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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 昔の大森町風景 世界大戦前(1940年)から終戦時(1945年)頃の戦時下の大森町風景その2

2016年06月29日 | 大森町界隈あれこれ 風景

< 総合INDEX へ  東海道分間絵図(鈴が森から大森村 元禄3年)・誤記訂正20160702

1940年代の大森町風景をみるために、先ずは明治以前から昭和の初めまでの大森の誕生について、見ていきます。
大森町の誕生
・明治以前の荏原郡大森
 今の大森地域は、近世紀の武蔵国荏原郡に属していました。武蔵国は、現在の東京都、埼玉県と神奈川県の川崎市と横浜市にわたります。
 菅野真道らが797年(延暦16年)に著した『日本書紀』には、武蔵国の郡名として荏原郡の名が見られます。
927年(延長5年)に醍醐天皇の命により著した、延喜式神名帳(『延喜式』の巻九・十の全国の神社一覧)には、荏原郡の社として磐井神社(「大森町の社寺 磐井神社 大森町北端にある鈴石伝説の磐井神社夏祭り その1その2」参照)と薭田神社が上げられています。
 荏原郡は、「和名類聚抄」(承平年間(931~938年)に勤子内親王の求めで源順が編纂した辞書)によれば、武蔵国21郡の中の1つで、郡内には蒲田・田本・満田・荏原・覚志(かがし)・御田(みた)・木田・桜田・駅家(えきか)の9郷があり、現在の品川・目黒・大田・世田谷の各区と港・千代田区の一部の範囲が及んでいます。

 和名類聚抄(Wikipediaから)

  1559年(永禄2年)に作られた「小田原衆所領役帳」(相模の戦国大名北条氏康が作らせた、一族・家臣の諸役賦課の基準となる役高を記した分限帳) には、大森、堤方、雪ヶ谷、鵜之木、不入斗、新井宿、蓮沼等の地名がみられます。これらの地名が、450年以上も経過した現在の町名として残っていることは、行政のつながりはありませんが、歴史の連続を見ていく上で重要です。

 小田原衆所領役帳伊豆衆部分

 古川古松軒(旅行家、地理学者1726年~1807年)は、11代将軍家斉(御三卿一橋家の第2代当主徳川治済長男)の命で、江戸近郊を巡視した時の記録「四神地名録」の「武蔵国荏原郡之記」を要約すると、“荏原郡の海岸や多摩川に沿った村には、田もあって風土も適当であるが、それも荏原郡全体からすると2割にも満たない。8割におよぶ部分は、丘陵や山を切り開いた畑の散在する地所の高いところである。したがって、荏原郡のいずれの村も、村の生産力を示す村高の数値割合からすると、村の面積は大きいが、産物の少ない土地や雑木林が多く、五穀(米・麦・粟・稗・豆などの穀類)に適さない灰のような土質の悪い土地であったという。また、荏原郡の名産として、品川・大森の海苔、多摩川の鮎、羽田の蛤をあげ、そのほかには他地方に優れる名産はない、という。”と記されています。

 四神地名録武蔵国荏原郡之記(早稲田大学図書館古典籍総合データベースから)

 1810~26年にかけて編さんされた官選の地誌『新編武蔵風土記』には荏原郡の地勢を、東は品川の海を限りとし、南には多摩川が流れて橘樹郡にならび、西は多摩郡を境とし、北は豊島郡を経て江戸の地に続く、周囲約60キロメートルの区域であり、六郷領(34村)、馬込領(13村)、世田谷領(30村)、品川領(13村)および麻布領(5村)の五領であり、村数は合計で95か村でした。

 新編武蔵風土記之46巻荏原郡(国会図書館デジタルコレクションから)←クリックで拡大

 現大田区関連の村領は、六郷領が八幡塚村から久ヶ原村に至る34ヶ村、馬込領が久ヶ原・道々橋・雪ヶ谷・池上・馬込・桐ヶ谷の6か村、世田ヶ谷領が上沼部・下沼部・石川の3か村の43か村と、羽田猟師町を含めて44か村の構成です。

 六郷領内村の家数・村域・地(新編武蔵風土記稿より作成)

 荏原郡の地勢は南東部の低地は水田もあり土質が良好であるが、北西部の大地に連なる村々は平地に比較すると穀物に適さない土壌の地域である。なかでも、大井村の南に位置する、新井宿村、堤方村、池上村、久が原村、鵜の木村などは、丘陵地で土質もよくないと記されています。

・近世の村の形成
 江戸時代では、兵農分離の時代で、領主は文書を持って農民を支配して、農民が個別に生活をおくる場であり、検地(律令制下、全ての農地の所有権は国家が持ち、台帳を作成し、農地の面積や収量を把握し、徴税の基礎資料としていた)と村切(村の境界を定め,村落の範囲を確定して耕地を集落周辺に集中させる)によって確立していました。
  『小田原衆所領役帳』をもとに、1828年(文政11年)編纂の幕府官選地誌『新編武蔵風土記』の村地名がつぎのように記載されています。(大田区史中巻から)
 大森村: “当初の地名は明徳2年鎌倉公方氏満の文書に初めてみゆ”
 不入斗村: “当村今は郷庄の唱を失せり、然るに貞治年中の文書によれば、大井郷に属せしよし見えたり”
 北蒲田村: “古へたゝ蒲田とのみ号せしに其後此村の内今新宿村わかれて・・・・・・『三代実録』に当国蒲田神社のことを載せたれば、貞観の頃より前開けし地なりしなるべし“
 八幡塚村: “村名の起こりし故は、鎮守八幡の社地に八幡塚と号する塚あるによれり・・・・・・天正19年八幡社領の事を  記せし文にも、荏原郡六郷とあり“ 
  雑色村: “昔は六郷村の内にて、其頃は此地を東郷とよべり、今の村名いつの頃起りしや詳かにせず、八幡塚村と同く分村せりと云“ 
   羽田村: “郷庄の名を伝えず・・・・・・昔天正18年までは北条の家人行方弾正が世々領せる所なり、故に北条家より与る文書に、そのことをのせて“
 馬込村: “当村の開けたるは、いつの頃にや定かならず、永禄の頃は梶原助五郎か領地にして“
 池上村: “当村開闢の年代を伝へざれども鎌倉将軍の時池上右衛門太夫が住し地なりと云ふときは、古き村なることしらる“
 堤方村: “昔は文字も提傍と書せしに、いつしか今の字を用るやうになりしと、されと永禄の頃にははや堤方としるしぬれ は“
   原村: “応永年中鎌倉管領満兼より、鶴岡八満宮へ社領寄付せられしちきの文書にのする、六郷保の内原郷と伝は此   所なるべし“
 矢口村: “此地名は『太平記』等の書にも載せて、世に知る所なれば古くより開けし村なることは論を待ず“
   下丸子村: “当村開墾の年代は伝へざれど『小田原北条分限帳』に、五百五十文小札下丸子布施善三とあれば永禄以前開けし村なることは勿論なれど“
   鵜ノ木村: “延徳元年の頃天明伊賀と云もの、五六輩の人を率ひ当所に来て原野を墾し、はじめて陸田をおこせしより、年を歴て村落をなせり“ 
 雪ヶ谷村: “此村開発の年歴を伝へざれども、『北条分限帳』に二貫八百五十文六郷内雪ヶ谷太田新六郎知行・・・・・・記 したれば、永禄の頃は己に開けしとしらる“

・大森村を通る街道
  1825年の『東都近郊図』によると、荏原郡の海岸沿いの一帯は平地で、橘樹郡から豊島郡にかけて東海道が貫いており、江戸にむかう六郷の渡し場の八幡塚村をはじめとして、高畑村、雑色村、町屋村、新宿村、北蒲田村、東・西・北大森村、不不入斗村などが並んでいます。また、大井村から山王台地の縁辺部を通り、池上本門寺門前から平間に抜ける池上道りと、洗足池羽畔を通り、雪が谷村を経て下沼部村で丸子の渡しを渡る二筋の街道は、荏原郡の村々を抜けています。

 
 東都近郊部分図 1825年(文政8年)東京都 所蔵地図データベースから

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大森町界隈あれこれ 昔の大森町風景 世界大戦前(1940年)から終戦時(1945年)頃の戦時下の大森町風景その1

2016年05月09日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2016 昭和29年頃の学校裏(現平和島)駅と澤田通り付近の第1京浜国道

