「うらそえ文藝」で星編集長が言論封殺されている

「うらそえ文藝」で星編集長が言論封殺されている

四月三十日が最後の編集会議であった。編集会議の主な仕事は添削である。それ以外に編集委員の仕事はない。最後の編集会議であるなら本の編成はすでに決まっているから、原稿の最終チェックをするだけである。

私は前回の編集会議に参加し、新しい会員になったことを編集委員たちに言い、自己紹介をした。そして、自分の原稿の添削をした。
四月三十日が最後の編集会議も添削であろうから、手伝うつもりであったが、K氏は編集会議だからといって私を追い出した。
その日の目的は最終チェックではなくて、星編集長の対談の半分をカットするのが最大目的であったのだ。

最後の編集会議で星編集長の対談の半分カットを決定したのは星編集長に巻き返しをする余裕を与えないための極めて陰湿なやり方である。
多勢に無勢の星編集長は孤立状態である。

思想的な差別をしないで、右系も左系も受け入れるのが「うらそえ文藝」の真骨頂だった。それが星編集長の方針であった。ところが編集委員の中に革新イデオロギーが台頭してきて、「集団自決に軍命令はなかった」と公言している星編集長の言論を封殺し、編集長の座から引きずり下ろそうと画策しているのだ。

その策略が対談の後半カットである。実に巧妙なやり方だ。読者は星編集長の対談が掲載されているので、星氏が健在であると思っている。
しかし、星氏にとって半分もカットされれば対談した意味がないと感じる。対談をする気が失せるのは当然だ。星氏が編集長を辞退するのは時間の問題である。
彼らは表と裏を使い分けて、表面上は星氏自らの判断で編集長を辞退したと読者に思い込ませたいのである。

星氏を追放した後は、保守系や革新に批判的な投稿を排除して、革新系の「うらそえ文藝」するつもりであるのは見え見えである。実はこの計画も着々とやっているようだ。
今度の「うらそえ文藝」に新しく漫画を掲載するそうだ。漫画と聞いて私の頭に浮かんだのは、タイムスか新報に掲載していた「琉球処分」を巡る漫画だ。ロコツな革新よりの漫画だった。その人の漫画が掲載されるだろうと私は予想している。

浦添市は保守系の若い市長が登場したというのに、底辺では革新イデオロギーが根強く拡大している。
絶対に革新イデオロギーの支配する「うらそえ文藝」してはいけない。
星編集長の方針通り、表現の自由を重んじ、右系も左系も歓迎する「うらそえ文藝」でなければならない。

星編集長の対談カットを許してはならない。
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「うらそえ文藝」で言論封殺が起こった

「うらそえ文芸」で言論封殺が起こった

私は今年からうらそえ文芸の会員になった。
去年、短編小説を掲載し、今年も掲載する予定である。来年も再来年も短編小説を掲載したいと思っている私は、星雅彦編集長のすすめもあって会員になった。
添削をする会合にも二度参加した。

会員になって驚くべき事実を知った。
去年の星雅彦編集長と福地氏の対談が編集員の賛成多数で後半部分がカットされたというのだ。
対談の後半がカットされるというのは考えられないことである。しかし、実際に「うらそえ文芸」で起こったのである。
大城立裕や上原正稔など星編集長の対談は多くの話題を提供し、うらそえ文芸の知名度にも売り上げにも貢献してきた。星さんの遠慮なしの鋭い突っ込みは対談相手を窮地に追い込んだり、反撃を食らったりして、馴れ合いの対談にはない緊張感がある。内容も深い。

対談を半分もカットするのは言語道断である。明らかな言論封殺である。絶対にあってはいけない。ところが去年に実際に起こったのである。

今年も去年と同じように星編集長の対談が半分カットされる恐れが出てきた。いや、このままだとカットされるだろう。四月三十日(水)の編集会議で賛成多数によってカットされることが決まったというのだ。

星編集長から私の小説にクレームがあり、コピーされた原稿を訂正して印刷会社に送った。二日後に、印刷会社から訂正したPDF原稿をメールで送ってきたが、FAXで送ったために写りが悪かったのだろう、ほとんどが訂正されていなかった。
私は印刷した原稿を赤ボールペンで訂正したが、訂正カ所が多く、四月三十日に最後の編集会議があると聞いたので、そこで私の事情を説明し、印刷会社と直接交渉して、もう一度添削したいということを伝えに行った。
メールの添付、PDF、ワード、プリンターについて知っていないと私の言うことは理解できない。丁寧に説明して理解してもらおうと思っていたら、K氏が大遅刻した。まずいことに弁当が出されたので私は食べた。食べながら星編集長の対談の原稿を読んでいた時にK氏が悠然と入ってきた。弁当は編集委員用であるのに私が食べているのにカチンと来たのだろう。
「今日は編集委員会議です。会議が始まったら出て行ってください」とK氏は言った。
 私の説明は一切受け付けなかった。ただ、訂正した原稿を置いて出て行けという態度である。高邁な彼に説明してもしようがない。私はもう一度添削することをあきらめた。
 
 編集会議が始まったので私は対談の原稿を星編集長に返して部屋を出ようとしたら、星編集長は最後まで読んでくれと言った。私は守衛のいる応接間に行き、原稿を読んだ。
 仲程琉大元教授との対談は、一部は戦前の沖縄の近代文学、二部は戦後の沖縄文学についてだった。一部ででてくる文学者はほとんど知らない人物であり、内容的にも面白くなかった。
 二部は戦後の小説家や詩人を肯定的に捉える仲程元教授と否定的に捉える星氏は意見が対立する。星氏は作家たちの現実認識が駄目だといい、集団自決などの話にもなる。
 対談が進むうちに、仲程氏の場合は専門分野ではない知識は沖縄二紙に頼っていることが明らかにされていく。対談は一部二部合わせて40ページにも及び、長時間の対談であった。
 星氏は1932年生まれで現在82歳である。老齢の星氏にとって負担が大きい対談であっただろう。
「余命も少ないし・・・・・・・」
電話で漏らした星氏の言葉である。弱音で言ったのではない。だからこそ悔いが残らないように真剣に対談をやっていくと星氏は言っているのである。命がけの星氏の対談を半分カットするなんて考えられない。
 星氏にやる気を失わせ、編集長を辞退させようとしているとしか考えられない。

 皆さんの抗議をお願いします。

浦添市文化協会事務局

 電話・FAX 〇九八―八七八―四五五三
 
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