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kan-haruの日記

イベント 歌舞伎座観劇 第二回秀山祭九月大歌舞伎夜の部

2007年09月21日 | イベント
kan-haru blog 2007

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母校明大の恒例の歌舞伎観劇会の催しがあり、今年も9月9日に第二回秀山祭九月大歌舞伎の夜の部を見てきました。観劇会は、お弁当が付いて一般料金より若干お安く鑑賞でき、イヤホンガイドの使用料も割引となります。

齧り付きの席の観劇
座席は、抽選で決まりますが、今年は大当たりで一階の一番前の中央の1-19と20が当たり、いわゆる齧り付きの席で、なかなか普通では入手が困難な特等席でした。


昨年は、生憎と花道が見えない席でしたので、ブログ(「イベント(5) 歌舞伎座観劇 秀山祭九月大歌舞伎夜の部」参照)に今年はと願いをこめたのですが、それが何と、今回の出し物の「阿古屋琴責」では、玉三郎の琴、三味線、胡弓の独奏と唄が眼前で鑑賞できるとは思ってもおりませんでした。

     花道から見た齧り付きの席       齧り付きの席から見た舞台の目線 

玉三郎の演じる拷問代わりの演奏場面は、三曲の楽器を弾き語りながら景清に対する深い思慕の描写を演じる役どころの場面で、演奏の楽器と唄の声が直接生のまま届き、心情細やかな表現を演出しながらの名演技を、齧り付きの席から鑑賞をすることができて大いに感激し堪能できました。特に、歌舞伎での日本独自の胡弓演奏を初めて聞きましたが、玉三郎の名演奏で胡弓独特の哀調ある音と、西洋楽器のバイオリン演奏の様に弓を自在に操っての変化のある日本伝統の弦楽奏は初めてであり、何ともいえない魅力を感じ心底惹きつけられました。

第二回秀山祭
秀山は、初代中村吉右衛門の俳名で、昨秋生誕百二十年を記念して第一回の「秀山祭九月大歌舞伎」が上演されました。今年は、特に年紀とは関係なく、初代吉右衛門が9月に命日を迎え53年になり、第一回秀山祭の評判が良かったので、初代ゆかりの演目を揃えて第二回が開催されました。

夜の部演目
夜の部の公演は午後四時半からの開演で、出し物は初代吉右衛門が得意とした加藤清正物から秀山十種の「二条城の清正」と、坂東玉三郎の「壇浦兜軍規」に新古演劇十種の「身替座禅」が演じられました。

                     夜の部演目(拡大)

・壇浦兜軍規
壇浦兜軍規は、作者が文耕堂、長谷川千四で1732年(享保17年)に大阪・竹本座で初演された、全五段の時代浄瑠璃です。歌舞伎では、同じ年に移され上演されました。
壇浦兜軍規(阿古屋)のあらすじは、五条坂の遊女阿古屋(玉三郎)が、平家滅亡の後姿をくらまして源頼朝の命を狙う、平家の悪七兵衛景清に愛と命を捧げた源平もので、阿古やに景清の行方を尋問しているが何もしらないと言い張るので、裁きを執り行うため堀川御所に連れてこらえました。

堀川御所では、代官の智仁溢れる秩父庄司次郎重忠(吉右衛門)と、助役の私心を挟む人物の岩永左衛門致連(段四郎)が出御する。
当代吉右衛門が初役で勤める重忠は典型的な白塗りの生締めの捌き役で、一方の岩永左衛門は眉毛が仕掛けで動くように作られた赤面で、二人の人形遣いによる人形振りで滑稽な役どころを演じ、せりふは浄瑠璃が語ります。眉毛を吊り上げる演技では、観客の爆笑が沸きました。
重忠の郎党の榛沢六郎(染五郎)が、裁く阿古屋を連れてきたことを言上します。

やがて、この作品の最初の見所の捕手達に囲まれて、五条坂随一の遊女の風格を見せて、豪華絢爛な刺繍の衣装でのきらびやかな花道登場の場面は圧巻でした。
景清の行方を白状させようと、重忠は阿古屋を諭すが、景清の行方を知っていればすぐ白状していると言い、知らないことが信じて貰えないのであれば、いっそ殺してくれと身を投げ出す場面で袖を広げる姿の美しさは素晴らしいものでした。

