Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

希望~雷鳴を聞きながら

2011-08-11 22:28:00 | インポート
はみSAN今晩は。貴足跡にもあった先の災禍、東日本大震災より、今日で5ヵ月が過ぎました。貴地元を中心に、東北三県は大変なダメージを被ったのは、まだ記憶に新しい所です。貴方にあっても、大切なお住まいが失われた由。改めて、心よりお見舞いを申し上げます。

決して単純に喜んではならないのは心得ているつもりですが、それでも貴生存の報に「良かった!」と叫びたくなる思いがしたのも事実です。
あの3/11午後は、当地名古屋にてもかなりの揺れを感じました。特徴的な、嫌な横揺れが執拗に続き、一時は立っているのも困難な位でした。

程なく、東北の凄惨な情報を得、貴方初め、東北にお住まいの知人各位の安否を気遣ったものでありました。
他の方々の無事が伝えられる中、貴方の安否が最近まで判らず、我が心にずっと引っかかっていたのも事実です。
本当に「全部とられた!」を地で行く大地震と大津波。言葉を失う一方で、「命まで持って行くなよな!」と嘆きが出たのがもう一方でした。

一時は、芳しからぬ思考が脳裏を過りもしましたが、(本当は)遅い復興のあおりもあって、夏場になっても尚、10万に近い方々が避難所にての起居を余儀なくされている現実に接した事もあり、私は貴生存を信じる様になって行きました。そして、先日拝見した、久々の貴足跡・・・本当に喜ばしく「万歳!」を叫びたくなったのが本音であります。又、拙生涯で初めて、己を信じて良かったと思ったものであります。

震災の復興はまだこれからですね。生じた多くの瓦礫などの処分と、街や産業の再生など、まだまだ多くの課題が山積しておりましょう。更に、南隣の福島県にては、原子力発電所事故への対応と言う歴史的難題も横たわります。だからこそ、今回は災禍を免れた我々は、復興に臨む貴方達を、これからも真摯に応援し続けて参ろうと思う次第です。

今、米合衆国の秀逸な社会学者 D・カーネギー博士の著作を読み返しています。かつて、私が社会人になりたての頃、以前の勤務先の上司の勧めで拝読したのが始まりで、先日書店にて、同じ本の最新版を見かけ、その名声と信頼の厚さに、改めて感銘したものでした。
その本の中に「今日1日の枠の中で生きてみろ」と言う意味の項目がありまして、私も今、その意味を問い直している所。
つまり、辛い苦しい過去をいつまでも引きずったり、未来への不安を一旦は断ち切って、今日一日で何ができるか、何が最善かを考えて、寝るまでの時を有意義に過ごす様心がけるべきだとの主張である様です。我国には似た意味で「日々是好日」との言葉があるのは良く知られています。この名著のタイトルは「道は開ける」と言いました。

「今日1日を 全力で」と申しても、中々にできる事ではないかも知れませんが、朝起きて、寝るまでどうするか位は、私でも考えられるかなとも思い始めた所。貴地元初め、東北一円の震災復興もこれからが大変でしょうが、1日1日の積み重ねが好ましい状況を作って行くのでは、と言う事位は分る様な気がします。
何が一番大事かとか、復興の順序をどうするかは行政の役目かも知れないが、とに角、貴方を含め被災の方々が、少しでも早く再び歩き出せる様、望ましい方向が打ち出される事を、今はお祈りする事とします。

同時に、此度の震災より、将来大地震に見舞われるとも言われる東海地方の我々も、多くの事を学ばなければなりません。
「東北の次は、東海だ」とも良く言われます。地震予知や速報のあり方、避難の方法や防災のあり方など、我々は此度の災禍と逃げずに向き合い、万一見舞われた時に、被害をできるだけ小さく抑える責務を負っていると思うのです。だからこそ、被災より復興までの、貴方達の軌跡を真摯に見守らなければとも思う所であります。

この記事の最後に、大変な状況下を生き抜いた、貴方の勇気に心より一礼を致し、私も、どの様な災禍にあっても、必ず生き抜こう、との強い意思が得られた様である事をお伝えします。

はみSAN、希望と勇気を 有難う。
猛暑の折、どうか、ご健康に。そしてご安全に・・・。*(日本)*
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