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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

土浦に植えられて

2010-03-23 16:54:31 | 日記

昨日はヒックンが来て、イチゴ狩りとフラワーパークに行ってきました。
あらかじめインターネットでイチゴ狩りのできるところを調べていました。
ところが、予約を入れてなかったので、調べていた2か所とも満員で入れませんでした。

「フラワーパークの近くにイチゴ狩りできるところがあったんじゃないか」
主人に言われて、子どもたちが小さかった時、イチゴ狩りに行ったときのことを思い出しました。
「でも、あれから20年もたっているのよ。まだあるのかしら?」
「とにかく行って見よう」

行くと、ビニールハウスが見えてきました。土浦に越してきたばかりのころ訪れた場所です。息子7歳、娘は4歳でした。

そのとき娘はイチゴを食べすぎて気持ち悪くなり、それからイチゴが嫌いになってしまったのです。(いまだにイチゴ嫌いです)
店で尋ねるとイチゴ狩りできるというので、大喜びでハウスに入りました。HPで紹介されてないせいか、すいていてよかったです。

ところがヒックンはイチゴをなめるだけで食べません。
「イチゴ、きらいなんです」とヒックンママ。イチゴ嫌いは叔母さんからの遺伝?

ヒックンはひとつも口に入れないで、イチゴを眺めながらハウスの中を楽しそうに歩きまわっていました。

それにしてもあのとき、20年後に孫を連れてくることになると誰が想像したでしょうか?
不思議な気持ちがしました。


土浦に越してきて20年になりますが、あのころはとてもつらい時期でした。新しい土地に慣れなくて、教会にもなじめなくて、以前住んでいた久喜(埼玉県)がなつかしく、振り返ってばかりいました。
久喜の友人に久喜に戻りたいというようなことを手紙に書いて出すと、「置かれたところで咲く」という詩を紹介して下さいました。
 

「置かれたところで咲く」

 神が置いてくださったところで咲きなさい。
 しかたがないと諦めてでなく
 「咲く」のです。
 「咲く」ということは
 自分が幸せに生き
 他人も幸せにするということです。

 「咲く」ということは
 周囲の人々に あなたの笑顔が
 私は幸せなのだということを
 示して生きるということなのです。
  “神が私をここに置いてくださった
   それはすばらしいことであり
   ありがたいことだ”
 あなたのすべてが
 語っていることなのです。

 「咲く」ということは
 他の人の求めに喜んで応じ
 自分にとって ありがたくない人にも
 決していやな顔 退屈気な態度を
 見せないで生きるということなのです。


先日の礼拝では「植え替えられる」という言葉が語られました。キリストを信じたとき、神の国の国民として神様に植え替えられたのです。神様から選ばれて送り出されてこの場所にいるのです。
なぜ選ばれたか理由はわからなくても、神様の計画と考えの中に置かれていること覚えるように。新しい視点にたつことが大切です。というメッセージを聞きました。


わたしは、土浦に植えられて20年たちました。いつかはこの地を離れますが、今この地でせいいっぱい咲かせていただきたいです。               



16年かかって・・・

2010-03-11 21:49:47 | 日記

今日は家庭集会の準備やCSのこと、HPの更新など色々やることがあって、忙しい一日でした。

昨日は児童文学の集まりがありました。作品集の2回目の校正をしました。以前は会員が20名近くいて、毎年同人誌を出していました。7年前に解散して、再び集まって数年がたちました。半数以上のメンバーが去っていき、現在メンバーは9人です。

今回、8年ぶりに作品集を出すことになりました。
わたしが出す作品は、「エフラテール」という題のファンタジー児童小説です。

「エフラテール」を最初に書いたのは16年も前になります。子どもたちに神様の愛を伝えようと童話を書き始めたころでした。

原稿用紙20枚ほどの短編でしたが、3回合評にかけ、書き直すこと約30回。書き直すたびに長くなり、200枚を超える長編になってしまいました。

なぜこの作品にこだわるのかというと、「エフラテール」がどんな国なのか考えているうちに楽しくてたまらなくなったのです。

登場人物(正確にいうと人物と動物)に「早く書きあげてよ!」「ぼくたちを発表してよ」とせかされてやっと書き終えました。

ところで、わたしの文章は16年前と比べてどうなのでしょう? 少しは成長しているといいのですが・・・。


*日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHP更新しました。ぜひご覧ください。


だいじょうぶ

2010-03-08 20:52:29 | 日記

土曜日、息子一家が泊まりにきました。
今日は疲れが出て、半日寝ていました。このところ寒暖の差が激しく、そのせいもあって体調が整いません。

数日前、妹のところから宅配便で何十冊もの絵本が送られてきました。姪が読んでいた絵本ですが、そのほとんどは息子や娘たちが小さいころ読んでいたものです。それが今度はヒックンにと戻ってきました。

