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kan-haruの日記

イベント 日本カメラ博物館 展示古カメラを見て高校生で初めて手にした蛇腹式カメラを思い出す

2012年09月30日 | イベント
kan-haru blog 2012 日本カメラ博物館レリーフ  

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日本カメラ博物館
JCIIフォトサロンで、下岡蓮杖が150年前に写したダゲレオタイプで撮った古写真の展示を見てから、同日の9月2日に隣の日本カメラ博物館に展示のダゲレオタイプ・カメラを見たいと思い初めてのカメラ博物館で、日本のカメラの歴史を伝える沢山の名機と資料を観賞しました。
日本カメラ博物館(千代田区一番町25 JCII 一番町ビル)は、JCIIフォトサロンビルの隣の英国大使館に面したビルの地下1階にあります。階段を降りると、入り口の右側に古いスタジオカメラが展示してあり、カメラの反対側には椅子と首おさえなどを背置され昔の撮影風景が構成されています。

 日本カメラ博物館のエントランス(:日本カメラ博物館地下1階入り口、:階段を降りると日本カメラ博物館の玄関、:入り口前には古典のスタジオカメラが展示)

博物館の玄関を入ると、正面の壁には日本カメラ博物館のレリーフが表示されており、左側にはステレオ写真コーナーがあります。玄関の右に進むと、受付カンターで、博物館の入場料は一般が300円、中学生以下は無料で、開館時間は10時から17時までで月曜日が休館となっています。
博物館は1989年に開館し、展示フロアには世界で貴重なダゲレオタイプ・カメラの展示を始めとして、日本の歴史を辿るカメラが約300点の展示と、「ライカコレクション」、「スパイカメラコーナー」などの常設展示および、「江戸から明治へ のぞきからくりの世界」特別展が2012年7月10日から11月11日まで開催しており、博物館では国内外のカメラが約1万台収蔵されています。

 日本カメラ博物館フロアマップ

展示場のマル1では、これまで開催された特別展の図録が全て見られます。展示のマル2では、博物館が所蔵するカメラの検索ができます。マル3は体験コーナーで、実際にカメラに触れて楽しめます。マル4の展示コーナーでは、カメラのカットモデルや透けて見えるスケルトンモデルおよび、ジュース缶やステッキなどにカムフラージュされた珍しいカメラが展示してあり、さらにメーカーの新製品の展示コーナーもあります。マル5の展示コーナーは、皆様からご寄贈いただいたカメラが展示されています。パネルコーナーでは、カメラや写真の歴史をパネルで紹介してあります。マル6の展示コーナーは、ニコンSP復刻版など、ニコンの歴代の名機を展示してあります。

 日本カメラ博物館パンフレット

さて、マル7の展示コーナーは、博物館鑑賞の目玉のカメラの、ダゲレオタイプ・カメラが展示してあり、ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ(左)とビアンキ・ダゲレオタイプ・カメラ(右)写真(←ここをクリックで表示 日本カメラ博物館から)のジルー・ダゲレオタイプ・カメラは、世界で数台しか存在していない貴重なカメラです。

 ジルー・ダゲレオタイプ・カメラ(日本カメラ博物館から)

特別展エリアでは、「江戸から明治へ のぞきからくりの世界」を2012年7月10日~11月11日まで開催しております。江戸から明治が「のぞきからくり」のように、次々に新しい物事が展開する時代で、日本だけではなく世界全体の流れであり、その中心に位置したのがメディアの活躍であり、その背景には光学機器の発達が大きく貢献していました。江戸から明治。それは、時代そのものが「のぞきからくり」のように、次々に新しい物事が展開する時代でした。それは日本だけではなく世界全体の流れであり、その中心に位置したのがメディアの活躍であり、その背景には光学機器の発達が大きく貢献していました。(日本カメラ博物館から)

 「江戸から明治へ のぞきからくりの世界」(日本カメラ博物館から)
展示の上段左から
1. 天台遠眼鏡 (江戸期 日本 全長2.7m 江戸期の天体望遠鏡)
2. のぞきからくり (1850年頃 日本 美麗な朱塗り)
3. 自働写真鏡 (1910年頃 日本 立体写真ビューワー)
4. プラクシノスコープシアター (1879年 フランス 19世紀のパラパラ動画装置)
5. カメラ・オブスキュラ (1830年頃 製造国不詳 "カメラ"のルーツ)
6. メガレトスコープ (1862年 イタリア 大型イメージビューワー)
7. シネマトグラフ (1895年頃 フランス 最初期の映画機材)

・高校生で初めて手にした蛇腹式カメラ
日本カメラ博物館の古カメラを見て想いだしたのが、1952年(昭和27年)に高校を卒業して、会社に就職した時代の先輩、上司が持っているカメラは、殆どがリコーフレックス IV 二眼レフ量産カメラで誰しもが持っていました。私は高校3年に修学旅行があるので、せがんで手に入れたのが1947年10月発売のマミヤシックスIV型であったことを想いおこしました。
仕様は、120フィルム使用の、 距離計連動 6×6判カメラで、レンズは、Olympus Zuiko でF.C. 1:3.5 f=7.5cm、絞りは、3.5 4 5.6 8 11 16 22で絞り羽根10枚、シャッターは、 SEIKOSHA-RAPIDで、シャッタ-速度はB 1 2 5 10 25 50 100 250 500でした。

 マミヤシックスIV型カメラ

カメラを持ったので、嬉しくていろいろと撮影しましたが、フイルム代と、現像・焼き付け料金は、現在のデジタルカメラとは差があります。

 MAMIYA 6 撮影写真1953~1955年

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イベント 営業写真の開祖 1862(文久2)年に野毛に写真店を開いた下岡蓮杖の150年を遡る古写真展

2012年09月27日 | イベント
kan-haru blog 2012 ~150年を遡る幻の古写真~ 下岡蓮杖の世界」図録の表紙 「水道橋」 

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下岡蓮杖の世界
JCIIフォトサロンで、21回目の古写真シリーズ、「 ~150年を遡る幻の古写真~ 下岡蓮杖の世界」を2012年7月31日(火)から9月2日(日)まで開催し、天皇、皇后陛下が同展を訪れて観賞されたことと、150年前の古写真に興味がありましたので最終日に見に行きました。
JCIIフォトサロンは、日本カメラ博物館(千代田区一番町25番地 JCII 一番町ビル地下1階)の付属設備で、博物館の隣のJCII ビル1階にあり入場料は無料です。フォトサロンは、日本の写真文化の発展の歴史を、広く普及させることを目的に、さまざまな写真を多角的に展示するフォトサロンです。

