Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

年頭~明日は十周忌

2005-01-16 23:04:00 | インポート
コナサン、ミンパンワ!

明日1/17は、私を含め多くの方々にとり決して忘れる事のできない日ですね。
そう、阪神淡路大震災から10周年になろうとしています。
忘れもしない当日の早朝、名古屋地区もかなりの揺れに見舞われました。まだ夜明け前の暗い時間だっただけに、落ち着きを失いそうになりました。
良く知られている所ですが、最初の激しい上下動の後、強い横揺れが来て、かなり長い間しつこく続いたのを今も良く覚えています。
それまで経験した事のない揺れ方、「ひょっとしたら、どこかで大変な事になっているかも・・・」とふと不安が過ぎりました。そしてそれは不幸にも的中してしまいます。
7AMのNHK・TVの影像・・・それは今も信じたくない凄惨な様でした。
建物の崩壊、高速道の倒壊、市街地では火焔渦巻き、崩落した鉄道高架の上では転覆した電車が横たわっていました。通勤時間をはずれていた事と新幹線の始発前だったのが不幸中の幸い、と言えなくもありませんでした。
時が経つにつれて増え続ける犠牲者・・・最終的には6000名を大きく越える多大なものでした。負傷者は実に数万名に達し、20万棟を越える建物が崩れ去り、焼け落ちる結果となりました。
決して十分ではなかった危機管理対策、震災当時は消防や自衛隊も直ちに現場に近づけず、拡大する被害を食い止める事はできませんでした。
この震災をきっかけに、内閣に危機管理部門が常設される様になり、地方自治体の防災対策も徐々に整備されて、先般の新潟中越地震では、以前に比べれば機能は向上したと言われていますが、自治体レベルではまだ情報網や非常電源などが不十分と言われ、その事は被災した現地が一時孤立化するなど救援等が遅れる面があった事にも現れたと思います。
報道によれば、富士山や浅間山の群発地震や火山活動の活発化に見られる様に、日本列島は地震の活動期に入った由。災害はなくせないものの、その被害の低減は可能でしょう。大きな事は申せませんが、我々もその為に何ができるかを日頃より考えておきたいものです。その参考までに、今日の新聞に載っていた「帰宅困難者心得十か条」をご紹介しておきます。
①慌てず騒がず、まず状況確認を。
②ポケットに携帯ラジオを。
③帰宅地図を作っておこう。
④会社のロッカーにスニーカーを。
⑤会社机の中に菓子類を。
⑥連絡及び集合場所を、事前に家族で決めておく。
⑦安否確認、災害用伝言利用や遠くの親戚の協力を。
⑧歩いて帰れる訓練をしておこう。
⑨季節に応じ、カイロやタオルなどの準備を。
⑩事あれば、声をかけ合い助け合う。*(注意)*


コメント
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