K&A

kan-haruの日記

イベント 両国ちゃんこ鍋 吉良邸跡近くで仇討ち入りに異業種交流会H11の忘年会を行うその1

2011年12月30日 | イベント
kan-haru blog 2011 仇入り引き上げの義士団錦絵   
    
< 総合INDEX へ

H11メトロの忘年会
異業種交流会H11メトロは、地方独立行政法人東京都立産業技術研究センターが異業種交流事業として募集した、東京都異業種交流会グループの中の平成11年に発足したグループの一つで、毎月例会を開催しており12月には忘年会を行っております。
今年は、往年の元大関霧島の直営店のちゃんこ霧島両国本店(墨田区両国2–13–7)で、H11メトロの忘年会を、赤穂浪士の討ち入りを果した翌日の12月16日に開催しました。

 両国周辺地図

・両国の歴史
両国とは、隅田川(当時の大川)が下総国と武蔵国の国境であり、大橋(両国橋)はその両方の国に跨っていたので両国橋の名称の由来となっています。両国の名前が全国に知られているのは両国国技館によるもので、辰野金吾と葛西万司の設計により1909年に完成し1944年まで使用された旧両国国技館は、両国二丁目の回向院の旧境内にありました。旧国技館は1983年に解体されるまで日大講堂として使用され、解体後の旧国技館跡地(「小さな旅 史蹟の散歩 振袖火事や大震災の災害を受け吉良邸跡の古い歴史を持つ両国を散策する その3」参照)は現在オフィス・住宅・劇場・レストランなどからなる複合ビル施設の両国シティコアとなっています。

 現「両国シティコア」の旧国技館跡(:旧国技館跡は現在「両国シティコア」、:旧国技館跡の高札、:旧国技館跡の説明板)再掲

その後、蔵前国技館への移転を経て、1985年に新しく完成した現両国国技館は、両国駅の北側の墨田区横網に位置しています。このような背景から、両国は多くの相撲部屋やちゃんこ店が居を構える相撲の町としての顔も持っています。
1703年(元禄15年12月14日)の深夜に赤穂浪士の討ち入りで知られる吉良屋敷は本所松坂町(現在の両国2丁目から両国3丁目にかけての一帯)にありました。現在はそのごく一部が吉良邸跡(「小さな旅 史蹟の散歩 振袖火事や大震災の災害を受け吉良邸跡の古い歴史を持つ両国を散策する その3」参照)として保存されており、区立本所松坂町公園となっています。

 吉良邸跡 吉良邸跡(:吉良邸跡入り口、:赤穂義士遺跡吉良邸跡石碑、:本所松坂町公園由来説明版)再掲

両国駅(「小さな旅 史蹟の散歩 振袖火事や大震災の災害を受け吉良邸跡の古い歴史を持つ両国を散策する その1」参照)は、1894年(明治27年)に私鉄の総武鉄道が、佐倉駅と本所(錦糸町)駅間が開通し、本所から両国橋までの沿線は既に市街地になっており高架線が条件で、結局煉瓦造りの橋脚の上に鉄桁を載せた形状の高架橋を約1.5 kmに渡って建設して、日本の鉄道で最初の単線の高架区間で両国橋駅を開業する事になり、1906年(明治39年)に複線化されました。1907年(明治40年)には、総武鉄道が国有化されて国鉄となり、1931年(昭和6年)に正式に「両国駅」(墨田区横網1-3)へ改称されました。

 両国駅(写真拡大)再掲

・両国ゆかりの人物
 ・勝海舟
幕末の三舟の一人で、本所亀沢町(現在の両国4丁目)に生まれ、区立両国公園内に「勝海舟生誕之地」の石碑が残っています(「小さな旅 史蹟の散歩 振袖火事や大震災の災害を受け吉良邸跡の古い歴史を持つ両国を散策する その4」参照)。

 勝海舟生誕之地(:勝海舟生誕之地の碑、:由来碑、:勝海舟生誕の地説明板)再掲

 ・芥川龍之介
1910年代-1920年代に活躍した、日本を代表する短編作家の一人で、京橋区入船町(現在の中央区明石町)に生まれ、本所小泉町(現在の両国3丁目)に育ち、同地には「芥川龍之介生育の地」の碑が立っています。碑が立っている両国小学校は、芥川龍之介が通った学校です。(「小さな旅 史蹟の散歩 振袖火事や大震災の災害を受け吉良邸跡の古い歴史を持つ両国を散策する その4」参照)。

 芥川龍之介文学碑(:文学碑、:両国小学校を訪れた日は授業参観日でした)再掲

・ちゃんこ鍋
ちゃんこ鍋とは、主に大相撲の力士が食べる鍋料理であり、力士の食事全般を指します。なお「ちゃんこ」とは本来、力士の食事全般を指します。鍋だけがちゃんこと思われがちですが、それは誤りです。しかしながら、力士の食事は、相撲を行うための体格を身につけるために、鍋料理を食べることが多く、それが広く知れ渡ったのがちゃんこ料理であります。力士の食事は、鍋料理を食べることが多く、それが広く知れ渡ったのがちゃんこ鍋です。鍋料理としての「ちゃんこ」が確立されたのは明治時代であり、常陸山谷右エ門が所属していた頃の出羽海部屋において入門者が大量に集まり、一般的な配膳では食事に支障をきたすまでになったため、効率的な面から大きな鍋で作ったものを大勢で共に食べるようになり、これがやがて力士の常食になったと言われています。(Wikepediaから)
両国駅周辺には、数十件のちゃんこ鍋料理やがあり、食べログ(Google)両国周辺ちゃんこ鍋マップをリンクしましました.図中のAはちゃんこ巴潟、Bはちゃんこ霧島、Cはちゃんこ川崎、Dは相撲茶屋 ちゃんこ 江戸沢 東京総本店、Eはちゃんこ照国、Fは割烹かりや、Gは相撲茶屋寺尾、HはChanko Dining 安美 両国総本店、Iはちゃんこ道場 両国駅前店、J相撲茶屋横綱の各店です。

 両国ちゃんこ料理マップ合成

・ちゃんこ霧島両国本店
ちゃんこ霧島両国本店(墨田区両国2-13-7)は、元大関霧島(現、陸奥親方)のお店として知らない人がいないほどの有名店です。JR両国の駅を出て総武線ガードを潜り横綱通りを渡ったところにあり、マクドナルドのすぐ左隣の8階ビルです。

 ちゃんこ料理霧島前の横綱通り(:ちゃんこ霧島前の横綱通りの相撲銅像、:忘年会当日のちゃんこ霧島前の横綱通り)

霧島両国本店での忘年会は、午後7時からで霧島コースでちゃんこ鍋を堪能しました。

 ちゃんこ霧島両国本店(写真拡大)

