人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

三陸各路線の復旧の望ましいあり方とは?

2012-04-10 22:50:39 | 鉄道・公共交通/交通政策
今日は、昨日の岩泉線廃止問題を受け、東日本大震災からの三陸各路線の復旧の望ましいあり方について述べることにしよう。

津波による甚大な被害を受けた三陸各路線の復旧に当たって、元通り沿岸部での復旧を望む声と、高台に移転した上で新しい鉄道のあり方を探る声とがあり、復旧が遅れる原因になっていると聞く。この問題は、誰のための復興なのか、地盤沈下してゆく地方の現実の中で「単にすべてを元通りにするだけ」の復興でよいのかという最も本質的な問題と直接つながっている。特に宮城県では大資本本位、住民置き去りの「名ばかり復興」が続いており、このままでは巨大な税金を垂れ流したあげく、ゼネコンが儲かるだけで終わりという「いつか来た道」を性懲りもなく繰り返すだけである。

かつて鉄道が沿岸部を中心に建設された背景にはいくつかの事情があった。

(1)長大トンネルを掘る技術と予算がなく、沿岸部の限られた平地を鉄道用地に選定せざるを得なかった。

(2)漁港を中心として地域経済が動いており、人が集まっている沿岸部に鉄道を通す必要があった。

(3)水揚げされた魚の輸送に鉄道が使われており、漁港に貨物線を引き込むために鉄道が沿岸部に敷設される必要があった。

――等々の事情である。

しかし、魚の輸送が鉄道から自動車に移行したこと等により、今日ではこれらの理由はほとんど失われてしまっている。津波対策を重視するのであれば沿岸部にこだわるのは得策ではない。

もうひとつ重要な点がある。JR東日本よりも財政状況がはるかに悪いはずの三陸鉄道の方が速いペースで復旧している理由が「三陸鉄道の企業努力と災害ボランティアの献身的活動」にあると商業メディアは伝えている。もちろんそれも理由のひとつに違いないが、精神主義的にそれだけを強調するメディアの報道からは決してわからない隠された理由も潜んでいる。

旧国鉄宮古線は開通が1972年ときわめて遅かった。しかし、そのために技術が進歩して長大トンネルや高架線が多用された結果、同線を転換した三陸鉄道の被災は比較的少なかった。少ないといっても甚大な被害であることに違いはないが、開通が遅かったためにトンネルや高架線区間の多い三陸鉄道が、結果としてJR各線に比べ早く復旧しているという事実がある。鉄道を高台に移転させる、長大トンネルや高架線を造って線路を付け替えるなどの方法が津波対策としてきわめて有効であることがわかるだろう。

それでもなお、沿岸部で元通りの形での鉄道再建が必要だと主張する人たちは、津波の危険を減らすためにトンネルや高架線区間を増やしたり、鉄道を高台に移転させたりすることよりも優先すべき「何か」があることを地域住民に示し、納得させる必要がある。

私が見る限り、津波対策の重要性に優先するほどの価値観というのはただひとつしか存在しない。「もう一度、若者に継承してもらえる産業として新しい漁業・漁港を創造し、それを鉄道とともに地域経済の中心に据える」という価値観のみである。これなくして唱えられる沿岸復旧論は単なる惰性にしか過ぎないように、私には思われるのだ。
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