生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ヨセフ物語(その4)

2007-07-21 10:39:20 | 聖書から

さて、ヨセフはいつ兄たちを赦せたのでしょうか? このことは聖書に書かれていませんので、想像するしかありません。
わたしは、ヨセフは監獄の中で兄たちを赦すことができたのではないかと考えました。JCPで発表したとき、監獄の中で赦したと書いたのはわたしひとりでした。

JCPのほかの方の作品は、ヨセフが兄たちを赦したときが、井戸に落とされたとき、奴隷として売られたとき、兄たちと再会したとき……と様々でした。再会したとき、兄たちがヨセフを奴隷として売ったことを深く悔いていることを知って赦したと考えた方が多く、確かにその可能性も大きいです。


あの冷酷な兄たち(長男のルベンだけは別)が悔い改めているということも驚きですが、ヨセフが兄たちを赦せたというのは、すごいことだと思います。ふつうなら、復讐物語となってしまうでしょう。

ヨセフは監獄の中で自分の罪を自覚し、悔い改めたからこそ、兄たちを赦せたのではないかと想像して「監獄の中のヨセフ」を書きました。(あくまでもわたしの創作です)それを紹介します。読者を聖書のヨセフ物語を知っている方だと想定して書いていますので、ご存じない方は先に創世記37章-50章、またはこのブログの7/16、18,20のヨセフ物語(その1-3)をお読みになって下さい。

                 監獄の中のヨセフ  
            

鳥の声が今日もさわやかな天気であることを告げていた。高い塀に囲まれている監獄からは朝日を見ることができない。
「ああ、いつになったら朝日がみられるんだろう……主よ、いつですか、いつなのですか」
ヨセフは深いため息をついた。(献酌官はパロにわたしのことをいってくれなかったんだな。わたしは、忘れられてしまった。このまま一生ここで過ごすのか……)

このごろヨセフは気が滅入っていた。前はそんなことはなかった。主が必ず助け出して下さることを信じ、主が共にいて下さることを実感してどんな仕事でも喜んでやっていた。
けれども、最近は仕事をする気力も失せて、祈る言葉も「いつ出られるのですか?」と同じ言葉を繰り返していた。
(ああ、こんなことじゃいけない。気が沈むようになったのは、なぜだろう?)ヨセフは自分に問いかけた。

献酌官と調理長の夢を解き明かし、献酌官がゆるされたとき、彼に過大な期待をした。献酌官がすぐにパロに無実の罪で投獄されている自分のことを話してくれ、パロが釈放してくれるのだと思ったのだ。しかし、何日待っても何の音沙汰もない。もうすぐ2年になろうとしている。献酌官にあれほどのことをしてやったのに忘れてしまうなんて、なんて薄情なんだと献酌官を恨んでいた。
(ああ、気落ちした原因は、この恨みだ)とヨセフは初めて気づいた。
(あれほどのことをしてやったなんていえるだろうか? 夢が解き明かせたのは自分の力ではなく、主の力なのに……)

ヨセフは、自分がなぜここにいることになったのか思い返した。兄たちに奴隷として売られ、エジプトの地に連れてこられた。その原因は自分にもあったのではないか? 父さんに特別可愛がられているのをいいことに、兄たちのことを告げ口したり、それを聞いたら兄たちがどんな思いをするかなど全く考えずに夢の話しを自慢げにしたりして……。なんて生意気だったんだろう。兄たちに憎まれて当然。奴隷として売られ、監獄に入れられて当然じゃないか。わたしに人を恨む資格はない……。

ヨセフは床に跪いて祈りはじめた。
主よ、わたしは罪を犯しました。兄たちに対しても、献酌官に対しても……わたしは人を責める資格などないのです。主よ、もういつ出られるのですかと問いません。時期が来たら、必ずあなたがここから出して下さると信じます。すべてを御手にゆだねます。
祈り終えると、ヨセフの心に朝日がさしこんできたように明るくなった。

ヨセフが監獄から出されたのはその1か月後である。


おわり

以前このブログでも紹介した自分史「アダルトチルドレンだったわたし」をブックマークにある『生かされて…土筆文香』のHP(エッセイのページ)に今日掲載しました。まだお読みになってない方はぜひご覧下さい。

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