プロローグ 
Kan-haru日記は、2006年3月8日から投稿を開始し、”大森町界隈あれこれ”の8項目のカテゴリーと、”全般”の7項目のカテゴリーの項目に別けて記述してあります。
大森町に転居したのは1938年(昭和13年)で、当時の東京は35区制であり、大森町は東京府東京市大森区の地名で呼ばれていました(「大森町界隈あれこれ(1) 大森町に住んで65年!(その1)」参照)。ブログの掲載は、10年前の2006年03月19日付けから開始して、掲載記事のほとんどは大森町に住んでから65年ほど経過した時点の記録記事が主体です。
掲載ブログの中で、大森町の風景を記述した記事の” 大森町界隈あれこれ 大森町風景” カテゴリー記事では、2006年のブログ開始時から今日に至る大森町の風景が書かれています。ただし、2010年版記事のなかの、” 大森町界隈あれこれ 大森町の昔を古地図で探る 大森村絵図その1,その2その3その4”ならびに” 大森町界隈あれこれ 大森町の昔を古地図で探る 大森村絵図第2編第1回その1その2その3”の記事には、古地図の時代を考証した大森町・大森村の風景が描かれています。
また、”大森町界隈あれこれ 目次(2)鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)第1回から第11回目次”の掲載記事は、父の同僚の若山武義氏提供の遺稿(1946年1月記述)記から編集して、1945年4月15日の大森町空襲の貴重な遭遇記が掲載してあります。

 空襲を受ける東京市街、1945年5月25日(Wikipediaから) 

本題の”大戦前(1940年)から終戦時(1945年)頃の戦時下の大森町風景”では、世界大戦前から終戦後までの大森町での生活を振り返って、その想い出の風景を辿ってみます。

・東京の変遷
1940年(昭和15年)代の大森町の風景を理解を進めるため、まずは東京の明治時代からの変遷を追っていきます。
1872年(明治5年) に武蔵国荏原郡、豊島郡、足立郡、葛飾郡のそれぞれ一部を管轄区域とする東京府を設置する。
1878年(明治11年)の「郡区町村編成法」により東京府中心部市街地に、麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、芝区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区の15区を編成し、市街地に隣接する区域には荏原郡・東多摩郡・南豊島郡・北豊島郡・南足立郡・南葛飾郡の6郡を編成する。

 1878年(明治11年)に設置された東京15区(Wikipediaから) 

1889年(明治22年)の「市制町村制」特例で東京府が東京市となり、市長は府知事が兼務する。
1899年(明治32年)10月1日に特例を廃止し、一般市制による一般市となる。
1917年(大正6年)に東京府南多摩郡八王子町は、市制施行で東京府八王子市となる。
1932年(昭和7年)10月1日に、東京市は近隣郡部を合併し、旧15区外周に新たに20区を増して全35区となり、「大東京」と呼ばれる。

1932年(昭和7年)に設置された東京35区(Wikipediaから) 

郡制廃止後の1940年(昭和15年)に、東京府北多摩郡立川町が東京府立川市となり、東京府は東京市と八王子市と立川市の3市構成とる。
1943年(昭和18年)7月1日 に東京都制施行を施工し、東京市と東京府が廃止され東京都を設置して、東京都の35区は行政区となる。
1945年(昭和20年)3月10日の「東京大空襲」により本所・深川の下町を中心に甚大な被害を受け、都庁舎も焼失する。その後の継続する空襲より、市街地の多くが焼け野原と化す。

 昭和20年3月10日の下町「東京大空襲」(毎日新聞から)

1947年(昭和22年)の地方自治法の公布で、35区は再編されて23の特別区となる。

 東京23区地図(東京都公文図書館から)

・大森町の変遷
1889年(明治22年)5月1日町村制の施行により、東京府荏原郡に大森村、入新井村、池上村、馬込村、調布村、羽田村、蒲田村、矢口村、六郷村が誕生する。

 明治のころの大森村の想定図 

1897年(明治30年)7月20日町制施行して、大森村が大森町となりました。以下、表記の8村も順次村から町に移行していきました。

 1897年から荏原郡に大森町他各町が誕生

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第92回箱根駅伝風景その1

2016年01月18日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2015 第92回箱根駅伝選手名鑑(スポ―ツ報知刊)

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正月の第1京浜国道大森町交差点風景
毎年正月の2,3日には、大森町界隈の大森町交差点の第1京浜国道(国道15号)を、恒例の箱根駅伝の選手が通過するので、近隣住民は国道添いに集まり、新聞社が配る旗を振って、応援するのが恒例になっています。第92回箱根駅伝は、関東学生陸上競技連盟主催、読売新聞社共催して行われ、参加出場校は。第91回大会の上位10校のシード校と、2015年10月に行われた予選会通過校10校を加え、オープン参加の関東学生連合チームを合わせた全21チームが参加して行われます。
 
 第92回箱根駅伝出場校   

箱根駅伝の往路は、午前8時に読売新聞東京本社前を一斉にスタートして火ぶたが切られ、国道1号線を日比谷公園交差点まで走り、そこから一直線に東京都道409号日比谷芝浦線を芝5丁目交差点まで進み、国道15号線(第1京浜)に入り品川駅を通過します。

 第92回箱根駅伝読売新聞社前スタート点(:スタート点より品川まで、右:スタートを待つ走者明大横手健)

駅伝コースの国道15号線は品川駅を通過するとJRを渡り、左手の京浜急行電鉄高架線沿いに南下して鈴ヶ森で京浜急行電鉄のガードを潜ると、駅伝コースの国道15号線は京浜急行電鉄高架線の右手沿いに進みます。国道15号線の駅伝コースを進むと平和島の東京都道318号環状7号線交差点に達し、さらに進むと国道131号交差点となり、その先が住居の大森町駅交差点で駅伝を応援するところです。

  箱根駅伝往路コース大森町での応援場所(左:駅伝応援の大森町駅交差点角、右:0102大森町国道15号線応援場所0102)

国道15号線の応援席で待つと、8時40分前にテレビ中継車が近ずき、その後ろに白バイとともに駅伝ランナーのトップ集団が走ってきます。

  箱根駅伝往路コース大森町の応援場所 (左:駅伝先頭のテレビ中継車、右:駅伝先導のバイクに続くトップ集団ランナー群0102
)

今年は、大森町付近を通過する駅伝ランナー群は、トップグループと2番手グループに分かれていました。

  箱根駅伝往路コース大森町通過ランナー1 (左:駅伝トップ集団、右:駅伝2番手集団0102)

さらにランナーはばらけて第3集団の後に
、 ラストランナーが続きます。 
 箱根駅伝往路コース大森町通過ランナー2 (左:駅伝3番目集団、右:ラストランナー0102)

1区の往路蒲田(15.3km)では、トップグループは牽制しながら1団をなしており、今は高架下の空港線ガード下を走り抜けます。昔は、空港線は地上を走り国道15号線とは踏切で接しており、駅伝の時間はその場所を電車が通らないように止めていました。

   第92回箱根駅伝蒲田付近(:品川より蒲田まで、右:蒲田15km付近)

蒲田でのトップグループの通過時間は43分58秒で、ラストランナーは1分45秒差の45分43秒で第1区鶴見中継所へと走り抜けて行きました。


 第1区蒲田での通過順位 

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風景・風物詩 秋の風物詩 2015年酉の市 大森鷲神社

2016年01月05日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2015 大森鳳神社の熊手売りの店

大森鷲神社酉の市

酉の市には、11月の酉の日に大森鳳神社近辺の大森銀座商店街で沢山の露店が立ち並び、賑やかに市がたち、「お酉様」と呼ばれています。2015年の酉の市は5、17と29日の三の酉までありました。大森での酉の市は、1939年に大森に転居してきた時から、大森鷲神社より「熊手守り」の授与を受け、戦時中の混乱期を除いて、親の代から現在まで続いています。

 大森鷲神社酉の市

大森神社へのアクセスは、JR大森駅から南へ進み大森銀座商店街通りを東方に向かうと左側に参詣通路があります。また、京急の大森海岸駅からは大森海岸通りを西へ進み、イトウヨーカドー交差点を突っ切り、2つ目の信号機のある交差点を左折すると、左側に西側参詣通路があります。
  大森鳳神社場所の説明図

今年ののお酉様への参詣は、三の酉の11月29日に自宅から八幡通りを経て、大森銀座商店街通りを西方に進み参詣通路から鳳神社に行きました。 

  八幡通りから大森銀座商店街通りに入り鳳神社へ
 (:大森銀座商店街通り入口付近、:大森鳳神社参道1129)

境内に入ると、沢山の縁起物の熊手を売る店が出ており、神楽殿ではお囃子で酉の市を盛り上げています。縁起物の熊手は酉の市の名物で、金銀財宝を詰め込んだ熊手は、運を「かっ込む」、福を「はき込む」といって開運招福・商売繁盛を願った、洒落の利いた縁起物です。熊手守りは、翌年の更なる招福を願って、年々大きな熊手に換えてゆくのが良いとされています。
 鳳神社参道風景 (:参詣者で込み合う参道、:縁起物の熊手を売る参道の出店:参詣通路で巫女さんによる熊手販売風景1129)

