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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

弱いときにこそ強い

2018-05-10 17:03:07 | 聖書から
昨日、約一か月ぶりに水曜礼拝に行ってきました。水曜礼拝の後、2か月ぶりに聖書輪読会にも参加しました。
水曜礼拝は、旧約聖書の士師記(ししき)14章15から20節で、『サムソンの妻』というタイトルでした。

聖書物語では、サムソンのことを『今 まで に 生ま れ て き た 人 の 中 でいちばん 力持ち だっ た 人』と紹介しています。
確かにサムソンは怪力で、素手でライオンを倒すほどの力を持つ強い人でした。でも、サムソンは弱い人でもありました。

サムソンの時代、イスラエルとペリシテ人とは反目しあっていました。
イスラエル人のサムソンは、ペリシテ人の娘を気に入って結婚することになり、祝宴が催されました。
祝宴に30人を招待しましたが、招待した人には晴れ着を用意して与えるという習慣があったので、ペリシテ人は、策略をめぐらしてサムソンにそれを求めました。

サムソンは謎かけをして、謎解きに勝ったほうが30人分の晴れ着を用意することにしようと提案しました。
その謎は「食らうものから食べ物が出、強いものから甘いものが出た」です。この意味を解き明かせというのです。これは、サムソンが素手で獅子を倒したのち、獅子の体の中にミツバチの群れと蜜があるのを見つけ、食べたという経験をもとにして作ったなぞなぞでした。

ペリシテ人たちは4日たっても謎が解けないので、サムソンの妻にサムソンをくどいて謎を明かし、知らせるように促します。

サムソンの妻は泣きすがって謎を教えてくださいとサムソンに迫ります。
サムソンは抵抗しましたが、耐えられなくなって7日目に打ち明けてしまいました。

そのことによって、晴れ着も妻もペリシテ人に奪われてしまいました。

サムソンは、強い人だったはずなのにどうしたことでしょう。
絶対に解けない謎を考え出したことは、サムソンの勝利でした。
一方、妻に泣きつかれて、謎を明かしてしまったことは敗北で、サムソンの弱さの表れでした。
こののち、サムソンはまた同じような過ちを犯してしまいます。

サムソンの勝利の秘訣は、自分の力が主によるものだと自覚することです。なぞなぞも主の力が働いたからこそ得られました。アシュケロンでの戦いも自分一人なら勝てなくても、主が共にいてくださったから勝てたのです。
サムソンはティムナの町では敗北しました。妻も取られてしまいました。

人生の中で勝利することもありますが、敗北することもあります。
『敗北で自分の弱さを知り、勝利で主を知る』

イエス様は試練や苦しみを味わってくださいました。イエス様はわたしたちに生きる模範を示してくださいました。
わたしたちは、弱さを覚えますが、神の力のゆえに強くされ、キリストによって勝利を得るのです。


「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです(Ⅱコリント13:4)」
と聖書に書かれています。

『弱いときにこそ強い』とは神様を抜かして考えると、どういうことなのか分からなくなってしまいます。
わたしはよく病気をします。というか、常に病との戦いがあります。病が優勢になると、じっとして寝ていることしかできなくなります。自分の無力をとことん感じます。

かつては、具合が悪くなると、自分がみじめになっていました。そして、早く癒されたいとあせりました。
でも、最近は、具合が悪くてもあせらなくなりました。この弱くて何もできない時間を与えられたのには意味があるのだと思うからです。

先月の病のときは、末期がんの友にメールを出すという使命を与えられ、背中が痛んでたまらなかったときには、童話の構想が与えられました。収穫は大きかったです。



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