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版
<前回 イベント 鎌倉国宝館 鎌倉ゆかりの密教尊像・名宝が一堂に集結した特別展「鎌倉×密教」 へ
次回 イベント 両国ちゃんこ鍋 吉良邸跡近くで仇討ち入りに異業種交流会H11の忘年会を行うその2
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風景・風物詩 千躰荒神祭 竃の神様として賑わう海雲寺を久方振りに参詣する

2011年12月27日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 護摩堂 2011   
    
< 総合INDEX へ

千躰荒神祭
京浜急行青物横丁駅の東側の線路に沿った路地の塀内には、竈の神様として古くから信仰されている海雲寺(品川区南品川3-5-21)があります。海雲寺では、毎年3月と11月の27、28日に千躰荒神祭が開かれ、火と水を守る竃の神様としてご利益により、江戸時代から関東一円の多くの人々の信仰を得て、今でも荒神祭は参詣客で大変混雑します。前回荒神祭を参詣したのは、2007年11月28日でブログの「風景・風物詩 江戸時代から続く千躰荒神祭 竃の神様として賑わう海雲寺 その1その2」が掲載してあります。
11月に入るとこのブログを見に訪れる方が多く、荒神祭の人気ぶりを今さら伺い知りました。ブログの「風景・風物詩 江戸時代から続く千躰荒神祭 竃の神様として賑わう海雲寺 その1」の閲覧舎数は、下の表の通りです。

 11月ブログ閲覧数

また、検索によりブログを閲覧された方は、下の表の通りです。

 11月ブログ検索による閲覧数

そこで、人気の海雲寺の荒神祭を、4年ぶりの11月27日に参詣してきました。大森町を13時頃出て、青物横丁で下車して駅近くのお蕎麦屋さんで昼食を済ませてから、旧東海道(再掲地図参照)へと進むと、入り口から荒神祭の露天の出店が一杯です。参道を進んだのが、14時を過ぎた午後でしたので、人出の峠は越えたようです。

 荒神祭で露店出店が立ち並ぶ旧東海道参道(:旧東海道の入り口に入ると露店出店が一杯、:旧東海道は青物横町商店街通り、:旧東海道参道は露天出店が立ち並ぶ)

旧東海道を進むと、品川寺の先に海雲寺の参道があります。その参道を曲がり山門をくぐると正面に千躰荒神堂があり、右側には本堂があります。山門内にも沢山の露天の出店がでています。千躰荒神堂に進む庭の右側には、平蔵地蔵(前記ブログその2参照)が建立されています。

 海雲寺参道に入り山門をくぐると正面が千躰荒神堂(:海雲寺参道、:山門、:山門内も露天出店が並ぶ)

荒神祭には、千躰荒神王がご開帳となり、家内安全、火災消除を祈願して大護摩修行が行われます。信者は台所に祀っているお宮を風呂敷に包んで持参し、護摩の火で清めてもらい、新しいお札を頂いて帰りますが、その帰り道では決して寄り道をしてはいけないそうです。

 千体荒神様の参拝(:お札受所、:千躰荒神堂の前、:千躰荒神堂参拝所)

千躰荒神堂では、護摩の受付所で護摩木を受けて願い事を書いて、護摩を焚いて貰うと無病息災などのお願いが叶い、今年は震災の災害が被りましたが、新年は良い年が迎えられます様にお願いができます。

 千躰荒神王護摩祈願(:護摩受付、中:護摩祈願、:龍人王扁額)

荒神様にお願いして参詣が済むと、縁起ものを買ってかえります。昔から縁起ものには、荒神様にお供えする荒神松で、松が火に燃えにくいことから火災安全のお守りです。また、釜おこしは、竈の神様に因んでご飯を炊くお釜を模してあり、「しんしょうおこす、かまおこし」と縁起を担いだものです。そほか、露店には豆板、生姜糖、煎り銀杏、ゆで豆、唐辛子、金柑の砂糖漬けなどが一杯です。おみやげには信者ではないので店に立ち寄り、今回初めて釜おこしと門前のくずもち屋のくずもちに、神宮暦を買って帰りました。

 千体荒神様の縁起もの(:千体荒神松売店、:お釜おこし売店、:釜おこし)

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 風景・風物詩 カテゴリー別総目次 2010~2011年版2008~2010年版2007・2008年版2006・2007年版
<前回 風景・風物詩 羽田神社例大祭 復興日本を被災地の皆様へ届けよとヨコタ担ぎで羽田13町内神輿連合渡御
次回 風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺2012
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベント 鎌倉国宝館 鎌倉ゆかりの密教尊像・名宝が一堂に集結した特別展「鎌倉×密教」

2011年12月24日 | イベント

kan-haru blog 2011 大安吉日で鶴岡八幡宮は結婚式のラッシュ  
    
< 総合INDEX へ

特別展「鎌倉×密教」
鶴岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館(鎌倉市雪ノ下2-1-1) で開催の特別展「鎌倉×密教」は、10月15日から11月27日まで行われましたので、終了寸前の快晴の11月25日に見てきました。
特別展は、主催が鎌倉国宝館(鎌倉市教育委員会)で、共済が神奈川県立金沢文庫の、後援が文化庁、NHK横浜放送局により行われ、入場料は、大人が600円、小・中学生が300円です。

 特別展「鎌倉×密教」パンフレット・入場券

鎌倉国宝館へは、京急横浜駅からJR横須賀線に乗り換えて鎌倉を下車して、いつも賑やかな小町通りを経て、鶴岡八幡宮の参道を直進して舞殿の手前を右に折れ東に進み、由比若宮遙拝所と鶴亀石の脇を抜け右に曲がると、その先が鎌倉国宝館です。

 国宝館アクセス図

・鎌倉国宝館
鎌倉国宝館は、1923年(大正12年)の関東大震災による鎌倉でも多くの歴史ある社寺が倒壊し、貴重な文化財を損失したのを契機に、こうした不時の災害から由緒ある文化遺産を保護し、鎌倉を訪れる方々がこれらの文化財を容易に拝観、見学できるよう一堂に展示する施設として企画されました。開館は1928年(昭和3年)で、設立の趣旨に賛同した「鎌倉同人会」をはじめ、多数の人からの多額の寄付と、多数の文化財の寄託を受けて町立鎌倉国宝館開館が開かれました。
1950年(昭和25年)に現在の文化財保護法が制定され、翌1951年には博物館法が制定され、法に基づく勧告・承認施設となり、翌1952年には登録博物館となりました。
1983年(昭和58年)に新館(収蔵庫)を竣工し、平成3年に本館(展示場)が改修されて施設が充実し、平成8年に公開承認施設となりました。 また、平成12年には本館が国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。