 「下岡蓮杖の世界」展会場のJCIIフォトサロン(:日本カメラ博物館の手前のビルがJCIIフォトサロン、:JCIIビルのフォトサロン入口、:「下岡蓮杖の世界」展示会場入り口)

アクセスは、東京メトロ半蔵門線の半蔵門駅下車で、 4 番出入口より北方に進み、全国町村議員会館名先を右に曲がり、道なりに辿ると手前がJCIIフォトサロンのJCII ビルです。フォトサロンの先の日本カメラ博物館のJCII 一番町ビルの、突き当り道路の向かいは英国大使館で、周囲は非常に静かな環境の地域です。

 日本カメラ博物館・JCIIフォトサロン アクセス図

・展示写真(図録から)
1862年(文久2年)に蓮杖が横浜で営業写真館を開業してから、今年はちょうど150年目にあたる下岡蓮杖の世界の展示写真は、当時販売していた蓮杖撮影による日本の風景・風俗の写真に加え、蓮杖が晩年に描いた絵や手作りの香合など、画家や芸術家としての一面も垣間見ることができる作品を含めた、全約70点が展示してあります。展示写真にはフォトサロン所蔵の大変珍しい蓮杖撮影による江戸城周辺を写した六切大写真10点と、その後新たに入手した同種の写真8点を合わせて展示してありますが、これらは1945年(昭和20年)の東京大空襲で種板が焼失してしまい、現在国内で見ることのできる唯一のものであるそうです。

 桜田二重橋1871年(明治4年)、蓮池二重櫓1871年(明治4年)(下岡蓮杖の世界の図録から)

・下岡蓮杖(フォトサロンから)
蓮杖は、1823年(文政6年)伊豆下田で生まれ、江戸で画家を志し狩野派に学びました。ある時銀板写真に出会い、精巧な画像に魅せられて写真技術の習得を決意し、長年にわたり湿板写真技術を習得し、横浜で初の営業写真館を開業しました。写真館では、外国人相手に、肖像写真の撮影や日本の風景や風俗写真をお土産として販売して人気を呼び、大変繁盛したようです。蓮杖が撮影した写真は、幕末から明治初期のものばかりで、現在では大変貴重なものとなっています。

 赤坂門1871年(明治4年)、鍛冶橋門1871年(明治4年)、吹上門1871年(明治4年)、吹上御苑の滝見御茶屋1871年頃(明治4年頃)(下岡蓮杖の世界の図録から)

蓮杖撮影による六切大写真10枚は、2006年(平成18年)に入手したフランス製の写真帖の中に、黒地に白抜きでネガ番号と英語・カタカナ表記の地名が焼き込まれた大変貴重な写真であり、1871年(明治4年)に蓮杖の一番弟子である横山松三郎が明治政府より依頼された、荒廃しつつある江戸城の撮影に、蓮杖が同行して撮ったものであり、その後フォトサロンで同じ形態の写真8枚を新たに当館で入手することができたので、江戸城周辺の六切大写真の全18枚を展示しました。

 左上:日本の音楽(慶応2年~明治3年頃)、左中:商人のやり取り(慶応2年~明治3年頃)、左下:炎上する外国船1872年頃(明治5年頃)、右:鍾馗 掛軸1911年(明治44年) 八十九翁 蓮杖董古風眼筆(下岡蓮杖の世界の図録から)

・下岡蓮杖顕彰碑(馬車道)
その後、横浜に出てからアメリカ人写真家のウンシンと出会い、その助手からも写真術を習いました。ウンシンが横浜を離れる時にカメラや薬品を譲り受けたのを会に野毛に写真店を開きました。1862年(文久2年)弁天通りに場所を変え、日本で初めての写真館と言われる「相影楼」を開業しました。
下岡蓮杖の功績を記念して馬車道・弁天通に設置された円錐形の顕彰碑は1987(昭和62)年6月1日に馬車道商店街協同組合によりたてられました。円錐形の像の上部に、1839年フランスで発明された写真機「タゲレオタイプ」のオブジェが鎮座しています。
下岡蓮杖顕彰碑は、県立歴史博物館の筋向かいの馬車道スクエアビル前の横浜馬車道歩道上にあります。

 下岡蓮杖顕彰碑の建立場所

9月26日に、下岡蓮杖顕彰碑見に行きました。下岡蓮杖顕彰碑の横には、碑文が2010年6月1日、設置されました。

 下岡蓮杖顕彰碑と碑文(:下岡蓮杖顕彰碑、:下岡蓮杖顕彰碑の碑文)

碑文
「日本写真の開祖 写真師 下岡蓮杖(一八二三~一九一四) 伊豆下田に生まれる
 嘉永元年(一八四八)オランダから長崎へダゲレオタイプ一式が渡来した。
 弘化二年(一八四五頃)狩野派の青年絵師が、銀板写真に遭遇し、そして絵筆を折り捨て写真術修得の道へ歩み出した。この青年こそ、日本に写真師という職業を確立した日本写真の開祖 下岡蓮杖その人である。
 蓮杖は、来日の外国人から湿板写真の機材を入手し、筆舌に尽くしがたい辛苦の歳月を経て、文久二年(一八六二)野毛に初めての写真場を開業し、その後、弁天通りに進出し、慶応三年(一八六七)太田町五丁目角地に「富士山」と「全楽堂」「相影樓」の看板を掲げた写真館を開き大繁盛をした。
 数多くの門下生を育て、我が国に於ける写真技術の先覚者として近代文化の発展に貢献した。その業績に敬意を表し、文明開化の地、馬車道通りに写真師発祥一二五周年、日本写真の開祖
 写真師 下岡蓮杖顕彰碑を昭和六十二年(一九八七)建立をみたのである。
 顕彰碑 下岡蓮杖顕彰碑建立委員会
 碑 文 横浜市写真師会設立百周年記念実行委員会
   平成二十二年(二〇一〇)六月一日」

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編糀谷駅下り線高架ホーム(第1回)

2012年09月24日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 10月6日まで使用の2番線北側高架駅ホーム       