「こどものとも」シリーズや、「ちいさいおうち」「ひとまねこざる」「ゆきのひのうさこちゃん」など、なつかしい本がたくさんありました。

ヒックンは絵本が大好きです。「はらぺこあおむし」を読むと大喜び。あおむしくんが食べたものに穴があいているので、そこに指をつっこんで「ムシャムシャムシャ」と自分も食べた気になっています。

あおむしくんが、食べ過ぎておなかが痛くなる場面で「いたいよー」と感情をこめて読むと、ヒックンは心配そうな顔をしてあおむしくんをさすり、「だいじょうぶ? だいじょうぶ?」とたずねていました。

小雨が降っていたのですが、アウトレットまで買い物に出かけると、大喜びで走り回り、追いかけるのに一苦労でした。店頭でバッグのセールをしていると、バッグをみて「あら、かわいいじゃない」とヒックンが言ったので、大笑いしました。ママの口真似でしょう。

 車中でヒックンママとわたしがおしゃべりをしていると、「ふたりとも、うるさーい!」と怒り出しました。自分が話題の中心になっていないとダメみたいです。

昨日は、一緒に教会に行って、ヒックンはママと幼児クラスに出席し、シールを貼ってもらって喜んでいました。


わたしは、「だいじょうぶ」という言葉が大好きです。不安や恐怖が襲ってきたとき、「だいじょうぶ」と自分に言いきかせています。だいじょうぶと言うことによって、平安が与えられます。

だいじょうぶと言える確かさ、根拠があるから安心できるのです。どんなときにも神様が共にいて助けて下さるという確かさです。

聖書の言葉

「強くあれ、雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたのいく所どこにでも、あなたとともにあるからである。(ヨシュア記1:9)」


*2009年6月13日にも「だいじょうぶ!」という記事を書いていました。

占いについて

2010-03-05 16:58:29 | 日記

パソコンの調子が悪くてネットにつながりにくくなっています。昨日はネットをつなげようとして2回もフリーズしてしまい、ブログを書く意欲がなくなってしまいました。

今日はようやくつながったと思ったら、「PCの保護が万全ではありません」と警告が出て、修復をクリックしても治らず、途方に暮れました。

また、JCPのHPを更新しようとしたら、ガンブラー対策でとっていた設定のため、アップロードできず、冷汗をかきました。

あせらず、落ち着かなくては・・・と何度も何度も祈りました。祈っているうちにきっと大丈夫という確信が与えられました。

数時間後、どちらも解決してやっと一息です。原因もわからず、どのように解決できたのかもわかりません。主が働いて下さって助けて下さったとしか思えません。感謝!


以前、姪が占い玩具を持っているのを見て、こんなものが売られているのかとびっくりしました。軽い気持ちで占いをする人が多いですね。

神様を信じている人は、占いをしないと思っていました。
ところが・・・水曜礼拝のイスラムの学びで、唯一神アッラーを信じているイスラム教の人たちがロザリオを占い的に使ったり、お守りを持ったりすると聞いて不思議に思いました。

唯一絶対の神様を信じるなら、お守りに頼るのはどう考えてもおかしいですし、占いをするということは、神様を信頼していないことになります。

また、邪視(イーヴィルアイ)(嫉妬心を抱いて相手を見ると、相手に悪いことが起こる)というという思想があり、それを恐れてファティマの手をお守りにしている人たちが少なからずいると聞きました。それは、イスラムの教理に矛盾する考えです。

偉そうに書いていますが、わたしは洗礼を受けたばかりのとき、聖書もろくに読んでいなかったので、神様がどのようなお方かわかっていませんでした。
次々と友人が結婚していく中で、不安にかられて占いに夢中になった時期がありました。

