生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

道は閉ざされなかった(その2)

2007-02-27 10:22:34 | エッセイ
これから実家に帰ります。母が白内障の手術を受けるので、その付き添いと家事手伝いをしに行くのです。片目ずつ2週間にわたって手術を受けるので、週末には一時戻ってきますが、翌週もまた出かけます。白内障の手術は成功の確率が高いそうですが、まれにうまくいかないこともあるのです。どうかお祈り下さい。


昨日の詩を書いてから9か月後には少し立ち直っていますが、書き続けていていいのか?わたしにとって書くことが神さまのみこころにかなったことなのか?それがいちばん悩むことでした。みこころがはっきりと示されない10年くらいの間、何度も神さまに問いかけました。

みこころを求めて

童話のストーリーが次々と与えられて
物語の中にすっぽりと入っているときは
とても幸せなとき

でも、書きはじめると、
拙い文章と、乏しい想像力にがっかりし、
書きたくない……いや、書いていこう
と、闘いがはじまる

神さまのことで頭がいっぱいになっているとき
イエスさまの深い深い愛をおもうときは
もっと幸せなとき

このことを 童話に書いて伝えたいと
なんとか伝えたいと
思ってしまう

神さま、もう一度聞いていいですか?
わたしが 童話を書くことは
みこころに かなっていますか?
(1995年9月)


キリストを信じてから、神さまのみこころをずうっと求めています。でも神さまのみこころは、なかなかわかるものではありません。
イエスさまは、十字架につけられる前に「わたしの願いではなく、みこころのとおりにして下さい」と祈られました。
キリストを模範として、自分の願いが叶うようにではなく、神さまの願いが叶うように祈っていますが、実際自分の願いが叶わないと落ち込んでしまうのでした。
落選が続いたからといって書くことが神さまのみこころではないと決めつけることはできません。それで何度もたずね、躓きながら書き続けました。


今は次のように考えています。
みこころにかなっていなければ、10年以上も書き続けることができなかったのではないでしょうか。もし書くことがみこころでなかったなら、神さまは何らかの出来事を通して、わたしに書くことをストップさせると思います。

神さまのみこころと自分の願いが一致したとき、その人は幸いですと以前牧師先生が言われました。その言葉をいま、かみしめています。

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