この所、国防安保の分野でよく話題に上るのが「敵基地攻撃能力」という言葉だ。一見すると、対外先制攻撃能力と捉えられがちで危険な印象が伴うのは事実だが、よく考えれば「専守防衛」を標榜する我国にあっても 受け止めさえ安全ならば必要な能力との理解ができるのではと拙者などは思うものだ。以下、某ネット記事を引用して 少しみて参ろうと思う。
「『敵基地攻撃』の定義必要=先制攻撃との混同懸念ー河野防衛相」
河野防衛相は 6/25、東京都内の日本外国特派員協会で記者会見し、政府が今夏に保有を検討する敵基地攻撃能力について「議論の前に言葉の定義を明確にすべきだ」と主張した。憲法や国際法に抵触する恐れのある「先制攻撃」との混同を招き、そうした能力を持とうとしていると誤解されないよう注意すべきだとの認識を示したものだ。
河野大臣は、敵基地攻撃能力を巡るこれまでの政府・与党の議論では、先制攻撃を含むかどうかや 何が「先制」に当たるのかが不明瞭だと指摘。政府が練り直す安保戦略は「憲法の範囲内にとどまる」と強調した。又 ミサイル防衛の検討に当たっては、日本を取り巻く安全保障環境の認識や 日本が取り得る選択肢などが論点になると語った。(引用ここまで)
本当に、徒な混同は大きな誤解を招く見本の様なものだろう。前述の 河野防衛相の表明を待つまでもなく、国防安保上の敵基地攻撃能力とは、敵方の基地を攻められる能力を「持てる」というだけの話であって、直ちに先制攻撃能力を意味する訳ではない。もう少し具体的に申せば「防衛能力の一として、敵基地を攻められる能力を持てる様にするが あくまで念の為であって、先制攻撃に用いる事は決してない」の強い表明で良いだろう。そも先制攻撃は、現憲法第 9条で厳禁のはずだからだ。
但し、昨今の 特に中国大陸による我国近海への不当な進出や、北鮮による長距離弾道ミサイルの脅威など、現憲法体制が発足した終戦直後から、安保情勢は大きく変化してきている。憲法の大原則を守りながらも、国防安保に新しい思考を取り入れての更新→アップ・デートが必要なのは明らかだ。前述の言葉の定義を全国民に分かり易く定義した上で、敵基地攻撃能力を有する事自体は、決して現憲法下の平和路線を脅かすものではない事を、河野防衛相以下関係各位は熟考の上明確化し、国民的理解が得られる様議論を願いたい。
我々国民市民の側も、そうした形での正しい議論が行われるのであれば 静かに推移を見守りたいものだ。よく特定野党や左派容共側から「敵基地攻撃能力→先制攻撃容認に直結するから、議論自体認めてはならない」式の主張が見られる事があるが、十年一日以上に進化の見られない 言いがかり的主張だ。ここは復習だが、そも 一防衛能力の範疇たる敵基地攻撃能力は、危険な先制攻撃能力とはならないものだ。そこの所をよく押えた上、我々日本人はこうした議論と冷静に向き合うべきと、拙者などは思う。今回画像も先年ので恐縮、当地名古屋副都心、尾頭橋(おとうばし)辺りで以前見られた立葵の群生を。向こうを行くのは JR東海道線。