生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

でんでんむしのかなしみ

2012-03-17 17:17:31 | 童話
来年は新美南吉(1913年~1943年)の生誕百周年です。
南吉と聞いてピンとこない人でも「ごんぎつね」の作者といえばおわかりになると思います。
北の賢治(宮沢賢治)、南の南吉といわれたほどの童話作家です。

「ごんぎつね」は今でも小学校の国語の教科書に載っていると聞いて嬉しくなりました。いつから載るようになったのでしょうか……。わたしが小学生の時は載っていませんでしたが、6歳年下の妹の教科書に載っていました。

わたしが初めて南吉の童話に出会ったのは、高校生の時、妹の教科書からでした。「ごんぎつね」を読んで涙が止まらなくなりました。相手に気持ちが伝わらない悲しみに深く共感したのです。

また、南吉の書いた童話で「でんでんむしの悲しみ」という作品があります。美智子皇后が推薦されて有名になり、絵本にもなっています。

童話には自分の殻だけでなく、友達の殻にも悲しみが詰まっていることに気づくでんでんむしのことが書かれています。
紹介させていただきます


  
でんでんむしのかなしみ


  一ぴきの でんでんむしが ありました。
  あるひ、その でんでんむしは、たいへんな ことに きが つきました。

「わたしは いままで、うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには、かなしみが いっぱい つまって いるではないか。」
 
 この かなしみは、どう したら よいでしょう。
 でんでんむしは、おともだちの でんでんむしの ところに やっていきました。
 
「わたしは もう、いきて いられません。」
と、その でんでんむしは、おともだちに いいました。

「なんですか。」
と、おともだちの でんでんむしは ききました。
「わたしは、なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには、かなしみが、いっぱい つまって いるのです。」
と、はじめの でんでんむしが、はなしました。

 すると、おともだちの でんでんむしは いいました。
「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」

 それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへ いきました。

 すると、その おともだちも いいました。
「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも、かなしみはいっぱいです。」
 そこで、はじめの でんでんむしは、また べつの、おともだちの ところへ いきました。

 こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、どの ともだちも、おなじ ことを いうので ありました。
 とうとう、はじめの でんでんむしは、きが つきました。

「かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」
 そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります。



わたしは、この作品をお借りして、「でんでんむしのよろこび」という童話を書きました。
童話はわたしのHP「生かされて・・・土筆文香」に前半を掲載しました(久々の更新です)のでご覧ください。後半は後日アップします。

(南吉のことは2011年9月14日ブログにも書いていますので合わせてお読みいただけると嬉しいです。)



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