生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

神が遠くに感じられるとき

2012-03-09 21:20:06 | 聖書から
昨日は我が家での家庭集会でした。娘も参加し、牧師先生と8名の方が来て下さいました。
「人生を導く5つの目的」(リック・ウォレン著、パーパス・ドリブン・ジャパン)の14から学びました。

この本は何度も読みましたが、その箇所の内容をすっかり忘れていました。
そのページには、神が遠くに感じられるときのことについて書かれていました。

祈っても何の応答もなかったり、あまりにもひどい苦しみが襲ってきて、祈ることさえできなくなってしまうことがあります。

わたしは何度もそのような経験をしました。そんなときは、わたしの信仰が弱いから、あるいは自分自身に問題があるから神様が遠く感じられるのだと思って自分を責めていました。
でも、それが間違えであること。誰もが皆直面しなければならないことだと知り、ほっとしました。
それは、信仰の訓練なのだそうです。

「どのような関係にも親密な時期と距離を感じる時期があります。神との関係においても、それがどれほど親密なものであっても、振り子はこちら側から向こう側へと振れていくものなのです。(フィリップ・ヤンシー)」
と書かれています。

ダビデは神様の臨在が感じられないことについて度々文句を言っています。
ヨブは神様がおられないと感じた時、このことに希望を見出しています。

わたしたちが神様の存在が信じられなくなった時でも、神様は存在しておられるという事実があります。神さまはご自分のことを「わたしは、『わたしはある』という者である(出エジプト3:14)」と言われました。「わたしはある」は、わたしはいると訳した方がいいと聞きましたが、その通りですね。いつでもどこでもどんなときでも神は存在するお方なのです。

「神に見捨てられたと感じることがあっても、その感情に左右されずに神を信じ続けるとき、あなたは最も深いレベルで礼拝しているのです。」と書かれていました。

わたしの罪を赦すために十字架にまでかかって下さった神さまが、わたしを見捨てるはずはないのです。キリストが十字架上でなして下さったことを思いながら礼拝を捧げたいです。



わたしが書いたものが掲載されている「百万人の福音」4月号が今日送られてきました。
入選したのは奨励賞の作品1点と佳作2点でした。わたしのは佳作ですが、4月号に掲載されました。題名は「試練の学校」。実名で出ています。いのちのことば社のHPをごらんください。



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