占いは罪であると知らなかったのです。ジンクスを信じたり、たたりを恐れたり・・・
アッラーの神を信じながら占いをしたり、邪視を恐れるイスラムの人たちと同じでした。

のちに占いが罪であると知った時、自分の行為を深くわび、悔い改めのお祈りをしました。それ以来、占いをやめました。おみくじもひきません。テレビで占いが流れているとチャンネルを切り替えています。

この世界を造られた神様は、わたしのことも造ってくださり、わたしの人生で起こるすべてのことを定めてくださいます。ご自分のひとり子の命を与えて下さったほどわたしを愛してくださる神様は、いつも最善のことをなしてくださいます。

そのような神様を心から信頼していれば、この先に起こることを知る必要がありません。また、何も恐れることはありません。神様はどんな悪の力にも勝利されるお方だからです。

イスラム教では、唯一絶対の神がいても、救い主がいません。そこがキリスト教との大きな違いです。

わたしたちのために救い主をおくってくださった神様の素晴らしさを知ってもらいたいです。 


「それゆえ主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。(イザヤ30:18)」


ブタを育てるトラ

2010-02-16 12:37:25 | 日記
先日、ホームページクイズに答えてくださった方にさしあげたとっておきの画像の一枚を紹介します。宣教師の先生から贈られたものを転送していただいた画像です。


6年ほど前のことです。カリフォルニアの動物園でメスのトラが3匹の赤ちゃんを産みました。ところが早産で、赤ちゃんは三匹とも死んでしまいました。

お母さんトラは産後順調に回復したのですが、ある時からみるみる衰弱していったそうです。何度検査しても病気の原因はわかりませんでした。

獣医たちは、母トラが子を失った悲しさによる精神的なうつ状態になっているのではないかと考えました。
 
他のトラの赤ちゃんを借りて育てさせようとしたのですが、国内の動物園には、ちょうど良い赤ちゃんトラがいませんでした。

そこで、獣医たちは生まれたばかりの赤ちゃんブタに、トラの皮の衣装を着せてうつ病の母トラの横に置いたそうです。

トラのお母さんはブタの赤ちゃんを熱心に育てだし、元気になったそうです。


「生かされて・・・土筆文香」のHPギャラリーの部屋には、他3枚のトラとブタの写真を掲載しています。

「詩の部屋」も更新しました。

恵方巻き

2010-02-04 13:12:23 | 日記

お正月、実家へ行くときの電車でおもしろい会話が聞こえてきました。
「初詣に行ったら、境内でころんで救急車で運ばれた人を見たよ。あの神社はご利益(りやく)がないね」
「そうか。じゃあ、あの神社にお参りするのはやめよう」
本気で話していのを聞いて、わたしはくすっと笑ってしまいました。
神社に行くと、ほとんどの人が無病息災、家内安全、商売繁盛などを祈りますね。自分と家族の幸せを願ってのことでしょう。

昨日は節分でした。西南西を向いて恵方巻きを食べると福がくるそうですね。のり巻き一本を切らずに黙って食べなければいけないそうですね。

昨日は恵方巻きを知人からいただいたので、わたしは切って食べました。食べきれなかったからです。また、西南西を向かずしゃべりながら食べました。豆まきはいつものようにしませんでした。

キリストを信じる前のわたしだったら、そんなことは縁起が悪いと思ってできなかったでしょう。豆まきも、しないと大変なことになると、必死に豆をまいていました。

キリストを信じる前は、バチをあてる恐ろしい神様にじっと見られているような気がしていつもビクビクし、漠然とした不安を抱いていました。

クリスチャンは、聖書に示された神様を信じていますが、聖書の神様はバチをあてるようなお方ではありません。苦難や病気は罰として与えられているのではないのです。

また、キリスト教はご利益宗教ではありません。信仰すれば、入試に合格し、病気が治り、お金が儲かるというものではありません。

それでは、キリストを信じても、何のいいこともないとがっかりされる方がいるかもしれません。

キリストを信じたら、苦難がなくなるわけでも、病気が治るわけでもありませんが、どんな苦難や病が訪れても対処できるようになるのです。漠然とした不安がなくなり、喜び、感謝、平安が与えられるのです。こんなすばらしいことはないとわたしは思っています。


