Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

夢路~岐路に立つ

2004-08-22 00:18:00 | インポート
ミーSAN今晩は。今夜は早くお休みの様ですね。良ければこの日記は又明晩にでもご覧下さい。
今日は午後から又しても岐阜へ参っていたせいで、帰りはかなり遅かったです。まあお陰で色んなものが見られましたが・・。
名古屋鉄道の岐阜市内線は、かつて1988=昭和63年まで現存の線区の他にも路線がありました。
有名な繁華街、柳ヶ瀬そばの徹明町から北上し、岐阜市役所の前を通って岐阜観光最大の目玉、鵜飼いの行われる場所のそば、長良橋を渡った先までで、以前はこの路線が市内線の本線だった様です。
JR岐阜駅から、あの金華山の麓まで乗換なしの電車で参れた訳で、残念至極です。
近郊線の、東の美濃町線、西の揖斐線も、以前は現在の終点より先まで線路が延びていました。
美濃町線の現終点は刃物で有名な関市ですが、1999=平成11年までは、その数km先の美濃市まで入っていました。かつての終点美濃駅は、現在は資料館になっています。
現役を退いた古い電車も保存され、ほぼ全てがあの頃のままに保たれ、そこだけ時が止まった様な雰囲気です。
揖斐線の現終点は大野町の黒野駅。2001=同13年まではここからも奥へ線路が延びていました。この駅の西で2つに別れ、更に西の揖斐川町までが本来の揖斐線、北へ向かっていたのが谷汲線です。黒野駅の西のはずれに立つと、この分岐した線路が錆びたまま今も残っており、古い電車が長閑に走っていた光景がつい昨日の事の様に想起されます。車内は木部が多く、新しい車両より、安らぎを覚えたものです。
今度は残りの線区全部の存続が危惧されています。下手をするとすべてが「夢路」となりかねない情勢です。
話が暗くなってしまい、済みませんでした。今夜は生まれて初めて金華山へ登りました。又1度見たいと思いながら果せないでいたあるものを見る事ができました。
それらの事共については、恐れながら終盤の楽しみとさせて頂きたく思います。8/21記。*(山)*
コメント
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