今日は秋の彼岸の入りだとか。
それにしても残暑が続きます。依然として真夏日を記録している地方もあり、暑さはもういい加減に勘弁して欲しい所です。
3連休最後の1日は、生まれ故郷の東三河へ日帰りで墓参して参りました。
まだ私が幼少だった1966=昭和41年の今日、交通事故の為急逝した叔父がこの地に眠っています。優秀な警察官であった叔父は、私の小さかった頃の大恩人。警察署内、パトロールカーの車内を見学させてもらった遠い記憶がありますね。又私の出生直後に東海地方を襲った伊勢湾台風の救援復旧活動にも良く貢献した様です。
叔父の両親である祖父母は既に半ば病床にあり、親族もそれぞれに忙しく、皆年1回程度しか参れませんが、気になるのは余り手入れのされていない墓所の結構あった事。献花が長い間交換してなかったり、敷地の雑草が取り除いてなかったり・・・等々。花と線香を捧げながら、叔父の墓はこうしたくないな、とふと思いました。
その背景にはやはり、大切な人を失った悲しみの風化がある様に思えてなりません。
事によると、先の大戦の戦没者表敬の問題に余り進展が見られないのも、こうした風化の問題があるのかも知れません。
家族、そして親族の歴史の風化、何とか避けたいものですが・・・。*(山)*
それにしても残暑が続きます。依然として真夏日を記録している地方もあり、暑さはもういい加減に勘弁して欲しい所です。
3連休最後の1日は、生まれ故郷の東三河へ日帰りで墓参して参りました。
まだ私が幼少だった1966=昭和41年の今日、交通事故の為急逝した叔父がこの地に眠っています。優秀な警察官であった叔父は、私の小さかった頃の大恩人。警察署内、パトロールカーの車内を見学させてもらった遠い記憶がありますね。又私の出生直後に東海地方を襲った伊勢湾台風の救援復旧活動にも良く貢献した様です。
叔父の両親である祖父母は既に半ば病床にあり、親族もそれぞれに忙しく、皆年1回程度しか参れませんが、気になるのは余り手入れのされていない墓所の結構あった事。献花が長い間交換してなかったり、敷地の雑草が取り除いてなかったり・・・等々。花と線香を捧げながら、叔父の墓はこうしたくないな、とふと思いました。
その背景にはやはり、大切な人を失った悲しみの風化がある様に思えてなりません。
事によると、先の大戦の戦没者表敬の問題に余り進展が見られないのも、こうした風化の問題があるのかも知れません。
家族、そして親族の歴史の風化、何とか避けたいものですが・・・。*(山)*