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糀谷駅高架ホーム
現在の糀谷駅の1番線地上ホームと2番線高架(北側)板張拡幅ホームの列車の運行形態は、変形な形式で運用されており、どちらのホームにも上り線と下り線の双方の列車が発着しています。これは、本線の上り線が先行して2階の高架橋を走行し、下り線が在来の地上を運行しているために、糀谷駅2階ホームの発着が上り線の品川方面行きと下り線の横浜方面発の羽田空港行きが走行し、同1階ホームには上り線の横浜方面行きと下り線の品川方面発の羽田空港行きが発着するためです。

 10月6日まで板張り拡幅で運用の2階北側高架ホーム(写真拡大0912)

この変形運行の改善は、10月21日の下り線高架化により解決します。その前に糀谷高架ホームの北側2番線ホームは、下り線高架ホームとして使用するために拡幅板張の撤去などの改装工事が行われ、南側の高架ホームを10月7日日曜日から20日まで暫定的に2番線ホームとして移設使用されます。そのため、現在の1番線地上ホームの階段とエレベータは閉鎖されて北側の2階高架ホームは使用を停止し、新2番線高架(南側)ホームの改札口は糀谷第1踏切道から出入りします。

 2階ホームと改札口の変更のお知らせ

・新高架(南側)ホーム工事
9月12日に南側2階新高架ホームを見ると、階段、上りエスカレータ、エレベータおよび待合室の工事囲いが外され、仕上げの作業が行われていました。糀谷高架駅は、他駅とは異なりエスカレータの取り付けが、上り用が西方に下り用が東方に別置しており、これはホーム幅が狭いためのようです。

 新高架(南側)ホームの階段と上りエスカレータ(:新高架(南側)ホームの階段と上りエスカレータ、:新高架ホームの階段、:新高架ホームの上りエスカレータ0912)

新高架ホームの上り用のエスカレータの東側には、エレベータが設置してあり、その東にはまだベンチが付けられていない待合室があります。また、エレベータの入り口の前には柵で囲ってあります。

 新高架(南側)ホームのエレベータと待合室(:新高架ホームのエレベータ、:新高架ホームの待合室0912)

待合室の東方には、東方から下りるエスカレータが取り付けられており、最終工事が進められています。

 高架ホームの下りエスカレータ(写真拡大0912)

同18日に見ると、新高架ホームには工事関係者の方が多数集まり、糀谷高架駅の見学会の様です。

 高架工事関係者が新高架ホームに集まる(左上中上右上左下中下右下写真拡大0918)

最終の糀谷高架駅舎の完成は、上下線の高架化が完了して、在来線の地上設備の撤去と整理が行われた後となります。ただ、糀谷駅の南側壁面部については、在来の地上線路が高架橋柱の外側に存在するため、駅舎の西側駅出入り口となる部分は、先行して築造されており、工事用の覆い膜が外されましたので、24日に見てきました。駅舎の壁面部は大型のガラス窓と化粧壁で、デパートの壁面の様でしゃれています。ガラス窓部の内側は、エレベータと下りエスカレータが見え、出入り口はシャッターが閉じていました。

 糀谷高架駅舎の南側壁面部(左上中上右上左下中下右下写真拡大0924)

10月7日から使用の新高架駅橋の仮改札口は、糀谷第1踏切際に用意されます。また、地上在来ホームの階段とエレベータは、閉鎖されます。

 10月7日に変更される糀谷駅の駅設備(:糀谷第1踏切から高架橋への改札口設置予定位置、:10月7日閉鎖予定の在来地上ホーム階段、:10月7日閉鎖予定の在来地上ホームエレベータ0924)

・下り線高架橋線路の切り替え工事
北側高架ホームが1番線下り線ホームに改造が完了し、10月21日の下り線の高架化移行時には、糀谷第1踏切ガードから東の傾斜高架橋上の下り線線路は、高架橋を降りたところで在来下り線の線路を切り離して、高架線路と接続替えの工事が行われます。これにより、これまで運行の2番線南側高架橋ホームは、上り線用となり羽田空港発の品川および横浜方面行きの列車が発着し、1番線北側高架橋ホームは、下り線用となり品川および横浜発の羽田空港行きの列車が発着します。

 10月21日に地上線路から高架橋線路への切り替え(写真拡大0924)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編雑色駅下り線高架ホーム(第1回)

2012年09月22日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 雑色駅在来下り線ホーム      

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雑色駅下り線高架架工事
前回の記述では、10月21日の下り線高架化に向けて雑色駅下り線高架ホーム上に階段、エレベータと待合室の設置工事の着手の模様を記述しました。
9月11日に見ると、上下エスカレータの設置個所は工事囲いで覆われており、下り線高架化後に取付工事に入る模様です。下り線高架ホーム上のエレベータと待合室は、工事囲いが外され進捗が進んでいますが、待合室にはまだベンチが取り付けられていません。

 雑色駅下りホームのエレベータと待合室(左上:下り線高架化にはエスカレータ設置は見送り、中上:下り線高架化時のホームはエレベータと待合室と階段のみ、右上左下:下りホームに設置のエレベータ、中下右下:下りホームに設置の待合室0911)

同日の下り線高架ホーム南の階段の取り付け工事は、工事囲いの大部分が外されましたが、ホーム上の階段囲いの手すりは枠のみで枠板は嵌められてなく、階段の手すりもまだ付いていない段階です。

 下りホームの階段は下り高架化を目指して突貫工事中(:待合室南の階段の設置工事、:下りホームの築造中の階段0911)

前回も記述しましたが在来下り線ホームは運用しながら、高架ホームへのエレベータと階段の設置工事を行っているため、工事でホームのスペースが塞がれ一部の乗車ホームの幅が大変と狭くなっています。ただ、下り線のため、朝の通勤ラッシュは上り線ほどの混雑ではないので、しのいでいる状態です。

 狭い乗車スペースを強いられている在来下り線ホームの運用しながらの工事(:高架橋柱の前は安全基線で後ろは工事囲いでスペースなし、:高架橋柱の後ろは大きな荷物は通れない、:下り線ホームは工事のため迷路の通路0911)

9月18日に下り線高架ホームを見ると、ホーム南の階段には手すりが取り付けられて工事が徐々に進捗している様です。

 高架化開通を目指して工事が進む下り高架ホーム(:下り高架ホームエレベータ、:手すりが付いて工事が進む下りホームの階段0918)