ユコちゃん保育園

2010-01-15 17:45:40 | 日記

13日、14日のまる2日間、孫のヒックン(2歳9か月)を預かりました。ヒックンは元気なのですが、下痢が続き、保育園で預かってもらえないのです。
ユコちゃん(わたしの呼び名)保育園では、工作をしたり、小麦粉粘土遊び、磁石を使った魚釣り、ペットボトルボーリング、カーレースごっこなどでよく遊びました。昨日はパパが仕事を早く終えて昼過ぎに来てくれたので助かりました。金曜日はママの仕事が休めるというので、夕べ帰って行きました。


「だれがこんなことしたの? こんなことしちゃだめでしょ」
これはヒックンではなく、長男(ヒックンパパ)の2歳のときの言葉です。ヒックンも同じようなことを言います。

お正月に実家に行くと、わたしがつけていた26年前の育児日記がみつかりました。長男が1歳から2歳までの日記で、食べた物や睡眠時間まで細かく記録していました。
ちょうど孫と同じぐらいのときなので、持って帰って微笑みながら読み返しています。

2歳のころは、意味がわからなくてもさかんに大人の口真似をします。口真似だけでなく、動作やちょっとした仕草まで真似します。
子どもは大人の真似をしながら成長していくのだなあと改めて感心しました。

ヒックンは物をもらったときだけでなく、人から何かしてもらったとき必ず「ありがとう」と言います。そして、にっこりとよく笑います。ママが笑顔を絶やさずに、いつも「ありがとう」と言っているからだなあと思いました。


今日はさすがに疲れて、今朝はめまいと頭痛で起き上がるのがやっとでした。
作品集の原稿の校正をして今日中に送らなければならないのにどうしよう・・・と思いました。原稿用紙200枚ほどの長編なので、校正にも時間がかかります。焦る気持ちをおさえて、まず聖書を読んで祈りました。
祈っているうちに体調が整えられて、原稿校正をする力が与えられました。3時間ほどで終わり、さきほど送ってきました。

今は作品集という形でしか発表できない小説ですが、神様が必要なところに届けて下さって用いて下さいますようにと祈りながら……。


予定外のこと

2010-01-12 20:58:04 | 日記

今年は、とくに抱負はないのですが、年の始めに思ったことがあります。それは、予定外のことがあったとき、主のみこころにかなっていることなら喜んで受け入れよう。自分の計画や思いと違うことを行うことになったとしても喜んで従おうと思ったのです。
不思議なことに、年明け早々いくつか予定外のことが起こりました。

今週の金曜に予定していた家庭集会が教会の葬儀のため、延期になりました。
明日は久しぶりに水曜礼拝に行こうと思っていたら、またヒックンの調子が悪くて一日預かることになりました。

児童文学の会作品集のための原稿校正を今週いっぱいに仕上げなくてはならないので、あせる気持ちもありますが、きっと神様はそれをする時間を与えて下さると信じて、明日は喜んで子守をしましょう。

平凡な家庭生活の場においても神様の栄光をあらわすことができますように。


昨日、日本クリスチャン・ペンクラブ(ブックマークにあります)のHP更新しました。「人は誰でも三匹のタイを飼っている」というユニークな題のエッセイがあります。

「認められタイ」「褒められタイ」「役に立ちタイ」とうタイですが、これまでわたしは「認められタイ」「褒められタイ」という感情を持ってはいけないのだという気がしていました。でも、エッセイには、「「これ(3つのタイ)がないと人は自信を失い、やる気をなくし、ひねくれたり自己嫌悪におちいったりします」と書かれています。

お母さんが子どもに対して、子どもの持っている「タイ」をポジティブに用いた例が書かれていて、素晴らしいと思いました。金子みすヾの詩の引用もされています。ぜひお読みください。

死から生を

2010-01-06 14:26:00 | 日記

4日にわたしの実家に行き、母と妹一家と共に新年を祝いました。帰るとき、中2の姪を連れてきました。世田谷区に住んでいる姪は、上野で常磐線に乗るのに30分もホームで待たなければならなかったことに驚いていました。写真は上野駅のホームから写しました。


昨日は教会で葬儀がありました。T兄のお父様(83歳)が肺がんで召されたのです。数年前まで、アルツハイマーの奥さんを10年間も自宅で介護されていたと聞きました。脳梗塞になられてからは、介護ができなくなったので土浦に招いたそうです。老人ホームに入居していましたが、間もなく肺がんがみつかって、手術も抗がん剤治療もできず、あっという間に召されてしまいました。

