安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

カメラ戦線異状あり。

2006-01-20 00:47:20 | その他社会・時事
フィルムカメラから撤退 ニコン、デジカメに集中(共同通信)
なんてニュースが流れてびっくりしたのも束の間、お次は

コニカミノルタ、カメラ事業撤退 デジタル一眼、ソニーに譲渡(産経新聞)

だそうで。

私の友人に1人、このご時世なのに銀塩カメラ専門でニコン専門、というヒトがいるが、彼なんかホント、存在価値を否定されたに等しいのではないだろうか。
コニカミノルタの場合は、銀塩カメラからデジカメへの切り替えが遅れた結果、デジカメ戦線に乗り遅れたのが効いているように思う。

旧ミノルタ、個人的には好きなメーカーだったんだが…
旧コニカも、戦前の「小西六写真工業」から続く老舗メーカーだけに銀塩撤退は実に寂しい。

デジカメに限らず、最近のIT機器の価格下落には凄まじいものがある。もちろん買う側からすれば安いことはありがたいことに違いないが、そもそも価格とは、原価に運賃・労賃等の経費、そして企業としての利益を加味して決定されるのが本来の姿であり、それゆえどんな物にも適正価格というものがある。
今のように、経費や利益すらも無視した過当競争によって価格がどんどん下がっていく事態は好ましいものではなく、そのツケは結局誰かが払うことになる。原価切り下げであれば原材料メーカーが、労賃であれば賃下げの形で労働者が負担させられるワケだ。政府は「銀行の不良債権処理が終わればデフレは収束する」と宣伝してきたが、銀行の不良債権処理が終わった今も相変わらずデフレ基調が続いているのは「価格破壊」にも原因があるとは言えないだろうか。
安売り競争は電機業界だけに限らないが、「他店より1円でも高い品があればお申し出ください。この場で直ちに値引きいたします」などという看板を堂々と掲げている電機業界で最もその歪みが出ていると思う。

確かに、アジア諸国製の電化製品から安売り攻勢をかけられている今、日本の電機業界として安売りで迎撃態勢を取らなければならないという気持ちはわからないではないが、今日でも日本製とアジア諸国製の電化製品では品質にまだまだ大きな差があることも事実である。
かつて松下幸之助氏が「10000円の価値があるものを9000円で売ることは、10000円札を9000円で売るのと同じだ」として値引きをしなかったエピソードがあるが、「良い物は高くて当たり前、物には適正価格がある」という経済学の基本に立ち返り、値引き競争に終止符を打たなければ業界全体が立ちゆかないところまで追い込まれつつある。そのうえで、消費者の購買力アップは賃上げによって確保することが、正しい経済のあり方だといえるのではないだろうか。


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母がフィギュアを買ってくれなかったから

2006-01-18 20:39:16 | 芸能・スポーツ
27歳無職男が自宅に放火だとさ。
この記事を紹介した小寺信良さんは「ツッコミどころ満載」と評しているが、私はツッコむ前にズッコケた。

だいたい母親にフィギュアを買ってもらおうという発想だけでも世間の常識を超越しているし、27歳にもなってママにオモチャを買ってもらおうと考えるところも凄すぎる。
18歳からバイトをして、21歳からは自分のバイト料で1ヶ月12,000円(当時)の国民年金保険料を納めてきた私から見れば、彼はまさに異次元だ。ホント、日本はこの先どうなるんだろう。
この自宅に放火した若者にはコメントする気にもならないが、とにかく外へ出て働けと言いたい。それが自分の望む仕事でなかったとしても、つまらなくて退屈だと思うようなものであったとしても、労働こそが人間を育てる。どんな仕事であれ、周りの人たちと協調し、他人に迷惑を掛けなくてすむにはどうしたらいいか等々考えるうちに、奉仕の心や目的意識などいろんなことが養われるからだ。そしてここが最も重要なのだが、働くことによって、自分が世間から必要とされているのだという実感が生まれ、働かずにブラブラするよりは絶対に良い毎日になる。自分に合わないからなどと言わず、まずは自分に対して修養の場を与えてくれる人がいるのだと言うことに感謝して飛び込んでみるべきだ。

>昔のオタクは欲しいものがなかったから、みんな自分で工夫したり作ったりしたものだという。
>しかし最近のヲタクは出されたものを買うだけで、中味がスカスカ、というような話であった。

小寺さんのこの危惧と同じ心配を、私がファンをしている漫画家・赤松健先生が自分の日記でしているのを見たことがある。赤松先生も確か、「コミケの客は増えているが、ただ買うだけでなく、サークル出して自分が売る側になってやろうという野心を持った若者がもっと増えてほしい」というようなことを書いていた記憶がある。
私は最近1年半ほどコミケに顔を出していないが、確かに「供給側」つまり作品を創作し、サークルを出して売る側の主力は男性で30歳代以上、女性はもう少し若いがそれでも20歳代後半以上になりつつあるように思う。
コミケ参加歴が浅い私に詳しいことはわからないが、供給側の高齢化を数値的な裏付けは取れないものの、皮膚で感じているのは私だけだろうか。

受け身の姿勢からは何も生まれないと思う。若い人は、荒削りでも構わないからもっと自己主張をしたほうがいい。若いうちなら、荒削りでも「若いから」と温かく見守ってもらえる。そういう有利な条件のうちに己の力量をもっと磨くべきだろう。
私くらいの年齢になってから荒削りなだけの作品を世に問おうものなら、何やってんだアイツはという視線を向けられる。だから慎重にもなるし守りにも入ってしまう。
若いうちは社会の中で己の占める位置や発言力は小さなものかもしれないが、将来に向けての鍛錬の時期である。体当たりでもいいからどれだけ密度の濃い時間を送れるかが意外にその後の人生を決めたりする。だから、若いうちはやらなくて後悔するくらいならやって後悔するほうがずっといいと思う。これは仕事でもオタク活動でも全てにおいて言えることである。
他人から供給してもらった物に文句や不満を言うのは、それからでも遅くはない。

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桃花台線問題・鉄道と採算性

2006-01-17 22:11:32 | 鉄道・公共交通/交通政策
桃花台線廃止問題を取り上げたところ、開設2日目のブログにトラックバックが2件もついた。ありがたいことであり感謝している。
さて、トラックバックに勢いづいてというわけではないが、この桃花台線、さらに鉄道の採算性と公共性との兼ね合いについて考えたことを書いてみる。

そもそも日本の鉄道は民営で始まったが、1906(明治39)年に公布・施行された「鉄道国有法」によって、基幹路線の大部分が国有化された。この国有化当時の鉄道の担当は逓信省帝国鉄道庁。さらに組織自体は鉄道院、鉄道省、運輸通信省、運輸省(鉄道総局)、そして日本国有鉄道(国鉄)と変わったものの、1987年に国鉄がJRに変わるまで一貫して国家管理下にあった。
エンゲルスは「空想より科学へ」の中で、資本の集積による大企業の国有化はまず鉄道、郵便、通信などの分野で最初に現れると述べ、その理由としてこれらの事業が株式会社による管理には全く不向きであるからだと指摘した。
いうまでもなくエンゲルスは社会主義者だが、日本で鉄道国有化を主導したのは軍部とりわけ陸軍であり、また同じように鉄道国有化を進めたドイツでも、その推進者はビスマルクだった。ビスマルクといえば、社会主義者鎮圧法を制定したことでも知られる保守政治家であり、このことからも、鉄道、郵便、通信といった事業の国有化に思想やイデオロギーはそれほど関係がないことがうかがえる。

クリスチャン・ウルマーもまた「折れたレール~イギリス国鉄民営化の失敗」の中で重要な点を指摘している。ウルマーは、鉄道はシステムに依存して売り上げを確保する産業であり、それゆえにより良いサービス、より多くのサービス、より質の高いサービスを提供しようとするなら必然的に新たな投資を伴うという事実を明らかにする。
これだけではわかりづらいのでもう少し詳しく説明しよう。それには他産業との比較で見るとわかりやすいが、例えば自動車産業であれば工場の生産設備それ自体は何の利益も生まない。その生産設備を通じて自動車という「商品」が生産され、それが売れたときに初めて利益が生まれる。工場の生産設備に一応、減価償却という概念はあるが、その生産能力が続く限り、新たな設備投資を必要とすることなく商品を次々と生み出すことができるから、利益もまた次々と生み出される。こうして、一定の設備投資を行った段階でいわゆる企業としての持続的成長が可能になってくる。

これに対して鉄道は、ウルマーが指摘するように、鉄道というシステムそれ自体を公衆または顧客に利用させ、そこから得た利益で食べなければならないという特殊な構造をしている。つまりシステムそれ自体が「商品」なわけで、このあたりが自動車産業と決定的に異なっている。自動車会社は生産工場それ自体は商品ではないからだ。
しかし、列車1両に乗せることのできる人数は限られているし、プラットホーム1本に停めることのできる編成両数も限られている。もちろん1本の線路の上に走らせることのできる列車本数にも限界があるから、鉄道が、例えば新しくて良質なサービスのために新たな乗客を獲得しても、その新たな乗客の発生ゆえに新たな投資を必要とし、そのために新たな乗客から獲得した利益が根こそぎ吸い取られてしまうことを意味している。無限に新たな乗客を獲得しても、無限に新規投資が必要であれば、結局全ての利益は消え、鉄道事業者には何も残らない。

昔、どこかの鉄道会社に「金を失う道と書いて鉄道と読む」と言った人がいたが、なかなか言い得て妙であり、いみじくも鉄道というシステムの特殊性を良く表した名言なのではないだろうか。
鉄道が、システムそのものに対して対価が払われる事業である以上、そこからは利益と両立した経営など望むべくもない。そして、納税者である我々国民もこのことをしっかり認識する必要がある。鉄道とは「赤字が出ても腹を決め、公的資金を流し込んででも維持する」か「建設そのものをあきらめる」かの二者択一しかあり得ない産業なのだ。
通信、郵便も、インフラそれ自体が直接使用対価の対象になる産業であるという点で鉄道と同じ構造をしている。だからエンゲルスが鉄道・郵便・通信を特別扱いし、他の産業とは別に資本集積→設備投資→資本集積のスパイラルの中から自然独占に至る過程を描き出したことにはそれなりの意味があったわけである。

さて、そもそも鉄道がイコール金を失う道であることをおわかりいただいたところで(笑)桃花台線問題に戻ってみるが、やはり廃止やむなしの結論に変わりはない。
愛知県は、桃花台線のあり方に関する提言の中で、桃花台線の利用客を1日3500人としている。この1日3500人という数字は、旧国鉄の赤字ローカル線廃止の根拠となった「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法施行令」の基準である「1日1キロあたり4000人未満」に該当し、かつ路線バス等によって代替交通手段の確保も可能だからである。やはり造ったこと自体が間違いだったと厳しい評価を下さなければならない数字であるといえるだろう。

今後の鉄道のあり方を議論するに当たっては、鉄道がそもそも上記のような性格を持った特殊な産業であるということを念頭に置く必要がある。その上で、どの程度の赤字までだったら公金投入を認めるかについて一度、全国民的な議論をしてコンセンサスを形成しておくことが必要であると言えないだろうか。
ただし、その議論をするに当たって注意しなければならないことがある。最近、巨額の財政赤字の中で「民でできることは民で」というスローガンだけが一人歩きし、「市場経済万能」「何でも自由化」で利益を生まないものはそもそもこの世に存在価値がないかのような極端な論理が幅を利かせるようになってきているが、そうした前提で議論をしないでほしいということである。何でも自由競争で、市場にまかせて万事うまくいくようであれば世の中何も悩むことはない。
それでも鉄道は利益を生むべきであり、そうでないならこの世から消えるべきだと考える人がいるならいるで構わないが、私自身はそういう人と議論するつもりはないのでご承知いただきたいと思う。

ふう、大変長くなってしまいました。
最後までお読みいただいた方々に感謝申し上げます。

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洗面器はケロリン

2006-01-16 23:09:55 | 日記
今日、職場で温泉や銭湯の話をしていたら、「温泉地や銭湯の洗面器にはなぜ“ケロリン”と書いてあるのだろうか?」という疑問がふと、頭の中に浮かんだ。

ケロリンというのは医薬品の名前。かつて民放AMラジオで『♪ケ~ロリン、ケ~ロリン、あ~おぞら晴~れた空~』というCMが流れており、私はこのノーテンキで明るいCMがこっそり好きだった。

そこで、ネット検索をしてみたら、こんなページを発見。
なんと、驚くべきことに、東急ハンズやロフトで売っているという、衝撃的な事実が判明。
あぁ、買えると知ったら急に欲しくなってきた・・・

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桃花台新交通桃花台線、廃止へ

2006-01-14 23:39:49 | 鉄道・公共交通/交通政策
桃花台線 今秋廃止 愛知県方針 バス代替にめど

鉄道ファンの私でもこの路線だけは致し方なし、という感じですね。
3年前に乗りに行ったのですが、そりゃもう酷いものでした。
往復乗ったのですが、往復とも自分を含め乗客2名(つまり私以外は1人だけ)。
寒くて風の強い日だったので、日が悪かったのかもしれないと思い、後日乗り直しに来たところ、その日も私を含め乗客、たった4名。
空気輸送、と断言していいと思います。
正直、遊園地のミニSLですら、もうちょっと客が乗ってるんじゃないの? と言いたくなるほどの惨状…

私の知っている、とある愛知県民から以前、「え? 桃花台線? なにそれ?」といわれたときは、さすがに絶句しました。
地元の愛知県民が乗ったことがないばかりか、存在すら知らないなんて…

存在すら知らないのだから、存続運動起きず 不便な桃花台線 住民あきらめムードというのもうなずける話なワケで。

新交通システムの廃止は全国初、しかも開通から15年でのスピード廃止を受けて、国土交通省は愛知県に建設費補助金の返還を求めることを決めたそうです。
補助金で作った新交通システムが、事実上全く所期の目的を果たすことなく終わったのですから、それも仕方ないことなのかもしれませんね。

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ブログ、出発進行です!

2006-01-13 20:24:04 | IT・PC・インターネット
出遅れの感もありますが、ブログを開設しました。
ズバリ2006年の目標はブログ開設と自宅サーバー運営です。
まずハードルの低そうなほうから攻めるあたりに私の凡人ぶりが発揮されておりますが。

というわけで、これからいろいろ思ったこと、経験したこと、考えたことなどを書いていきます。立ち上げるのは簡単ですが、維持することの方が難しいのがブログという物なので、できるだけ伝聞や推測に頼らず、体当たりで書いていきます。あまり頑張りすぎると長続きしないので、書けない日は無理せず、のんびり(そして、ときに深く)やっていきたいと思っています。
なお、左に設けたカテゴリーは、私の得意分野や興味あるジャンルの中から、取り上げることが多くなりそうなものについてカテゴリー化しています。つまりこの内容のものが多くなりそうだぞ、ということです。(IT・PC・インターネットは別に詳しいわけではありませんが、なぜか職場でIT担当を拝命しているのでそれとの関わりもあります。)

コメント、トラックバックの扱いですが、トラックバックは原則自由にしますので、ご自由に論評してください。ただし、コメントについては原則受け付けないこととします。その理由は、また後日改めて述べさせていただきます。

さて、ご挨拶だけでは何ですので、早速話題を取り上げます。
iPod課金見送り=「利用者の視点重視を」-文化審が報告書

まぁ、かつて私が自分のサイトで書いてきたように、著作権分科会の「下部機関」である法制問題小委員会が「ipodは見送り」の方針を昨秋に出していましたので、順当な線に落ち着いた、というところでしょうか。
「利用者の視点を重視し、利用しやすく、納得のいく価格構造にすること」と書き込まれたのは予想以上に消費者を意識した内容になったかな、と思います。
正直、音楽業界は「ポスト補償金」とでも言うべき新しい現実的な著作権管理のあり方を模索してほしいと思っています。

ちなみに筆者のサイトの関連記事はここ

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