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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

祈っています

2018-07-20 16:23:23 | 教会
「祈っています。」「祈っているね。」「お祈りします。」

メールでよく書く言葉です。友人に悩み事や困ったことなどあると、「お祈りしています」と書きます。そして、メールを出した後すぐに祈ります。
何通もメールを出し、そのたびに携帯を持って祈っているので、クリスチャンでない人が見たら、携帯を拝んでいるように見えるかもしれません。

誤解のないように書きますが、携帯に向かって拝んでいるわけでも、友人を拝んでいるわけでもありません。天地を造られた神様に祈っているのです。
もちろんメールを受けたり出したりするときにだけ祈るのではありません。まずは朝のデボーション(聖書を読み、祈る時間)で祈ります。毎年祈る人が増えて50人ぐらいになりましたが、友人、知人、親戚の者などの名前を書いたカードを見て祈ります。祈られていることを知らない人も多いでしょう。

緊急の祈りが必要な人は、昼や夕方、寝る前に何度でも祈ります。ちょうど今、海外出張していた妹から無事帰国のメールが届きました。昨日から祈っていたので、無事着いたことを感謝しました。(妹は日本の暑さにびっくりしていました)

昨日家庭集会で「とりなしの祈りの祝福」と題して学びをしました。今回の家庭集会は、教会の和室で行ってから最高の人数(先生入れて12人)でした。

出エジプトをしたイスラエル人がアマレクと戦っているとき、モーセが手を挙げて祈っているときは優勢になり、疲れて手が下がると劣勢になりました。モーセの手が下がらないようにアロンとフルが支えて戦いに勝利しました。

手を支えるというのは、とりなしの祈りのことです。人のために祈るには、その人と話をし、その人のことをよく知り、その人に必要な祈りをするということを教えていただきました。祈りには力があります。

あまりにも抱えている問題が多すぎて、祈ることさえできないときは、友人に伝えて祈ってもらうのがいちばんです。


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