T兄は呼吸器科の医師です。お父様は息子さんの勤務する病院に入院され、息子さんが担当医となられたと伺って、ほっとした気持ちになりました。T兄は、助からない病にかかっているお父様を看られたのですから、さぞかしお辛かったことでしょう。でも、お父様にとっては、どれだけ嬉しかったことでしょう。

お父様が他の癌ではなく、肺癌になったことも神様の愛の配慮だと思いました。

生前のT兄のお父様とは面識がなかったので、泣くことはないと思っていたのですが、お孫さんで小学1年生のAちゃんが声を殺してずっと泣いているのをみて、もらい泣きしてしまいました。

どうかご遺族の方々のうえに主の慰めがありますようにお祈りします。

「走るべき道のりを走り終え」という牧師先生のメッセージがありました。


「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。(Ⅱテモテ4:7-8)


走るべき道のりを走り終えたパウロが愛弟子テモテに書いた最後の手紙です。

走るべき道のりを走り終えた人に神様は義の冠を用意しておられることを改めて感謝しました。

お葬儀に参列すると、当たり前のことなのですが、人は必ず死ぬのだということを自覚します。死を意識し、死から生を考えていきたいと思います。いつ死が訪れても「走るべき道のりを走り終えた」と言える人生を送れるよう歩んでいきたいです。


明日への期待

2010-01-02 16:37:49 | 日記

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

「あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。・・・あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行われる。(ヨシュア記3:4.5)」

今年いただいた年賀状の一通に書かれていた聖書の言葉です。これを読んだときドキッとしました。なぜかわかりません。ただ、わたしの心にまっすぐ響いてきたのです。

この箇所は何年か前、わたしの通う土浦めぐみ教会の年間聖句にもなりました。その年は、わたしにとってたくさんの不思議があった年でした。

未知なる新しい年。誰も経験したことのない明日に不思議が行われる。主に期待します。

昨日は主人の実家に行ったため元旦礼拝は出られませんでした。明日の礼拝が楽しみです。どんなビジョンが語られるのでしょう。

ヒックンの昼寝の間に書いているので、今日は短く終わります。

絶えず目を留めて

2009-12-31 17:06:28 | 日記

大掃除とおせち作りで忙しい数日間でした。正月は1日、4日に(両方の)実家へ行き、2日、3日は息子一家を招くことになっています。

この一年も健康が支えられてここまで歩んでこられたことに感慨深い思いでいます。

今日のデボーションで読んだ聖書の箇所を紹介します。

「そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が絶えずその上に目を留めておられる地である。(申命記11-12)」

その地とは、神様がエジプトを出たイスラエルの民に与えると約束して下さった土地です。

神様はわたしに対しても年の初めから年の終わりまで『絶えず目を留めて』下さったのだなあと胸が熱くなりました。

わたしは妄想癖(?)があって、たとえば主人の帰りが遅いとき、娘と連絡が取れないときなど事故や事件に巻き込まれているのではないかと想像して不必要な心配をしてしまうことがあります。

将来のことを恐れる気持ちが沸き上がってきて、新しいことを始めるとき、恐れが先立ってしまうことがあります。

でも、神様がわたしの人生にこれからも絶えず目を留めて下さるのですから、恐れずに新しい年に向かって前進していけばいいのだと思いました。


今年は神様のカリス(恵み)あふれる年でした。

ブログを読んで下さった方々、祈って下さった方々に心から感謝いたします。
2010年、みなさまに神様の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。

み旨を求めて

2009-12-29 22:06:54 | 日記

「みなさん、神様がどんなに素晴らしいことをしてくださったか証ししましょう。奨励をしましょう。奨励ができるように熱心に求めましょう」と、今年の春、礼拝で牧師先生が言われました。


* 証しとは、自らの体験を通して神様の素晴らしさを伝えること。
*奨励とは、神の言葉の説明と自らの体験を通して人を励ましたり慰めたり、すすめをすることです。


それを聞いたとき、わたしは(書くことならできるけれど人前で証しするのは苦手だな。奨励などもってのほか……)と思いました。

ところが、11月に多摩ニュータウンバプテスト教会で奨励させていただき、12月には、めぐみ教会の家庭集会クリスマス会で証しさせていただきました。
予想もしなかったことです。モーセではありませんが、わたしは言葉の人ではありません。昔から人前で話すのは苦手でした。書くことはできても語れないと思っていました。