参詣道の行列に並び順番を待ち、本殿で新年の開運招福を祈願して、本殿脇の受け所で巫女さんから「かっこめ熊手お守り」と来年の幸せを呼ぶおみくじを頒布して頂きます。かっこめ熊手お守りは、たわわに実る稲穂を付けた小さな竹の熊手を、鳳神社で開運招福のお守りとして授与しています。
 
  大森鳳神社の「かっこめ熊手」授与(左上:鳳神社拝殿、左下:拝殿でのかっこめ熊手お守り授与:かっこめ熊手お守りとおみくじ)

参拝後、拝殿から西方への参道を抜けて、道路に出ている露店で東京神宮館発行の平成28年運西暦を購入するのがお酉さまでの習わしです。神宮館運勢歴は、古代中国が発生の地とされる九星術により、各人の年齢別による当年・月・日についての運勢を判別し、冠婚葬祭や生活上の判断の参考指針が与えられていますので、例えば仏滅や大安などの実行・行動可否を参考にして、運気向上を図るのに便利なもので、従前から参考にしています。

  お酉さまで購入の「かっこめ熊手お守り」と「神宮館運勢歴」

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大森町界隈あれこれ 大森町の桜 今年も内川桜のプロムナードと大森西交通公園の桜が満開になりました

2015年04月13日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2015 諏訪公園の桜(4月2日)

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大森町の桜は、内川添いの大田区開桜小学校前と大森第8中学校前の桜のプロムナードと、内川から南寄りにある大森西交通公園にある桜が花見のスポットです。4月2日に満開となった桜を見てきました。

 
大森町内川付近の桜のスポット

内川
現在の内川は、JR東海道線の東から開桜小学校前を流れ、旧東海道の内川橋を通って「ふるさと浜辺公園」(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 オープンの大森ふるさとの浜辺公園」参照)の河口までの約1.5kmを東京湾に流れる二級水系の短い川です。JRガード下から先の大田区北馬込付近の水源までの上流は、1976年頃に暗渠化されました。
昔の内川(「大森町界隈あれこれ 内川風景 大森町を流れる昭和の面影 第2回」参照)は、内川橋から上流に向かって左に折れ南下して、現在の大森町商店街通りの北側付近で右折して西に向かっています。本流は東邦医大通りの先付近で北上して、現在の内川を弦とした弓なり状に流れ、大田区北馬込付近の水源に達しています。本流の他2本の支流があり、その1つは市野倉方面から、他の支流は池上方面の呑川から流れているのが見られます。

 ・桜のプロムナード
内川の川辺にある2つの学校の第8中学校と開桜小学校と、内川の間を走る区道には、桜のプロムナードの散歩道に植樹された桜と、校庭内の大きな桜に挟まれた遊歩道は絶好の花見コースです。

 
開桜小学校校庭の桜(:開桜小学校校庭西面の桜:開桜小学校校庭南面の桜(右は桜のプロムナード)、:開桜小学校校庭東面の桜)

 開桜小学校(大森西二丁目26番3号)は、大田区での最古の学校として、1875年(明治8年)2月に学校裏(現平和島)に開校し、間もなく貴船学校(第1小学校)と寄木学校(第2小学校)に分かれ、2002年に大森第六小と統合し大田区立開桜小学校へとなりました。

 4月2日撮影の桜

この遊歩道(プロムナード)は、遊歩道護岸工事が行われた2009年3月の竣工に合わせて大田区長出席のもとで桜の植樹が行われたもので、植樹後6年しか経過していませんが、若木の桜は元気よく開花して満開となります。

  開桜小学校南側の桜のプロムナード
(:桜のプロムナード)

・大森西交通公園
桜のプロムナード西の諏訪橋を渡り、南に進むと右側に諏訪公園があります。さらに進むと左側に大森西交通公園が見えます、公園の西口から入ると大きな桜が植樹してあり、桜の名所です。

 大森西交通公園西面の桜並木 (:大森西交通公園西口方から見た桜並木、:交通公園西面の桜並木)

大森西交通公園(大森西3丁目4)は、面積3,300㎡もあり、小学生以下の児童が自転車、ゴーカート、豆自動車、三輪車等で回れるサイクリングコースになっており、小さな信号機や、横断歩道もあって、遊びながら交通規則を学べるように工夫されています。

  交通公園西面の桜並木を見る
(:交通公園西面の桜並木)

また、公園の一画には子供向けの遊具もあり、小さい子供との親子づれ、祖父母とお孫さん、小学生同士で安心して遊べる公園です。公園の西面と南面は、桜並木があり静かな花見ができます。

 交通公園南面の桜
(:交通公園西面の桜)

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その4

2015年02月16日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2015 青山学院選手に10分の差がついた2位選手(大森町交差点)

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第10区復路
京急雑色駅の北方の国道15号線東六郷1丁目東京トヨペット前5km付近では、トップ独走の青山学院大安藤選手に続き、2位駒澤大黒川選手と走り、3位の明治第江頭選手に東洋大淀川選手が追いつき後ろに付く。
6km地点の蒲田付近では、2位駒澤大、3、4位明治大・東洋大、5位早稲田大、6位東海大、7位中央学院大と続き、鶴見を8位でスタートした中央大を城西大が抜きました。シード権争いは、10位の大東大植木選手が11位の山梨学院兼子選手との差を54秒に広げています

 第10区京急蒲田駅横
(左:箱根駅伝復路蒲田付近コース、右:復路第10区蒲田成績)

・大森町交差点を通過する選手
京急大森町駅の交差点では、トップの青山学院大安藤選手の通過後約10分後に2位駒澤大黒川選手が通過し、それから1分半後に明治大江頭選手と東洋大淀川選手が後ろに続き、その後1分足らずで5位早稲田大田口選手が通過していきました。

 第10区大森町交差点を通過する選手1
(:2位通過の駒澤大選手、:3・4位通過の明治大・東洋大選手、:5位通過の早稲田大選手0103)

大森町を6位で東海大土屋選手が通過し、以下の選手は繰り上げスタートにより順位は不明ですが、7番目の通過は鶴見で11位の山梨学院大兼子選手、8番目に通過は鶴見で9位の城西大寺田選手です。

 大森町交差点を6~8番目に通過の選手(:6番目に通過の東海大土屋選手、:7番目に通過の山梨学院大兼子選手、:8番目に通過の城西大寺田選手0103)

9番目は鶴見で12位の順天堂聞谷選手の通過後、10番目は鶴見で13位の帝京大堤選手、11・12番の通過は鶴見を7・8位の中央学院大久保田選手と中央大多田選手が続きます。


 大森町交差点を9~12番目の通過の選手(:9番目に通過の順天堂聞谷
選手、:10番目に通過の帝京大堤選手、:11・12番目に通過の中央学大久保田選手と中央大多田選手0103)

続いての通過は大東大、国学院大、日本体育大など3校の選手で、その後には上武大選手で、続いて通過は関東学生連合、日大、拓殖大、神奈川大の4校の選手です。ラストの選手は創価大です。

 大森町交差点を13~20番目の通過の選手(:13~15番目通過の大学選手、:16番目通過の大学選手、右:17~20番目通過の大学選手0103)

大手町ゴール
大手町フィニッシュ地点では、青山大応援団がゴールの瞬間を迎えている中、安藤悠哉選手(2年生)がゴールで手を上げ、見事総合優勝を飾りました。2位ゴールは駒澤大で青山学院とは10分以上のタイム差が開き、3位は約1分開き東洋大で、続く4位の明治大と5位の早稲田大の差は1分弱での熱戦でした

 大手町ゴール総合優勝青山学院大学(左:大手町ゴール優勝の青山学院大安藤 悠哉選手、右:箱根駅伝総合成績)

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その3

2015年02月10日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2015 第9区鶴見中継所1位タスキリレーの青山学院大

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小田原中継所(第4区)
12kmを前にして、トップを走る駒澤大工藤選手の後を追う、青山学院大田村選手が明治大松井選手を捉え2位に上がり、4位に東洋大櫻岡選手、5位に早稲田大が続く。残り1kmとなり2位争いが熾烈になり、青山学院大田村選手が区間新記録を更新し2位でタスキをつなぎ、3位明治大、4位東洋大と続いた。

 第4区小田原中継所
(左:第4区小田原中継所、右:往路第4区成績)

箱根芦ノ湖(第5区)
5km地点の箱根湯本で先頭を走る駒澤大馬場選手は、14分52秒で通過し、2位の青山学院大神野選手との差は39秒、3位の明治大文元選手は2位との差が35秒に、4位の東洋大五郎谷選手は3位との差が34秒と開く。11kmを前に、青山学院大が駒澤大を抜きトップとなり、16kmを過ぎに、中央学院大が早稲田大を抜き去り5位に浮上する。20kmを過ぎの下りに入って、明治大がスパートを掛け、駒澤大捉えて2位に浮上する。23kmを前に、東洋大が駒澤大を抜き去り3位となる。

 第5区青山学院大往路優勝ゴール(左:10km地点で青山学院大が駒澤大に迫る、中:青山学院大往路優勝ゴール、右:明治大2位ゴール)

芦ノ湖のゴールでは、青山学院大神野選手が区間賞をとり往路優勝に輝き、以下2位明治大、3位東洋大、4位駒澤大、5位中央学院大、6位早稲田大、7位東海大と続いてゴール。

 第5区箱根芦ノ湖
(左:第5区箱根芦ノ湖、右:往路第5区成績)

復路スタート
8時ちょうどに青山学院大村井選手がスタート、続いて、4分59秒後に明治大山田選手が、6分49秒後に東洋大の高橋選手、7分25秒後に駒澤大大西選手、8分28秒後に中央学院大木部選手、9分4秒後に早稲田大三浦選手、9分57秒後に東海大山下選手がスタートを切り復路をかける。その後、青山学院大のスタートから10分後に、往路8位の城西大を含めた14チームが一斉に繰り上げスタートとして小田原へとむかう。

 箱根芦ノ湖復路スタート(:1位青山学院大村井選手がスタート、:2位明治大山田選手、:7位東海大山下選手がスタート0103)

小田原中継所復路(第6区)
5.1キロ地点で、6位でスタートした早稲田大の三浦は、中央学院大の木部を捉え、5位に上がる。20.6キロ地点で、4位の駒澤大が東洋大を抜いて3位に上がる。青山学院大がトップでたすきリレー。2位明治大は5分42秒差でたすきをつなぎ、3位に上がった駒澤大は7分35秒差、4位の東洋大は7分39秒差、5位の早稲田大は8分24秒差でたすきリレー。

 第6区小田原明治大2位でタスキリレー(左:小田原1km手前で2位の明治大山田選手、右:往路第6区成績)

平塚中継所(第7区)
12キロ地点で、駒澤大西山選手が、東洋大服部選手の前に出て3位に上がる。19.4キロ地点で、2位明治大末次選手が、駒澤大の西山選手、東洋大服部選手に抜かれる。平塚中継所では、2位駒澤大がトップとは8分21秒差、3位の東洋大は8分34秒差、4位の明治大は8分47秒差でタスキリレー。

 第7区2位争い(左:17.2km地点での駒澤大、明治大、東洋大の熾烈な2位争い、右:往路第7区成績)

戸塚中継所(第8区)
14キロ地点で、東洋大今井選手が駒澤大大塚選手の前に出て2位を走る。15.9キロ地点で駒澤大がスパートをかけ、東洋大との差を広げる。21.4キロ地点で、4位争いをした早稲田大安井選手と明治大牟田選手は、早稲田大がタスキリレー。

 第8区4位争い
(左:21km地点で早稲田大、明治大の4位争い、右:往路第8区成績) 

鶴見中継所(第9区)
12.2キロ地点で、4位を走る早稲田大柳選手と明治大木村選手との並走が続く。17.1キロ地点で、並走を続けていた明治大と早稲田大は、早稲田大が遅れ始め差が広がり始める。20.3キロ地点で、明治大が東洋大寺内選手をとらえ3位に上がる。青山学院大のスタートから20分が経過したため、日本大、神奈川大、創価大、関東学生連合、拓殖大の5チームが再び繰り上げスタートとなる。

 第9区明治大3位でタスキリレー(
左:明治大木村選手が3位でタスキリレー、右:往路第9区成績)

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その2

2015年02月05日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2015 

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往路第1区後半
往路第1区は、大手町のスタート点から大森町を通過しゴールの鶴見中継所21.3kmまでの後半には、京急蒲田駅付近の15km地点を通過します。この地点でのトップは、青山学院大学の久保田選手を先頭に、駒澤大の中村選手、東洋大の田口選手、明治大の横手選手が先導して通過していきます。
昔の京急蒲田駅殻の空港線の線路は、地上を通過して国道15号線と踏切で交流(「大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第90回箱根駅伝風景その1」トップ写真参照)しており、マラソンランナーと空港線電車が合致した際には、走行電車を踏切前で臨時停車させていた、のどかな時代もありました。

 箱根駅伝京急蒲田駅際の国道15号往路コース
(左:京急蒲田駅空港高架線下の国道15号往路コース、右:現在は立体交差の京急蒲田駅際の国道15号0102)

京急蒲田駅を過ぎて、京急六郷土手駅17.8km付近では、青山学院大の久保田選手、明治大の横手選手、東洋大の田口選手と駒澤大の中村選手の順でトップ集団が通過していきました。コースは六郷橋を渡り神奈川県に入り18.8kmの地点では、トップ集団の順位は東洋大の田口選手が先頭になり、駒澤大の中村選手、明治大の横手選手、青山学院大の久保田選手と続きます。

 コースは六郷土手から川崎に渡り神奈川に入る(左:六郷土手から六郷川を渡り川崎へ、右上:六郷土手付近、右下:六郷橋を渡る0102)

鶴見中継所(第1区)
19.7km付近で駒澤大の中村選手がスパートをきり先頭となり、青山学院大の久保田選手、明治大の横手選手、東洋大の田口選手と入れ替わる。鶴見中継所までの1.6kmの区間は、2位から4位の選手は入れ替わり争い、鶴見中継所では、1位が駒澤大の中村選手が1時間2分0秒でタスキリレーし、2位は1秒差で青山学院大の久保田選手が、3位は7秒差で明治大の横手選手が、4位は12秒差で東洋大の田口選手がタスキリレーをしました。


 第1区鶴見中継所タスキリレー(:駒沢大学1位タスキリレー、:青山学院大2位タスキリレ、:明治大3位・東洋大4位でタスキリレー0102)

鶴見中継所21.3kmでは、トップの駒澤大から13位の創価大までの差は、わずか46秒と混沌としたレースを展開しています。

 第1区鶴見中継所(:川崎から八丁畷を過ぎると鶴見中継所、右:往路第1区成績)

戸塚中継所(第2区)
第2区の2km地点で1位が駒澤大村山選手、2位が青山学院大一色選手と続き、東洋大服部選手が明治大を抜き3位を走り、明治大大六野選手が走る。3.2km生麦付近で、東洋大が青山学院大を抜いて2位に上がる。5.5km神奈川新町付近で東洋大が駒澤大を抜いてトップに出る。神奈川県横浜市神奈川区の青木橋交差点でコースは、国道15号線から国道1号線に入り、10.5kmで駒澤大が東洋大を抜く。21kmで、東洋大が先頭になり、駒澤大、青山学院大、明治大と続きます。

 第2区戸塚中継所
(左:1位東洋大・2位駒澤大・3位青山学院大リレー中継
、右:4位明治大中継0102)

戸塚中継所21.3kmでは、東洋大服部選手がトップでタスキリレーし、2秒差で駒澤大村山選手と青山学院大一色選手が続き、19秒差で明治大大六野選手がつなぐ。城西大の村山選手は、8人抜きの8位でタスキリレーをする。

 第2区戸塚中継所(左:第2区は戸塚警察署を過ぎると間もなく戸塚中継所、右:往路第2区成績)

平塚中継所(第3区)
3kmを過ぎて、先頭は東洋大上村選手と駒澤大中谷選手が並走を続け、3位には青山学院大渡邉、4位に明治大のキャプテン有村が迫いかける。コースは4kmを過ぎると国道1号から神奈川県道30号に分岐します。8kmを過ぎて、駒澤大が東洋大を抜いてトップにでる。10km付近では、明治大が青山学院大を抜き3位に上がる。神奈川県道30号から国道134号となる浜須賀12km付近を過ぎると、明治大が東洋大を抜いて2位に上がる。17km地点を過ぎ、青山学院大が東洋大を抜いて3位にあがる。19.5kmを過ぎて、東洋大と青山学院大が入れ替わる。
トップで襷をつないだのは、駒澤大で2位は明治大、3位は青山学院大に東洋大、早稲田大が続く。

 第3区平塚中継所(左:第3
区は国道1号線から県道30号を走り抜け、茅ヶ崎で県道134号で平塚中継所、右:往路第3区成績)

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その1

2015年01月27日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2015 配布された応援用の旗

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第1京浜国道大森町交差点風景
毎年正月の2,3日には、大森町界隈の大森町交差点の第1京浜国道(国道15号)を、恒例の箱根駅伝の選手が通過するので、近隣住民は国道添いに集まり、新聞社が配る旗を振って、応援するのが恒例になっています。第91回箱根駅伝は、関東学生陸上競技連盟が主催し読売新聞社が共催して行われ、参加出場校は。第90回大会の上位10校のシード校と、2014年10月に行われた予選会通過校10校を加え、オープン参加の関東学生連合チームを合わせた全21チームが参加して行われます。

 第91回箱根駅伝の参加校

・箱根駅伝往路1区
1月2日の駅伝の往路は、午前8時に読売新聞東京本社前を一斉にスタートして火ぶたが切られ、東京都道409号日比谷芝浦線を走ります。

 箱根駅伝読売新聞社前からスタート
(左:箱根駅伝スタート点、右:読売新聞東京本社前を一斉にスタート0102)

都道409号を南下すると、三田で国道15号線に合流し、田町で5kmのポイントとなります。

 都道409号三田付近
(左:都道409号と国道15号線の合流点、右:都道409号の三田付近0102)

国道15号線を泉岳寺から抜け品川駅前を通り、新八つ山橋を渡ると北品川からは京浜急行線に沿って進みます。

 新八つ山橋
(左:新八つ山橋、右:新八つ山橋はJR東海道・山手線を渡る0102)

国道15号線を一路南下して、10kmポイントの鮫洲を過ぎると、鈴ヶ森へと進みます。

 10kmポイント付近のトップ集団
(左:鮫洲の10kmポイント、右:10kmポイント付近を走るトップ集団0102)

国道15号線の南下により、平和島で立体交差の高架陸橋道の脇をすり抜け、大森警察署の国道131号(産業通り)との交差点を過ぎると、大森町交差点で陸橋道は終わります。

 大森町交差点
(左:京急大森町駅付近の大森町交差点、右:大森町交差点0102)

大森町交差点付近の国道15号の両側には、7時半頃から付近の住民の応援者が集まり新聞社の応援の旗が配られます。そして、8時30分を過ぎると交差点の歩行者の横断が禁止となります。

 歩行者横断禁止となった大森町交差点
(:0102)

駅伝のランナーの前には、規制予告車、先導車やテレビ中継報道車が通過します。

 駅伝走者前の先導車・放送車
(:規制予告車、:先導車、:テレビ中継報道車0102)

先導車の後には、駅伝のトップグループランナーが走っていきます。

 大森町交差点を通過するトップ集団
(:大森町交差点を通過するトップ集団、:大森町交差点を通過したトップ集団、:第2先導者と第2ランナー群0102)

トップランナーに続き、後続ランナー群が大森町交差点を走っていきます。この間の先導車から、最終ランナー通過までの時間は、僅かに5分以内です。

 大森町交差点を往路ランナーが駆けゆく
(左上中上右上左下中下右下:0102)

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 風景・風物詩 池上本門寺 満開の桜に染まる日蓮聖人霊跡の東国花の寺4番本門寺での花見
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風景・風物詩 池上本門寺 満開の桜に染まる日蓮聖人霊跡の東国花の寺4番本門寺での花見

2014年04月06日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2014 参道から桜満開の本門寺を眺める

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池上本門寺の花見
2014年の東京での桜の開花日は3月25日で、満開日は同1日でしたので、大田区の花見のスポット池上本門寺には、約100本のソメイヨシノがありますので、見ごろの4月1日に花見に行きました。
池上本門寺(大田区池上1-1-1)は、1282年(弘安5年)に病身の日蓮が身延から湯治に行く途中、武蔵国池上郷の池上宗仲の館に到着して、池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源といわれています。日蓮、池上に20数日間過ごして同年10月13日に没しした後、池上宗仲は69,384坪を寺領として寄進し、寺院「池上本門寺」が築かれました。本門寺では、毎年10月11 ~13日にお会式(「風景・風物詩(B9) 秋の風物詩 池上本門寺のお会式」参照)が行われ、約30万人が参詣に訪れて賑わいます。本門寺の本殿裏には、小堀遠州の作庭の松涛園(「風景・風物詩 池上松涛園 西郷隆盛・勝海舟の江戸城開場会見の名園 その1」参照)があり、そこで1868年(明治元年)に西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会見をした所です。

 池上本門寺境内図

呑み川から池上本門寺全山の桜は、見事に満開の景色(トップ写真参照)です。川を渡り参道を進むと両側には、長栄山中道院、喜昇山本成院と朗栄山本妙院と塔頭3寺院が並んでいます。塔頭(たっちゅう)は、禅寺の高僧の死後、その弟子が師の徳を慕って、その敷地内に建てた小院で、本門寺の周辺寺院の塔頭は、最盛期に36寺院ありましたが、現在は23寺院が残っています。

 本門寺の周辺寺院塔頭(:長栄山中道院、:喜昇山本成院、:朗栄山本妙院0401)

周辺寺院の先には、17世紀末~18世紀初め(元禄年間)に建立されたと云われる主柱間5.3mの総門があります。門を潜ると此経難持坂(しきょうなんざか)と呼ぶ96段の石段坂で、慶長年間に加藤清正が寄進したものと伝えられています。この石段の両脇の桜も、見事に咲き誇っています。

 総門と此経難持坂周辺の桜(:総門、:此経難持坂、:此経難持坂の桜0401)

此経難持坂を上がり参道を進むと仁王門です。国宝であった仁王門は大戦で焼失し、現在の仁王門は1977年(昭和52年)に再建されたものです。仁王門前の参道両脇の桜も満開です。

 仁王門前の参道周辺の桜(:此経難持坂上から桜を見る、:仁王門前の参道脇の桜、:仁王門内から見る桜0401)

仁王門を潜ると正面には大堂(祖師堂)が建ち、内陣中央には祖師像(日蓮聖人の御尊像)が奉安され、本尊の向かって左側に第2世日朗聖人像を、右に第3世日輪聖人像を安置されています。大堂は、1606年(慶長11年)加藤清正が母の七回忌追善供養のため建立したが、1710年(宝永7年)に焼失しました。2代目大堂は本門寺24世日等時代の1723年(享保8年)8代将軍徳川吉宗の用材寄進により、規模を縮小の上再建されました。大戦により1945年(昭和20年)焼失のため、1964年(昭和39年)に現在の大堂を鉄筋コンクリートにて再建されました。大堂の扁額は、本門寺80世金子日威が揮毫したものです。

 池上本門寺大堂(写真拡大0401)

大堂前の境内の左側には、1958年(昭和33年)に再建の鐘楼堂があり、1647年(正保4年)に徳川頼宣の室となった加藤清正の娘の瑤林院が寄進した旧梵鐘は、鐘楼の脇に保存されています。霊宝殿は、平成13年に完成し本門寺の霊宝を永代に亘って保全しており、毎週日曜日に観覧出来ます。

 
楼と霊宝殿の間の桜(:鐘楼と霊宝殿、:鐘楼、:霊宝殿0401)

仁王門の周辺の桜は、右側の墓地への道を進むと日蓮聖人像の付近と五重塔の周辺に多くの桜が植えられてあります。また、門の前にはササベサクラが植えられてあります。

 仁王門周辺の桜 (写真拡大0401)

本門寺には、貴重なササベサクラが見られます。ササベサクラは、日本の桜であるサトザクラ、ヤマザクラの保護育成に生涯を捧げた笹部新太郎氏が、神戸市東灘区にあった笹部邸の庭に生えた実生の桜で、カスミザクラとオオシマザクラ系のサトザクラの交配種であります。(「櫻守の会」から)

 ササベサクラ(:仁王門前のササベサクラ、:五重の塔とササベサクラ、:ササベサクラ(左)とソメイヨシノ(右)0401)

仁王門の右手裏方には、日蓮聖人説法像が建立されています。日蓮像は、宗祖七百遠忌記念のとして、(昭和58年)に富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納されたもので、製作者は北村西望氏です。

 日蓮聖人像周辺の桜
(写真拡大0401)

五重塔は、大戦による戦災をまぬかれたもので、関東にある幕末以前の五重塔のうち一番古い塔です。1607年(慶長12年)に徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願で快癒し、建立されたが、直後の1614年(慶長19年)の大地震で傾き、5代将軍綱吉公の命で現在地へ移築して修復されました。平成9~13年に、日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃記念事業として、全解体修理が施され全容を一新しました。

 五重の塔と桜(写真拡大0401)

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第90回箱根駅伝風景その4

2014年02月10日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2014 箱根駅伝が通る大森町交差点角の城南信用金庫大森支店

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第90回箱根駅伝記念大会複路
・箱根駅伝第6区
往路優勝の東洋は、ベテランの双子兄弟の設楽悠太選手(4年) が往路3区と設楽啓太選手(4年)が往路5区で共に区間賞をとり、第3区で駒大を抜いて1位となり、復路では、東洋日下選手(4年)と駒大西沢選手(3年)は59秒差のスタートでの優勝争いとなりましたが、東洋が区間記録4位と駒大が区間記録5位の接戦です。3位スタートの早大三浦選手(2年)とそれを追う、日体鈴木選手(4年)は3位争いですがともに区間記録2位で互角です。以下、5位スタートの青学村井選手(2年)が区間記録が18位で総合6位に落ち、拓大大島選手(3年)も区間記録10位で7位に落ちました。明大ベテラン広瀬選手(4年)は区間賞で2校抜いて5位に上がり、大東大崎選手(4年)は区間14位で9位に落ち、東海福村選手(1年)は頑張って区間8位で1校抜いて8位に上がり、日大日向野選手(4年)は区間10位で11位に落ち、法大田子選手(4年)は区間7位で10位を維持して山を降りました。

 箱根駅伝第6、7区成績

・箱根駅伝第7区
第7区でも東洋服部選手(1年)と駒大西山選手(1年)とのトップ争いは、両者の区間記録が1位と3位であり差が1分54秒と開きました。3位争いの早大柳選手(2年)と日体山本選手(1年)は区間記録が5位と13位により2分23秒と離されました。そのため、5,6位争いの明大松井選手(3年)と青学小椋(2年)がそれぞれ区間記録8位と2位で日体とは55秒差まで接近しました。7位以下は混戦で、東海上原選手(4年)と拓大桜井選手(3年)は順位が入れ替わり、日大大門選手(3年)は11位から2校抜いて9位に上がり法大森永選手(3年)は10位を維持しましたが、大東上田選手(3年)は11位に落ちました。

第10区の大森町交差点付近を通過する2位駒大其田選手と、3位日体甲斐選手には給水をしながら支持を与え、この位置では4位早大中村選手との差はありません。

 大森町を通過する2位駒大、3位日体、4位早大選手(:2位通過の駒大其田選手、:給水準備の日体随行車、:給水と指示を受ける2位日体甲斐選手と3位早大中村選手)

・箱根駅伝第8区
第8区でも東洋高久選手(3年)が区間記録1位に対し、駒大大塚選手(1年)は区間記録6位のため3分40秒差に開きました。3位の早大井戸選手(1年)と4位の日体奥野選手(2年)に、明大有村選手(3年)が区間記録2位で9秒差に迫りました。以下、6位青学井上選手(4年) が区間記録10位で続き、大東吉川選手(4年)は4校抜いて7位に上がり、東海今井選手(2年)は8位に下がり、法大佐藤選手(2年)は1校抜いて9位に上がり、拓大宇田選手(1年)は10位に下がり、日大村越選手(3年)は11位に下がり、抜きつ抜かれつの混戦で7位から10位までの時間差は、僅か22秒の集団となりましたまで。

 箱根駅伝第8、9区成績

・箱根駅伝第9区
第9区で東洋上村選手(2年)が区間記録4位で独走し、駒大窪田選手(4年)は区間記録2位で追いかけましたが時間差は3分12秒差もあります。3、4位争いは熾烈となり日体矢野選手(4年)が区間記録1位で、区間記録7位の早大田口選手(3年)を抜いて3位となりました。戸塚で9秒まで迫った明大前野選手(3年)は区間記録14位で時間差が3分10秒とはなされ、青学藤川選手(3年)に26秒差に迫られました。混沌とした7位以下は、拓大奥谷選手(4年)は3校抜き、日大林選手(3年)は11位から8位にあがり、法大松田選手(4年)は9位を維持し、帝京熊崎選手(3年)は12位から10位に上がり、大東大隅選手(3年)は11位に下がり、東海山下選手(2年)は12位に下がり、シード権の争いは激烈です。

大森町の通過では、まだ明大は5位で、青学は6位でした。大手町のゴールでは、順位が逆転でした。

 大森町を通過する箱根駅伝選手1(:大森町を通過する5位明大石間選手、:大森町を通過する6位青学竹内選手、:大森町で大東との競り合い)

・箱根駅伝第10区
最終の第10区でも選手層の厚い東洋大津選手(4年)が区間記録1位で、2位の駒大其田選手(2年)を寄せ付けず独走態勢で総合優勝を飾りました。3位争いは日体甲斐選手(4年)が区間順位5位で、早大中村選手(2年)を26秒差で振り払いました。青学竹内選手(2年)は、区間記録22位の明大石間選手(4年)を抜いて逆転しました。シード権の争いは、日大高松選手(3年)が区間記録4位で1校抜いて7位に上がり、帝京杉山選手(3年)も区間記録3位で2校抜いて8位に上がり、拓大大寺選手(4年)は区間記録11位で2校に抜かれ9位に下がり、大東大西選手(4年)は奮起して11位から10位に入りシード権を確保しました。法大高梨選手(4年)は11位で落ちてシード権を確保できませんでした。

 箱根駅伝第10区成績

このあたりの大森町通過の選手は、繰り上げスタート選手と混在のため通過順と順位は不明です、ちなみに大東大西選手は大手町のゴールの順位は10位のシード権を確保しています。

 繰り上げスタートが混在のため通過順位は不明(:熱戦を繰り広げる中大・順大などの4選手、:大森町を通過する大東大西選手、:大森町を通過する繰り上げスタートの選手団)

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第90回箱根駅伝風景その3

2014年02月06日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2014 第90回箱根駅伝応援旗

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第90回箱根駅伝記念大会往路
第90回箱根駅伝記念大会は、参加出場校は第89回大会の上位10校のシード校と予選会通過校13校を合わせた23校で、往路は1月2日に大手町・読売新聞東京本社前を午前8時にスタートしました。

 第90回箱根駅伝出場校

・箱根駅伝第1区
上空に取材ヘリコプターの音がすると、大森町駅交差点を通過する駅伝の隊列が見え、まず最初に交通規制が始まる事を告知する規制予告車が通過します。続いて、日テレの中継車が通り、警視庁白バイが先導して箱根駅伝の先頭集団が鶴見までの第1区21.4km通過します。

 大森町駅交差点を通過する駅伝集団(:規制予告車通過、:日本テレビ中継車、:往路大森町付近通過のトップ選手団)

大森町を通過した選手団は、鶴見中継所では昨年優勝校日体の山中選手(2年)が見事にラストスパートを決めて歴代3位の素晴らしい区間賞でたすきを中継しました。続いて2位は実力校の駒大中村選手(3年)が歴代5位と11秒差でリレーし、その後10秒差で3位東洋の田口選手(3年)がたすきを渡しました。以降は、明大文元選手(3年)が区間4位16秒差で続き、早大ベテランの大迫選手(4年)が12秒差、青学の一色選手(1年)が奮闘して1秒差、予選会通過の東海の白吉選手(2年)が26秒差です。以下、大東市田選手(3年)が9秒差、順大松村選手(3年)が5秒差、上武山岸選手(4年)が16秒差で、トップから10位までが1分46秒差の接戦です。

 箱根駅伝第1、2区成績

・箱根駅伝第2区
箱根駅伝第2区は、鶴見から戸塚までの23.2kmで、距離が長い上、13キロから権太坂があり、ラスト3キロの連続する上り坂と、後半に2箇所の山場が控える難コースで、各校有力選手が投入されます。
駒大の村山選手(3年)が区間記録を上回るような超ハイペースで飛ばしたが、両足痙攣が起きてペースダウンとなったが、区間賞でたすきを中継しました。2位は東洋服部選手(2年)が26秒差でたすきを繋ぎ、早大高田選手(2年)は区間記録3位で2校を抜いて3秒差の3位でリレーし、明大大六野選手(3年)は区間記録5位で45秒差の4位、青学神野選手(2年)は区間記録6位で42秒差の5位で続きます。日体本田選手(4年)は区間記録10位でトップと2分19秒と離され6位となり、拓大モゼ選手(3年)が区間記録4位で10人抜きの37秒差で7位に上がりました。以下、大東市田選手(3年)が9秒差で8位、上武倉田選手(3年)が4秒差で9位、日大森谷選手(4年)が18秒差の10位で、トップから10位までが4分46秒差です。

 大森町付近を次々通過の選手団1(:トップ集団に続く大森町付近通過の競り合う2選手、:大森町付近を次々通過する選手、:大森町付近を団子で通過する4選手)

・箱根駅伝第3区 
箱根駅伝第3区は、戸塚から平塚までの21.5kmで、前半10キロは遊行寺坂など海へ向かっての下りが続き、浜須賀を曲がると海岸沿いの国道134号を走り、特に17キロ過ぎの湘南大橋などで海風の影響を受けやすいコースである。
東洋設楽悠太選手(4年)が区間賞で1校抜いてトップでたすきを中継しました。駒大油布選手(4年)は区間記録3位の55秒差で2位に落ち、早大武田選手(1年)は奮闘して区間記録3位の55秒差で3位、明大八木沢選手(3年)は区間記録2位の12秒差で4位、青学石田選手(4年)は区間記録8位で2分2秒差の5位で続きます。拓大金森選手(2年)は区間記録11位で1校抜き31秒差で6位となり、日体勝亦選手(2年)は区間記録17位の1秒差で7位に落ちました。以下、日大竹ノ内選手(3年)が36秒差で8位に上がり、上武佐藤選手(3年)が2秒差で9位、中学塩谷選手(2年)が5校抜いて2秒差の10位に上がり、トップから10位までが6分16秒差です。
 箱根駅伝第3、4区成績

・箱根駅伝第4区
箱根駅伝第4区は、平塚から小田原までの18.5kmの距離が短いコースで、82回大会から「トラック中長距離選手の登用と育成」を目指して距離が短縮されました。15キロ付近の酒匂橋が勝負どころで、細かなアップダウンのみで比較的平坦な走りやすいコースです。
東洋今井選手(3年)が区間賞で1校抜いてトップでたすきを中継しました。駒大中谷選手(1年)は奮闘して区間記録1位の21秒差の2位で、早大平選手(1年)も奮闘して区間記録2位の1分12秒差で3位、明大木村選手(2年)は区間記録5位の45秒差で4位、青学山村選手(2年)は区間記録7位で2分16秒差の5位で、拓大佐護選手(3年)は区間記録8位の1分33秒差で6位と続きます。以下、日体坂本選手(1年)が17秒差で7位に、日大石川選手(1年)が53秒差で8位に、大東池田選手(3年)が1校抜いて13秒差で9位に上がり、中学村上選手(1年)が18秒差の10位で、トップから10位までが6分55秒差です。

  大森町付近を次々通過の選手団2(写真拡大)

・箱根駅伝第5区
箱根駅伝第5区は、小田原から箱根・芦ノ湖までの23.4kmで、82回大会から2.5キロ延長され最長区間となり、標高差864mを一気に駆け上がる山上りの難コースです。
トップで引きついた双子の兄弟の東洋設楽啓太選手(3年)が区間記録1位の総合5時間27分13秒のゴールで往路優勝を飾りました。駒大高橋選手(2年)は区間記録3位の59秒差の2位ゴールで、早大高橋選手(3年)は区間記録12位の4分10秒差で3位、ベテランの日体服部選手(4年)が区間記録2位で3人抜きをして23秒差で4位にあがり、青学高橋選手(3年)は区間記録11位で1分19秒差の5位で、拓大尾上選手(3年)は区間記録9位の48秒差の6位でゴールです。以下、明大横手選手(2年)は初の山登りで区間記録19位の9秒差で7位に落ち、大東片川選手(4年)は1校抜いて30秒差で8位に上がり、東海宮上選手(2年)は4校抜いて29秒差で9位に上がり、日大ダニエル選手(2年)が12秒差で10位に落ち、トップから10位までが9分59秒差が往路の成績です。

 箱根駅伝第5区成績

第90回箱根駅伝の往路選手団の大森町付近の通過状況は、例年よりハイスペースでの走行により、トップとラストとの差が約5分位開いてばらけてた状態の通過となりました。

 大森町付近を次々通過の選手団3(:前の選手に張り付いて走る選手、:白バイの後を追う選手、:大森町付近を次々通過する選手)

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第90回箱根駅伝風景その2

2014年01月31日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2014 大森警察署先の第1京浜国道(左)と産業通り(右)合流点(1931年)

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前回その1の記述では、1920年(大正9年)から第1回箱根駅伝が開始されて、1974年(昭和49年)の第50回箱根駅伝までの、世界大戦を挟む激動期の箱根駅伝の記録を追いました。その2では、続いて40年前の第51回箱根駅伝から2014年までの記録を辿ってみます。
〇第85回箱根駅伝
第85回大会は、1区大森町附近の往路は集団で通過し、鶴見中継所では早大の矢沢選手が1位でタスキリレーをしました。復路10区大森町附近では、東洋大の高見選手が1位で通過して、早大の三戸選手が2位の通過、日体大永井選手が3位で通過して行きました。
 2009年第85回駅伝大森町駅交差点を通過する選手団(:往路大森町駅交差点を通過するトップ選手団、:復路2位通過の早大三戸選手、:復路3位通過の日体大永井選手2009年)

・第51~60回箱根駅伝
第51~60回箱根駅伝大会は、大東が第49回大会から4連続優勝を飾り、2位1回、3位2回の成績です。次いで日体も優勝4回を果たし2位5回、3位1回であり、順大も3回優勝して2位2回、3位1回をあげています。第60回記念大会は、早大が30年振り優勝しました。明大は、第51~59回大会は不出場で、第60回記念大会は出場しましたが18位です。

  第51~60回箱根駅伝成績表

〇第86回箱根駅伝
第86回大会は、1区大森町附近の往路は集団で通過して行きました。10区復路では、東洋大の高見選手が1位通過で、駒沢大藤山選手が2位通過、明大の渡辺選手は8位の通過でした。

 2010年第86回駅伝大森町駅交差点を通過する選手団(:往路大森町駅交差点を通過する2番手選手団、:復路2位通過の駒沢大藤山選手、:復路8位通過の明治大渡辺選手2010年)

・第61~70回箱根駅伝
第61~70回箱根駅伝大会は、順大が第62回大会から4回連続優勝、2位1回をあげ、早大、大東、山梨がそれぞれ2回優勝しています。明大は、第64回大会10位、第65回大会11位、第63、67回大会14位、第61、62回大会15位でした。

  第61~70回箱根駅伝成績表

 〇第87回箱根駅伝
第87回大会は、1区大森町附近の往路は早大大迫選手が1位で通過です。10区復路では、早大中島選手が1位通過で、明大小林選手は5位の通過でした。

 2011年第87回駅伝大森町駅交差点を通過する選手団(:往路大森町駅交差点を通過するトップ早大大迫選手、:復路トップ通過の早大中島選手、:復路5位通過の明大小林選手191101)

・第71~80回箱根駅伝
第71~80回箱根駅伝大会は、駒大が第76回大会で初優勝して、4回の優勝と2位が3回の成績です。神奈川大が第17回大会の初出場から61年目にして初優勝で期間2回優勝し、3位が1回成果です。順大は、優勝2回、2位2回、3位1回です。第76回大会から20チームに出場枠が拡大されました。

  第71~80回箱根駅伝成績表

〇第88回箱根駅伝
第88回大会は、1区大森町附近の往路は早大大迫選手が1位通過で、10区復路では、東洋大齋藤選手が1位通過で、明大鎧坂選手は4位の通過でした。 

 2012年第88回駅伝大森町駅交差点を通過する選手団(:往路大森町駅交差点を通過するトップ早大大迫傑選手、:復路トップ通過の東洋大齋藤選手、:復路4位通過の明大エース鎧坂選手2012年)

・第81~90回箱根駅伝
第81~90回箱根駅伝は、東洋が優勝4回と2位が2回と実力を備えています。また、駒大は、第78回駅伝から連続4回の優勝を遂げ、2回の優勝と共に2位3回と3位が2回の力量を持っています。明大は、3位、4位、6位、7位、8位、10位各1回の成績です。

  第81~90回箱根駅伝成績表

〇第89回箱根駅伝
第88回大会は、1区大森町附近の往路は集団での通過で、10区復路では、日体大谷永選手が1位通過で、明大北選手は7位の通過でした。 
             2013年第89回駅伝大森町駅交差点を通過する選手団 (:往路大森町駅交差点を通過するトップ選手団、:復路トップ通過の日体大谷永選手、:復路6位通過の明大選手2013年)

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第90回箱根駅伝風景その1

2014年01月26日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2014 羽田空港線第1京浜国道踏切(1960年)

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第1京浜国道大森町交差点風景
大森町の新年は、第1京浜国道大森町交差点を箱根駅伝が通り、往路の2日朝8時40分頃に箱根に向かう選手団が5分間くらいで通過し、復路はトップの選手が3日午後12時40分頃に通過してから、23校の全選手が通過するまでの45分間は、新聞社が配る旗を振って各大学の力走する選手に声をかけ、応援するのが恒例になっています。

・箱根駅伝の歴史
箱根駅伝は、東京箱根間往復大学駅伝競走と呼び、東京・読売新聞新社屋前から、箱根・芦ノ湖間を往路5区間(108.0Km)、復路5区間(109.9Km)の合計10区間(217.9Km)で競う、学生長距離界最大の駅伝競走です。読売新聞社と明治大学のWeb情報から、過去90回の箱根駅伝の成績を一目で見られるよう編集しました。

 箱根駅伝コースの第1京浜国道前の京浜電鉄高輪駅(1925年開業)

・第1~10回箱根駅伝
箱根駅伝の誕生は、マラソンの父として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思いから、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設を説いて参加を呼びかけ、それに早大、慶大、明大、東京高師(現筑波大)の四校が応じ、1920年(大正9年)に「四大校駅伝競走」の名称で第1回大会が開催され、往路は明大が7時間30分36秒で優勝しましたが、復路は10区で逆転され復路優勝の東京高師が15時間05分16秒で総合優勝しました。1位とは25秒差の大接戦で明大が2位(15時間05分41秒)となり、早大3位(15時間15分31秒)、慶大4位(16時間50分56秒)でした。
1921年第2回大会では7校が参加し、明大は9区で早大を逆転して雪辱を果たし15時間を切り14時間39分01秒で優勝し、以下東京高師、早大、慶大、東農大、法大、中大の順でした。
関東大震災の翌年の1924年第5回大会では、10区の八つ山橋手前で東京高師を抜き去り逆転優勝し、さらに翌年(大正14年)の第6回大会でも2連勝して3度目の優勝を飾りました。1928年(昭和3年)第9回大会では、明大は14時間を切り優勝し、翌年の第10回大会でも2連勝で優勝を果たし5度目の栄誉を得ました。

 第1~10回箱根駅伝成績表

1903年に北品川 - 品川八ツ山 - 品川駅前 - 泉岳寺 - 札ノ辻 - 三田間の駅伝コース上に東京電車鉄道(都電の前身)が開通し、1925年に京浜電鉄が北品川- 高輪駅間を延長して、1933年に東京電車鉄道が北品川 - 品川駅前間を廃止し、京浜電鉄が八ッ山鉄橋を新設して現在の品川駅が誕生しました。

 品川駅前の第1京浜国道を都電が走る(1967年)

・第11~20回箱根駅伝
第11~20回箱根駅伝大会は、早大が優勝4回、2位が3回、3位が1回の活躍で、日大も優勝4回、2位が3回、3、4位が各1回で、両校の活躍が目立っています。この間、明大は2~4位が各1回で、5位2回の他は、6、8、10位と振るわず、第19回の駅では2位に入ったが、6区に起用された選手が二重登録問題を問われ、関東学生陸上競技連盟からチームの一年間の出場停止処分を受けて、第20回は不出場となりました。

 第11~20回箱根駅伝成績表

北品川から八ッ山までの第1京浜国道を、京浜電鉄が走っていました。

 北品川から八ッ山の第1京浜国道を京急電車が走る(1956年)

・第21~30回箱根駅伝
第21~30回箱根駅伝大会は、1940年第21回大会開催の翌年に世界大戦が始まり、1945年に終戦となりましたので、第22回大会は1943年の戦中に挙行されました。明大は第20回の不出場が尾を引き第21、22回と不出場でした。戦前・戦中の大会では日大が優勝を果たしました。戦後復活の1947年第23回大会では、明大は優勝を遂げましたが、多摩川にかかる六郷橋が修理のため、川下の大師橋を渡りました。第24回大会3位で、第25回大会は優勝候補の中大がブレーキで、優勝争いは明早の対決となり、八つ山橋付近で早稲田を逆転し通算7度目の優勝をしました。第26回大会3位、第27回大会2位、第28、29回大会4位、第30回大会5位の良い成績をあげました。この間の成績は、中大が優勝4回を果たしました。
 第21~30回箱根駅伝成績表

1945年4月15日晩の大空襲で、大森町から多摩川まで焼け野原(「大森町界隈あれこれ 大森町大空襲から67年 ガス会社、特殊鋼、森ヶ崎一帯を除いて一面の焼け野原その1」参照)となりました。

 六郷橋から川崎方第一京浜国道を見る

・第31~40回箱根駅伝

第31~40回箱根駅伝大会は、中大の優勝は8回と独走です。明大競走部は、昭和29年12月に部内の紛争により学校側の申し入れにより解散して、第31回大会は辞退となりました。第32、33回大会14位、第34、35回大会不参加、第36回大会10位と不振でしたが、第37回大会5位、第38、39回大会2位、第40回大会9位と復元しました。

 第31~40回箱根駅伝成績表

八ッ山から北品川までの第1京浜国道には、京浜電鉄と東京電車鉄道が走っていました。

 八ッ山から北品川の第1京浜国道を京急電車が走る(1956年)

・第41~50回箱根駅伝
第41~50回箱根駅伝大会は、日体が5回優勝で、優勝4回の日大との争いです。明大は、第41回大会8位、第42回大会10位、第43、45、48回大会15位、過去の優勝校は出場のルールが適用された記念第50回は17位と全く振るいません。

 第41~50回箱根駅伝成績表

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大森町界隈あれこれ 例年より早い満開の季節 大森町の公園・道路・庭先に春爛漫に咲く桜・桃

2013年03月29日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2013 源平しだれ花桃

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大森町の桜満開
今年の冬は寒さが続いたため気温が低く出遅れていたが、3月6日ごろからは平年を大幅に上回る気温の日が続いたため、桜の花芽がスムーズに休眠から覚め、各地で最早の開花となりました。東京(大森町周辺)では、過去最早の3月16日に開花して、22日には満開を迎えました。

 大森町春の満開の花めぐり

昨年は、3月31日の開花で、満開が4月1日であったので、15日も早い花見時期を迎えました。2011年の掲載ブログ(「大森町界隈あれこれ 満開の季節 大森町界隈の公園・道路・庭先に春爛漫に咲く桜・桃その1その2」参照)では、桜の開花が4月1日で、同8日が満開でした。

・桜満開日の大森町周辺の桜
満開日の3月22日に大森西交通公園(大田区大森西3-4-19)(マル1)周辺に出かけて桜の花見をしてきました。大森町界隈では交通公園の桜は早く、東京の満開日に合わせて満開となりました。

 大森西交通公園(マル1)の桜(左上中上右上左下中下右下:0322)

大森西交通公園から区道を挟んで諏訪公園(大田区大森西3-3)(マル2)です。諏訪公園は、大田福祉作業所の移転に伴い、内川縁から場所替えして2008年春に完成した公園です。移転前の川端の諏訪公園には、古木の桜がありましたが、移転後の後援には数本の桜が植樹されています。

 諏訪公園の桜(写真拡大0322)

諏訪公園の北方は内川です。開桜小学校(大田区大森西2-26-3) (マル3)前の内川には、2007年から遊歩道護岸工事が行われ、2009年3月の竣工に合わせて大田区長出席のもとで桜の植樹(「風景・風物誌 花見のはしご 今年は大森町界隈の花見と大田区の桜 その1」参照)が行われました。開桜小学校前の桜は、植樹してから4年しか経過していませんが、小学校内の桜と共に、今では大森町の桜のスポットとなりました。22日のここの桜は、若木のためまだつぼみが多い状態です。

 開桜小学校前の遊歩道と校庭の桜(写真拡大0322)

・満開1週間後のお花見日和
今年は、満開後の気温が低めでしたので、同28日にも周辺の桜を眺めてきましたが、絶好の花見日和で、大森西交通公園の桜も、ほんの僅かですが花弁が散りはじめました。

 大森西交通公園の桜(写真拡大0328)

諏訪公園の桜も28日には完全に満開となり、開桜小学校の校門内の桜も学校の名前に相応しく、見事な花を開いています。

 諏訪公園と開桜小学校校門の桜(:諏訪公園満開の桜、:開桜小学校校門満開の桜0328)

開桜小学校前の内川遊歩道の桜も満開となり、この歩道は近隣にとっては憩いの場所です。

 開桜小学校前内川遊歩道満開の桜(写真拡大0328)

内川遊歩道を川沿いに西に進むと、途中の川端の駐車場に植えてある桜も満開で、また、その先の大森第8中学校(大田区大森西2−21−1)(マル4)の校庭に植樹されている桜も満開です。

 内川沿いに咲く桜(:内川川端駐車場に咲く桜、:大森第8中学校校庭の桜0328)

大森第8中学校の校庭の東側区道に架かる五之橋をわたり、南に進むと道すがら桜の他に花桃や春の花が見られます。

 大森町界隈に咲く春の花左・中・右写真0328)

途中花を見ながら大森町商店街通りを抜けて、大森西5丁目の四つ角を右折すると、右側が三輪神社(大田区大森西5-18-5)(マル5)です。三輪神社を通過して、四つ角の右側に大森西図書館に面して三輪公園(大田区大森西5-2)(マル6)があり、公園の周囲に植えられた桜は満開です。

 三輪神社と三輪公園の桜(左上:三輪神社、中上右上左下中下右下:三輪公園の桜0328)

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