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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第23回)

2009年07月31日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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梅屋敷高架駅橋建設
・梅屋敷ホーム上の高架駅橋築造
前回記述時には梅屋敷高架駅橋ホームの築造が開始され、大森町第4踏切北の高架橋から梅屋敷商店街通り(第4踏切道)ガードを跨ぎ、ホーム上の1面高架橋と連結橋までの間にホーム土台枠の骨組が構築されました。
7月17日に見るとホーム土台枠の骨組の組立てが、高架駅橋の南端部の2面手前までの間に構築され、工事の囲い枠が付けられました。

 梅屋敷高架駅ホーム築造(写真拡大0717撮影)

同28日に見ると、ホーム土台枠の骨組組立て工事の追加で、土台枠が高架駅橋南端部にまで達しました。

 ホーム土台枠骨組の延長構築(写真拡大0728撮影)

ホーム土台枠骨組の最南端部は、前回記述時に架設済みの梅屋敷第1踏切道上のPC橋桁ガードの中間付近までさらに延長され、ガードの橋桁の側面に土台枠骨組が追加されました。

 ホーム土台枠骨組の南端は第1踏切ガード中間(写真拡大0728撮影)

7月30日に見ると、京急蒲田駅寄りの高架駅橋2面目の階段取付け口に、南方向に登る階段の骨格の骨組みが上下線ホームの踊り場との間に付けられました。エスカレータの取付けは、踊り場から品川方向に上下する構造の様で、取付け口は塞がれていました。

 梅屋敷高架駅階段の構築(写真拡大0728撮影)

大森町第3、第4踏切間の高架橋築造
前回記述時には、大森町第3踏切から第4踏切までの高架橋の築造と連結橋の架設は完了しており、第3踏切にはPC橋桁ガードの架設工事が行われていました。
7月17日に見ると第3踏切ガードの架設が終了し、大森町第3踏切を夜間通行止めにしてガードの仕上げの工事が行われました。なお、第3、第4踏切間の高架橋工事の進捗状況は、第1京浜国道側の面には大半の個所に外壁塀が取付けられていましたが、西面の区道側では外壁塀はまだ付けられていません。

 第3-4踏切間の高架橋築造工事(:第3踏切ガードの最終工事0715撮影、:第3-4踏切間の高架橋の最終工事0728撮影)

大森町第3踏切北から第2工区北端までの高架橋築造
前回記述時には、大森町第3踏切北の1面高架橋の北方に3面高架橋が築造中で、この高架橋間では連結橋の架設は終了していました。
第1工区と第2工区3面高架橋間の連結橋は架設は、7月15日には終了しています。同28日に見ると、この第2工区際の3面高架橋とその南方の3面高架橋間の連結橋は、まだ未架設の状態です。

 第2工区北端から第3踏切までの高架橋築造(:0715撮影、:0728撮影)

梅屋敷第1~第4踏切間の高架橋工事
梅屋敷第1-2踏切間の高架橋の築造は終了しており、3階傾斜高架橋部には外壁塀が取付けられていますが、2階部高架橋の外壁塀はまだ部分的な取付け状態です。
同第2-3踏切間の高架橋の築造も完了しており、2、3階部の高架橋には部分的な個所を除いて、殆どに外壁塀が取付けられています。
同第3-4踏切間の高架橋の築造は、第3踏切付近の一部の高架橋を除いてもっとも早く完成しており、2、3階部の高架橋には外壁塀が取付けられています。

 第1-4踏切間の高架橋(:第1-2踏切間高架橋、:0715撮影、:0728撮影)

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(7月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2009年中Ⅱ期版2009年中期版2009年前期版2008年後期版2008年中期版2008年前期版2006・2007年版
・サブ・カテゴリー別Index 京浜急行の高架化 大森町付近工区2009年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2006・2007年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2009年版京急蒲田付近工区2006~2008年版雑色付近工区糀谷付近工区 へ
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第36回その2)

2009年07月29日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 大森町第1踏切以南の高架橋築造7月28日撮影

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第1工区踏切道架橋工事
・大森町第1踏切道架橋
大森町第1踏切道(大森町商店街通り)のPC架橋ガードの架設は6月7日に完了しており、7月に入るとガード上の道床の工事が行われていました。
7月15日には大森町駅商店街ガードには側面壁塀が付けられ、24日には外側工事の覆いは取外されました。

 工事が完了した大森町駅商店街ガード([0715撮影]・[0724撮影]写真拡大)

・平和島第5踏切道架橋
平和島第5踏切道のガード架設は5月には完了し、6月に入るとガード上の工事が行われていました。7月7日に見ると平和島第5踏切道を夜間交通止めにしてガードの最終工事が行われ、側面壁塀が付けられていました。

 工事が完成の平和島第5踏切道ガード(:工事中の第5踏切道ガード0707撮影、:工事完了の第5踏切道ガード0729撮影)

内川橋梁南岸部高架仮線敷設工事
・平和島第5踏切北部の上り仮線高架橋築造
前回記述時点では内川南岸部の上り高架仮線高架橋(上り高架仮線敷設部説明図参照)は、高架橋築造と連結橋の架設が終了して、工事の足場が取外されました。
7月7日に見ると築造された仮線高架橋や連結橋には、本高架橋に設置されたものとは異なる、仮敷設用の側面壁塀が付けられていました。

 築造が終わった内川南岸部の上り高架仮線高架橋(:内川から南の仮線高架橋を望む、:完成の仮線高架橋KG20、:完成の仮線高架橋SRC1 0707撮影)

28日現在では、同第5踏切北部の高架橋北面の仮線高架橋分岐個所の側面部には、側面壁塀が付けられておりません。

 平和島第5踏切北高架橋と仮線高架橋の接点部(:平和島第5踏切から上り仮線高架橋を望む、:側面壁塀が付けられていない第5踏切北高架橋の仮線分岐箇所0728撮影)

内川橋梁北岸部高架仮線敷設工事
前回記述時点では内川北岸部の上り高架仮線高架橋(上り高架仮線敷設部説明図参照)の築造は、高架橋(G8)から高架橋(G13)までの区道面側を工事布で覆って上り仮線高架橋の工事が行われていました。
7月28日に見ると、高架橋(G8)から高架橋(G13)を覆っていた工事布が取外され、仮線高架橋用の側面壁塀が付けられて、内川橋梁北岸部高架仮線橋の敷設は完了しました。

 完成した上り線仮高架橋(:上り仮線高架橋G8付近、:上り仮線高架橋G8~G10付近、:上り仮線高架橋G11~G13付近0728撮影)

同29日に完成した内川橋梁北岸部高架仮線橋を車窓から見ると、コンクリート製枕木が置かれ、線路置き台上に線路が置かれていました。

 車窓から見た上り仮線高架橋上(写真拡大0729撮影)

大森町第1踏切以南の高架橋築造
前回記述時点では大森町第1踏切以南の高架橋(大森町第1踏切以南高架橋の工事説明図参照)の築造は、この間の最後の高架橋(R15)の築造が行われていました。
7月4日に見ると、大森町第1踏切道ガード架設の高架橋(SRC11)に側面壁塀が付けられ、7日には、3面高架橋(R15)にはスラブが付けられ、高架橋(R12)と高架橋(R13)間の連結橋架設工事が行われていました。

 大森町第1踏切以南の高架橋築造の追込み工事1([0704撮影]、[0707撮影]写真拡大)

7月14日に見ると第1工区境界の高架橋(R17)とその北方の連結橋には側面壁塀が付けられていました。17日には高架橋(R15)と高架橋(R16)間の連結橋架設工事が始められていました。24日に見ると、大森町第1踏切南の高架橋(SRC11)から高架橋(R12)までの2橋の高架橋と連結橋には側面壁塀が付けられていました。

 大森町第1踏切以南の高架橋築造の追込み工事2([0715撮影]・[0717撮影]・[0724撮影]写真拡大)

・工区境界連結橋架設
第1工区と第2工区高架橋間の連結橋は、7月17日にはPC桁橋の架設が完了し、コンクリート打ちの工事が行われていました。

 工区間高架橋の連結橋架設([0717撮影]、・[0728撮影]写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第36回その1)

