先日も触れたが、先の連休中は 全国で相当規模の交通事故が相次いだのだが、昨日 滋賀・大津にて更なる悲劇が生じた。琵琶湖南東の湖畔を行く県道で乗用車どうし打ちが発生、悪い事に その内一台が交差点で信号待ち中だった園外活動中の幼稚園児と保母の方々に突入、少なくとも園児 2人の犠牲と、10人超の重軽傷者を伴う大惨事になった由。当初 双方の女性運転者が現行犯逮捕されるも、青信号により直進中だった方がひとまず釈放され、右折側の女性容疑者が引き続き取り調べ中の模様。まず、希望の未来を奪われた 犠牲園児各位への弔意と、負傷各位へのお見舞いを申したい。
それにしても 事故当事者たる運転者の厳重な問責は当然なるも、車道と歩道を隔てる防護が縁石だけだったという設備面の問題は如何なものか。事故現場は我国屈指の風光を誇る琵琶湖畔。近辺に 人生経験値の極めて少ない子供達の通う保育施設が控えるとあっては、カード・レールを初め安全柵の設備は 例え横断歩道辺りの設置が難しいとの事情があっても設けられるべきだったのではないか。
拙想像も入る事をお断りした上で申せば、一つには 琵琶湖周辺の景観配慮から非設置だったという線もありはしないかと考える。事実なら「何よりも、子供達の安全が大事」との決意と判断が軽くなっていなかったか?この事故に関しては、そうした所まで踏み込んで検証がされないと 再発の防止は難しい様に思えるのだが。その上で、我々が国民市民レベルで自覚すべきは「子供達を守れない社会は滅ぶ」という厳しい未来だろう。事件事故で幼い命が落とされるのは「未来の健全な納税者達」の命を奪う事に他ならないからだ。こうした事故の抑止策が強く打ち出されなければ 車社会や道路交通は当然衰亡の道を辿るし、何よりも国家社会そのものの明るさと活力が、確実に傾いて行く事になるからだ。これは、令和期早々から重い課題を突き付けられたと申して良いのではないか。
前置きが長くなったが 本題です。長らく棚晒し状態だった衆院憲法審査会に、ようやく少しの動きがあった。今日午前 国民投票に関する民放TVCMのあり方につき、民放連こと日本民間放送連盟からの意見聴取が行われた由。今国会初の実質的議論が行われた訳だが、改憲へ向けての状況は 決して楽観視できないのも事実の様だ。以下 某ネット記事を引用して みて参りたい。
「民放連、CM規制は政党が自主対応を=衆院憲法審、今国会初の議論」
衆院憲法審査会は 5/9木曜午前、憲法改正国民投票に伴う TVCM規制の在り方について 与野党全 10会派出席の下、民放連から意見聴取した。永原 伸・民放連専務理事は 法規制に否定的な立場を改めて示し、政党による自主的な対応を求めた。憲法審での実質的な議論は今国会初めて。
永原理事は、放送法の範囲内で自主規制を行うとして「法令による規制を加えるのは好ましくない」と強調。「政党が 自らの取り決めで広告出稿量を調整すれば、国民の 表現の自由を脅かす心配はなくなる」と語った。民放連の担当部長は 改憲の賛否を巡る広告のバランスについて、個々の番組で秒単位の調整を図ることは困難で 放送全体として公平性を確保する方針を示した。
これに関し、枝野立憲民主党代表は「量的なバランスを取る自主規制がなされる前提で受け止めていた。現行の国民投票法は欠陥法だ」と反発。奥野国民民主党衆議も「バランスを取るべきというのが 放送法に基づく自主規制の中身の一つだ」と指摘した。平沢自民党衆議は「放送事業者ともよく連絡を図り、より良い自主規制の在り方を目指していきたい」と語った。
国民投票法は、投票日前の 14日間を除き 政党などが賛否を勧誘する CMを原則自由に放送できると規定。主要野党は 資金力のある与党、特に自由民主党に有利になることを懸念し 規制強化を主張している。(引用ここまで)
次いで、前述規制の根拠たる 放送法のあらましにも触れたく思う。
「放送法 1950=昭和25年 法律第132号 放送を 公共の福祉に適合する様に規律し、その健全な発達を図る法律。放送の国民への普及、放送の不偏不党、放送による 表現の自由の確保、放送番組編集の自由等の基本的原則を掲げ、日本放送協会NHK及び所謂民放と呼ばれる商業放送の運営に関する規則を定める」
以上をみて参ると、やはり問題の根底は日本国憲法の護持・改正 両勢力の綱引きである印象が透けて見えるのだ。民放連の一応はバランスある健全な見解は 一定評価できるもの。立憲民主党・枝野執行部の見方は、こうした民放連の姿勢を 自勢力に好都合に捉えていた嫌いがありはしないか。正直に言い切ってしまえば「曲解」レベルだと拙者は思う。その辺りは社民・日共の各左派野党もどうせ似た様なもの。資金力の差を理由に「一方的に与党有利」などと騒ぎ立てている様だが、前述の民放連見解を素直に冷静に読めば、至って常識的な向き合いである事は容易に分かるはずだ。
だからと言って、与党側も一方的で拙速な改憲志向の CM放送に打って出て良い訳ではない。そこは日本国憲法第96条を初め 改正に関する諸規定に丁寧に照らした上での、慎重周到な進行を願いたいものだ。安部政権の姿勢が改憲に拙速気味な印象は拙者も感じており、一部メディアが折々指摘の「前のめり」の印象がない訳ではない。改憲はそれこそ「国家百年の大計」。特定政権の功利の為だけに行うものでない事は勿論だ。そうした慎重姿勢を伴ってこそ「令和の大事業」憲法改正への大きな可能性が開けるのだと信じる。勿論 安部政権の改憲へ向けた問題提起と、タブーを排してその事への道を切り開いた勇気ある所は 是非評価したいと思うものだ。少なくともその姿勢については「改憲の為の議論さえ認めようとしない」特定野党の動脈硬化でも患った様な 腐った姿勢とは天地の差であろう。今回画像は、昨年ので恐縮。岐阜・滋賀両県境を行く JR東海道線の 桜の思い出画像を。