同11日16時頃には、下り線高架線路上を手押しの高所作業台を雑色駅の南方から作業員ともども移動して、蒲田駅方へ進んで行きました。この作業台にて、電力架線の整備作業を行ったものと思われます。高架化開通の整備には、電力線の他信号設備や通信設備の各種の作業が行われます。

 高所作業台を移動して電力架線の整備作業か(写真拡大0911)

・雑色第5ガード付近の下り線高架橋分岐線路
雑色第5ガード(六郷土手駅の南方のガード)付近から、仮上り線高架橋が分岐して区道に沿って走り、空いた旧上り線の線路上に仮下り線高架橋が築造されました。この、仮下り線高架橋の線路が、在来の下り線線路との結合分岐点は、雑色第5ガード付近となります。
10月21日の下り高架化開通により、下り高架橋線路と結合分岐点での在来線路と接続するための準備工事が進められ、9月18日には大勢の作業員の作業が見られました。

 雑色第5ガード付近の下り線高架分岐点の接続線路(左上:下り線高架分岐点の接続線路(上り高架線走行先頭車から見る)0912、中上:下り高架線線路の分岐合流点附近(下り在来線走行先頭車から見る)、右上:下り高架線の分岐合流点の南方附近(同左)、左下中下:下り線高架橋を望む(六郷土手駅ホームから見る)、右下:下り線高架分岐合流点の接続線路(上り高架線走行車後尾車窓から見る)0918)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編大森町駅下り線高架ホーム(第1回)

2012年09月20日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 下り線高架ホームのエレベータ     

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大森町駅下り線高架ホーム
大森町下り線高架駅ホームの工事は、10月21日の下り線高架化の開通を目指して仕上げの工事を進めています。前回の記述では、ホーム上ではエレベータと待合室の姿が見え、ホーム下では上下エスカレータの取り付け工事が行われていました。階段は、踊り場まではかなり以前に出来上がっていました。
9月9日に下り線高架ホームを見ると、エスカレータの南面部を除き工事囲いが外され階段、エレベータ、待合室とエスカレータの駅設備が姿を現しました。

 下り高架ホーム上の工事囲いが外されて駅設備が姿を現す(:下り高架ホーム上の工事囲が外され姿を見せた階段、:ホーム上の工事囲が外されエレべータと待合室が姿を現す、:ホーム上のエスカレータの工事囲いが外され姿を見せる0909)

同11日に下り線高架ホームの駅設備を見ると、階段の周囲には工事道具類は見当たらず、エレベータの前には工事済みの道具が置かれています。待合室のベンチの設置は、まだこれからです。エスカレータの南側工事囲いの中にはエスカレータ工事部品の残りが置かれているのでしょうか。

 下り高架ホームの駅設備を見る(左上:上り高架ホームから見た下り高架ホーム、中上:下り高架ホームの階段、右上:下り高架ホームのエレベータ、左下:下り高架ホームの待合室、中下:下り高架ホームのエスカレータ、右下:エスカレータの南面の工事囲いは残る0911)

同18日には階段とエスカレータでは、作業員が仕上げの作業をしており、同19日にはエスカレータの工事囲いが外されて、下り線高架ホーム上の駅設備の設置は完了したようです。

 下り高架駅ホーム上の駅設備は完成(:完成した階段の仕上作業、:エスカレータの仕上げ作業0918、:工事囲いがとれて完成の上り・下りエスカレータ0919)

・下り大森町駅高架下駅設備
同17日に下り線高架ホーム下の駅設備を見ると、階段、エレベータとエスカレータが備えられ、地上部の様子は見られませんが基礎工事を行っているようです。今後は、下り線高架化の開通に備えて、大森町駅下り線仮改札口が元の東口に復元されるものと思われます。

 高架ホーム下の駅設備(:下り高架ホーム下の階段とエレベータ、:下り高架ホーム下のエスカレータ0917、:在来地上下り線線路と仮下りホーム0918)

・下り線線路および電力線設備等の整備
下り線高架化に備えて、同5、11日にかけて大森町高架駅を中心として、下り線敷設線路の整備作業や、電力線電柱間隔に作業員を配して線路設備の整備作業が、重点的に進められているのが見受けられました。10月21日の下り線高架化に備えた作業が、この他通信線や信号線などのすべての高架線設備について行われています。

 軌道整備作業および保線作業(左上中上:大森町駅下りホーム北附近の軌道整備作業0905、右上左下:大森町駅南方の下り線軌道整備作業0911、中下右下:大森町駅北方の下り線電力線設備の整備作業0911)

・内川附近下り線高架橋分岐点
10月22日の下り線が高架化移行時の工事は、下り線高架橋の分岐接続点では、運行中の在来下り線線路と新下り線高架橋間に高さの差があります。そのため、高架化移設の工事は分岐点の先の旧来の下り線線路を設断し、接続部の低い旧高架橋部をジャッキアップして高さを調整し、新旧の接続線路を新下り線高架橋の方向に曲げながら下り線高架橋線路に結合します。線路の曲げ作業は、多数の作業員が一列に並び人海戦術でテコ棒により線路を押し曲げて処理を行い、しかも、作業時間は終電通過後から、始発列車運行前までの短時間で行います。

 新旧下り高架線路の結合分岐点(:新旧下り高架線路の結合分岐点(上り線走行車から)、:新旧下り高架線路の結合分岐点(下り線走行車から)、:新旧下り高架線路(下り線走行車から)0918)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編京急蒲田駅見学会(第1回その3)

2012年09月17日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012     

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下り線ホーム(2番線)
3階ホーム北端のホーム下に降りて直に軌道の道床面を見たので、次は3階ホーム南端の2番線ホームの方向に進みます。京急蒲田3階下りホームにも、2階ホームと同様に6輌編成の追い越し列車を停車する2番線の待避ホームがあり、本線上にはレール削正車が展示してありました。

 3階下りホームにも2階ホーム同様に待避ホームが築造(:3階ホームにも待避ホームが築造、:待避ホーム分岐線、:本線上にはレール削正車などを展示)

展示のレール削正車は展示の説明版によると、スペノ インターナショナル社製の型式LRR16M-25のもので、機能は列車の運行によって摩耗・変形したレールを削正することによって形状を復帰させる為の車両であり、レールを削正することで振動や騒音を軽減し、レールの延命の効果が得られると書かれてあります。