2009年07月27日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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大森町駅構内高架橋の工事
・高架橋のホーム駅舎建設
第1工区高架橋のホーム駅舎建設はホームの北方から築造が行われ、前回の記述時にはホーム駅舎棟の骨格骨組みの組立てが北方1面と3面高架橋の上で行われていました。
7月1日に見ると、大森町駅ホーム上の北側から2橋目の3面高架橋上で、ホーム駅舎棟の組み立て工事が行われており、組立て駅棟の東側壁面の4面幅には工事用覆いが掛けらました。また、3面目までの組み立てが済んだ駅舎棟屋根の骨格部には、クロスの補強棒鋼材が張られました。
高架駅橋の5面目駅舎棟には、工事覆いが掛けられていないので、高架ホーム面のレイアウトが見られ、3面高架橋部の2面目ではホーム階段の据え付け部のスペースが、また3面目ではエレベータの取り付けの場所が分かります。

 ホーム駅舎棟の組み立てが進む1(:壁面に覆いをかけて構築中の駅舎棟、:上りホームのエレベータ据え付けスペース穴が見える、:上りホームの階段設置のスペース穴が見える0701撮影)

南側3面高架橋の北第1面には、エスカレータの取付けスペースが設けられており、取付け幅から見ると昇り・降りのエスカレータが付くようです。同4日に見ると、高架橋5面目の駅舎棟屋根の骨組みが組まれて、工事用覆いが掛けられました。大森町駅西側のえびすヤードの外から、高架橋4、5面目の上り側駅舎棟の壁面の骨格の構造が見られます。

 ホーム駅舎棟の組み立てが進む2(:上下ホームにエスカレータの取り付け部が見える0701撮影、:5面目までの駅舎棟屋根骨格の組み立てが進む、:えびすヤード側から見た上り駅舎棟壁面0704撮影)

7月7日に見ると駅舎棟築造工事のため、エスカレータの取付け部の穴は臨時的に塞がれました。同12日に見ると大森町高架駅南端部に駅舎柱1本が建てられ、屋根桁梁が付けられました。14日には高架駅南端駅舎棟の骨格の組立てが始められました。

 ホーム駅舎棟の組み立てが進む3(:駅舎棟築造のためエスカレータ据付け穴が塞がれる0707撮影、:大森町高架駅南端に駅舎柱と屋根桁梁が建つ0712撮影、:駅ホーム南端の駅棟骨格の組み立てが進む0714撮影)
 
7月14日に見ると北方5面幅分の高架駅橋の屋根桁梁にはクロス補強棒鋼材が付けられました。同16日に見ると2基のクレーンのフル稼働により、大森町高架駅橋舎棟の全ての屋根桁梁が繋がりました。24日には、全ての屋根桁梁にはクロス補強棒鋼材が取付けられました。

 ホーム駅舎棟の組み立てが進む4(:5面の駅舎棟屋根骨格にクロス補強棒鋼材が付く0714撮影、:2基のクレーンが稼働して駅棟の屋根桁梁が繋がる0716撮影、:全ての屋根桁梁にはクロスに補強棒鋼材が付く0724撮影)

24日には、えびすヤードの外から高架駅橋駅舎棟を見ると、駅舎壁に窓枠が付けられそこには丸窓の枠が嵌められており、大森町高架駅の外観がクローズアップしてきました。なお、大森町駅の駅舎棟の築造は、他工区で建設の骨組みとは異なり白色塗装の骨材を使用しているので、建設途上から美しい駅舎棟の組み上がりが見られます。大森町駅上下線ホームの壁には、大きな大森町駅完成予想図の広告ポスター(Top写真)が、2枚ずつ張られています。

 ホーム駅舎棟の組み立てが進む5(:駅舎棟側壁に丸窓の窓枠が付く、:大森町高架駅橋舎棟の骨格組立て完了0724撮影)

大森町駅北部高架橋の線路敷設工事 
前回記述時には、平和島第5踏切南側高架橋から大森町駅ホーム北端部の高架橋間に、枕木を並べてバラストの敷設が完了していました。
7月9日に見ると上り側の敷設用の線路が運搬されていました。15日に見ると運搬された線路を枕木に固着の作業を、高架橋の南側から始められていました。

 北方高架橋上の線路敷設作業1(:枕木が並びバラストの敷設終了0704撮影、:運搬された敷設線路0709撮影、:運搬レールの敷設作業が始まる0715撮影)

7月17日に見ると上り側線路の枕木固着作業が終了し、同24日には下り側線路も枕木固着作業が終了していました。

 北方高架橋上の線路敷設作業2(:上り線線路敷設終了0717撮影、:下り線線路敷設終了0724撮影) 

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kan-haru日記 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2009年中期版

2009年07月27日 | INDEX
kan-haru blog 2009 7月27日171版

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< 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 カテゴリー別総目次 2008年前期版 へ
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  大森町界隈あれこれ 京浜急行関連 カテゴリー総目次 2009年中期版



2006年 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX参照 (ここをクリックして下さい)



2007年 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX参照 (ここをクリックして下さい)



2008年前期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 1~6月参照 (ここをクリックして下さい)



2008年中期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 7~9月参照 (ここをクリックして下さい)



2008年後期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 10~12月参照 (ここをクリックして下さい)



2009年前期 大森町界隈あれこれ 京浜急行 INDEX 1~4月参照 (ここをクリックして下さい)



143 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第20回その1) 4月24日
144 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第20回その2) 4月26日
145 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第33回速報) 4月29日
146 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第20回その1) 5月3日
147 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第20回その2) 5月5日
148 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第20回その3) 5月7日
149 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第15回) 5月11日
150 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第11回) 5月17日
151 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第34回その1) 5月23日
152 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第34回その2) 5月25日
153 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第34回その3) 5月27日
154 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第21回) 5月31日
155 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第21回その1) 6月6日
156 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第21回その2) 6月8日
157 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第21回その3) 6月10日
158 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第16回その1) 6月14日
159 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第16回その2) 6月16日
160 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第12回) 6月22日
161 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第35回その1) 6月26日
162 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 大森町駅付近(第35回その2) 6月28日
163 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 梅屋敷駅付近(第22回) 6月30日
164 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第22回その1) 7月5日
165 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第22回その2) 7月7日
166 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第22回その3) 7月9日
167 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第17回その1) 7月14日
168 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第17回その2) 7月16日
169 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第13回) 7月20日

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イベント 朝顔市の入谷と竜泉界隈 普茶料理で異業種交流会H11メトロの暑気払い(その2)

2009年07月25日 | イベント
kan-haru blog 2009 普茶料理梵の玄関 

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竜泉寺町しるべ
竜泉寺(台東区竜泉2-17-15 その1地図⑤)は、真言宗智山派で創建は大変古く、1596~1623 年(慶長から元和の頃)にさかのぼり、この付近一帯は早くから竜泉寺村と呼ばれていました。1679年(延宝7年) の頃、竜泉寺村内の吉原から金杉への抜け道筋に民家が建ち始め、町並ができ竜泉寺町と呼ぶようになりました。
1869年(明治2年)に竜泉寺町は下谷竜泉町と改称され、その後の明治24年には竜泉寺村、千束村および三ノ輪村の一部を合わせて下谷竜泉寺町となり、1891年(明治44年)には町名から下谷を外して元の竜泉寺町となりました。
戦後の1947年(昭和22年)に東京35区が23の特別区となり、浅草区と下谷区が一緒の台東区に変わり、竜泉寺町は竜泉寺一~三丁目となりました。

普茶料理 梵
普茶料理 梵(ぼん)( 台東区竜泉1-2-11 その1地図A)は、竜泉寺の住宅街に佇む純和風建ての料理屋です。梵は、1959年(昭和34年)に現在の店主のお母さんが、竜泉寺町67番地(現在地)に精進(普茶)料理屋を開業して現在に至っています。
玄関を入ると中央の通路脇にはお部屋があり、そこを奥まで通り突き当たりの左側が今夜の精進料理を頂くお座敷です。お部屋は個室のお座敷部屋が8室あり、2名から40名が入れます。


・普茶料理
普茶料理とは、梵のホームページによると、江戸時代の初期に中国から伝来された精進料理の一つです。精進とは仏道を完成する精神修養の根幹をなすものです。禅僧によって中国から伝えられた精進料理には二つの流れがあり、一つは曹洞宗の開祖・道元が鎌倉時代の初期に留学先の中国から持ち帰った「永平寺流」精進料理で、料理することも頂戴することも修業のひとつの形であるとするもので、食事礼法は茶懐石の原型です。
二つ目の「普茶料理」は、黄檗宗に伝わる「中国風」精進料理で、 江戸時代初期に京都の宇治に萬福寺を開いた明の帰化僧・隠元禅師が伝えたもので、飲食平等の趣旨を持ち、食そのものを楽しみます。
普茶とは、普く衆に茶を供する意味があり、茶礼のあと飲食平等の精神のもとに明風の食礼様式で開かれる席の料理が普茶とよばれています。 

