋の建設工事は、主として終電の後の始発までの深夜に行われますので、その模様は殆ど見られません。

 写真:夜間工事が主体であるが日中の工事も見られる

昨年の12月の2日と9日に、大森町駅上に据え付けられた工事機械での作業が日中にまで及び、それぞれ1日間囲いで囲まれておりましたので、9日の下り側の状況を撮影しておきました。工事の内容は不明ですが、第4高架橋部(仮称 工事図④)の支柱を建てるための基礎工事のように思われます。

 写真:工事は高架橋支柱の基礎工事の準備が始まる

・今後の工事による車両通行止めと道路幅員減少
大森町駅付近の高架化工事のため、周辺の道路に車両通行止めや道路幅員の減少などの規制が行われています。
車両通行止の区間(地図参照)は、京浜急行本線の内川鉄橋西側に沿った道路で、内川から北方からルミエール大森までの区間が、新設橋脚の工事のため車両が通行止めとなります。
道路幅員減少の区間(地図参照)は、大森町駅付近第1工区工事の上りホーム北方の施工基地前の道路が、工事中は道路幅が減少されます。

 写真:高架化工事周辺の道路の通行が規制される

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第11回その1)

2008年01月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2008

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2007年末までの大森町駅付近高架化工事の概況
昨年の10月に、大森町駅ホーム上の平和島駅寄りの北端に工事機械が据え付けられ、駅ホーム上部の高架橋工事 (「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第10回)参照」) が始まり、年末には工事機械が京急蒲田駅寄りに移動しました。
また、大森町駅西口では、新たに券売機を設置し、旧券売機を除去して改札口通路が広くなりました。

大森町駅西口改札通路の拡幅
大戦による戦災後の1952年に営業を再開した大森町駅(「大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!(その5)」参照)は、唯一の構内踏切のある駅で、1998年に西口が設けられました。

 写真:2007年4月までは京急唯一の構内踏み切りがあった大森町駅(2007.4.21撮影)

この構内踏切は、高架化工事のため昨年4月に撤去され、東西出口の改札機はそれぞれ北方向に移設されました。これにより、上り線通勤客の流れが、大森町第1踏切と西口改札通路に集中して、混雑を極めました。
そこで、5月にホームの西側に臨時改札口が設置(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第3~6回)」参照)されましたが、混雑の解消にはなりませんでした。

 写真:高架化工事のため構内踏み切りが撤去される(2007.4.29撮影)

昨年6月には、高架橋工事のため線路を第一京浜国道側に約1.5m移設(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第6、7回)参照」)され、上りホームの幅が拡幅しました。これにより、駅西口建屋と上り線路の間に、1.5m幅のスペースができました。
上下線の線路の移設の済んだ8月に、大森町第1踏切内の通路の拡幅により、この踏切の混雑もやっと解消されました。

 写真左・中:高架化工事のため下り線路移設(2007.6.16撮影)、写真右:同上り線路移設(2007.7.6撮影)

11月には、駅西口建屋と線路間の空きスペース跡に券売機設備が新たに設置され、従来の券売機を撤去してスペースの確保ができました。

 写真:線路移設の空きスペース跡に券売機設備新たに設置される(2007.11.22撮影)

これにより、西口改札口への通路が拡幅されましたので、構内踏切の撤去による、上り線の通勤ラッシュの混雑がやっと収まりました。

 写真:新券売機設備により旧券売機設備が撤去され西口改札口通路が拡幅される(2007.12.21撮影)

京急高架化工事にかかる商店閉店
京急高架化工事と大森町商店街通り拡幅にかかる、大森町商店街の「ホケン堂」薬局が、暮れの12月31日をもって閉店(「大森町界隈の風景 大森町駅付近のゆく年の風景」参照)しました。
「ホケン堂」は、大森町駅東口正面の線路際で、50年の歴史を持って長い間お店を開いており、大森町に長年住む住民には馴染みの薬屋さんでお世話になりました。

 写真:50年間営業の「ホケン堂」が高架化工事で閉店(2007.12.31撮影)

鉄道の高架化は、多くの踏切が無くなり、かっては踏切であった沢山の閉鎖道路も復元して、交通の渋滞を解消し街の活性化をもたらしますが、反面、長年あったものが無くなることは淋しいもので、文化や歴史的な古き良きものが失われることは復元ができず、その損失はかなり大きいものです。最後は、改革に対して古き住民の失われる寂しさの愚痴と聞き流して下さい。