 鎌倉国宝館(左:開館当初の鎌倉国宝館、右:現在の鎌倉国宝館)鎌倉国宝館ホームページから

平成19年には新館収蔵庫の空調設備の修繕を行い、翌年には免震装置を設置、平成21年には本館彫刻展示場にも免震装置を設置し、収蔵資料の安全な保管に努めています。
1928年(昭和3年)に建設された本館建物は、設計が日本銀行小樽支店や歌舞伎座を設計した岡田信一郎で、施工は松井建設(当時松井組)により建てられ、外観が奈良の正倉院を模し、内部は鎌倉時代の寺院建築の手法が用いられた、鉄筋コンクリート造による高床式校倉風建築で、面積が833.85平方メートルあります。構造は、寄棟状屋根の中央部には小屋裏位置に採光用の越屋根を隠し、内部には虹梁大瓶束形式で採光用越屋根の棟を支える造りとし、また入り口の窓には鎌倉を詠んだ平安時代の和歌に登場する星月のマークがかたどられたヨーロッパのステンドグラス(小川三知作)がはめ込まれ、和風表現と近代的技法の調和が図られています。

 鎌倉国宝館展示会場(左:彫刻展示会場、右:ケース展示会場)鎌倉国宝館パンフレットから

・密教
密教とは、秘密仏教の略称であり、「秘密の教え」を意味するとされ、灌頂の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で「秘密の教え」だとされます。また、言語では表現できない仏の悟り、それ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」だとも言われています。
日本に密教が初めて紹介されたのは、唐から帰国した最澄(伝教大師)によるものであったが、本格的には、唐における密教の拠点の青龍寺において修学した空海(弘法大師)が、806年に日本に帰国して紹介されてからであります。 また、空海に後れをとるまいと唐に留学し密教を学んだ円行、円仁(慈覚大師)、恵運、円珍(智証大師)、宗叡らの活躍も挙げらます。
宗派としては、空海が唐の青龍寺恵果に受法して請来し、真言密教として体系付けた真言宗(東密:東寺(教王護国寺)の密教)と、最澄によって創始され、円仁、円珍、安然らによって完成された日本天台宗(台密:天台密教)が密教に分類されています。真言宗が密教専修であるのに対し、天台宗は天台・密教・戒律・禅の四宗相承である点が異なっています。
・・曼荼羅
曼荼羅(まんだら)は仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したものです。
両界曼荼羅は、密教の中心となる大日如来を中心とした数々の「仏」を一定の秩序にしたがって配置したものであり、「胎蔵界曼荼羅」、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」と称する。胎蔵曼荼羅は「大日経」、金剛界曼荼羅は「金剛頂経」という密教経典をもとに描かれています。(Wikipediaから)

 曼荼羅(左:胎蔵曼荼羅、右:金剛界曼荼羅)

・特別展の展示品
11月25日は大安吉日で鶴岡八幡宮の参道を国宝館に向かうと、拝殿では結婚式を挙げており目出度い日に遭遇しました(トップ写真参照)。拝殿から右に進み由比若宮遙拝所と鶴亀石の脇を抜けると展示会場の国宝館です。

 鶴岡八幡境内から国宝館へ(左:由比若宮遙拝所、中:鶴亀石、右:国宝館)

展示会場の国宝館入り口を入ると彫刻展示会場であり、会場中央に正方形の展示台があり、その周囲を取り巻いた壁際にも展示棚があり、そこには展示品目録一覧(クリックすると表示)に示された密教仏像が露出の状態で展示してあります。展示品は、展示期間を前期(10月15日~11月6日)と後期(11月8日~27日)に分けて展示仏像を出品してあります。
展示仏像は、中央の展示台に五大明王像が並び、入り口手前から反時計廻りに回ると最初に大日如来が4体展示され、角には不動明王(園城寺)が置かれ、それに並んで右壁際には不動三尊、不動明王(大山寺、覚園寺)、阿閦如来坐像、聖観音に続き、角には如意輪観音と並んでいます。それに並んで奥の壁際を左に進み千手観音、十一面観音、文殊菩薩、普賢菩薩、弁財天、歓喜天、荒神と並んでいます。左壁際には愛染明王(青蓮寺、五島美術館)が2体展示されてありましたので拝観しました。

 展示仏像(左:大日如来坐像 静岡・修禅寺、中:愛染明王坐像 東京・五島美術館、右:歓喜天立像 鎌倉・巨福呂坂町内会)鎌倉国宝館パンフレットから

彫刻展示会場の隣の会場はケース展示会場で、曼荼羅や密教絵画と鎌倉の密教に関する歴史資料の名宝が多数展示してありましたので観賞しました。

 展示名宝(左:虚空蔵菩薩像[部分] 鎌倉・円覚寺、右:五秘密菩薩像 神奈川県立近代美術館)鎌倉国宝館パンフレットから

一通りの見学が済むと、12時半となっていましたので昼食をとり、舞殿に戻り大石段の横の倒木した大いちょうの木の前を通り、車祓い所の前から大船行きのバスで帰宅しました。

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版
<前回 イベント 火/水/油/3人展 異業種交流会員の出展画を見て伯爵邸改築レストランで趣ある昼食を楽しむその2 へ
次回 イベント 両国ちゃんこ鍋 吉良邸跡近くで仇討ち入りに異業種交流会H11の忘年会を行うその1

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大森町界隈あれこれ 師走のイベント 大森町商店街ウィンターフェスティバル2011

2011年12月21日 | 大森町界隈あれこれ イベント

kan-haru blog 2011 サンタさんからサンタブーツのプレゼントを貰ったぞ 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.19

< 総合INDEX へ

今年も師走に入りあわただしくなってきた12月11日14時から、大森町商店街恒例のウィンターフェスティバル2011が開催されました。今年は東日本大震災のためサマーフェスティバルのチャリティイベントと同様に東日本大震災復興支援イベントと銘うって行われました。

 大森町ウィンターフェスティバル2011パンフレット

縁日・ゲーム、和太鼓演奏ならびに明治大学ニューウェーブのジャズオーケストラの演奏が行われ、今年は大田ケーブルネットワークが協力参加してゲームなどが行われました。この大森町ウィンターフェスティバルの一番人気は、さわやか信金前など5か所で行われるサンタクロースからのサンタブーツのプレゼントには、沢山の小児を連れたお母さん達の行列が並び大賑やかとなります。大森町ウィンターフェスティバルで人が集まる人気の場所は、さわやか信金前の食べ物の露天と信金前の空き地での子供のゲームのコーナーです。信金前の焼きそば、磯辺やき、フランクなどの食べ物露天は、大人が行列して売れ行き上々です。