・梵の文月普茶料理
7月の普茶料理(梵ホームページから)は、文月の旬の素材を使った有機野菜を中心に、夏を乗り越える身体にやさしい献立で、梵独自の料理方法で調理した菜食料理です。料理の特徴は、豆腐、ごま油を多用し、食用の野草から花まで、あらゆる野菜を用い、 材料の持ち味を十分に生かして調理をします。
コース料理は、運ばれた料理の一品毎に説明が付きます。桜香煎茶で落雁を頂き食前酒の梅酒で茶礼です。
小菜(シャオピン 前菜)がお膳のお品書きの下に置かれています。チーズの様な添え物が、大皿に乗せられて廻ってきますので、一人ずつ取り皿に移して隣に回します。役員の挨拶の乾杯で、平成21年の暑気はらいの開始です。


先ず料理は、澄子(シャンツ 吸物)、箏羹(シュンカン 盛合せ)が運ばれてきます。お品書きに書かれていない料理も出てきます。箏羹は、竹の子を中心とした季節の野菜乾物等の煮付料理です。


次に、雲片(ウンペン 吉野煮)や素汁(ソジュウ 味噌汁)などが次々に運ばれてきます。雲片は、野菜を単冊に切り、油煎りして葛煮にした料理です。


各人が思い思いに、ビール、日本酒、焼酎水割りなどで食が進むと、麻腐(マフ 胡麻豆腐)、油茲(ユシ 揚物)と擬製料理がでてきます。油茲は、野菜の味付け天麩羅で、人参を束ねた揚げ物はまるで海老の天麩羅に見えます。擬製料理は、精進材料で魚や肉の擬製品を作る料理です。


最後に、香の物でご飯を頂き水果(スイカ 果物)のデザートです。各人は、普茶料理に満足して、お土産に梵の鈴を貰ってこれから夜の朝顔まつりの散策です。

夜の入谷の朝顔まつり
肉や魚を使用しない、野菜だけの普茶料理でも満腹です。梵を21時少し前に出て、竜泉から入谷までの移動は、食こなしには絶好の距離です。人影のない、竜泉町の裏通りを入谷交差点の言問通りの真源寺(入谷鬼子母神)(台東区下谷1-12-16 その1地図①)に来ると、通り南面の朝顔市露店と北面の縁日露店は人出で一杯です。

 入谷朝顔まつり1(写真)

真源寺に入り鬼子母神をお参りして、朝顔市露店を眺めました。何時もは、朝方に来ておりましたが、夜の朝顔市の雰囲気は少し異なる感じを受けました(「風景・風物誌 夏の風物詩 入谷の朝顔市2008」参照)。食後の散策を終え、メトロの入谷駅から9時半頃帰宅の道につきました。

 入谷朝顔まつり2(写真)
 
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イベント 朝顔市の入谷と竜泉界隈 普茶料理で異業種交流会H11メトロの暑気払い(その1)

2009年07月23日 | イベント
kan-haru blog 2009 鷲神社鳥居 

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H11メトロの暑気払い
異業種交流会H11メトロは、地方独立行政法人東京都立産業技術研究センターが異業種交流事業として募集した、東京都異業種交流会グループの中の平成11年に発足したグループの一つで、毎月例会を開催しており7月には暑気払いを行っており、2008年にはほおずき市の浅草中清で開きました(「イベント 浅草ほおずき市の中清 ゆかた着にての異業種交流会H11メトロの暑気払い」参照)。

・普茶料理での暑気払いと朝顔市散策
今年のH11メトロの暑気払いは、7月7日に入谷の朝顔市に近い竜泉の普茶料理 梵で行いました。朝顔市は入谷の朝顔まつりと言われ毎年7月の6~8日の3日間開催され、入谷鬼子母神(地図①)を中心とした言問通りに朝顔業者の露店が120軒も並び、40万人の人が出て今年は61年目を迎えます。梵での普茶料理を満喫してから、夜の朝顔まつりを散策しました。朝顔市には何回も行っていますが、夜の朝顔まつりは初めてです(「風景・風物誌 夏の風物詩 入谷の朝顔市2008」参照)。

 平成21年朝顔まつりポスター

竜泉界隈
普茶料理 梵(台東区竜泉1-2-11 地図A)のある竜泉は、JR鶯谷駅から言問通りに出て浅草方面に進み、入谷交差点を左折して昭和通りを三ノ輪方面に向かい、2つ目の信号を右折して国際通りの1つ手前の路地を左折して2軒目です。この当たりは北浅草界隈の竜泉1丁目で、突き当たりには西徳寺が見え、国際通りを渡るとお酉さまでお馴染みの長國寺と鷲神社があり、その先には、はるか昔には高塀で囲まれた吉原遊郭のあとです。
この竜泉界隈には、歴史的旧跡が散在している場所柄でありますので、普茶料理を戴く前に、軽く梵の周辺を限って辿ってみました。

 竜泉界隈地図(地図拡大図)

・樋口一葉の旧居跡碑
一時期現在の竜泉1丁目に住居したことのある、5千円札の肖像画に登場の樋口一葉(1872~1896)の代表作の「たけくらべ」は、この旧竜泉寺町を舞台として書き上げた代表昨です。一葉は裕福な家庭に育ちましたが、17歳で父を亡くし母と妹を養うために小説家を志しましたが、生活が成り立たずに、龍泉寺町で荒物・雑貨と駄菓子を売る店を始めました。名作の「たけくらべ」は、龍泉寺町での生活体験がなければ生まれなかったのではないかともいわれています。
一葉の文学業績を永く後世に遺すために、1949年(昭和24年)に戦災で失われた「一葉記念碑」を再建し、1960年(昭和35年)に一葉の旧居跡(竜泉3-15-2 地図⑥)に「一葉旧居跡碑」を建立しました。また、1961年(昭和36年)には、地元住民の熱意に応えて一葉記念館が建設されました。

 樋口一葉肖像画の5千円札

・お酉様の鷲神社と長國寺
梵の先の国際通りの鷲神社前交差点を渡り北に進むと右側に長國寺の山門があり、国際通りを南に進むと鷲神社の鳥居があります。
[長國寺]
鷲妙見大菩薩(鷲大明神)を祀る現在地の長國寺(台東区千束3-19-6 地図③)は、1771年(明和8年)に千葉の大本山鷲山寺から長國寺へ迎え移し祀られ、妙見堂、鷲大明神の社(やしろ)、鷲の宮とも呼ばれるようになりました。鷲妙見大菩薩は江戸庶民より「おとりさま」と呼び親しまれ、長國寺も浅草田圃「酉の寺」の名で親しまれて、この頃から江戸浅草の酉の市は一段と賑わいを増してきました。
1686年(明治初年)の神仏分離令により、長國寺は境内を含め寺と鷲神社とに分割されました。長國寺は関東大震災と大空襲で罹災して、山門が平成2年に、新本堂が平成4年に落慶して、江戸の文化としての「酉の市」を開帳しています。

 国際通りを挟んで見える長國寺山門と西徳寺山門

[鷲神社]
鷲神社(台東区千束3-18-7 地図②)は天日鷲命(あめのひわしのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)をお祀りした神社です。
江戸時代は社号を鷲大明神社と称しており、酉の日・酉の祭、下谷田甫鷲大明神社が賑うことで、社伝では1832年(今天保壬辰)より凡そ六十余年以前よりの事とあり、1750~60 年(宝暦・明和年間)にはすでに酉の祭は相当に賑わい、それ以前から年中行事として行われていたとあります。ちなみに、鷲神社の鳥居には天保十年辰亥九月銘が記されています。
江戸時代から鷲神社は、「鳥の社(とりのやしろ)」、また「御鳥(おとり)」といわれており、明治時代に改名の鷲神社は「おとりさま」と一般に親しまれ崇敬を集めています。

 お酉さまで親しまれている鷲神社

・鷲神社境内の樋口一葉の碑
鷲神社境内には、樋口一葉歿後百年と平成癸酉五年の酉年を記念し、若くして逝った一葉の文才を称え、その事跡を永く伝えんと神社ゆかりの文学碑、玉梓乃碑を建立しました。
[樋口一葉文学碑]『たけくらべ』十四章冒頭の、「此年三の酉まで有りて……」の一節と、木村荘八筆の祭礼の場面の画が刻まれています。
[樋口一葉玉梓乃碑]一葉が、師の半井桃水に宛てた手紙の一節が、一葉の直筆のものと、読みやすく記術したものとで刻まれています。
[建碑の由来]玉梓乃碑の横に、一葉文学碑と玉梓乃碑の建碑由来を記した副碑があり、鷲神社宮司河野英男の記名と平成五年十月の日付がしるされています。