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大森町界隈の風景 大森町駅付近の正月年始風景

2008年01月03日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2008 箱根駅伝復路応援風景

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大森町近辺の初参りや正月年始風景と、恒例の新年イベントなどを回って見てきました。

初参り
毎年初参りは、家内安全と健康を祈願して、数か所の神社仏閣に参詣に行きます。特に大森町から近い、恵方で宗派が同じである神奈川県川崎市にある川崎大師には、毎年参拝しますが、3が日は混雑するのでずらして行きます。この他、神社仏閣詣りは、今まで参詣したことのない所にも、リクレーションを兼ねて出かけることにしております。
・氏神様初参り
元旦に、氏神様の諏訪神社(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社例祭」参照)に参詣してきました。
今年の元日は、風もほとんど無く温かい大みそかに恵まれて、紅白歌合戦が終わってから地元の氏神様に初参りと出かけました。神社に着くと、本殿神殿前には、参拝客が3列に整列して、年明けを待つ行列ができており、後尾に並んで参詣を待ちました。
初参りの行列は、増え続け境内の外の道路まで並びました。毎年の参詣者の話では、初参り客は、このところ年々増え続けており、今年はいつもの年より多いと言っておりました。
午前0時になると、神官が本殿の太鼓を鳴らして、初参りの開始です。

新年には、神社の鈴には色鮮やかな五色の「鈴の緒」が奉納されます。新しく綺麗な鈴の尾を振り、二礼二拍手一礼の参拝が済むと、参詣者には樽酒のお神酒か甘さけが振る舞われます。丁度、近所の方も参詣に見えられましたので、甘さけを一緒に頂き、お焚き火のそばで暖をとりながらご馳走になり、初参りですがすがしい気持ちで帰宅しました。


・穴守稲荷神社初参り
昨年、初めて3が日の後の1月7日に穴守稲荷神社を初参り(「風景・風物詩 初詣風物詩 穴守稲荷神社」参照)しましたが、訪れる参拝客がほとんど見当たらず、寂しい思いがしました。
明治・大正頃羽田空港にあった穴守稲荷は、参拝客が大変多く参道には沢山のお店が並び、今の江ノ島のように大繁盛していたと云われています。戦前の微かな想い出の穴守稲荷は、場所柄羽田の漁師町で、お土産屋や食べ物屋さんの店先にはサザエの貝殻が高く積まれており、新鮮な江戸前の魚貝類が名物の繁華街でした。

今年は、穴守稲荷神社に初めて3が日の1月2日の午後に初参りの参詣に出かけました。
京浜急行電鉄空港線の穴守稲荷駅を下車すると、かなりの乗客が下車して穴守稲荷の方向に向い、神社に着くと拝殿には参拝者が行列しており、露天も10数店軒を連ねて結構賑わっているお稲荷様を初詣りしてきました。


羽田空港でテイタイム
初参りの穴守稲荷の付近には、テイタイムを過ごす店が駅前に一軒しか無く、前回に寄った所なので今回は2駅先の羽田空港に足を延ばしてみました。
2日の午後の空港は、まだ帰省客も少なく混雑しておらず、ゆっくりとお茶を楽しみ、展望デッキで温かい日差しを浴びて、遠望の山々がはっきりと見えるなか、ジェット機の発着を見て楽しんできました。

      (写真拡大)             (写真拡大)

大森町は風物箱根駅伝で正月を迎える
2日午前8時に東京大手町をスタートした第84回箱根駅伝は、8時25分頃第一京浜国道(国道15号)の大森町駅付近城南信用金庫大森支店前を、一団となって通過して行きます。今年は、母校が予選落ちで出場できませんが、学連選抜に明大選手もランナーに入り奮闘しました。こうして、大森町では恒例の東京箱根間往復駅伝競走の選手を迎え、スタート直後の駆け引きの団子集団と、3日の復路の優勝校ランナーの雄姿と10位以内のシード権争いを見て、新たな年を迎えるのです。


箱根駅伝の往路は、早稲田大学主将の駒野が5区で6位でもらったタスキを、山登りで5人抜きして5時間33分8秒の成績で、往路の優勝を果たしました。また、予選落ちした大学のランナーでのチームの関東学連選抜も、実力を発揮して4位に食い込みました。


復路は、有力選手を温存した駒沢大学が、往路優勝の早大との1分14秒差を追い抜いて、11時間5分0秒の成績で総合優勝を飾りました。

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