K&A

kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その4)

2007年12月11日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2007 写真は環八通り先行立体交差高架橋

< 総合INDEX へ

環八通り先行立体交差高架化
京急蒲田駅付近連続立体交差事業は、複雑な立体化工事のため工事期間は平成27年の完工予定と長期にわたるため、先行して環八通りの本線上り線の立体交差高架化進めております。
環八と交差する仮立体交差高架橋は、京急蒲田第2踏切付近を始点とし、旧出村駅付近の京急蒲田第8踏切の南側までの約500mです。この高架橋の建設は、2007年の夏頃にはほぼ完成しており、本線上り線の移設が終了しましたので、2008年の春頃には線路を敷設し使用され予定です。これにより、環八通りの踏切は本線下り線の線路のみとなりますので、交通渋滞がかなり解消されます。

 環八通り先行立体交差高架橋蒲田側 左:第2踏切から見た先行高架橋終端付近(拡大)
 中:京急蒲田第4踏切付近の先行高架橋(拡大)、右:環八通り上の先行高架橋(拡大)


 環八通り先行立体交差高架橋横浜側 左:蒲田第5踏切横浜展望の先行高架橋(拡大) 
 中:蒲田第6踏切から見た先行高架橋(拡大)、右:第8踏切から見た先行高架橋(拡大)

京急蒲田第2踏切道
京急蒲田第2踏切は、旧上り3番線線路が廃線となり、同踏切を通る本線上下線の線路は移設により間隔が接近しました。その結果、踏切の横断距離は、12mから8mと狭くなり、12月8日から踏切道が変更されました。

 上り線移設前の第2踏切(拡大) 上り線移設後の第2踏切(拡大) 移設後の踏切道(拡大)

京急蒲田空港線第1踏切付近
京急蒲田空港線第1踏切付近に空港線用の本設橋脚が2本建てられたのは2004年8月で、この時はまだ空港線は、16m山側の旧1番線ホームから発着していて、ホームからカーブを切って橋脚の南側を通過して第一京浜国道を横切っていました。
2005年10月に空港線が、仮設空港線1番ホームに移設しての発着になると、ホームからのカーブは2本の橋脚の間を通過し、やや鋭角に第一京浜国道を横切るように変更されました。
2007年12月には、空港線上に高架橋建設の工事機械が出現しました。

 空港線第1踏切付近 左:ホームからカーブを切って橋脚の間を通過する空港線(拡大)
 中:第一京浜国道を鋭角に横切る空港線線路、右:空港線上に工事機械が出現(拡大)

公共地下通路
1965年11月に本線の8輌停車のホーム延伸工事が行われ前までの京急蒲田駅は、下りホー南端に駅舎があり改札出口でした。それより以前には、京急蒲田駅の出口前には、山側と連絡する京急蒲田第1踏切がありました。
京急蒲田第1踏切は、1995年7月に本線の12輌停車のホーム延伸工事が行われた際に、地下道で連絡するようになり、現在も使用されており高架工事が完了するまで残されることと思われます。

 京急蒲田第1踏切跡の公共地下道 左:公共地下道通路図(拡大)、中:公共地下道東口
 右:公共地下道西口

京急歴史:出村駅 (元出村駅跡の地図)
1923年京急が専用軌道に移設された時に、京急蒲田駅と雑色(ぞうしき)駅間の京急蒲田第7踏切に接して出村(でむら)駅が設けられました。
1936年に品川-上大岡間に急行電車の運転が始まり、普通列車の退避線が設けられ急行停車駅となり、デ93号新車の急行電車が夏には海水浴客を運んでいた時代がありました。
急行停車駅の出村駅は、その後の世界大戦の空襲で被災焼失し駅は休止となり、戦後の1949年に廃止となりました。

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲載Index へ)
カテゴリー別Index 京浜急行総目次
<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行高架化 京急蒲田駅仮上り線ホーム移設(第4回その3) へ



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大森町界隈あれこれ 京浜急行... | トップ | 風景・風物詩 江戸時代から続... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

大森町界隈あれこれ 京急関連」カテゴリの最新記事