 鷲神社の樋口一葉文学碑(:樋口一葉文学碑、:樋口一葉玉梓乃碑、:建碑の由来)

子規と其角の句碑
鷲神社には、一葉の文学碑に並んで子規と其角の句碑が建立されています。
[子規句碑]句碑には、「雑閙や熊手押あふ酉の市」の句が書かれ、台東区俳句人連盟の手により平成12年2月建立されました。
[其角句碑]句碑には、「春をまつことのはじめや酉の市」の句が書かれています。

 鷲宮神社境内の句碑(:子規句碑、:其角句碑)

・大音寺
大音寺(台東区竜泉1-21-17 地図③)は、本尊阿弥陀如来を祀り、1718年(享保3年)火災で一切を失う。草創年代開基等は不詳で、享保10年森誉によって中興したが、その後の火災や戦災で九尺の木製彩色寝釈迦像を失った。1959年(昭和34年)に現堂宇が建立された。
一葉のたけくらべの書き出しの、「・・大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申しき・・」と大音寺が登場しています。
また、大音寺は古典落語の「悋気の火の玉」にも登場し、「火の玉と火の玉が大音寺の前のところで、カチーンとぶつかって、火花を散らす・・・・・という騒動になった」という話です。

たけくらべ
樋口一葉の「たけくらべ」の様な著作権切れの作品を収集・公開しているインターネット上の電子図書館の青空文庫からダウンロードして、対価なしで読むことができます。
青空文庫の利用方法は、「インターネットの電子図書館、青空文庫へようこそ。」(←ここをクリック)にアクセスして、作家別または作品別のインデックスからダウンロードができます。
また、kan-haru日記の次の青空文庫を読んで見るを参照してください。

・青空文庫を読んで見る参考ブログ
ITと技術 新技術ソフトで6千冊の青空文庫HTML図書を新電子本で読んでみる(1)
ITと技術 新技術ソフトで6千冊の青空文庫HTML図書を新電子本で読んでみる(2)


 青空文庫から「たけくらべ」HTML文で読む一部抜粋 

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 糀谷駅付近(第13回)

2009年07月20日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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駅構内高架橋築造工事
・高架駅橋築造
糀谷高架駅橋の築造は、仮上り化高架工事と最終高架駅橋形体工事の2本建てで工事が進められています。
仮上り線高架化工事は、京急本線上り線高架橋の京急蒲田高架駅橋2階部の運用線路に乗り入れする仮線の高架化工事で、羽田空港から品川都心方面への運行線と、京急川崎から羽田空港への乗り入れ運行線のための仮高架橋の築造が行われます。
仮上りの高架線路は糀谷高架駅橋工事説明図に示す様に、高架橋の南側の上り線路を運行し、乗降ホームは下り線路上に仮設され、最終高架駅橋の下りホームを超えて渡り、在来下り線ホーム上で使用していた旧跨線橋の階段を使用して昇降し中央改札から入退場します。
糀谷駅上の高架橋の構成は、西側に築造の最終形体高架駅橋の4面高架橋と、2橋目の在来線下りホーム上まで仮拡幅された3面高架橋と、その東側にも広拡幅の2面高架橋が築造されています。さらに、駅ホームの外側には単線幅員の仮上り2面高架橋が築造されており、これらの4橋間は連結橋で結ばれています。

 糀谷高架駅橋工事説明図(再掲)

・下り線高架駅ホーム構築
糀谷駅上の西端側(京急蒲田(空)第4踏切東側)の4面高架橋は、最終高架駅橋の形体で築造されています。7月1日に同第4踏切上から4面高架橋を見ると、北側2面目からの高架橋部の下りホーム部3面長部には、ホーム骨格の骨組みとホーム板面が組まれ工事囲いで覆われています。第8工区のホーム骨格は、他区の様に高架橋面とホーム面の2面構造ではなく、ホーム面のみの1面の骨組みで形成されています。なお、第4踏切際の西端1面目の高架橋の北面には外壁塀が付けられていました。

 第4踏切東の高架駅下りホーム構築(写真拡大0701撮影)

同15日に見ると、高架駅橋西端の4面高架橋の2面目部からの高架橋ホーム上の2面の間隔長にわたり、駅舎用の外柱と屋根梁骨組みが組み立てられていました。反対側の糀谷第1踏切側の2面高架橋上の下り線ホーム部には、ホーム構成骨格の骨組みが見られました。

 高架駅橋上の下りホーム築造進展(:京急蒲田側の高架駅橋に屋根梁骨組みが建つ、:空港側の高架駅橋にホーム骨組骨格築造0715撮影)

・上り線高架駅ホーム構築
前回記述時には上り線高架駅ホームの築造は、拡幅巾の3面高架橋上の2面目までにホーム構成骨格の骨組みが組み立てられていました。
7月1日に見ると、ホーム構成骨組み築造済みの東方の高架橋には、3面長分のホーム構成外枠のH型鋼骨組が付けられていましたが、この部分の広拡幅の3面高架橋東端の上り橋脚柱にはホーム突出し梁桁が取り付けられて無く、H型鋼骨組の取り付けは独立に建立の四角型鋼材の脚柱に取り付けられていました。これはホームへのエスカレータあるいは階段設置のためホーム突出し梁桁が支障するためと思われます。その先の高架橋の橋脚柱の全てには、ホーム突出し梁桁が取り付けられています。

 上りホームの築造が進む1(:[0701撮影]、:[0715撮影]写真拡大)

同15日に見ると、京急蒲田(空)第4踏切東側の駅舎用の外柱と屋根梁骨組み築造部分から東方側のホーム築造工事が進み、ホーム面骨格構築枠には小間梁が付けられていました。

 上りホームの築造が進む2(写真拡大0715撮影)

糀谷第1踏切ガード
7月1日に見ると、糀谷第1踏切道にPC桁橋のガードの架設工事が行われていました。同15日には、上り仮線の糀谷第1踏切ガードの架設が完了していました。

 糀谷第1踏切道ガード架設工事(:[0701撮影]、:[0715撮影]写真拡大)

糀谷第1踏切東側の高架化工事
・傾斜高架橋工事
糀谷第1踏切東の上り線用の傾斜高架橋工事(第8工区地形図参照)は7月15日に見た状況では、工事抑え枠がまだ外されてなく、前回記述時と殆ど変化はありません。踏切際の傾斜高架橋には、踏切道のガードが架設されました。7月1日に車窓から見た、傾斜高架橋の東端部の終端のコンクリート壁際は空間状態(写真右)でしたが、同15日には盛り土部終端のコンクリート壁間に連結橋を架設する工事が始まっていました。

 傾斜高架橋築造現場(:踏切東の傾斜高架橋0715撮影、:傾斜橋コンクリート東終端壁0701撮影写真拡大)

・盛り土部工事
7月15日に見ると、傾斜盛り土部の盛り土固めの工事は終了し、傾斜側壁のコンクリート打ちの準備が行われていました。

 傾斜盛り土部工事(写真拡大0715撮影)

傾斜盛り土部の終端部の工事は、設けられた6基の土台の上に、傾斜を付けたコンクリート打ちをして滑り止めを施した終端部となるのではないかと思われます。

 傾斜土盛り部の終端部工事(写真拡大0715撮影)

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イベント お茶の水小マーチングバンド 第59回「社会を明るくする運動」パレード演奏

2009年07月18日 | イベント
kan-haru blog 2009 

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社会を明るくする運動
「社会を明るくする運動」とは略して「社明」運動とも云われれ、すべての国民が力を合わせて犯罪や非行のない明るい社会を築いて、犯罪の防止と犯罪者の更生について理解を深める啓発活動を、7月1日(更生保護の日)から1か月間を強調月間として、毎年全国各地で広報、後援会や街頭キャンペーンを展開して行われている全国的な運動です。
社明の由来は、1949年に民間の有志が銀座で「犯罪者予防更生法実施記念フェアー」を行い、翌1950年には「矯正保護キャンペーン」を全国で展開され、1951年からは現法務省が体制整備を行いました。今年は第59回に当たり、歌手の谷村 新司さんをイメージキャラクターに起用して、「社会を明るくする運動」の広報活動が行われています。

 谷村 新司さんを起用した「社会を明るくする運動」ポスター(法務省保護局ホームページ)

