人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

母がフィギュアを買ってくれなかったから

2006-01-18 20:39:16 | 芸能・スポーツ
27歳無職男が自宅に放火だとさ。
この記事を紹介した小寺信良さんは「ツッコミどころ満載」と評しているが、私はツッコむ前にズッコケた。

だいたい母親にフィギュアを買ってもらおうという発想だけでも世間の常識を超越しているし、27歳にもなってママにオモチャを買ってもらおうと考えるところも凄すぎる。
18歳からバイトをして、21歳からは自分のバイト料で1ヶ月12,000円(当時)の国民年金保険料を納めてきた私から見れば、彼はまさに異次元だ。ホント、日本はこの先どうなるんだろう。
この自宅に放火した若者にはコメントする気にもならないが、とにかく外へ出て働けと言いたい。それが自分の望む仕事でなかったとしても、つまらなくて退屈だと思うようなものであったとしても、労働こそが人間を育てる。どんな仕事であれ、周りの人たちと協調し、他人に迷惑を掛けなくてすむにはどうしたらいいか等々考えるうちに、奉仕の心や目的意識などいろんなことが養われるからだ。そしてここが最も重要なのだが、働くことによって、自分が世間から必要とされているのだという実感が生まれ、働かずにブラブラするよりは絶対に良い毎日になる。自分に合わないからなどと言わず、まずは自分に対して修養の場を与えてくれる人がいるのだと言うことに感謝して飛び込んでみるべきだ。

>昔のオタクは欲しいものがなかったから、みんな自分で工夫したり作ったりしたものだという。
>しかし最近のヲタクは出されたものを買うだけで、中味がスカスカ、というような話であった。

小寺さんのこの危惧と同じ心配を、私がファンをしている漫画家・赤松健先生が自分の日記でしているのを見たことがある。赤松先生も確か、「コミケの客は増えているが、ただ買うだけでなく、サークル出して自分が売る側になってやろうという野心を持った若者がもっと増えてほしい」というようなことを書いていた記憶がある。
私は最近1年半ほどコミケに顔を出していないが、確かに「供給側」つまり作品を創作し、サークルを出して売る側の主力は男性で30歳代以上、女性はもう少し若いがそれでも20歳代後半以上になりつつあるように思う。
コミケ参加歴が浅い私に詳しいことはわからないが、供給側の高齢化を数値的な裏付けは取れないものの、皮膚で感じているのは私だけだろうか。

受け身の姿勢からは何も生まれないと思う。若い人は、荒削りでも構わないからもっと自己主張をしたほうがいい。若いうちなら、荒削りでも「若いから」と温かく見守ってもらえる。そういう有利な条件のうちに己の力量をもっと磨くべきだろう。
私くらいの年齢になってから荒削りなだけの作品を世に問おうものなら、何やってんだアイツはという視線を向けられる。だから慎重にもなるし守りにも入ってしまう。
若いうちは社会の中で己の占める位置や発言力は小さなものかもしれないが、将来に向けての鍛錬の時期である。体当たりでもいいからどれだけ密度の濃い時間を送れるかが意外にその後の人生を決めたりする。だから、若いうちはやらなくて後悔するくらいならやって後悔するほうがずっといいと思う。これは仕事でもオタク活動でも全てにおいて言えることである。
他人から供給してもらった物に文句や不満を言うのは、それからでも遅くはない。
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