 さわやか信金前のやきそば等の食べ物露天は大繁盛(写真拡大)

信金の対面した空き地のゲームコーナーでは、子供が順番待ちでゲームを楽しんでいます。

 子供に人気の信金前のゲームコーナー(写真拡大)

なお、今年は大田ケーブルテレビが協力参加して、西寄りの和太鼓演奏会場であった空き地にゲームコーナーを設定して、ボールキックゲームに子供が参加してていました。

 大田ケーブルテレビのゲームコーナー(左上中上右上左下中下右下写真拡大)

また、ゲームコーナーの反対側では、南三陸町歌津漁協女性部泊浜支部が製作した、ホタテキャンドルを販売していました。

 南三陸町のホタテキャンドル販売コーナー(写真拡大)

ウィンターフェスティバルの当日店頭で催しを行っているお店は、ナンカ堂、パナハルス三晃、小坂園、ちよだ鮨、さぼてん、エノモト、なんぶや、セブンイレブン、きりやま、芝浜およびスリーエフの11店が参加しました。

 店頭で催しを行ったお店の例(:さぼてん、:エノモト、:ちよだ鮨)

小坂園の店頭では、大田ケーブテレビのイベントで、豚君が登場して来訪者の人気を集め、興味深く眺めていました。

 小坂園前で大田ケーブルテレビイベントで豚君が登場(写真拡大)

・演芸
大森町ウィンターフェスティバルのオープニングの演芸は、14時からふれあいこどもクラブと地元大田福祉作業所利用者が参加する和太鼓演奏です。

 和太鼓演奏(:大田福祉作業所参加の和太鼓演奏、:ふれあいこどもクラブ年少メンバー、:ふれあいこどもクラブ和太鼓演奏)

ウィンターフェスティバルで定着した人気の演芸は、15時30分から開始の明大バンドのニューウエェーブのジャズオーケストラで、常連の聴衆が集まります。この時期の演奏は、何と云ってもクリスマス曲の演奏で、聞かないと新たな年を迎えられない常連で一杯となります。

 明大ニューウエェーブバンドのジャズオーケストラ演奏(写真拡大)

大森町商店街ウィンターフェスティバル2011明大ジャズコンサートの演奏の、クリスマスソング2曲を撮影しましたので、お楽しみ下さい。

大森町商店街ウィンターフェスティバル2011明大ジャズコンサート.wmv

[クリックすると、明大ジャズコンサートの演奏の、クリスマスソング2曲見られますのでお楽しみください]

動画をご覧頂けない方は、「大森町商店街ウィンターフェスティバル2011明大ジャズコンサート.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.19

・その他のイベント

大森町ウィンターフェスティバルで毎年行われるイベントには、16時から共栄会館で配るおしるこのプレゼントは年配者に人気です。
なお、今年の特別イベントとしては、キャンドルナイトが17時から東日本大震災の復興を願ってキャンドルを灯しましたが、その時間は残念ながら来客で見られませんでした。

 キャンドルナイトのパンフレット

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
カテゴリー別Index イベント総目次
<前回 イベント 大田区最大のイベント 35万人以上が来場するOTAふれあいフェスタ2011その2
次回 大森町界隈あれこれ 第16回大田工業フェア 中小企業を中心に工業技術や新製品を紹介する展示商談会

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大森町商店街ウィンターフェスティバル2011明大ジャズコンサート.wmv

2011年12月21日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

< 総合INDEX へ

動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

大森町商店街ウィンターフェスティバル2011明大ジャズコンサート.wmv

ブログ本文のページに戻るには、ブラウザトップの「戻る」ボタンを押してください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その5)

2011年12月18日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2011 糀谷駅上り線高架ホーム(左) 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.19    

< 総合INDEX へ

第8工区
第8工区の高架橋築造工事は、糀谷駅構内では在来下り線の移設工事から始まり、高架駅橋は地形上幅員の広い仮高架橋を築造し、上り線傾斜高架橋は在来上下線線路を移設し、その上り線跡に仮上り線傾斜高架橋を築造し、地上上り線の空いた部分に仮下り線傾斜高架橋の築造を進めています。糀谷第1踏切東側の高架橋は、傾斜高架橋部と盛土部から成ります。現在、仮上り線傾斜高架橋には、空港発品川方面行きの上り列車と横浜方面発空港行きの上り列車が走行し、在来下り線路には品川方面発空港行きの下り列車と空港発横浜方面行きの下り列車が走行しています。最終的には、上下線の高架橋が完成すると、上り線高架橋には、空港発品川方面行きの上り列車と同横浜方面行きの下り列車が走行し、下り線高架橋には、品川方面発空港行きの下り列車と横浜方面発空港行きの上り列車が走行します。

 糀谷傾斜高架橋説明図

・糀谷高架駅橋下基礎工事
前回記述時には糀谷高架駅橋下で基礎工事を行っており、12月14日に見ると上り線糀谷高架駅橋ホームの階段、エレベータおよびエスカレータ取付の準備工事を行っていました。

 糀谷高架駅橋下の準備工事(1214写真拡大)

・下り線高架橋築造工事(糀谷第1踏切西側構内)
前回記述時には、構内下り線高架橋の道床の築造は糀谷第1踏切際まで出来上がっており、上り線側の高架駅ホーム床も同第1踏切際まで出来ていました。
11月20日に見ると下り線側の高架駅ホーム床は、同踏切途中の高架脚柱まで築造されていました。

 構内高架橋駅橋築造工事(1120写真拡大)

12月14日に見ると、下り線側の高架駅ホーム床は糀谷第1踏切際まで伸延工事が済み、高架ホームの屋根柱の築造が進んでおり、工事用起重機は基台を残して取り外されていました。

 糀谷高架駅ホーム伸延工事(1214写真拡大)

下り線高架ホームも屋根工事が始まり、第1踏切西側構内の高架化工事も進んできました。

 第1踏切から見た糀谷高架駅ホーム工事(1214写真拡大)

・下り線高架橋築造工事(糀谷第1踏切東側傾斜高架橋)
糀谷第1踏切際の東側傾斜高架橋を見ると、高架橋桁上に床板が張られているようです。

 第1踏切際の下り線傾斜高架橋築造(1214写真拡大)

第1踏切から東側の傾斜高架橋の築造を遠望ると、線路が弓なりしている部分の3橋脚間には、コンクリート打ちした傾斜高架橋が望めます。

 第1踏切東側の傾斜高架橋築造(1214写真拡大)

同日下り線高架橋築造工事状況を、第1踏切北側脇の区道を通り、高架橋説明図のヤード横のまる1から覗いてみました。

 高架橋説明図まる1から傾斜高架橋を見る(:傾斜高架橋の糀谷駅方向を見る、:傾斜高架橋の対面方向を見る、:高架橋の空港駅方向を見る傾斜1214)

