体調は回復してきています。時々後戻りしながら、薄紙をはがすように良くなっていくので、まだ忍耐が必要です。あせってはいけませんね。
今年は、桜が咲いている期間は長いほうだったのに、見ることができませんでした。すぐ近くの桜川の土手で咲いていたのに……。
でも、来年は見ることができるでしょう。
先月末、まだ熱があるときでしたが、学生時代の人形劇部『ろっち』の友人(Nちゃん)がホスピスに入ったという連絡を受けました。1年半くらい前に子宮がんとの診断を受け、すでに転移していて手術ができないと聞きました。
ちょうど白川郷に還暦旅行をしようと計画していた時で、当然Nちゃんも参加するはずでした。ところが、参加できなくなったと連絡があり、もうひとりの友は仕事が休めなくて2人欠席、9名で出かけたのでした。
Nちゃんは抗がん剤治療の合間に友人と出かけたりしていたので、それほど悪いとは思っていませんでした。でも、病はどんどんすすみ、今年の2月には足がパンパンに腫れていたと聞きました。
そのようなときに、ロッチのメンバーひとりひとりに巾着袋を作ってプレゼントしてくれたのです。(写真)大きさは手のひらに収まるくらいです。
ひと針ひと針に想いが込められています。
ホスピスは積極的な治療はせず、緩和ケアーを行う病院です。
何人かがお見舞いに行きましたが、「会いたいけど、会えない」と言われて会えなかったそうです。
「Nちゃんを慰める手紙を書いて」S子に頼まれましたが、熱のため手紙を書くことはできません。
でも、Nちゃんには伝えなくてはならないことがあります。『のこされている時間は短いかもしれない。』そう思ったとき、わたしは、メールにして毎日少しずつ書いて送ることを思いつきました。
「無理したらあかん。熱があるときに書かなくていい」クリスチャンのS子からのメールです。必死に叫んでいる声が聞こえるようでした。
「わかった。無理せんと、ぼちぼち書く」
「そや。ぼちぼちやで」
携帯でそんな会話をしたのですが、その日の夕方には横になりながら携帯を片手に持ってNちゃんに書き始めていました。
最初の2通のメールは短く。3通目書くときは熱が下がっていたので少し長く書きました。
福音そのもの(イエス様がしてくださったこと)を伝え、自分が救われたときのことと、救いを受け入れて、どれだけすばらしい人生をおくっているかについて書き、天国のこと、永遠のいのちについて書きました。毎回最後には聖書のことばを書きました。
毎日一通ずつ送っていて、7通目を書いたとき、書くことがなくなったと思ったのです。それでも、メールを待っているかもしれないと思って8通目を送ったのち、間もなくS子からの電話で、Nちゃんが召されたことを知りました。
8通目は読まれることはなかったのです。でも、7通のメールは確かに読んでいたと、お姉さんから伝えられました。
(Nちゃんは子どもがいなく、ご主人は2年前に亡くなっています。お姉さんがずっと付き添っておられたようです)
Nちゃんが救いを受け入れたかどうかわかりません。でも天国にいったとき、Nちゃんがいちばんに出迎えに来てくれるような気がします。
昨日の読売新聞、編集手帳に5年前に94歳で亡くなった、アンパンマンの作者、やなせたかしさんの詩が紹介されていました。
絶望の隣に
だれかがそっと腰かけた
絶望は
となりのひとにきいた
「あなたはいったいだれですか」
となりのひとはほほえんだ
「わたしの名前は希望です」
絶望の隣にある希望。クリスチャンのやなせたかしさんは、キリストにある希望は、絶望を希望に変えると綴りたかったのではないかなと思いました。
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今年は、桜が咲いている期間は長いほうだったのに、見ることができませんでした。すぐ近くの桜川の土手で咲いていたのに……。
でも、来年は見ることができるでしょう。
先月末、まだ熱があるときでしたが、学生時代の人形劇部『ろっち』の友人(Nちゃん)がホスピスに入ったという連絡を受けました。1年半くらい前に子宮がんとの診断を受け、すでに転移していて手術ができないと聞きました。
ちょうど白川郷に還暦旅行をしようと計画していた時で、当然Nちゃんも参加するはずでした。ところが、参加できなくなったと連絡があり、もうひとりの友は仕事が休めなくて2人欠席、9名で出かけたのでした。
Nちゃんは抗がん剤治療の合間に友人と出かけたりしていたので、それほど悪いとは思っていませんでした。でも、病はどんどんすすみ、今年の2月には足がパンパンに腫れていたと聞きました。
そのようなときに、ロッチのメンバーひとりひとりに巾着袋を作ってプレゼントしてくれたのです。(写真)大きさは手のひらに収まるくらいです。
ひと針ひと針に想いが込められています。
ホスピスは積極的な治療はせず、緩和ケアーを行う病院です。
何人かがお見舞いに行きましたが、「会いたいけど、会えない」と言われて会えなかったそうです。
「Nちゃんを慰める手紙を書いて」S子に頼まれましたが、熱のため手紙を書くことはできません。
でも、Nちゃんには伝えなくてはならないことがあります。『のこされている時間は短いかもしれない。』そう思ったとき、わたしは、メールにして毎日少しずつ書いて送ることを思いつきました。
「無理したらあかん。熱があるときに書かなくていい」クリスチャンのS子からのメールです。必死に叫んでいる声が聞こえるようでした。
「わかった。無理せんと、ぼちぼち書く」
「そや。ぼちぼちやで」
携帯でそんな会話をしたのですが、その日の夕方には横になりながら携帯を片手に持ってNちゃんに書き始めていました。
最初の2通のメールは短く。3通目書くときは熱が下がっていたので少し長く書きました。
福音そのもの(イエス様がしてくださったこと)を伝え、自分が救われたときのことと、救いを受け入れて、どれだけすばらしい人生をおくっているかについて書き、天国のこと、永遠のいのちについて書きました。毎回最後には聖書のことばを書きました。
毎日一通ずつ送っていて、7通目を書いたとき、書くことがなくなったと思ったのです。それでも、メールを待っているかもしれないと思って8通目を送ったのち、間もなくS子からの電話で、Nちゃんが召されたことを知りました。
8通目は読まれることはなかったのです。でも、7通のメールは確かに読んでいたと、お姉さんから伝えられました。
(Nちゃんは子どもがいなく、ご主人は2年前に亡くなっています。お姉さんがずっと付き添っておられたようです)
Nちゃんが救いを受け入れたかどうかわかりません。でも天国にいったとき、Nちゃんがいちばんに出迎えに来てくれるような気がします。
昨日の読売新聞、編集手帳に5年前に94歳で亡くなった、アンパンマンの作者、やなせたかしさんの詩が紹介されていました。
絶望の隣に
だれかがそっと腰かけた
絶望は
となりのひとにきいた
「あなたはいったいだれですか」
となりのひとはほほえんだ
「わたしの名前は希望です」
絶望の隣にある希望。クリスチャンのやなせたかしさんは、キリストにある希望は、絶望を希望に変えると綴りたかったのではないかなと思いました。
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