 追い越し線路上に展示のレール削正車(左上中上右上左下中下:追い越しホームから見たレール削正車、右下:レール削正車説明板)

レール削正車展示の後方には並んで工事作業車が展示されており、道路の走行用にタイヤを持ち、その内側にレール走行用の鉄輪が装備された工事用の作業車であり、終電後線路に入線する場合は踏切より入り、築造中の高架橋上の線路には工事ヤードなどからクレーンで吊りあげて入ります。工事用作業車には稼働可能な作業台の付いた高所作業車があり、電車架線の敷設工事などに使用され、展示中の作業車はこれにあたります。

 本線線路上で展示の工事用作業車(:本線線路上で展示の工事用作業車、:工事用高所作業車、:)

3階ホーム南部の2番線待避ホームの東(第1京浜国道)側には、板塀が建てられ高架工事の説明資料コーナーが設けられて、京浜急行電鉄本線、空港線の連続立体交差事業の関連資料が東京都、大田区および京浜急行電鉄の事業主体のコーナーで展示されていました。

 高架化工事の説明資料コーナー(:下り線高架化開通時の関連各駅の構内説明図コーナー、:高架化工事の大田区の説明資料コーナー、:各工区の高架工事状況の説明資料コーナー)

3階下り線ホームの南端部は、6輌編成停車の2番線待避ホーム部で、待避線路部の線路幅分が削られて築造されており、その部分の空港線側はホーム柵で閉鎖してあり、列車は停車不能となっています。ホームの最南端部は、ホーム幅は狭く絞られており、線路の敷設は右側が直線状の本線3番線路で、左側が空港線1番線路で3番線路と分岐結合しています。中央の待避線の2番線路は1番線空港線線路に分岐結合しています。

 3階下り線ホームの南端部(:ホーム南部の2番待避ホーム部東側の空港線線路とはホーム柵で遮断、:3階下り線ホーム最南端部(雑色方)、:3階下り線ホーム南端外部の分岐線路構成)

見学会の最後のコースは、3階下りホーム南部の2番線待避ホームからエスカレータで降りて、10月21日まで一般では入れない2階上りホーム南部の5番線待避ホームから、6番線ホームへ入線の上り本線列車を見学しました。

 2階上り線5番待避ホーム(写真拡大)

所定の見学を見終わり、2階ホームからコンコースを経て見学会場出口の受付で、見学会当選通知の葉書を出すと、記念に京急蒲田駅付近連続立体交差事業 上下線高架化記念乗車券と花のタネを頂けましたので、京急蒲田駅西口から乗車して帰宅しました。

 京急蒲田駅付近連続立体交差事業 上下線高架化記念乗車券(24-09.08発行)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編京急蒲田駅見学会(第1回その2)

2012年09月15日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 10月21日から無くなる第1京浜国道京急蒲田(空)第1踏切    

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3階下り線ホーム
コンコースから直通エスカレータ(駅構成図マル1参照)で3階下り線ホームへ登ると、空港線線路脇の空港方面行きと川崎方面行きの分岐線路の傍に出ます。ホームに出ると3階下り線ホームの構造は、2階上り線ホームの上に載せられているので、両ホームは全く同形の形状を採られています。しかし、3階の天井中央部には蒲鉾型の明り取り窓がホーム長の一杯に付けられており、また、高架駅橋の3階部の側壁部天窓が湾曲形に開いていますので、3階の下り線ホームでは日中には陽光で明るく照らされています。

 3階下り線の空港線側1番線ホーム(:3階直結エスカレータで登るとホームは空港線分岐線路脇、:1番空港線ホームの梅屋敷方から空港方を望む、:1番空港線ホームから外の景色を望む)

エスカレータで3階ホームに登り、ホームを北方の梅屋敷方向に進むと、階段・下りエスカレータ(駅構成図マル2参照)の手前に、人だかりのした京急蒲田駅運行イメージ模型展示のコーナーがあり、プラレールで京急蒲田高架駅と走行線路の模型を作製して電車を走らせ、蒲田高架駅周辺を走行するルートの説明模型が展示されていました。

 京急蒲田駅運行イメージ模型展示コーナー(写真拡大)

運行イメージ模型展示のコーナーの北方ホームには、階段・エスカレータ群(駅構成図マル2~3参照)が2階ホームとの通路となっています。

 3階下り線高架ホーム北方の階段とエスカレータ群(:階段と下りエスカレータ(駅構成図マル2参照)、:上下エスカレータ(駅構成図マル3参照)、:階段(駅構成図マル4参照))

10月21日の下り線高架化開通後の京急蒲田高架駅の構成は、京急蒲田駅構内図(2012年9月8日現在)に示すイメージの通りですが、現在時点の2階高架ホーム構内(←ここをクリック)の構成とは異なり、階段およびエスカレータの工事がさらに行われます。

 京急蒲田駅構内図(2012年9月8日現在)

ホームの階段(駅構成図マル4参照)の南側には、見学撮影コーナーがあり親子連の家族には人気で、子供の運転手姿の記念写真を撮影していました。

 階段(駅構成図マル4参照)付近のホーム風景(:見学撮影コーナー、:階段(駅構成図マル4参照)北側から3番線本線ホームの横浜方を見る)

3階ホームの北方先端には行列をしているのが見えたので、行って見ると見学会の目玉の一つのホーム下体験コーナーで、ホーム突端の階段を降りて線路構内からまじかに敷設線路を見学するもので、一定人数に区切って交代で構内に降りると普通には体験できない道床の線路に触れられます。

 ホーム下体験コーナー(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

ホーム下に降りてまじかに見る運用前の鉄道線路設備の大きなことに感嘆し、線路上を高速運転で走る列車を想うと鉄道マニアでなくても興奮を憶えます。

 ホーム下でまじかに触れる線路(写真拡大)

日常はホーム上から線路を何気なく眺めていますが、ホーム下から道床に敷設された線路を撮影できるロケーションは、開通前に開催される見学会以外では見られない貴重なものです。

 ホーム下の道床から見る敷設線路(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 下り線高架化工事編京急蒲田駅見学会(第1回その1)

2012年09月13日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2012 下り線3階京急蒲田ホームは地上約18メートルに敷設   