同じく環8通りを東に進み、高架橋説明図の工事場で入り口のまる2からも、下り線高架橋築造工事状況を覗いてみました。

 工事説明図まる2から傾斜高架橋工事現場を見る(:高架橋工事現場の糀谷駅方向を見る、:空港方向の高架橋盛土部端部を見る1214)

糀谷駅下り線高架ホームから傾斜高架橋の終端間を、仮上り線傾斜高架橋を走行する上・下り線先頭車窓から12月14日に工事進行状況を撮影しました。

糀谷下り線傾斜高架橋築造現場111214.wmv


[クリックすると、仮下り線高架橋築造現場を、上・下り線の先頭車窓からの前進風景が見られます]

動画をご覧頂けない方は、「糀谷下り線傾斜高架橋築造現場111214.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.19

< 総合INDEX へ
・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版2011年後期版
・ サブ・カテゴリー別Index : 高架化全工区下り線工事2011年前期版、・高架化全工区下り線工事2011年後期版 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その4)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第25回その1)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

糀谷下り線傾斜高架橋築造現場111214.wmv

2011年12月18日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

< 総合INDEX へ

動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

糀谷下り線傾斜高架橋築造現場111214.wmv

ブログ本文のページに戻るには、ブラウザトップの「戻る」ボタンを押してください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その4)

2011年12月16日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2011 寶珠院脇ヤード 更新動画を追加Ⅱ版2014.8.19  
   
< 総合INDEX へ

第6工区
・下り線雑色高架駅ホーム工事
下り線雑色高架駅ホームの工事は暫くの間工事は休止状態でしたが、12月7日に見ると下り線雑色高架駅ホーム上に工事関係者が多数集合して、視察打ち合わせを行っていました。これは、同ホームに階段、エレベータ、エスカレータの据え付け工事を始めるための、準備のようです。下り線雑色高架駅ホーム工事を行うには、在来下り線のホームを地上の旧上り線側にホームを仮設する必要があります。旧上り線のホームは、現在川崎方の先端に僅かの長さのホームが残存しており、これの幅員を在来下り線まで拡幅する必要があります。

 下り線高架駅ホームの工事準備開始(:下り線高架駅ホーム上で視察中の工事関係者、:川崎側先端部に残存する旧地上上り線ホーム1207)

同日見ると、蒲田側の雑色高架ホームの外れで信号装置の整備工事が行われていました。

 信号設備の整備工事(1207写真拡大)

・仮下り線高架橋築造工事
前回記述時には、仮下り線用の高架橋脚柱が、仮上り線の高架橋脚柱に接続して築造が行われていました。
12月7日に、上り線仮高架橋の東側のマンション(アイピーコートマルハンウェルネス)からま寶珠院付近までの京急電鉄西側区道沿いの、仮下り線高架橋の築造の進況を見てきました。この高架橋築造工事の現場の六郷駅寄りの大半は、京急線路の西側からは仮上り線により遮られ、線路東側は住宅が立て込み見られませんので、京急運用走行車両から見て補ってあります。

 六郷土手付近高架橋築造現場説明写真

仮下り線高架橋築造を説明写真で見ると、マンション通りのガード(まる1)から上り線仮高架橋が分岐して、六郷寄り最初の高架橋柱では在来下り高架橋桁より、仮下り高架橋桁の方がやや高く工事されています(まる2および下写真中参照)。北側の高架橋柱付近では、在来下り高架橋桁は徐々に地上に降りていきます(まる3および下写真中参照)。仮下り線高架橋は、複数個所で高架橋桁(まる4および5参照)が築造されています(動画参照)。

 六郷駅側から見た仮上り線(左)と仮下り線(中央)高架橋および在来下り線線路(右)(:六郷駅から見た高架橋築造現場、:六郷方を見たガード北先の高架橋底部(まる2)、:雑色方を見たガード北先の高架橋底部(まる3)1207)

仮下り線高架橋築造工事の現場の区道を北に進むと、仮下り線高架橋築造の様子は工事囲いで見られませんが、さらに進むと工事囲いが2個所で開いており、そこの工事状況が見られました。

 仮下り線高架橋築造中の工事現場(:仮下り線高架橋築造中の工事現場1、:仮下り線高架橋築造中の工事現場21207)

2個目に見えた工事現場は、東陽院踏切上の完成の複線高架橋から7脚目の高架橋柱の場所で、その先北方の5脚目の高架橋柱までは、上り線仮高架橋の工事現場は囲われているため見ることができません。4脚目の高架橋柱の間には、現在高架橋桁築造の工事は行われていません。

 東陽院踏切高架橋から5脚目橋脚柱までは高架橋築造工事は囲いで見えない(:ここまでの高架橋築造中の工事現場は工事囲いで見えない、:東陽院踏切完成高架橋から5脚目の橋脚柱、:東陽院踏切完成高架橋から4脚目の橋脚柱1207)

東陽院踏切上の完成の複線高架橋から3-4脚目の高架橋柱間には、高架橋築造の工事が進行中です。

 3-4脚目の橋脚柱間では高架橋築造工事中(1207写真拡大)

また、その北側の複線高架橋から2-3脚目の高架橋柱間にも、高架橋築造の工事が進行中です。

 2-3脚目の橋脚柱間では高架橋築造工事中(1207写真拡大) 

さらに北側の複線高架橋から1-2脚目の高架橋柱間では、高架橋築造の工事が準備中です。

 1-2脚目の橋脚柱間では高架橋築造工事の準備中(1207写真拡大)

東陽院踏切から仮下り線の高架橋脚柱の築造工事状況を見てみました。

 東陽院踏切から仮下り線の高架橋脚柱の築造工事を見る(1207写真拡大)

高架橋工事の東側にある寶珠院の脇のヤードを見ると、高架橋築造工事用の高架橋桁枠が保存されており、移動運搬架設の準備を行っていました。

 寶珠院脇のヤードで高架橋橋桁の移動準備(左上中上右上左下中下:寶珠院脇のヤード・右下:寶珠院から見た高架橋1207写真拡大)

仮下り線高架橋築造現場を、12月14日に撮影しました。

六郷土手付近仮下り線高架橋築造現場20111214.wmv


[クリックすると、高架橋築造現場が見られます]

動画をご覧頂けない方は、「六郷土手付近仮下り線高架橋築造現場20111214.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.19

< 総合INDEX へ
・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版2011年後期版
・ サブ・カテゴリー別Index : 高架化全工区下り線工事2011年前期版、・高架化全工区下り線工事2011年後期版 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その3)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その5)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