それなのに、今年神様は3回わたしに語るように導いてくださいました。
1回目は5月にクリスチャン・ペンクラブ(JCP)の修養会で「わたしの文章作法」について10分間語るように言われました。そのとき、わたしはためらいました。わたしよりずっと長い間JCPで 学んでおられる方、すばらしいあかし文章を書いておられる先輩方に向かってわたしが語るようなことは何もないと思ったからです。
でも、「あなた自身が書くときに心がけていることを語ればいいのよ」と言われ、語らせていただきました。


2回目は、わたしの書いた詩「神さまのカリス」にゴスペルシンガーのチャキさんが曲をつけてくださいました。チャキさんはJCPのメンバーでもあります。
そのことがきっかけで、多摩ニュータウンバプテスト教会でお話しさせていただきました。最初は10分ぐらいの証しだと思っていました。ところが、30分の奨励と言われ、とてもできないと思いました。

ところが、証しをするために書いていた文章が長くなり、全部話すと30分くらいかかるものになってしまいました。削ろうとしていたときに30分ぐらい話してほしいと言われました。神様がすべてを語りなさいとおっしゃってくださっているのだと受け止め、引き受けさせていただきました。

でも原稿を読むのではなく、30分も語ることができるのでしょうか?
よく考えてみると、教会学校では1か月半に一度、(10分間ですが)子どもたちの前で語っているのです。今は低学年、高学年と分かれて礼拝しているので教師と子ども合わせて40数名ですが、合同礼拝のときは60数名の子どもたちと20名の教師たちの前で話していました。

教会学校で話すときは、項目だけ書いた要点メモを作って、それを見ながら話しています。それを適用させればいいのだと気づいたとき、きっと語れるという確信をいただきました。

それでも、欠けだらけのわたしが・・・語る言葉も不完全なわたしが・・・と足りないところばかりに意識が向かってしまいます。自分の弱さをとことん自覚しました。

「わたしの力ではひとことも語ることができません。でも、神さま、あなたが力をくだされば、どんなことでもできると信じています。どうか力を与えて下さい」
と祈ると平安が与えられました。

それは、奨励になっていなかったかもしれません。言葉が足りなかったかもしれません。でも、神様は栄光を現わしてくださいました。

神さまは弱い者、能力の乏しい者を通して働かれ、み業を示して下さいます。
わたしの話を聞いたからというわけではないのでしょうけれど、神様はその日洗礼を決心する方を起こして下さいました。このことはわたしにとって大きな喜びとなりました。

ご奉仕が終わったのち、多摩ニュータウンバプテスト教会の牧師先生から「文香姉を奨励者としてお迎えできたことは予め備えられていた恵みでした」とお手紙をいただきました。

『あらかじめ備えられていた』と伺って、(このようなわたしでも神様に用いていただけたのだ!)と喜びでいっぱいになりました。


3回目の家庭集会クリスマス会で証しさせていただいたときは、何人もの方から「同じような思いをしたことがある。励まされた」と言っていただきました。

今年は、自分の希望や予想とは別のことをしました。でも、それは神様が望んでおられたことでした。

来年は、神様は何を望んでおられるか? 常にこのことを祈り求めて、たとえわたしが望まないことでも、神様のみ旨ならば喜んで行うことができるようにと願っています。


手作り絵本&カレンダーノート

2009-12-22 13:50:29 | 日記

9/25のブログで紹介した五つのパンの「マローンおばさんの部屋」から絵本カレンダー&ノートが届きました。
表紙に布が貼ってある手作りノートです。大きさも手ごろで使いやすそうです。(19㎝×13.5センチ)

一般の店で販売されている手帳はたいていが月曜始まりになっています。カレンダーは日曜始まりなのに、なぜでしょうか・・・クリスチャンは、日曜日に礼拝をささげてから新しい週が始まるという感覚です。なので、日曜始まりの手帳が欲しいと思うのです。

このノートはもちろん日曜始まりです。カレンダーにはローマ字で聖書の言葉が書かれています。

好きな布を送って作ってもらうこともできます。

こちらの手帳は娘が送った布で作っていただきました。世界にひとつだけの手帳です。

まだ年内に注文が間に合うそうです。五つのパンのHPより申し込めます。

心が宝で満ちたなら

2009-12-08 16:14:20 | 日記

昨日ようやく新型インフルエンザワクチン接種してもらえました。内科主治医から優先接種券をいただくのに3時間かかり、別の日予約券をいただくのに1時間半。(一回目は少し遅れて行ったため、いただけず)そして昨日は40分ほどの待ち時間でした。

ワクチンが不足しているからなのでしょうが、こんなに大変だと思いませんでした。
わたしより体力のない人は、家族の協力がなければ予約することもできないでしょう。働いている方で持病のある人は、日時が指定されてしまうので難しいでしょう。妊婦さんも持病のある人と同じ扱いで、時間に遅れて来たら予約券がもらえない状況です。

わたしは接種していただけたことを感謝しますが、接種を希望してもできないかもしれない方々を思うと申し訳ない気持ちです。
ワクチン接種してもかかる人もいますから、油断はできませんが・・・。
ヒックンは19日にかかりつけの小児科で予約がとれたと聞いて、ほっとしました。

今日は内科の診察日で、連日病院通いです。2日ともいい天気で自転車で行けたのでよかったです。

 
今、OBI通信では新約聖書を学んでいます。今まで読み過ごしていた聖書の言葉がピックアップされ、感動に震えて思わず涙することもしばしばです。

マリヤが「心に留めておいた(ルカ2:51)」という箇所を英語で「心の宝とした」訳されているものがあると教えていただき、なんて素晴らしい言葉なのだろうと思いました。

聖書を読むたびに心の宝がひとつずつ増えていきます。心が宝で満ちたなら、どんな試練がやってきても、神様の愛をあふれさせることができるような気がしました。


苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。(Ⅱコリント 8:2)

キリストにつながる道

2009-12-01 20:27:16 | 日記

一昨日から母が来て我が家に泊まりました。母は約一年ぶりに土浦に来ました。わたしは月に一度は母のところへ行って泊まりますが、母はなかなか来てくれません。

体操教室や旅行、友人との食事など、母なりに忙しくて、さそっても都合がつかないと言います。

今回ようやく来てくれたのは、年賀状を印刷するという目的です。わたしがPCで作成するのですが、自分で図柄を選びたいと言いました。

日曜日に来るというので、教会の第3礼拝に一緒に出て欲しいと誘ったのですが、「今回は教会へは行かない」と言って、午後にやってきました。

昨日は半日年賀状作りをして、夜は娘と3人でおしゃべりを楽しみました。

今日は、市内の老人ホームを見学しました。すぐ入居するわけではないのですが、いずれ土浦で老人ホームに入りたいというので見学させていただきました。

かつては老人ホームというと暗いイメージがありました。親を老人ホームに入れることは親不孝と考えていた人の多かった時代は過去のものになりました。

母は、子どもの家族と同居するより老人ホームに入った方がいいと考えています。わたしも65歳になったら早く入りたいと思います。

ケアー付きマンションという感じで、プライバシーが守られ、安心して快適に過ごせる場所です。今日見学した老人ホームは、霞ヶ浦湖畔の見晴らしのよいところに建っています。明るくて設備も整っています。

母は気に入ったようですが、「あと2、3年先ね」と言いました。元気で、家事をこなし、近所にたくさん友人もいるので、まだ入居したくないという気持ちはよくわかります。

でも、父が召されて3年たち、母はもう80歳です。元気なうちに入居して、そこでの生活を楽しんでほしい。そして何より、教会につながってほしいと思います。

土浦市内のホームに入居すれば、教会の高齢者の会である喜楽希楽(きらきら)会の集会や旅行に参加したり、礼拝にも行くことができます。でも、このことは母には言いませんでした。

帰りは天気がいいので歩いて駅まで戻ることにしました。ホームから駅まで1.2㎞です。川の土手を歩いていると、「この川は桜川でしょう。ここをまっすぐ行けば教会なのね。教会につながっているのね」と母が言いました。

今回せっかく土浦に来たのに教会へ寄らなかったので、わたしは内心がっかりしていたのですが、母が教会のことを想っていたことを知って、嬉しくなりました。
母がキリストにつながる道を歩んでくれますように。

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