生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ブログ13年

2018-10-15 16:53:00 | 日記

ブログ開設13年になりました。こんなに続くとは思っていませんでした。やめようと思ったことは数えきれないほどあります。

最近久しぶりに会う人に近況を話そうとすると、「わかっているから」と言われます。えっ、なぜ……と、思い巡らしていると、「ブログ『生かされて』を読んでいるから」と言うのです。

最近たて続けに何人もの方から言われたので、恥ずかしいようなうれしいような・・・・・・。

不特定多数の人に一方的に発信するということは、考えてみると恐ろしいことです。一昔前だったら考えられないことですね。
先日は、3年前に北海道に引っ越されたIさんにお目にかかりました。教会のYさんの絵画の個展がつくばで開かれるので、北海道から訪れたと言われました。

水曜礼拝に行くとき、ピスガの前で出会ったのですが、やはりIさんもブログを読んでくださっていて、「お礼が言いたかった」とおっしゃってくださいました。もっとIさんとお話ししたいと思いましたが、礼拝の後は聖書輪読会が予定されていたので、話はできませんでした。

ところが、輪読会でご一緒していたSさんが午後からYさんの個展に行くのでご一緒しませんかと声をかけてくださいました。それでSさんの車に乗せてもらって個展に行きました。(感謝)

神様を指し示す作品に心打たれました。とくに神様の天地創造が描かれている絵は迫力があり、圧倒されました。

その会場で再びIさんにお会いでき、ゆっくりお話しできました。神様の計らいだと思いました。Iさんのことを祈りのカードに書いて祈っていたと言うと、Iさんも私のことを祈っていたとおっしゃいました。私は、私の想像よりはるかにたくさんの人から祈られているのかもしれません。なんとうれしいことでしょう!!

このようなことがあると、ブログをまだ書き続けたほうがいいのかなぁ?と思わされます。

昨日の礼拝では、ピリピ人への手紙4:21-22からメッセージが語られました。ピリピ人への手紙の最後で、あいさつ文です。
「聖徒たちへ」と書かれていますが、クリスチャンは、みな聖徒なのだそうです。
聖徒といわれると、身が縮む思いですが、聖徒とは「その人の性格や能力に関係なく、神の一方的な恵みによって聖徒とされた者」だと聞いて、ほっとしました。

聖徒とはどういうことか教えていただきました。
①罪があるのに赦されたという立場にある。
②それにふさわしく変えられていくという状況にある。
③神に聖別された者である。(聖別とは他の者から分離された、きよくされたということ)

聖別には、必ず目的があります。神の目的を遂行させるため、聖別されたのです。聖別されたからと言って、高慢になってはいけません。むしろへりくだる者になるようにと奨めがありました。


わたしにとって神様の目的とは何でしょう。自分は目的に従って歩んでいるのだろうか……と考えています。



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