六郷土手付近仮下り線高架橋築造現場20111214.wmv

2011年12月16日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

< 総合INDEX へ

動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

六郷土手付近仮下り線高架橋築造現場20111214.wmv

ブログ本文のページに戻るには、ブラウザトップの「戻る」ボタンを押してください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その3)

2011年12月13日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 右側上り線梅屋敷高架駅ホーム  
   
< 総合INDEX へ

第2工区工事
・上り線梅屋敷駅ホーム跡工事
前回記述時(「大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第16回その3)」0520参照)には、旧上り線梅屋敷駅ホーム跡では高架駅橋下の高架工事の準備作業を行っていました。
12月10日に見ると、旧上り線梅屋敷駅ホーム跡の高架駅橋下では、上り線高架駅ホームの階段とエレベータの取付工事を久方ぶりに行っていました。

 上り線高架ホームの階段とエレベータの取り付け工事開始(1210写真拡大)

梅屋敷高架駅の階段設置工事は早く、高架駅橋を築造時に既に2段構造の階段とその踊り場の骨格は2009年7月28日には組み込まれていました。

 梅屋敷高架駅階段の構築(写真拡大090728撮影 再掲)

12月10日に、上り線高架駅橋下の梅屋敷駅ホーム跡工事現場を撮影しておきました。

 上り線梅屋敷駅ホーム跡工事現場(1210写真拡大)

第5工区工事
・京急蒲田第6~9踏切間旧下り線線路跡工事
前回同様に、京急蒲田第6~9踏切間の旧下り線線路跡の下り線高架傾斜橋の工事状況を、12月7日に巡察してきました。

 京急蒲田第6~9踏切間の下り線傾斜高架橋工事観測場所矢視図(再掲)

同第6踏切跡付近の傾斜高架橋(矢視図まる1)とヤード北側の傾斜高架橋(矢視図まる2)には、高欄が取付られました。

 第6踏切跡付近およびヤード北側の傾斜高架橋(:・:矢視図まる1傾斜高架橋、:矢視図まる2傾斜高架橋1207)

ヤード内の傾斜高架橋にも、工事資材の上げ下げ個所を除いて高欄が取付られました。

 ヤード附近の傾斜高架橋(:ヤード北方の傾斜高架橋、:ヤード中央傾斜高架橋、:ヤード南方傾斜高架橋1207)

ヤード南側の傾斜高架橋(矢視図まる4)およびその南側のネッツトヨタ東京南の高架橋にも高欄が取付られてます。

 ヤード南側の傾斜高架橋(:ヤード南側の傾斜高架橋、:ネッツトヨタ東京南側の高架橋1207)

京急蒲田第8踏切上の下り線高架橋(矢視図まる5)は、築造工事が終了して高欄が取付られてますが、運用中の上り線の高架橋には、まだ高欄は取付けられていません。

 第8踏切附近の高架橋(1207写真拡大)

蒲田消防署の南側には、唯一まだ築造途中の下り線高架橋(矢視図まる6)が残っています。

 蒲田消防署南側の架設築造中の下り線高架橋(1207写真拡大)

京急蒲田第9踏切上の下り線側高架橋(矢視図まる7)にも高欄が取付られて、第6~9踏切間下り線傾斜高架橋は概略築造が終了し、今後は道床の工事が行われ線路が敷設されます。

 第9踏切附近の完成した上下線高架橋(:高欄が付いた第9踏切上の下り線高架橋、:第9踏切付近の上下線高架橋、:第9踏切付近の底部から見た上下線高架橋1207)

< 総合INDEX へ
・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版2011年後期版
・ サブ・カテゴリー別Index : 高架化全工区下り線工事2011年前期版、・高架化全工区下り線工事2011年後期版 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その2)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その4)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その2)

2011年12月11日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連

kan-haru blog 2011(誤記訂正20120120) 橋脚柱新P15上で高架橋築造の準備12月5日撮影 
更新動画を追加Ⅱ版2014.8.19
   
< 総合INDEX へ

下り線仮高架橋築造(内川)工事
・内川高架橋梁の橋桁架設
前回記述時には、完成した内川南北岸の高架橋脚柱の新P18とP19上に、内川高架橋梁桁が架設され、仮下り線用の高架橋として使用されます。
架設された仮下り線内川橋梁を、下り線と上り線の車窓から10月20、25日に見てみました。

 仮下り線内川橋梁を車窓から見る(左:下り線車窓から1020、中:上り線車窓から1020、右:上り線車窓から1025)

12月5日に見ると、架設された内川橋梁上では作業員が仮下り線内川鉄橋の完成に向けての工事を行っていました。また、同日に内川鉄橋の底面から、在来下り線鉄橋と当初下り線で使用される新鉄橋および、仮上り線鉄橋の現在3本の架設鉄橋を見ました。最終的には、在来下り線鉄橋と仮上り線鉄橋が無くなり、複線の新鉄橋となります。

 工事中の仮下り線高架橋内川橋梁(左・中:橋梁上で工事中の仮下り線内川橋梁、右:仮下り線内川橋梁を底面から見る1205)

・内川南岸の高架橋築造工事
前回記述時には、内川南岸の高架橋脚柱はP19の建立のみでした。

 内川南岸の上り線仮高架橋説明図(再掲)

10月20日に下り線列車から見ると、高架橋脚柱P19の南側に第1高架橋脚柱KG20が建立され、横桁が付けらており、その南方にも第2高架橋脚柱SRC1が建立されていました。11月9日に見ると、第2高架橋脚柱にも横桁が付けら、その南側に第3高架橋脚柱が建立され横桁が付き、第1~3橋脚柱上間に内川南岸高架橋が築造されていました。

 内川南岸仮下り線高架橋の築造が進む1(:第1高架橋脚柱KG20、:第1高架橋脚柱建立が始まる1020、右:第3高架橋脚柱SRC2が建立1109)

第1高架橋脚柱と第3高架橋脚柱の2橋脚注間に築造された、高架橋桁を11月9日に上り線車中と同20日に地上から撮影しました。

 内川南岸仮下り線高架橋の築造が進む2(:1109、:1120)

12月に入り内川南岸の高架橋築造工事を見ると、作業枠などが外されすっきりした高架橋が望めます。

 内川南岸仮下り線高架橋の築造が進む3(1205写真拡大) 

・内川北岸の高架橋築造工事
前回記述時には、内川北岸の高架橋脚柱は新P17橋脚柱が完成し、新P16とP15脚柱の組立中でした。
11月20日に見ると、仮下り線の内川橋梁が架設された高架橋脚柱新P178から、内川北岸高架橋の架橋築造が行われ、新P17橋脚柱に向けての高架橋桁の組立工事が進んでいます。

 内川北岸の高架橋築造の工事が始まる1(1120写真拡大)