そこで、重忠は拷問にかけて見極めようと、眼目の場面で責め道具の琴、三味線、胡弓が運ばれ、演奏するようにと命じます。
ここからは、初の阿古屋は歌舞伎を見ているよりも音楽劇の演奏といった錯覚で鑑賞し、鮮烈な印象を受けました。

       責め道具の琴、三味線、胡弓の演奏場面(ホームページから出典)

まず、最初は琴で、蕗組の唱歌を舞台下手の長唄と合奏し、景清との馴れ初めとその別れを唄います。玉三郎の唄は、心情を演じながらの美しい声で、平成9年の初演以来7回を重ね誠に素晴らしいものでした。

次いで三味線では、班女の故事を唄い、景清との逢瀬は人目を忍ぶもので、その別れも僅かに一言交わすだけであったと、長唄との合奏で唄います。
胡弓の演奏では、望月の一節を用いて景清との縁のはかなさを訴えます。今まで、日本古来の胡弓の演奏には縁が無く、江戸時代初期に三味線を小型に改造した胡弓は、弓を弾いて弦を鳴らす楽器なので、バイオリンと同様な変化のある演奏ができ、幻想的な音色が奏でられることが玉三郎の演奏により初めて聴かせて頂ました。

重忠は、一糸乱れず演奏した阿古屋には、言葉に嘘がないと情けある裁きを下し、阿古屋は感謝しながら堀川御所を後にしました。

・身替座禅
新古演劇十種の身替座禅は、岡村柿紅の鷺流の狂言を題材にした処女作です。1910年(明治43年)に下谷二長町の市村座で初演されたポピュラーな演題で、これまで数多く公演されております。あらすじは、右京(団十郎)が玉の井(左団次)を言い含めて、太郎冠者(染五郎)に身代わりの座禅をさせ花子のもとへ向かい、一夜の楽しみから戻ると身代わりが露見して、玉の井が座禅を被り待ち受けており、追い回されて幕になります。
身替座禅は、これで二度目の鑑賞になりますが、間近でみる右京と玉の井の演技の立会いは、大変迫力がありました。

・二条城の清正
秀山十種二条城の清正は、初代吉右衛門の懇望により小説家の吉田絃二郎の書き下ろしたもので、1933年(昭和8年)に東京劇場で初演されました。
二条城の清正は、二幕三場で当代の吉右衛門の加藤清正役で上演されます。第一幕清正の館では、病を患いながら命を賭けて秀頼を守ろうとする清正の姿を見せ、第二幕第一場の二条城大広間では、策略をめぐらせる徳川家康(左団次)、本多佐渡守(段四郎)主従と秀頼(福助)を必死に守ろうとする清正との腹の探りあいが見所です。第二幕第二場の淀川御座船の上では、清正が秀頼を狙う徳川の手の者を防ぎながら御座船で淀川をくだり、病中を押しての忠勤に感謝する主従の間柄を越えた結びつきを見せる場面であり、清正が秀頼の幼少期を述懐し、秀頼が爺と慕うやり取りの随一の見せ場を最前列で感激して鑑賞させて頂きました。

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1 コメント

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豊島さん、コメントの投稿有難うございます (kan-haru)
2015-10-15 15:45:03
Kan-Haruブログにコメントの投稿有難うございます。
Kan-Haruブログは、2006年3月6日に投稿を開始して以来9年を経過し、
今日現在2,452件の記事をアップして、アクセス数が22万7千人、閲覧数が
77万8千に達しております。

コメントの関係の阿古屋は、2007年9月9日に母校の観劇会の観賞したもの
で、座席は抽選ですが一階の一番前の中央の1-19と20の席で、玉三郎の琴、
三味線、胡弓の独奏と唄が眼前の面と向かって見られ感激しました。それをブ
ログにアップしたのが、2007年09月21日付けブログ“イベント 歌舞伎座観
劇 第二回秀山祭九月大歌舞伎夜の部”
http://blog.goo.ne.jp/hkanda_1933/e/ebb564a2d072da8afbfa8d17f07fe61f
です。

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神田 晴喜
e-mail : kandah@goo.jp
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