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京急蒲田駅見学会
京浜急行では、10月21日の下り線高架化に合わせ、京急蒲田駅3階下り線高架ホームの築造工事を進めており、同高架駅地上の東西連絡通路の上のコンコ―ス上に駅舎改札口の設置準備を進め、同コンコースから2階上り線ホームおよび3階下り線ホーム間の通路の階段、エスカレータおよびエレベータの取り付けが完了したのに合わせ、9月8日の午前10時から午後1時まで京急蒲田駅3階ホームの見学会が開催されました。
見学会の参加は、地元住民を主体に3千名を募集し、指定の葉書で8月6日までに応募して当選により見学ができます。応募して当たりましたので、当日午前11時半頃集合場所の京急蒲田駅西口から南の妙安寺横の京急工事場入り口に行きました。今回の見学会では、子供を連れた親子の家族もかなり見られました。

・見学会場(地上東西通路付近)
見学会場は、時間的にあまり混雑はしていませんでしたが、まず行列整理のロープに並び受付をして資料を貰います。受付が済み、蒲田駅高架下地上の東西通路付近を進むと、コンコースの鉄骨床がみえ、右側には軌道展示コーナーがあります。京急は広軌なので、まるで新幹線の軌道です。

 東西通路附近の見学会場(:見学会受付、:受付が済むとコンコース床鉄枠の下へと進む、:軌道展示コーナー)

コンコースの鉄骨床の南端部は、仮の支え台で受けてあり鉄骨は剥き出しのままで、まだ工事は継続の様です。コンコース鉄骨床の南端部では、椅子が並べられ京急高架工事のビデオ説明のコーナーで、映写時間は30分と書いてありましたが、ビデオコーナーは見るのをパスしました。

 コンコース床鉄骨南端は仮支え台にて固定してあり工事は未完状態(写真拡大)

ビデオコーナーの北側は、東西連絡通路で通路の南側にはコンコースへのエレベータが設置されており、通路の北側には階段と上下方向のエスカレータが設置されています。この連絡通路の床は、タイル模様の床材が敷かれています。

 東西連絡通路からコンコースへの階段、エスカレータとエレベータ(:通路の南側に設置のコンコースエレベータ、:通路北側に設置の階段と上下エスカレータ、:子供連れに人気の京急運転車)

・コンコース駅舎
エレベータまたはエスカレータでコンコースへあがると京急蒲田駅の駅舎で、左手には券売機が並び中央には改札機が設置されます(見学日には実機未設置)。コンコースから駅出口へは、階段、エスカレータまたはエレベータで降りて東西連絡通路を通り、京浜国道または京急蒲田西口方面に出ます。

 京急蒲田駅のコンコースの駅舎(:コンコースから地上に降りる出口、:改札口の左側には発券機が並ぶ、:コンコースを進むと正面が改札口)

改札所の改札機の脇には出札所があり、出札掛員が詰めています。また、改札所の中には自動精算機が設置(見学日には実機未設置)されています。ホームへの通路は、2階ホーム行き(左側)と3階ホーム行き(右側)のエスカレータで登るか、エレベータで指定階ホームへ登り降りします。

 改札所には出札所があり自動精算機が設置され、改札内からホームへはエスカレータとエレベータで昇る(:改札所には出札所があり、出札駅員が詰めます、:改札所内からホームへのエスカレータで昇る、:ホームへ昇り降りのエレベータ)

見学コースの右側のエスカレータで登ると、左側に上り線2階ホームを見ながら通過して、下り線3階ホームに着きます。3階ホームは、品川-横浜方面を結ぶ本線の3番線ホームと、羽田空港につながる空港線の分岐点の1番線ホームとなります。また、待避が可能な2番線ホームを持ち6両編成の電車が停車でき、本線には12両編成が停車でき、ホームの延長は京急線最長の389メートルあります。

 右側エスカレータで登ると下り3階ホームに着く(:見学コースは右側エスカレータで登ります、:エスカレータは2階上りホームを左側に見ながら通過、:エスカレータで登ると下り線3階ホームです)

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イベント 「電車道」~日本の路面電車今昔~ 日本全国のさまざまな都市を走っていた路面電車写真展

2012年09月10日 | イベント
kan-haru blog 2012 諸河久写真展 

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キヤノンギャラリー Sタワー(港区港南2-16-6)で、諸河久写真展「電車道」~日本の路面電車今昔(いまむかし)が7月5日から8月9日まで開催されましたので、8月6日に見に行きました。

 キヤノンギャラリー S タワーへのアクセス

現在、東京都内を走行中の路面電車は、昨年都営交通が100周年記念を迎えて23年10月1日に花電車を走らせた都電荒川線(三ノ輪橋~早稲田12.2 km)(「イベント 都営交通100周年 荒川電車営業所で記念イベント開催と33年ぶりの「花電車」運転 その1~3」参照)と、東急電鉄の世田谷線(三軒茶屋~下高井戸5.0km)のみとなりました。

 東急電鉄玉川線(1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~)

1938年(昭和13年)に千住から大森に移転する前までは、父は千住から乗り継いで品川まで東京市電に乗って大森の会社に通勤していました。1943年(昭和18年)に都制が施行され、東京市電は東京都電となり、この頃の都電の営業キロは、約200kmで40系統が運行されていました。その頃何回か父の用事に付いて行き、有楽町周辺で乗車した記録があり初めての都電との出会いです。住居が大森であり都心に出る場合には京急電鉄で品川に出て、JRの山手線または京浜東北線に乗り換えて行くため、都電にはほとんど縁がありませんでした。
ところが、中学の2、3年生の1947年の頃社会科の授業で、上野の博物館へ2日間連続して出かける授業があり、コースは品川から集合の上野まで都電を往復利用することになり、図らずも1系統の都電に2往復乗車する機会がありました。都電は遅いとの概念がありましたが、当時は自動車の時代ではなく道路は空いており、思った以上に時間がかからずに到着し、途中の風景は都心の中心部の銀座通りや日本橋などのデパート概などの繁華街を始め、神田、須田町や秋葉原の電気街を通過する景色に感動して、路面電車にすっかり魅せられました。

 品川駅前~上野駅間(1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~)

しかし、大森から都心に出るときは、都電の乗換えに不慣れであるので、相変わらずに品川でJRに乗り換えて目的地に向かいました。目的地でJR駅を下車すると、駅前にはどこでも都電が走っています。
1955年(昭和30年)の大学時代には、校舎から目の先の駿河台下、小川町の靖国通りや、お茶の水の外堀通りには都電が何時も見られ、都電の1日の利用者数が174万人を越え、東京の交通の中心を担っていました。