内川北岸の高架橋築造工事は、橋脚柱間の間隔が広いので幅広な高架橋桁を仮設台上で組んで、新P17橋脚柱まで伸ばしていく工法が採られています。

 内川北岸の高架橋築造工事はP17脚柱へと進む(:高架橋築造工事はP17脚柱へと伸びる、:10月に完成済の新P17橋脚柱1120)

同20日に見ると、平和島第2架道橋の両側の新P16とP15脚柱は完成していました。

 完成した新P15と新P16橋脚柱(:完成した新P15(前)とP16(後)橋脚柱、:完成した新P16橋脚柱、:完成した新P15橋脚柱1120)

12月5日に見ると、仮下り線内川北岸高架橋桁の築造は、高架橋脚柱新P178から新P167橋脚柱まで到達しました。

 高架橋築造工事はP17脚柱まで到達(1205写真拡大)

内川周辺仮下り線高架橋築造の工事を、在来下り線走行車両先頭車窓と後尾車窓から、12月7および10日に工事の進況を撮影しました。

仮下り線内川付近高架橋築造工事.wmv


[クリックすると、内川周辺の仮下り線高架橋築造現場を、在来下り線の先頭車窓および後尾車窓からの前進風景が見られます]

動画をご覧頂けない方は、「仮下り線内川付近高架橋築造工事.wmv」(←をクリック)すると別画面で掲示されている動画でご覧いただけます。Ⅱ版2014.8.19

< 総合INDEX へ
・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版2011年後期版
・ サブ・カテゴリー別Index : 高架化全工区下り線工事2011年前期版、・高架化全工区下り線工事2011年後期版 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その1)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その3)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仮下り線内川付近高架橋築造工事.wmv

2011年12月11日 | ようこそ kan-haru日記へ

kan-haru blog 2014

< 総合INDEX へ

動画の「スタート」ボタンを押すと、動画が見られます。

仮下り線内川付近高架橋築造工事.wmv

ブログ本文のページに戻るには、ブラウザトップの「戻る」ボタンを押してください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その1)

2011年12月08日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2011 高架下り線ホーム下の深夜工事現場 
   
< 総合INDEX へ

大森町駅高架下り線ホーム工事
前回の記述時には、大森町駅下り線高架ホーム階段据え付け工事は、第1~3階段部の階段梁枠組みの組立が階段下部の踊り場まで行われていました。
10月28日に見ると、設置の下り線階段梁枠組みの組立下部の踊り場部には、踊り場支えの支柱が建てられ始めました。

 階段踊り場支え支柱の建立(1028写真拡大)

11月4日には、階段梁枠組みの組立下部の踊り場部には、踊り場枠台が組立てられていました。ちなみに、踊り場枠台付近の場所は、かなり昔には内川が流れていた場所なのです。

 下り階段踊り場枠台組立(1104写真拡大)

同18日に見ると、下り線高架ホーム階段の第1~3階段部の階段梁枠組みに階段踏み段枠の取り付けが行われていました。仮下り線1階ホームから見ると、工事囲いの間に工事階段が見えます。

 下り階段踏み段枠の取り付け(:1118、:1125、:1207)

12月に入ると、工事囲いの塀の一部が取り除かれて、エレベータとエスカレータの取り付け準備工事のため、終電後の夜間に埋設物の撤去と思われる工事が暫くの間行われていました。

 高架駅下り線ホーム下の深夜工事(:1202、:1204)

下り線高架ホーム下では、エレベータとエスカレータの取り付けの準備工事が深夜に行われている12月7日に、大森町駅下り線高架ホーム上を、同上り線高架ホームから見てみましたが、階段が付いた階段位置では特に変わっていません。

 大森町駅下り線高架ホームの工事個所(:下り線高架ホーム上の階段設置場所(左)、:下り線高架ホーム上のエレベータ設置場所、:下り線高架ホーム上のエスカレータ設置場所1207)

同日見ると、大森町駅下り線高架ホーム下のエレベータとエスカレータの取り付けの準備工事場では、工事囲い塀が除去され、連日終電後の深夜に工事が行われて、明け方まで工事音が響いています。

 工事囲い塀がオープンされた下り線高架ホーム下の深夜工事の現場(1204写真拡大)

< 総合INDEX へ
・毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版2011年後期版
・ サブ・カテゴリー別Index : 高架化全工区下り線工事2011年前期版、・高架化全工区下り線工事2011年後期版 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第23回その4)
次回 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 全工区統合下り線高架化工事編(第24回その2)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベント 火/水/油/3人展 異業種交流会員の出展画を見て伯爵邸改築レストランで趣ある昼食を楽しむその2

2011年12月06日 | イベント
kan-haru blog 2011 TEIENTIOKYOバーカウンタ  
    
< 総合INDEX へ

TEIENTOKYOでランチ
3人展を見てギャラリー青藍を出たのが13時少し前の昼時なので、外苑東通りに向かって戻ると右側に白壁塀の中央に古い邸宅の立派な門構えが見え、そこにはTEIENTOKYO(東京都港区六本木3-15-15)が開いている飲食処で、昼はランチを提供している案内がありましたので寄ってみました。

 TEIENTOKYO案内図

TEIENTOKYOの建物は、伯爵邸の跡で大正時代の建築で、現代でもマッチする邸門を入るとやや右側が2階建ての趣ある和風建築の佇まいで、邸宅玄関前の庭と左面の周囲には300坪ほどの広い庭があり、庭木が植えられて一歩中に入ると静寂な世界で、六本木の繁華街通りに面しているとは感じられません。

 TEIENTOKYO(Google Earth)

TEIENTOKYOは、ギャラリー青藍の通りに面した白壁塀に囲まれた旧伯爵邸の跡を改装して営業をしており、門を入るとやや右側が旧邸宅で、玄関がTEIENTOKYOの入口です。

 TEIENTOKYO入口(:白壁塀に囲まれた旧伯爵邸、:邸門はTEIENTOKYOの入り口、:TEIENTOKYOUの玄関口)

玄関を入るとお食事の部屋は、旧伯爵邸の1、2階のお部屋の間取りをそのままにして改装した部屋で、玄関を入って直ぐに料理部屋があり、その奥に庭に面したお部屋と、中央に金庫室を改装した部屋などがあり、元金庫室のお部屋を選んで昼食をとりました。金庫室は倉なので周囲には窓が無く、金屏風絵が周囲の壁面に嵌め込まれており、大型金庫は移動が困難のため前面を屏風絵で覆って目隠してそのまま残してありました。
当日のランチのメニューは、ダンジネスシーザ・サラダ、ダンジネスコールスロー・サンドとロルボナーラの3種類で、コーヒー付きで1800円ですが時間が遅く入ったのでそのうちの1種類は品切れとなっていました。ダンジネスはカニ料理で、遠い昔にサンフランシスコに行った想い出がよぎりました。