千代田区の社会を明るくする運動
千代田区での第59回「社会を明るくする運動」は、7月3日に「安全・安心まちづくり靖国通りパレード」が行われました。靖国通りパレードは、1975年(昭和50年)の第25回「社会を明るくする運動」から実施されているもので、運動の趣旨の普及・啓発を図るために行われています。

 千代田区の第59回「社会を明るくする運動」(千代田区総合ホームページ)

「安全・安心まちづくり靖国通りパレード」には、お茶の水小マーチングバンドをはじめ、保護司、更生保護女性会、民生・児童委員、PTA、町会関係者など、総勢約300名が参加し、お茶の水小学校から千代田区役所まで、靖国通り(約1.3km)を行進しました。また、今年は、犬のわんわんパトロール隊もパレードに参加し、安全・安心なまちづくりを呼びかけました。

 社明パレード参加団体(写真拡大)

お茶の水小マーチングバンド
お茶の水小学校(千代田区猿楽町1-1-1)のマーチングバンドは、今回で通算24回目の参加となり、永年「社会を明るくする運動」の推進に貢献した功績が認められ、平成16年の12月には、法務大臣から感謝状が贈られています。
マーチングバンドは小学校の5・6年生の全員が参加して、新学期から社明パレードのために月曜日の朝練習を熱心に行ってきました。

 お茶の水小マーチングバンド(お茶の水小学校・幼稚園ホームページ)

お茶の水小学校のパレード演奏を、7月3日の出発に合わせて10時前にお茶の水小学校へ見に行きました。

 御茶ノ水小マーチングバンド(写真拡大)

安全・安心まちづくり靖国通りパレード
安全・安心まちづくり靖国通りパレードコースは、靖国通りを西に進み九段下の千代田区役所までの行進です。

 安全・安心まちづくり靖国通りパレードコース

パレードの出発式はお茶の水小学校校庭で行われました。出発前の校庭には、お茶の水小学校マーチングバンドなどの関係参加団体の約300名が既に集まっておりました。出発式前の校庭では、パレードに参加する警視庁騎馬隊の馬2頭に、小さな子供を前に乗せて1周り歩くサービスを行っていました。

 警視庁騎馬隊乗馬サービス

出発式は10時に開始され、お茶の水小マーチングバンドの5・6年生や参加団体が校庭に整列して、千代田区長、神田警察署長やお茶の水小学校長などの挨拶を聞きました。

 安全・安心まちづくり靖国通りパレード 出発式(写真拡大)

パレードは10時40分に出発で、校庭の西側校門を出て靖国通り(都道302号線)の交差点を渡り、三省堂書店前で体形を整え行進の開始です。

 パレード演奏1(写真拡大)

パレード演奏は、靖国通りを西に進み神保町、専大前、九段下交差点を左折して、千代田区役所までを約30分かけて、「聖者の行進」「茶色の小びん」「ミッキーマウスマーチ」を演奏しながらの行進です。

 パレード演奏2(写真拡大) 

マーチングバンドのメンバーは約100名ほどで、24年も続くパレード演奏はなかなか見事なものでした。

 パレード演奏3(写真拡大)

沿道は参観者で一杯の人なかを九段下まで、パレードの行進に合わせて歩道を一緒に進みましたが、午後の予定のため九段下で別れて地下鉄で帰宅しました。

 パレード演奏4(写真拡大) 

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第17回その2)

2009年07月16日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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雑色第2-4踏切間の高架化工事
・第2-3踏切間の高架橋
前回記述時には、雑色第2-3踏切間の高架橋間の全連結橋の架設が完了し、高架橋の仕上げ工事が行われていました。
7月12日に見ると、雑色第2踏切南側の2面高架橋の1橋のみが外壁塀取付けが未着手状態ですが、それより以南の高架橋や連結橋および、同第3踏切道のPC桁橋ガードの全てには外壁塀が取り付けられて完成の状態です。

 雑色第2-3踏切間の高架橋築造が進む(:外壁塀取付け未着手の雑色第2踏切南の高架橋、:雑色第3踏切まで外壁塀が付いた高架橋0712撮影、:外壁塀が付いた雑色第2踏切道ガード0704撮影)

・第3-4踏切間の高架橋
同第3踏切から第4踏切までの高架橋と連結橋の築造は、前回記述時には第3踏切南側の1面と3面の2橋の高架橋と連結橋には外壁塀が未着手の状態でした。
7月4日に見ると、外壁塀未完の高架橋と連結橋には外壁塀が取付けられていました。それより先の、同第4踏切手前の仮上り線合流部高架橋までの間の高架橋には、既に外壁塀が取付けられており完成の状態です。

 第3-4踏切間の外壁塀が完成の高架橋(:第3踏切東側から南方高架橋を望む、:西側区道から北方の第3踏切を望む、:外壁塀完成の第4踏切付近高架橋0712撮影)

・仮上り線合流部高架橋
同第3踏切道上の仮上り線合流部の高架橋には、側壁塀囲いが付けられており築造工事が行われています。

 仮上り線合流部高架橋(:区道の北から見た第4踏切上の仮上り線合流部高架橋、:区道の南から見た第4踏切上の仮上り線合流部高架橋、:南端部から見た仮上り線合流部高架橋0712撮影)

六郷土手付近の傾斜高架橋部の上り仮線敷設高架工事
前回記述時には、雑色第4踏切道南側高架橋の先の盛り土部付近では、上り仮線高架橋用の橋脚柱建立の基礎杭工事が行われていました。また、盛り土部開始点付近の作業台は、解体作業が行われていました。
7月4日には作業台は分解して撤去され、踏切南側の基礎杭工事個所には仮線高架橋用の橋脚柱が並んで建立されていました。高架橋脚柱は、線路縁側にはコンクリート製の本高架橋用の上り橋脚注が建ち、それに並べて区道側に張り出して仮線高架橋用の鉄鋼製の組立て橋脚注が建てられています。

 六郷傾斜盛り土部の上り仮線高架橋の築造(写真拡大0704撮影)

傾斜盛り土部の高さが高い箇所では、前回記述時には盛り土護岸壁を壊した後に本高架橋の上り側のコンクリート橋脚柱が建てられていましたが、同4日に見ると本高架橋脚柱と並べて建てられた鉄鋼製の組立て橋脚柱上に、2列のH型鋼桁梁の上り仮線高架橋梁の架設工事が行われていました。

 盛り土部の上り仮線高架橋架設工事(写真拡大0704撮影)

同12日に見ると、2列H型鋼桁梁架設の上り仮線高架橋梁部の区道側に、H型鋼桁梁を3列に追加する架設工事が行われていました。また、2列H型鋼桁梁の架設も、第4踏切南の高架橋を目指して延長架設を進めておりました。

 上り仮線高架橋の架設工事が進む(:3列のH型鋼桁梁の上り仮線高架橋の架設工事、:2列のH型鋼桁梁高架橋の架設も進展する0712撮影)

在来線傾斜高架橋梁部の仮線高架橋の築造は、同4日に見ると傾斜高架橋梁のコンクリート支え脚台の脇の区道上に鉄鋼製の組立て橋脚柱が建てられ、12日には傾斜高架橋梁桁の下部に作業台が備えられていました。

 在来線傾斜高架橋梁部の仮高架橋築造工事(:在来線傾斜高架橋部の上り仮高架橋築造工事0704撮影、:在来線傾斜高架橋梁下部の仮高架橋築造の準備0712撮影)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 雑色駅付近(第17回その1)

2009年07月14日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 第6工区北端の京急蒲田第8踏切南の高架橋

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雑色駅構内の高架化工事
・雑色高架駅ホーム駅舎の築造工事
前回記述時には雑色高架駅ホーム駅舎の築造が開始され、ホームの北端と南端部のそれぞれの2面高架橋上にホーム駅舎用外柱の3対が建てられていました。
7月1日に見るとホーム駅舎の築造は外柱建立の本数が増えて、外柱間には外壁用縦梁が付けられ、外柱の間には小間柱が入りました。高架駅ホーム駅舎の築造の構造は工事区により異なり、第6工区の駅舎外柱や梁鋼材などは素材に塗装加工が施されていない、下地のままの建材で組み立てられています。なお、ホーム駅舎用外柱が建てられたホーム部には、ホーム床板が張られていました。

 高架ホーム駅舎の築造が進む1(:外柱の本数が増え縦梁が付いた高架駅舎築造、:下りホーム南端部の高架駅舎築造、:上りホーム北端部の高架駅舎築造0701撮影)