 お茶の水付近(1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~)

1962年(昭和37年)には、都電の近代化が進み集電器もそれまでのポールからビューゲルになりました。就職の会社は、目黒から乗換で通っていましたが、乗換駅の目黒駅前には都電の車庫がありました。

 目黒(1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~)

丁度、都電のメッカ・銀座で育たれた諸河久さんが、鉄道写真を撮り始めたのは自宅付近を走っていた「都電」であり、それから「路面電車ファン」を自認して、カメラを携えて各地の路面電車を探訪し、1968年10月、未踏だった福井鉄道・軌道線を最後に全国路面電車撮影の旅を終えて写した、モノクロ作品を中心に約90点がキヤノンギャラリー Sで、7月5日~8月9日の日曜日・祝日を除く10時~17時30分に写真展が開催されました。

 諸河久写真展の展示会場外壁面の路面電車写真

7月26日に見に行きましたが、着いた時間が17時30分近くのため会場を一回りして、著書の「私鉄の車両18京浜急行電鉄」(著者:飯島巌、花沢政美、諸河久、発行所:ネコ・パブリッシング、印刷所:大日本印刷、発行日:2002年7月1日初版)を購入し書籍にサインを頂きました。

 購入図書に著者サインを頂く

会場の写真の観賞は、改めて8月6日に見に行きました。その際、同写真展で展示の作品が、かなり掲載している著書の「1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~」(著者:諸河久、発行所:リプロアルテ、発売:メディアオパル、発行日:2011年5月1日初版)が品切れのため、Webで取り寄せて入手しました。

 1960年代 路面電車散歩路~日本の電車道 東京オリンピックの頃~

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イベント ピアノコンサート2012 異業種交流会メンバーのホテル・メトロポリタンでのピアノ演奏会

2012年09月07日 | イベント
kan-haru blog 2012 ピアノコンサート ホテルメトロポリタン         

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ピアノコンサート2012
H11異業種交流会メンバーのシュナイダー京子さんが、2年に一度の成果発表のピアノ演奏会が、8月17日に池袋のホテル メトロポリタン3階光の間で開催されるとのご案内が、同メンバーのTさんから届きましたので行ってきました。

 ホテル メトロポリタン地図

会場に入ると、前方の左に演奏のピアノが置かれており、その手前がピアノコンサートを鑑賞される方の座席で、席は既に満席です。

 観客席

聴衆席の右側と後方には、大型の丸テーブルがセットしてあり、H11異業種交流会の観賞者も集まりましたので、記念写真を撮ってから後方の丸テーブルに着席してピアノ演奏を鑑賞しました。

 ピアノコンサート2012プログラム

ピアノの発表演奏者と演奏曲は表に示す通りです。演奏の最年少者は、小学2年生のお嬢さんですが、演奏会のご挨拶も行い会場を明るい雰囲気にしていました。

 ピアノコンサート演奏曲名 

シュナイダーさんの演奏の順番は7番目です。佐藤章子先生からの紹介があり、2年間の成果を示す演奏で、曲名はランゲ作曲の「花の歌」です。

 シュナイダーさんの演奏(左:佐藤章子先生の紹介、右:演奏曲名は「花の歌」)

ドイツの作曲家、グスタフ・ランゲ(1830-1889)。400曲以上の作品を生み出し、その殆どが、サロンで弾くようなピアノの小品ですが、優雅な音楽が多く、とても人気があります。「花の歌」は、年代を問わずとても人気のある曲です。

 シュナイダーさんの演奏(:2年の成果の演奏、:花束贈呈)

横浜FCのゴールキーパー
コンサートの演奏が終了すると、丸テーブルに軽食が出され、飲食をしながら色々な会話が交わされ和気合いあいに歓談が弾みました。

 シュナイダーご夫妻とH11メンバー(:シュナイダーご夫妻、:H11異業種交流会のメンバー)

シュナイダーさんのご家族には、ご子息がプロサッカーの選手で、横浜FCのゴールキーパーで大活躍しています。そこで、話題はサッカーに移りました。
現在、横浜FCがJ1に昇格するのには上位2位になることが条件で、J1昇格プレーオフに出場するには、順位を6位以内に入る必要があります。9月2日現在、横浜FCは9位であり選手全員が6位以内の成績を目指しています。そのため、シュナイダーさんは、横浜FCの応援に数多くの試合を見に行っておられます。シュナイダー 潤之介選手の尊敬する人は、お父さんです。H11異業種交流会のメンバーの皆さんには、横浜FCがJ1へ行けるように応援しましょう。

 シュナイダーご夫妻とH11異業種交流会のメンバー(写真拡大)

シュナイダー 潤之介選手のぺ-ジ(←ここをクリック)

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大森町界隈あれこれ 区民とつくる地場演劇の会 朗読会「戦争と震災で失われたまち」

2012年09月04日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2012    
      
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今年も、区民とつくる地場演劇の会のメンバーで知り合いのFさんから、大田区民プラザで8月12日に朗読を行うとのご案内を頂きましたので、東急多摩川線下丸子に見に行きました。

 朗読案内状

昨年は、会場は大田区民ホールアプリコ展示室と会場が異なりましたが、同様に朗読、講演と大田平和のための戦争資料展(「大森町界隈あれこれ 戦争の記憶風化を憂う 第32回大田平和のための戦争資料展」参照)が開催されましたので、2年続けて見に行きました。
区民とつくる地場演劇の会とは、大田区の文化振興協会の目にとまり支援を受け、江角英明(えすみ えいめい)氏が書いた、地元に伝わる歴史にかかわる芝居台本を基に、1990年に行われた旗揚げ公演活動からスタートした、年齢も個性も幅広い地元の集団で、メンバーのFさんは町会の付き合いの永い方です。過去に、Fさんのご案内で、2007年に大田文化の森での第18回公演(「大森町界隈あれこれ イベント 地場演劇公演『山わろ~呑川へきたかっぱのこと~』」参照)と、2009年12月の大田区民プラザでの20周年公演「蒲田太平記 羽田たいへん記うたかた二十年」を観劇させて頂いております。