 大正時代旧伯爵邸の面影を遺すTEIENTOKYO(:TEIENTOKYO入口、:TEIENTOKYO玄関前庭、:食事を摂った1階金庫室の客室)

食事が済んでから2階のお部屋を見てもよいとのことなので、店員さんの案内で階段を上がり間取りそのままのお部屋を見学しました。2階の客室の部屋は、大正時代の伯爵邸の和室・洋室の佇まいをそのまま残し、豪華なテーブルと革製の椅子を配置してゴージャスな雰囲気がセットされています。

 TEIENTOKYOのゴージャスな2階客室(:2階の客室を見る、:椅子に座ると豪華な雰囲気に浸る、:ゴージャスな2階客室)

邸宅横の庭に出ると、元の古木を遺して日本庭園の地上に床が張られ、ベンチなど配してあり、結婚披露宴やイベントが行える様になっています。
豪華な気分でコーヒーを飲み、昼食を済ませてTEIENTOKYOを出たのは、14時半近くでした。これは、お店の配慮なのか食事とコーヒーの出てくる時間が長かったためです。このような雰囲気での食事は、時間をたっぷりとかけて楽しむのがTEIENTOKYOでの食事なのです。何時もの昼の食事とは、異なった世界のランチタイムでした。

 TEIENTOKYOの庭園(写真拡大)

2011 Xmasトイラン
TEIENTOKYOを出て外苑東通りの交差点で解散して、14時20分頃に六本木交差点で信号待ちしていると、外苑東通りを東京ミッドタウン方面から、約150台のハーレーにまたがった真っ赤なサンタ軍団たちがパレードをし、東京タワー方面に行進してあっという間に通過しました。
このオートバイのデモ行進は、第5回 2011 Xmasトイランで、11月は児童虐待防止運動強化月間であり、ハーレーサンタCLUBがオレンジリボン運動として、「児童虐待をなくそう!」をテーマにした示威運動です。ハーレーサンタCLUBは12年前から行っている児童養護施設訪問から得た経験を元に、「児童虐待防止の啓蒙活動」と「被虐待児の就活」を中心に行っているボランティア団体であり、現在全国で600人余りのライダーが登録しています。
東京では、2011年には、11月23日(祝)と12月23日(祝)にパレードが行われます。このパレードの【Xmasトイラン(TOYRUN)】とは、クリスマスの日のトイ(Toy=おもちゃ)を持ってバイクにて(ランRun=走る)乗ると言う意味だそうです。12月23日の約180台のトイランを見るには、パレードが通る主な通りは、渋谷区明治公園を13時に出発して、新宿→原宿→表参道→青山通り→赤坂→六本木→東京タワー方面に進みますので、11月23日に六本木交差点を通過したのが14時20分頃でしたので参考にして下さい。

 ハーレーに跨ったサンタさんのパレード(写真拡大)

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版
<前回 イベント 火/水/油/3人展 異業種交流会員の出展画を見て伯爵邸改築レストランで趣ある昼食を楽しむその1 へ
次回 イベント 鎌倉国宝館 鎌倉ゆかりの密教尊像・名宝が一堂に集結した特別展「鎌倉×密教」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イベント 火/水/油/3人展 異業種交流会員の出展画を見て伯爵邸改築レストランで趣ある昼食を楽しむその1

2011年12月04日 | イベント
kan-haru blog 2011 ギャラリ青藍入口 
    
< 総合INDEX へ

火/水/油/3人展
異業種交流会員の渡辺氏からの、火/水/油/3人展を六本木青藍で開催の案内状を頂き、H11異業種交流研究会に集合した時に、会員の3人が11月23日(祝)12時に六本木交差点で落ち合って行くこととし、見に行きました。

 陶芸・水彩・油彩展案内状

火/水/油/3人展は、昭和、平成を駆け抜けた同世代が新たな目標を定め挑戦を始めて、“一路に徹する”エネルギーを日々の創作に・・・そんな思いの一歩で製作した、齋藤雅之氏の陶芸作品と、渡辺正博しの水彩画作品および、奥村春男氏の油彩画作品を一堂に合わせてギャラリー青藍に出展し開催した3人展です。3人展の開催期間は、2011年11月20~26日の11時~19時です。

 青藍・TEIENTOKYOアクセス図

ギャラリー青藍(東京都港区六本木3-15-9)は、Taste of Japanを基本姿勢として意識し、貸しギャラリーとしては、その基本姿勢に基づく古典から現代までの広い分野の作品を受け入れています。青藍へのアクセスは、六本木交差点から外苑東通りを東京タワー方面に進み、ドンキホーテから信号二つ目の交差点を左に曲がり、100m程行くとギャラリー青藍です。

 3人展展示風景(写真拡大)

3人展は、会場左側の壁面に油彩画が展示され、右側壁面に水彩画を展示し、周囲のテーブル一面に陶芸品が出品されていました。見学者は、昼時でしたが祭日のため多く、出展者の3人は応対に忙しいほど次から次へと訪れて来て盛況でした。

 3人展出展作品(:陶芸作品展示、:水彩画作品展示、:油彩展示作品)

出展の作品を一通り観賞して廻りました。会員の渡辺氏の水彩画には、ルーマニア・ブラン城やサクスホンなどが展示されておりました。

 水彩画作品1(写真拡大)

また、画家仲間と出かけて描いた作品の蘇州なども展示されていました。

 水彩画作品2(写真拡大)

3人展を観賞させて頂いた後に、記念に出展者3人の写真を撮らせて頂きました。異業種交流会の水彩画作者の渡辺氏は、写真左の右側の方です。3人展の作者は、何れも1944年生まれで、陶芸家の斉藤雅之氏は外資系の広告代理店からグラフ誌の編集記者を務められ、北中南米、欧州、旧ソ連、東欧などを歴訪されたそうです。水彩画家の渡辺正博氏は日本を代表するアーキテクチャーの会社の創設者です。油彩画家の奥村春男氏は広告会社「サン・アド」を設立し元日本グラフィックデザイナー協会会員で活躍されていました。

 3人展見学観賞記念撮影(:3人展出展の製作者諸氏、:作者と一緒に記念撮影、:見学記念撮影のH11メンバー)

< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(12月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index イベント総目次 2011年版2010年版2009年版2008年版2006・2007年版
<前回 イベント 東京都立産業技術研究センター本部 異業種交流会H11で10月開設の施設見学その2 へ
次回 イベント 火/水/油/3人展 異業種交流会員の出展画を見て伯爵邸改築レストランで趣ある昼食を楽しむその2
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする