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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 例年より早い満開の季節 大森町の公園・道路・庭先に春爛漫に咲く桜・桃

2013年03月29日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2013 源平しだれ花桃

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大森町の桜満開
今年の冬は寒さが続いたため気温が低く出遅れていたが、3月6日ごろからは平年を大幅に上回る気温の日が続いたため、桜の花芽がスムーズに休眠から覚め、各地で最早の開花となりました。東京(大森町周辺)では、過去最早の3月16日に開花して、22日には満開を迎えました。

 大森町春の満開の花めぐり

昨年は、3月31日の開花で、満開が4月1日であったので、15日も早い花見時期を迎えました。2011年の掲載ブログ(「大森町界隈あれこれ 満開の季節 大森町界隈の公園・道路・庭先に春爛漫に咲く桜・桃その1その2」参照)では、桜の開花が4月1日で、同8日が満開でした。

・桜満開日の大森町周辺の桜
満開日の3月22日に大森西交通公園(大田区大森西3-4-19)(マル1)周辺に出かけて桜の花見をしてきました。大森町界隈では交通公園の桜は早く、東京の満開日に合わせて満開となりました。

 大森西交通公園(マル1)の桜(左上中上右上左下中下右下:0322)

大森西交通公園から区道を挟んで諏訪公園(大田区大森西3-3)(マル2)です。諏訪公園は、大田福祉作業所の移転に伴い、内川縁から場所替えして2008年春に完成した公園です。移転前の川端の諏訪公園には、古木の桜がありましたが、移転後の後援には数本の桜が植樹されています。

 諏訪公園の桜(写真拡大0322)

諏訪公園の北方は内川です。開桜小学校(大田区大森西2-26-3) (マル3)前の内川には、2007年から遊歩道護岸工事が行われ、2009年3月の竣工に合わせて大田区長出席のもとで桜の植樹(「風景・風物誌 花見のはしご 今年は大森町界隈の花見と大田区の桜 その1」参照)が行われました。開桜小学校前の桜は、植樹してから4年しか経過していませんが、小学校内の桜と共に、今では大森町の桜のスポットとなりました。22日のここの桜は、若木のためまだつぼみが多い状態です。

 開桜小学校前の遊歩道と校庭の桜(写真拡大0322)

・満開1週間後のお花見日和
今年は、満開後の気温が低めでしたので、同28日にも周辺の桜を眺めてきましたが、絶好の花見日和で、大森西交通公園の桜も、ほんの僅かですが花弁が散りはじめました。

 大森西交通公園の桜(写真拡大0328)

諏訪公園の桜も28日には完全に満開となり、開桜小学校の校門内の桜も学校の名前に相応しく、見事な花を開いています。

 諏訪公園と開桜小学校校門の桜(:諏訪公園満開の桜、:開桜小学校校門満開の桜0328)

開桜小学校前の内川遊歩道の桜も満開となり、この歩道は近隣にとっては憩いの場所です。

 開桜小学校前内川遊歩道満開の桜(写真拡大0328)

内川遊歩道を川沿いに西に進むと、途中の川端の駐車場に植えてある桜も満開で、また、その先の大森第8中学校(大田区大森西2−21−1)(マル4)の校庭に植樹されている桜も満開です。

 内川沿いに咲く桜(:内川川端駐車場に咲く桜、:大森第8中学校校庭の桜0328)

大森第8中学校の校庭の東側区道に架かる五之橋をわたり、南に進むと道すがら桜の他に花桃や春の花が見られます。

 大森町界隈に咲く春の花左・中・右写真0328)

途中花を見ながら大森町商店街通りを抜けて、大森西5丁目の四つ角を右折すると、右側が三輪神社(大田区大森西5-18-5)(マル5)です。三輪神社を通過して、四つ角の右側に大森西図書館に面して三輪公園(大田区大森西5-2)(マル6)があり、公園の周囲に植えられた桜は満開です。

 三輪神社と三輪公園の桜(左上:三輪神社、中上右上左下中下右下:三輪公園の桜0328)

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大森町界隈あれこれ 大森町風景総目次2013~2015年版

2013年03月29日 | INDEX

kan-haru blog 2015 12月22日45版 (記入漏れ修正)、2016年5月4日版誤記修正


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  大森町界隈あれこれ 大森町風景 カテゴリー総目次2013~2015年版



2006年 大森町界隈あれこれ 大森町風景 カテゴリー総目次 INDEX (ここをクリックして下さい) 



2007年 大森町界隈あれこれ 大森町風景 カテゴリー総目次 INDEX (ここをクリックして下さい) 



2008年 大森町界隈あれこれ 大森町風景 カテゴリー総目次 INDEX (ここをクリックして下さい) 



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  大森町界隈あれこれ 正月恒例 第87回箱根駅伝その1 1月12日
30 大森町界隈あれこれ 正月恒例 第87回箱根駅伝その2 1月14日
31 大森町界隈あれこれ 大森町2月の風景・風物誌 諏訪神社の節分・初午と金山神社の針供養他 2月14日
32 大森町界隈あれこれ 梅の名所を忍ぶ 広重の浮世絵で梅の名所として有名な変わりゆく梅屋敷公園 3月3日
33 大森町界隈あれこれ 満開の季節 大森町界隈の公園・道路・庭先に春爛漫に咲く桜・桃その1 4月10日
34 大森町界隈あれこれ 満開の季節 大森町界隈の公園・道路・庭先に春爛漫に咲く桜・桃その2 4月13日
35 大森町界隈あれこれ 大震災で自粛の春の例祭 神輿自粛の浅間神社と例大祭式典のみ斎行の諏訪神社 6月7日




36 大森町界隈あれこれ 新年を準備の大森町周辺の風景・風物 年末・年始の商店と氏子諏訪神社を歩く 1月5日
37 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第88回箱根駅伝風景その1 1月8日
38 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第88回箱根駅伝風景その2 1月10日
39 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第88回箱根駅伝風景その3 1月12日



40 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第89回箱根駅伝風景その1 1月26日
41 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第89回箱根駅伝風景その2 1月29日
42 大森町界隈あれこれ 例年より早い満開の季節 大森町の公園・道路・庭先に春爛漫に咲く桜・桃 3月30日



43 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第90回箱根駅伝風景その1 1月26日
44  大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第90回箱根駅伝風景その2  1月31日
45 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第90回箱根駅伝風景その3 2月6日
46 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第90回箱根駅伝風景その4 2月10日
47 風景・風物詩 池上本門寺 満開の桜に染まる日蓮聖人霊跡の東国花の寺4番本門寺での花見 4月6日



48 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その1 1月30日
49 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その2 2月5
50 
大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その3 2月10
51 大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第91回箱根駅伝風景その4 2月16
52 
大森町界隈あれこれ 大森町の桜 今年も内川桜のプロムナードと大森西交通公園の桜が満開になりました 4月13日

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風景・風物詩 河津桜 開花が遅れた第11回三浦海岸桜まつりを見る

2013年03月24日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2013 三浦海岸桜まつり立て看板        

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三浦海岸桜まつり
河津桜といえば河津が本場(「小さな旅 雛のつるし飾りまつりと河津桜まつり その2」参照)ですが、首都圏の三浦海岸にも2000年に本家河津町から河津桜を、三浦海岸駅前と小松ヶ池公園までの線路沿いに約1000本譲り受け植樹し、2002年からは中心会場としてテント村を設置し、桜祭りとして取り組んできたとのことです。

 三浦海岸桜まつりポスター 

河津桜は、緋寒桜と早咲き大島桜の自然交配種と云われており淡紅色で、開花してから約1ヵ月かけてゆっくりと満開となるので花見期間が長いのが特徴です。
2003年の三浦海岸河津桜の開花状況を調べると、今年は遅れており2月28日頃に1分咲きとのことなので、はじめは3月14日に花見に行く予定にしていましたが、その後の開花情報では3月8日が満開とありましたので、急遽予定を変更して3月10日に見にいきました。

 ホームから見た三浦海岸駅前桜まつり会場(写真拡大0310)

三浦海岸前の第11回三浦海岸桜まつり会場は、駅東側広場に河津桜が植樹されており、広場南方に沢山の露店が並び商品を物色していました。露天先の広場南端にも河津桜が植樹されています。

 三浦海岸駅前桜まつり会場(写真拡大0310)

三浦海岸駅前のテント村の露店では地元産の野菜、海産物などの物販ブースが営業していました。
 
 三浦海岸駅会場の露天テント村(写真拡大0310)

3月10日の三浦海岸桜まつり会場の河津桜は、丁度満開で最高に見頃の花見となりました。

 満開の三浦駅前河津さくら(写真拡大0310)

河津桜は落葉高木で、樹形は広卵状で樹皮は紫褐色で光沢があり、若枝は褐色、無毛。葉は開花後に展開する成葉は倒卵状楕円形で先は尾状鋭尖形、基部は円形、長さ12.5~16cm、巾6~6.8cmで厚い。縁は単鋸刃だが、重鋸刃が混じり、鋸歯の先は芒状、腺はない。表面は濃緑色、裏面は淡緑色、両面共に無毛。側脈は約10本。葉柄は長さ2~2.2cmで無毛、上部に1対の蜜腺がある。托葉は長く、分岐多い。果実は、ほぼ球形、径0.9~1.3cm、黒紫色に熟し、甘味がある。(河津観光協会HPから)

 三浦駅前の満開の河津さくら1

河津桜の花は径が約3センチと大きくピンク色で、樹皮は平滑艶があり、地上近くで幹が分れ、枝は横に広がる性質があります。(河津観光協会HPから)

 三浦駅前の満開の河津さくら2

会場のベンチに座って休んでいると、気温がどんどん上昇し段々と風が強まってきましたので、小松ヶ池公園に行くのは取りやめて、電車で三崎口まで乗って沿線の河津桜を車窓から眺めることにしました。そのうち、横浜方面の空が暗くなり、煙霧が発生しましたので、そのまま帰路につきました。

 車窓から満開の河津桜を観賞(写真拡大)

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旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉 北斎が愛した小布施の歴史を追い、渋温泉でくつろぎ善光寺参りその5

2013年03月21日 | 旅ものがたり

kan-haru blog 2013 善光寺山門の扁額

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善光寺詣り
1日目は小布施を見学し渋温泉でくつろぎ、1997年4月に善光寺を訪れた時には、ご開帳と重なり参拝者で混雑のため落ち着いてお参りができなかったので、2日目はリンゴ狩りの後に善光寺詣りへと、信州中野駅10時59分発の長野電鉄に乗車して、11時47分に長野駅へ着き、昼食を頂くためタクシーで善光寺門前の食事処に案内して貰いました。

 善光寺門前付近地図(左:善光寺周辺地図、:善光寺門前地図)

食事処の門前茶寮・弥生座(長野県長野市大門町503)は、善光寺入り口前の西側の横町通りを入った所にあり、1995年(平成7年)12月28日にオープンしたお店です。料理のおもてなしは、信州の食材、旬の素材を取り入れ、各地に伝わる郷土料理や善光寺精進、家庭料理の良さをいかした創作郷土料理を紹介しています。

 長野での昼食は善光寺門前茶寮弥生座で(写真拡大20121030)

弥生座の建物は、1847年(江戸時代弘化4年)の「善光寺地震」(マグニチュード推定7,4)の直後に建てられた畳問屋を再生したもので、高い天井、太い梁、通り土間、階段箪笥など、長野の町家を楽しめます。
弥生座の由来の「弥生」は、善光寺創建以前、弥生時代からこの盆地に多くの人が暮らしていたことや、善光寺の開祖本田善光の夫人の名前にちなんでおり、「座」には、人々が賑やかに集い、語らう場にしたいという願いが込められています。長野県の伝統的工芸品に指定されている『農民美術』は、信州を代表する工芸品で、手仕事の素朴さやぬくもりを伝える木彫りとして広く親しまれています。(門前茶寮・弥生座HPから)

 弥生座に展示の農民美術工芸品の一部(写真拡大20121030)

善光寺
善光寺(長野県長野市元善町491)は、山号は「定額山(じょうがくさん)」で、無宗派の単立寺院であり、山内にある天台宗の「大勧進」(住職は「貫主」と呼ばれ天台宗の名刹から推挙された僧侶が務める)と25院および、浄土宗の「大本願」(尼寺で、住職は「善光寺上人」と呼ばれ、門跡寺院ではない代々公家出身者から住職を迎える)と14坊によって護持・運営されており、善光寺の住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務めます。開基は皇極天皇で、創建年は644年(皇極天皇3年)です。
善光寺の参道は、善光寺入り口から本堂までは石畳(敷石)が敷き詰められており、本堂前の敷石は1713年(正徳3年)腰村西光寺住職単求の寄進と、二天門から山門までが江戸中橋上槙町の石屋香庄大竹屋平兵衛の寄進で1713年に完成し、敷石は西長野郷路山産の安山石の総数が7777枚と云われているが、現在およそ7千枚が敷設されており、市の文化財に指定されています。入り口から石畳みを進むと、石段があり、その石段を上ったところに仁王門があります。1752年(宝暦2年)に建立された仁王門は、1847 年(弘化4年)の善光寺大地震で焼失し、1864年(元治元年)に再建されましたが、1891年(明治24年)の火災でまた焼失し、現存のものは1918年(大正7年)に再建されたのけやき造りの高さが13.6メートル、間口が13メートルで奥行きが7メートルあり、扁額に伏見宮貞愛親王の筆で山号の「定額山」と書かれています。

 善光寺参道1(:善光寺入り口からの参道の石畳み、:善光寺入り口から石段を上がると仁王門、:扁額に「定額山」と書かれた仁王門20121030)

善光寺の仁王像は通常とは逆で、左側に「阿形」が置かれ左手に金剛杵を持ち右肩を上げており、右側の「吽形」は左手を振り上げて右手をまっすぐのばして、高村光雲と米原雲海の合作による彫刻です。仲見世通りの中央には通路があり、その東方には世尊院釈迦堂があり、そこには等身大の釈迦涅槃像(国の重要文化財に指定) 頭を北にして横臥しています。仲見世通り中央西側には延命地蔵尊があり、見過ごしました。現在の本堂が建立された後の1712年 (正徳2年)に、延命地蔵尊は造立されましたが、善光寺大地震や2回ほど火災に遭い、現在の延命地蔵は終戦後に再興されたものです。昔は、延命地蔵の場所に本堂がありましたが、火災類焼を避けるた現在の場所に移され、その後本堂は火災に遭うことなく現存しています。

 善光寺参道2(:阿形仁王像、:吽形仁王像、:仲見世通り中央付近の世尊院釈迦堂への通路20121030)

仲見世通りを進むと、石塀に囲まれた善光寺境内前の通路があり、境内の入り口には小さな石橋の「駒返りの橋」がかかっています。源頼朝は、1197 年(建久9年)に善光寺を参拝したと言われています。この石橋の端に穴があいており、その穴に馬の蹄がはさまってしまい、駒を返したところだと言われています。

 善光寺参道3(:善光寺境内に進む仲見世通り、:境内入り口前の駒返りの橋20121030)

駒返りの橋をわたり境内に入ると、右側に1759年(宝暦9年)に造立されたと云われる六地蔵は、大戦により供出され現在のものは昭和29年に再興されたものです。六地蔵の「六」は仏教の六道を表わし、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天のことで、この六の世界に赴き、迷える人を救おうという誓願を起こされています。濡れ仏と呼ばれる延命地蔵は、1922 年(享保7年)に水内群普光寺の真宋僧法誉円信によって造立され、像高は2.68メートルの銅像坐像です。

 善光寺境内の六地蔵と濡れ仏(:六道で人の悩みを救う六地蔵、:濡れ仏(延命地蔵)20121030)

六地蔵と濡れ仏を過ぎて、石段を上がったところにある山門は、桁行きが約20.4メートルで、梁行きが約8メートルの、高さ約18メートルの入母屋造りの大楼門で、1750 年(寛延3年)に建立され、1847年の善光寺地震などに耐えてきましたが、建物や屋根の老朽化が進み、2002年より2007年12月に大修理が行われ、建立時の姿が復活しました。山門の内部には、四天王に囲まれた木像文殊菩薩坐像、四国八十八ヶ所の札所本尊を模刻した百体仏が祀られ、文殊菩薩坐像が安置されていますが、時間の都合で2階には上がりませんでした。正面には、1801年(享和元年)に輪王寺宮公澄法親王の筆で書かれた、「善光寺」の扁額が掲げられており、通称「鳩字の額」(トップ写真参照)とも呼ばれており、鳩が五羽隠されています。現在の額は、「国宝善光寺本堂昭和大修理」の際に掛けかえられたもので、古い額は善光寺資料館に展示されています。

 善光寺山門(:山門、:善光寺山門手前のお水屋20121030)

山門を潜ると正面は善光寺本堂(国宝)です。現在の本堂は、1700 年(元禄13年)の火災の後に徳川幕府が松代藩に命じて、幕府お抱えの名匠甲良豊前宗賀の設計で造られたもので、間口が23.89メートル、高さが25.82メートルで、奥行きが53.67メートルの江戸時代中期仏教建築を代表する縦長の鐘木造りの大伽藍で、1707 年(宝永4年)に完成しています。本堂を入り外陣には、羅漢とよばれるびんずる尊者がおかれてあり、体の悪い部分と同じところを撫でると、良くなるといわれています。びんずる尊者の左は、親鸞聖人お花松です。外陣の奥は内陣で、約百五十畳敷きの広大な畳の空間が広がっており、参詣された信徒がお参りをする空間です。本堂の正面入り口に、献香所があります。
善光寺のご本尊は善光寺のご本尊の一光三尊式阿弥陀如来(善光寺如来)は、三国伝来の「日本最古の御仏」といわれており、本堂奥の厨子の中に安置されて今までに誰も見たことがないということです。時間の都合で、内陣、内内陣に入らず、また、お戒壇巡りは省略しました。

 善光寺本殿(左上中上:本殿、右上:本殿外人、左下:本殿外人、中下右下:献香所20121030)

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旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉 北斎が愛した小布施の歴史を追い、渋温泉でくつろぎ善光寺参りその4

2013年03月16日 | 旅ものがたり
kan-haru blog 2013 渋ホテルパンフレットから

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旅ものがたり 善光寺・小布施・渋温泉の後編は、小布施から渋温泉、リンゴ狩りと善光寺参りの観光です。

渋温泉へ
渋温泉へは、15時19分発の元JR東日本253系成田エクスプレスの下り線には特急列車のスノーモンキーで、リンゴ畑の風景を眺めながら信州中野駅に途中停車して、終点湯田中駅には15時41分に到着です。

 長野電鉄で小布施から湯田中へ向かう(:小布施駅入線の下り特急列車スノーモンキー、:長野電鉄列車の車窓風景20121030)

湯田中の町を見学したいと思いましたが、駅に宿泊先の渋ホテルの送迎バスの案内人がおりましたので、小布施見学の疲れもありホテルにバスで直行しました。

 渋温泉

・渋ホテル
渋温泉の渋ホテル(長野県下高井郡山ノ内町大字平穏2173)は、湯田中駅から夜間瀬川に出て川沿いに上流へと進み、途中星川橋から支流の横湯川に沿って進むと渋湯橋のたもとがホテルの玄関です。

 渋温泉渋ホテル 

渋ホテルは、客室は和室が18室で、洋室が2室の5階鉄筋建ての温泉です。ホテルのエントランスを入ると左側には、ロビー・ラウンジまほろばがあり、そこには昭和30年代頃に実際に使われていた、机や椅子、そろばん、木琴、大きな定規などがあり、動揺や唱歌に耳を傾けると、小学校時代にタイムスリップの世界があり、遠い昔の懐かしい想い出がわくノスタルジアな雰囲気のホテルです。

 ノスタルジアな渋ホテルのロビー・ラウンジまほろば(左上:遠い昔を想いおこす雰囲気の渋ホテルのロビー、中上:昭和時代の小学校教室、右上:昭和時代の図書、左下:昭和時代のオルガンと冷蔵庫、中下:昭和時代のラジオ、蓄音機、タイプライタ、右下:昭和の各種遊びの人形20121030)

通された部屋で、横湯川の対岸や渋湯橋の風景を眺めながらお茶で休息してから、待望の温泉に浸かりました。

 渋ホテルからの展望(:客室から横湯川対岸の展望20121030、:渋ホテル脇の渋湯橋)

ホテルの温泉浴場の広さはこじんまりとし、男と女湯の内風呂と露天風呂に、貸切家族風呂があります。泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩温泉で、源泉温度は 97℃、60℃、36℃の3種類の混合泉で43℃~44℃に調節した源泉を、ブレンドした肌ざわりの柔らかな天然温泉を「かけ流し」で湯船にそそがれており、体の芯から温まり肌がツルツルになります。

 渋ホテルの内湯(写真拡大20121030)

渋温泉は歴史があり開湯1300年を経て、街道は江戸と信州善光寺を結ぶ草津道の要路で、湯宿として愛され重視されてきました。渋温泉には、9湯の外湯があり、宿泊者が全て巡って各湯の印を押し、最後に高薬師で印綬すると満願成就となり、厄除けや不老長寿などのご利益があると人気の厄除け巡浴めぐりがあり。また、横湯川の上流には、渋の地獄谷大噴泉が噴出し、その先には、約300匹のお猿が入浴する姿を見られる世界で唯一の公苑があります。

 渋温泉巡欲祈願押印手ぬぐい

夕食は、入浴後19時に食事処に行き渋温泉での晩餐です。食前酒は、調理長が1年前から仕込んだ果実酒とのことで、料理は北信濃の地元の素材で季節を感じるように手がけた懐石料理で、お品書に描かれた鮎、岩魚、松茸の土瓶蒸しなど山地のお料理を堪能しました。

 句の恵みと地元の食材が盛られた夕餉のお料理(左上中上右上左下中下右下:20121030)

朝食も、年配者には食べきれない量であり、玄関先の中庭で記念写真をとり、渋温泉周辺の観光は見送りとし、タクシーを呼んでリンゴ狩りから善光寺詣りに10時に出発です。

 想い出の渋ホテルを後に(:渋ホテルの朝餉の料理、:渋ホテルの中庭、:渋ホテルを後に20121031)

・リンゴ狩り
長野のリンゴ狩りの季節は、8月上旬から11月下旬ですので、新鮮なリンゴ狩りを北信濃の国道403号中野栗和田ランプ信号角の小林果樹園に行き、リンゴ狩りをしてきました。

 中野栗和田ランプ角小林果樹園地図

小林果樹園には、渋温泉から夜間瀬川を対岸に渡り、国道292号を北上して国道403号の交流点の中野栗和田ランプ信号角に有ります。果樹園は道路脇に直売所が設けられており、その脇に果樹園があり、赤いサンふじと黄緑の王林を狩りお土産に買ってきました。

 小林果樹園でのリンゴ狩り(左上中上右上左下中下右下:20121031)

リンゴ狩りを終えて、待たせたタクシーに乗り、国道292号と県道を通り長野電鉄の信州中野駅まで行き、そこから長野電鉄10時59分発で長野駅には11時47分に到着しました。

 長野電鉄信州中野駅を後に(:長野電鉄信州中野駅、:さようなら北信濃20121031)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第2回)

2013年03月11日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 旧下り線傾斜高架橋の取壊し工事        

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大森町駅高架化事業完了工事
・高架駅橋下整理工事(続)
大森町駅高架橋下では、3月に入ると駅舎構築の準備として、高架橋脚柱間補強の地中梁施工工事のため、大森町第1踏切跡北側から第3-4脚柱間を切削しており、踏切跡の縁に掘り出した土が山積されています。これらの工事用工事車の運搬に大型トラックを使用して、大森町商店街通りを出入りして工事が進展しています。なお、大森町第1踏切跡南側の線路およびコンクリート枕木の撤去は完了しています。

 大森町高架駅橋下の駅舎築造の準備工事が進展(:高架駅橋脚柱間補強の地中梁施工0227、:工事車運搬の大型トラックの登場0301)

・内川付近旧下り線傾斜高架橋の取壊し(続)
3月8日に旧下り線傾斜高架橋を内川一之橋から見ると、下り線旧内川橋梁が撤去され、内川北岸の傾斜高架橋も旧下り線平和島第2架橋の近くまで、取り壊されて撤去され工事作業台のみが残っていました。

 南岸より見た撤去された旧下り線内川橋梁(写真拡大0308)

撤去された旧下り線内川橋梁跡の南岸には、内川南岸上下線の橋梁橋脚台が佇んでいます。南岸の橋梁の敷設高が低くかったため、区道は掘り込んで設置されており、それでも背の高い人はこごんでの通行で、新たな下り線高架橋が完成すると解決します。

 南岸から見た旧下り線内川橋梁撤去跡(:南岸から見た旧下り線内川橋梁撤去跡、:撤去された旧内川橋梁南岸の鉄橋橋脚跡0308)

撤去された旧下り線内川橋梁跡の北岸も、同様に区道は掘り込んで設置されておりましたが、通行人は立ったままで通行ができます。

 旧内川橋梁北岸の撤去された鉄橋跡(:撤去された旧内川橋梁北岸の鉄橋下の区道、:旧下り線内川橋梁が撤去された北岸部、:撤去された下り線内川橋梁北側の工事材整理作業0308)

旧下り線傾斜高架橋の取壊撤去工事現場では、大型と中型のクレーンにより取壊し除去を進めています。

 内川北岸方を見た旧下り線傾斜高架橋の撤去工事現場(写真拡大0308)

内川北岸の高架橋築造の工程は、内川北岸本高架橋築造説明図の仮上り線高架橋と併設の仮下り線高架橋の上部の、旧下り線傾斜高架橋を取り壊して撤去し、その後に本線下り線高架橋を築造して、下り線線路を移設します。移設により空いた仮下り線高架橋には、仮上り線高架橋の線路を移設して、上り線の本高架橋に転じます。移設により空いた仮上り線高架橋は取り壊して、内川北岸の高架橋は完成します。

 内川北岸本高架橋築造説明図

内川北岸の旧下り線傾斜高架橋を取り壊しの進行状況は、内川橋梁橋脚台の北から、橋脚柱台P16まで、完全に取壊し撤去が完了しています。

 下り線傾斜高架橋脚柱P17付近の取壊し現場(:下り線傾斜高架橋取壊し現場、:下り線傾斜高架橋脚柱台P17の取壊し現場0308)

橋脚柱台P16と平和島第2架道橋脚柱台B間の傾斜高架橋は、大型クレーンと多数の作業員にて取壊し工事を行っていました。

 橋脚柱台P16付近の傾斜高架橋取壊し現場(:橋脚柱台P16付近の傾斜高架橋取壊し現場、:平和島第2架道橋脚柱台B付近の傾斜高架橋0308)

平和島第2架道および、その橋脚柱台Aと橋脚柱台P14間の最北の傾斜高架橋の取壊し作業は準備中です。

 平和島第2架道北方の傾斜高架橋(:平和島第2架道とその北方の傾斜高架橋、:平和島第2架道橋脚柱台A北方の傾斜高架橋、:東側から見た取壊し工事中の最北傾斜高架橋0308)

・平和島第5踏切跡の道床
平和島第5踏切跡から北方の道床を見ると、線路、コンクリート枕木は撤去して平坦に整備され、内川橋梁橋脚台までの盛土はまだ除去されていません。

 平和島第5踏切跡北側から内川橋梁橋脚台までの旧下り線道床の整備(写真拡大0308)

同踏切南方の道床は、線路、コンクリート枕木は撤去して保管されています。

 平和島第5踏切跡南方の道床整備(:平和島第5踏切跡南方の道床整備、:撤去線路の保管、:撤去枕木の保管0308)

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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(3月分掲Indexへ)
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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事雑色駅編(第1回)

2013年03月07日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 旧下り線傾斜橋を六郷土手駅から見る 

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雑色駅高架化事業完了工事
雑色駅高架化事業完了工事は、旧地上ホームや線路道床および電力線設備と信号系設備の撤去工事が先ず行いますが、3月1日に見るとまだホーム残存跡や囲い塀などが残っています。駅舎構築のためには、高架橋脚柱間の強化のための地中梁構築の工事を行い、下り線高架ホームのエスカレータの設置が今後行われます。

 雑色駅構内未撤去の地上ホーム・道床跡(左上中上:雑色駅南方の旧地上ホーム跡、右上左下中下右下:雑色駅構内地上旧下り線道床の整備0301)

同日京急蒲田第13踏切跡から道床を見ると、南方の地上雑色駅には上下線の連絡通路の囲い塀があり、その下の線路は撤去されないままです。北方の道床を見ると、線路、コンクリート枕木は撤去されています。

 京急蒲田第13踏切跡から道床を見る(:京急蒲田第13踏切跡南側から地上雑色駅を見る、:京急蒲田第13踏切北側から地上道床跡を見る、:京急蒲田第13踏切北側から地上線路跡を遠望する0301)

撤去された線路、コンクリート枕木や信号線のケーブルは、同踏切の北方に保管されています。

 京急蒲田第13踏切の北側には撤去した線路、枕木、ケーブルの廃材を保管(:踏切跡北側に信号線等の撤去ケーブル残材を保管、:踏切跡北側に撤去線路の切断残材を保管、:線路残材の先には撤去のコンクリート枕木を保管0301)

・六郷土手付近傾斜高架橋の撤去
3月1日に寶珠院踏切跡南方から六郷土手第5ガードまでの、撤去工事が開始の旧下り線の傾斜高架橋を見てきました。

 寶珠院踏切跡南方の撤去する旧下り線傾斜高架橋を見る(:第1京浜国道側から見た寶珠院踏切、:寶珠院踏切跡南方の傾斜高架橋の遠望、:旧下り線傾斜高架橋の撤去工事が始まる0301)

同踏切北方では、道床跡の平坦化工事が進行していました。

 寶珠院踏切跡北方では道床の平坦化工事が進行中(写真拡大0301)

寶珠院ヤード付近の旧下り線道床の平坦化工事の準備が行われていました。

 寶珠院脇ヤードの付近下り線道床の平坦化準備工事が進む(写真拡大0301)

旧下り線傾斜高架橋の盛土部では、盛土撤去の準備工事が進められていました。

 傾斜高架橋盛土部の撤去工事の準備が進む(写真拡大0301)

旧下り線傾斜高架橋の橋梁部では段差の修正工事を要します。

 旧下り線傾斜高架橋梁部では段差修正の工事を要す(写真拡大0301)

新下り線高架橋に置き換えられる、撤去前の旧下り線傾斜高架橋を、区道の東側から見てみました。

 旧下り線傾斜高架橋を東方より見る(写真拡大0301)

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大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事糀谷駅編(第1回)

2013年03月04日 | 大森町界隈あれこれ 京急関連
kan-haru blog 2013 橋脚柱の取付受け金具

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糀谷駅高架化事業完了工事
・糀谷駅高架駅の現状構造
糀谷高架駅の築造は本線各高架駅と異なり、現在の下り線高架ホームは地形の制約により、羽田空港寄りの高架駅橋は高架橋柱の設置場所が地上線路と重なるため、高架橋柱が建てられず、高架橋脚梁を拡幅しての築造となっています。

 現糀谷高架駅橋西方の断面構造説明図(再掲)

下り線高架ホームへの通路は、高架駅橋外縁の外部の跨線橋階段位置まで拡幅の仮設部を設けて構築されました。

 糀谷の拡幅高架駅橋の構造(:糀谷駅の拡幅構造の高架駅橋20081102、:20081002、:下り線ホーム仮設エレベータ構築20090413)

糀谷駅中央改札口から下り線高架ホームへの通路は、地上ホーム時に使用していた上下線連絡跨線の階段を活用し、その後方の高架橋外部拡幅部に仮設エレベ―タ―を設置して高架化を運用しています。

 下り線高架駅ホームは跨線橋階段利用と仮設エレベータを設置(:糀谷駅の上下線連絡跨線橋20080912、:下り線ホームへの連絡通路は跨線橋階段と仮設エレベータを使用20100129、右:仮設エレベータと跨線橋階段階段20121016)

また、糀谷高架駅橋上りホームは、地形の関係で幅員が本線の各高架駅橋の様に取れないためホーム幅が狭く、昇り降りエスカレータは並置の形態で設けられず単独の設置となり、京急蒲田方から階段、昇りエスカレータ、エレベータ、待合室と降りエスカレータと並んで配列されています。

 糀谷上り2番線高架ホーム(左上:昇り単独エスカレータ、中上:階段、右上:エレベータ、左下:待合室、中下:降り単独エスカレータ、右下:京急蒲田方先端部ホーム20121007)

・糀谷駅高架化事業完了工事
2012年10月21日に下り線高架化により、それまでのそれぞれのホームには京急蒲田方面行きと羽田空港行きの列車が発着しておりましたが、上下線の高架化により下り線(1番線)ホームは羽田空港行き、上り線(2番線)ホームは京急蒲田方面行きとなりました。同12月5日に、地上下り線が移設して空いた地上ホームの取壊しが始められていました。

 下り線高架化で取壊しが開始された旧下り線地上ホーム(:取壊しが始められた旧下り線地上ホーム、:京急蒲田方の旧下り地上ホーム、:最終的に高架駅橋脚柱建立の位置20121205)

同日糀谷第1踏切跡の南方の、高架化移設により空いた地上下り線線路を見ると、同踏切道上の線路は撤去されていた以外は、まだ、未撤去ですが電力線の架線は撤去済です。

 下り線高架化により空いた下り線の地上線路(左上:糀谷第1踏切北方の空いた地上線路、中上:糀谷第1踏切跡道路の撤去された下り線線路、右上:糀谷第1踏切北方の空いた地上線路、左下:傾斜高架橋脇の空いた地上線路、中下:傾斜高架橋工事出入り口の空いた地上線路、右下:傾斜高架橋盛土部脇の空いた地上線路20121205)

2013年2月7日に見ると、旧地上下り線線路の撤去が完了し、京急蒲田方の地上ホームの取壊しも進んでいました。

 地上下り線線路撤去と地上ホームの取壊(:糀谷第1踏切跡南方の地上線路撤去完了、:下り線地上構内の線路の撤去完了、:京急蒲田方の下り線ホームの取壊しが進む20130207)

同日上り線高架ホームから下り線高架ホームを見ると、階段、エスカレータおよびエレベータの設置場所に板囲い塀が置かれていますが、これらの新設工事には、高架駅橋下に橋脚柱を建て、補強の地中梁設置工事を行なう必要がありますので、少なからずの時間を要します。

 上り線高架ホームから下り線高架ホームを見る(写真拡大20130207)

同3月1日に見ると、高架駅橋下では橋脚柱の建立準備の工事へと進んでいます。

 糀谷高架駅橋下の工事はこれから(:構内整地の準備作業が進む、:線路が空き橋脚柱建立の工事は可能となる20130301)

同日には、京急空第4踏切南の地上ホーム取壊し跡の、橋脚柱間の補強地中梁設置の準備工事が行なわれていました。

 京急蒲田第4踏切南方では橋脚柱間の補強地中梁設置準備工事が進む(写真拡大20130301)

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・カテゴリー別Index 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連総目次 : 2011年前期版2011年後期版2012年前期版2012年後期(2)版2013年前期版
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番外編カテゴリー別ブログ記事の検索と見方 3月INDEX

2013年03月01日 | INDEX

kan-haru blog 2013 3月1日55版

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kan-haruの日記の月間INDEXは、毎月1日付けで掲載しており前月の登録記事検索のほか、カテゴリー別の登録記事の2006年3月から最新までの検索ができます。

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  大森町界隈あれこれ カテゴリー別目次
■印覧の13年2月掲載項目以外の目次は、下記の項番に付記された下線付きのカテゴリー項目を選択すると、当該カテゴリーの掲載当初から現在日時点までの目次が見られます。

 1 大森町界隈あれこれ 大森町に住んで65年!
 2 大森町界隈あれこれ 空襲編若山武義氏手記 総目次
  2-1 大森町界隈あれこれ 鎮魂! 大森町大空襲 (第1編)
      付 東京大空襲 ~あれから61年~
  2-2 大森町界隈あれこれ 手記第2編 戦災日誌中野編
  2-3 大森町界隈あれこれ 手記第3編 戦前戦後目黒にて
 3 大森町界隈あれこれ 戦後編若山武義氏手記 総目次
  3-1 大森町界隈あれこれ 戦後史編手記 第1~4編総目次
 4 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺
 5 大森町界隈あれこれ 大森町商店街
 6 大森町界隈あれこれ 大森海苔
 7 大森町界隈あれこれ 京浜急行関連
  ◇ 2006・2007年版2008年前期版2008年中期版2008年後期版2009年前期版2009年中期版2009年中Ⅱ期版2009年後期版2010年前期版2010年前Ⅱ期版2010年中期版2010年後期版2011年前期版2011年後期版2012年前期版2012年後期版
 8 大森町界隈あれこれ 大森町風景
 ■ 大森町界隈あれこれ 大森町2月の風景・風物誌 諏訪神社の節分・初午2013 2月8日

 9 大森町界隈あれこれ イベント 目次
  ◇ 2006~2009年期版2010年版2011~2012年版 
 ■ イベント 日書展 第67回日本書道美術院教育部展が古巣の東京都美術館で開催 2月3日
10 大森町界隈あれこれ 大森町学びや

  大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 サブ・カテゴリー別目次

11 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 Sub INDEX
  ◇ 関連側道高架化 全工区下り線工事2012年後期版高架化全工区下り線工事2012年前期版高架化全工区下り線工事2011年後期版高架化全工区下り線工事2011年前期版高架化全工区下り線工事2010年版全工区統合2009年版全工区統合2010年版、大森町付近工区:2006・2007年版2008年版2009年版梅屋敷付近工区、京急蒲田付近工区:2006~2008年版2009年版雑色付近工区糀谷付近工区
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事梅屋敷駅編(第1回) 2月15日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第1回その1) 2月18日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事大森町駅編(第1回その2) 2月21日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第1回その1) 2月24日
 ■ 大森町界隈あれこれ 京浜急行の高架化 高架化事業完了工事京急蒲田駅編(第1回その2) 2月27日

  一般 カテゴリー別目次

21 風景・風物詩 総目次
  ◇ 2006・2007年版2007・2008年版2008~2010年版2010~2012年版 
 ■ 風景・風物詩 初詣風物詩 川崎大師平間寺初詣2013 2月5日
22 小さな旅 総目次
  ◇ 2006~2009年版2009~2011年版
23 旅ものがたり 総目次
24 秋葉原界隈 総目次
25 イベント 総目次
  ◇ 2006・2007年版2008年版2009・2010年版2011年版2012年版
26 ITと技術 総目次
◇ 2006~2011年版2012年版
27 Weblog 総目次

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