朗読
・東北地方太平洋沖地震
今年の朗読は、展示会場の隣の小ホールで、14時から区民とつくる地場演劇の会の出演では、朗読の『失われたまち―蒲田、そして福島』が上演されました。
朗読の内容は、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震を端緒として、東京電力の福島第一原子力発電所で発生した水素爆発など一連の原子力事故で、福島第一原発から半径20 km圏内は「警戒区域」として立入が禁止となり、放射能汚染で福島県浪江町、双葉町、大熊町などでは、10万人を超える被災者が避難などで無人となった大災害を受けて、復興のめどはたたない「失われたまち」となりました。

 福島第1原発避難区域

また、東北地方太平洋沖地震によって極めて大きな津波が発生して、最高遡上高は岩手県大船渡市綾里湾で確認された40メートルであり、10メートルを越える痕跡高は南北約530キロが確認されており、岩手県、宮城県、福島県の3県の津波による犠牲者は、全1.8万人に及ぶ死者・行方不明者の9割以上となっています。
政府では、福島第一原発事故の対処方針として、避難を解除した福島県双葉郡周辺の12市町村を、2年後に除染して上下水道、道路などの生活インフラを復興させ、5年後に常磐自動車道やJR常磐線などを復旧させる計画であるので、これからも5年間は生活の無いまちです。
福島の朗読は、大切な人の命や暮らし、そして故郷を一瞬にして失うということの残酷さを想い起して、皆に伝えて行くことを亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りして捧げられました。

 朗読公演風景1

一方、国の有識者会議では8月29日に、東海、東南海、南海地震などが同時発生するマグニチュード(M)9級の「南海トラフ巨大地震」被害想定などを公表し、それによると在宅者の多い冬の深夜に発生し、東海地方の被害が大きい場合には、死者数は最大で32万3千人となり、そのうち津波による死者は全体の7割の23万人に達すると推定されています。
この死者数は東日本大震災の死者・行方不明者の17倍です。
なお、防災対策による効果も発表され、それによれば深夜に発生した地震の10分後に7割の人が避難を始め、津波避難ビルに逃げ込めれば、津波による死者数は最大で8割減らせるとしています。

・関東大震災
1923年(大正12年)9月1日11時58分に、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源としてマグニチュード7.9の大正関東地震が発生して、神奈川県を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、死亡、行方不明者は10万5千人とされています。
東京都慰霊堂のある横網町公園(墨田区横網)は、陸軍被服廠があったところで東京市が買収し公園として整備し始めた最中で、関東大震災が発生した時には周辺の下町一帯から多くの人が、この造成中の公園を絶好の避難場所とみなして集まってきましたが、地震で発生した火災による熱風が人々を襲い、避難の際に持ち出した家財道具に火が移り、さらに巨大な火災旋風が発生し、人はおろか荷物や馬車までも巻き上げ、炎の中に飲み込んでいきました。その結果、横網町公園に避難した人だけで3万8000人が犠牲になり、遭難死者約5万8000人の遺骨を納める納骨堂(三重塔)や慰霊堂が建てられ、翌1931年には関東大震災の惨劇とそこからの復興を後世に伝えるため、復興記念館が完成しました。

 朗読公演風景3

・東京大空襲
第二次世界大戦の、特に1945年の3月9日夜、アメリカ軍編隊が325機ものB-29爆撃機が出撃し首都圏上空に飛来し、3月10日の東京大空襲では325機の出撃機のうち279機が第一目標である東京市街地への爆撃を開始し、深川地区へ初弾が投下されたのを皮切りに、城東地区にも爆撃が行われ、次いで浅草地区や芝地区に対する爆撃も開始されました。爆撃による火災の煙は高度1万5000mの成層圏にまで達し、秒速100m以上という竜巻並みの暴風が吹き荒れました。この空襲の爆撃のために各B-29には通常の約2倍の搭載量である高性能焼夷弾が搭載されており、爆弾の投下弾量は38万1300発の1783トンにものぼりました。

 大田平和のための戦争資料展風景(写真拡大)

この空襲(「イベント 東京大空襲資料展 64年前の3月10日は無差別爆撃で浅草、本所、深川の下町が大惨禍」参照)では、冬型の気圧配置と強い季節風によって火勢が煽られ延焼が助長され、規模の大きい飛び火も多発し、特に城東地区や江戸川区で焼失区域が拡大する要因となり、これらの地域では焦土と化し、当時の警視庁の調査での被害数は死亡:8万3793人、被災者:100万8005人、被災家屋:26万8358戸とありますが、民間団体や新聞社の調査では死亡・行方不明者は10万人以上と言われています。
横網町公園をはじめ、多くの公園に犠牲者が仮埋葬されており、その後第二次世界大戦で身元不明の遺骨などを公園にある納骨堂を拡張し「震災記念堂」に合祀されることになり、そして1951年に「東京都慰霊堂」と改称されました。

 大田平和のための戦争資料展展示品(:戦中・戦後の懐かしい生活道具、:大東亜戦争時の教科書、:大戦中の各種資料展示)

・蒲田空襲
4月15日には大森・蒲田地区を中心とした城南地域が空襲・機銃掃射を受け死傷者4004人、約22万戸もの家屋が焼失しました。

 朗読公演風景2

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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 9月INDEX

2012年09月01日 | INDEX

kan-haru blog 2012 9月1日49版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

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  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の12年8月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版2009年後期版2010年前期版2010年前Ⅱ期版2010年中期版2010年後期版2011年前期版2011年後期版2012年前期版2012年後期版
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版 
 ■ 大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の夏のイベント(2012年7・8月号) 8月7日
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや
 ■ 大森町界隈あれこれ 梅ちゃん先生時代の大森学園 終戦翌年に旧制中学の入学を迎えた混乱期の学び舎時代(3) 8月4日

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 関連側道高架化 全工区下り線工事2012年後期版高架化全工区下り線工事2012年前期版高架化全工区下り線工事2011年後期版高架化全工区下り線工事2011年前期版高架化全工区下り線工事2010年版全工区統合2009年版全工区統合2010年版、大森町付近工区:2006・2007年版2008年版2009年版梅屋敷付近工区、京急蒲田付近工区:2006~2008年版2009年版雑色付近工区糀谷付近工区
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その1) 8月9日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その2) 8月12日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その3) 8月14日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その4) 8月16日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その5) 8月20日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その6) 8月23日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その7) 8月26日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その8) 8月29日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第31回その9) 8月31日

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2012年版 
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版
26 ITと技術 総目次
◇ 2006~2011年版2012年版
27 Weblog 総目次

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