高架駅橋の骨格構造も雑色駅の形体は、高架駅ホーム部の骨格の基礎部はホーム面上のH型鋼の骨組み部が重心で、高架橋のホーム部突き出し梁桁の上に堅固に取り付け柱で支えられています。高架橋道床面のホーム床下のH型鋼の骨組みは小型鋼材を用いて構造体を形成させており、ホーム部突き出し梁桁に簡単に接続されています。

 高架駅舎築造の骨格構造(:0701撮影、・0712撮影写真拡大)

同12日に見ると、高架駅ホーム築造駅舎の北側から屋根梁骨組みの組み立てが行われ、駅舎の外柱の全てに縦梁鋼材が取り付けられていました。

 高架ホーム駅舎の築造が進む2(:屋根梁材が組み立てられた高架駅舎骨組み、:構築が進む下り高架駅舎、:構築が進む上り高架駅舎0712撮影)  

・ホーム南の高架橋築造
前回記述時には、駅ホーム南の3面高架橋は完成し、西脇のヤード内の建屋は撤去されヤード跡は工事関係の資材などは置かれずに空地となりました。

雑色第1-2踏切間の高架化工事
前回記述時には移動した2号(北)工事機により、雑色第1踏切南に築造の3面高架橋が完成し、その南の3面高架橋にもスラブが付けられました。2号(北)工事機は役務を終え、解体分解されました。
同第1-2踏切間の高架橋の築造は完了し、雑色第1踏切南の2橋の3面高架橋と仲六郷三丁目公園南の2面高架橋間の連絡橋は現在未架設です。

 連結橋未架設の雑色第1踏南の第1-3高架橋(:雑色第1踏切南の3面高架橋、:雑色第1踏切から2橋目の3面高架橋、:連結橋未架設の第1踏切から第2、3橋目の高架橋間0712撮影)

雑色第1踏切南の第3高架橋とその南の第4高架橋間の連結橋の架設も、現在未架設です。その南方の第4と第5高架橋間には7月1日に見ると、架設用鋼材がセットされて連結橋の架設が開始されており、同12日には架設が完了していました。

 第1踏切以南の連結橋の架設(:公園南の連結橋未架設の第3-4橋目高架橋0712撮影、:連結橋架設が始まる第4-5橋目の高架橋0701撮影、:連結橋架設完了の第4-5橋目の高架橋0712撮影)

連結橋の架設が完了の第5高架橋の南方の、献血供給事業団大田北と西の架設済み高架橋は工事枠囲いが外され、雑色第2踏切道上のPC桁橋ガードには、完成の外壁塀が付けられています。

 工事枠が外されたPC桁橋の連結橋とガード(:献血供給事業団大田北側の連結橋、:献血供給事業団大田西側の連結橋、:外壁塀が付けられた雑色第2踏切のPC桁橋ガード0712撮影)

雑色駅北側の高架橋工事
前回記述時には、京急蒲田第8踏切から雑色商店街通りの京急蒲田第13踏切までの高架橋は完成しており、その間の高架橋にはOKディスカウントセンターの北方までは外壁塀が付けられていましたが、そこから南側の高架橋には取り付けされていませんでした。
7月1日に見ると、OKディスカウントセンターの北側の空き地から、南の同第13踏切を超えて雑色高架駅までの高架橋に外壁塀が付けられてていました。また、京急蒲田第8踏切道上には、PC桁橋のガードが架設(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第22回その3)」参照)されていました。

 外壁塀が付いて完成の雑色駅北の高架橋(:OKディスカウントの北側の高架橋に付いた外壁塀0701撮影、:外壁塀が付いた雑色商店街通りガード0712撮影、:雑色高架駅ホームまでの高架橋に付いた外壁塀0701撮影)

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(7月分掲Indexへ)
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・サブ・カテゴリー別Index 京浜急行の高架化 大森町付近工区2009年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2006・2007年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2009年版京急蒲田付近工区2006~2008年版雑色付近工区糀谷付近工区 へ
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Kan-haru日記 トータル訪問者20万名を超えました 多数のご訪問ありがとうございます(その1)

2009年07月12日 | ようこそ kan-haru日記へ
kan-haru blog 2009

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お蔭さまでKan-haru日記には多数の皆様のご訪問を頂き、7月6日にはトータル訪問者数が20万名を超えることとなりました。沢山のご訪問を頂きトータル閲覧数も569,101となり、ご訪問者はアクセスの都度平均2.8件の記事を閲覧頂いております。
Kan-haru日記は、2006年3月8日より開始させて頂き、3年4ヶ月を超えました。この間月毎にご訪問数が増え、今年6月の記録での日間訪問者は531名で、多数のご訪問を頂き誠に有難うございます。心より感謝を申しあげます。

この様に多数のアクセスを頂き、これから後もより良い記事の投稿に努めて参りたいと思いますので、皆様方のご支援をより一層賜りたいとお願い申しあげます。
20万名を超えた閲覧を賜り、ご訪問者の閲覧ページの動向を分析しより良い記事投稿のため活かして参りたいと思っています。

Kan-haru日記の訪問数・閲覧数推移
Kan-haru日記は、開始時点以降634件の記事を投稿しており投稿の間隔は1.9日となり、2日に1回の更新をしています。この間の訪問者数(アクセスIP数)・閲覧数の推移は月毎に増加を辿っております。



 kan-haru日記 京急高架化工事投稿記事例

09年05月投稿ページの月間閲覧数
05月の投稿ページの1ヶ月間での閲覧数は、京急高架工事関係の投稿が9件で計6604アクセス、小さな旅が3件で計1272アクセス、イベントが3件で計1326アクセス、のほかINDEXが1件で682アクセスでした。
これによると、最新の投稿ページの閲覧は、京急高架工事関係の記事が1件当たり733アクセスで、小さな旅の記事が1件当たり424アクセス、イベントの記事が1件当たり442アクセスとINDEXが682アクセスで閲覧頂いております。


5月月間の閲覧数のカテゴリー別アクセス数
1日10アクセス以上のカテゴリー別の5月月刊の閲覧数は、京急高架工事関係の記事が8428アクセス、大森町あれこれ関係の記事が329アクセス、一般記事が6089アクセスの割合です。京急高架工事関係の記事では最新記事のアクセスが圧倒的に多いのですが、大森町あれこれ関係と一般記事のアクセスは逆に過去に投稿した記事のアクセスが多いのが特徴です。これは、kan-haru日記の内容が、記録記事や参加記事が大半を占めていることによります。2年前以上の記事も、かなりアクセスされておりますので、kan-haru日記では索引のためINDEXを整備しており、記事投稿の都度リアルにINDEXを更新しておりますので、最新記事の索引も行えます。

過去投稿の記事で特に最近のアクセス数が多い記事
2008年10月17日投稿の(「小さな旅 秋のばら観賞 京成バラ園」参照)のアクセスが、5月の1ヶ月で893アクセスもの閲覧を頂きました。また、閲覧数の統計はカウントをしておりませんが、2008年7月20日投稿の(「イベント 浅草ほおずき市の中清 ゆかた着にての異業種交流会H11メトロの暑気払い」参照)のアクセスも、この1週間で多くの閲覧を頂いております。さらに、(「大森町界隈あれこれ(N30) 大森町風景 大森ふるさとの浜辺公園の砂浜開放」参照)や(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 オープンの大森ふるさとの浜辺公園」参照)のほかに、IT関係記事の(「ITと技術 地図情報コンテンツ Googleマップのストリートビューをブログで使用して見る(第1回)」参照)なども最近のアクセス数が目立っています。
今後、アクセス情報を分析し、役立つ記事の投稿を目指したいと考えております。

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第22回その3)

2009年07月09日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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第5工区の高架化工事(続)
・京急蒲田第6から第8踏切間の高架橋工事
前回記述時点で京急蒲田第6から第8踏切間の高架橋の築造は、上り線高架橋の東面側に下り線の3階傾斜高架橋用の橋脚柱を建て、橋脚柱間には縦桁梁を付けてほぼ出来上がりの状態です。また、この区間の6橋ある高架橋間(高架橋築造平面拡大図参照) には連結橋の架設が済んでいます。
この付近の高架橋築造工事現場は、高架橋の東側はヤードや消防署の広い空間があり、所々が開けているので第1京浜国道側から工事状況がよく見られます。

 築造高架橋の東面を見る(:第6踏切から南方の築造高架橋を見る、:高架橋間築造の連結橋、:第8踏切から北方の築造高架橋を見る0701撮影)

一方の上り高架橋築造の西側には、上り仮線高架橋が本高架橋と並べて健立されており、また線路周辺の住居も密集しているので高架橋築造状態がよく見えません。隙間から見ると、完成時には外面たなる上り線高架橋の西側には外壁塀が付けられていました。

 西側から見た上り線築造高架橋(:築造高架橋の下り3階部の橋脚柱を西側から見る、:西側から見た築造高架橋の外壁塀、:第8踏切ガード付近の外壁塀の付いた高架橋0701撮影)

・京急蒲田第8から第9踏切間の高架橋工事
京急蒲田第6-8踏切間の高架橋の構造は、下り線高架橋が接する東面には3階傾斜橋用の橋脚柱が建てられています。3階の京急蒲田駅から傾斜を降りる下り傾斜橋は、第8踏切付近では上り高架橋との高度段差は少なくなります。そのため、第8踏切から南方での上り高架橋東面壁の構造は、コンクリート壁で段差を設けて築造されています。この段差壁の段差は、第9踏切の少し手前で段差無しとなり上下線の高架橋は同じ2階の高さとなります。

 築造高架橋の東面構造を見る1(:第8踏切の南北で異なる築造高架橋の東面、:第8踏切から南方の高架橋東面を見る0701撮影)

同第6-8踏切の間の高架橋間の連結橋は、1つめが消防署の裏手の中央付近の小連結橋で架設は完了しており、2つめの消防署南側に接した道路の先では連結橋を架設中で、第8踏切北側の3つ目の小連結橋の架設は完了していました。

 第8-9踏切間の連結橋(:消防署裏手中央付近の連結橋、:消防署南行き止まり道路先の連結橋架設工事、:第9踏切北高架橋先の連結橋0701撮影)

7月1日に見ると、第6工区との境界点の京急蒲田第9踏切上に、上り単線のPC桁ガードが架設されていました。また、同踏切北方の高架橋の西側面には外壁塀が付けられていました。

 第9踏切道上のガードと踏切北の高架橋(:第9踏切道上には第6工区高架橋間にガード架設、:第9踏切北の西側に外壁塀が付いた高架橋0701撮影)  

第7工区の高架化工事
・京急蒲田(空)第1踏切付近の高架橋工事
前回記述時点では、第1京浜国道上には2、3階の大型の高架鋼鉄ガードが架設されていました。また、京急蒲田(空)第1踏切東の2面第1高架橋と国道際の2、3階建ての高架橋柱間、4面第2高架橋間と4面第3高架橋間の2、3階部連結橋は全て架設が完了しています。この2、3階建て築造高架橋の構造は、2階部高架橋が北面に築造され、3階部は南面に築造されて2階へと降る傾斜高架橋です。

 第7工区区間説明図

第7工区の高架橋の築造は、第1京浜国道際の2、3階高架橋脚柱(区間説明図)に架設の連結橋から始まり、真言宗新照寺沿いの道路突き当たりのヤード(区間説明図)付近までの傾斜高架橋と連結橋の架設は、最終工程段階の工事が進められています。

 第1京浜国道踏切東の傾斜高架橋築造(写真拡大0703撮影)

ヤード付近(区間説明図)から東方の高架橋築造は完成しており、京急蒲田(空)第3踏切の先の長尺鉄鋼橋桁ガード付近(区間説明図)までの高架橋には外壁塀が取り付けられています。3階傾斜高架橋は、同第2踏切の東方先の連結橋を過ぎたところ(区間説明図)で、2階の同じ高さに並びます。

 第5工区区間の築造完了の高架橋(:外壁塀が付けられたヤード付近から東の高架橋、:(空)第1踏切付近の完成高架橋、:(空)第2踏切付近から東を見た高架橋0703撮影)

外壁塀は、長尺鉄鋼橋桁ガードが架設されている西側高架橋(区間説明図)までの築造した高架橋に取り付けられています。ガード架設高架橋の東先には、第8工区境界の京急蒲田(空)第4踏切西際(区間説明図)に単独高架橋があり、この高架橋間には連結橋が架設されていません。この高架橋間に連結橋が架設されると、第7工区高架橋の全てが結ばれることになります。

 (空)第4踏切西付近の高架橋築造(:長尺鋼鉄桁橋の連結橋架設工事、:長尺ガード架設東の高架橋と(空)第4踏切西の高架橋、:(空)第4踏切から見た高架橋0701撮影)

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・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(7月分掲Indexへ)
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第22回その2)

2009年07月07日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009

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第5工区の高架化工事
・京急蒲田第2踏切から第5踏切間の高架橋築造
前回記述時には旧多摩堤通り(京急蒲田第2踏道)3階部のガードが架設され、2階部PC橋桁の底が囲い板で覆われ、ガード外壁には工事囲い塀が付けられ工事が行われていました。
7月3日に見ると、旧多摩堤通りガードの3階部PC橋桁の底を囲い板で覆い、外壁には工事囲い塀が付けられていました。また、旧多摩堤通りガード南の高架橋下の下り線路の脇には、2階建ての工事関連の事務棟が建てられていました。ガード南の完成した第1高架橋には、外壁塀が付けられていました。

 旧多摩堤通りガードと踏切南の高架橋(:工事囲いで覆われたガードの側壁と底板、:高架橋下に建築棟が建つ、:側壁塀が付いた踏切南の高架橋0703撮影)

2面第1高架橋の南には1面第2高架橋と両橋間の3階連結橋が完成しており、ここまでの3階部高架橋には外壁塀が付けられています。その南には3面第3高架橋が築造されていますが、3階部のスラブは付いていません。

 京急蒲田第2踏南の高架橋1(:3階部に外壁塀が付き完成した第1、2高架橋、:第2高架橋[右]南には第3高架橋[左]、:スラブが付いていない第3高架橋0703撮影)

第3高架橋の南には2面第4高架橋が京急蒲田第4踏切北側に完成しており、同踏切道2階部上り1車線のガードが架設されています。

 京急蒲田第2踏南の高架橋2(:第3高架橋[中]南には第4高架橋[左]、:京急蒲田第4踏切の北側にある第4高架橋、:第5高架橋間の第4踏切道ガード架設が完了0703撮影)

同第2踏切南から第4踏切北間の2階部高架橋は、第1高架橋から第4高架橋間の連結橋が完成し、2階部高架橋西側にはこの間を通しで外壁塀が付けられています。東側の外壁塀はまだ断片的な取り付けです。第4高架橋の南方には第2踏切ガードを越して2面第5高架橋があります。第2踏切ガードには、まだ外壁塀は付けられていません。なお、この間の3階部連結橋とガードは、第2高架橋から第4高架橋までの間では未架設です。

 京急蒲田第2踏南の高架橋3(:外壁塀が付いた2階部高架橋西側、:第4高架橋南の踏切を挟んであるのは第5高架橋0701撮影)

7月3日に見ると、第4高架橋の南側の1面第5高架橋との間に3階部連結橋の架設工事が行われていました。

 京急蒲田第2踏南の高架橋4(:第4-5高架橋間の連結橋架設工事、:0701撮影)  

京急蒲田第5踏切北の1面第5高架橋は4角型橋脚柱の高架橋で、2階部の外壁塀は第4高架橋から連続した通して付けられています。

 第5高架橋と環8通りガード(写真拡大0703撮影)

・京急蒲田第5、第6踏切間の高架橋築造
京急蒲田第5踏切南の4角型橋脚柱の1面高架橋は、環8通りガードの架設のため早くから完成しており、2、3階部の高架橋には外壁塀が付けられています。その先には同第6踏切北側に接した2面高架橋があり、高架橋間の3階部には外壁塀が付けられた連結橋が架設されています。同第6踏切南側の高架橋築造の第1期工事は2階上り線のみで一旦終了となり、3階部下り線高架橋の登場は上り線の高架橋運行開始の後となります。

 第5-6踏切間高架橋築造(:環8通りガードを受ける踏切南の高架橋、:、:0701撮影)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 京急蒲田駅付近(第22回その1)

2009年07月05日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2009 工事シートで覆われた第4工区高架橋工事現場

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京急蒲田駅北部第3工区の高架駅橋と鉄橋架設工事
・多摩堤通り鉄橋架設
前回記述時には多摩堤通りの3階部鉄橋部には、2本の鋼桁梁の鉄橋が架設されていました。
6月27日に見ると3階部鉄橋部の西側に側壁用のガードが架設されており、踏切脇には4本目の架設用の鋼桁梁が保管されていました。第1京浜国道上には、4本目のガードの架設による交通規制の通知が掲示されていました。
多摩堤通り(梅屋敷第4踏切道)の鉄橋の架設は、5本目最後の鋼桁梁架設が8月2日に予定されており、8月15日をもって大通りの交通止めは無くなります。なお、京急蒲田駅周辺の他の大通りの第1京浜国道、環8通りと旧多摩堤通りでの鉄橋の架設は完了しています。

 多摩堤通り鉄橋架設(:架設された多摩堤通り3階西側の3本目側壁用ガード、:踏切脇には4本目の鋼桁梁が保管、:第1京浜国道に掲示の多摩堤通り鉄橋架設通知0629撮影)

・第3工区高架橋築造
多摩堤通り踏切北側の第2工区との境界点の北端高架橋では、3階部の連結橋の築造が行われていました。多摩堤通り南側の高架橋の築造は、高架橋間2、3階部の連結橋の工事が進んでおり工事塀が取り外されていました。7月3日に見た時には、通りから2つ目の高架橋築造の北1面にはまだスラブが付けられていません。

 第3工区高架橋築造1(:第3工区北端境界の高架橋築造0627撮影、:多摩堤通り南側の高架橋築造、:工事塀が外された第2、3高架橋間の連結橋0703撮影)

呑み川の北と南岸で築造中の2、3階の複線幅高架駅橋は骨格の組み立てが進んでいます。また、呑み川に架設の複線2階部の鉄橋のホーム部には、ホーム駅橋の築造が行われていました。

 第3工区高架橋築造2(:第1京浜国道から見た呑み川北の第3高架橋0629撮影、:第1京浜国道から見た呑み川南の第4高架橋、:西側区道から見た呑み川南の第4高架橋0703撮影)

京急蒲田駅南部第4工区の高架駅橋と第1京浜国道鉄橋
・第1京浜国道空港支線鉄橋
前回記述時には、空港線の第1京浜国道上に2、3階部の鉄橋が架設されました。
7月3日に見ると、第1京浜国道鉄橋の2、3階部の鉄橋に、部分的に鉄橋側道板が付けられていました。鉄橋北面の鉄橋側道板は、2階部が高架橋から国道を超えた所まで取り付けられており、3階部は高架橋端から国道に建立の高架橋脚柱までが取り付けられていました。

 第1京浜国道鉄橋北面に付けられた鉄橋側道板(:2階部鉄橋側道板、:3階部鉄橋側道板0703撮影)

2階部鉄橋南面側でも、京急蒲田駅ホーム内から見ると国道に建立の高架橋脚柱までの間で側道板が取り付けられていました。

 第1京浜国道鉄橋南面に付けられた鉄橋側道板(写真拡大) 

・第4工区高架橋築造
第4工区高架駅橋の骨格の構築工事は進展しており6月27日に見ると、3面高架橋(高架橋工事図参照)の3階ホーム駅舎部の天井壁柱材の築造が見られましたが、工事用覆いシートが被されていますので骨格の全景は見えなくなりました。

 第4工区高架橋築造工事風景(左・:3階ホーム駅舎部の天井壁柱の構築0627撮影、:0703撮影)

工事用覆いシートは西側の区道側でも全体が覆われました。高架橋はシート内で築造が進み、高架駅橋の姿が整った時点にシートが外されてお披露目です。

 工事用シートで覆われた第4工区高架橋築造工事風景(:旧多摩堤通り踏切から高架橋築造現場を覗く、:工事シートで覆われた高架橋築造現場0703撮影)

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・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 2009年中期版2009年前期版2008年後期版2008年中期版2008年前期版2006・2007年版
・サブ・カテゴリー別Index 京浜急行の高架化 大森町付近工区2009年版大森町付近工区2008年版大森町付近工区2006・2007年版梅屋敷付近工区京急蒲田付近工区2009年版京急蒲田付近工区2006~2008年版雑色付近工区糀谷付近工区 へ
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イベント ものづくり大阪 東大阪のものづくり企業が地元大田区で大阪ビジネスEXPO 2009を開催

2009年07月03日 | 大森町界隈あれこれ イベント
kan-haru blog 2009 

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京急蒲田駅東口の第1京浜国道を通りかかると、プラカードの傍に案内の女性が立っており、その案内板を見ると大阪ビジネスEXPO 2009のお知らせで、旧多摩堤通り前の大田区産業プラザPIOで6月4、5日に開催しているとの案内でした。
ものづくりで知られている地元大田区に、東大阪の一方のものづくりの企業が上京し、ビジネスの創出の展開のためのイベントを開催することに大変興味を持ちました。時間に余裕がありましたので、4日の午後に見学しました。

 京急蒲田駅近くのユニークな建物の大田区産業プラザPIO

大田区産業プラザPIO
大田区産業プラザPIO(大田区南蒲田1-20-20)は、大展示ホール(約1,600m2)、小展示ホール(約400m2)、コンベンションホール(約480m2)、大・小会議室(27~87人7室)のほか特別会議室と和室があり、(財)大田区産業振興協会が会議室・ホールなどの貸出管理を行い、大田区産業の振興と企業に働く人たちの福祉の向上を進めています。

 大田区産業プラザPIO地図

ものづくり大田区のまち工場
大田区は、古くから日本を代表する小さな町工場を中心とした産業の町で、約5000の工場があります。大田区のまち工場のものづくりは、最終製品を作る工場のほかに、部品を造ったり、材料を加工したりする工場などが集中した工場のある町です。
大田区のまち工場の特徴の1つは、ものづくりの達人の匠が持つ高度な技術力で世界ではできないものを造る力を持っています。その2は、まち工場間ではものづくりの加工を工場から工場へと回す「仲間まわし」と呼ぶ方法を、古くから行ってものを造り上げてきました。その3は、住宅と工場が地域に混在しており、工場間の連携がとれやすい「住工調和」の街を構成していました。

しかし最近では、ものづくりの大田区のまち工場にも問題が見えてきました。それは、まち工場の経営者や匠の高齢化が進み、後継者を決められなく廃業の予定で企業数が減っていることです。また、匠の技術が後継者に伝えられず技術の伝承が行えないなどの問題と共に、100年に1度の経済問題の影響も被っています。

大阪ビジネスEXPO 2009
ものづくりの環境の変化の兆しが感じられるなか、関西の東大阪と河内のものづくりの集団が、同じくものづくり集団の東の大田区に上京し、人工衛星打ち上げの技術力などをアピールしビジネスチャンスの創出を目指してEXPOを開催したことは、東西のものづくりの両集団にとり大きな刺激をもたらしました。今後日本はものづくりで生きていく必要があり、大阪と大田区のものづくりの大阪ビジネスEXPO 2009開催の交流は、将来のものづくり改革の展開には役に立つものと期待しています。

 大阪ビジネスEXPO 2009 案内(写真拡大)

大阪ビジネスEXPO 2009の展示構成は、「もうかりメッセ東大阪2009 in 東京」と「河内ものづくりフェア2009」のテーマで、2つの地域の異なる大阪のものづくり集団の姿を紹介していました。

・もうかりメッセ東大阪
展示構成の「うかりメッセ東大阪2009 in 東京」は、東日本大田区のものづくり工場に匹敵した、東大阪市のものづくり集積の街として全国に知れるようになり、「人工衛星・まいど1号」を打ち上げたプロジェクトは、中小企業の意気を示したものづくり技術の実績です。東大阪市からは、ものづくり68社の企業および団体(出展社名簿)が79小間に出展していました。

 もうかりメッセ東大阪パンフレットと出展コーナー配置図(図拡大)
 
大阪市の東と奈良の西部に隣接する東大阪市は、人口が51万人の面積が61.8km2で、約6500の製造業が集積し、作業工具、鋲螺、伸線などの地場産業や、金属、機械、電気製品、プラスチックなどの中小工場が集積しています。

 もうかりメッセ東大阪展示会場風景(写真拡大)

・河内ものづくりフェア
また「河内ものづくりフェア」は、大阪府東部の河内地域の枚方、寝屋川、交野、守口、門真、大東、八尾、松原の各市の金属、電気、機械などの多種多様のものづくり企業53社と団体(出展社名簿)が75小間に出展していました。

 河内ものづくりフェアパンフレットと出展コーナー配置図(図拡大)

8都市の工業集積地の事業所数は、枚方市が342事業所、寝屋川市が371事業所、交野市が126事業所、守口市が480事業所、門真市が482事業所、大東市が544事業所、八尾市が1841事業所、松原市が442事業所のものづくり集積地です。
人気の出展コーナーには、見学者にたこ焼きを配った関西発祥のたこ焼きコーナーは人気の的でした。

 河内ものづくりフェア展示会場風景(写真拡大)

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